『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2005年05月29日(日) アマポーラ

あたしがいなくても
ほんとうはだいじょうぶなんでしょう?と
そう、ひとつひとつのものごとに
貼りつけてまわっているおろかもののあることです

止むにやまれず気まぐれにじょきりと切りはなされた髪の毛が
ごみ箱の中で黙っていて
かなしいでしょうと尋ねられてもたぶん
よくわかんない、と応えるくらい

尋ねかける人がいないからたぶんこのままずっと行けるよ

夏の刻印、
そんなのはもう、イラナイ、のですが

今年は大変になるのかなと
色んな予感を前に
勝手に想像をめぐらせてひとり止まらなくなってしまったりするので
できれば、あんまり
目をさまさせないで欲しいとか
我儘なことを考えていたりします

痛いから解放されて休みたいなと思うのはやっぱり弱い証拠かな

河川敷のポピー畑がもうすぐなくなるから
お休みの日、すべりこみで連れて行ってもらった
生きているのにどこか乾いた紙みたいな薄い花は
アートフラワーの手ざわりに少し似ていると思った
光をとおしてあかるい赤の色が風で翻っていて
たくさんの人が花摘みにくりだしている、そんな日曜日

誰のことも思いださなかった
ただ、ひらひらと止まらない赤の濃淡やピンクや
ところどころにまじる白の点描をぼんやりとみていて
ときどき差してくる日ざしは強くて明るくて眩しいんだ
かしゃり、と落ちるカメラのシャッターは
あたしの記憶力の代わりになにかを憶えてくれたかな

歩いていたら熱出して
また、すこし泣いた
たぶん世界と相性がよくない
つまらなくてつまらなくてひどくさびしい

がんばろうと思ってるんだけどね
うん
がんばろうと、思うんだけどね

なにかを少しずつ棄てて棄てられているような感触が
むこうの片方で少しずつ順調にふくらんでゆくのを
どうしたらどうにかなれるのかなと
たやすく途方にくれたままからっぽになっていくような

枕もとにくったりと
首のうなだれた赤い花
つぼみは明日ひらくと聞きました
手折ってきてごめんね
ほんとうにあした、咲いてくれる?



5月29日、夜



2005年05月28日(土) calling you

眠っていられなくて起きてしまうこと
横たわってもいられないこと
いろんな理由で
なかみの暴れまわっている自分のうらめしいこと

予定がある人のことがまぶしかったり
遊びにいける人をいいないいなと
うらやんでしまったりする
その日まかせじゃなく朝起きて
ふつうにごはんを食べて
決まったことをきちんとできること
それが、遠いだけじゃなくて
自分をみていじけてふさぎ込んでしまったりして

つまり
いろいろうまく行っていないんだ、って
それだけのこと、ですよ

ひんやりアイスノンがつめたくてうれしい
腫れあがってくれる顔には、いつまでたっても
慣れることができなくて平気にもなれない
くやしい

誰ものことが遠く遠くになっていって
どこかが深く眠ったまま目をさませなくなってしまう
夕刻の屋上で足をふみはずすかどうか考えていた
そんな夢を見ていた
手足の先のほうに夕闇の残像
たよりたいときにあなたはいない
手紙も電話も何ひとつやってこないから
だれも助けてはくれないから
自分で何とか決めなくちゃいけないって
あのひとに知られたらきっとかなしませるに違いないことが
ほんとう、になってしまって

……たくさん文句なんていわせてもらったから
もう少しがんばってこよう

ごめんなさい
ありがとう

ごめんなさい


5月28日、朝



2005年05月26日(木) 白い花つみ、猫時間

ひとけのない広場だけの公園にしろつめくさを見つけた
ポランの広場の夏祭りには
時間も季節も少し早すぎるが
ここにやってくるのは
すべすべした毛並みののらねこ5匹だって
ぼくは知っている

しゃがみこんで待っていたならば
きちんと夕刻になっていく
うっすらとつめたい風も吹いていて
空はどんどん白くなり

夕方6時の猫時間

いちばん寄ってくるのは
左目のみえない茶色いぶちのしろねこ
すべすべしていてやや小さくて
落ち着きなくて飛び回ってばかりいるので
カメラを向けるとおかしな様子ばかり撮れてしまう
今日はまた
ぼくの摘んだしろつめくさとクローバーのちっぽけな花束に
ふしぎとご執心。近寄っては花をからかって
とうとう、両手でとびかかって押さえつけてみたり

色黒のしまねこは
つつじの植え込みのあたりから
いつもこちらを見に来るらしい
それ以上、近寄りはしないけど
まるい顔

花屋さんで買うかわりにのっぱらで少しだけ
おすそわけしてもらった花を枕もとに挿してみて
今日の日をおしまいにしよう
熱っぽいから水をさして
それから、花のお茶でも入れて

