『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2002年09月29日(日) 天井桟敷のヒトビト

ひさしぶりに、外に出た。

ゆっくり、ゆっくり、パニックに陥らないように
(それでもやっぱり最後には泣き言をいいかけたけど)
急き立てられても自分を消しちゃわないように
吐き気を抑えて、
自傷衝動も捩じ切って、
正気の仮面を被って、

やってくる。

六本木。
俳優座劇場。

はじめてここに来たときわたしは確か小学校の二年生くらいで
そのときの演目は「フィガロの結婚」だった。
それから何度か、
そういえば、ともだちと来ておおよそ4時間近くも狭っこい座席に詰め込まれて
沖縄戦をタイトルに取った知り合いの卒業公演を見たこともある。

なんだかなつかしい。

劇場には、よく通った。
俳優座劇場もそうだけれど
新大久保にあるグローブ座にも、何度も行った。
シェイクスピアの演目は、ここでやるの。
円形の舞台をぐるりと囲む三階建ての客席で、
まるで本当に、昔ながらのイギリスの芝居小屋のつくりだから。
経営不振で今は劇場だけ残してからっぽになってしまったけど
(ジャニーズが買い取った、なにをするんだろとわたしの大好きな役者さんが言っていた)
わたしは
あの木立に囲まれた小さな劇場がとても好きでした。


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演劇をすることはやっぱり仮面をかぶることに、似ていると、おもう。
舞台はやっぱり、夢なのだと、おもう。

十回たらず、踊るものとして舞台に立った。
衣装も、靴も、はじめてのものがひたすら嬉しかったときも
力のなさに苛まれて何もかもがぎこちなかったときも
それから最初で最後の役をもらったときも。
トゥシューズをはいて、照りつける熱いスポットの中で
踊っていた。

おおよそ二十回くらいか。
演じるものとして舞台に立った。
12歳、、、、、、最初は、そんなに長く続けるつもりじゃなかったのに。
気がついたらもう手離すことができなくて、
いろんな無茶をやった。こころもずたぼろにした。
友達も切った。わたしも切られた。
それでも最後にはいつもいつも笑っていた。
カーテンコールのときはいつも、
笑っていた。

笑うことができなくなっても、わたしは捨てられなかった。
泥仕合みたいな無言のせめぎあいを続けながら練習を続けて、続けて、続けて、
呼吸困難になった。
声が出なくなった。
指から腕を無数に傷つけて
稽古場に向かう電車のなかでは必ず

それでも、

観るものにはなりたくなかった。


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中学校で入部して最初に迎えた公演で
台本はちっともおもしろくなかった。
夏休み中の公演で、暑くて、練習もきつくて
でも一年生だから役なんてろくになくて
スポットライトの快感はもうとうに知っていた、だからこそ
目の前で繰り返される「お話」がつまらなかった、生意気な12歳で。

そのリハーサルのときに、顧問の先生がわたしに言ったの。
最初のところ、代役お願い、って。

だからわたしは、無人の、
ひろいひろい体育館のステージの真ん中にぽつんと座って、
最初のせりふを言った。

「少女」

……体育館じゅうにひびいていったあのひとことの発声が
たぶん、わたしをみごとに頭から食ったのだと思う。
舞台のなかに、ぱっくりと飲み込んで
そうして生々しくて残酷だけどものすごくはげしいひかりみたいな歓びがある
夢を持たせてしまったのだと思う。

いちばんひどい喧嘩も
いちばんはげしい涙も
いちばんすてきな思いも
いちばんだいじな友達も、ぜんぶ、
そこで出会った。

舞台の上。

二十歳。
ずたぼろになったわたしはその夢を手離した。
その頃につけた傷は今でも消えない。
左腕のあちこちで炎症の陰に隠れて白く残って息をひそめている。


だけど。

あのときの、あの、体育館中をじぶんにしたような
あのふしぎな響きという、おそろしいくらいのこころよさは
今でも
気がつくと、わたしをひきずりまわしてやまない。


かえりたい。


ときどき思う。


かえれないまでも。


かえりたい。


とほうもない、ばかみたいな夢にまだ
どっぷりと耳の中まで、浸かって。


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今日もまた、わたしはうっかりと夢をみてしまいました。
「いつか飛べるかもしれない」、
そんなふうなばかみたいなことばにかぎりなくそれは近くて
そうしてどうしようもなく間近に迫ってくる、熱くて、まぶしくて、
カーテンコールのあと誘い出されたように出て行く外の世界をあっさりと霞ませるくらいに
鮮明な夢で。
それでいて、ひどく遠い夢で。


