ジョージ北峰の日記
DiaryINDEXpastwill


2010年05月27日(木) 青いダイヤ

青いダイヤ
ジョージ北峰
1
 1
20世紀の後半から21世紀に亘って、科学技術の進歩が目覚しく、人の果たしてきた社会的・経済的活動の役割をほとんど機械が肩代わりするようになってきました。
しかし現状は、有名な思想家達が「科学技術が進歩すればユートピア社会が実現できる」と考えてきた状況からは程遠いように思われます。確かに人々の生活は豊かになり隔世の感はあるのですが---。

私の少年時代、日本の家庭にはテレビ、自動車ばかりか洗濯機、冷蔵庫もありませんでした。一方、当時の合衆国では、既にこれらの製品はほとんどの家庭にそろっていたのです。さらに水道から“お湯”さえ出ると聞いた時、アメリカの経済力に驚きましたが、死ぬまでに一度はそんな生活をしてみたいと夢を描いたものでした。それは私にとっては、ユートピアの世界そのものだったのですから。

  当時、第二次世界大戦の敗戦国だった大部分の日本人の生活は極貧をきわめていました。現代の犬や猫の生活にも追いつけない状況だった言って過言ではありません。
 その頃、私の家でも猫を飼っていました。猫の食生活は悲惨で、ほとんど残飯(それも僅かな)が与えられるのみでした。だから猫も毎日、ネズミ、夏には庭で蛇、昆虫などの捕獲に奮闘していたように思います。彼等にとって生きた生物は、この上ないご馳走だったのです。今時の猫は、ご飯に花カツヲをかけても見向きもしませんが、当時は人間であった私でさえ、“カツオかけ御飯(ご飯がありませんでしたから)”は滅多に食べることの出来ないご馳走だったのです。だから猫の食生活が、今に比べれば如何に悲惨なものだったか想像出来ると思います。
 ある日、家族が油断したスキに猫が食卓の沢庵(たくわん)の一切れを盗んで逃げた時は、私もさすがに驚きましたが、後で叱られている猫の姿を見た時は「猫もお腹をすかしている」と可哀そうで、泣いたのを覚えています。

   そんなある日、偶然、長兄が自分の食べ残した食物を、(親に隠れて)猫に与えている姿を見たのです。一瞬「親に隠れて」と言いかけたのですが、その瞬間、兄は「シっ!」と声を出さないように目配せしました。
私にも直ぐに兄の気持ちが伝わり、ゴロゴロ喉を鳴らす猫を兄と一緒に“嬉しく”眺めたのを思い出します。
   が、後日まで、その兄との思い出が奇妙に強い印象となって私の心に残ることになりました。その日から、単純と思われるでしょうが、私は兄に対し言葉では尽くせない「敬愛の情」が芽生えたのです。

   現代の日本人には理解出来ないと思いますが、猫に勝手に餌をやることは「泥棒猫になる」と親から厳しく禁じられていたのです。
ただでさえ食料難の時代、皆が絶えずお腹を空かしていましたから、私にはそんなことを考える余裕さえありませんでした。当時、私は4歳ぐらい、15歳年上の兄は、既に大学生でした。兄にとっても空腹はつらかったに違いありません。「お腹はすかないの?」と尋ねると、「気合だよ」と笑顔を返すだけでした。

