ゆれるゆれる
てんのー



 大阪市中央区難波 ON AIR OSAKA

 195さんは言った。「のぼりつめます。」
 おれはのぼりつめた。クラムボンがいた。

 人もすなるライブレポートてふものを我もしてみんとしてすなり。と思ったけど、無理だやっぱり。曲順なんて途中からふっとんでしまったし。
 音楽を楽しめる人のライブって、こんなにも楽しいんだ、と思ってうれしかった。だってさあ。「eel restaurant」の195ちゃんのパーカッション(打楽器むしろ駄楽器?)ぶりとかさあ。ぜったい楽しいはずだもん。ライブのほんとのほんとの真髄。
 一応書いておくと、「これは生で聴く曲だろー」って思った「道」がやっぱり一番よかった。



 この日のライブレポートはこちら。(2003.4.1.やっと公開)

2003年01月31日(金)



 大阪府I市

 日本へ帰ってきて最初の夜は、友達の友達の家へ。初対面なのにねえ。
 で今日はそのキンヤ氏の出勤を見送り、なぜか一日中だらだらだら。結局ビール2ケース48本、きれいに空けてしまいました!

 帰ってきたなあと、感傷大好きな僕はいちいちうなずいていたので、周りで飲んでいた人はさぞ迷惑だっただろうと思う。
 エイサーを踊った。
 それにしても寒すぎます。寒すぎます。

2003年01月30日(木)



 京都市上京区今出川通、中京区新京極通

 定刻の朝7時より少し早く到着。ちょっとけなしちゃったけどMAS(マレーシア航空)のえらいのは無理強いをしないこと。何かを「する」サービスと、何かを「しない」サービスと言うのがあるのです。軽い朝食はちゃんと6時過ぎ、寝てる人はそっとしてました。シンガポール航空に乗ったときなんて深夜1時過ぎて飲み物サービスを始めたと思うと、朝は5時ちょい過ぎに朝飯だ! って起こされた。そのときも着陸は7時少し前だったけどかなり「いらねーよ!!」って思ったな。ケッ好感度一位だからって調子にのんじゃねーよ。

 覚悟はしていたけど、もうタラップに出た瞬間に悟った。強力に寒い・・・このよれよれのユニクロフリースじゃ無理だ・・・。また海上にある関空のこと、風が強くて強くて、いじめでした。

 ものの値段の高さに適応できないんじゃないかと心配していたけど、いや世の中というのはうまく出来ていて、空港から街なかまでの一見サギ的なバカ高交通費は、僕のような人間を日本の物価に慣らせる思いやり、親切じゃないかと思う。南海で大阪の真ん中まで980円だっけ? 京都まで天六・阪急経由1580円だったかな。成田だと日暮里までやっぱり1000円、横浜まで行けば1500円か。JRなんか成田エクスプレスでも「はるか」でもふんだくる値段はライブ一回分程度とそっくりで、たぶん運輸関係のお偉方が考えてくださっているんだと思います。おかげさまで瞬殺的に日本的物価に適応し、以後は心身ともさわやかに日本ライフを満喫できた。いやほんとに。

 しかしちょっと寒すぎるんでない? 関空のある泉佐野とかっていつも雪積もるような場所だったっけ? まあ、今日は友達に会うまで一日時間があるので日本を心から満喫すべくまっすぐ京都へ向かう。北野天満宮の梅が咲いた、とネットでチェックしていたのだ。

 結論から言いましょう。梅はなるほど咲いていたけど、そして受験生の姿が目立つ学問の神様のお住まいははてしなく日本的だったけど、寒いんじゃゴルァ゜Д゜ノ
 いかん、言葉が乱れてしまって。20分が限界でした。それでも上七軒の古い町並みなどをいそいそと眺めていそいそと歩いて河原町まで行くと、どうやらロフト京都店が今日オープンらしい。昔から文房具屋に入り浸っていたタイプの僕はいそいそとその暖かそうなビルに吸い込まれ、結局3,4時間居座っていた。何しに帰ってきたんだか。しかしロフトって不思議な空間で、やっぱり京都でも女の子とオタクばっかりだった。女の子はさすが京都、みんなかわいいんだけどね。

