ジョージ北峰の日記
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2004年11月13日(土) 日本人人質事件ー本当の意義

 先日、日本の若者がイラクで誘拐され殺害される事件がありました。本人は、イラクの状況を自分の目で確かめる為にバクダット入りしたようですが、やはり余りにも無謀な行為だったのでは、と思います。本人はイラクで、イラクの人々の為に何か役立つことをしたっかたのでしょう(その気持ちは分かります)が、現状認識が甘いまま(あるいは十分な予備知識を持たないまま)イラクに入ってしまった。その結果があのようなことになってしまった(のでしょう?)と考えたいのですか、本当のところは如何だったのでしょう。
 しかし、自分の若かった頃を振り返って見ますと、やはり私も、一度は歴史の最前線に身を投じ、坂本竜馬や勤皇の志士がそうだったように、人の為に役立つことをして、そして死ぬような事になったとしても、それはそれで本望だと考えたこともありました(血気盛んなころは、英雄的行為にあこがれる時があるのです)。それはとてつもなく身勝手で、自己本位、かつ自己に対する過大評価のように思いますが--(所謂分別のある大人から見れば、それこそあつかましく、勝手な思い込みをする人だな、と考えられるでしょうが)しかし誰もが一度は、そんな誇大な夢を持つ若い、または青い時期を駆け抜けてきたのではありませんか?
 彼もまた、歴史の最前線イラクで自身に何かが起こったとして、もし死ぬようなことがあったとしてもイラク戦争に、世界の人々に一石を投ずることになると、考えていたのかもしれません(そうでも考えなければ彼の行為は私には理解できないのです)。しかし、その“思い”だけは、何もしない人達より余程立派と評価してあげたいと思います(ただし思いだけですよ!)。
 しかし、ここで話したいことは、“若気のいたり”ついてではありません。閉鎖された社会に住む私たちの“一国平和主義の持つ危険性”について考えてみたいのです。
 つまり、この若者の事件に見られるように、“日本さえ戦争をしかけなければ、日本はいつも平和だと考える”ことが如何に危険かということなのです。平和は水や空気と違って、ただで買うことが出来ない代物です。平和を維持するってことは、本当は大変な労力とエネルギーを必要とするのです(現代の日本人は忘れていないかなあーー?)。
  日本は、これから先一体どうすればよいのでしょうか?
 それは、今回イラク戦争でなくなった5人の日本人、あるいはサマワで活動している自衛隊の人達の活動が、今後大変大きな意味を持って来ると考えています。つまり日本はこれまで、イラクの人達の平和の実現の為に民間人も、自衛隊も、武力を使うことなく、それこそ命がけで行動してきたし、又していると言う事実である。
 この行動こそが世界の何処の国とも違った(国際紛争を解決していく上で)大変重要な方向性を指し示しているのではないかと考えているのですが、如何なのでしょう。今後政府はこの方向の重要性を、もっと世界に対して明確にアピールしては如何なのでしょう-- この方向性は、勿論日本だけでは実現できません。アメリカのような強力なパートナーがあってはじめての事だということだけは忘れないでおきましょう。
 最近12月14日の期限をきって、自衛隊を撤退せよと言う人達がいます。それも一つの見識かもしれません。しかし、その場合は、今後どうしてイラクの復興を実現するのかと言う日本の考え方を明確に述べる必要があります。(ただアメリカの今回の行動が間違っていたから、と言うだけでは何の解決にもなりません、武力行使以外の何らかの代替案を日本が世界に提案して、その評価を得てこそ名誉ある撤退が可能になるでしょう。)
 そうしなければ、日本はそれこそアメリカにそそのかされて、自衛隊を形式的に派遣していただけ、と言われることになりかねません。それでは、これまでイラクで貢献してきた日本人の努力が水の泡と消えてしまうことになります。 
 今回の善意ある日本人若者の死が何の意味もなさず消えてしまうことになります!
 