わたしは、圧倒的なその力の中でいつまでもたゆたっていたくて、
いくらでも押し寄せてくる夢のなかにいたくて
だからいつも、黙ったままうつむいて、ことばすくなでいたいのに
カーテンコールが終わるなりごうごうと降り落ちて来る
元のせかいに住む人たちの立てることばや顔立ちや家路に着こうと急ぐ帰り支度や
足取りやなにかのそのすべてが気に入らなくて
まるで世界じゅうを敵にまわしたみたいな思いを押さえ込んで
ふくらんではちきれそうになる自分をなだめあやしながら
その人たちの最後の最後に、注意深く「その場所」を出て行く。
がんがんと傷む頭を抱えて。

わたし、というひとつの役を演じながら
ふわふわと、人間のふりをしながら
後ろ髪を鷲掴みされて、それでも
その夢はひとりでに勝手に、パチンとはじけて、終わってしまったから。
だから。


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  世界は即ち劇場の舞台、人は男も女もひとりひとりが役者
  生まれたときから自分の役をあいつとめては、死んでゆく、死んでゆく、

  死んでゆく


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もしも。
来た道を逆にたどれば、いつでももとの場所に帰れると言うのなら
それはほんとうにしあわせなことのように、わたしには思えます。
あるいは、穏やかなふしあわせのように

わたしには、思えます。


幕前と幕後では、姿かたちもまったく変えてしまうような、あやうい世界のどこかで
なにか、きょうも、
熱に浮かされたみたいなぽっかりとした空間が
いつも、わたしのあとをついてまわっているような
そんな空想に耽りながら。

閉じられていないマンホールの穴は
ふいに取り囲んでくるエアポケットは
せかいじゅうのあちこちにあいている
その周囲を、
ふらふらと歩きながら。



まなほ



2002年09月24日(火) 壊れたキカイ

ただ、それは、なんのことはなく
立っていた河原にびゅうっと風が吹いて
カメラが
がつん、と地面におちて
それを拾い上げたわたしの手が砂埃をはらって
そうしてなでた、つや消しの銀色のまるこいしかくのフォルム。

ほんの少し傷がついて
飛び出したリチウム電池のメタリックな水色が
ころころと、舗装道路の上を、ころがった。

それだけのこと。

壊れたのは、ひかり。
わたしの手の中で、もう
ひからなかった
カメラ。

すきこのんで、ひかりばかり撮るお陰で
普段からあまり使ってさえいないフラッシュが
どうやらこわれてしまったようだと
ためすがめつしてみて、結論付けるなかで、


「 でも、こわれた。」


ちいさなうつろがわたしのなかにできたのをみて
たいしたことはないのよと、言い聞かせる誰かがいて
でも
見上げたこの空の透明な秋色を留めておきたかったとか
道端のその木の葉の黄色と橙のアレンジを焼き付けておきたかったとか
そんなことを頭の端っこに留め置かせつつ

ただそれまで使っていたカメラを両親に持っていかれたというだけの理由で
しかたなく使いはじめたのが、いつのまにか
何百枚ものカットを切り取って
手になじんでしまったそのカメラを、いつもの写真屋さんの店長さんにあずけて
いつもの、プリントの預かり票ではなくて、修理依頼の控えを片手にひらりと持って
わたしはうちに、かえってきました。

ちいさなちいさな旅のかえりみち。

わたしの手の延長にあった
ちいさなキカイが壊れた日


それがかえってくるまで、きみは待っていてくれますか

すこしだけつめたい風に聞いてみるのだけれど
応えはなくて


自転車のうえで
ふわりと漂ってきたあまい香りがして
今年もまた、きんもくせいが咲いたのを知って
あのたまらなく濃いこがねいろのいちめんの絨毯を思いおこして
その中に立って笑った何年かのことを思い出して
いっしょにいた誰かのことも思って