つめくさのあかりをたどって行く
ポラーノの広場の夏祭り

また行こうね


5月26日



2005年05月22日(日) 世界とタイミングのずれた僕

気がついたら15分も時計が遅れていたので
すっかりもう、嫌になってしまった

そんなちっぽけなことであっさりと絶望してしまえることのたやすさだ。

あきらめたことを数えていったらはてしない
長い長い線路づたいに銀河星系くらいまで行けるだろう
枕木のひとつに憤懣がひとつ
やりこめられてかたくなに凍る

あかるいうたを
うたっていたひとはどこへ

何もわからなくなってしまう
ただ
がつがつと動く世界の時計の針を
いっしょけんめ追いかけるくらい
埋まらない時差を
広げまいとして追いかけるくらい

まっくろなものが
どこからでも来るのが
見えていてでも
逃げ方を知らない

……さよなら。ぼくはあそこに行くんだ。

偉くないよ。
ちっとも
偉くなんてないよ。


5月22日、夜



2005年05月21日(土) 淡空

自分がほんとうはいやなやつだということを
よくよく知っていて感じていて、それでもなんだか
ごはんを食べたり外を見て
ああきれいだなと漠然と感じているような部分もあること

ぽやっとただ居て
それだけでなぜかもう
もういらないと
思ってしまいそうになるから
ぼくはもっと
注意を払いながら
やっていかなければいけない

……ひとつぶの雨だれさえにも気を配り。

いけなかったのに。

もういらない、と
パンだねのように
ふくふくと豊かにふくらんでいく
まろやかに日に照らされて
まるで幸福な日曜日の姿みたいに
しずかにまるく満ちたりて
窓辺でぬくもっている……「もういらない」

いらない、いらない、いらない。


・・・・・・・・・・


生きるとかしぬとか
かなしいことはもういらないよと何度も心から叫びました
黙って叫びました
でもかみさまはぼくをそれらから切りはなしてくれるわけではないから
ぼくはやっぱりかなしいと思うことをやめられなかったし
きっとやめたいとも思っていないのだ
やわやわと包み込むようだった春空のこととか
ビルの合間の虹や、あっけなく散った淡い花が
まだすぐ昨日に揺れているような気がしてならない


・・・・・・・・・・


悪いのは誰かじゃないよ
ただ
なぜかしらこの空気に触れて
それだけでやられているぼくが
少しばかり何かに足りなかっただけ
それだけの話

やんわりと満ちた空
やんわりと満ちた風
窓をあけてぼんやり触れる
それでもう
存分にみちたりて

みんなみんな
やさしい



5月21日、昼



2005年05月15日(日) 涙形

流れていくのを見て言う

あああたしって
かなしかったんだ。


そうしてふっと落ちていく
ことばがぽとりと
胸の中に落ちていく
角のとれてしまった昨日が
転がり転がり
そこらじゅうに波紋をつくりながら
鳴らない鈴のように

涙。

あなたがやってくると
わたしの涙腺はこわれてしまう
もしくは
ただしいかたちをとりもどしてしまう。

だからわたしは
あなたのことが苦手
あなたのことが
とてもきらい。

あなたがいないと生きていけないと
心のそこから信じてしまう瞬間なんて

物語の中にしかあってはならなかった
からだには刻んではならなかった
あんまりに鮮明で仕方のない
そんな理不尽な疾駆なんて

融けかけたこれらをあたしはまた
なんとかして凝固させなければならない
それは気の遠くなるような巨大な作業で
そして目を逸らすことさえできれば
たやすく完了してしまうから

どちらがほんとうなのかわからないで凍りついていく
かなしいということも
知らないでいいように


5月15日、夜



2005年05月14日(土) ふふふ。

うれしいこと

別に大声でふれまわるほどのことでもないけど
でも、うれしいこと

それを思ったらなんとなく
ふふふと笑うこと

ちっぽけにつむいできた何年間かの昨日
何も意味をもてないわけじゃないと
少しだけ思ってもいいかな
思ったらいいかな

握りつぶしてそれでも生きのびる
血や痛みととなりあわせでも
たとえばいつかあのひとに会いたいと思いながら

輝いていないぶん
ちっぽけで地味で
ひかりを放つ

はるがきて蒲公英の花のほころびるように
ある日、あかるくあかるく
うれしいことはそこに転がっていて

ぼくはそうして
ふふふと笑う


5月14日、午後



2005年05月10日(火) 一過性暴風雨

痛みと疲労でなんにもかんがえられない
それしかあたまのなかにうかばない
みっつのことばだけであたしができてた



2005年05月08日(日) かぎりなくうすあかるく、草の匂

車に乗っけてもらってれんげを見に行く
空想して計画していたよりはずっとひとまかせの

久しぶりにれんげを見たけれど
(何年も前に屋久島でみた海を臨むれんげ畑の次に)
もう、その色は思っていたのよりずっと濃くて
ほんとうは、むらさき、というほうが正しいような気がした


