ジョージ北峰の日記
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2004年05月10日(月) イラク戦争における日本の役割

 日本が第2次世界大戦で主張した“正当性”は西欧先進諸国からのアジアの解放”であった。それはアジアにおいて日本を中心とした“大東亜共栄圏の構築”と言う夢で語られた。多くの日本人はそれを深く信じていたように思う。(いまだにその正当性を信じている人達が少なからず存在していると思う)。私の兄もアジアにおける日本軍の役割を“アジアの西欧からの解放”と考えていたようで、日本の為に自分の命を捧げることに何の躊躇いもない、と語っていた。しかし私の父は当時ジャーナリストで(中国の戦線で従軍記者だった経験から)少し違った視点から戦争を見ていた。日本が米英に宣戦布告したと聞いた時、直感的にこの戦争は負けると予測していた。なぜなら、それは日本での報道と違って、戦地での日本軍の実態は“腐敗している”と知っていたからである。日本軍の主張していた“正当性”は建前であって本音は別のところにあると悟っていたからであった。事実日本軍は占領地で日本文化の受け入れを強要し、現地の人達から根強い反発を受ける事となった。また戦線の拡大・後退とともに軍隊(と言う組織)から理性、否人間としての最低の良心すら失われていった。そして人類に原子力兵器の出現を促し、最後は被爆による多くの人々の無意味な死をもたらした。日本人こそが、国のリーダーの誤った判断が導いた悲惨な戦争の結末を最も良く知ったはずである。
 日本が第2次世界大戦で学んだこと、それは力で他国の文化を蹂躙することは決してできない、そして如何なる戦争も実は“その正当性を語ること”はとても難しいことを悟ったはずではなかったか?
 如何なる戦争も人々から自由と民主主義を奪ってしまう可能性が大なることを知ったのではなかったか?それが日本国憲法に不戦の誓いとして語られる結果になったのではなかったのか?
 日本が不戦の誓いをしたことで、戦後、日本人はすべてのエネルギーを日本の復興に集中できたこと、そのことが“今の日本”を形作ることに成功した理由であったのではなかったのか。
 日本は如何なる紛争も力で解決することに、今後とも絶対に反対する立場は堅持するべきだろう。それこそが日本が国家として“最も誇りにすべきプライオリティ-”なのである。
 しかしだからといって、戦争がすべて“悪”でなっかった事も、戦後の日本の復興をみれば明らかである。まだ現代は、ある意味でアメリカのように場合によっては強力な軍事力を行使することによって、他国の人々が苦しんでいる独裁者を取り除くことも可能である時代であるとを認めない訳にはいかないだろう。日本が再軍備を考え強力な軍隊を持ち、アメリカと同盟関係を結べば、それはそれでかなりの国家を形作ることも可能だろう。      しかしそうすればするで日本は“ピエロ”か“トラの威を借りた狐”と世界中から馬鹿にされてしまうだろう。やはり日本はアメリカとは異なった立場から世界の国々に貢献できる国、アメリカの同盟国として信頼される国になるよう努力すべきである。
 その立場から、現段階のイラク戦争に日本はどう関わっていくべきだろうか?勿論、日本の世界における立場(アメリカの同盟国としても、アメリカに次ぐ経済大国としても)から考えて、9・11の後遺症に苦しむアメリカのイラク戦争をただ非難するだけで済ませるようなことはできないだろう。イラク戦争はアメリカの横暴と言うより、フセイン政権の世界情勢の読み間違いから生じたこと大と考えるべきだろう。
 しかしフセイン政権が倒れ、大量破壊兵器が発見できなっかた現段階でアメリカはイラク戦争を一旦停止すべきで、大量破壊兵器の調査だけでも、早い機会に国連に委譲するよう薦める、そしてイラクの人々には、今こそ、豊かな国づくりにエネルギーを向けるよう薦める事だろう。その為に、日本が全力で協力することを惜しまない、と絶えず主張すべきであろう。自衛隊をイラクに派遣していることは日本の本意ではなく、戦後の復興に対する日本の立場を知ってもらう為だと主張すべきで、イラクに平和が来れば(あるいは約束されれば)日本は直ちに、自衛隊派遣は文民派遣に切り替えることに異存はない、むしろそれを望んでいると主張することだろう。
 アメリカといえども軍事力だけでイラクの人々の心を支配することは無理である。フセイン政権を倒した時迄は、イラクの人々の中にはアメリカに感謝した人も多かったと思う。
 しかしその後のニュースはアメリカにとって芳しくないものばかりである。今からでも遅くはない、今後の世界情勢の分析と行動に誤らないようアメリカに進言することこそ、日本が今果たすべき重要な役割であるとk首相は忘れないでほしい。


ジョージ北峰 |MAIL