『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2002年07月31日(水) 帰り道のにおい、遺書を綴る。


それはとても晴れた日で未来なんていらないと思ってた
わたしは無力でことばを選べずに帰り道のにおいだけやさしかった
生きてゆける、そんな気がしていた

(こっこ「Raining」)


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1. 朝に


目がさめて、とつぜんに思い浮かべた鮮明な文章。


「わたしの帰り道のにおいは
 今
 やさしいだろうか」

ときどきそう、問いかけてみるのもいいのかもしれない
行き場所がなくて、生き場所がなくて、逝き場所がなくて、も。

生きてゆける気がする、ということと
生きてゆこうとおもう、ということは
本当によく似ているようだけれど
はっきりと明確に、ちがうものだと

起き抜けと暑さと微熱で、ぼんやりとした頭になぜだかおもいうかんだ。

わたしはいま、
そのなかの
どの位置にいる?
どの場所で
わたしは崖っぷちに腰掛け足をぶらつかせながら、
あの旋律を、世界が終わるうたを、うたっている?

このからだをかかえて外の世界にゆこう。
わたしに冷たく、そしてあたたかく、けれどなんのにおいもしない
無味乾燥な場所へ。

悲観するつもりは毛頭なくて
むしろわたしは感謝します
ただ、傷だらけの足で外に出てゆける、単純でしかたのないそのことがらに
こうしてなにかを綴れる指が、腕が、まだ、
残っているというそのことに。


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2. 西に住むひとへ


ねえ、あなたは、いま、
「生きてゆける気がする」?
それとも
「生きてゆきたいと思っている」?


降ってきたことばのカケラにたいして
とおいとおい西の空にむかって、今、わたしがさけびかえしたいとおもうこと。


それは
とてもとても
単純でシンプルなことなんじゃないか、と
じぶんでは、思います。

愛だとか恋だとかともだちだとか
ある日を境にそういう関係はこつぜんとあらわれて
間仕切りなしに勝手に連綿とつづいて、わたしを惑わしたし惑わすけれど
じぶんというひとりの出来損ないのにんげんが
どこかから現れただれかから恋ということばを持ち込まれるたびに
大人なんて面倒くさいと吐息をついたけど、そのきもちはたぶん変わらないけど
だからこそ
わたしはおもいます。

それらの違いなしにことばをかわすことは不可能なのかもしれないけど
でも。


「関係というものにとらわれずにわたしは「あなた」のことを思いつづけています。」


そんな事柄が
いとも簡単にわたしのなかで成り立つから
わたしは、追い詰められていくのかも知れないけれど。
だれかを、ふかく、傷つけていくのかも知れないけれど。


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3. 夕方、夜、そしてまた、朝


最近、いつも、カメラを持っているようになった。
元来、凝り性のわたしがすること、
いまのわたしの生活費、数え上げてみたらお薬代と病院代のつぎに高いのが
写真のプリント代かもしれない。それくらい。

このせかいに残せるものはこれしかない、
そう思いつめているみたい。

ちいさいころからずっと
まいにち、まいにち、
歩いてきた道。のぼってきた坂。自転車で走り抜けた場所。かえってきたうち。

今日も。

ふととおりすぎることのできなかったいくつもの存在や色合いを
わたしはそのなかに見つけてしまい、そうしてまた
シャッターを切った。
40枚ほどの風景と時間をわたしは凍らせた。

カメラを持つようになってからひとつ変わったこと、それは
いつもの道がいつものように見えなくなったこと
もっと、ずっと、
細かなニュアンスでわたしのまなざしが風景を掘り続けていることに
ふと、今日、気づいた。


どこかでおもっていた。
写真は、風景とことがらを記憶に焼き付けることを、軽んじることなのだとおもっていた。
印紙のうえに焼き付けて、それで安心して、ほかのものをみなくなる、
旅の合間あいまに見かけたひとたちのことやいろんなことを思って
そうおもっていた。

でも、
ちがったんですね。


わたしの目は、いままで見えなかったものを、みつけるようになった。
空も雲も道も緑も、道端をゆく猫もいままでは見ていた、
けれど
その空の色が一時間前とちがうことや
雲のたなびき方が数秒前に見上げたときと、すでにちがうことや
つまり、刻一刻と
生まれ変わっているせかいのことや
それから小さな小さな花の色や、つぼみのねじれや、
雨に濡れて乾きかけたアスファルトの色合いや、そこに散らばる花の半透明な皺、
そういったものたちが
わたしのこころの網に
ひっかかって、ほのかにひかるように、なった。

あと足りないのは、その風景にともなって揺れ動いたこのわたし、
このわたしのこころの色。それはまだ、わたしの目にはうつらない。
ひっかかったものを写し取ることでなにかを探っているいるような気配がある、
けれど、気配は気配にすぎず、
わからないまま、わたしはシャッターを切りつづける。
一瞬のいまを。
切り取る。


もしも、その思いの色を焼き付けられるようになったのなら、、、、
帰り道をたどりながら、わたしはおもった。
はっきりと確信にみちて、わたしはおもった。


「 それが、わたしの遺書になる 」


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それはとても晴れた日で
泣くことさえ出来なくてあまりにも大地ははてしなくすべては美しく
白い服で遠くから、行列に並べずにすこし歌ってた・・・・


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遺書。
それはわたしの死を意味しない。内包はしても、指向しない。
だからたとえわたしが日々じぶんの遺書を書き続けているのだとしても
誰もなにも驚かなくていい、驚く必要なんてないと、おもう。

ただ、たぶん、
それはごまかしようのないかなしみと希望に満ちていて
くつがえすことのできない、わたしのなかの本当なのだとおもう。
徐々に徐々にこまかく繊細な糸にからまれてゆく
わたしのこころのなかにおさめられてゆく、
いつか翼になるための、羽毛の先のひとすじの毛ばだちなのだとおもう。


わたしをいろどっていく
毎秒の
この
世界からの誘いを断ることが、わたしにはできなかったから。


わたしはたぶんいつか
遺書を書き上げるだろうと
歩道橋の真中にすっくりと立ちとおいそらをのぞきながら
わたしは、思っていた。


48枚。

それが、
きょう、
それまでにくらべてあまりにも
死というものと隣り合わせにありすぎたこの年の夏の七月の終わりの日に綴った
わたしの無言のことばの数です。



2002年7月31日、そのいちにちをかけて   まなほ



2002年07月30日(火) ぼくたち(?)の失敗…

1. 無知による失敗


郵便局にゆきました。
ひさしぶりの、約束のない、ひとりで選んだ外出といえる外出でした。
どうしたらよいのかよくわからず、
ただ、郵便振替をするという義務がわたしにはあり、
そしてその振替には午後4時というタイムリミットがあり、
時計はすでに午後3時48分という微妙な時間を指していて
とにかく行かなきゃという思いだけは突っ走っていたので
着替える洋服一式は横に積んだし、髪もいちおう束ねましたがやはり怖くて外に出てゆけず
途方にくれていました、

ら、

電話が鳴りました。

相棒からの電話でした。

そこでわたしは聞きました。

私「ねえ今から急いで郵便局に行ったら4時までに間に合うと思う?」
彼「え?え?え?えーと今何時?」
私「3時50分!」
彼「……ダッシュで行けば間に合うかも」

そこでわたしはダッシュしました。


  ところで彼の電話の用件はなんだったのでしょう。
  必要に迫られてとうとう買った携帯からの初電話だったはずなのですが……
  そう、今まで彼は携帯電話を持っていなかったのです。
  あ、わたしもですが。
  今時めずらしいカップルだったんですけどね。
  その歴史には今日しっかりとピリオドがうたれたようです。
  というわけだから、これを読んだら携帯の番号を教えてください。
  いやべつに教えてくれなくてもいいけど。>彼。


着替えて自転車に乗って出かけました。
混乱の度合いを示すがごとく、
上半分がレースでできたマオカラーの白いブラウスに
ちょっとレーシーな薄いグリーンのベストをひっかぶり、
白のコットンの三段ティアードスカートをはき、
なぜかその上に青の小花模様のフレアギャザースカートを疑問ももたずにはいたため
裾からちらりとピコフリルをのぞかせつつ
当然足元はダークレッドのストラップシューズ、という
装飾華美(?)な格好でした。


  参考。
  最近、すれちがう人の視線が、上から下まで移動することがきわめて多くなりました。
  お洋服チェックをされているとともに別世界のものを見ている目つきなのは
  わたしの気のせいであることを個人的には願いたいのですが、
  友人知人口をそろえていわく、まったくそれはわたしの願望だそうです。
  そしてみんなしてこう言います。

  友人「半径1メートル以内が別世界」
  後輩「背景が北海道の花畑ですよ」
  相棒「軽井沢に行け」
  上司「まなほちゃんって赤毛のアンみたいよね」
  主任「ああわたしもそんなひらひらが着たいーー!(←因みに後日着てきました)」

  サトくんのお葬式のためにわけもわからずかなしいきもちで喪服を着たとき、
  かなしいのに喪服が異常に似合ってまるで教会のシスターのようだと言われました。
  尼寺に行け、と言われないだけわたしは感謝すべきかも知れません。
  いやはや、もう、まったく、、、。


ちなみにタイムリミットには間に合いませんでした〜♪
振替をしたかったのですが、郵便局についたのが、午後4時5分だったのです。
郵便振替の取扱い時間は4時まででした。

狭い郵便局のなか、場違いにおじょうさんな服を着たわたしは
棒立ちになってつぶやきました。

「……まにあわなかった」

きっと、かなりものすごく情けない顔をしていたんだと思います。
もしくはかなしそうな顔を。
4時でオワリなんですよ、とその郵便窓口の長身のおじさんは申し訳なさそうに言い、
そうですよねオワリですよね、、、とわたしはつぶやき
ハイ、こんどまた出直してきます、、、、と言いながら、
ふとふりかえり、
せっかく久方ぶりに外出できたのだし、質問と確認だけでもせめてしておこうと、
おずおずと窓口に近寄って、口座番号の書いてあるメモを差しだしました、
と、
局員さんはぱっと明るい顔になり、そして頼もしくも言ったのです。

