2006年04月30日(日) : 書きたい

 今、本当に、ちょっと前まで小説書くのもう駄目かもしれない、と思ってたのが嘘みたいに、書きたくて書きたくてしょうがありません。
 ひょっとしたら、自分が気付かなかっただけで、物凄く書く事に飢えていたんだろうか、というくらいに文字を綴ることがやめられません。自分の言葉が文章になって、小説という形のパズルのピースがはまっていくのが、楽しいし、嬉しい。
 何よりも。
 私は、自分の物語世界を、そこに生きる人々を、とても愛していたんだ、と痛感しました。

 おかげで、今日の日記の文章も、何だか小説じみてます(笑)。

 そして、時折、応援をくれる方、本当にありがとうございます。貴方のため、なんておこがましいけれど、私は書きます。展開にどん引きされても書きます(苦笑)。
 もしも、私の小説が、目に留めてくれた人に、少しでも心に引っかかるものがあるならば、望外の喜びです。
 さて、また続き書くぞ! 



2006年04月29日(土) : 文章の書き癖

 誰にでもあると思います。
 基本的に、私の書く文章が、「重い、堅い」というのは、満場一致で可決されているわけですが。まあ、漢字多いからにゃー。
 今回の更新分は、かなり私の素の書き方が強く出ていると思います。自分でも分かっている私の書き癖は、こんなもんです。

○倒置法が多い
○体言止めを好んで使用する傾向あり
○地文とモノローグが混在しがち
○リフレインが好きらしい

 まあ、今回は予定外にレオンハルトの心情吐露が入ったので、物凄く文章全体が感情的になってると思います。書いてる私が、レオンハルトの思考をトレースしてるというか。
 ……予定外です。今回のメインは、デコピン(本当は予想外)と受難のはずだったんですが。やっぱり、吹っ切るまではレオンハルトの嘆きが明確な分、どーしても強く出てしまいますかね。
 その一方で、昔に上手く出来なかった、おっさんの悪役っぽさが出せるようになってきた、気がします。

 文章の成形には、その人なりのこだわりがあると思います。
 私の書き癖とは別のこだわり……前にも書いた気がする。単調な文章の繰り返しを避けようとしたら、倒置法や体言止めが頻繁に差し込まれてくるのも、ある意味当然かもしれません。
 何つーか、「読みやすい文章」より、「見目がいい文章」を求めてますね自分。



2006年04月26日(水) : 進捗状況とか

 っつっても、昨日日付ぎりぎりに4話上げたんで、まだ5話は全然進んでないんですが。ここまで来て、ようやくちょっと元稿が使えるかな、という感じになってきました。元稿を知ってるのは、私含めてこの世に二人しか居ないわけですが、それも読んでもらったのは相当昔(十年以上前だ!)ですので、展開の仕方が全然違うよ、ということは覚えてないでしょう。つか、確認した。

 Chapter-3「滅びぬ夜の夢」と、Chapter-4「薔薇と妖精」は、実は(というまでもない)、カインにスポットを当てた話です。の筈ですが、今の「滅びぬ夜の夢」の方は、如何せん場所が場所だけに、うっかりすると、レオンハルトが持って行きそうになります。主張強ぇー!! とはいえ、やっぱり無視は出来ないし。で、もっかい3話と同じこと繰り返しそうになったので、ばっさり消して、カインにああ言わせました。
 んが、5話は初めてじゃないか、カインがメインでレオンハルトちょっぴり、になる予定、です。もっとも、カインがメインになるということは、受難であるとイコールで結ばれるわけで。まあ、気張れ。
 何だかんだ言っても、おっさんは関わってきますねー。Chapter-2が外伝っぽい、というのも、やっぱしおっさんの影がなかったからでしょうか。白状してしまうと、おっさんの素性を思いついたのは、今年に入ってからです。元々、おっさんに必要としていたのは、「ヤな悪役」としての立場だけだったんで、考える必要ないと思ってたんですが。ぽん、と湧いて出たわけですよ。唐突に見えようとも、レオンハルトはおっさんの過去には興味なかったからいいんだい。
 しかし、それ入れたから行数食っちゃったよ。
 おかげで、どういう風にオチつけようか非常に苦しんだよ。

 で、この章は、8話――9話か、それぐらい? 10話になったら、1話ずつ増やすんかい、と、私は自分で笑います。でも流石にこの章自体は、今年中に終わらせたい2006年4月下旬。
 あーっと、5話は個人的にはデコピンです、デコピン。



