ジョージ北峰の日記
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2005年01月24日(月) オーロラの伝説

 北極圏の自然は、人類にとっていまだ未開の分野で、科学文明が恐ろしく進んだ現代でも、手付かず状態のまま、わずかに氷河のボーリング探索などで地球の歴史を垣間見るか、あるいは又何か恐ろしい物でも見る感覚で、極寒に棲む生物や、生態に驚き、感心するのがやっとではないかと、ナイーブとさえ言える極地認識が、私の心の奥深くに住み込んでいました。ほんのつい最近まで、人が極地で何か事を起こす場合“探検する”と言う言葉が、なおふさわしいとさえ思っていたました。しかし一般の人々の間でも、人類が豊かで、平和な生活を維持し続ける為には、極地(南極、北極)は出来るだけ、触らぬよう、起こさぬよう避けて通るが賢明との考えが大方だったように思います。
 某国の原子力潜水艦が氷河に取り囲まれたまま故障し、結局沈没した時などは、乗組員の心情は如何ばかりだったと悲惨な結末を慮る(おもんばかる)一方、人々はその無謀な行動にあきれ、いずれ蒙るかも知れない2次災害などを恐れ、大いに怒ったものでした。しかしそんな重大なニュースも今では風化してしまったかのように思います。
 最近では、科学的アプローチが進化するにつれ、極地の探索はさらに別の方向に進み、知らぬうちに(人々が)自然界に垂れ流す、夥しい(おびただしい)量の害悪が極地にまで及んでいることを明らかにするようになってきました。そして、人類がなおも続ける(極地での)自然破壊がもとで、近未来、遭遇する自然界からの恐ろしいしっぺ返し!つまり人類史上最大の悲劇的終焉(しゅうえん)について、本気で語る科学者も現れてきました。
 紀元前にも似たような話がありました。
 紺碧(こんぺき)に輝く海、ナポリ湾に面し、オリーブの木々が緑深く茂り、抜けるような青い空、イタリア南部に栄えた平和で豊かな古代都市“ポンペイ”がその最盛期にヴェスヴィオ火山の大噴火で瞬時に埋没した話については、よくご存知のことと思います。人類が過去に経験した自然災害の中でも、とりわけ大きな悲劇として、今なお記憶に生々しく、語り継がれてきました。しかし、この話は、人類の科学知識が、まだ黎明期(れいめいき)で、単に無知から来た悲劇として(仕方がなかったこととして)人々の記憶深くに刻み込まれてきたのではないでしょうか。
 一方、自然に対する科学知識が成熟し、自然界に横たわる(人類の前に立ちはだかってきた)如何なる困難も、最早克服できぬ物はない!と(人類が)自負し始めた現代において、今度は逆に人の手によってとてつもない災害がもたらされつつある、それも何時起こったとしても不思議ではない危険な状況が極地に起こりつつある、と言うショッキングなニュースが“今”話題になり始めたのです。しかも、その最大の悲劇は、皮肉にも科学の恩恵により(ポンペイの時代とは違って)ぬくぬくと(人類が)生き延びていることと密接に関係していると言うです。

 しかし私自身は、このような現代のトピックスに刺激を受けたわけではなく、少年のころから極地に対して、人とは違った、大きな憧れ、夢を抱いて来ました。
 勿論オーロラのような美しい宇宙レベルの自然現象に強い興味がなかった訳ではありませんが、むしろ(本音は)極地に取り残された生物、出来れば数千年、数億年の昔、地球上で生を謳歌していた古代生物、それも、大型の生物ではなく、むしろ古代の微生物と古代生物の病気の関係について研究してみたい!と考えていました。それは、物理学や化学と違った視点から地球の歴史、とりわけ古代生物の絶滅の歴史について(長い間秘密のベールに包まれた)新しい理論が産み出せるかもしれないと等と考えていたからでした。
 いや!ダーウインが打ち立てた進化論とは違った視点から生物進化に関する理論が生み出せるかも知れないなどと、途方もない夢さえ描いていました。


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