 一人で町をうろつくのは大好きだけど、いかんのはしゃべる機会が全然ないこと。今日泊めてもらう茨木のくにちゃんは夕方からの仕事なのでやっぱり一人で少し酒など飲んで、日付が変わる頃久しぶりで茨木へ乗り込んだ。
前に来たときはまだ学生だったんだねこれが。ところがくにちゃんはなんと今年30だと! そりゃ髪もわかめになるわけです。後から来たケンケンもやっぱり今年30。相変わらず会うとほっとする(いろんな意味で)けったいな兄ちゃんたちデス。なんか知らんけど飲み友達のキンヤさんというのが店にいて(この、馴染みの店というの俺も持ってみたい)なんか知らんけどキンヤ邸へ行くことになった。初対面ふつうに。しかもビールが2ケースあるうちでした。ビールとこたつと広い部屋とたばことケーブルテレビ。男のパラダイスがそこにありました。

2003年01月29日(水)



 Kuala Lumpur International Airport

 たまたまクラスの谷間で、前半だけであがりなので、余裕をもって家へ寄って着替えてから空港へ。たまたまつかまったタクシーのFAOZIという運ちゃんはずっとニコニコしてる人のいいおっさんで、学校からうちへ寄り道して空港までRM50で交渉が成立した。安い。

 空港という空間がかなり好きだ。ただ困るのは人を見送りに行くときで、出発案内などを見上げてしまうと矢も盾もたまらず出国ゲートへ突っ走ってしまいたくなる。井上陽水など、ふと思い立って成田空港へ行き、その場でチケットをぽん、と買うとそのまま一人でハワイだかトルコだかへ飛んで行ってしまったことがあるそうで、初めてこの話を読んだときは「クソウ俺もいつかは・・・」と思ったが、いつのまにかどうでも良くなった。あのクソウは、金がない悔しさではなくて、思い立ったときに出かけられない悔しさだったんだと気づいてからだろう。

 まあこのごろは見送りばかりでうずうず気分が鬱積していたから、エスカレーターを上がったり下りたり、トイレでうんこしてみたり、入っている全部の銀行で両替したりと空港を満喫してから23時59分発(発着枠の関係だろうね)MH62便関空行きにどかどかと乗り込む。
マレーシア航空は初めてだが、機内のマレーシアぶりはなんだか逆にほっとした。機内誌の変な日本語はもちろんのこと、呼び止めてもオイ無視かい!? ってほどさっさと通り過ぎちゃうフライトアテンダントとか、2杯目はちがう飲み物を頼んだのに同じコップにどばどば入れてくれるところとか全部。好きですマレーシア。

2003年01月28日(火)



 雲ゆき同盟マレーシア支部発

 2度目のイポー。今回は一人ではなく、契約を終えて帰国する吉川先生と、ルン(倫)さんと3人だ。贅沢な休日で、今回は名物のタウゲ・アヤム(もやしと鶏肉)を食うためだけにイポーまで180キロもドライブし、食ったらすぐ帰るというなんだか道楽息子みたいな日帰り旅行だ。
 前回はいろいろな目的の中でこのタウゲ・アヤムだけを逃していたので、まるで渡りに船で参加したが、いや、これはなかなか侮れない。素材ももちろんすばらしいし、クエティオスープに至るまで文句のつけようのない味付けで、深くうなずいてしまった。もちろん僕の美学で、「男が本当にうまいものを食ったときは、何も言わないか、低くうなって、深くうなずくだけだ」というのを実践したのです。椎名誠がまったく同じことを書いていたような気もするが気のせいだろう。どうして気のせいではないだろうかいや気のせいだ。反語。

 ああ抽象と現実の言語的対立。いや対立は言語じゃなくて態度に表れているだけだ。あああ抽象、力なき抽象。クラムボンのライブという夢のような空気を吸える日がすぐそこに迫っているというのに。
 そうやっと我に返れたのです、最近うじうじうじうじくだらないことを書き連ねることが続いてね。みなさん、こいつ馬鹿だと思われたことでしょう。馬鹿だしつまんないし何より暇そうでしょう。間違いありません。

 クラムボンを愛する人たちのBBSに感謝しています。そしてもちろん、クラムボンの音楽に。
 救われるとは思いたくない。でも、いいんじゃないかな。
「さまざまないけんがございます」「それぞれのじじょうはちがいます」
 駆けつけるよ5000kmかなたから、ON AIR大阪へ。

2003年01月26日(日)