 それから、私は何故か兄の行動に大変興味を持つようになりました。ただ子供の心理として、兄の不思議な行動を、単に真似をしたかっただけだろうと思いますが---。
 


2010年05月10日(月) オーロラの伝説ー人類滅亡のレクイエム

 ある日、政府の高官と称する人が私達の島へやって来ました。彼は私に、自分はラムダ国のエージェントだと身分を明かした上で 
 「今回の戦争はまだ終結したわけではない。ある情報では、さらに大変な事態が起こる可能性がある。私達も、遺伝子の保存のため地下施設建設を急ぐ必要がある。今の状況ならこの国で、それも可能だ。その協力をあなたに伝えに来た」と、テキパキした口調で言うのでした。
「大変なこと?また核爆発が起こるのですか?」
「その通り」と彼、
「えっ!わが国は大丈夫---ですか?」と驚いて問い返しますと、
「それは分からない。ある情報では、核を使った国を、そのまま残すことは危険だ---」と、彼は周囲を伺うような素振りを見せて答えるのでした。
「それは、地球上から彼等を抹殺するということですか?日本は?」さらに小声で尋ねますと、彼はさらに辺りに伺うようにしながら、「そうではないが---何らかの手を打たなければと言うことです」と、頷いたのです。
「とにかく、私達は急がねばなりません。近いうちに、何が起こるかわかりません。その時、再び国際社会は大混乱に陥るでしょう。この国も避けて通れません」
私は、ふとパトラのことが心配になり、「パトラは如何しているのでしょう?」と、尋ねますと「女王は今Z国で活躍しています」と答えるのでした。
 私は、今回のことがパトラの働きだと知り「やはり」と納得しましたが、彼女に何か危険が降りかかりはしないかと不安が募るのでした。しかし又しても新しいニュースが飛び込んできました。難民を受け入れたZ国に対して、攻撃しかけた国があったらしいのです。
  私は一瞬「パトラは大丈夫か?」と不吉な予感がしたのです。
 「パトラを守ってやってください---!」
 私は天を仰ぎ、祈りを捧げていました。
36
  突然、テレビ放送、ラジオ放送などの通信手段が途絶えてしまいました。私達の島は完全に孤立してしまったのです。本土方面の灯りも消えていました。さらに最悪は青空が消失したことでした。昼でさえ、太陽光線が厚い雲で遮断され、夜は月の光も全く届かず漆黒の闇夜になるのでした。隣人の顔さえ見えない程でした。幸い私達の地下施設には、地熱を利用した自家発電の設備があり、日常生活には支障はありませんでした。
  一方本土は恐らく大混乱に陥っていたに違いありません。通信システムが全く機能していないのですから、社会秩序は次第に崩壊し、生きる夢を失った人達の中から暴徒化するグループが出て来るに違いありませんでした。経済のグローバル化が進んだ時代では、通信手段の崩壊は、社会の崩壊を意味していたからです。
  弱肉強食の論理が跋扈(ばっこ)するのです。私達も事態に如何対応するか連日会議が持たれました。太陽光線が遮断されたことによる気温の低下や放射能を含んだ灰や雨に対して如何対処するかが中心の課題になりした。地下施設から外出する時は放射能に対する防護服を着て出なければなりません。そんな状況下では動物を飼育することも、農地を耕すことも不可能なのです。
  まず、食物の確保をどうするか?大問題になります。そればかりではありません。太陽光が遮断された状況下で気温はどんどん下がりつつありました。このままでは海は凍りついてしまうかもしれません。つまり温度対策が最も大切な課題でした。
  何もしなければ、氷河期を迎えることになるかも知れません。そうすると氷河期に恐竜が絶滅したように、私達もまた絶滅することになるかもしれないのです。
  「幸いこの島では地熱が利用できる。電力を失うことはありません。さらに表面が氷で覆いつくされれば、放射能を氷の中に閉じ込めることが出来ます。地下に放射能が侵入することも防げます。とすれば放射能から自分達を守ることも可能になるでしょう。完全に氷河期が来れば外出することだって可能になるのではないですか?つまり地下に安全な生活圏を築けば、私達は生き抜くことが出来るのではないですか?」と若い人が発言しました。
  予想もつかない彼の突然の提案(しかし、そのことは、私も考えてはいたのですが)に「有難い」と私は考えました。幸い島の住人は若い。体力もある。「このまま死を待つ手はない。皆で力を合わせて地下に私達の生活圏を築こうではないか」と皆で決断したのです。
この時ほどラムダ国人の協力あればと思ったことはありませんでした。彼等こそ地下施設のエキスパートだったのですから---。
  一方暗黒の世界になってから、パトラからは何の連絡もありませんでした。しかし私には確信がありました。「パトラは死んではいない。必ず帰って来ると---何時もそうだったから---」と、それ迄私達は生き残りをかけて全力を尽くそうと考えたのです。
  皆が連日寝る暇もない作業を続けていました。陸や海が完全に凍りつく前に、作業を進めなければならなかったからです。
ある日、皆が身も心も疲れ果て、休息室に集まって来ました。「これ以上働いても無駄ではないか」と弱音を吐く人も出てきたのです。

  「久しぶりにパーティーを開いて元気を出そう」と呼びかけました。そして、大切残してきたアルコールを出して乾杯することにしました。「これが最後の晩餐でなければいいが---」と冗談を言っても誰も笑いませんでした。しばらく沈黙が続きました。

  と、突然女の子が、大声で叫びながら「おじさん、外の様子がおかしい」と駆け込んできたのです。子供が外に出ることは堅く禁じていたのですが、その日は皆、気が緩んでいたのでしょうか。彼女は誰かに呼ばれたような気がして飛び出したらしいのです。そして外界の異変に気付いたのです。
  私達も慌てて外へ飛び出しまた!----驚いたことに、辺り一面が明るくなっていたのです。

