ゆれるゆれる
てんのー



 継続は堕落なり

 書くことがない。幸せなのかどうかはわからないけれど。
 とにかく、書くことがない、と書いておく。

2002年11月24日(日)



 出稼ぎたちの出会い

 歓送迎会、また新しい人が来て、何人かが帰っていく。
 誰もが、帰るべきところを持っている。幸せなのかどうかはわからないけれど。


2002年11月23日(土)



 村上春樹の天才のありか

 海外在住の貧しい活字中毒者はほしい本を目の前にしながら、購入することもできない。
 だいいち、新刊のある本屋までうちから2時間近くかかる。そしてそこの本ときたら、輸送費をかぶっているせいで、この国の数倍の物価を持つ日本での値段よりまださらに高いのだ。
 あまり日本の人には理解してもらえないだろうが、目をつぶって崖から飛ぶような気持ちで村上春樹の『海辺のカフカ 上』を購入する。RM67、そうだなあ、プロモーション価格で中級ホテルのツインに泊まれる値段だ。ホテルのディナーバイキングも楽しめる。そこそこの内容のやつだ。
 そうして手に入れた宝物的なこのヤクを、文字通りしゃぶりつくしてやろうと思って読み始めた。

 上下巻をあわせて買うような芸当はできないから、なるべくゆっくり読んで下巻につなげたいが、しかし・・・絶叫したいほどつまらない。
 なんだ、これは。いや、まだまだ上巻の途中だ、どう転ぶかはわからないと言えなくもないが、それにしても「自分で選んで一度読み始めた本はとにかく読みきる」ことを、本を読む際自分へのただひとつの約束にしている僕が、放り出そうかと思った稀有な本ではある(すくなくとも今年初めてだ)。

 村上春樹の天才は、とにかくひたすらそのストーリーテリングにある、と僕は思っている。主人公の内面の葛藤や対話なんて、よくまとまった古典芸能を観るときみたいににこにこ微笑んでやりすごせば十分で、あとは評論家さんたちもおっしゃる現実と虚構のしちむずかしい問題について考えるふりをしつつ、ふわふわと作品の酒精にうかれていれば満足なのだが、まったくこの本ときたら! 合成アルコール並みに気の利かない直喩と、ステレオタイプのごみためみたいな描写をかきまぜて冷めないうちにはいどうぞ、か?

 僕が村上春樹を好きになり、求めてきた原因は、なんといっても不思議な響きの、それでいて状況がありありと目に浮かぶ比喩表現のおもしろさと、自らを思想的マイノリティと宣言して恐縮せず、同時に驕らないその潔さ、この二点にあった。ここまであっけなくそれが否定されて僕はいうべき言葉を知らない。
 読了もしないうちから決め付ける論理の無意味さを十分わかったつもりでいる。どれほど不完全に思える作品でも、その不完全なるがゆえの魅力については、村上先生自ら語っておいでだし、それは最後まで読まないと「完全には」わからない。
 しかし上巻だけでじゅうぶん意見は可能だ。書き出しの数ページで半分以上わかる、という意見に僕は反対しない。先生が最後までにこの驚くべき俗ぶりをひっくりかえしてみせ、自分の書いたこの文章に僕が恥じ入ったときは、まったく先生の天才に心底脱帽するが、そうでなかったら・・・。

 村上春樹に、あなたはどうして書くのですかと尋ねなければならなくなる。そんなむなしいことをしたくはない。あなたはどうしてこんなもので食い扶持を稼がなくてはいけないのですか、と聞くなんて。

2002年11月22日(金)



 生まれでた斬新な悩み

 僕らは、そう、ほんのすこし、生まれてくるのが遅かっただけだ。
 おいしい牛肉も、大きくて屈折率のすばらしいダイヤモンドも、とっくに消費されてしまった。
 残されたのは、斬新な発想求むという古ぼけた標語ばかりだ。
 僕らは生まれつき斬新ではなかったのだ。
 こんにちは赤ちゃん、私はどんなものでも、石油から作り出して見せよう。
 ほら、これが禁断のリンゴだろう。
 ほらあばら骨だ。ほら、乗るかい、箱舟だよ。
 言葉なんて要らないよ。
 もう私がすっかり作り上げたのがあるからね。それすら履きつぶしてしまったじゃないか。
 すこしは我慢しないとだめだよ。
 後で自分が困るだけだよ。

2002年11月20日(水)



 誠実に戦え!