2006年04月25日(火) : PCで小説を書くということ

 利点があるから、このツールを選ぶわけで。
 人によって、その利点は色々あるでしょうが、私の場合は、「手が汚れない」ことが一番です(笑)。
 いやマジで。
 思ったことを言葉にするのなら、いちいち変換、という手間を取らないで済む分、手書きの方が早いし楽です。
 しかし、私は非常に筆圧が高い。ペンタブの表面を一年足らずで引っ掻き傷だらけにするなんて序の口。ペンタブ用のペン先だって、二年で3本ほど使い尽くしたし、点描打ってて紙に穴を開けるだの、トーンと一緒に原稿用紙も切るだの、日常茶飯事。HBのシャーペン使っても、手を真っ黒にするのは当たり前だったのです。
 それが、PCだと、手が汚れない。
 また、「ここんとこ気に入らねーなー」と思ったら、簡単に消して修正できます。資源も無駄遣いせずに済みます。筆圧が高いと、使う消しゴムの量も半端じゃないんですよ。そんなに力入れなくてもいーじゃん自分。でも、癖なんだよなあ。

 というわけで、「漢字が出ねー! 何でそんな変な変換するかIME!」と悪態をつきながらも、私はPCで小説を書くのです。そういや、最近、「軍配」が一発変換できなかったことに驚きました。

 一時は、書く事自体が嫌になってすらいたのに、今、熱に浮かされたように書いてます。
 今回の更新分は、ちょっと日常的? なシーンを混ぜてたんですが、どーしてこう、普通の「おはよう」って挨拶が違和感あるんだ。というのがアレです。本当に、他愛のない挨拶のシーンが、どーしても違和感あってしょうがないんです……。簡潔に言うと、「似合わん」。
 んで。
 この章、ちょっと「えー?」と思われる表現が、ちょこちょこ散見されるかもしれませんが、単に趣味だけでそーゆー風に書いてるわけじゃないですよ、とだけ先に言っておこう。せこい。



2006年04月23日(日) : 世界は閉じているか

 相変わらず、こそこそとよそ様の所を黙って巡っては、話題をこっそり持って帰って来るせこい人です。やーなかなか「お久しぶりです」って言いにくいねえ忘れられてる可能性も激しくあるもんねえ(自業自得だ馬鹿)。
 ということで、今日も拾ってきた話題。

 基本的に、小説を書くという作業は、「閉じた」行為です。自分の中にある想いを、文字言葉に託していくわけですから。一人でね。
 しかし、それを書く人間の世界が閉じていてはしょーがないですよね。いやまあ、自分のことは置いておいて。
 書かれたものを「発表する」ということは、プロアマ問わず、自分以外の誰かの目にそれが触れるということ。そうなれば、自分以外の人間が見るんだから、自分とは違う受け取り方が出てくるのも、至極当たり前のこと。
 それが、最近では、作者の了承無しに感想を書くな、作者の意図以外の感想は認めない、みたいな風潮が出てきているらしい、又聞きの又聞きの又聞き、更に又聞き、くらいで目にしたんですけど。

 だったら、wwwで発表する必要ないでしょう。自分の意図してた考えと違う見方されるのが嫌だったら、他人に見せたら駄目でしょ。じゃなかったら、wwwじゃなくて、仲良しグループの見せっこで終わらせればいい。そもそも、wwwってどういう意味か分かってるのかな。「world wide web」ですよ? 
 まあ確かに、時々、感想とかレビューとかいう題目を掲げて、人の作品をぼろくそに貶す人がいることはいるでしょうね。しかし。
 許可とっていようがいまいが、レビューや感想や、をサイトのコンテンツとして、ブログとして、わざわざ時間を割いて書いてくれるということは、その作品は、自分以外の人間に、「何か」を感じさせたのだ、ということじゃないんでしょうか。それも否定するのか? 読み飛ばされるのではなく、心に留めてもらえたのに。
 作者の許可を取れ、という人は、自分の知らないところで自分の作品が色々言われるのが嫌、ということ、なんですかね。読んで欲しいけど、賛同と賛美以外はいらない、って何だそれは。
 そんな閉じた世界が欲しいのなら、wwwは貴方には向いていません、というしかないですね。自分の情報が全世界にリアルタイムに発信できる、これこそがwwwの利点でしょう。変な風潮。

 実際は、本当は自分だって、打たれ弱いかもしれない。言われたことないから分からないだけで。誰だって、傷つくのは嫌。でも、そうなったときは、「だったらもっと面白いものを書いてやるわ!」と発奮できる人間でいたい。
 火がついた以上は、燃え上がって突っ走る所存。



2006年04月19日(水) : 魔法と医者

 不意に思った。
 ファンタジー世界で、医者という職業は成立するのだろうか?
 いや、魔法が存在しないファンタジー世界なら、医者は必要でしょう。が、魔法が普通に存在してるファンタジー世界なら、どうだろうと思ったわけです。ことに、RPG的ファンタジーだと、魔法は万能の感があります。

