みちる草紙

2007年03月15日(木) サン・ドニ〜コンシェルジュリ〜ノートルダム

3月14日(水)の記録

アルバム
写真の整理が全然追っつかない(ー_ー;) 200枚あります。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

この日は、何時に起きたのか正確に覚えていないが
前日鬼のように歩き回った疲れが溜まっていたようで
寝起きが悪く、6時にセットした目覚ましを何度も止めては鳴らし
7時頃になってようやくベッドを出たのではなかっただろうか。
朝食に下りて行ったのが、確か7時半を過ぎていたから。
多少身体が重いが、一晩寝たら足の付け根の痛みは取れた。
前夜は足を組むのも辛いほど股関節が痛んだものでした。

日本人女性二人組と一人の白人男性が、昨日と同じ席で食べている。
用意されたメニューも昨日と全く同じ。目新しいものは何ひとつない。
パン、コーヒー、ハム、ヨーグルトで食事を終える。
ゆで卵とシロップ漬けフルーツは、それぞれ半分ほど残してしまいました。

昨夜も思案したけれど、今日も出かけるギリギリまで悩んでいました。
それは、サン・ドニ・バジリカに行くべきか行かざるべきか・・・。
バジリカ聖堂は、パリ郊外サン・ドニにある、フランス王家の墓所です。
昨日ヴェルサイユまで行けたのだから、場所が郊外であること自体は
別に構わないのですが、問題は治安面でした。

“うらぶれた場所にあり観光客向けではない”
“何故あんな治安の悪いところにあるのかと泣きたくなった”
“駅が近づくにつれアラブ系など有色人種が多くなり怖かった”

過去に訪れた人たちの、このような感想を目にしていたからです。
けれども、果して真っ昼間でもそんなに危ないのだろうか。
危険な場所であるなら、何故ガイドブックに警告が一切ないのか。
取りあえず出かけることにして、どうするかは道々考えることに。
のろのろ支度したあと逡巡したため、10時を過ぎてしまっていました。

本日の最初の目的地は、シテ島にあるコンシェルジュリ牢獄。
メトロ1号線でシャトレ駅に行き、4号線に乗り換えてシテ駅へ。
ところが“Cite”のホームが見えたのに、電車が止まりません。
あれ?と思っていると、サン・ミッシェル駅で停車しました。
一体何を間違えたんだろう。とにかく戻らなければ。
反対方向に行くのに、日本のように同じホームからは乗れないので
階段を上り、反対方向行きのホームへ渡って乗り換えました。
で、今度もやはりシテを通過し、シャトレに戻ってしまった・・・。

ここでやっと扉上の停車駅図を見て、シテ駅に×が付いており
工事中で閉鎖されているのだということに気付きました。(遅い)
フランスではよくあること、と書かれてあったなぁ、そう言えば。
でも、それがあまりピンとこなくて、気にとめていなかった。
実はコンシェルジュリまでは、シャトレからもサン・ミッシェルからも
歩いたところで訳ない距離なのでしたが、想定外で頭が回らず。

コンシェルジュリは後まわしにして、じゃあ最初にどこへ行くか。
ひとまず1号線に戻り、パリのシンボルの一つである凱旋門を見に行こう。
そこまでの途中の停車駅に、シャンゼリゼ・クレマンソーがあります。
ここから13号線に乗り換えればサン・ドニに行ける。どうしようか。

シャルル・ド・ゴール・エトワール駅から地上に出ると
堂々たる威容を見せて、凱旋門が眼前にぬっと現れました。
写真で見て想像していたより、ずっと大きなものでした。
お〜♪あれはまさしくラ・マルセイエーズじゃあ〜♪

側にあったベンチに腰掛け、惚れぼれと眺めていると
後ろから『パードン?』
と声をかけられました。見るとカメラを持った老夫婦です。
あまり流暢でないフランス語で何か言っているので
「シャッターを押しましょうか?」
と英語で訊いてみると、やはり英語圏の人たちでした。
シャッターボタンの位置を確認し、カメラを預かると
ベンチに並んで足を組んで座る二人の背景に
凱旋門がうまく収まるよう、しゃがんで撮りました。
『どうもありがとう』「どういたしまして」
凱旋門をあとにしながら決心がついた。サン・ドニに行こう。

1号線でシャンゼリゼ・クレマンソーに行き、13号線のホームに出ました。
ここからサン・ドニ・ユニヴェルシテ行きの電車に乗ります。
乗客層が1号線とどこか違い、確かに異様な雰囲気に満ちていました。
有色人種が多いというのは本当だ・・・しかも薄汚い恰好をした・・・。
女性が多いところを選び、空いた席に身体を固くして座りました。

私の向いには、バックパックを膝に抱え耳にイヤフォンをさした
若い白人女性が腰掛け、ゲームのようなものを必死にいじっています。
途中で乗ってきた黒人の男性がその隣に座り、そちらをじっと見ている。
女性はバッグからがさごそパニーニを取り出し、かぶりつきました。
電車に乗っていて驚くのは、そこでものを食べる女性が案外多いことです。
その女性もゲームをしながら、周囲の視線お構いなしに食べています。
隣の黒人が何かしきりに話しかけていましたが、聞こえないらしく
まるっきり無視。もしかして、イヤフォンはそのためのものなのか?

停車駅で私の隣の人が降り、入れ替わりに乗り込んできた
恰幅の良い大男が、人に思い切り身体をぶつけてドカンと座りました。
カチンときた次の瞬間、「うっ!くさっ!Σ(|||☉☉)」
何年風呂に入ってないんだ・・・というにほひを漂わせたおっさんの腕が
私の腕に密着している。ひい!た、助けてくれ気持ち悪い・・・!!
女の子に相手にされない黒人の視線が、目を合わせなくても
こちらに時々投げられているのを感じます。
様子を窺っている?私だってお前なんか相手にしないぞ。
鞄を膝の上でしっかり抱え、殊更に渋面を作ってそっぽを向いていました。

そのうち、隣の不潔なおっさんが連れの老婆と共に降りて行きました。
老婆は家財一切を詰め込んだような乳母車を引きずっていました。
ううむ、やはりあの人たちは・・・。