「あ!ぱるる口座でもいいんですね?それじゃあそっちでできますからやりましょう!」

そして颯爽と機械の横に立ち、
振替のすべてを教授してくれたのです……

ありがとうございました。
ほんとにほんとに
ありがとうございました…。
おかげでひとつかしこくなれました。

だって。
ぱるる口座というものを使うとキャッシュディスペンサーで送金ができたのですね、、、
これでもう、わたしは、
午後4時までに必死になって炎天下に出かけて間に合わなくて哀しく日焼けしたり
待ち合わせの時間までに必死になって書いた送金用紙を振替専用機械に吐き出されて
窓口にお回りくださいなどと機械の合成音にそっけなく指示されたり
そしてその窓口は4時までで無人になっていてとぼとぼと待ち合わせ場所に向かったり、


しなくても、よかったんですね、、、、。



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2. 世界にたぶらかされる失敗


突然ですが、
わたし思うんです。

いくら、からだやらこころやらのあちこちが壊れていて、
おうちに半ばこもりきりの療養とは言っても
調子がよいときだけバイトに行って雑誌の面倒をみればいいと言っても
だから週末お出かけした翌日の月曜日はオヤスミになってよくっても、
いともかんたんに世間にたぶらかされていてはいけないと
断固思うのですわたしは。わたしは。
ましてカレンダーなんて紙ペら一枚にたぶらかされるなんて、
本当にほんとうにあるべきことじゃない!
と、思うのです。


「ですが。」


どうやらワタシ、その紙切れ一枚にもてあそばれてしまいました。
思いっきりたぶらかされてしまいました、
しかも一週間という長きに渡って
ああほれほれとお手玉のように
わたしはあなたの思う壺……。
嗚呼もういっそ目の幅のナミダでも流してしまいたひ。

だってだって、
今日、夕方、
正確には3時50分。
その例の郵便局に行かなければならないぎりぎりのタイムリミットに慌てながら
大混乱の支度をしつつ、ふと窓の外をみてヒトリゴトの自問自答をしたんです。


「ああ、こんしゅうで、しちがつもおわりなんだねえ」

「え?」

「こんしゅうでおわり、、、こんしゅうでおわり、、、」

「なにかわすれている気がする、、、なんだろう、、、なんだろう、、、、」

「・・・・・ま、いっか。」


思えばこのツブヤキと予感(と、それにつづく「ま、いっか」)が
すべてのあやまちのはじまりだった、、、
じゃなくて、
あやまちが陽のもとに晒されるはじまりだった、、、。


そして、今日、午後9時のワタシ。
久しぶりに退院した友人から電話をもらい
きゃあきゃあと電話をしていました、が、
その最中に、ふっと彼女が言いました。

彼女 「うん、いまはなつやすみなの。だってもう8月になるもんね」

わたし「………エ?」

   (カレンダーを見上げる)

わたし「ねえねえ、もしかして7月って今週でおわり?」

彼女 「うんそうだよー、はやいよねー」

わたし「……ねえ、今日って何日だっけ」

彼女 「えーとね、29日!」

わたし「…………………………………  →  →  →  →  [(◎▽◎)] (無音悲鳴)」




そりゃねいくらねわたしの人生は日々4コマ漫画の気があるとは言っても
カレンダーに騙されるとは思わなかったですよ嗚呼そうですよお。
時計にたぶらかされても車内アナウンスにたぶらかされても
忘れっぽい教授にたぶらかされてもだけどそれでも
八月のカレンダーを七月だと思い込んでながめつづけて
今週はゆっくりカラダを休めて来週の一週間をがんばって通い詰めよう♪
そうしたら来月もある程度は収入が得られてお洋服代も出せるかも♪
などと思い続けるなんて思い続けるなんて思い続けたなんて・・・・・・。


………なんて「まぬけ」なんでしょう。


と、いうわけで、私の今月のお給料(=来月の生活費?)は
5万円強のはずだったのに
カレンダーにたぶらかされたおかげで
半分以下になることが決定しました。

自分に合掌、あるいは万歳。

そしてどうなる洋服代。


いや、あの、昨晩、
来月の収入をあてこんだうえで、愛用するフェリシモで注文してしまったんですね、
民族調チュニックとか小花のトップス二枚セットとかシックにチャイナな上着とか
皮膚病の人にやさしそうなキャミソールとか………ははははは(うつろな笑い)

……ドウシヨウ。


とりあえずココまで!以下次号!! (嘘。以下来月。)


とりあえず明日とあさっては
這いずってでも図書館に行かねば行くこと行くぞ行くんだ行きなさい、「行け」、
と自分に言い聞かせるまでにほぼパニックを起こして家中をうろついて
なにがなんだかわかりません記憶がないと混乱しまくりオクスリを飲んでしまう
困ったちゃんな、わたし、、、、、。
記憶はとびまくるし通った跡には置き忘れ物がいっぱい、、、
メガネやお薬のふたを探すのは日常茶飯事にしても、
このあいだは食べようと思って冷凍庫から出したアイスクリームのことをすっかり忘れ
きちんときれいにぜんぶ溶かしてしまいました、、、。


かなしかった、、、。


溶けてしまったレモンシャーベット、
あなたはほんとはどんな味だったの?


………。


とりあえず、明日
わたしが不安発作や対人恐怖や混乱やパニックにおそわれることなく
勤務先にたどり着けるように祈ってくれるやさしいひとがいましたら、
投票ぼたんをぽちんとひとつ、わたしにください………(しくしく)



このように、繊細で病気がちと思わせながら
実は「かなり」まぬけな日々をおくるまなほ

2002年7月29日から30日に、よろよろと綴りつつ。



2002年07月26日(金) がらすのいろ、がらすいろのおと。[26日深夜、追記]

珍しく、TVチャンピオンなんていうものを見ながら書いてる。
わたしはこんなふうにパソコンにどっぷり依存して生きているけど
そのかわり、と言ってはなんだけど
自発的にテレビをつけることはほとんどない。
ここのところ一ヶ月くらい触ってないかもしれない。

スイッチひとつ、
それはわたしの役目でなくて
今日もまた、パパがつけた番組。
手造りガラスの人が出てるから。
眠り始めた人を余所に、わたしはかわりに画面を見つめる。


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がらす。

硝子。

ガラス。

とてもすきなもの。
とても、すきだったもの。


わたしの好きながらすは、まったく装飾的で、ちっとも役に立たないものだった。
それはもしかしたら、この世界にあるあの硬いがらすじゃなくて、
もっともっと空想的な思いに満ちている「イメージのかたまり」なのかもしれない。

いつか
なつのひかり、ということばを書いた。
ひらがなばかりでつむいだ
わたしのなかで呼吸しつづける、ひとつのかたち。


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  がらすいろのくうきに
  たしかにかたいてざわりをみて
  ぼくは
  びいどろのように
  こころなしかにごったみどりへと
  ふと てをのばした


  まどわくのそと
  むかし
  ぼくがとてもすきだったひとたちが
  きらきらとわらいながら
  どこかへかけていくのがみえる


  こけむしたいどのわくに
  そっとてをかけてみなもをのぞく
  そして
  ぼくはおちていく
  ひとしずくのみずになり
  あなたのてのひらのすきまから
  ぼくはおちてゆく


  そこにあるのは
  あふれかえるなつのひかり
  さわさわと さわさわと
  なにひとついろのない こえのない
  がらすいろのひかり
  がらすいろのひとたち


  なつかしい けはいがする



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何年も何年もかけて、
一字をけずりとり、一字をくわえ、いれかえ、
そうして残ったのはたったこれだけの文字だった。

これだけがすべて、
これだけですべて。

きらきら、
さらさら、
光があふれてことばから溢れだして水がたまるように
紙の上から無数の粒子やなにかがこぼれだして、わたしの足元をうずめた。
がらすの欠片に足を浸したらたぶん傷だらけになるだろうに、むしろ、
わたしはそうしたいとおもった。

なぜって、きっとそこは

ひんやりとつめたく、そしてあたたかいだろうとおもうから。
水も空気もすきとおったひかりも、それから過去も未来も、ぜんぶが
しずかに守れらて沈殿しているとおもうから。

そうして、その気になりさえすれば、「わたし」は
この汚れた一枚皮をへだてたむこうにあるきれいにすきとおったたべものを
ひかりを、のみほせるような気に、なれるから。

からだのおくそこから
黒ずんで流れる血をあらいながして
世界を見透かすことができるほどにすきとおった
つめたい、とてもきよらかな水に
変えてくれるような気が、するから。


そんな「思い」と「錯覚」だけが、
イメージと祈りを吸い取ってまるまるとふくらんで、わたしのなかでしあわせに太ってゆく。


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左手に、拾いあつめたがらすのかけらを溜めてみる。
ちいさな色とりどりのがらすの破片は
外側をたぷたぷと水に洗われて、白くくもって
サンドブラストをかけたように半透明ににごって
向こうの世界をうつさない。

かすかにきれいな音がする。
かちゃかちゃ、かたかた、からから、さらさら、、、、
薄くにごったみどり、
深いふかい青のいろ、
つつましくてささやかな白、
さまざまな色がないまぜになった、わたしの手のひらの上の、がらすの音の
なつかしさ。
あたたかさ。

(ほんとうはなんにもきこえない、だけど)

宮古島の、誰もいない小さな島の小さな小さな浜辺で、
スペインの、地中海に面するまっしろな砂浜で、
屋久島の紺碧の海でひろいあつめた、
それぞれの海の水に洗われて、そうしてわたしに拾われた、このちいさなかけらは