 自分の場合で考えてみました。
 白魔法で病気も怪我も治療が出来る。しかも、聖職者が奉仕活動の一環として行っているのだから、基本的には無料だよなあ。だったら、医者なんか商売上がったり。
 とはいえ、神殿を造るのもただじゃないし、としたら、有力者の支援が必要だったりするな、ある程度の規模の神殿だったら。聖職者だって人間なんだから、生活しなきゃならんし、自給自足にも限りがあるし、その上に無料の奉仕活動なんてやってられんわな。とすると、ある程度の数の聖職者が集まる神殿は、やっぱり都会部に多いなきっと。まあ、宗派によっては、人里離れた場所で修行に励む宗派もあるかもしんないけど。そうなったら、場所が場所だけに治療行為を頼みに行きにくい。
 それに、聖職者全員が魔法使えるわけじゃないし、治癒術師って種類の魔法使いもいる(ユリアナがこれ)けど、これは怪我治療専門だし。
 何にせよ、神殿が近くにないような場所に住んでたら、医者必要だ。もっとも、それも無医村なんか珍しくなさそうだけども。

 ということで、自分的には両立あり、でした。
 まあ、ヒーローは無敵(笑)なんで、医者に担ぎこまれるよーな場面はありませんが。自分で治しちゃうもんな……。

 今書いてるところで、ちょっと生活感を出してみたかったので、こんなこと考えてしまいました。



2006年04月18日(火) : 流行り廃り

 何事にも流行があり、流行が出来れば廃れるものがある。で、流行過ぎても残るものを定番という。

 ……ブログは、もう定番なんですかねー。オンライン小説書きで、ブログ使ってない人間の方が少なくなって……る? 統計取ったわけではないから、はっきりとはいえませんが、見た感じではそんな感じっぽい。
 まあ、確かに、小説書きには、ブログというのは便利なのかも。カテゴリで記事検索できたりするし。
 今、私は無意味に(本当に無意味に)日記を三つ持ってるわけですが、うち一つが本当の日記。自分のその時一番興味があることとか、しょーもない呟きとか、適当に書いてます。
 残る二つは、話題が特化した日記。うち一つが日記っつーか雑記のこれ。既に話題が「創作に関すること」に特化している(と本人は思っている)ため、別にブログにする必要もないかなーと思ってたりするのです。もっとも、ブログの利点ってゆーか特性ってゆーか、は「トラックバックが出来る」点ですよね。コメントだったら、日記にもつけられるけど。共通の話題を持つ人間が、記事を繋げて輪を広げていく……こんな感じでトラックバックって良かったっけ? ←まさに使ったことない人間のあやふや
 流行などに乗らん! とか言う頑固ジジイとは違いますが、乗り換えるのがめんど(いつもの省略)。なので、ここは変わらないでしょう。

 後、もう流行ってるの? っつーのはmixiなんですが。これも入ったことないから分からん。ジャンルにもよるんでしょうが、あるジャンルでは、「馴れ合いが苦手な人には向かない」って言われてましたけど。
 まあそれはさておき、以前は頻繁に日記とかブログとか書いていた人が、ぱたりとサイト上に現れなくなったら、ああ、mixiだな、とは思います。
 ここからは無知ゆえの純粋な疑問なんですが、mixiって、日記書いたりフォーラムみたいな形での交流できたりする場所で、サイトとは違うものなんでしょうか。サイトとは違うのか、というのは、作品を置いたりは出来ないのかな、ということです。……仕組みがよー分からん。
 作品はサイトに置く、交流はmixiでする、っていう感じ? 
 疑問ばっかりでは何なので、ちょっと検索してみました。上のことは分かった一方で、……新たな疑問がわいた。招待制オンリーなら、一番最初の人はどうなってたんだ! ←一見さんお断り、で抱く疑問と同じ

 危惧、というのとは違うんですが、何ていうのか、前にもこの雑記で書いたんですが、wwwなのに、閉じてしまう方向にいってるのかなーとちょっと思ってみたり。自己防衛は必要なことではあるんですが。
 もっとも、wwwで開けたら開けたで、新しいうざい流行、掲示板スパムがあるんですが……。アレだけは心底うざい!! 閑古鳥掲示板よりも嫌……。


 全然関係ないんですが、『Shadow Saga』書いてて、二人にごくふっつーに朝の挨拶させたら、何でこう、背中がむずむずする感覚に襲われるんだか……。何がおかしいんだー! ただの「おはよう」じゃないかー!!