バジリク・サン・ドニ駅は思った以上に遠く、なかなか着きません。
無事目的地に行けるのだろうか。思わず神に祈ったりしてみる。
自分が今、危うい心もとない状況に置かれているということを認識しつつ
他に多くの乗客がいることと、まだ午前中であるという事実が
恐怖を和らげ、少しの勇気と落ち着きを与えていました。
まさか、乗っている全員がグルになって襲いかかる訳じゃないだろうし。
でも、万一暴行を受けたりした場合、周囲の人は見て見ないふりを
するんだろうか。降りて通報してくれる人はいるのだろうか・・・。
ふと顔を上げると、向いにいた黒人はいつの間にかいなくなっていた。

実際、乗っていたのはほんの20分程度だったのかも知れませんが
絶えず気持ちを張り詰めていたためか、遥かに長く感じられました。
とうとう、無事にバジリク・サン・ドニに到着。心の底からの安堵。
ホーム端の階段の途中に、浮浪者風の男がべったり座り込んでいる。
それをよけて上り、駅の外へ出ました。

ビルには洋服屋のテナントだとか、商店の類はぽつぽつとありますが
パリ市中とは違い、そこは寂れて静まり返った下町という風情。
ずっと以前住んでいた椎名町(トキワ荘が有名)の駅前に似ている・・・。
地図がないので、出口の右と左、どちらに進めば良いのか判りません。
左側には、目立った飾りも何もない広場がありました。
その先の建物の一階に観光案内所を見つけ、そこに向いました。

「ボンジュール」
『ボンジュール。何かご用でしょうか?』
そこには眼鏡をかけた親切そうな男性がいて、英語を話します。
「サン・ドニ・バジリカ聖堂へはどう行けば良いのでしょう?」
『そこですよ』
男性は通りを指差します。
「この通りを真っ直ぐですか?」
と言いながら指された方を振り返ると、本当にすぐ真後ろに
バジリカ聖堂の建物がどどんと建っていました。気付かなかった!
「ああ!こんな近くに!有難うございます」
すると男性は、パンフレットを色々と取り出しながら
『どちらの国から来られたのですか?』と訊きます。
「日本です」
『これは日本語で書かれたものです。どうぞお持ち下さい』
そう言って、何種類ものサン・ドニの観光案内をくれました。
「有難うございます。オールヴォワール」

寂れた場所にあっても、やはりここはれっきとした観光名所なのでした。
建物の正面にはトラックが何台か停まり、道路が掘り返されています。
ヴェルサイユ宮殿も工事中だったな・・・3月だからかな。(フランスも?)
右手の入口で、見学に訪れた何人かのご老人が入場券を買っています。
パリ・ミュージアム・パスを見せると、券をくれ、扉の方を示される。
お年を召した男性が、先に入って重い扉を押さえていてくれました。

中に入ると、そこは広く高く、ひっそりした静寂の空間でした。
見上げれば、数多の色を鏤めた見事なステンドグラスの薔薇窓。
石柱が幾重にもドームを形づくり、引き込まれそうに高い天井。
年月の経過に黒ずんだ石の色。蓋の上に石像の横たわる多くの棺。
ここは、フランス代々の王者が仲良く枕を並べて眠るお墓なのです。

地下のクリプトに入ると、夭折した王太子ルイ・ジョゼフと
両親の刑死後、幽閉生活のすえこれも幼くして病死したルイ17世の
横顔のレリーフが、通路の両側にそれぞれ向き合ってありました。
長年真偽が問われ、本物とのDNA鑑定結果が出たルイ17世の
ミイラ化した心臓が容器に納まり、レリーフの下に安置されています。
近づいて見ると、からからになった心臓は、細いワイヤーで
容器の中に宙吊りになるよう固定されていました。

そこを過ぎると、黒い墓石が二列に六つ、床に埋め込まれ並んでいます。
中央の二つがルイ16世と王妃、手前がルイ18世のもの。
ルイ16世夫妻の遺体は、当初マドレーヌ墓地に葬られており
王政復古後、掘り出されてサン・ドニに改葬されたので
安置されているのは完全な遺骸ではなく、それらしき一部に過ぎません。
墓石も、歴代諸王のに比べ、装飾を省いた簡素なものです。
老人のグループがひたひたとそこを通りながら見て行きました。
『見てごらん、あれがマリー・アントワネットの墓だよ』
英語で囁いていました。

クリプトを出て、聖堂の中を隈なく見て回りました。
窓という窓に嵌め込まれた鮮やかな大小のステンドグラスが
日光をかざして、冷たい石壁を美しく彩っています。
中世期に建てられて以来、王が死ぬ度に遺体を運んだ場所。
ここまで足をのばす観光客は稀なのか、見学者はごく僅かで
堂内はしんとしており、自ずと厳かな清澄な気分になります。
並んでひざまづき祈りを捧げる、ルイ16世夫妻の石像がありました。
王冠を戴くルイは、祈祷台の上で聖書を前に両手をあわせ
アントワネットはヴェールを被り、俯いて何か押し頂くように
両手を胸の前でゆったり交差させています。

不思議に清々しい気持ちで聖堂を出ました。13時前でした。
思い切って来てみることにして良かったと思いました。

再びメトロ13号線に乗り、パリ市内に戻ります。
何故か勇気が漲り、今度は少しも怖くありません。
また女性の多い一角を探し、本を読んでいる東洋人女性の隣に
腰を下ろしました。向いに座ったロングコートの大柄なおばさんが
大きなバッグの中からサンドイッチを取り出し
むしゃむしゃ食べ始めました。また食べてる。また女の人。
なるべく見ないよう視線を落としていましたが、気になって仕方がない。

シャンゼリゼ・クレマンソーで1号線に乗り換え、コンコルドで降りました。
昨日の夕刻訪れたコンコルド広場、昼間は違う表情を見せている。
そこからほど近いマドレーヌ教会に向かいました。



つづく



2007年03月14日(水) ヴェルサイユ〜エッフェル塔【2】

3月13日の続き

駅を出ると、観光客集団は道路を渡って右に向かっています。
コンサートの時と同じで、この群れのあとをただついて行けば良い。
途中、ヴェルサイユグッズを売る店を何軒か見かけました。
しばらく行って左に折れると、おお、あれに見ゆるは・・・
不覚にも、どっと胸にこみ上げるものがありました。