「きっといつか、水に還るだろう。」


そんなばかみたいなことをココロの片隅で信じてしまうわたしがいて、
ここで、誰かにあててことばを書いたり、誰とも知れないあなたに向かってさけんだり、
あるいは、病気と闘ったり、している。
春先からはじまった痛みや不調の波は、
梅雨を過ぎても夏になっても逃げてくれなかったから、
わたしは今年もまだ、夏を病んでいる。
三度目の夏を、病んでいる。


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おひさまにむかってがらすをかざす。

これを拾いあつめた、すこやかになめらかな腕のことを、思い出しながら。
白い砂にまぎれた色を、ときを忘れてさがしあるいたココロを思い出しながら。
その遠い場所におそれなく出かけられた、今はない身体とこころ。

いつか、もういちど
あの日に還れるかな。

還れるのかな。


(………そのためにわたしは、今を、病んでいるのかもしれないね。)


きのう、投票してくれた、誰か、どこかにいるあなたへ

どうもありがとう。

今日もまた。ちくちくと。
わたしはがんばってみようかなとおもいました。
ホームページという名前の、なにかを。
足跡を。
「あなたに後押しされて」
わたしは。



2002年7月25日、夜に  まなほ


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2002年7月27日、深夜 追記


きのう。
うれしかったことがありました。
それは、お風呂に入ったら、足がしみなかったこと。

わたしのからだはどこもかしこも
無数の傷だらけ、裂傷だらけでめにみえない穴がたくさんあいているらしくて
お風呂に入る、ということはすごくタイヘン、です。
全身がびりびりしみる。ちょっと動いてもしみる。
だからいつも。
わたしは泣くのを我慢するコドモみたいな顔をして湯船の中でうずくまります。
ほとんどお水みたいにぬるくしてある湯船の中に浸かって
からだが動かせるようになるまで、じっと歯を食いしばります。

だからお風呂はすごくこわい。

でもそれをしないと、あっというまに皮膚の表面はぶあつくなって
ごわごわになっていくし、衛生的にもよくないし、
せっかく塗るオクスリも患部に届かなくなってしまうみたい。だから、
勇気が出せる限りわたしは湯船の中で、びりびり痛いのをがまんします。

だけど、この日記を書いた日はね、
歯を食いしばって片足をお湯の中につけたら、なんの痛みもなかった。
びっくりして、びっくりして、笑っちゃいました。
うれしかったな。

今日はまた、痛みがぶりかえしてしまったけど、でもそれほどでもなくて、
この痛みは「永遠に続くんじゃないんだよ」ということを
すこし、思い出せたような気が、しました。


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きっと。

きっと。


いつかまた。


わたしはすこやかなうでで、どこかのまっしろな浜辺で
誰かが落としたがらすのかけらをひろいあつめて、おひさまにかざして
いろんな音を
きこえない音を

きくんだ。

ききたいんだ。


そう、おもうかぎりは、
まだ。


「わたしはびょうきばかりじゃない。」


そう信じていても、いいような気が、した。



翌日になりかけの、熱帯夜に 記   まなほ



2002年07月24日(水) 鏡の前のアリス

それがあると勇気がだせるもの
それがあると「ぼく」になれるもの
つきまとう不安とか
自信のなさとか自己否定感とか、
そういうのをやっつけてくれないまでも、遠ざけてくれる、もの。

わたしはそれをさがしてる。


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右目のまわりがアトピーになってしまったので
しばらくうちにいます。
つまりそれはどういうことかっていうと、
目蓋がごわごわになってしまうので目が大体半分しかひらけない、ということで
二重まぶたをとおりこして四重まぶたくらいになり
本人はともかく出会った人がうおっと驚く、というコトです。(笑)
あ、あと目やにがすごく出ます。
朝起きるとまぶたがくっついていたりするので
目の上と下を指で押さえて「ぱりぱりぱり〜」と開いたりします。
痛くなければけっこうオモシロイかも?
あ、あと、眉毛が抜けてきます。
洗面所の鏡を見て、おお薄くなったなあと感慨にふけっていたりします。
その隣ではパパ(194×年生まれ)が自分の頭をカガミにうつして
おお薄くなったなあと感慨にふけっています。

へんな親子。

ちなみにママは、日本人離れしたすばらしいカーリーヘアの持ち主で
カガミに向かって髪を梳かすとき
下まで櫛が通らないわーーー!
と、もつれたカールの髪の毛と、さんざん苦労しています。
あんまりくしゃくしゃになってしまったときは娘(=ワタシ)と一緒に
「………テリア系?」
とその姿をしみじみと眺めて首をかしげていたりします。
(流れるように美しい毛並みのテリアではなくてもつれるカール系のテリアです)

そうしてママは気落ちするか腹が立ってくるのですが
娘はのほほーんとして
「そのうちりっぱな牧羊犬になれるかもしれないよ」
と、へんてこりんな慰めかたをします。
それで元気になるママもちょっとへんてこりんかもしれないなあと思います。

二人は勿論、かの有名な「牧羊豚」映画、「ベイブ」が大好きです。

いつかこの頭でイギリスに出かけたら
牧羊犬が仲間だと思ってオトモダチになってくれないかしら
と、ママはいいます。
その昔、とてもとても長いポニーテイルをもっていた娘(=ワタシ)はまじめな顔で
「ありえるとおもう」
と、こたえます。
なぜかというと、その長いポニーテイルを元気にふりながら歩くわたしを
行き逢う犬がみんなフシギそうに見上げたからです。


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行き交う動物とも植物ともオトモダチになれるかもしれないと
24歳にしていまだに猫をおいかけ犬に挨拶し花を見つけては寄り道して電車に遅れる
こんなわたしは今ホームページをつくっています。
右手が裂けて鉛筆をもてなくなったかわりにキーボードを持って
(持ってどうする。)
縫い針でつくるみたいに、
ちくちく、ちくちく。
出来上がり予想図が見えていないので日がな一日、
横たわっていないで座ることができるときは、
ちくちく、ちくちく。

見てみたい人がもしいたら、
今日の投票ぼたんをひとつぽちんと押してください。うれしいから。
きっともう少しがんばって
今日一日をくらして、ちくちく続けていくでしょう。


それがだれかの
わたしの
ライナスの毛布になれることを。


………もちはこび、できませんけどね。



夏の暑い夕方に、まなほ



2002年07月22日(月) ひぐらしの声の降る森で


この週末、
勇気を出して
わたしとしては、ものすごい勇気を出して
一泊旅行に行ってきました。

旅行といっても、心理療法のなかでも芸術療法に入る、
いく種類かの描画などを組み合わせた研究セミナーです。
まだちゃんと学生だった頃に、二度ほど参加していて、
そのあと、セミナー自体が開催できなくて、二年近くのブランク。

偶然。
バイト先であんまりにからだの調子が急におかしくなり、
これは、継続する肌のいたみにに耐えられる「つよさ」がなくなっちゃったんだと思い
お仕事を、早退させてもらって、
逃げ込ませてもらったカウンセリングセンターで、再開の話を教えてもらって、
在学中に担当だったカウンセラーの人も大丈夫だと思うわと言ってくれて
でも、
いつも寝込んでばかりだったわたしはどうしても自信がもてなくて
いつからだががらがらとくずれてゆくのか、その予測が自分でもつかなくて
暴れだす気配を探りながら
ずっと、アトピーと痛みと気力、という問題でせいいっぱいで
不安で、こわくて、申し込みができませんでした。
悪化したらどうしよう、電車が怖い、人が怖い、
前行ったときに怖かったあの男の人がまた来てて、またわたしのことを
変な風に扱おうとしたら、どうしよう。

先月の話でした。
うちの中以外での生活が、ほぼ、すべて、
得体の知れないものに見えていたころ。

ちがう。

独りでいるとき以外にわたしに訴えかけてくるものすべてが
脅威だったころ。
今でも、その気配は充分残ってる。
だからわたしは、家人みんなが眠ってしまったり出かけてしまって、
家中から自分よりほかのひとの気配が消えたときでしか
ここにきてことばを書き連ねてゆくことができない。
世界は無秩序で
かたちを知らなかった。
それがこわくて
おくびょうな小さな動物みたい。

でも、つい四日前の話。
ふっと見上げた空にレンズをむけて、シャッターを押せたとき、
「わたし、行っても、いいのかも知れない」
そう思った。

なんだか得体の知れない世界はすごくこわいけど
その場所でわたしのこころとからだが吸収したり発散するものは
普通の、この、庭の中にかぎられた生活のなかでは
どう努力したって実現できるはずのない、すごく吸引力のあるものだったから。

絵が描きたい。
絵が描きたい。
なんだかわからないけど絵が描きたい。
ひとりじゃ描けないけど
でも描きたい。


申し込み締切日はもうとっくに、二週間も前に終わっていたけれど
主宰している先生にお手紙を書いた。
ながいながいメールを書いた。
それから、放り出したまま、前日の強風でうっすら砂埃までかぶっていた申し込み用紙をひっぱりだして、プリントアウトしたメールと一緒に先生のオフィスにFAXをおくった。わたしの、弱ってる生きてく力でできることは全部して、
そうして息を殺して待っていた。
どこからか落っこちてくるかもしれない、お返事を。

お返事は落っこちてきた。
まさに、
当日の朝の8時半に。
先生からの電話で。

「きみは、好きなように過ごしていいから、おいで」

そう言ってもらえた。
肩の荷がおりた。
行きたいと鮮明に思った。
行くのが怖かったから、初めての電車に乗るのが、なぜかどうしてもこわかったから、
わがままなのは承知していたけど、参加するひとに地元の駅まで迎えにきてもらって
短い時間で手当たりしだいに荷物をつめた。
わたしのお守り」もたくさん入れた。
とぼけた怪獣のぬいぐるみとか、薄水色のほわんとした顔のうさぎがついているバスタオルだったり、読む時間なんて絶対ないとわかっている一冊の真っ青な本だったり、沢山のきらきらひかるブレスレットだったりした。