 みんなを尊敬するのはみんなを軽蔑するのと何にも変わらない。
 じゃあみんながすごいのか、俺がすごいのか。馬鹿が一人ほえているだけか。

 古新聞を開くとそこには責任を持って仕事をする人たちがあふれていて、その人たちについて責任を持った文章がつづられていて頭がくらくらする。みんな嘘っぱちだとでも言ってくれないか、とてもじゃないけど今日の新聞を読む気がしない。
 俺にはできないとわかりかけている、みんなが必死にか、適当にか、こなしている誠実な仕事というものが。ミスの言い訳ではないよ。別にそうでもいいけどさ。
 誠実な仕事なんてどこにもないと羊を追いかける男は言う。本当にどこにもなかったら話が始まらないと分かっていなければ吐けない台詞だから、彼はできる奴なのだろう。(この文の前件は四重否定。日本語教師にあるまじき作文例だ)少なくとも女の子にはもてるだろう。
 書け凡人よ。凡人の書いたものにしか美しさを感じ取れないのが、凡人というものだから。
 書けない凡人は帰れ。ところであんた、誠実な小便を引っ掛けることができるか?
 あいまいな文章と正確な文章なんて、正確に線引きしたのは誰だ? 正確に語る奴の胡散臭さを承知で言うのか。まあ所詮あいまいな文章しか書けない奴のたわごとだからほっておいてくれ。モロ画像がリアリズムだって? ほう、そういう考え方もあるか。

 

嘘じゃないさ 目の前を夢中で過ごしているさ

それなのに やり遂げたあの日の幸せは

どこへ消えた わたしは不安を抱えたままだ

“Adolescence” by clammbon



2002年11月19日(火)



 クラムボンの天才

 僕は饅頭でも酒を飲む。ゆうべはトーストにマーマレードを塗ってビールを3缶あけた。
 うまいと思って飲むのだから仕方がない。別に甘いものをつまみにしてはいけないという理由もないだろう。登川誠仁さんも甘いもので酒を飲むのが好きなそうで、酒を飲むといっても僕などとは次元が違うだろうからなんとなく強力なパトロンを見つけたような心持である。
 今日は久しぶりに何もない日だ。何もしないことに決めたらなんだか腹が立ってきた。何もしないぞ、と思わなければ「何もしない」ということさえできない、貧しい脳みそを持った自分に、だ。
クラムボンの新譜『id』をくりかえしくりかえし、聞く。
ここにも天才がいる。
批評するのは簡単なことだ。だって見てみろよ、批評家なんて馬鹿ぞろいだろう。馬鹿じゃなければ、好き嫌いを理屈で説明しようなんて思いつかないよ。一番たちの悪い馬鹿は、知識を背景にした馬鹿だそうで、物まねの好きな人たちが物まねの物まねをして得意になっている。わざわざ公式ホームページまで出かけて間抜けな講釈をたれなくてもいいのに、匿名だから発想も結果も、劇場犯と同程度になってしまう。
僕という人間に、繰り返し聞かせてしまうこの力は、しかし、あらゆる批評を拒否してしまう力量さえ備えている。そう信じている。僕は批評が持つ本当の力も信じているから、これが信じられる。

2002年11月18日(月)



 書くということを書くことに就いて

 文章を書こうと思う。
 作文が得意だから作家になろうと思ったという菊池寛のようなわかりやすささえ、持っていないけれど、これでも僕は自分の文章にうぬぼれているほうだ。
 思っているなら書けばいいのだ。いちいち宣言するのは阿呆のすることだ。でも、何も書けない自分がいる。
 何を書けばいい? 読む人は何を期待している? 俺は文章を読むとき何を期待している?

 怖いのだ。「すべては、書かれている。」

 20世紀のノンフィクションで。19世紀の帝国で。18世紀のサロンで。あるいは紀元前の広場で。すべては、もう書かれてしまっているのではないか? 長い間信仰されてきた、文字によるあらゆる実現――あるいはため息 psyche の化石――は、たった一つの賢者の石の上に、一行で記されてもう完成してしまったのではないのか。そしていま文学などと乱暴に手を振り回している輩は、廃坑に1000カラットの夢を求めてつるはしを手放さない間抜けだけなのではないか。

 臆病を始めればきりがない。まるでそうとしか思えなくなってくる。
 別にそうであってもいいのだ、どうせ間抜けなのだから、などと底の浅い開き直りは通用しない。書かれた開き直りの、汚さといったらない。本来の意味で汚いからほとんど化け物だ。