残念なことにヴェルサイユ宮殿は現在、至るところ修復工事中。
宮殿の外壁や鏡の回廊など、足場が組まれシートで覆われています。
表には資材を山と積み上げ、石畳を掘り起こし、トラックが往復している。
まあ、これだけ人気の観光名所、毎日世界中から人が大挙して
押しかけるのだから、あちこち傷みも激しいだろうし
しょっちゅうメンテしてないとダメなのかも知れない。

宮殿内部は勿論ですが、何より見たいのはトリアノン宮と大庭園でした。
パッケージツアーのオプショナルなどを見ると、1万円以上払って
精々2〜3時間程度のガイド付き宮殿見学のみ、というのが殆どです。
バカバカしい。たった2時間でなんか見たうちに入るか。
それに今回、屋内は工事が入り目隠しだらけで、やや興醒めがしました。
入場者は思ったほど多くはないが、見学可箇所は限られているようだし
随所に商魂たっぷりのお土産品売り場が設けられ、些か幻滅を味わう。

ちょっと勿体ないけれど、宮殿内は早々に切り上げて外に出ました。
日差しは暖かく、広大な庭園の散策にもってこいの申し分ない晴天。
トリアノンまではかなり距離があるので、プチトランに乗ることに。
切符売り場には行列が出来ていましたが、順番はすぐ回ってきました。
大人一枚6ユーロ。10ユーロ札を出しコインでお釣をもらうと
狭苦しい席にイタリア人の感じの悪いおばさんと向き合って座る。

プチ・トリアノン宮の前で車が止まったので、そこで降りました。
でも他の乗客は乗ったまま。どうして皆、降りて見ないのだろう。
プチ・トリアノンの入口で、パリ・ミュージアム・パスを見せ
そのまま通ろうとすると、おじさんが『ノン!』と言う。
バッグを下ろせという素振をするので、言われた通りにすると
飛行機に乗る時のように、機械に通して検査されました。

階段を二階に上がると、マリー・アントワネットの居室があり
そこには、ヴィジェ・ルブランの描いた有名な肖像画が架かっています。
あまり大きな絵ではありません。これは本物なのかな?
幸運にも、その時室内には他に誰もおらず、感無量。
人が来るまで、じっとその絵の前に佇み見入っていました。

プチ・トリアノンの前庭を囲む塀に、小さな出口がありました。
そこから出ると、のどかな風景がゆったりと広がり
池の向こうにかの愛の神殿が見えます。
宮殿と違い、見学者でごった返すこともなく、広々として静か。
小道を辿り愛の神殿に向かう。少し冷たい風が心地良い。

愛の神殿からル・アモーにかけ、のんびり歩いて見てまわりました。
うっかりすると迷いそうな、鬱蒼とした森を想像していましたが
木々は葉を落として裸なので、遠くの景色まで見通せます。
木の枝の形ひとつ見ても、ロココの牧歌的絵画を髣髴する。
それにしても、新しいスニーカーを準備しておいて本当に良かった。
お洒落にきめてピンヒールで小道を歩いて来る日本人女性を見ましたが
あの靴でこの広い庭園を一体どこまで歩けるのだろう。私には無理だ。

歩き通しで身体はぽかぽか温かいが、汗ばむほどではない。
頬にあたると気持ちの良い、爽やかな風に吹かれてひたすら歩く。
ピンクの大理石柱のグラン・トリアノン宮を見学したあとは
360度果てしなく見える広い広い庭園を、己の視界の及ぶ限り
目に焼きつけながら、真っ直ぐのびる並木道を通って宮殿に戻った。

まだ気力は漲っているが、股関節が油を切らして軋み出している。
喉が渇いてたまらない。出口付近に売店があり、飲みものを買うことに。
『ボンジュール』
「ボンジュール・・・」
バイトの女の子と喋っていたおばさんが、私に気付き挨拶してくれる。
500ml.の黄色いスポーツドリンクを買い一気飲み。3ユーロ。

そして何度も名残惜しく振り返りつつ、ヴェルサイユをあとにしました。

16時でした。ここはC線の終点なので、帰りは殆どが折り返しで
パリに向かうだろうと、停車している列車の二階に乗り発車を待つ。
車内は空いていて、後方に若い日本人男女のグループが乗っており
女の子が大きな声で楽しそうに喋っています。
空いた席にぽつんと腰掛け、窓の外をぼーっと見ていると・・・。

突然わいわい騒々しくなったと思ったら、子供が大勢乗り込んできました。
皆小学生くらい、宮殿でやたらと見かけた修学旅行(?)の集団です。
私の隣や向いにも元気な男の子らが次々座り、車両はあっという間に
満席状態となって、蜂の巣を突いたようなやかましさです。

私のいるボックスの端には、引率の男女教諭が向き合って掛け
子供たちに『静かにしなさい、お行儀良くしなさい』と叫んでいました。
英語だなぁ・・・イギリスから修学旅行に来たんだろうか。
美人女教師は時折、背後の座席に向かって
『ミスター・トラブル!』と悪ガキをアダナで呼び叱っています。
確かユーレイルってあったな。ああいうので来たのかしら。
私が小学生の時分は、修学旅行先なんか高知だった。(激つまんねー)
ど田舎の公立だから仕方がないが、それにしても流石欧州だな。

周囲をジャリの壁で固められたお陰で犯罪に怯える必要が全くなかった。
ありがとう子供らよ。こうして帰りはほのぼのした気分で列車に揺られた。
高架の上から見下ろす町並みは、様式美を誇るパリのそれとは違い
工場などの建物が目立ち、無味乾燥なコンクリートのビルも多い。
真向かいに座っている男の子は、時々ちらちら私の方を盗み見る。
東洋人のおばさんが珍しいのだろうか。イギリス人ならそんなことないか。
少しそばかすが浮いているが、綺麗な顔立ちをしている。

