ジョージ北峰の日記
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2010年12月01日(水) 青いダイヤ

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  小学校の高学年になると、勉強に関しては何時の間にかクラスメートから尊敬されるようになっていました。恐らく長兄によるおかげだと思います。しかし、私は決して学校秀才ではありませんでした。私は兄の真似をしていたので、教室での学業にはあまり熱は入りませんでした。人に教えられることに、抵抗を感じるようにないっていたのです。
  既に、何事も自分で勉強しなければという強迫観念が芽生え始めていたのでしょう。それ以来、現在に至るまで、私は授業を熱心に聴いたことがありません。(現在の私の知識や能力はすべて、自分の意思で築いてきたと自信を持って断言できます)(自慢しているのではありません)。だからといって先生を無視していたわけでもありません。ただ自分の能力は、自分で高めることこそがこの世に生を受けた人間としての「真の自由だ」と兄から以心伝心で伝えられていたのです。
  大人なら兎も角、子供が自分の能力を、本だけを頼りに開発する難しさは筆舌に尽くしがたいものがありました。学業だけなら問題はありません。しかし自分の人格を含めて、自分の能力のすべてを自分の意思と判断力だけで築こうとするのですから---。現在私は、平凡な1市民として社会生活できていますが、自分の過去を振り返る時、冷汗をかくことさえあります。

  さて、自分の苦労話はこのくらいにして、小学生の高学年になると近所の子供達を集めて正月には、トランプ、カルタ羽根突きをして遊びました。
  ある正月の朝、私は挨拶に来た子供達を集めてトランプ遊びをしていました。幼稚園の子供が含まれていますので、本気では遊べません。あくまで子供達を遊ばせるのが目的ですから、適当に負けなければなりません。
しかもゲームを面白くする為に、景品をつけなければなりませんでした。私はなけなしのお年玉をはたいてお菓子を買ってきて景品にしたのです。
途中から長兄も子供達にゲームに加わってきました。兄の参加で子供達は、喜んで一層はしゃぐのでした。
  ゲームが終わって、皆に景品を分けるのですが、私は日頃からあまり豊かな生活をしていない子供達に景品が当たるように工夫していました。

  子供達は大喜びでしたが、子供達が帰った後、兄が「景品は誰が買ったのだ?」と不思議そうに尋ねるのです。私が「僕だよ」と答えますと「お金はどうした?」と尋ねるのです。私が泥棒でもしたのではと思ったのかも知れません。「お年玉を使ったのだよ」と答えますと「全部使ったのか?」と畳み掛けるよう様に尋ねるのです。その当時、子供にとっては、お年玉が1年に1度だけ自由に使える、大切なお小遣いとして親からいただいたのです。だから兄には不思議に思えたのかも知れません。
  「うん--」と答えましたが、無論私自身も少し惜しいように思っていたのです。本当は冒険小説を買いたかったのですから---。しかし当時は「お年玉」さえもらえない子供達が多かったので、私はみんなを喜ばしたかったのです。
  兄は「お前は不思議な奴だなあ---大人のような判断だ。本来人間が所有しているとされる神の知恵が芽生えて来たのかな」


  兄の話によると、普通人間には欲があり、まず自分が幸せになることを考える。それが普通な人間だと---(当時兄は、何かにつけて哲学的に考えようとしていたようです)。
  他人の幸福を喜べるようになるには、相当の知恵(理性)が要るのだ。勿論人間には本来、神の様な心(真善美を愛する心)が備わっている。しかしそのような心は大人でさえ、忘れてしまって努力しなければなかなか思い出せないものだ。
  「子供は本来、神の純粋さを所有している、それが今、お前に現われたのかな?---子供には、やはり生得的に神の心が備わっているのだ---」兄は呟くように頷くのでした。当時、私には兄が何を考えているのかよく分かりませんでした。ただ、母が興味ある話をしてくれることがありました。
   「お前が生まれて来る時、観音様のような子供が生まれてくる、と神様からお告げがあって」と言っていたよ、私が話しますと、兄は「それは母の無意識の “良い子が生まれて欲しい” という思いの表示だろ」と、笑い飛ばすのでした。
  
  [現代社会では、親子の殺傷事件、子供たちの自殺が相次いでいる。兄が今生きていたら如何考えただろう。子供は本来純粋な神の心を持って生まれてくる。現代社会は、何か歯車が狂っていて、子供な本来所有している、そんな純粋な心を、子供のうちに踏みにじってしまっているのではないか?---本来社会には、子供の純粋な心を大切に育てる真の教育があって然るべきなのに---と兄なら言ったかも知れません]

  そして、兄は少し考えるような仕草した後、突然 “お小遣い”だよといって、私にお年玉をくれたのです。兄にとっても大切なお金だったに違いありません。その時涙が出るほど嬉しかったことを今でも覚えています。


  午後私は、凧を挙げに裏道を通ってため池の堤防に登りました。其処には、数人の子供達が来ていました。N子も来ていました。
堤防の土手には、北風が容赦なく吹きつけていました。池を取り巻く松の木が大きく揺れ、池の水面は漣だっていました。しかし、寒いのに子供達は元気一杯です。凧は手から離れると、糸から引きちぎれんばかりに、“アッ”という間に空高く舞い上がっていきます。皆で誰が高く挙げるか競争していました。辺りには、ススキの様な高い雑草が土手に生い茂っていて風に大きく揺れていました。
  皆で小鳥の様に雑草の合間に入りますと寒さがしのげるのほどなのです。すると仲間の一人が何処からか畳1畳ほどの古い筵(むしろ)を見つけてきました。寒さしのぎの為に、壁にするには小さすぎます。私は一度経験があったのですが、それを二つに折りたたみ、サンドイッチの様に中に挟まって土手の斜面に滑り降りるのです。土手の斜面はでこぼこしているのですが、厚い雑草と暑い筵のせいで痛さが感じないのです。とても楽しい遊びなのです。
  N子が自分にも教えてほしいと言うのです。二人で滑り降りる時、N子は後ろから私の背中に思いっきりしがみ付いてくるのです。その生暖かい感触が一層楽しさを倍加させるのでした。
  それから私も、N子も小さな子供達と滑っていましたが、たまたま、私が小さな子供を後に乗せて滑っているとき、母が私を呼びにきたのです。
  母は笑いながら「危ないでしょう。そんな危険なことを小さな子供に教えたら駄目ですよ」とN子に同意を求めながら、「お客様が来ているから」と私に帰るように促しました。

  帰る道々、母は「あまりふざけていたら駄目ですよ、子供達に怪我でもさせたらどうするの」と言いながら「ぜんざいを作ったからね」と小声で囁きました。帰るのを少し躊躇って(ためっらて)いた私の目の前が一瞬“パッ”と明るくなるのでした。


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