  見上げると西空に雲の裂け目があり、其処からサーチライトの様に光が地上に差し込んでいました。何段にも垂れ下がる幕のような黒雲が裂け目の周囲を波打つ様に移動していました。雲の裂け目は金環日食の様に金色に縁取りされ輝いていました。地獄の沙汰に天国を見たとはこのことでした。
「なんと美しい光!」
 太陽がこんなに美しい光を地上に送っていたとは---本当に考えたこともありませんでした。
 遠く雲間の隙間から差し込んでくる光がプリズムを通したかのように海にキラキラ反射して波が七色に輝いていたのです。
誰かが「万歳!」と大声で叫びました。するとつられて皆が「万歳!」、「万歳!」と歓喜の声を上げました。 そして手を取り合ったり抱き合ったりして大喜びしたのでした。
38
  夜が訪れる頃、劇場の幕が挙がるように、垂れ込めた黒雲はすっかり晴れ挙がり、空に星が輝き始めていました。漆黒の闇夜を経験した後だったので、夜とは言え、辺りはまるで昼間の様に明るく見えるのでした。波が星の光を反射しながら浜辺に打ち寄せている様がはっきり見てとれるほどでした。
  島民は、全員が夕食をするのも忘れ、地下施設から出てきて、久しぶりに見る美しい地球の景色に酔いしれていました。
すると先程の子供が突然「おじさん!あれ!」と大声で指をさすのです。
  今度は、遠く高い天空に赤、緑、紫に輝くオーロラの幕が波打ちながら下がってくるのが見えました。
初めて見る大空のショウに大人も、子供も感嘆の声を上げるのでした。
私が北極に降り立った時に見たあの壮大な宇宙ショウと同じでした。
泣き出す人もありました。母も「父さんにも、こんな美しいオーロラを見せてやりたかった」と涙する始末でした。
  私はふとパトラが、オーロラが出る日に「帰ってくる」と言っていたことを思い出しました。
核戦争が勃発してから、闇夜の中で希望を捨てず皆と一緒になって村を守って来たのは、パトラとの約束を信じていたからです。
今夜“パトラが帰ってくるかも知れない”という明るい希望と重なり、一刻も早く彼女に会いたいという気持ちが大きくなってくるのでした。
“パトラに早く会いたい”私は心のなかで叫んでいました。
  やがてオーロラの幕が挙がりますと、一層驚くことが起こったのです。
空の星が、以前私が見た時と同じ動きを一斉に開始し始めたのです。
その光景を見て「わあ!」と感嘆の声があちこちから湧き上がりました。
やがて星がチューブを形成しながら遠い水平線から浜辺の方向へ向かってゆっくりと移動して来たのです。
星のチューブは大きく拡大するとドーム状に広がり私達の島全体をすっぽり飲み込もうとしていました。近づいてくると蛍の光のような灯りが煌く(きらめく)膜様物に見えるのでした。
  それまで騒がしかった驚嘆の声は止まり、当たりがシーンと静まりかえりました。何が起ころうとしているのか分からなかったからです。一瞬時が止まったかのように思えるのでした。

すると、水平線の方向からUFOが飛来してきたのです。見る見るうちに大きくなり浜辺近くに着水しました。
「あれはUFO!」誰かが叫びました。「何だろう」口々に騒いでいますとUFOから上陸艇が下りて、岸を目指して進んできたのです。
皆はさらに驚いていましたが、私はこの事態をすでに経験していました。
ただ“パトラ”が帰ってきた、と期待で胸が膨らむのでした。
  やがて上陸艇から降り立った、外国人(ラムダ国人と私には分かりましたが、島民にとっては外国人に見えたに違いありません)と一緒に、死んだと思っていたはずの父と妹そして同乗の乗組員達が帰ってきたのです。
驚きで沈黙していた人々の喜びが一挙に爆発しました。大声を上げながら浜辺へ向かって走り出しました。
母は父と妹と抱き合って涙を流しあうのでした。又同乗していた船乗りの家族達も大声で泣き、抱き合い喜んでいました。あまりにも意外な出来事の展開に驚きもあったのでしょう、子供も、大人もそれぞれ船から降り立った人々を胴上げして無我夢中で何かを叫んでいました。
勿論、島へ帰ってきた父、妹を見て私も嬉しく、皆と一緒に喜びを分かちあいたかったのですが---私の期待に反して、ラムダ国人の中にパトラの姿がなかったのです。
若い科学者達は、早速ラムダ国人たちに、感謝の気持ちで話しかけていました。
  一方、パトラが帰ってこなかったことが、私には信じられませんでした。
「パトラ!オーロラが出る日に、必ず帰って来ると約束した筈なのに---」
私の気持ちは不安で動揺し始めていました。
海から吹いている風に気付きました。打ち寄せる波が白い飛沫(しぶき)を上げていました。そして山野の積雪が何時の間にか消え、木々が風に揺れているではありませんか。その様子はまるでラムダ国の風景を想起させるのでした。
私はふと、ラムダ国の海岸でパトラやベン、アレクに助けられた夜のことを思い出していました。
あの夜はどんなに故郷を懐かしく思ったことでしょう?そして家族にどんなに会いたく、故郷を思い出していたことでしょう。しかし今夜は、パトラが帰って来るという期待で胸が一杯になっていたのです。しかしパトらの姿はありませんでした。
私の心にぽっかり穴が開いたような、虚しさが襲ってきたのです。
  私が呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしていることに気付いたラムダ国人が走りよってきました。「パトラは?」私は彼らに聞くともなく聞いていました。
彼らは何も答えず私の肩を優しくたたくのでした。
  これまで張りつめてきた私の気力が急に衰えてゆくのが分かりました。