昨日は、19時半くらいでやっと辺りが暗くなってきたな。
今は17時前だからまだしばらくは明るい。ついでだから寄り道をしよう。
途中のシャン・ド・マルス・トゥール・エッフェル駅からは
エッフェル塔が近い筈だ。
そして私が降りる駅の手前まで来ると、女教師が
『みんな、次で降りますよ〜。準備して!』
と声を張り上げ、子供たちが一斉に席を立って降車口に殺到しました。
なんと、この子たちもこれから同じところに向かうのか!
こうして、お子さま大行列のしんがりで列車を降りました。

駅を出て、「エッフェル塔はこちら」の表示に従い
セーヌ沿いの道を歩いて行くとすぐ、右側に巨大な塔がどーんと出現。
おおお!でででかい!下から見上げると途轍もない迫力です。
天辺までファインダーに収めるには、うんと仰け反らなければならない。

エッフェル塔の下は出店が沢山出ており、大勢の人で賑わっていました。
その間を縫うように、迷彩服の兵士が数人、ゆっくり歩き回り
辺りを睥睨しています。銃を手に、皆ぎらっと眼光鋭い。
これなら、スリかっぱらいの類も仕事を自粛するだろうから安心です。
彼らはコソ泥なんぞじゃなく、テロを警戒しているんだろうけど。

塔の下をくぐり、シャン・ド・マルス公園の芝生の切れ目から
少しずつ距離をおいて写真を撮りました。
日本人女性が同じようにカメラを構えながら
『デカ過ぎて入り切らへん!』と連れの女性とはしゃいでいます。
ほんまや。うんと離れんとちょん切れてまう。
いつかまた来ることがあれば、その時は上までのぼってみよう。
今回みたいにアクセク時間に追われず、ゆっくりパリを楽しめる時に。

シャン・ド・マルス公園の端まで来ると、ド・ラ・モット・ピケ通りを挟み
正面に旧陸軍士官学校の建物がありました。
ナポレオンの墓があるアンヴァリッドまで行ってみようと思い立ち
ピケ通りをしばらく歩いていましたが、考えてみるともう時間が遅い。
諦めて、途中にあったメトロのラ・トゥール・モーブル駅へ。
アンヴァリッド、距離的には目と鼻の先だったのになぁ。

クレティユ・プレフェクチュール行きの8号線に乗り、コンコルド駅へ。
ここには、革命期の処刑場跡であるコンコルド広場があります。
日本で言えばさしずめ、小塚原や鈴ヶ森のような血塗られた場所・・・。
そんなところに噴水を造り、エジプトからもらったオベリスクを建てて
名所として美しくリニューアルしてしまうフランスって・・・。

もうすっかり夕暮れ時、影を帯びて黒く聳えるオベリスク。
彼方に、先ほどのエッフェル塔が少し霞み、並んで見える。
広場を交通量の激しい道路が囲み、車やバスがぐるぐる走っています。
噴水の前で楽しげにグループ写真を撮る若者たちがいました。
往時の陰惨な面影は跡形もなく、偲んでみることさえ難しい。

クリヨンホテルと旧海軍省の建物の間に、マドレーヌ教会が見えました。
ここで処刑された国王夫妻の遺体は、マドレーヌ墓地まで運ばれ
無造作に埋められたそうです。享年今の私と同い年。
しかし現在のコンコルド広場を見る限り、感傷の入る余地もなく
何千人という刑死者の魂は、恐らくこの場所に留まってはいない。

隣接するテュイルリー公園に、広場脇の階段をのぼって入る。
すぐに目に入るのは、ジュ・ド・ポームの建物。
三部会の時、テニスコートの誓いが行われた場所です。
今は入口がガラス張りになり、写真などが展示されているらしい。
ここから夕陽を眺めたあと、痛み出した足を引きずるようにして
駅に戻り、1号線でパレ・ロワイヤル・ミュゼ・ド・ルーヴルへ帰りました。

ホテルの側に、パティスリー何とか(名前は忘れた)という
パンやお菓子を売っている店があり、そこで夕飯を買いました。
マッシュポテトと牛肉の惣菜、スープ、パニーニ。10何ユーロだったか。
部屋で開いてみて、しまったと思いました。
大して食欲はないのに、どれも食べきれない量。
しかもまずくて、特にスープは死海の海水かと思うほどしょっぱい。
飲んだら腎臓を傷めそうな気がして、全部捨てました。

18時半頃、人心地ついてから国際電話をかける。日本時間深夜2時半。
立つのがやっとのシャワールームのクソ狭さに辟易しながら
何とかシャワーを浴びました。当然バスタブは付いていない。
硬水の湯で、椿油を大量に使ったのに髪がバサつく。

その夜も水を大量に飲んで寝る。歩き疲れた。多分22時頃。



2007年03月13日(火) ヴェルサイユ〜エッフェル塔【1】

アルバム

↑「全て表示」にしてご覧下さい。但し200枚近くあります(ーー;)
ヴェルサイユの庭園やエッフェル塔などは
サイズを最大にして見ると、臨場感が増す感じ。

さて、今回も長〜い記録を。(私の覚書なので無理して読まんでよかよ)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

前夜は20時前に寝たのですが、疲労でそのまま泥のように眠りほうけ
朝になっても自力で目を覚ませないのではないかと
携帯電話のアラームを(日本時間のまま)セットしておきました。
朝の6時に起きるためには、何時に設定すればいいんだ?てな具合に。

ところが、深夜の3時か4時頃、腹痛を覚え目を覚ましました。
腹がゴロゴロ鳴っている。きっと寝る前にガブ飲みしたエビアンのせいだ。
フランスの水道水は飲めないこともないが、日本と違い硬水で
稀にお腹を壊すことがあるので、ミネラルウォーターを買いなさいよと
ガイドブックに書いてあったのだ。だからそうしたのに。

結局、朝食の時刻までに何度かトワレットを出たり入ったり。
街中で突然クルより、ホテルにいる間で寧ろ良かったと思いながら。
でもこれで、お腹がスッキリ軽くなった状態で出かけられる。
今日は早速遠出するのだ。パリ郊外のヴェルサイユまで。

朝食をとる部屋はレセプションのすぐ脇にありました。
ビュッフェ方式で、トレーに好きなものを取ります。

熱いコーヒーと牛乳がプレートの上にのっている他には
クロワッサン、チョコチップロールパン、小さいフランスパン、
シリアル2種、冷たい牛乳、ハム、固ゆで卵、種抜きプルーン、
カットオレンジ、シロップ漬けフルーツ(缶詰)、ヨーグルト、
カマンベールチーズ、バター、ジャム etc.. 野菜はない。