 人もうらやむ・・・

 来週の今頃はもう日本かと思うとやっぱり心が落ち着かない。かっこつけはやめよう。僕は日本が恋しくてかなわないのだ。ホームシックというほど重症ではないにしろ。
 よく、日本を長く留守にすると何よりも日本の味が恋しくて・・・という話を聞くが、少なくとも僕と、僕の周囲の日本人に関する限り正反対だ。あと2年くらいなら一切日本料理なし、でもやっていけそうな気がする。そんなことより恋しいのは、具体的なもので言えば温泉であり、よくできたテレビCMであり、べたべたしつこくない菓子や飲み物だ。とらえどころのないもので言えば、ふっと感傷的になってしまいそうな地元の夜の静けさや、割り込みを心配しないでいい行列の弛緩した安心感や、真冬の大気ぜんたいの感じだ。それにしても、なにか季節を感じなければならないような強迫観念じみた感覚で、今まで年を過ごしてきたことを改めて思い知った。時間どろぼうのせいかもしれない。自分でこしらえたこの大泥棒の。

2003年01月23日(木)



 大人について、野蛮についての平成15年1月の感想

 ローカルの英字紙をたまに読んでも、今ひとつぴんと来ないので何週遅れかで日本の新聞を読むのが常になっている。
 英語力の問題をさておいても、あまりにぱっとしないのは、おそらくマレーシアという国や社会の有りようについて、僕が無関心であるせいだろう。
 自分では関心があると思っているのだが、印象や感想というものはどうにもならない。状況証拠は僕が無関心だとあからさまに語っている。


 難しく書き連ねる技術だけで飯を食ってきた人たちが、何を勘違いしたのか、あるいは何を思い上がったのか、平易な表現なるものに心を砕くようになった結果、読書感想文の市長賞受賞作みたいな悪文が毎日、彼らの一番言いたい意見として世の中に出回るようになった。朝日新聞の社説のことだ。

 あれだけの巨大組織が毎日よくもまあ「俺たちの意見」をひとつの文章にまとめられるものだ、と今まで半ば感心して眺めていたがあたりまえのことである。意見なんてあの欄のどこにもないのだから。

 朝日も下手を打ったもので、やはり今までどおり、漢字ばかり多くてつかみ所のない小悪文を垂れ流しておいたほうがよかったようだ。
 思考停止が常態化すると傍からは思慮深く映るとでも深読みしたのだろうか。
 あいにく読むほうはこの不景気、貧乏暇なしで斜め読みだからしようがない。

 なんにしても、生徒会長の選挙演説みたいな社説を読むのは時間の無駄だから、朝日新聞の具体的な主張は、読者の実名を借りての「声」欄に見るのが一番てっとりばやい。

 じっさい、決して無駄ではないのだ。僕たちは何が本質か、なんてかわいらしい論争をしたいわけではない。そこにあるのは日本という社会を形而下で実際に動かしている、一番力のある文字なんだから。


 大人とは自分のことしか考えない人だ。

 自分の利害で常に決断を下せるようになれば大人だ。もちろん文字通りの意味だ。

 僕が決め付ける定義ではなく、こう考えれば日本語の「おとな」という語がよく納得できる。

 だから「あなたのためを思って言うけど」とか「困るのは自分なんだからね」なんて、絶対に大人しか言わない。そう言えば子供は心を入れ替えると本気で信じているからだ。

「たとえ自分が困ろうが、そのときはそのときで、大事なのは今の感情とプライドと、かけがえのない時間なのだ」と、誰しも子供のときに反発した「歴史」に学べる人は少ない。


 雄の飼い猫は去勢される。
 そこにあるのは、猫エイズ蔓延に対処する人道と正義か。出産調整による飼い主の「生命への責任」の姿勢か。ちがう、飼い主が無責任と言われないための予防措置でしかない。

 どちらにしても無責任なのだ、ただし去勢手術によって矛先は、彼らに生殖器をつけて世界に送り込んだ造物主に向けられる。

 造物主がオプションでつけておいた生命の自由にも、矛先は向けられている。飼い主は言う、「もう何年も家族の一員で」。


 野蛮とは知識がないことではなく、知識を消化しない態度のことだ。
 あるがままの世界に生きている限り、知識がない人というのはありえない。まして知識の内容について、進化論的線状グラフ的に説明されるわけもない。近代文明が馬鹿を量産したというのはその意味だ。

 だから野蛮人と野生児は根本的に異なる。Kasper Hauserのような野生児は環境に最高度に適応した知識を消化して、生き抜けるからだ。

 けれど野蛮人はいくら生まれつき清潔ななりをしていても、いくら最先端の携帯情報端末を使いこなしていても、いくら地球環境問題について憂慮していても、野蛮人でしかない。