  一方、UFOはまだ波にゆったり揺れていました。やがて再度UFOの扉が開きました。そしてもう1隻の上陸艇が岸に向かって進んできたのです。「今度は?」と私は胸が高鳴りました。
  しかし降りてきたのは、なんとベンとアレクとラムダ国の仲間達でした。皆が呆気にとられる中、彼等は私を見つけると駆け寄って来てくれたのです。私は、懐かしさと嬉しさのあまり、彼らに飛びついていました。
彼らとパトラと一緒に過ごした日々が一挙に蘇ってきたのです。
  さらに驚いたことに、老博士も一緒でした。老博士も私を、父のように優しく抱きしめてくれるのでした。
しかしこの時、何故か彼の悲しみが私の胸に厭と言うほど深く伝わってきたのです。私は老博士に「パトラはオーロラが出る日に、帰ってくると言っていたのです」と言いますと、老博士は頷きながら「そうだよ。彼女はオーロラになってドクターのもとへ帰ってきたのだよ」と諭すような口調で答えるのでした。
私は、一瞬絶句しました。
“パトラがオーロラになって帰ってきた?
 博士の一言は「パトラがもう帰ってこない」ことを、雄弁に物語っていたのです。
「パトラ!---オーロラになって?」
私は辺り構わず、大声で泣き崩れていました。
終章

私が遺伝子工学の研究を通じて、地球の歴史を探ろうと決心した時、地球は、既に数万年の人類の歴史に終止符を打とうとしていました。
そして核戦争が勃発、それが引き金となったのか地球各地で火山が爆発、太陽光線が遮られ地球は氷河時代を迎えようとしていたのです。
私は、偶然異次元の世界へ迎えられ、地球再生を目指すために、日本へ帰っていたのですが、私の故郷は本土から離れた離島にありました。それが良かったのか、この島は異次元の世界に比較的スムースに “引越し”することが出来たのです。以前パトラが“私達はラムダ国に住んでいるのです”と語った謎めいた話がようやく分かったのでした。又老博士が私達の為に“新しい国を創ろう”と話したことも---私の故郷こそが新しい国創りに適した場所だったのです。
  しかしラムダ国と同じ体制の国造りを老博士が望んだわけではありませんでした。 ラムダ国は、いわば生命体創造の実験工場でした。しかし彼は、私達の島(新しくラムダ・アース国と命名された)に自然と調和のとれた地球創世の原点になることを求めたのです。

  やがて老博士、ベン、アレクは島から去っていきました。しかし大部分のラムダ国人は私を助けるために残ってくれたのです。彼等は、島民と一緒になって国造りに積極的に参加してくれるのでした。
  やがて村人達とラムダ国人の間に意思が通じるようになり、互いが国造りに協力できる体制が出来上がったのです。
しかしこの島はラムダ国のように社会体制が遺伝子工学で制御された実験国ではありませんでした。
  ある夜私は、一人で、海岸を散歩していました。静かな夜でした。ラムダ国の海岸でパトラが助けに来てくれた日のことが懐かしく思い出させるのでした。
  その夜は星の姿も霞むほどの満月でした、海岸の砂浜に白い波が時折“ザー”と音を立てて打ち寄せていました。私は少し高い丘に登って腰を下ろしました。時折暖かい風が吹いてきました。
  と、懐かしい心地良い女性の香りが風に乗って漂ってきたのです。何気なく振り返えりますと“なんと”其処に以前と同じ姿のパトラが立っているではありませんか。
  「パトラ!」私は思わずパトラに飛びついていました。
   そしてその夜、私はパトラと懐かしいしいひと時を過ごすことが出来たのです。
「パトラ、君に助けて欲しかったのだよ!」と囁きましたが、彼女はそれに何も答えてくれませんでした。
  やがて夜が明ける頃「間もなくあなたと私の間に生まれた女の子が、帰って来るでしょう。その時は女王として大事に育ててください」とだけ言い残すと、視界から忽然と消えて行くのでした。