フランスの朝食は質素だと聞いていましたが
なかなかどうして、起き抜けなんかこれで充分な気がします。

コーヒーは、味は好きだけど飲むと頭痛がして電車に酔うことがあるので
普段あまり飲まないのですが、何か温かいものをお腹に入れたくて
カップに熱い牛乳と半々に注ぎ、カフェ・オ・レにしていただきました。

コーヒーが滑らかでおいしい。牛乳をこんなに入れても胃にもたれない。
そしてクロワッサンがまた何ておいしい。甘い良い香りがする。
日本のパンと何が違う・・・バターなのかな。さすがにパンの国だ。
ヨーグルト(DANON)は、ベリーの風味はするけれど果肉の塊がない。

カフェオレとパンの他は、ハム、卵、プルーン、チーズ、ヨーグルトで
すっかりお腹が一杯になりました。

日本人の宿泊客が、先に朝食をとっていました。
初老の夫婦と、若い女性二人組。女一人はやっぱり私だけか。

食事を終えて部屋に戻り、いよいよ出かける準備。
ガイドブックは重いし、外で開けば旅行者であることが丸わかりで
スリのターゲットになる恐れもあるので、置いて行くことにしました。
大丈夫だ、今日の目的地はヴェルサイユだけ。
ルートをメモしたものさえあれば、あとは多分必要ない。
雑誌から破り取った地図を折りたたんで持って行けば良い。

それでも一抹の不安が胸をかすめます。
何度も路線図を確認したり、持ち物を確かめたり
何より、気分を落ち着かせるのにグズグズそわそわしてしまい
ホテルを出た時は9時を過ぎていました。

「さあ行こう!」
無理に気持ちを奮い立たせて、ようやく外に出ました。
朝のパリの街を行く人々は、昨日の夕方見た時よりどこか慌しい。
調子を合わせるように、大股でスタスタとメトロの駅に向かいました。

自動改札機は、日本のそれとちょっと仕様が違うようなので
他の乗客の入り方を見て、真似をすることにしました。
切符を差し込むと、ピッと吐き出し口に出てくる。
それを取ってターンスティールをガシャンと押し
更に、前にある扉を押して開け、中に入るという仕組み。

改札を抜け、階段を少し降りたらすぐホーム。
奈落の底のように深い大江戸線に慣れてしまっているせいか
地下鉄と言ってもこんなに浅いものかと驚きました。

日本を発つ時、パリのメトロは危険だとさんざん聞かされていましたが
ホームで待つ人々は、見たところごく普通の老若男女ばかり。
白人と黒人の割合はほぼ同じくらい。私と同じ黄人はちらほら。
目立って無防備な様子を見せなければ、危険はなさそうに思える。

最初に乗るのは、ラ・デファンス行きの1号線。
この線だけは、ドアの開閉が自動の上、駅名のアナウンスが入ります。
乗り込むと、日本のラッシュアワーほど混んでいないものの
座席は埋まり、大勢の乗客が乗っていました。
バーにつかまって立ち、努めてクールな表情を作り長年の住人を装う。
それでも空いた手は肩から提げた鞄の端をしっかとつかんで。

コンコルド駅で一旦降り、バラール行き8号線に乗り換えました。
アンヴァリッド駅に着くと、今度はメトロからRERに乗ります。
RERの乗り場まで、表示に従い長い通路を延々歩く。
どこからともなく、ヴァイオリンの音色が響いてきます。
奏者が楽器にアンプを繋ぎ、通路で一心不乱に弾いているのです。
動く歩道の両側の壁は、奇妙な壁画がいっぱいに描かれており
構内は、香ばしいパンの香りが充満していました。

RERのヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ行きはC5号線なのですが
「C」の表示はあるものの、「5」がどこにも書かれていない。
行き先に“Versailles”とあるから、これでいいのだろうか・・・。

同じホームの反対側で、日本人らしき母娘が列車を待っていましたが
私はその隣に停車しているのに乗り込んでしまいました。
あとで思えば、どうせヴェルサイユ宮殿を目指すのであろう同朋に
素直について行けば良かったのです・・・。

RERの車両はメトロに比べ、一段と荒んだ印象を受けました。
二階建ての造りながら、全体が老朽化して薄汚れているし
窓は引っかき疵や落書きだらけだし、シートの茶色い革は古びてボロい。
そして、郊外に向かう電車だからなのか、乗客はまばら。

外国で、こんな怪しい列車で、たった一人で郊外に出ようとしている・・。
ガイドブックにあった、RERの治安についての記述が頭に浮かぶ。
一階車両の中央辺りに座を占めながら、緊張で身が引き締まる思い。

見渡すと、労務者風の中年男性や胡散臭げな黒人男性の他
前方にはブロンドの若い女性が一人で乗っている。
ビジネスマン風の男性や、年老いた女性も何人かいる。
大丈夫、まだ日が高いもの。悪人が蠢き出すのは大抵夜だ。

列車が発車し、通り過ぎる景色を車窓から眺めながら
停車駅の名前をひとつひとつ確認していました。
ジャヴェル… ムードン・ヴァル・フルーリ… ヴィロフレー・リヴ・ゴーシュ…
次の分岐で、ポルシュフォンテーヌに来ればOKだ。
果して、ポルシュフォンテーヌの標識が見えました。これでひと安心。

ところが次に止まったのは、ポルシュフォンテーヌの文字を見てから
かなり経ってからでした。駅名を見ると、ヴェルサイユ・シャンティエ… 
違う!
反射的に座席を立ち、慌てて列車から降りる。
やっぱり、乗る時に駅員にでもちゃんと尋ねるべきだった。
引き返そうと、ホームの階段を駆け上がる。
でも、どの列車に乗れば戻れるのかがよく判らない。
途方に暮れる中、ここでもパンの香りが駅の中に充ちていました。

多分これだ。と、また適当なアタリで乗り込む。
止まった駅は、サン・シール… また間違えた!!。・゚・(ノД`)・゚・。
これはいかん!どんどん目的地から遠ざかって行く!
こうなったらタクシーでも使おうと、駅を出ることにしました。

