『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2004年03月29日(月) ナノハナ

鏡の中のおばけをみたくなくて目をそむけていました
戦争の話を読んで戦争の夢をみておびえていました
眠ることを怖がっていました
目を覚ますことを厭がっていました
夢と現実の境目がわからなくなって
昨日と今日の区別がつかなくなって
記憶はほとんど何も残らなくて
あしあとも残せず
話すこともなく

それでもわたしは息をして、食べものを咀嚼して、そうして眠って、目覚めて、
ただそれだけしかしていなくとも一応のところ
「存在している」ことだけは確かで
それをいいかげん消したくて仕方がないのも確かなことだとしても

せかいにむかって
手を伸ばさなければならないとふいに思った
こわくてもこわくてもこわくてもこわくても
自分とせかいのあいだにある糸を
切るのじゃなく結ぶためにこの手を使って
わたしをつなぎとめなくちゃいけないと思った

おそろしいこと
玄関の扉を開けて
靴をはいて外に出ること
誰かと言葉を交わすこと
まっすぐ前を向いて
歩くこと

逃げたいから逃げた
わたしは
死にたいに近寄って行って
その手をとった

わたしのなかのわたし、輪郭も目鼻ももうぐずぐずにとけて
意味もなんにも読みとれなくて、あしたは消えていった
名前も消えていった、ただぐちゃぐちゃの過去だけ持って


だけど


こわくてもこわくてもこわくてもこわくても


また、
春は来るから

また、
菜の花は咲くから

この空の色を
わたしは、知っているから


この気持ちが長続きするなんて思えないけど
死んでいきたいのとどっちが正気なのか
ほんとうのところよくわかってもいないんだけど

もしもこれが気の迷いなら迷っているうちは
こわいことに手を染めてみよう

……たどたどしく言葉にすればそんなような気持ちで
もう書けないと思った日記を、必死に書いてみる
へたくそなことばを書きつらねてみる


こんなことなのに、あたしはこわかった。
こんなことなのに、あたしはこわい。


……菜の花の黄色はいつもみずいろのそらを背中にかかえて
ふわふわと笑うみたいに揺れている


おやすみなさい

おやすみなさい



3月29日、夜 真火



2004年03月04日(木) 左耳のなかで囁き

わたしなんかいらない

わたしなんかいらない

わたしなんかいらない

わたしなんかいらない

おまえなんていらない


おかえりなさいと言ったらハハは不機嫌になじったのだった
けれどあの人をこんな場所でさらし者にする資格なんてわたしにはなく
わたし、というやつが生きていくために、かぞく、が支払っている
じかん、やおかね、を数えて数えて数えて、一円を、かぞえて

  ああなんでもいいから働かなくてはいけないのだ
  そうしないとぼくはこの自分でつくりだしたふじゆうから
  ときはなたれることなんてできやしない
  おてんとうさまの下を顔をあげてあるくことなんて
  恥ずかしくてできやしないのだ
  やってはいけないことなのだ
  こんな役立たずのなにも作り出せない腕のぼくには


・・・・・・わたしなんていらない


世界にかんずるこわさと不安をすべて紙の上に書き表せたとしたらたぶん
ぼくは本当にきちがいみたいにこまかな屑になってそこに飛び散るだろう
自分なんかどこにもいなくていいんだと一秒ごとにたたきつけてやられる

誰かが死んだという話が舞い込んでくるたびに
そうしてそこでいのちをうばわれたのが
その人でなくわたしではなかったんだろうと
考える。

たぶんみんなたくさんの誰かに必要とされていたのに
こんなどうしようもないぼくがただぼんやりと生きていて
そうでないほかのひとが次々といなくなってしまうなんか


ぼくなんていらない。



3月4日、夕刻 真火


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