ぎゅうっと

なにかが縮こまるみたいに息を止めました。


つめたい風と
あまいあまい匂いと
ごく小さくてやわらかな
橙色の花のつくる
秋の、絨毯。


絵だけではなく、写真も、
わたしは手にし始めたけれど
結局のところ、どちらも、
どちらかのかわりには、なれないようでした。




まなほ



2002年09月21日(土) 「下ノ畑ニ居リマス」…HP開設のお知らせ

宮沢賢治という人がいました。
わたしはよく知らない人です。

わたしが生まれる前に生まれて、
生まれる前に、いなくなったから。

岩手県の中心あたりにある、花巻という場所に住んでいて
花とか空とか虫とか石とか地面とか、そんなものが大好きだったみたいなひとで
1896年の8月26日に生まれて、
学校の先生をしたり、土壌改良の研究をしたり、
法華経に入れ込んで東京に家出しては追い出されたり連れ戻されたり
からだがたいして丈夫でもないくせに、石を掘ったり野良仕事をしたり、
余った野菜をただでくばっては、農家の人にけむたがられたりして、
いくつもいくつも失敗をして
今から69年前の今日に、世界からいなくなりました。

じぶんの住んでいる場所に
イーハトーヴという名前をつけて
たくさんのお話と、詩と、
独白みたいなメモを遺して。


1933年の9月21日。


何のとくべつの親しみを持っていたわけでもない、この「人のいいお坊ちゃん」に
わたしが急激に近づいていったのは、自分で進んでそうしたというのではなくて
どちらかといえば必要に迫られてのことで
ただ、16のときに演劇部で脚色をやることになった一冊の台本が
かれの、「銀河鉄道の夜」を下敷きにしたものだったから
それだけの話です。

でも
少しずつ、みえないくらいに少しずつ
この童話作家の物語はわたしにしみとおって、まざりあって、
今では、切り離せなくなりました。
どこまでが「わたし」で、どこからが「宮沢賢治」なの?

……そんなこと、どうでもよくなって。(区別しようなんてどだい無理な話で)

好きな作家を飛び越えて、親しみ深くなってしまったこのひとを、わたしは
ミヤザワケンジ、そう呼んで
銀河鉄道というモチーフを頭のすみっこにもぐりこませて
紺色のそらに銀色の軌跡をみてみたり
刈り取りのおわった稲の切り株のならびを前にして
さっぱりとしてかなしいみたいなふしぎな色の気持ちを持ったりしながら
かなしいことってどんなことだろうと到底こたえの出ないことを思ったりしながら
てくてくひとりで歩いていました。

それは、ここのとこ10年ちかいくらいの年月。


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寝たり起きたりの生活になって、ある日思い立って
この日記をつくりました。
ひだまりらせん、別館。

別館と名付けたからには、本館がなくちゃならず、
だから、いろんなひとの手を借りて、
長いこと時間ばかりかけて
自分の両手のひらだけで、針と糸とで縫うみたいに
「ひだまりらせん」、という場所をつくりました。
あのひとが作ったイーハトーヴには及びもつかない狭さで
風も吹かない、雨のにおいも雪のつめたさもさわれないけど、
わたしのちっちゃな世界を、つくりました。

ホームページ。

まだ、本当はできあがっていなくて、ほつれも破れもたくさん残っているけれど。


2002年の9月21日。

あなたがこの世界からいなくなった日から、69年目の今日。

それはたぶんつまり、銀河ステーションのプラットフォウムからあなたが
鞄ひとつで、銀河のかなたに走っていく列車に乗って、新しい旅をはじめた日。

新しくうまれかわるのならこの日がいいと
わたしの中の誰かが言うから。
わたし、というものの中にいる、
幻影みたいな銀河鉄道ばかり追いかけている誰かが言うから
(もしかしたらその名前はカムパネルラと言うのかしれないけど)

物語は終わったときにはじまって
死んだときにまたあたらしく
始まるんだという
なんだかばくぜんとした信念という矛盾したことばにしたがって。


……ひだまりらせん、開設します。


もし、
このねじくれた場所を垣間見てやろうかという心もちの方がいましたら
どうぞ、下の住所まで、お訪ねください。


【 http://homepage3.nifty.com/spiral-garden/index.html 】


最初の訪問の際には、注意書きをお読みくださいますよう、
そうして、迷子にならないように
地図を手に入れてから、先へと進んでくださいますように。

掲示板がいくつかと、
メールフォームが用意してあります。
もしも感想などいただけたら、
また、さいわいです。




2002年、十五夜の晩に   まなほ



2002年09月19日(木) 秋来

あきれるほど行けていなかったアルバイト先の図書館に
この三日間、通いつめていました。
それはたぶん、意思だけで。
ほかにはなんにもできなくて
ぽかんとした空洞が、あいています。


  職員のひとたちはわたしの「動けなさ」や精神科通院のことを全部知っていて
  それでいて、そのまま雇い続けてくれている。
  完全に、ひとのやさしさに頼って生きている、わたしは
  きっととても恵まれているんだと思う。