改札機に切符の差込口がないので、戸惑っていると
黒人女性がフランス語で何か言いながら、改札を素通りして行きました。
多分『出口では切符要らないのよ』と教えてくれたのでしょう。
そうだった。日本とは違うのだ。

改札を出て、インフォメーションと書かれた事務所に入りました。
インフォメの人たちは、着飾った三人連れの黒人娘の相手をしていて
私の方には目もくれません。注意をこちらに向けると、何やら怪訝な表情。
C5号線に戻る方法か、或いはタクシー乗り場を訊こうとしましたが
座っていたおばさんは、フランス語しか話せないようでした。
何かごちゃごちゃ言っているけど、当然こちらは理解不能。
『メルスィ…』
もういいよ。がっくりして駅の外に出る。

そこは、やけにだだっ広く閑散とした、駐車場だか広場だかでした。
タクシー乗り場なんてどこにも見当たらない。参ったなオイ・・・。
そこへ、本を読みながら足早に歩いて行く、東洋系の黒髪の女性が。
これはこれは、もし彼女が日本人であればラッキーだ。

「エクスキュゼ・モワ・・・」
しかし、彼女の返事はフランス語だった・・・。
もうダメか・・・でもここで望みを捨ててはいけない。
試しに英語で訊いてみるのだ。
「すみません、私はフランス語が話せないのです。(←ここだけ仏語)
 この近くにタクシー乗り場はありませんか?」
『タクシー?この辺では、タクシーは電話で呼ばないと来ませんよ』
英語が通じる!良かった!(T∇T)

『どこへ行きたいのですか?』
「ヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅です。
 だからヴィロフレー・リヴ・ゴーシュに一度戻りたいのですが」
彼女は、私が改札からずっと握り締めているカルト・オランジュを見て
気の毒そうにこう言いました。
『これは・・・4ゾーンまでの切符ね。このサン・シールは5ゾーンに入るのよ。
 戻るには、一度切符を買い直さないといけませんね』

何と、私は電車を乗り違えたばかりか、越境してしまっていたのでした。
フランスでは精算システムがないため、万一乗り越しがバレると
問答無用で45ユーロの罰金を徴収されるのです。危なかった。

彼女は、因幡の白うさぎを救った大国さまのように親切な人でした。
わざわざ一緒に駅まで戻り、表示板を指し示して
どのホームの電車に乗れば良いか、丁寧に教えてくれたのです。
何度も厚く礼を述べ、その女性に別れを告げました。

大枚で乗り放題のパスを買ったのに、まだ切符を買い足すのは
不本意だけれど仕方がない、タクシー代や罰金を払うよりマシだ。
窓口で切符を買い、東洋人女性に教わったホームから列車に乗ると
ちゃんとヴィロフレー・リヴ・ゴーシュに着きました。
今度こそ間違えないぞ。
ヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ行きのホームをしっかり確認し
列車が来るのを待つ。でも念のため、また誰かに訊くことにしよう。

ベンチに座っていると、向い側のホームで声高に叫ぶ声がします。
見ると、小柄な黒人のおばちゃんが、若い女性二人を小突きながら
何か大声で喚き散らしているのです。
女性たちはうんざりした表情で、あまり相手にしない余裕を見せながら
クレイジーなおばちゃんをあしらっています。
同じホームで電車を待つ人々は、皆そちらに注目して様子を窺っている。
ひとしきり怒鳴ったあと、おばちゃんはスタスタ歩いて行きました。
あの人がこっちに来たらどうしよう・・・。

そこへ、プラチナブロンドの華奢な女性が現れ
階段を降りて私のいるベンチの側まで来ました。
リュックをしょい、ベンチの端に足をかけて靴紐を結び直しています。
よし、この人に訊いてみよう。

「すみません、ヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュに行くには
 このホームで良いのでしょうか?」
さっき一生懸命暗記したフランス語でこう訊ねました。
『シャトー・ド・ヴェルサイユへ行くの?』
「イエス。このホームは正しいですか?」
咄嗟にどうしても“ウィ”が出ず、途中から英語になる。
彼女はトルコ石のような青い目で微笑み、答えました。
『そうですよ、ここから二つ目です』
「メルスィマダム、メルスィボクー!」
『オールヴォワール』

ようやく正しい列車がやってきて、ほっとした気持ちでそれに乗る。
いかにもといった観光客を満載した、賑やかな電車でした。
ぎっしり乗り込んだ若い男女は、皆英語で喋っています。
大幅なロスのせいで、やっとの思いでヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅に
たどり着いた時には、既に11時半を回っていました。
パリから30〜40分で行けた筈が、2時間もかかってしまった・・・_| ̄|○
RERって日本のローカル線並みに本数が少なかったから。

続く (長すぎて制限文字数オーバー)



2007年03月12日(月) フランス到着

アルバム

↑「全て表示」にしてご覧下さい。

記憶が新しいうちに自らの覚書として記します。(だから長いですよ)


今回申し込んだのは、完全フリープランのパックで
旅行代理店にホテルとエアチケットの手配だけしてもらいました。
航空券をポンと送って来て、あとは一人で勝手に行けよというものです。

添乗員付きの団体ツアーだと高くつく上、時間や行動が縛られるので
好きな時に好きな場所に行き、好きなだけ見て好きなだけいられる
自由な旅がしたかった。殊にフランスはそうしようと決めていました。

フライトを除けば、丸々滞在出来るのは僅か三日間。
それでも、パスポートの更新や情報収集など、事前準備が大変でした。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

寝過ごすといけないので、用心のため夜通し起きて出発に備え
朝の5時前に家を出る。外はまだ真っ暗で人通りもない・・・。

6時池袋発の成田エクスプレスに乗り込む頃
ようやく日が昇ってきました。
車窓から、しばし見納めとなる東京の風景を眺めながら
ハラハラドキドキ、否が応でも気持ちが昂ぶる。
海外女一人旅。大丈夫かなぁ・・・。
池袋を出た時はガラガラだったのが、東京駅に着いた途端に
どっとお客が乗り込み、車両はたちまち満席。
フランス語旅行会話本を手にウトウトしていると
あっという間に成田空港駅。7時半に到着。