  付記
ラムダ国歴史学者であり考古学者でもあるSS博士が長年の研究成果としてアース・サイエンス レポートに、地球人として初めてラムダ国に迎えられ、地球の植民地の初代国王と考えられる筆者が書き留めた日記を翻訳された。
 その内容が爆発的な人気を博し、今も愛読者が増え続けているという件に関し、ラムダ国科学研究部部長が興味ある発言をされた。その内容の要約は次の通りである。

 「このN世紀前の国王が記したとされる日記は途中で途切れ最後まで記されてはいない。必ずしも当時の国造りを代表する第一級の資料とは成り得ないかも知れない。しかし初期のラムダ国と同時代に存在していた当時の地球人達がどんな問題を抱えていたのか、そして人間が何故滅亡したのかを理解する上で極めて貴重な資料になる。
 わが国が今後進めようとしている地球開発を考える上で、特に貴重な役割を果たすことになるだろう。

 さらにラムダ国科学部会でも、この日記に関して、その重要性が確認され、詳細な科学的調査に乗り出す必要があるとの結論に達した。
  最近地上のG砂漠で発見された人類が築いたとされる大都市の遺跡は、当時の地球人達の文明がいかに高度であったかを証明している。
  ただN世紀前に突然地球を襲った何らかの天変地異で地球上の生命体は人間を含めてほとんど絶滅した。
 その後、地球の大陸は砂漠化されたまま現代に至っている。
 
  当時の地球人たちの生活については、我々は最近までほとんど無知であったが、今回の探検隊が発見した遺跡から、筆者の日記が全くのでたらめではなく、当時の地球の状況をかなり正確に反映しているらしいことが分かった。
  当時、地球人たちの文明は確かに進んでいた。しかし彼等が何故滅亡したのかを知るには、さらに今後の研究成果が期待される。

  最近ラムダ国の先験隊が育ててきた多数の動植物が漸く地球上に根付き始めた。しかしオメガ国では、我々よりも先に行動を開始し地球開発計画を現実的なものとするべくさらに努力している。わが国も彼等に遅れをとることがないよう、出来るだけ早く大規模な地球開発を推進しなければならない。
 
 [ラムダ・アース国 広報部] 