窓を開けたら
風がつめたくてきもちがよくて
秋になったのだと思って
夏と秋の境目は、わたしにきびしかったけれど
その風はわたしにやさしかったから
やってゆけるかもしれない、
そう思って、

久しぶりに立った図書館のフロアは、ほんのすこし遠いものになっていました。
うまく、動かない体とか。
夏前にくらべても、またすこしばかり細ってしまったせいか
動かしにくくなったブックトラックとか……
じぶんの体重よりもはるかに重たい図書資料の山。

気がつくと意識がどんどん飛んでいて
給料泥棒だなあと苦笑したり自己嫌悪になったり
埃のせいか、ストレスのせいか、腫れてしまった顔を嫌悪したりしながら
お薬に頼りつつ
ぎりぎりの意思を引き絞って
とにかく毎日、家を出てゆきました。
そうするために、四日間念じ続けた
じぶんへのお祈りは、(あるいはじぶんへの命令は)
ようやく果たされて、
一日ずつかりかりと齧っていった、そのプログラムは
ようよう、果たされ。


今はただぼうぜんとしています。
溜め込んだ力を使い切ったのか知れず、
どこにも行かず、なんにも食べず
眠って、眠って、
通院の予定は先延ばしにして、ぼうぜんとここに。


そらは、
見上げたそらは、

あきらかに、先週に降りつづいた雨の前の
あの白っぽく反射する水色ではなくて
かといって、
その前の夏になりきる前の、黒いような青い濃いそらでもなくて、
ただ、聞こえない音がきこえてくるような
とうめいでふかい、遠い青色をしていて

秋が来たんだ、と

思って、わたしは

季節に置き去りにされたまま一年が過ぎて
タイムラグの300日分を抱えたまま
わたしはそろそろと、季節に追いつかれたようでした。


やさしい季節です。
なのに、自傷の誘惑はわたしを襲ってきます。
わたしの居場所はおしなべて資料整理のための各種のラベルやカードやテープや
筆記用具にビニダインという透明な糊のケースなんかが、びっしりと載せられた
古い灰色の三段ブックトラックの前にあって
うしろを振り返れば、
ダンボールで週三回届けられる雑誌の梱包を解くための
3本の大きなオレンジ色のカッターナイフと、はさみが、突き刺さっています。

背中にある刃物は。

手のなかにあるものは、これはわたしを傷つけるためじゃなく
仕事をこなすための道具なんだ、と言い聞かせて
でも、意識が朦朧としているとき何度かはさみで腕を切りました。
そんな失敗をしながら

三日を終えて


わたしは、この、秋のなかに、います。


季節が変わるたびに考えてしまいます。
夏がくれば、涼しげな水をみては、向日葵の黄色をみては、
入道雲の切れ端をみつけては
考えてしまいます。

昨日もまた、そうでした。

秋がくれば、空の色が変わるから。そうして、コスモスが咲くから。


「あなたに見せてあげたかった。」


いちめんに、ふわふわと
揺れる、地面のうえに浮かび上がる
ももいろの海を。




まなほ



2002年09月16日(月) 枯れかけた植物

生まれ変わったら麦になりたい

そう思ってた

そう考える、わたしの名前の意味は、「オリザ」、稲のこと
誰かが埋めた真実の種から芽を出した、「オリザ」


・・・・・・あしたにゆうべに種を蒔けよ
・・・・・・人をなぐさめる愛の種を


「……だれかの糧?」

「……植物の人?」


だから、だれかに食べられるままでも文句はいわない
植物はだまって動物に食べられます
それでいい
それが決まりだから


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わたしが育てる植物は、最近、枯れるようになりました
というよりむしろ、じぶんにこの緑を育てられる気がしなくて、
花を咲かせられるような気がしなくて
そうして世話をしているのに枯れていく植物をみて
奇妙に納得したりする
このごろで

小さい頃はたくさん花を育てたけど
このごろはちっとも
何も、咲かない。


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今、庭では野生の韮の花が白い星屑みたいにたくさんくもり空の下で
あちこちからすっくりとのびて群をなしていて
わたしはただ
その白さと緑のみずみずしさとすこやかさに
穢れなさに
毎年のことながら、憧れてる。

自分をふりかえるとそこは無機質な黒い空間で
誰かがいる、
厳しい佇まいの白い服の骨ばったおんなのひとと
理由のわからない憤りをみなぎらせている真っ黒な真っ黒な怖いこわい男の人がいて
そのなかで
ちいさな少女がまっしろな何もないつめたいベッドに座って
顔を伏せてる、
肩のあたりをつぼめてちぢこまって
ただ、消えたいのに逃げ出せないからできるだけ小さくなって
注がれる視線の中でつぶれて消えていきたいのに
それができない