まだ混雑というほどではないが、既に多くの人が
チェックインカウンターに並んでおり、気がはやります。
北ウィング第一ターミナルのJAL/ABCカウンターで
予め送っておいたスーツケースを受け取り、海外用携帯電話をレンタル。
ABC係員の手際の悪さにイライラ(-"-;)早くしてよ〜もう。
チェックインの際も、受付のお姉さんが何やらモタついている。

『お客さまのチケットは、これだけですか?』
「・・・そうですけど・・・?」

お姉さんが席を立ち、どこかに行ってしまいました。
何か足りないの?代理店からはそれしか送って来てないぞ。
ま、まさかここまで来て飛行機に乗れないなんてことは・・・(滝汗)

『お待たせして申し訳ありませんでした』
何だか知らないけど、取りあえず無事チェックイン完了。
しかし、スーツケースの重量が18kgもあった!!
20kgまでは無料で預けられるが、超過すると追加料金を取られる。
そんなに余計なもの詰め込んだ覚えはないのに・・。(いや詰めたかも)
やばい、これじゃお土産が買えないかも知れない・・・。

出国審査を済ませ、搭乗ゲートへ。
チェックインまでに手間取ったせいか、座席は後方のアイルシート。
窓際が良かったのに。この窮屈な席で12時間余のフライトか・・・。

9時35分、定刻通り離陸。靴をスリッパに履き替える。
パンツスタイルの制服がかっこいいエールフランスのアテンダント達は
外国人も日本人も皆愛想が足りない気がする。エコノミーだからだろうか。
しばらくして食事が提供される。肉か魚か訊かれ、魚をチョイス。
昨夜から何も食べていないのに、あまり空腹を感じない。
添えられていたライスは、縁が糊状に固まっていてマズイ。
エコノミークラスの機内食なんて所詮こんなもんか。
長身のイケメンパーサーが飲みものの希望を訊きにくる。
えっ♡『マダム』って私のことですか?

機上の時間。直行便とは言え、この長さは苦痛以外の何ものでもない。
機内は乾燥してうすら寒く、すぐに目が覚め、咳が止まらない。
二度目の機内食が済み、しばらくすると
パリに向け高度を下げ始めているとのアナウンスが入る。

現地12日14時(日本時間12日22時)、CDG空港ターミナル2C到着。
入国審査の係員は睫毛の長い黒人男性。終始無言。
スーツケースもスムーズにピックアップ、ホテルへの送迎車を待つことに。

代理店の専用車は片道14,000円とバカ高いので断り、ネットで調べた
シティラマ社のエアシティサービスを予約しておいたのですが
これが時間になってもなかなか来ません。心配になってくる。
到着ターミナルの8番ゲート指定で、乗車予定時刻は到着の一時間後。
実際は14時の到着だが、予定では14時20分になっているから
きっと迎えはその一時間後、15時20分に来るのだろう・・・。

怪しげな黒人が大勢たむろするゲートのベンチで一人、心細く待つ。
天気いいなぁ。風は少し冷たいが寒くない。これがフランスの空気。
写真を撮りたいが、引ったくりが心配でカメラを取り出すことはせず。

15時20分、車は来ない。40分、まだ来ない・・・。
ゲート番号を何度も確認したから、場所を間違えてはいない筈。
遅いな。電話してみようか。
ゲートの中に戻り公衆電話を探すが、それと思しき場所には
電話機が撤去された跡だけ残り、穴から電話線がぶら下がっている。
うーむ困った。レンタルした携帯電話を取り出した、その時。

『ミス×××?』
ゲートの回転ドアから中年男性が入ってきて、名前を訊いてきた。
手にはエアシティサービスのボード。
「イエ〜〜〜ス!」
ああ良かった・・・。

『随分待った?』
「待った。40分以上も」 本当は2時間近く待ってたけどな。(怒)
ドライバーのおじさんは英語が話せるようでした。

『別のお客さんを拾ってくるからちょっと待ってて』
ターミナルを周回してドライバーが一旦降り、すぐに戻って来ました。
『今回他に誰もいないから、ここに乗って』
と助手席を指します。
「お客は私だけ?」『そう』
送迎車の助手席に積まれるとは思ってもみなかった。
まあいいや、ここなら見晴らしが良いから。

『フランスは何度か来たことがあるの?』
おじさんが色々と話しかけてきます。
「いいえ、初めて」
『仕事は何をしているの?学校の先生?』
「先生じゃない。ただの会社員」 ・・・先生に見えるんか。
『じゃあ・・・秘書?』
「そう」
『帰りの飛行機は何曜日の何時?』
「金曜日の10時半」
『そうか金曜日か。じゃあ朝早くホテルを出ないとね』

「ここからパリ市内までどのくらいかかる?」
『大体40分だね』 成田に比べるとかなり近いな。
「おじさんはフランス生まれ?」
『出身は南米だけど、ロンドンに三年くらいいたよ』
はあ、それで英語がうまいんだ。

おじさんが道々ガイドしてくれました。
『ほら、コンコルド』
『あれはサン・ドニのサッカースタジアム』
「フランスチームが優勝した時の?」
『そうだよ。サッカー好き?』
「サッカーは興味ないの。
 サン・ドニのバジリク聖堂に行きたいんだけど、この近く?」
『ああ、あれの裏っかわ』

高速道路を降り、パリの街中に入りました。
日本とは違う風景に見とれながら、夢中でシャッターを切ります。
『ムーラン・ルージュだよ』
「どこ?どれ?」『あれ』
ということは、この辺りはモンマルトル界隈だな。
この国の歩行者は、路駐の多い車道を左右ろくに見もせず渡る。
ドライバーはそれを器用にひょいひょいよけて通ります。
「おじさん運転うまいね」
『ああ、仕事で毎日乗ってるからね』

話すこともなくなり、しばらくの間双方無言。
すると、おじさんがやおら口を開き、こう言うではないか。
『今晩、レストランでディナーを一緒にどう?』
はい?
『君をホテルに送り届けたあと食事がしたい。あちこち案内するよ』
こ、これはもしや・・・ ナンパか?
なるほど、日本の女は軽いと思われていると聞くけれども
それにしても仕事中に客を誘うとはさすがフランス人。いや南米か。