青いビーズ、白いビーズ、透明なビーズ、赤いビーズ。貝殻。木。黒の皮ひも。
それから、たくさんのオクスリ。

重たいかばんを肩にかけて
不安でいっぱいになって最寄の駅に着くなり倒れそうになって、
ふだんよく立ち寄ってみるアクセサリー屋さんのひとすみで息を整えて
とがりすぎた神経を、まあるくまあるくなるように、めをつむって、
それから迎えに来てくれた人に会うために、出かけた。

だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ。

クレヨンや、はさみや、糊や、粘土や、色とりどりの絵の具や
ほんのり青しろくてやさしいかたちをした乳鉢と乳棒、
そんななつかしいものを、また、手にして。
ハジメマシテの挨拶のあとに、6人ではじまるフシギなお絵かきのじかん。

まっしろですごく大きな四六版の紙をもらって筆なんて使わずに
自分たちのこの手と指で
絵を描く。
絵にならない絵。
でもその瞬間、それは「わたしたち」には、
世界でいちばんかっこよくてたいせつな絵なんだと思った。絶対に。

あしたになったら描けない色とかたち。
きのうだったら出てこなかったモチーフ。

草原は、海になり、川になり、大樹が画面をうめつくし、そうして燃え上がって消えた。
黒い影がゆらめいて、全部のものが水底にしずみ、魚はうずまり、雪が降り、水がながれた。
とうめいな水。
金色のひかりが降ってきた。
粉みたいに。
細い金色の筋を画面全体に散らばらせて、まっしろな痕跡をふりちらして、
そうしてわたしが最後までたいせつにたいせつに守って描いていた青い空の切片をみあげて
わたしたちの絵が、できた。

描いていて、すこしなきたくなったのは
たぶんその「空」の色が
サトくんだったからなんだと思う。


外ではひぐらしが鳴いていた。
涼しい音、夏のおと、わたしがとてもすきな音。
降りおちるみたいに、ひぐらしは鳴いてた。
出し惜しみなんて知らず、セミナーハウスの建つ森のなかのいたるところからの
輪唱。

うれしかった。
ひぐらしの声を聞いてやすらかになれる自分をみつけて。
うれしかった。
無言のなかで描きあげられた、わたしという自分だけのではない一枚の絵を、
好きだとおもうことができて。
うれしかった。
はじめ、ぼんやりとみていながらも、描きはじめたらとまらないわたしを
さいごの最後まで、一緒に描いていたひとみんなが見届けて、
そうして少しずつ、そのひとの手の跡を、入れていったことが。

電車は、こわかった。
昼間のパワーの使いすぎも、
明るさのゆりかえしも、ちょっとあった。
夜中には、部屋のなかで一緒にねむっている人たちの規則正しい寝息や
ひとりで取り残された感覚につかまって、どうしようもなくなって、
はさみを握って、
左腕を傷つけた、じゅういくつも。数え切れない赤い線を。浅くも深くも。
何箇所からもしずくになって流れ出した血をティッシュでおさえて
だいじょうぶだいじょうぶとくりかえしてた。
誰かにはさみを預かってもらおうと思って廊下をとぼとぼ歩いたけど
誰もいなくて仕方なしに部屋に戻って、気がついたらまた傷跡をなぞって
血の雫が、つつうーっと垂れた。
そんな失敗も、いくつかあった。いくつもあった。

でも。

しあわせだった。

あの場所で、好きなことだけしながら。
わたしは、すごく、守られていた。

別に見回したわけじゃなくことばをかわしたわけでもなく
ただ黙々と、空色を塗り、燃え上がる緑の木をもっともっと燃え上がらせ
魚を泳がせ、草地に垂れた黒い色を手の指全部でゆらめかせた。
もっと、もっと、もっと!

なにも考えないで、わたしの前にだれかが残し、ふりまいていく色とかたちに
次々に「わたし」の手を量ね添わせながら。
やりたいままに手は勝手にうごく。
まるで、いつも愛用の、35色の色鉛筆をあやつっているときみたいに。

そうしていつもなんとなく、ふんわりとしたくうきをかんじていた。
安心して好きなだけ遊んでいいんだ、と、思った。ココロがふうわりとかるくなる。


ゆうきをだしてみて、よかった。
あの場所にいられて、よかった。


ものすごくくたびれて、なんだかどうしようもないけれど
少しだけ
生きていっていいのかも知れない、と、思えた。
死にたいさんは、まだちっとも消えてくれないけれど、でも、

ちいさな冒険はどこかで
ほんの小さな実を結んだ、ようなきがする、
あるいは、実を結ぶための花を咲かせるためのつぼみを、つけたような気がする。
毎日つづいていく「今日」の、
たゆまない「時間」は「将来」を呼んで
役立たずなわたしはすぐに悲観的に、必要以上にかたくなな自己否定をはじめるけど
そうしてすぐに、目眩がして投げ出して、死ぬことと生きることの境界線に
一歩近づいたり離れたり、毎日がそのくりかえしだけど。

でも

絵を描いてる瞬間、わたしはしあわせだった。
とてもとても、しあわせだった。


それだけは、すこしの曇りもない、まっさらなほんとう。



2002年07月20日(土) よかったこととかなしかったこと。


たくさんのことが一日にはあるから
到底、そのいちいちを、よかった、とか、わるかった、とか、つらかった、とか
全部をさばききれないものだと思うけど
今日、よかったこととかなしかったことが、わたしには、ありました。

よかったこと。
二週間ぶりに家の庭より外に、出ることができました。
晴れていて、あおいそらで、
まとわりつく髪の毛がうるさいし、痛いので
くるくるとシニョンにまとめて(まるで、トゥシューズをはいて踊っていたときのよに)
それに、りぼんをキュッと結んで
出かけて行きました。
サトくんを土の中にかえした日、買ってきた、
翼のはえたちいさなちいさな十字架のネックレスを、
勇気を出して、
裸の首に巻いて、

風のなか、

自転車をこいで、

そう、サトくん、
外はすっかり夏だったよ。
窮屈なネクタイなんてはずしちゃって、いつもみたくTシャツ一枚で
ぱたぱた風にはためかせて、プラタナスの並木を下から見上げよう?
すきとおったみどりいろを、おひさまにかざして、
その瞬間、世界でいちばんきれいな色を、みよう?


よわよわしいわたしの肌は、なんの金属も受け付けないと思っていました。
素肌の首周りにはなにもつけられない、そうやって暮らしてきました。
鎖が、傷を作るから。
金属が、肌を荒らすから。


でもサトくんの十字架はわたしをこわさなかった。
うちにかえるまで、ずっと、ずっと、わたしの荒れた首から胸元に
ちいさな翼をひろげていた。

うれしかったな、
うれしいの。

すごくささやかなことかもしれないけど、わたしにはとても、新鮮にうれしいの。


そうして、バイトに出かけたら
職員さんがわたしを待っていてくれた。
いないとさびしかったわ、と言ってくれた。
それも、とても、うれしかった。
もっとずっと、嵐みたいな場所がせかいにはいっぱいあるのに
ここはすごくやさしいところだった、今更身にしみて、うれしかった。
つくづく、わたしは幸運だとおもった。


かなしかったこと。

バイトから帰ってきたときは、精神科を経由してきたせいもあって
(そういえばほんのわずかにお薬が増えたっけ)
8時を回って、真っ暗だった。
自転車のライトをつけて走らせてきたわたしは
うちのある、行き止まりの細い路地にさしかかって、スピードをゆるめた。
暗いなか、明るいものがグイングイン音を立てて走ってくると
ぱぱくんが驚いて跳ね上がって吠え出してしまうから。
だから、路地を曲がるあたりから、わたしは少しブレーキをかけていって
小屋の金網の前あたりから、ゆっくりゆっくり走るのが、習慣なので、今日も、
右手はブレーキをきゅうっと押さえて、
スピードは緩慢になる。

だけど、

「そうか、もう、こんなことしなくても、いいんだ」

小屋の主は逝ってしまい、からっぽの小屋はからっぽのままそこにあった。
我が家のあのはねっかえりで臆病なキャロルが、いなくなったときのように
がらんどうにからっぽの、「行き場所」が「逝き場所」になって
そこにあった。

すみに立てかけてある黄色い菊の花。


のこされた、ということを
こうやってまた、身に刻み付けるのは、
かなしい。

どんなに何を思っても何をしても戻れないし還らないことだけれど
だから、ただあっさりと文句ひとつ言えずに現実をかえりみて
本当のところ、を思い出し焼き付けなおすのは、深く深く焼きこんで現実にするのは
なんだか、むしょうに、かなしくてつらいことだと思った。
なにも抗えずに、無力なままに、認めたくないものを認めてゆく過程というのは。


そんな日だった。
今日のこの、よく晴れたあおい空の下で、わたしの一日。
半かけのお月さんが青空にしろい姿をうつして
わたしをみおくっていた。


わたしはまるでめくらめっぽうだ。
でも、生きていかなくちゃいけない。
そうおもった一瞬。
世界から消えたいのに、明日にでも消えたいのに、
矛盾しているようだけど、やっぱり、そうおもった一瞬。
白い壁にのびてゆく、すこやかにうつくしいみどりをみたとき。
プラタナスの木が散らす細かい細かい水のつぶをからだに受けたとき。


生と死のひっぱりっこ。

あしたはどっちが、勝つんだろう。



2002年07月19日(金) 泡のかけらのようなツブヤキをちらす。

曇り空とあおぞらと雨模様をまえぶれもなく幾とおりも今日はみた。
いちにちじゅう、おふとんをそばに抱えて、ぼんやりとしてた。

書くこと、とか
買うこと、とか
装うこと、とか
描くこと、とか

そういうじぶんにとってものすごく、ひとつひとつ、たいせつだったものが
ちいさく滲んでちぢこまって見えなくなってしまったみたいだった。

ガーゼのカバーにつつまれた夏用の肌がけはうすいみずいろをしていて
さいきん、かたときもそれを離さないでいることに思い当たったりした。

ライナスの毛布?