 だから日記しか書けない。どうにも次元の低い話になってしまう。僕は文章を書こうと思うが、ストーリーテラーたらんとするのか、美しい文章を書こうとするのか、社会の何やかやをするどく糾弾していくのか、ずいぶんあいまいだ。ええかっこしいを排除するためにくだらないと思いつつ書くが、作家というのは芸術家の一種だ。これは間違いなくそうだ。でなければなんなのだ。このおおもとからあいまいだから、次元の低い話しかできなくなるのだ。一人僕だけのせいではないと思っている。おおもとを捻じ曲げてしまった最初の元凶は三島由紀夫で、ええかっこしいも彼ぐらいになると貫禄があるが、彼の言葉が小人たちによってスローガン的に実に効果的に敷衍されたことが決定的な瑕となった。「川端氏は芸術家の烙印を押されてしまった」と、あまり分かりやすく書いてしまうものだから。

 芸術家であれば、上記の三つの目的はそれぞれに合目的的であることはすぐに合点が行くし、それぞれに美しいと思うところの根拠が割合明確だから、張り合いもあって面白く話を進められる。

 そうでなければ――いや、そうでないという考え方がここまで広がってきたからこそ、文章で食い扶持を稼いでいる奴ら(なんと呼べばいい?)の馬鹿馬鹿しい繁栄がいまあるのだが――いや、話がめちゃくちゃだ。僕は世直しがしたいんじゃない。文章で食い扶持を稼ぎたいだけだ!

 菊池の『無名作家の日記』はおそろしいまでに面白かった。またまた思ったものだ、「まただ。こんなことまでとっくに書かれているのか」と。あれが心覚えなのか、作品なのかはどうでもいい。美しい、腹が立つほど菊池寛は作家だ。『父帰る』を傑作と誉めそやした小林秀雄の神経が今まで分からなかったが、『無名作家の日記』を読んだあとではなるほど傑作というほかないだろう。もちろん、そう言うからには「嫌な奴」というそしりも甘んじて受けるつもりだ。小林秀雄というのは不世出の「嫌な奴」だったと思う。

 青臭い感想文も、古臭い思想と勝手な同情も、すべて今の僕に必要な道具だ。ああ、書きたい、書きたい。俺はまだ何一つ書いてやしない。本当に書きたいのに、まるで書くことが怖くて仕方がない。

2002年11月16日(土)



 喜劇的性格

 難しいことを考えているからといって、難しい人間だとは限らない。やさしいことを難しく言ってお金をもらうのは浅ましいだけでなく、有害だ。やさしいことをやさしくしか言えない手合いが目に付いて困るときには、ダライ・ラマ曰く、世界のことを考えてみるのもひとつの方法ですよ。
 抽象的なことをぐじぐじ書き連ねる今日の僕はやっぱり抽象的思考が苦手だからそうしてしまうので、抽象的な文自体が悪いのではない。みんな知らないかもしれないが、実はこの世界というものはたった一つの文でできているのです。もちろん、こんな「あらゆる形象の権化」みたいなところに書けるほど、その文が具象的でないことは分かってもらえると思うけれども。ある文が抽象的か、そうでないかを見極めるのだって十分に難しいことだ。ほらね、いかにも抽象的思考に嫌われた奴の言いそうなことだ。
 マクトゥーブ。

 スノビッシュなことを吹聴しているからといって、そいつがスノビッシュだとは限らない。これもまたしかり、これもまた人生である。人生善き哉。
 魚をさばいているからといって、そいつが魚が好きだとは限らない。ぜんぜん限らない。
 日本語を話せるからといって、そいつが日本的であるとは限らない。
 逆に、どれだけ演歌的な奴でも、そいつが演歌を歌えるとは限らない。まるで限らない。
 ただし、悲劇的な奴が悲劇の名役者になれないのよりは、少しは文学的だ。
 世界は劇場なり。シェークスピアの曰く、La Disce Est Legendo.