 完










2010年05月06日(木) オーロラの伝説ー人類滅亡のレクイエム

 当時私は若かったのですが、彼の生命の起源に関する大胆な仮説に驚き「C博士のような偉大な科学者が、なんと荒唐無稽な話をされるのか」と、彼を疑ったことがありました。
  しかし、C博士が打ち立てた分子生物学に関する理論は驚くほど正確で、彼の予測はことごとく実験的に証明されていたのです。ただ「遺伝子が宇宙から来た」と言う荒唐無稽な話しだけは信用する気にはなれませんでした。しかし「本当かも?」という気持ちも勿論ありました。
しかし私がラムダ国で実際に経験したことは、C博士の仮説と一致しているように思えたのです。つまり異次元の世界で老博士は地球上の遺伝子を採取し、次々新しい種の動物や人間を実際に創造していたのです。
  そして、パトラや私を含めてラムダ国人を地球上に送り込み、地球の改造をすでに試みていたのです。それはやはり、地球へ遺伝子が送り込まれていると言う仮説に一致していたのです。
  今回私には特別な任務が与えられた訳ではありませんでした。
一方パトラは、村で小さな原始共同体を作ることを目指していました。彼女には、お金(資金)は必要ありませんでした(彼女はお金の価値を知らなかったのですから)。
  彼女は皆に自分で「無から何かを作り出す」喜びを教えようとしていました。しかし老人達は「私等の若い頃も、まさにこんな社会だった」と彼女の考えを簡単に受け入れたのです。
彼女が来てから村に活力が戻ってきたのです。廃村寸前の村に漁業、林業、農業を蘇らせようと彼女は積極的に働き始めたからです。ある時は船に、ある時は山に、ある時は畑に---。
  想像してみてください、クレオパトラが昔から伝わる日本の野良着姿で働く様子を!彼女は「働きやすい」と日本の野良着をとても気に入っていたのです。 
私でさえ焼餅を焼きたくなるほど彼女 の働く姿は、魅力的でした。
  パトラは私と2人になると「この村には本当に有能な人達が住んでいるのね---」と喜びを隠しませんでした、私が「?」疑問を呈しましても、にっこり頷くだけでした。パトラが、私の故郷へ移り住んでから、若者達も帰郷、村の復興に取り組み始めたのです。
  運も良かったのです。当時国の景気が悪く都会では有能な若者が力を発揮出来ずに溢れていました。彼等の中には大学で工学、農・水産学を学んだ学士や若い博士達迄含まれていたのです。そしてパトラのもとへ集まった彼等が国造りに力を発揮し始めたのです。
仕事が終わると、皆が集まって活発な議論をしたり、自分達の作った作物を使ってパーティーを開いたり盛り上がることもありました。
 仕事の成果があがるにつれ、パトラに憧れた若い女性も集まってくるのでした。
  若い人達の中には腕自慢がいて、パトラに挑戦するのですが、実践で鍛えた彼女の力にはとても太刀打ちできませんでした。
中にはパトラを、一度抱きしめたいと思う不埒な若者も居ましたが、彼等もまたパトラを押さえ込もうとした瞬間に宙へ飛ばされているのでした。
 「パトラは、一体何処から来た人なのだろう?何故あんなに強いのだろう。」
誰から見てもパトラは憧れの的だったのです。
 やがて皆がお互いに協力して、豊かなやりがいのある社会を築き始めました。
 しかし良いことは長く続きませんでした。パトラと私が地球に戻って来た時に見た、あの戦闘機が絡む戦争が悪化の方向を辿り始めたのです。
  驚いたことに戦闘機が攻撃を加えた場所に原子力兵器の秘密地下格納施設があり、それが大爆発したのでした。
  両国の指導者の中にも核爆発に巻き込まれ、亡くなる人が続出、両国の指導体制が機能麻痺をきたしたのです。    
  さらに続く混乱の中で、軍部が暴走、周囲の国を巻き込んだ核戦争に発展する危険性が高まってきたのです。両国の首都は廃墟と化したのですが、核爆発の影響はそれだけではありませんでした。多数の死者、難民が国境を越えてどっと周囲の国へあふれ、また放射能汚染は、世界中に広がる気配を示し始めたのです。国境警備隊も放射能汚染を避けるため、国境から撤収せざるを得ませんでした。
  日本の広島・長崎の経験を踏まえて、これまで世界中の科学者、哲学者が核兵器の危険性を指摘し核兵器の廃絶を世界の指導者に向けて絶えず勧告してきました。しかし国益優先を叫ぶ多くの人間の主張を封じ込めることが出来なかったのです。
  “決して使うことがない”という暗黙の了解の下で核兵器を保有する国が増加の一途を辿っていたのです。
  今回、いわゆるテロリストが隠し持っていた秘密核兵器の格納施設が偶然攻撃され、世界中が大パニックに陥ったのです。
「我々は、冷静にこの事態に対処しなければなりません。今となっては、戦争の当時者だけを非難しても何の解決にもなりません。今回の事態には、我々も重大な責任があったと深く反省しましょう。そしてまず世界で憎悪の悪循環を断ち、知恵のある者が、意見を出し合い、解決に向けて迅速に行動しましょう。」
  国連総会でA国の大統領が必死の演説をしました。
  
  ある夜、パトラは緊張した面持ちで「戦争は、ラムダ国にとっても放置できない事態になっています。猶予はありません。地球上には、まだまだ保存すべき有用な遺伝子が多くあるのです。今回の事態を私は予想していませんでした。今となっては遺伝子の収集を急ぐ必要があります。私は、A国の大統領、そしてW市に集合した指導者に、事態の解決を急ぐよう、出来れば遺伝子収集事業を早急に立ち上げるようお願いに行かなければなりません」
「それは大変な仕事だと思うが、パトラ一人だけで大丈夫なの?」私が驚いて問い返しますと、
「W市に行けば私の知人も大勢いますから大丈夫です」
「私はどうすればよいのです」
「この村で、皆と一緒になってこれまで通り事業を推し進めてください。私は必ず帰ってきますから」 
「私は行かなくても良いのですか?」
「あなたには、この村の事業を守ってほしいのです。私は今、何時帰るとは断言できません。しかし必ず---」
「帰ってくるのだね!」しかし、それには答えず彼女は続けて「私がいなくても、気を落とさず、皆の気持ちを盛り上げて下さい。近い内に日本の上空に必ずオーロラが出るでしょう。その時私は戻ってきます---」
「日本の上空にオーロラ?が、そんな---!」と驚いた口調で、言い返しますと、彼女は、何も言わずに私の顔をじっと見つめるだけでした。
  確かに自体は緊迫していました。今すぐ地球全体が壊滅するとは考えられません。しかし大量の生物の遺伝子が破壊され消滅してしまう可能性が大でした。
  パトラは私が納得しないまま、出発すると言うのです。
  「無理だよ!」私が思わず、彼女を抱き寄せますと、パトラの目から大粒の涙が溢れてくるのでした。
私には最早パトラを困らせることは出来ませんでした。
彼女は「今度帰ってきたら、あなたの子供を必ず創ります」と、母のような表情を見せたのです。それはこれまで見たことがない優しい表情でした。
彼女の言葉に、鉄球をぶっつけられたような衝撃を受けるのでした。
パトラは、今命がけで地球の生物の命運をかけて働くと言う。
 “此処で私もくじける訳にはいかない!”
 パトラの為、いや地球の為!
 そして最後には「パトラ、君は、私にとっては本当に偉大すぎる---。今回も思う存分働いてくれたらいい。私は、今まで何も君を助けることは出来なかった。しかし、今私が我慢する事が君を助けると言うなら、私は我慢もする。しかしたとえどんなに遠く離れていても私は何時も君と一緒のつもりだから、この気持ちだけは忘れないで欲しい」と納得するのでした。
  パトラは「ありがとう」と言うと、私を強く抱きしめるのでした。 