そのままじゃ。(笑)

仕事に行かなくちゃいけないのに朝お薬が残って目がさめなかったり
倦怠感でもうどうでもよくなっていたりして、行っていない。
たかがアルバイトだけど、でも、アルバイトだった。
職員さんはとてもやさしくて、わたしがいくら毎日遅刻しても
お休みを何度も続けても、いつも待っていてくれる。
精神科に通っていることも承知して、アレルギーが暴れることも承知して、
それでも、わたしを待っていてくれる。

わたしはめぐまれているんだな、と思う。

それでも外に出ていけないじぶんがかなしかった。

かなしかった。
NO.
くやしかった。
NO.
不甲斐なかった。
NO?
なさけなかった。

これくらいかな。

一日の過ぎていくのは早いような遅いようなで今週ももう終わる。
とどこおっているのは日常に必要なあらゆる事柄で
それがあんまり多岐にわたっているのでいちいち述べ立てていられない。
そのかわりに、せめてできることをしようと思う。

郵便ポストをのぞくとか、
庭のダリアが咲いたのを、写真にとるとか、
洗濯物をとりこむとか、
雨が降りこみそうな窓を閉めにゆくとか
剥がれ落ちてく皮膚で汚してしまった床をほうきで掃くとか、
そんな些細なことが
今のわたしが「がんばって」やりおおせることのできる
ささやかなことがらで
24歳、という年齢にくらべたらあんまりにちっぽけ。

でも、これでも、いっしょうけんめい、生きているんだよ。

じぶんに、言い聞かせながら暮らす。
消えたいきもちが強くならないように。
世界を
投げ捨てたいきもちが強くならないように。

みんなが、それぞれに
生きてゆくことを始めていく中で
ひとりだけ
なにもしないままココにいるのがこわかった。
なにも変わらずにいるのがこわかった。

なにかをはじめられたみんなを、進学したひとを、就職したひとを、
羨むというより妬むというより憎むというよりむしろ、
わたしは、おそれている。


ちくちくと縫い物をした小学生のときみたいに。
編み針をうごかした高校生のときみたいに。
今わたしはキーボードとマウスとタブレットという、とっても高価な玩具をもらって
ちくちくとなにかをかたちにしようとしている。

それしかできない、
それなら、できる。

それもできないときは水色のガーゼにくるまれたおふとんでじぶんを包んで、眠る。
傷だらけで痣だらけでごわごわのがさがさになってしまった皮膚も、もう、みえない。
安心して眠るには、まだすこし臆病さが勝つんだけれど、でもいつか
すこやかさに戻れたらいいなと思うときは、まだ、あるから、

だからわたしはだいじょうぶ。

だいじょうぶ。

だいじょうぶ。

そうやって自分に呪文をかけながら暮らす、眠る、目をさます。
食べ物を口に運ぶことができなくても、食べられるものをさがして
1センチ四方の、まだのこっている病気に壊されていないきれいに白い肌を
タカラモノみたいに救いにして
わたしは今日も
この時間まで
生きてる。



2002年07月17日(水) ときふらし


 わたくしは

 よどみもなしにながれるものである

 そう

 あなたはわたしにうそをついた (罪のまじらないその切片)

 ゆきおくれ、たしかめられることもなくながれつづけると

 おまへは

 おいてゆかれたものであると

 あなたはわたしにうそをついた

 ようしゃなく

 あまやかなことばをそらのまうえからふりそそぎ

 わたしをだます

 だらだらとあまく みつのながれるだいちがあるかのように


 らせんにみちたせかいに

 ひとすじのひかりをふらせ (それはまたそらからまいおちたオルガンのしろの鍵盤か)

 さいげんなくゆめをみせた わたしに

 ゆきおくれたとささやき

 しにおくれたとささやき

 うまれおくれたとささやき

 ささやき


 わたしはのぼりつづける

 あなたのささやくままにのぼりつづけるらせんのひとつひとつ (虹に凍る貝殻のうちがわ)

 ふみしめればくずれおちるとせなかからおいたてる

 それが あなたのやくめであれば

 しかたないのか

 ゆるさねばならないのか

 わたしは


 きがつけばわたしは あしたへあしたへとすすみつづけ

 あざわられるように

 かぜがゆれ

 あしもとはたなびく (細かにふるえるがらすの笑いごえ)

 うまれおとされたばしょからは

 ここはとおく

 あなたはわたしにうそをついた

 わたくしは よどみなくながれていたのだと

 わたくしは とどまることをしらないのだと

 わたくしは

 わたくしは


 わたしはもうすこしはやく

 きがつくことができなかったか (ことばを信じていたものの落ちたあな)

 あなたがあなたではなく

 あなたがたであったという たんじゅんなその ことがらに


 いきおくれ

 しにおくれ

 うまれおくれて

 そして

 あなたがたにうながされるまま (あなたを信じるまま)

 はしりぬけてきたわたしの

 とうめいにもならず かたちくずれたむすうのきのうを

 いつくしみたくとも

 おいこしてきた とき は  ただあざわらう

 (おまへはおれのいうとおり あるいていたのではない はしってゐた そのせいで)

 あしもとのすなはくだけたがらすのなごり

 やせほそりはじめたてくびをにぎりしめれば

 それはまた (鳥になりそこねた華奢なしろいほね)(とびだしたせなかのかたちと共に)

 わたしは

 ここからどこへゆけば

 いいのだろう


 とおいむかしからちかいむかしにわたって

 さいげんなく

 あなたがたはわたしにうそをついた


 わたくしはたゆまずすすむのだと

 おわりなどどこにもないのだと

 だれひとり わたくしのこのらせんから

 はみだすことも とびだすことも ありえないのだと


 あなたがたはうそをついた


 とほうにくれるはだしのあしは しろく

 よどみなくながれつづけるときは (あなたがたの言うわたくしは)

 はるかこうほうにおきざられてわたしをおいかけてゐると

 わたしはきがつき

 じぶんがゆきすぎてしまったことを また (すべてはあなたがたの戯言か)

 おもいあたっては

 みつめる しろいはだしのゆびのさきに

 にくしみならぬなみだを

 わらわらとふらせる


 (いつかあなたが囁いたように)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


よくわからないことを書きました。

書いたものがいうのもなんですが、
よくわからないものです。

ただ

病んでいるどこかが降りおちてきてわたしをくだくので。

これは、実験ではなく前衛ではなくこれはただわたしのありのままの
すなおな手段で織り込まれたひとつのことばの群で
詩でもなく詞でもなく、ただ死ではあるかもしれないとぼんやりとおもう。
生と死のさかいめではあるかもしれないとぼんやりとおもう。
そうでなければただ文字と言うかたちをとった塵だろうとおもう。
とくに意味はなく
それを探ることにこそ意味はなく
ただ、なにかひとつの目指す方位がそこにあったとすれば
それがもう、わたしのこころざしたすべてだと言っても、大袈裟ではないのです。
決して、ないのです。

なにか。

浮かび上がったかたちがあったのなら、どうぞそれをおしえてください。

すがたのない、わたしのかたちを。


たとえひとことでも

ひとつぶの数字でも


かたちのないわたしに、どうぞ、ください。



2002年7月17日、夜  まなほ



2002年07月16日(火) 台風一過

といっても
風が吹いていたことを知らないのんきなものが、このわたしで
むしろ昨晩も今朝も
いたみと、かゆみと、はがれおちていくじぶんとの
もうおなじみになってしまった闘いの夜でした、

そう表現したほうが嘘がないような気がするのです。

低気圧と高気圧。
この、ただそれだけのものに
左右されるからだというのは
情けなくもあり
便利でもあり
べつに気にしなければよいやなと普段は思いつつも
いざ症状が悪化するのを見つめている身になれば
嘆かずにはいられなくなってくる、
この、わるい癖。
よわい、こころ。

すっかり雨の乾いた庭先にサンダルをつっかけて出ていったら、
きのうはまだ半分くらいしかひらいていなかったダリアの花が
空に向かって紅いはなびらをひろげていた。

光のもと、太陽にむかってすかしみる植物の色は
それが道端にしょぼしょぼとはえている名前のわからない緑でも
凍ったあたしをほほえませるくらいのうつくしさは
存分に持ち合わせています。

そう、息が止まるほどきれいな場所にじぶんが生きているのだと思えること。

庭の隅で花梨の樹の根元にあつまるように生えた
若緑の羊歯のいろの、その繊細なかたちがあんまりにきれいで
あまりにも、天然のレースのようで
つくりもので身を包む気なんてしなくなってしまうくらい
それは、きれいで。

みにくいからだのなかに立てこもりながら
狂おしいくらい、ここからの脱皮をのぞみながら
わたしは

今日もまた一日を終えて
襲ってきた息苦しい時間を
むりやりのお薬で抑えて
それは処方外ののみ方で、つまりオーバードーズではあったけれどあんまりに
髪の毛ならず体中を凍らせて
その灰色の影が帰ってゆくまでじっと耐えることもできないからだは
デパスなりソラナックスなりメイラックスなりを幾粒かのみくだして、かみくだいて
両手を縛りつけるようにパソコンを立ちあげて
空の絵を描きました。

白から、ふかいふかい紺の色へと
気の遠くなるようなグラデーションの筋を
ひとつずつ、つみかさねることで
そうして空をつくりあげることで

今日のわたしの一日が無事に終わるというのならそれでもう、充分です。
なにもかも、もう、充分です。


ごわついてかさついて、皮がむけて
色鉛筆をにぎれなくなったこの手のひらが絵を描きたいと叫んでいて
それなら、鉛筆の代わりをしてあげようと
キーボードやマウスやタブレットが言うのなら
わたしはもう
あなたなしでは生きていけないかも知れないよ?