無視して「あの建物は何?」とか言いながらなおも写真を撮っていると
『君は私の質問に答えていないね』
「だっておじさん、仕事中でしょう」
『終われば関係ないよ』 ・・しつこいぞ?(-_-;)

「レストランで食べたら高いじゃない。
 私ね、お金がないから食事はモノプリの惣菜で済ますつもりなんです」
こちらの財布をあてにしてもダメだと暗示した訳です。
すると納得したのか、それ以上は誘ってきませんでした。

『もうすぐホテルに着くよ』 やれやれ。
『君の帰国の日は、朝7時に迎えにくる。
 前日にFAXを入れるから、フロントに言って受け取るんだよ』
「わかりました」

車は17時頃ホテルの前に止まり、おじさんがフロントまで
スーツケースを運んでくれ、私に代わって到着を告げていました。
礼を言いながら5ユーロ紙幣を渡すと
おじさんは固く握手して去って行きました。

ヴァウチャーを渡し、チェックイン。
フランスでは1階が0階なので、部屋は205号室ですが3階にあります。
客室はツインルーム、濃いオレンジ色が基調の室内。

長旅の疲れもあり、そこですっかり着替えて寛ぎたいところですが
その前にやることがありました。
日曜と月曜しか販売していないというカルト・オランジュ(定期券)を
駅へ行って買わねばなりません。
財布とパスポートと航空券、それに顔写真を用意してきたバッグに詰め
最寄のメトロ駅、パレ・ロワイヤル・ミュゼ・ド・ルーヴルに向かいました。

初めて歩くパリの街。
彫刻をふんだんに施した石造りの建物は
東京の煤けた真四角なコンクリートビルとは色がまるで違う。
通りを行き交う人々は、殆どがコーカソイドかニグロイドのよう。
私と同じモンゴロイドは少ない。ここは本当にヨーロッパなんだ。

記憶上の地図を頼りに、ルーヴル宮沿いをてくてく歩いて行くと
目当ての駅は難なく見つかりました。
階段をほんの十数段ほど降りたところに、もう窓口と改札がある。
果してたどたどしいフランス語が通じるだろうか。

「4ゾーンまでのカルト・オランジュを下さい」
『4ゾーン?』
窓口の無愛想な駅員が、指を折って訊き返します。
「そうです」
50ユーロ紙幣と写真を出すと、代わりにオレンジ色のカードを渡され
名前を書くよう指示される。貸してくれたボールペンは書きにくい。
駅員は無表情のままカードに写真を貼ってラミネートシールで覆い
クーポンと一緒にグレーのケースに納めてお釣と一緒によこしました。
よっしゃ!先ずはカルト・オランジュげっと!!!
明日から三日間、この電車・バスのフリーパスを移動に使います。

日没までまだ間がありそうなので、周辺を散策することにしました。
地図によれば、駅前にあるあれは、きっとパレ・ロワイヤル。
一旦ホテルまで戻り、その前の通りを歩いてみることにしました。

夕暮れ時の見知らぬ街の通りを、勝手知ったるかの如くずんずん進む。
結構歩いたけど大丈夫、帰りはもと来た道を戻ればいいんだから。
定期券を買えただけで、もう大胆になっています。
しばらく行くと、中央に騎馬像の建つ円形の広場に突き当たりました。
すごい。通りをちょっと行っただけで、こういうものが普通にあるパリ。

像に近づいて写真を撮り、さあ引き返そうとしたところ・・・
あれ?今来たのはどの道だっけ??

広場からは、幾つかの通りが放射線状に延びており
自分が今歩いて来た通りがどれなのか、判らなくなりました。
多分これがそうだろう、と適当にアタリをつけて歩き出すと
バンク・ド・フランスの文字が入った儼しい門構えの建物が。
フランス銀行だ。これは地図では確かホテルの斜向にあった。
なんだ近いじゃん。平気だ、余裕。

そこで大して慌てもせず、再び歩き出したのですが
実は全く違う方向へオペラ大通りに向かっていたのでした。

途中、見かけた雑貨屋に寄り、エビアンの1リットルボトルを2本購入。
お腹はあまり空いていないものの、喉がカラッカラ。

大通りに出ると、右手にオペラ・ガルニエらしき緑色の丸い屋根。
待てよ。あっちがオペラ・・・ということは、ホテルは・・・。
やみくもに歩いていると“モノプリ”“京子”“ポール”などといった
店の看板が見えました。それらはガイドブックに載っていて覚えていたので
ホテルから遠くないことは解っていましたが、方向感覚が今ひとつ。

止むを得ず、近くにいた人に道を尋ねることにしました。
三脚を立てて街の写真を撮っているかっこいいお兄さんに近づき
「すみません、パレ・ロワイヤル・ミュゼ・ド・ルーヴルの
 メトロスタスィオンはどこでしょう?」
と、拙いフランス語で話しかけてみました。
するとお兄さんは清々しい笑みを浮かべながら
『ここを真っ直ぐ行って左側ですよ』
と、英語で答えてくれました。
「ありがとう!メルスィボク〜ムッスィユ♪」
慣れないせいか、どうしても英語が先に出てしまう。
ともあれ、お兄さんのお陰で無事ホテルに帰り着くことが出来たのでした。

既に19時を回っていましたが、空はまだ薄明るい。
日没時刻は日本の真夏と同じくらいです。フランスってこうなんだ。
携帯で日本に電話してみたものの、応答がない。
無理もない。向こうはもう深夜の3時を過ぎているのだから。
ここで初めて、腕時計をフランス時間に合わせました。
それまで日本時間のまま、8時間引いて時刻を数えていました。

テレビを点けると、美女が司会者に何か答えているバラエティらしき番組。
当然ながら、何を言っているのかさっぱり解りません。
英語の番組はないかとチャンネルを変えてみましたが、なさそう。

身体も疲れているけれど、喉の渇きがもう限界。
買ってきた水をごくごく流し込み、まだ20時前でしたが
何も食べずにベッドに潜り込みました。
そう言えば、日本を発つ前から殆ど寝ていない。
くたびれ果てて、食べものを買いに行く気力などありませんでした。


 < 過去  INDEX  


[“Transient Portrait” HOME]

↑みちる草紙に1票
My追加