ジョージ北峰の日記
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2003年10月19日(日) 雪女、クローンAの愛と哀しみーつづき

 重苦しい夜が明けると、強い日差しが診療所の窓枠に絡む朝顔の蔓の合間から差し込んで来た。赤、紫の朝顔が早朝のすがすがしい空気を満喫するかのように一斉に花開く、とほとんど同時にほとばしる滝のしぶきが岩を激しく打ち付けるかのごとく、蝉の声が喧(かまびす)しく辺りから一斉に降り注いできた。私が眠気覚ましにコーヒーを入れようとしていると、彼女もすがすがしい顔で起きて来て、あなたは座っていて頂戴、私が入れるわ。今朝はとても気分がいいの、と微笑を浮かべ朝食の準備を始めた。彼女は未だ自分の不幸については何も知らなかった。そんな彼女の後姿を見ていると何故かとても哀れに思われ、突然愛(いと)しい、どうしようもない気分に襲われた。私はそっと近づくと、背後から彼女を抱きしめていた。
 どうしたの?驚くじゃない!とだけ言った。私は涙が出そうになったが、何とかこらえた。
 さわやかな夏の朝で、彼女は気分が良さそうだったが、私の心は梅雨の雨雲のように重たかった。彼女は、如何したの気分でも悪いの?何があったのと言った。とうとう私はC先生の話をすることにした。
 C先生は今回の妊娠はやめるべきだと言うのだ。
 彼女の表情は一瞬こわばったように見えた。それでも、明るく、何故?と尋ねる。私は出来るだけ穏やかに、ゆっくり時間をかけて話すことにした。結局、君の命を救うためには、妊娠をこのまま継続することが困難ということらしい。今直ちに手術をすれば君の命を救うことが出来るかもしれない、と言うのだ。私の本心は、君がC先生の考えに従ってくれることがベストの選択だと考えている。
 その間、彼女は静かに話を聴いていた。私は子供を産むことが出来ないの?腫瘍が大きくなって、子供の命が失われるってこと?
 それは分からない、ただ子供が産まれる頃には腫瘍は全身に転移するだろう、そうすれば君の命は保障できないってことだ。私にとって君の命がとても大事なことは分かっているだろう。
 私の話に、彼女は意外に冷静な対応をした。
 私の命のことは自分で考える。しかし、子供は自分で自分の運命について何も主張できないのよ、ただ私を信頼して生きているだけ。そんな子供の命を奪うことなど私には絶対に出来ない。私の決心は、この子を無事に誕生させること、もしそれが不可能なことで、この子が死ぬのなら私も一緒に死ぬつもり。そんな私の気持ちをあなただけは理解してくれていると信じていたわ。今のあなたの話を聞いて驚いたわ。彼女の眼から涙があふれ出てきた。
 彼女の気持ちは充分理解していたつもりだった。しかし、やはり私には如何すればよいか分からなかったのだ。私の姉は若くて癌で死んだ、そして父は癌抑制遺伝子で治療した細胞を使ってクローン人間、私を誕生させた。でもやはり駄目だったのね。姉より癌の発生が遅れただけ。昔、私があなたにクローンについて尋ねた時から、今回のことはある程度予測していたのよ。
 それでも私が姉より幸運だったのは予想に反して子供が出来たこと。だから私は最初から、この子を絶対に産むと決めていたの。
 しかし、癌の治療をして、もう一度妊娠することだって可能だと思うよ。と私が言うと、それを遮(さえぎ)るように、いえ、もう二度と妊娠することはないわ!これが最初で、最後のチャンスよ!
  つづく


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