ジョージ北峰の日記
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2012年11月02日(金) 青いダイヤ

   山道を私が犬と一緒に前を歩き,少し離れてN子が後からついてきました。人が通る道とは言え、雨が降ればたちまち川のように水が溢れ、滝の様に流れる急な坂道で、岩や石ころが無造作転がっていました。以前のN子なら男の子のように走り降りてきたに違いありません。 
 
   しかしその日は足もと気を配りながらゆっくり降りてくるのでした。
その姿を見ていると、N子は単にふっくらしたばかりでなく何処となく女らしくなったようで、私には少し恐ろしく見えるのでした。 

   夕暮れが近づくと山は突然賑やかになり、西山から今まさに沈まんとする太陽の光に向かってカラスの群が大きな声を掛け合いながら、高く飛んで行きます。すると一方、私たちのすぐ頭上を小さな鳥の群れが木々の合間を、小さな声で呼び合い、飛び交いながら、突然大声を発したかと思うとカラスより低い位置取りで谷間を突ききるように、素早く越えて行く。民家には夕餉(ゆうげ)の煙が立ち登り始めていました。

   山の中腹まで降りてきた時、N子が「T君待って、少し話したいことがある」と呼んだのです。
「何?」と振り返りますと、「T君に渡したいものがある」と近づいて来ると、少しいたわるような仕草で赤い小箱をポケットから取り出したのです。
「如何したの?」と目で聞き返しますと、やさしい表情を浮かべ「開けてみて」と小声で言うのです。

   蓋を開けてみると、中から白い布に包んだ青い玉が出てきました。「わあ、綺麗! まるで本物の指輪の玉みたいだ。これを?僕に?」突然のことで驚いて「これはN子にとって大切な宝物ではないの?」
N子は、頷きながら少し俯(うつむ)き、それから空を見上げるような仕草で振り返りました。その時彼女の大きな目が潤んでいるように見えました。

   「私の家族は、今度こそ本当に引越しするの。もうT君にはあえなくなるかもしれない。だからこれをT君にあげたいの。私と思って大切にして。
これから私はT君が立派な人になってくれることを夢見て生きてゆく。だからT君はこの玉を私と思って、本当に大切に持っていて欲しい!」少し舌足らずな口調で、続けて「もう私の人生はどうなるか分からない----T君が----」と言葉が少しもつれて、途切れるのでした。
   まるで、今生の別れのようなN子の話し方に私は少し動揺していました。「引越しだって!もう、会えなくなるの!-----。今までずっと、N子が帰ってくるのを楽しみに待っていたのに」


   現代なら、交通手段が発達した時代ですから、たとえ外国といってもすぐ行くことが出来ます。しかし当時は東京-大阪間でさえ1日がかりで行き交う時代でした。アメリカ・ヨーロッパなら船で半年ほどかかる時代でした。それに日本は何処にでも直ぐ行けるほど、人々は豊ではありませんでした。
   少し間をおいて「それなら、この玉は返す。会えないのだったら仕方がないじゃないか」私が怒ったように箱を返そうとしますと、N子は「いいえ」と首を横に振りながら、いたわるような仕草でその手を押し返すのでした。
   私の予想以上の強い反応にN子は少し驚いた様子でした。
しかし、相変わらず落ち着いた声で「その玉は、私のおばあちゃんが大切にしていたの。私にくれる時、人を幸せにしてくれる青いダイヤだよ!って。だから結婚する時に指輪にしなさいって----。それをT君に持っていて欲しい----の!」
   「イヤだよ、そんな大切な物なら、余計もらえる訳がないだろう。それにN子と結婚できるかどうかも分からない」心の中では私は、N子と会えなくなることがつらく「イヤだよ」と叫んでいたのです。N子の話に私の気持ちがついていかず「ありがとう」と答えられなかったのです。

   その日、N子を随分困らせたに違いありません。
   しかしN子は一層母親のような口調になって「T君!T君は私の気持ちが分からないの。何も結婚して欲しいと言っている訳じゃないわ。ただT君の傍にいて見守ってあげたいだけよ」と、願をかけるように手を合わせるのでした。
 
   今思い出してみると、私は随分子供じみた反抗を試みていたと思います。あの時どうして素直に「ありがとう」と言えなかったのか、N子のことを思い出す度に、とてもつらく私の心を重く暗くするのです。

   あの日の私の異常なまでの反応がN子を随分深く傷つけていたに違いありません。 しかしN子は強く「T君がもらってくれなければ、私は家に帰らない」と言って、岩の上に腰を下ろしてしまったのです。
N子は精神的に私より数段成長していたのでしょうか。私の気持ちが、本当は手に取るように分かっていたかもしれません。
 
   彼女は冷静に「青い鳥のお話は知っているでしょう。青いダイヤも、持っている人を幸せにする、それこそ世界でも数少ない貴重な宝石なんですって。それをT君に上げるということは、私がT君のことをとても大切に思っているって分かるでしょう?」
  
   私が気を取り直して「これ、ほんとにそんなに貴重な宝石なの?それだったら、余計のこともらえないよ」と真面目顔で答えますと、N子は含み笑いをしながら「T君らしいわね。それは心のダイヤという意味」
  「じゃあただのガラス球ってこと」
  「まさか、おばあちゃんがくれたのよ。偽者じゃないわ。本物の宝石よ。“青いダイヤ”と言う意味は、この玉がダイヤに匹敵するほどの宝物という意味、私の心が入った宝石。だから大事にして欲しいと言う意味」

   私は少しずつ平静さをとり戻し始めていました。
ただN子と会えなくなるという話は、私にとっては母をなくすほどの衝撃だったのです。
 
   春先とは言え、丈の低い潅木は葉が散ったまま、樹枝がまるで珊瑚の様に延び、夏なら青々茂る笹が大半の葉を失い、まるでひなびた案山子(かかし)のように立ち並んでいる様子が、辺りを一層寂しく見せるのでした。
時折風が木々の合間を吹き抜けて行きました。



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