36
  世界は少しずつ、平静さを取り戻していました。
  日本では、梅雨時を迎えて連日雨が降り続いていました。私は放射能で汚染された雨が降りはしないかと恐れていました。世界のどの部位が特に汚染が強いのかについて情報を得ることが、遺伝子を扱う者には特に重要なのです。
 世界中で、核爆発後の悲惨な状態が報道されていましたが、とりわけショックだったのは、秘境といわれる密林の破壊や動植物の被害、さらに何の罪もない渡り鳥や、回遊する汚染魚などがニュースとして報道された時でした。場合によっては彼らを地球規模で処分する必要があるとさえ議論され始めたのです。
  「人間の無謀な行為で、彼等も生死の瀬戸際に立たされているのに、さらに処分を考えるのか?」私は人間の身勝手さにやり場のない怒りを覚えるのでした。

 しかし日本では、放射能雨は現在のところ観察されていないと報道されていましたが、何時まで安全なのかについての予測はほとんど不可能な状況でした。
  国全体が大揺れに揺れていました。食料の買占めや、都会から田舎への疎開などあわただしい人々の移動、それだけにとどまらず世界中の指導層に対する批判が新聞・テレビを賑わしていました。
  世界が直面した危機的な問題は、この戦争が、国と国との戦いではないことでした。一つの宗教又はイデオロギーで結ばれた集団が国境を越えて世界中に広がっていたのです。世界経済のグローバル化に伴う不均衡な富の分配が国家間、人種間あるいは人々の間に大きな問題を投げかけていたのです。テロリストはその歪の中から世界的規模で生まれていたのです。日本も、その流れに巻き込まれつつありました。しかし日本のような先進国における格差問題は、国家間や民族間の格差問題に比べれば、まだ小さな問題でした。

  国家間、民族間に生じた格差問題は核エネルギーのように巨大エネルギーに変わりつつあったのです。
  しかし世界のリーダーは、どれほど格差の解消に力を入れてきたのでしょうか。国連も、極論すれば先進国の利害の調整機関としての役割しか果たしていなかったのです。
  世界中で同時進行する格差問題の是正こそ国連の最優先課題だったはずなのです。
  国と国、民族と民族の間に生じた富の不均衡による反発エネルギーは、半端ではありませんでした。
  反逆者はテロリストと呼ばれていましたが、彼等にも多くの人々から支持される大義がありました。無論先進国側にも大義はありましたが、むしろそれは危ういと言ったほうが正しかったかも知れません。先進国の人々も、何かしら一抹の後ろめたさ感じていたのです。
  「自分達だけが豊かさを謳歌していてよいのか?今の先進国は、昔の王や貴族達と同じではないのか?知らぬ間に特権階級になっているのではないか?民主主義といってもギリシャの都市国家と同じではないのか?
一握りの人間が際限なく豊かになってよいのか?人々には絶えずそんな疑問を抱いていたのです。
  私達の立場からすれば、今回は地球上の遺伝子(いのち)の命運を掛ける戦争になろうとしていました。
私は、有用な遺伝子を可能な限り急いで回収・保存しようと必死になっていました。遺伝子さえ保存出来れば、地球が破壊された後も何時か再び彼等を生命体として甦らせることが出来るのです。
雨にぬれる木々の緑は鮮やかで、垂れ込める雲を飲み込まんばかりに厚く茂っていました。降り続く雨に小川の水量が増していました。川辺に咲く赤い草花に白い蝶が疲れたように休んでいました。時々稲妻が光り、雷鳴がとどろいていました。連日の作業で、私も仲間も疲れきっていました。