(僕は偏見から自由になろうとは思わない。もちろん、なれるとも思わないからだが、平等主義、博愛主義を語って飽きない人たちの視線からは自由になりたいと思っている。)


 マレーシアで暮らすうちに感じているのはまさしくこのことだ。
 はじめは、そうは思わなかった。ただ単純に、日本がかつて疑いもなく驀進した「豊かさ」への道を嬉々として歩むこの社会について、「今おれたちは、かなりの確かさをもって、君たちが目指すゴールはそこじゃないんじゃないかと意見できるよ」と、先輩風を吹かすように言ってやりたい程度のものだった。


 抜きがたい未開性・・・。繰り返して言うが僕は偏見、差別主義者と言われることを恐れない。

 そんなあいまいなことを言わず、あいつは偏見と差別に満ち満ちていると言ってほしい。これでも歴史学を専攻したのでね。そう言われるのは光栄と言えなくもない。

 抜きがたい未開。彼らを覆っているatmosphereについての、偽らざる印象だ。

 別に、TPOを問わず奇声を上げるからとか、公私の区別がどうだとか、デリカシーとか、個々の社会的行動についてありがちな比較文化論を繰り広げるわけではない(もちろん非常に驚かされるのだが)。

 ただ、ここには文化が、何一つない。彼らは――さすがにすこしためらうが――Windowsを操る野蛮人。エレベータがあるから使う。携帯電話というものが売っているから買う。使う。物質的豊かさに(特に日本人には)巧妙に隠されているが、精神的豊かさはゼロといっていい。

 目先の利益に顔色が変わる彼ら、哲学を持たない、必要としない彼ら。必要なものは技術や商品と同様、香港やニューヨーク、ロンドンから空路運び込めば万事OK。ソフトウェアならコピー一発だ。いや、ことによると、哲学だってコピペでいいのかな。


 きっとこれからもこのことについて書くことがあるだろうと思う。


2003年01月22日(水)



 文芸的な、あまりに文芸的な

 芥川龍之介『文芸的な、あまりに文芸的な』読了。いや我ながらブンガクセーネンぶりにびっくりする。ちょっと前までなら鼻で笑っていただろう。

 象に向かって、鼻がちと長すぎるぞと注意するなんて気の利いたことができればなあと思う。素晴らしい造形物を前にして、ねえゾウさん、君は灰色なの? 紫色なの? じゃ質問にもならない。
 おのれの意見もない者が、他人の意見を読んでも害になるばかり。『坂の上の雲』の一巻で唯一うならされた箇所だが(しかも推測好きの司馬遼太郎がいっそうぼんやりと推測した秋山好古の気持ちに過ぎないが)、まるで僕が諭されたように、つっと下を向いて考え込んでしまった。
 意見ばかりがあふれて、しかもどいつもこいつも雁首揃えて他人の意見を振り回す滑稽を見飽きたけれども、だからといって僕は自分で考える習慣を身に着けただろうか。元気のいいあの人もこの人も「民主主義教育」の哀れな犠牲なのだろうけれど、僕は何か違うところにたどり着いたといえるのだろうか。

 三島由紀夫はただ単に「完成したときに自殺する機会を逸した」間の悪い天才だったような気がした。その意味で未完だったのかもしれないし、はじめからそれだけの器だったかもしれない。川端康成という自然現象しかり。いや、川端を「同じ系列」と見なす僕の感覚のほうに敏感であるべきなのかもしれない。思い上がっている僕と同じ象限にいると感じる人たちの系列について。

 この数十年で日本には社会学がはびこり、馬鹿ばかりがしたり顔できる世の中になりました。うんこ。

2003年01月09日(木)



 根っこのある人

 なんだか早く日本へ帰りたくなってうずうずしてきた。たった一週間だけでも、したいことがいろいろある。この長い旅――2年か、3年になるだろう、長いマレーシア旅行――のおかげで、どうして俺はでかけることが好きなのか、少しでもわかってきたらしめたものだ。まだその糸口にもいたらない。でも、基本の出発点はぼんやり見えてきている。
 根っこ。根っこのない人間が何を言っても、何を書いても、何を歌っても、何を奏でても、やっぱり中身が空っぽだ。根っこがなければ水も養分も吸い上げることはできない。腐った根っこも同じことだ。
 これだけさまざまな流動性の高まった世界で、日本人であるとは何か。働く、勉強するとは何か。目の前を夢中に・・・それを、「当たり前」と、人は簡単に言いすぎる。
 根っこを(自発的に)もいだ、(しかたなく / その人のためを思う人によって)もがれた、あるいは売っぱらった人が多すぎる。この、考えない葦どもがあふれる世界。
 ああ、温泉で何も考えずにぼんやりしたい。ああ。ああ。