2002年11月13日(水)



 カレーパン、カレー抜き一つください

 半分無理やり、クラスがひとつ終わった。月曜日は試験だ。おそろしいが。K先生いわく、「日本語教師って年中試験前みたいなもんやで」、名言である。

 今日の特記事項としては、朝学校裏のパン屋「Backus Bakery Shop(麦可思西餅屋)」で買ったカレーパンに、カレーが入っていなかった! 驚いたが、食べてしまったので抗議にもいけない。


2002年11月07日(木)



 信仰者のおつとめ

 断食月ラマダンが始まった。どう考えても健康にはよくないおつとめだが、少しうらやましくもある。

 断食という、人間としての精神の高ぶり、あるいは能動的・本質的衝動を象徴し同時に必要とするようなイベントを持たないためのやっかみというだけでなく、イスラムという調和した装置へのやっかみが小さくないようだ。くらべるべくもないが、どうだ、ここの記号の汚いこと、いかがわしいことときたら。


2002年11月06日(水)



 ほかの町へいった

 一泊でイポーのあたりをうろついてこようと思い、朝9時ごろうちを出た。

 バスでKLまで出てセントラルマーケットの近くで朝飯を食べ、軽いため息をつくともう10時半だ。バスターミナルで「アジアだなあ」と意味もなくつぶやいて、バスに揺られて3時間、あっという間にイポーに着く。

 イポーの印象を書く。奇妙な印象を与えてくれた町だったので書くのだ。

 静かすぎた。小さい町ではない。首都と、シンガポールのおこぼれで大きくなった町に次ぐこの国第三の都市だというが、気味が悪いほどに人がいない。正確を期して言えば、視界に入る人たちも、なじみの馴れ馴れしさを発揮してくれない。日本人みたいで気味が悪い。歩道ですれ違うときには向こうから身をかわしてくるのである。驚き怪しまないわけにはいかない。

 雨の似合う街だ。激しいスコールにやられた負け惜しみでそう思うのかもしれない。軒先の雨だれや、新しいのか古いのかさっぱりわからないショップハウスのモルタル壁といったささやかな要素たちが、いかにも意味ありげに存在を主張している。雨宿りしているあいだ暇な僕は、なんだか意味を読み取ったような気持ちになってイポーを三次元的イメージで把握しようと空想する。

 もちろんそんなところに意味なんてないのだ。錯覚は快感の同義語とさえ思えてくる。

 マレーシアに住むようになって、自分の中でひとつ明らかに変わったことがある。僕は貧乏旅行やバックパッキングという言葉を嫌い始めている。言葉の意味するところよりも、これらの言葉が使われる状況が嫌いだ。

 嫌いな理由を一言にしてみよう。「だから、なんなの」。

 独り歩きし始めた言葉は、いつだって不幸だ。おのずから無責任な存在になるのだから。

 好き嫌いに理由は要らないと子供たちは言う。普遍的でないことがらに理由をつけたがるのは愚かなことだ。それでも理由を書くのは、俺は愚かなんですと誇示したいからじゃない、普遍的でなくても実際的なことではあるかもしれないからだ。

 おそらく、僕にはこの町の何も見えていない。いつだって、何にだって「本当の何か」「正しい何か」があるはずだという前提に、僕は食傷気味だ。見なくてもいい。正しくなくていい。宿が安い、飯がまずい、バスが来ない、だからなんなの。ぼんぼん育ちの自由論ほど飯がまずくなるものはない。馬鹿野郎、どうして貧乏旅行者って言うか分かっているのか。『歩き方』で見つけたドミトリーに泊まるやつのことじゃない、そいつの発想のことだよ。自由は論じられるべきものではない。口端にのぼせた途端に姿を消してしまうという点では、なぞなぞの「沈黙」と同じだ。

 なぜそう思うかって。僕もぼんぼん育ちだからね。貧乏を想像することもできないくらいぼんぼんだ。気楽なものだよ。だから今まで、団体観光客を見ると嘲った笑いを浮かべていたのだ。まるで、日光猿軍団のしぐさを見て笑うように。その笑いに人まねへの後ろめたさがあることに気づいたのは、ごく最近だ。むしろそのためにこそ、ことさらに嘲ってみせる必要があったのだ。

 俺たちは豊かなんだ。たぶん、世界史上でもっとも豊かな生活を送っている。ありがたく思えば、それで十分だ。搾取しなければ豊かな人は生まれない。それで十分だ。今現在、貧乏な人に思いをいたすなんて、貧乏が腹かかえて笑わあ。革命おこす気合も脳みそもないくせに、と言って。豊かな僕たちは、貧乏な人たちに会いに行ける。不均衡が道義的に許せないなら、彼らにユニコーンの歌詞を耳打ちするのだ、「君を見てると昔の私を見るようだ、女にうつつを抜かすと私のようになれないよ」。


2002年11月03日(日)
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