(ちいさな脅し)


絵を描くことだけが、できあがってゆく絵だけが、わたしの唯一の誇りで
それ以外にはなにも、なにひとつも、
わたしは自分を信用することも褒めることも誇りに思うこともなくて
ただ、汚れていて役立たずなごみためのようなやつだと思うだけだから。

この絵がなければ

この絵がなければ

わたしはなにひとつできないただのおろかものだから。


35本の色鉛筆がいのちの次にたいせつになったとしても
わたしには、なんのふしぎもない。


そんなことを、また、思い出した日。
台風が過ぎ去った空の下で
大気圏のような空の色をうつしだして
ひとり、
お薬を求めていた日。



2002年07月12日(金) 庵にこもりて

氷でいっぱいの
ほとんど水みたいにうすいカフェオレという
わたしにとっては定番の夏ののみものを左手に、ひるまから
日記などぽつぽつ書いてみる。

今日の今の今、
わたしはここなんかにいるはずじゃなかった。
図書館でたくさんの雑誌を抱えてかけまわっているはずだった。
なのに、ここにいる、
それが、

「おまえはダメ人間」

耳の裏側あたりから囁かれている気がしてどうしょうもない。
ひねりつぶしたくてもひねりつぶせない、自分のなかに棲んでいる小さな生きもの。
灰色の影をしている。アクマでもいい。でもそんなに善良じゃない気がする。
ただ、あたしに寄生しているのにあたしを削りとって薄っぺらにして殺そうとする
まるであたしみたいにばかでおろかな、小さな生きものが
ささやく。

何かひとつのことしかわたしはできない、らしい。
バイトをするなら、それだけ。
絵を書くなら、それだけ。
一日に、一週間に、ただひとつのことだけ。
ちょっとだけいつもと違うことをして、
ちっともムリなんてしていないと、そのときは思っているのに
次の日、効果覿面に、からだはうごかなくなる。

かなしい。

むなしい。

おひさまが雲に隠れてさあああっと世界が薄日に薄れていくとき
わたしの影がうすくなっていくように、自然に、ありのままに、
世界から消えられたらどんなに楽ですてきかな?
もう、誰にも迷惑はかからない。
行くはずの仕事にゆけなくて職員さんの立ててて居る作業計画を滞らせることも
行く先々に皮膚のかけらをばらまいて床を粉っぽく白くしてはお掃除させることも
家人に、わたしが口に入れられるものについて頭を悩ませさせることも
そのくせじわじわと減っていく体重のことも
もうなんにも、誰の手も煩わせないで、いい。

きのうは日が暮れて、夜になって、
このあいだ病院に行ったのはいつなのかどうしても思い出せなくて
家中をオクスリを探してまわっていた。
精神科のじゃなくて、皮膚科のオクスリを探してまわっていた。
オレンジ色の、抗アレルギー剤。
どこにもなくて
自分の記憶が信じられなくて
めちゃめちゃに混濁していて
今日と昨日と一昨日と先月とか、そういうのの記憶がぜんぶ
ごちゃまぜになっていたりすると
元来、記憶力のよかったわたしはとたんに不安になっていく。
このまますこしずつ、自分は崩壊していくんじゃないだろうか、
そう、おもって。

さいごにこの日記を見たら
6月19日付でひとりで出かけたという記載がのこっていて、すこし、安心した。
そのあとに、二週間分をいちど、家人に頼んでもらってきているから、それなら。
おおかたの計算は合うだろうから。

でも。

一日に二回処方されているオクスリを
朝に起きていられずに飲まなかった日が多発しているというのに
どうして手元には、二日にも満たない量しか、ないんだろう。

(おもいだせない)

きっとどこか知らない片隅にねじこまれて
どぎついオレンジのシートの錠剤が
いつか、発掘されるにちがいなかった。
そうであることをむしろ祈っている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


日常生活のルーティーンがすこしずつくずれて崩壊してだめになっていく。
今日も結果的にバイトを無断欠席してしまった
眠るまえに飲んだ睡眠薬ひとつぶ、
なぜかこういう日にかぎって後ろ髪を引くように効いてくれた。
目覚し時計をとめて、でもべたりと横になって
出かけてゆく手順を思い出せず、そのまま。
元気なときはすこしの倦怠感もおぼえずにこなしていた
途方もなくたくさんの、外出前の手続きのことを考えて、
もうとてもだめだとおもう。

そして投げ出す。
正気でいられるかもしれなかった一日のはじまりを。

わたしがおはらいばこになる日も、ちかいかな、とおもう。

それは自分の意思ではないけれど、「ひきこもる」ということばが似合う
そんなような生活に、段々に近づいていって、取り巻かれるような、気配。
パラサイト、とか、ひきこもり、とか、フリーター、モラトリアム、とか
新聞の字面にそんな文字が踊るたびに笑ってしまうようになった。
その数字の一端をなしているのが、このわたしなのだと思って。

(………だって、笑うしかないではないか。)

絹糸みたいにほそい、糸を、たくさんあつめて
わたしをこの地面につなげておいてくれている
一本の綱のなかに
契約、という重々しいひびきのものは、一役も二役もかっていて
それがなければもうここにはいなかった可能性も少なからずあり、けれど
今日のこの気だるげな薄く雲のかかった夏の空の日のしたで
わたしはひとり、うちのなかにいて、
ひとりを味わっている。

そばに誰もいない
音を立てるもののない
他者、というものにあんまりに過敏なものには
貴重な、ひととき。
ひとりでないとき。うちのなかにいる家族といえども
わたしの神経はささくれだち、つねにスタンバイしていると
気がついたのは、いつだったのだろうか。
父の、母の、兄の、誰の、どんな発言も行動も見逃さぬように
自動的に戦闘態勢のスイッチが入り、そうしてわたしはピエロにもなる。
それだから。

うちのなかを漂うこのしずけさに、
明日の保証をなくしていく不安とうらはらに、
安堵をかんじているわたしも、いる。

生と死は、せなかあわせになって
日々、わたしのことを、取り合う。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


きのう、あまり話をしたことのなかった先輩がてがみをくれた。
うれしかった。
わたしをつなぐために縒り合わされた絹糸は
たよりないけれど、でも、
気がつかない場所からそっと手をさしべてつよさを加える
みえない、とうめいなひとすじを、なにかが、だれかがくれている
そんなことも
たくさん、たくさん、あるのだろう
そう思って

うれしかった。

どうもありがとう。



2002年7月12日 生きることをさぼりぎみの夏のまひるに、記  まなほ
  



2002年07月10日(水) 燃えるムラサキ

台風が好き?

そんなわけは、ない。
それが災害であるうちは
つらいものであるうちは。

だけど。

びょうびょう吹く大風の中で、
しぃんとした家の中にひとりでいて
飲みたいものがなみなみ入ったマグカップを持ってる、
そうやって、守られているかんじが好きだった。

ながぐつなんてうっちゃって外に出かけて
頭の先から靴の中までぜんぶ一気にぐっしょりになったなら
大声をあげてうたいながら、ざばざばと歩くのが好きだった。
水溜りなんて気にしないで、傘なんていっそ、閉じてしまって
大粒の雨にうたれて笑ったの。

上を見たら
横なぐりのつよい風にあおられてふっとんでいくプラタナスのはっぱ。
千切れて風に舞い踊るさまざまなものたち。
ほっぺたを打ち付ける力強い水にはじかれて風になぐられて
それでも上を見上げ続けたら
めまぐるしく変わっていく雲と空の疾駆がなんびゃくまんもの雨の向こうにみえる。
ひとみのなかに溜まっていく雨の色で視界がにじむ。


わたしはわらった。
大きな声で笑った。


容赦なく嵐はやってきて、そうしていつか、容赦なく去っていく、そんなもの。


そのなかで力づよく立ち続けられるはだしの足が
わたしのどこかに、きっとあるから。

それだから。



置いていかれるのはこわいけど
すごく、すごく、こわいけど
ときに、荒っぽい世界に身を投げて
自分を打ち捨ててしまいたくなるほどかもしれないけれど
強い風にもまっすぐに立つことだけは
忘れないでいたいと、おもう。


雨のなかに閉じ込められて
お気に入りのマグカップにお茶をそそいで、ベッドのなかで
おふとんにくるまりながら、わたしがおもう。
雨の音を聞き続けながら
風の音を聞き続けながら。


「空はまるで燃えるようなムラサキ、嵐が来るよ、そして行ってしまう」
「ねえ、空は遠すぎる」


ねえ
あんなに遠い空でも、いつか、届くよね。
まっしろな道を、海に向かって走って行ったら
いつか、碧いガラスでできたみたいなゼリーみたいな
あのすきとおった水にたどりつけるみたいに
甘酸っぱい夏の果実を浴びて笑って
おひさまみたいに、笑って

いつか

泣くかわりに、うたえる日がくるよね、きっと
くるよね。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2002年7月10日、嵐の前駆に


こっこ、ラストソング
「焼け野が原」のプロモーションビデオの映像を
思いうかべながら

死から生へと
ここからどこかへと
まっしろいワンピースの裾をひるがえして
南の島の細い坂道を、駆け去っていったすがたを、
思い浮かべながら


読んでくれて、ありがとうございました。
もしも、なにか感じてもらえたなら
どうかわたしに勇気をください。
いつか大粒の雨にうたれて笑う日まで生きのびられる
ただそれだけの、勇気をください。
メールに託された、ひとつのことばでも
投票カウンタに増えてゆく、ひとつの数字でも