医務室みたいな部屋の中で
何年もえんえんと続いている、つめたいつめたいうすぐらいドラマ
気がついたら、ここ何年も、もしかしたら十年も抱え込まれている
しまいこまれている

「心象風景」。

扉がバタンと開いたらそれがみえる

だいじょうぶだよと言う声は、いつも
女の人の冷たさと厳しさと
男の人が発散しつづけてる容赦なくおそろしい黒いものに阻まれて
あの子には、とどかない


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この、目の前で枯れかけてく植物を
もういちどみどりに戻すことができたら
返すことができたら
わたしはもう少し、強くてやさしいものになれるかもしれない

そんな、体のいい
密かな願い事みたいな気持ちで
きのう、
ほんとに久しぶりに出た外の場所で
ちっちゃなアンプルの液肥を買った
半透明の容器に、人工的なグリーンの液体、
栄養素


  ごはんをあげるね
  今まで放っておいて、ごめんね
  これがまだ、間に合うのなら
  元気になってね


ひとしずく、ふたしずく、
きみの根元に注いだ


外はすっかり秋で
さむくて
風には冬のにおいがうっすら混じってた



もしも・・・・・・
(わたしはかんがえる)

もしも
この手が、植物を枯らさないようになったなら
じぶんのことだけできりきり舞いして
悪寒や発作や倦怠感や、わけのわからない涙にふりまわされて
血を流さなくてもいいようになったら、
流していても
ちいさな生きものの面倒をみられるようになったら


わたしは花を育てたいです
やさしい姿をした花を
ちいさいころから大好きだった花を
あの庭に咲いていた矢車草を

わたしは育てたいです
サトくんのために


次のあなたの誕生日には間に合わないかもしれないけど
何年か先に、そんな日がきたらいいなと

ばくぜんと
願っています



9月16日(月)、朝に  まなほ



2002年09月13日(金) 振動

ここに。
何度かアクセスして。
あたらしい日記を書くためのまっしろな画面をみて
だけどキーボードを触るとことばがひとつも浮かばなくて、やっぱりもとに帰る。
そういうことを何度か繰り返して、
今日になりました。


9月も半ばにさしかかり。
夏休みも終わったはずなんだけれども、
ほんの数日の例外を除けば、ひたすら家にこもっていて
食べものへの興味とか
じぶんの体の面倒をみることとか
そういうものが磨り減っていって
活字もあまり読まなければ
映画もビデオも見なければ
なにをしているのか、よくわからない毎日です。

前には、どちらかと言えばダイエットが必要な体型をしていたはずが
気がついたら、もっと太らなければいけない体重になったらしくて
食べものを口に入れて噛んで飲み込んで、消化して栄養にすることというのも
こうなってみると結構な努力を必要とするものだなあ、なんて
ばかなことをしみじみと思ったりします。
5キロ太るのと5キロ痩せるのとどっちが難しいかといえば、選べないってこと。

ただ、ひとに手紙を送ることだけはできるようになりました。
だれかに宛てたことばなら。

次には、誰だかわからないたくさんのひとに向かってことばを言えるだろうかと
そうしたら
外に出て行けるだろうかと
ばくぜんと思ってみたりも、する。


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うちのうらに、古い古いアパートがあって
そこの解体工事が、先週から
長続きの雨にさえぎられながら、とびとびでおこなわれています。

どうやら、更地になったその場所は
ずいぶんと広く見えて
わたしはこの場所に(この家に)もうたぶん15年ほども住んでいるけれど
その場所はもっとずっと狭いと思っていたので
あけっぴろげにぽかんと向こうの路地までひろがってしまった空間をみて驚いて
急に遠くまで見渡せるようになってしまった台所の窓からの風景を
なんとなくおかしなものみたいに眺めています。

わたしにはまったく砂色の更地になってしまったように見える空き地だけど
それでも、まだ、することはあるらしく
今日は朝から工事の車が入って(改めてしげしげと眺めてみるとこれはまったく
おかしな形をした生き物だなあと思う、オレンジ色の作業機械)
だだだだだだだだ、とひっきりなしに音を立てながら地面を歩き回って
心臓をぎゅっと掴むみたいな、不審な振動をこちらに伝えてくるので
だんだんパニックの前触れのようないやなかんじが体の奥からやってくるので
逃げ出そうか逃げ出すまいか迷ってみたりしながら
それでも「ここ」にぺたりと座ったまま動かないわたしは
一体どこまで甘えているのかな、と
つかの間、振動の止んだしずけさの中で考えたり。