2004年11月01日(月) 強制するべきことではない。

 最近、皇居の園遊会で、国の教育委員会の責任者であるY氏が、天皇陛下に声をかけられた時、恐縮しながら、「自分の立場は学校教育の場において“君が代”と“国旗の掲揚”を(日本のすべての学校で)実現することですが、なかなか困難で困惑している」と言うような発言をされた時、陛下が即座に「しかし強制するようなことではないと思いますが」と発言されました。
 その発言を聞いた時一瞬私は、自分の耳を疑いましたが、暫く(しばらく)してとても嬉しくなりました。それは、陛下が自分の意見を公の場ではっきり述べられたこと、決して国の飾り物のように単に奉(たてまつ)られた存在でないことを証明されたように思えたこと、からでした。
 私は、”日の丸”も“君が代”も決して嫌いではありません。前者は単純シンプルで分かりやすいシンボルである上、又君が代は日本を表現する音楽として何かとてもふさわしい音の連鎖のように思えるからです(お寺の鐘の音もそうですが)。“夕焼け小焼けの赤とんぼ”と同じくらい、日本を代表する、あるいは象徴する懐かしい曲だと思うのです(理由は自分でも定かでありませんが)。
 陛下の発言の真意は「国歌も国旗も強制されて与えられるべきものではなく自発的に大事に思う心を育む(はぐくむべき)べきですよ」と言うことではなかったでしょうか。
 さて“日の丸”が持つ意味は(暗い過去のイメージあるのなら、それを脱ぎ捨てて)日本人が将来に向けて(子孫の為に)良いイメージ作っていくべきものでしょう。
 ”日の丸”が平和のシンボルとして世界の人々から認知され歓迎される国旗になる事があれば(赤十字のマークのように)日本人としてどんなに誇らしいことでしょう。日本が国家としてノーベル平和賞の対象として表彰されるよう努力してみては如何でしょう。幸い日本国の平和憲法は世界中で認知されて来ているのではないでしょうか(私は自衛隊のような軍隊が必要ないと言っているのではありませんよ、むしろ今後、イラクにおけるような活躍を一層期待するものです)。
 ところで、日本は民主主義国家ですからどのような意見があっても良いと考えますが、皇室の存在を快く受け入れられないと言う人達もいます。その理由は、概ね同じ人間なのに特別扱いするのはおかしい、と言う意見のように思います。しかし私は世界に対して皇室ほど日本人として誇れる文化的象徴はないように考えています。日本人の中で外国で“天皇”ほど来賓として喜ばれ、大切にされる存在をいまだに知りません。(天皇には他の国の独裁者のような権力のシンボルではなく、むしろ平和のシンボルのようなイメージがあるのです。)やはり皇室も日本にとって“日の丸”“君が代”と同様(あるいはそれ以上に)に大事にすべき存在だと考えています。
 日本から皇室がなくなれば、世界に誇れる文化的遺産を失ってしまうと言っても過言ではないでしょう。
 ところでI都知事が天皇に靖国参拝をして欲しい、と言うような発現をされました。一体何のためでしょう?あの戦争(第二次世界大戦)は天皇が命令して開始されたのでしょうか?そうではなかったことになっているのではありませんか?世界中の人達があの戦争は“A級戦犯が日本をミスリード”したからと理解したのではありませんか。今“靖国神社を天皇が参拝されたら”それこそ中国を含むアジアの人達との和解は“皇室が消滅する”まで出来なくなるでしょう?そんな愚かな事をI知事は、何故今考えるのでしょう。
 天皇陛下は日本にとって“伝家の宝刀”です。陛下はどうか余程考えて慎重に行動して欲しいと願います。(民主党の皆さん、自民党との対立の視点を此処にしっかりおいてください。)戦後の日本の行動基点は其処にあるのです(これを忘れたら歴史は逆戻りしますよ!)。
 戦争で日本の為になくなられた方に対しては、本当に私たちは感謝の意を捧げなければなりません。靖国に祭られた方ばかりではありません。靖国に祭られた方にも、そうでない方にも皆を国民全体で、それこそK首相の言うように“二度と同じ過ちを繰り返さない”と誓おうではありませんか。
 それこそ日本が世界で最も信頼され尊敬されるあり方ではないでしょうか。

 今回、天皇が自らの意見を公の場で初めて述べられたことで、私はとても心強く思いました。
 (少し年寄りじみた主張かなあ?)


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