あした、という日を出迎えるために背中を支えてくれる勇気を、どうぞ、ください。


雨の中、ひっそりと病みながら。


まなほ



2002年07月08日(月) きみたちの死。

ココでやはり日記を書かれている
funnyさんの日記を、読んで
わたしが
テレビ画面でみつけたあの訃報は
りゅうすけくん、という名前だったことを、知りました。

見ず知らず、ということばがあります。
逆を言えば
名前を知ったそのときからわたしには
そのひとはどうしたって
「見ず知らずのひと」ではなくなるような気がします。

この日記に、サトくんの名前が頻繁に登場する、そのことに
いいかげん飽き飽きしているひとも、もしかしたら何処かにいるのかもしれません。

なにかを失った、悼み、は、
いいかげんにしなさいと周囲から叱咤されても激励されても
それでも、
癒えるようなものでなく、終えられるようなものでなく
いつまでたっても孵化しない卵のように
抱えているしかないので
過去を振り返るようにわたしは、その「さとくん」という名前を肩にひきずって
今日もここにいます。
同じ名前の人に出会えば
また、
傷口からかさぶたをむしりとるように記憶をひきずりだし
似た名前のひとに出会えば
おもわずそのことばを追跡してしまう
そのように
不毛に

悼みはひっそりと自分の内側だけでおこなわれ
だれも肩代わりすることはできず
まして、周囲の力で癒すことができるようなものでもないような気が
ふと、するのです。


  このいたみはわたしだけのものであって、だれにもゆずれない。 
  たとえそれが血をわけただれかでも、恋人であっても、誰にも。


昨日の早朝
わたしは一匹の犬の話をしました。
自分の飼い犬でもなく
ただ、近所で飼われている、すこしだけ仲のよかった雑種の薄茶色の犬の話。
金網ごしに首筋をなでるわたしの手のひらの下で
荒く、それでも呼吸し鼓動してた
一匹の生きている犬の話を。
わたしを、このせかいにつなぎとめてくれている一本の綱の
その絹糸のようにほそいひとすじに
なってくれている、犬のことを。


かれはあのまま、かえらないものとなりました。


家人の話では
朝方、かれがいつも寝ていた場所に
白い布にくるまれたものがあり
夕刻、
すでに犬小屋は跡形もなく
なんの気配もなかったそうです。


名前は、ぱぱ、といいました。


ぱぱくん、と呼び習わされたその犬は
朝な夕なにわたしをみおくり、出迎え、
夜遅くにかえってくれば、寝ぼけて跳ね起きて吠え掛かっては
やあい、まちがえたー、
そう、わたしにからかわれ、
まちがいに気づいて、しっぽをふって近寄ってきては恥ずかしげに手をなめる
そんな関係をきずいていた犬でした。

そのかれがいなくなり
活きている気配が
どこからも消えていく。

主のいなくなった更地をみる、
容赦なくきびしく
「さようなら」ということばが襲い掛かってくる
そういうことしかゆるされない無人の気配を見やるのが嫌さにわたしは
家を出ず、ここにいます。
認めたくないものを見ないでいる、その臆病さを
わたしはとても卑怯に思う、
だけれども、、、、



たったの一年たらず
我が家に買われていた犬がいました。
公園できょうだいと一緒にすてられていたのを、高校生だった兄が拾ってきて、
家族の一員となった、白い犬。
頭はあまりよくなくて
ひとをみれば、誰彼となくはしゃいでとびつき、
行き交う人の大方に、かわいがられてよろこぶような、犬でした。
名前はキャロルと言いました。
テリアの血の入った彼女の顔は、あちこちにぴんぴんと向かうくせ毛のせいで
目は半分かた隠れてしまい、
どことなくユーモラスに、そしてとてもかわいらしかった。
飼い主のばかぶりを露呈するようだけれど
あんなにかわいい犬はいなかった、と、
わたしは今でも思う。

ぱぱくんと、ほぼ一緒に飼われはじめた彼女は
最初はまだ、ほんとうにほんとうに小さな子犬で
自転車のかごに放り込まれて、我が家にやってきました
小屋もくさりも用意されていなかったはじめの数日間、庭中をころげまわってあそび
餌をやろうと、まだ離乳食のようなたべものの入った器を手にして外へ出れば
どこからともなく白い毛糸だまのように駆け寄ってきて
足元にじゃれついた。

そして、ぱぱくんとも
外見ばかり大きくなってしまって子犬らしくない、でもまだ子どもだったかれとも
かのじょはいつも、遊びに行っては
近所のお兄さんにかまってもらう子どもさながらに
毎日をすごしていました。

そして一年たって、
かのじょは急死し、
そのさいごを看取ったのは、うちじゅうでわたしひとりでした。
やはりこんなふうに、晴れて暑い、夏の始まりだったことをおぼえています。

直前まで健康だったかのじょのからだのなかには
まだ、いろいろな食べ物がつまっていて
事態を把握できないままどぼどぼど流れ出した涙をぬぐうよりも先に
遺体を抱き上げたわたしのあしもとを、
かのじょの体内にのこっていた糞便がどっとながれだしてびしゃびしゃに汚しました。
それでもわたしは、かのじょを抱いて泣いていました
どこか冷静な頭の隅で
汚れてしまった遺体をぬぐい
苦しみにみひらかれたまま逝ってしまったかのじょのまぶたをふさぎ
糞尿でよごれた自分の足と服とサンダルを庭のホースから流れ出る水で洗いながらわたしはずっと
びょうびょうと泣き続けていました

無意識のうちに
嗚咽しながら、ぼろぼろと叫んでいたことば、

「キャロルのばかやろう」

「キャロルのばかやろう」

ばかやろう、ばかやろう、ばかやろう、、、、

どんな意味なのかはいまでもわからず
ただ、わたしは
ばかみたいにそう繰り返していました。
ばかやろう、と言いながら抱きしめるかのじょのからだに向かって
それを抱く自分のうでにむかって
そして相変わらず、晴れて暑い、じりじりとこげるような
お日さまに照らされた
何も変わらない、のんべんだらりとした
せかいにむかって。

罵倒していました。
15歳のからだが
できるかぎりの、あらんかぎりの
徹底した抗戦。

はじめて触れた硬直したからだ。
いつもやわらかく熱かったかのじょのからだは信じがたいほど
詰め物をされたぬいぐるみのように、硬質だった。

そして、これが「死」なのだと容赦なくつきつけてきた
ひとみ。
ガラスだまのようなうつろな、
どんな人形よりもうつろな、
まっくらななにもうつらない、ひとみ。

穏やかさとはほどとおい
生気というのもがうしなわれただけで、こんなにも
慣れ親しんだものは恐ろしい表情に
変わってしまうんだ。


死とは、眼のなかにあるのだろうと、15歳のわたしは一瞬で理解した。

ちがう。

目を見れば、理解せざるを得なかった。
そのものがもう、足掻いても足掻いても届かない場所に逝ってしまったことを
いくら、認めたくなくとも。


わたしは泣きつかれた頭のまま、手を動かして、かのじょの目をとじました。
いつも横たわっていた
古くなった絨毯と、やわらかい毛布カバーにくるんで
わたしのはじめてのおとむらいは
家族のだれも立ち会わないままに、ひっそりとひとりだけでおこなわれた、
ただひとりの儀式でした。


そのときにあいた「死」という名前の穴はふさがれないまままた
いくたびとなく開かれ、ふかまっていくのかもしれません。


ただ一匹の犬の死に、なにを大袈裟なことを言っているのだと
しかられそうな気がします。
自分のいのちを軽んじるわたしに
いったい何が、語れるのか。
語る権利があるというのか。


ただ。

わたしのなかにあの日つくられた、
いつもは忘れていられる死の扉を、ばたんとひらいて
ぱぱくんは、いってしまいました。
あけっぱなしの扉をとじるのは、生きているものにすっかりまかせて
みんな、逝ってしまうのです
片道だけの旅を。


サトくん
サトくん

あなたの隣の天国の椅子は
まだあいていますか。

わたしがそこに行く日まで
まだ、あけていてもらえるのですか。


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2002年7月8日、記  まなほ



2002年07月07日(日) 不眠の力


恋するものは眠れない

真夜中に天井を通して星を見る
星はわたしのこころに静かに降りてくる
それは世にも恐ろしい星座のかたち
それは世にも恐ろしい殺戮の暗号・・・

恋するものは眠れない

明け方に彼の家の周り5キロ四方
いちめんの砂漠になる、ひとは死に絶える
鳥も獣も魚も水も緑もすべては死んだ
私のすべては死に絶えた

(谷山浩子「ボクハ・キミガ・スキ」より)


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何もできないまま起き上がってきた。
不眠?
断眠?
そんなたいそうなものではないね、
ただ痒みと不安と耳鳴りみたいに襲ってくる虫の羽音で
気が狂いそうになっただけ。
「狂ったら」
からだじゅうが傷だらけになるでしょう
現に今わたしのからだは湿疹というよりも炎症というよりも
かさぶただらけだということに昨日、気がついたばかり。
自分の体を痛めつけるのが癖になっているんだね、だから、
傷は傷を呼び、痒みは傷を広げ、
浮き上がってくる皮膚、はがれおちる細胞、
削りとられた傷跡にうっすらと血はにじむ。

そうしてわたしがだんだんだめになる。
笑いながらだめになる。
きょうは金曜日じゃない、土曜日だ。

バイト帰りに七夕まつり真っ最中のひとごみをかきわけて
精神科にいったのが昨日のことのように思えるけど、
それは間違いで
おとといの話だ。

きのうは、目をさまして、ほんの6時間もたなかったから
記憶が入り混じって、混濁している。
そとのせかい、をわたしに知らせてくれるひとがいないから、
よけいに、
遠いところを眺めやるような気持ちになってただぼんやりとうつらうつら
何とも知れないものをみている
ばかり。