2003年01月07日(火)



 Selamat Hari Jadi、誕生日おめでとう俺

 26歳になった。
 こんなに暑い誕生日は生まれて初めてだ。そして僕だけのためにケーキを二つも買ってもらったのも初めてだ。本当にうれしい一日だった。世界中の人たちが祝福してくれているような気がした。じっさい、まわりの人たちみんながお祝いを言ってくれた。
 26歳。比較には何の意味もないと、頭ではわかっている。けれど、感慨は止めようもない。『深夜特急』の26歳。『地雷を踏んだらサヨウナラ』の26歳。僕が生まれたとき親父は26歳だった。母親もすぐに26になった。僕はアジアに住んでいる。僕は26歳の一年で何を遺すんだ? いや、何が遺されてしまうんだ? 僕は生産する、汚くて使いづらくて、恥ずかしい何かを。
 そしてそのうちに生産もやめる、一般論をたくさん吐き出すだけの恥ずかしいオヤジになるんだ。
 それでもいい。今、夢について考える時間があるだけでも素晴らしいことだ。
 ばーか、お前なんかに語るわけねえだろ。

2003年01月06日(月)



 

 ぜんぜん書くことがない。平和平和。今晩0時に死ぬとしてもべつにかまわないくらい、平和な心持だ。

 同居の2人に、ご馳走を作ってもらった。誕生日を盛大に(しかも女性に!)祝ってもらうなんてあまりない。いや素直にうれしい。

2003年01月05日(日)



 

 何かを書く気が起きない。今、脳みそが健全な証かもしれない。

2003年01月04日(土)



 是の如く我は聞く

 太宰の『富嶽百景』読了、昨日読み終わった『如是我聞』に非常に刺激を受けたので立て続けに手にしてしまった。感想をだらだら綴る気は起きないが、一言だけ、今読むことができて本当によかったと思う。二十歳ごろむなしく「こなす」ようなことをしなくてよかった、そして遅きに失することがなくてよかった。

2003年01月03日(金)



 嘘と或フランス人 軽蔑と目の高さ

 新年早々書くことがない。やれやれ、いいことだか、無能なだけなんだか。

 日本にいるのがつまんないから、なんて理由であちこち旅行したって、何にも見えるわけがないのにと思う。きちんと物事が見えている、あるいは少なくとも見ようと心がけている人なら、まず自分が確かに生活している空間を「平凡、面白くもない」などと片付けるわけがないからだ。
 そんな矛盾にも気づかず、「観光地よりも人々の生の生活を見たい」だなんて、下手な冗談にも程がある。てめえのナマの生活を、てめえ自ら「つまんない」って思ってんだろう?
 うざいうざい、語るな、もううざい。弱者を軽蔑する者よ、お前はまるで気づいていない。哀れなるかな、だが俺はお前を軽蔑しない。ただお前と同じ高さでものを見ようとするだけだ。俺は物好きになりたい、物好き扱いされていきたい。

 嘘でさえなければ、あらゆることはすべて本当だ。
 「ほんとうの嘘は、本当の真実よりももっとほんとうだ。」
いつかどこかでそんなことを言ったフランス人がいたらしい。俺にとっては、この命題が俺のところまで(きっちり翻訳されて!)届いたという事実だけで十分だ。或人曰く、夢は現実よりももっと現実だ。だれか反論できる奴がいるだろうか。

2003年01月02日(木)



 Selamat Tahun Baru

<本文>
あけましておめでとうございます。
↑はそれのマレー語。「スラマッ・タフン・バル!」

今年も静かな正月を送っていることと思います。
こちらはにぎやか過ぎる年越しでした。花火やらパトカーやら・・・
衛星放送で紅白だけは見て、無理やり気分を盛り上げたけど、それだけ。今日からまた仕事です。こちらは旧正月がメインなので。

前に知らせたかと思いますが、旧正月、来月あたまに一週間ほど日本に帰れそうです。広島発着は日にちが合わず、関空は席がなく、成田からマレーシアへ戻ることになりそうですが、まあ10連休あるのでゆっくりできるでしょう。また連絡します。

言ってもどうにもならんけど、暑い!!!
紅白の出場者の衣装を見ているだけで暑苦しくて、もう。
それではまた。
<本文ここまで>

2003年01月01日(水)
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