 その日は、雷雨が強く仕事にならないと、皆が家に戻った時です。
  と、又しても大変なニュースが舞い込んでいました!
今度は宇宙空間で何か大きな爆発があった。詳細は不明だが、核爆発の可能性があり“外出を控えるように”と繰り返し報道されていたのです。母が驚き慌てていました。妹が父と漁船に乗り組んでいたらしいのです。今日に限って妹が母に代わって出掛けたと言うのでした。
37

  徐々に進行する地球破滅のシナリオを書き換えることはほとんど不可能な状況に陥っていました。
  先進国に対し反逆を続ける所謂“テロリスト”を力だけで抑えこむことには無理があったのです。今回は、国家間にまたがる姿の見えない敵との戦いを覚悟しなければなりませんでした。仮にあるグループを押さえ込むことに成功したとしても、他の国で別のグループが蜂起する。戦争はモグラたたきの様相を呈し始めていたのです。
 大国の安全を保障するはずの科学も、科学技術の進歩に伴って“テロリスト”の力を強大化する原動力になっていたのです。
  つまり彼等のネットワークは国を超え張り巡らされていました。情報戦でさえ、大国に有利という状況ではなく、小さなテロリストグループの本部でさえ大国の司令本部と変わらない情報収集や発信能力を獲得していたのです。
  そんな状況下で、先進国がテロリストを攻撃すると、必然的に無差別攻撃になり、結果的に民間人に甚大な被害を与えることになったのです。そしてテロリストを支持する人々の数をさらに増大させる悪循環に陥っていたのです。
  先進国にとって必要なこと、それはやはり、何が“善”で、何が“悪”か、を誰もが納得できる形で明らかにすること。そして悪を支持するグループを社会から孤立させることが、最も重要なことだったのです。
  このプロセスを踏まないまま、軍事力を一方的に行使してしまったことが、今回の事態を招く結果になったのです。
  歴史を振かえってみても、強大な国家の崩壊は、支配層の利権と軍事力が結びつき、正義を失ったまま支配層が思い上がり、被支配層に理不尽な圧迫を加えた時に起ったのです。それは、支配層のモラルの低下と軍の士気の低下を引き起こしたからでした。
  それが “勝者必衰の論理”だったのです。
  本来科学が進歩すれば、人類の英知が増し、この問題は理性的に解決できるはずだったのです。しかし、結局科学はこれまで人類に何の英知ももたらして来なかったのでしょうか---。
テレビで世界の危機状態についてニュースが刻々と入っていました。
しかし、事態は予期しない方向に展開し始めたのです。これまで全く世界的には注目されなかったZ国が、国際社会の援助が保障されるなら、難民を受け入れる用意があると表明したのです。 国連総会でZ国の大統領が「文明国の豊かさは、豊かであるがゆえに難民を救うことが出来ないのです。私達の国は豊かではありません。しかしだからこそ、私達は難民を受け入れることが可能なのです。私達は難民の人々と一緒になって国起こしが出来ると考えるのです」と演説したのです。しかも加えて「唯一の被爆国、日本は戦後、経済的にどん底を経験していましたが、それがバネになって立ち上がりました。ただわが国の現在の経済状態では、自力で難民を救済できるほど余裕はありません。しかし世界各国が協力を約束してくれるなら、難民を受け入れる用意はあります」と表明したのです。
勿論、議場は沸きあがりました。多くの拍手もありましたが、一方彼の提案には反論もありました。「危機に乗じて、金儲けを企んでいるのではないか」と声高に主張する国さえありました。
  しかしこれまで経験したこともない世界規模の危機に、Z国の提案は、各国にとってやはり渡りに船でした。先進国が概ね歓迎の意を表明したのです。
 いち早くA国大統領は、Z国首相の提案を“勇気ある決断”と絶賛し、A国も最大の協力を惜しまないと約束しました。
 一方、食糧難に備えて各国とも新しい対策を考え始めました。日本では首都移転さえも議論の俎上(そじょう)に上り始めたのです。
情報化がますます深まる中、人口の一極集中は危険極まりなく、重要施設の一極集中化はさらに危険、国の存続には重要施設の地方分散は避けて通れないと判断されたからです。現代の戦争では、人と人との戦いではなく、隠れ司令室(例えば衛星からでもよい)のボタンを押すだけで相手国を攻撃することが出来る。今回の戦争はそれを明確に暗示していたのです。
つまり進化し小型化された核兵器が、地雷のように世界中に配置されることも可能で---、もしそんなことが万が一にでも首都にあれば、それこそボタン操作ひとつで国家機能を麻痺させることが出来る。
そんな危険な時代に、重要施設を一極に集中していることは、あまりに無防備ではないか---など、その危険性について議論が沸騰していたのです。


ジョージ北峰 |MAIL