不安は断続的に襲ってくる。
体感できる不安、というものがあることを
わたしはびょうきになってからはじめて知った、
ような、気がする。


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きのう。
近所のうちで飼っている犬が、弱って弱って、死にそうになっているという話を
出掛けに父母から聞いた。
ひとのうちの飼い犬、
だけどわたしのなかでは少し、ほんの少しだけ
親しみぶかいやつだった。
いなくなったらいやだとおもった。かなしいよ、とおもった。
ただそう言葉にできるようにこみあげる感情以前に
容赦なくやってくる現実に対する大きな抵抗と、脱力感が、やってくる。


  かみさまあたしのなかにあいたこの暗くてつかみどころのない穴を
  もうこれ以上ひろげないでください、できることなら、どうぞ
  おねがいします。


ご利益をもとめるのは信仰ではないと宗教の時間に大学の先生は言った。
けれどやはりわたしは祈ってしまう、願ってしまう、
そしてのろってしまう。
どこにあるとも知れないかみさまというその存在に
いのちをかけたことがらに関しては、いつもながら、自分でもあきれるくらい、
最近は、祈ってしまう。


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帰ってきたときは夜で、もう真っ暗で、
かれはべったりと地面に横たわってぴくりとも動かなかった、
いつものように声をかけても顔もあげず、薄目をあけることもせず
ただべったりと地面に寄りかかって命を支えていた。

金網の外から首筋をなでた。
心臓は脈打ち肺は呼吸していた。
はやく、あらく、
よわよわしく
それでもやっぱり、かれは、

活きていた。

わたしから、とりあげられなかった、ささやかな、いのち。


それはただ一匹の犬なのではなく
ただ一本の電話なのではなく
ひとつひとつが、わたしをこのせかいにつなぎとめている
絹糸のようにほそい命綱なのだとおもう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


夕刻。
NHKのニュースをみていた父が、「あ」、と声をあげた。
画面をみるとそこには小さな男の子の写真がうつっていた。
移植手術のため渡米する費用を募っていた子だ。
名前はよく知らないけれど、
でも。

やっとのこと夢はかない渡米したのだろうかと思えば、どこか趣がちがう。

「容態が急変して、亡くなった」

そうアナウンサーの声がことばをこぼした。
しかも、渡米にかかわる費用があつまった、そのときに、なって。
がつんと首筋あたりを殴られたかと思う。
うばわれたいのちがここにある。

泣いても
叫んでも
目をそむけても
戻ってこない、いのちが。


サトくん、あなたのところに2歳の男の子が旅立ったの
ねえ、小さな子には、とても長い旅になるとおもうから
どうぞ、迷わないように見守ってあげてね
道を間違えないように
あの、あったかかった、手のひらを、差し出してあげてね
わたしはもう借りられないけど。


(・・・・・・認めたくない涙がこぼれそうになるのは見えないふりをして)


そんなことがらにくらべればわたしの苦しみなんてちっぽけなくせに、
なのに、
この不安さんは、去ってくれない。

好きなときに
好きなだけ
わたしを食い荒らして
去っていく。

……目眩がするよ。

「たすけて」

そうつぶやいても逃げ場がないことをとうに知ってしまったから
死という最後の砦に手を出そうとするのかな。

サト君に、会いたい

傷だらけのからだで痒みと痛みの中で思考力は落ち、
呆然とそう考えている自分に気がついて
じぶんをせかいにつなぎとめているものがだんだん細くなっていることを
うっすらと認識した、今日の半日。


今日は、たなばた。

わたしは誰にも会いたくないけど
ただもう、わたしのまわりに居なくなってしまったひとたちになら
一年にいっぺんくらい
会いたいと、思う。


そこぬけにまぶしい、おおぞらのしたで。

わたしを貫くみたいに降ってくる、ほしぞらのしたで。


風に吹かれて。




2002年7月7日、深夜  まなほ



2002年07月05日(金) 力ない腕


ほったらかしのままの日記はそのままわたしのまいにちとおなじ。
わたしはわたしを投げ出して、そうして忘れていた、ここ数日。
とびとびの記憶をあやつって

わすれたころに、ただ
ぼんやりと浮かぶことば


「きずだらけの腕にはちからがない」


引っ掻ききずと、かさぶたと、炎症とでおおわれた
このみにくい腕には、なぜかもう、ちからがない

絶対的な、あの、ちから

じぶんのからだを支えるのは
かならずしも足の裏ではなくて
たとえば肩とそれにつづくなだらかな背中とくびが空をささえて
ひとはいきているのだと
そんな歌があったような、気がする

そのように

わたしのうでには

なんのちからも、のこってはいないようなのです



誰彼となくあちこちからすこしずつ齧りとられていった腕のかたちはみにくくて
歯形さえも残しながら、ただ、細胞の欠片をちらしながらそこに横たわるだけ。



たとえばなめらかにうつくしい腕。
そこから血液をしぼりとるとかいうイメージが病的じゃなく
とてもヘルシーに思えるうでをもつひとにわたしはすごくあこがれる

(このあいだそんなひとに会った)
(昔はこいびと、今はおともだち)

きれいなうで。


わたしもいつかは持っていたのだろうか
きれいなうで。


もういちど、手に入れることはできるのだろうか
わたしをささえるだけの力をもった
あの腕を。

あの脚を。

あの体を。


ただ、みにくく沈殿した色素のないものにあこがれています。
病気に食われてしまったからだを持て余して眠ってばかりいたものの
目をさましても、そこには、やはり、
病気に食い荒らされたからだが横たわっていて、わたしはときどき投げ出したくなる。


あしたを。

やってくるはずのたくさんのあしたを。



ながくながく眠っていて
目がさめたら
この、やっかいなわたしと共にあるびょうき、というものが
ひとつでもいい、消えていてくれたら
いいのにな、と
弱気になっているときは、つい
そんな夢想を、してしまうのです。



おやすみなさい。



2002年07月01日(月) 寒がりや。

6月がおわり。
7月になっていた。

長袖を二枚かさねて着て
あたしはパソコンの前に
座っている、

さむい

さむい

どうしてこんなにさむいのかな。


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先週。
ともだちの研究に協力するため父の勤めている学校と交渉、
折衝と文書を交わすために二日を費やし、書類を作成する。
睡眠時間の変化、
日ごろしない事柄への奉仕、
久方ぶりに、
何かのために奔走する数日間。

けれど、
それだけで、
今のわたしの毎日(ルーティーン)はすっかり狂ってしまうらしく
持病が悪化。
上半身から顔まで一斉の発熱と発疹。
びりびり襲う痛みに耐えながら仕事は休み、自宅にてプチ療養。
通院すればよいではないか、と言われそうだけれど
アトピーに特効薬はなくて、
結局、ステロイドを痛む患部に塗りつけて
黙って傷が塞がってくれるのを待つくらいが、せいぜい、なのは
もう長いこと患っているせいでよくわかっている。
なにより、
外に出て行くことじたいがもうまるで
ただ修行をしにいくようなもんだから。

精神科にも通えなかったのでパキシルが切れてしまう。
ふとんから出ると
不安と悪寒が襲ってくる。

眠る前に飲むお薬、のはずが、ここ一週間のあいだで
いったいいつが眠る前なのかはっきりしない生活になってしまったので
飲み損ね続けている、最後の一錠が
あたしに残っているさいごの
藁の一本、のようなものに、
みえる。

本当にしなければいけないことは、わかっているんだ。
お風呂に入って、髪を洗って、きちんとスキンケアをして
それから病院にいくこと。お薬をもらってくること。

・・・・・・なのに、それが、できない。

考えただけで途方も無いように思えて気が遠くなり
おふとんにもぐって「逃避」してしまう。
午後1時。
目覚めれば、翌日の、朝、4時。
睡眠薬も飲まずに一日に15時間ほどうつらうつらと眠る。
20時間近く眠っていることもある。それだから
今日がいつなのかよくわからず

せかいは、どんどん遠くなって
ただひとつぶの砂よりもかるく
放り投げられてしまうようなものに、なって
どこかにまぎれこんでしまう。


・・・・・・そのような生活をしています。この、途方もなくばかなあたしは。


さむくてあるけない。

ひとりじゃあるけない。

そんな、甘えたことを、いいながら。


主旨に反して
すっかり、
病んで行くもののつぶやきと化してしまった
この日記帳をながめながら
おかしいと首をかしげていたり
するのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


おととい。大学のサークルのOB会に出た。
出かけようと身支度をしはじめ、突然久方ぶりに、つよい不安発作にやられ
時間だけをいたずらに食わせた。
これは孤独でいてはいけないとだけ思い、なんとか出席は、したものの
いざ帰る段になればやはり、ひとりにならざるを得ず、
希死念慮というものに取り殺されそうになっていたわたしを留めるために
家までやってきて泊まってくれたひとを、
昨日の朝、駅まで送って、

きまぐれにあるいて帰ってみた。

夏日の下、
買ったばかりの濃いみどりのローンのスカートをひるがえして
歩いてみた。

あるく。

この足があるいていく。

日差しはぎらぎらと熱く、風はつめたくふきとびながら
大きな交差点の十字にかけわたされた歩道橋の上で
立ち止まって、空をみた。

この目がそらをみた。

日曜日の朝9時半、
まだ本格的に動き始めていない少し眠たげで緩慢なとおりみち。


むかし、
わたしがうまれてまもないころ
この歩道橋のまうえから
ひとりのこどもが投げ落とされた事件があったという、その場所で
わたしは今そらをみて
そして足元をみて

生きているということを思っていた。


「わたしは生きている、しかし活きていない。」


それがほんとうなのかもしれないと
思いながら。

わたしは眠りにつくだろうのだろうか。

一日にいちど。
最低いちどの食事を摂取するしか
ちからを持っていない、このからだとこころが
その習慣をすませて、もう、
横たわりたいと、ほのかに叫んでいるのが
わたしには
きこえる。


 < キノウ  もくじ  あさって >


真火 [MAIL]

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