とりあえず病院へ行かなければならないのははっきりしているから
外に出るときに踏まなければならない手順を
薄ぼんやりしてる頭の中からひっぱりだそうと、してみる。
こういう状態に陥ると、
たとえばお金とかいう存在がひどく奇異に見えてくるから、不思議。
切符を買わなければ電車には乗れないというあたりまえのことを
知らなかったほんの小さい頃に戻れてしまうから
不思議。


どうでもいいけど恋愛という振動こそいちばん
危険きわまりないものかも知れないと、ほんとうに思う。
そんなような危険な冒険は、今わたしはしたくないので
というよりむしろできないので
それを除外した世界がもしもあったならそこに行きたい(そうして深く眠っていたい)
と、

また、ひとに笑われるようなことを
つい考えています。


じゃあ、
いってきます。



2002年09月08日(日) 「うた」

このあいだ、

谷山浩子のことを、ここで書いたら
じぶんも好きだよ、っていうひとがぽつぽついてくれて
少し、びっくりしました。
それから、こんなところでも、
検索サイトから来てくれる人がわずかながら、いて、
それが最近はなぜか
谷山浩子、とかだったりするので
ふしぎな気分です。

今まで、自分が紹介しないかぎり、知らないひとが多かったので。


ずっと前に買った「たにやまひろこ15の世界」というアルバムに
すごく短いけどこういううたがあって
それはわたしが知る限り15歳のときにひろこさんがはじめて作ってすぐに廃盤になった
レコードの復刻CDなんだけれども
そのなかにこんなうたがありました

うろおぼえのままに


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おやすみぼくのこいびと、もう泣かないで
もう泣かないで
ぼくがついててあげるから・・・夜明けまで

銀色の夜がぼくらをつつむ
旅立つ朝はもうすぐさ

おやすみぼくのこいびと、もう泣かないで
もう泣かないで
ぼくがついててあげるから
夜明けまで


(「夜明けまで」)


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これから育ってゆくまえの、ちっちゃな芽をみたような気がしました。


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もうひとりすきなうたうひとがいて
そのひとの名前は新居昭乃といいます。
このひとは、アニメがすきなひとのほうが詳しいかもしれないです。
CDが、さがしてみたら声優のコーナーにあってびっくりしたりとか
よく、ありますから……


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きみは見つめている
こわれた屋根にのぼって
この街のすべてと、それからぼくのすべてを

好きなものはきれいな色の時計
きみのためなら手に入れるよ
どんなことしても

ぼくはたたかう
かたちのないものと、きみのためだけ
たたかう

工場の煙も瓦礫もみかたなのに
ひとの思惑から逃げられないきみのきもち
おなじ夢をみたね、きみが呼んでる
どの時計よりきれいなさかながひかる海で

ぼくはたたかう
かたちのないものと
きみのためだけ、たたかう

そして
誰も知らない楽園の海にいつか行こうね、ふたりで
ふたりきりで


(「ガレキの楽園」)


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いろんなふうに聴く人がいるとおもうけど、
わたしは、ききながら、これは絶対に女の子同士のうただなあと思いました。
じぶんをぼくと呼ぶ女の子が女の子に宛てたうたなんだと。

じぶんをぼくと呼ぶ。
(わたしも、その中のひとりだけど)


ほんとうのところ、
滅多に「おんがく」は聞きません。

でも、なんとなく
このひとだけは追いかけています。

すきなものを追いかけるにも力が要るけど
切れ切れに
思い出したように
元気になるとわたしは買っておいたCDのパッケージをぴりぴりとやぶって
「ぼくのすきなうた」を
ときどき聞きに、出かけます。


手元にある、まだあけてないストック、3枚。
それから、
買ってから一年経って、でも聞ききれていない、こっこのベストアルバム。


たいせつなものは手の中にあって
でも
それをぜんぶ、ごくごく飲んでぴかぴかに笑うのは
けっこうむずかしいのかとも
思います。


すきなもの満載のページ(ぼくだけの場所)をちくちく作りながら
そんなことを考えたりも、しました。


ひとりごとみたいなことでごめんなさい。
もうしばらくしたら


このドアをあけたいです。



まなほ


 < キノウ  もくじ  あさって >


真火 [MAIL]

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