痛いなあとか
苦しいなあとかいうことは
続いていくんだけれど
ひとりっきりで畑の土をふかふか踏んで
摘む花を探しているとなんとなく
忘れていける気がして

たとえば20年も前くらいにもこうだった気がする
同じようにひとりで
おなじように夢中で
おなじようにどこまでもどこまでも
歩いていて
振り返ったら、叱られていて
叱られるときのことを知っていて

それでも、花を探している

握りしめた左の手のひらの中でくたくたと少しずつみどりの茎が
しおれていって、その匂いがとてもなつかしかったこと

足を止めてもとに戻れば
ぼくは5歳ではなく
痛いのと苦しいのがまた酷い

けども。

とうめいなビーカーに
青いビー玉を沈めて
かちゃかちゃとガラスの破片を落とし
枕もとでれんげが揺れている
くったりとしていたちっぽけな花束は
順調に水を吸い上げて
もう
すっきりと天井に首をのばしていることだよ

この花をながめながら眠ろうかと思う
おくすりのんで
おくすり塗って
どきどきする心臓もこれ以上
暴れなければよく

……風が吹きわたっているとき、
ぼくはすこし元気が出るし
風が止まってしまえば
もうそのまま息まで止まってしまいそうになるから

緑をながめて
ふらふら揺れる


少しだけ、ください。


もう十年くらい摘んでいなかったみどりの茎を
ぷっつりとこの手で折ってみた日
そらは、うすあかるくて
もやもやとした雲に覆われながら
白くひかる太陽が影さしていた
気まぐれに散っていくたんぽぽの綿毛は
空よりも雲よりも
白くひかって飛んでいた


5月8日、夜



2005年05月07日(土) 人生修養中

痛いので寝ている

寝ることができるのでよかったなと思う


朝、てんてんとひるま、
夕方のひざしが差し込むので部屋のなかがあかるくなって
起き出してきてお水を飲むけれど
からだが受け付けてくれなかったりする

亢進しすぎな免疫機能は
ときどきすごくおばかさん、
あきれてもあきれても
去ってゆかないの
なぜって私の肉体なので
そのものなので

痛いのを我慢していると寒くなるって知ってた?


四日前にできたことが今はできない、とかって
そんなのはちょっと、あんまり
かなしいですね
いくら繰り返していることでも
また四日たてば何かが変わるにちがいなくても
……ちがうかな。

できることなら編み物もしたかったし
書きたい手紙もあったのだけど
そうしたい、と思えたのはどうしてかと思うくらい
自分のなかみがおだやかに沈殿した
どろ沼のようになっていること
枕もとにつみかさねた雑誌と本と
手に取れないまんまうとうとと眠る

眠って、眠って
痛いのがもし去っていてくれたら
あしたが晴れたら
近所にあるらしいれんげ畑をながめに
靴をはいて外へ出て行こう



5月7日、夜



2005年05月02日(月) ひとり遊ぶ

わたしは自分のからだが大きすぎると感じるし
自分の声がうるさすぎると感じる

消えてもいいですかと
尋ねたくて尋ねられないのは
答えを知っているからで
それでもやはり
ノウ、と言ってもらいたいことは
あるよね、、、?

わがままなあたしたちにささげる賛歌。


書けるときは、書きます
読めるときは、読みます
描けるときは描いて
なにやかや
通ってきたところに点々と続くものどもがみんな
なにかの証明になってくれたらよかった

ただのペンを持って
刃とたたかおうとするのは
まっとうで
かなしくて
果ての見えないことですね。
それでもあたしは
あなたにそれをやれと言うし
あたしにそれをやれと
求め続けるにちがいなく

くたびれたね、と
笑えるくらいのぬくもりは
ほしいとここに
記してまた

出かけて。


近すぎて遠いひとと遠すぎて近いひと
どちらもみんなみんな
隔てられた幕の外で
わらっている。


5月3日、夜



2005年05月01日(日) うき。

語るはずじゃなかったことばを
うながされるまま発してしまったので
少しばかり
困惑していることですよ
怯えていることですよ

祈りにも通じるくらいにつよく
願いはじめてしまうことです
返答のない発言
まよなかのたわむれに
あたしが懸かる。

たのしい、ってなんだったっけ
おいしい、ってなんだったっけ
好きって、
なんだったっけ

がらんどうで途方に暮れている
外には雨が降っている

そう伝えたらいいような気がした
でも伝えても仕方ないような気がした
邪魔する気がした
傷つけるような気がした

たくさんたくさんの可能性を思って誰かがまたひとつ鎧を着る

(あたしが着せているかもわからない。)

待ち望むのはたとえばあのひとのことばばかりなので
そんなやつどこかへいってしまえばいいのに、と
くるくる舞い踊る乱雑な自分に
あきれていること

しかしながら消えない、
世間ではこれをもしかしてコイゴコロと呼ぶかもしれないので
厳重に封印して縄をかけてどこかへしまっておこう。

額がひきつるのは発作の前兆だ
泣きつく腕はない
そんなことも
はっきりしていて。


凍り付いているばかなやつ。



5月1日、雨の真夜中


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真火 [MAIL]

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