2006年04月17日(月) : わっかりやすー

 そうですね、ここの日記が何日か続いたら、サイトが更新されるんです非常にその可能性が高いんです(……)。まあ、何ちゅーかほほほほ。笑うしかない。
 でもまあ、改稿するのに、かなりちゃんと筋道が見えたので、何とかオチまで持っていけそうです。オチ自体は変更できん、譲れん!!(変な意地)
 出だしから、元稿とは大幅に変えてしまったので、余計に自分の首を締めてしまった気がしないでもない。

 自分の書き方が時間がかかる原因は、まあ、同じこと長く続けてると飽きる、という悪癖はこの際置いておいて(本当は一番イカンのだがな)。
 ちょっと書いてちょっと戻って、少なくともメモ帳で見える範囲で、同じ表現が重複してないか確認して、もし重複してたら、別の言葉に置き換える、という作業のせいだと思います。これは、単なる個人的こだわりなのですが、同じ言葉を連続して使いたくないんですよ。だから、一度「言った」というのを使うと、次は「言葉を発した」にするとか、色々小細工をするわけです。でも気づくと、言葉、という言葉(ややこしい)を連発してたりするので、また別の書き方を考える。
 後は、直喩表現も少なめにしたいので、〜〜のような、というのも何回も使わないようにする。
 〜〜した、という語尾が続くと、何だかおさまりが悪い気がするので、変えられそうなところは〜〜する、に変える。
 
 何つーか、文章を整える方が時間かかってる気がします。上手いこと文章に出来ると「よっしゃー!」な感じ。はっは、ええかっこしいの生みの親はええかっこしいなんです。かっこがついてるかどうかは別問題です。



2006年04月16日(日) : 物語内時間

 小説の舞台となる時間。
 それは物語の雰囲気、にも関わりがあると思うのですが。
 ふ、と『Shadow Saga』を打ってて思ったことなんですけど、この話、雰囲気的にも夜っぽい(何かいかがわしいなおい)のは確かです。主人公がアレでは、明るい舞台って違和感があるんで。
 が、実際、元稿を見直してみると、「……夜の話ばっかり」ということが発覚。夜じゃなくても、光が射さないような場所が舞台になってたり。黒背景、という視覚効果だけの問題じゃなかったよ、実際に舞台が暗い。

 暗い過去の主人公の話→青空は似合いませんね→暗い時間、暗い場所が舞台となる→余計暗い
 暗いスパイラル……(センスのない言い回し!)。

 今打ってる、本当に打ってます、必死になると胡散臭いが、Chapter-3、1話が2004年で、2話が2005年、3話が2006年になってて、乾いた笑いも出ません。しかも、3話のファイル自体を作り始めたのは、2005年の1月です。うわあ。

 でも書きますよ。別に誰かのためとかじゃなくて、自分でちゃんと結末を書くために。
 って、表題と全然違う話になってますがな。

 というか、どーも私は昼間の時間の話よりも、夜の時間の話を無意識に書く傾向があるような気がします。『華京』の一話も、結局、オチは夜でしたしねー。『華京』は、あんまり夜ってイメージじゃない、というか、あっちは昼夜問わず、という感じ。
 書く本人の夜型昼型、は関係ないと思いますが……あんのか? 笑
 しかしおかげで、明るい昼間に字を打ってると、「何でこんな明るいのに暗い時間の話を打ってるんだ」とか、不意に我に返ってみたりすることもあります。かといって、夜に進むかといえばそーでも……ある?



2006年04月14日(金) : 駄目だこりゃ

 相変わらずの引きこもりです。
 このままずっと引きこもりかい? ありえるな……。
 基本的に出不精筆不精な人間なもので、何か用事がないと、メールって書かない……というか、出しちゃいかんのじゃないか、とか思ってしまうんです。んなわけねーだろ、とゆー感じですが。
 
 何かねーもうね。

 書いてない。この一言に全てがつきるわけですが。

 一度書くのを中断してしまうと、もう駄目なのかな……。強烈な動機が薄れていってしまうのかな……。

 昔は、「書かない(描かない)と生きていけない」と思っていた。けれど、書かなくても描かなくても生きている。ただ、生きていることに充足があるかないかの違い。今、乾いてるのはやっぱり書いてないから?
 なんつって、おセンチ入ってる前に書けばいいんですが。

 いやほら何だ、FFXIIのディスクが傷のせいで読み込めなくなって、修復に出したからね!(そこかよ!!) だってEDが見られないんだよー!!
 しかしなあ……今回のFF、ゲームとしては結構楽しんでるんですが、ストーリーとして発奮はしなかった。バッシュは好きなんだけど(笑)。うーんまあ、好きだね、というレベルで、好きだーたまらんー!! までいかないとやっぱり発奮しないかも。バルフレアも、そういう意味ではいいキャラなんだけどなあ。何が薄いんだろう……。松野節が薄められたせいか。もっときっついストーリー展開を期待していたのに、そうでもなかったからなあ。よく捕まって手枷はかけられたが(笑)。バッシュはもっと凄い再登場の仕方だったけどネ!! おっさんとジジイは足りなかった。確実に足りなかった。特にジジイ!!

 ってここでもFFXII日記を展開してどうする。本日記で書いてるのにまだ書き足りんのか!!
 上げようとすりゃ、こういう感じでテンションは上がるようです。









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