みちる草紙

2005年10月20日(木) 脱亞論

強い感銘を受けたので、ここに覚書として引用しておこう。
120年を経過して尚、特定アジアが変わることは遂になかったと。
こんにちの情勢、殊に隣国の動静を鑑みて、福沢諭吉の慧眼には
今更の如く戦慄を禁じ得ない。


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世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸し、至る處、
草も気も此風に靡かざるはなし。

蓋し西洋の人物、古今に大に異なるに非ずと雖ども、
其擧動の古に遅鈍にして今に活發なるは、
唯交通の利器を利用して勢に乗ずるが故のみ。

故に方今当用に國するものゝ為に謀るに、此文明の東漸の勢に激して
之を防ぎ了る可きの覺悟あれば則ち可なりと雖ども、
苟も世界中の現状を視察して事實に不可ならんを知らん者は、
世と推し移りて共に文明の海に浮沈し、共に文明の波を掲げて
共に文明の苦樂を與にするの外ある可らざるなり。

文明は猶麻疹の流行の如し。

目下東京の麻疹は西國長崎の地方より東漸して、
春暖と共に次第に蔓延する者の如し。

此時に當り此流行病の害を惡て此れを防がんとするも、果して其手段ある可きや。

我輩斷じて其術なきを證す。

有害一遍の流行病にても尚且其勢には激す可らず。

況や利害相伴ふて常に利益多き文明に於てをや。

當に之を防がざるのみならず、力めて其蔓延を助け、
國民をして早く其氣風に浴せしむるは智者の事なる可し。

西洋近時の文明が我日本に入りたるは嘉永の開國を發端として、
國民漸く其採る可きを知り、漸次に活發の氣風を催ふしたれども、
進歩の道に横はるに古風老大の政府なるものありて、之を如何ともす可らず。

政府を保存せん歟、文明は決して入る可らず。

如何となれば近時の文明は日本の舊套と兩立す可らずして、
舊套を脱すれば同時に政府も亦廢滅す可ければなり。

然ば則ち文明を防て其侵入を止めん歟、日本國は獨立す可らず。

如何となれば世界文明の喧嘩繁劇は東洋孤島の獨睡を許さゞればなり。

是に於てか我日本の士人は國を重しとし政府を輕しとするの大義に基き、
又幸に帝室の神聖尊嚴に依頼して、斷じて舊政府を倒して新政府を立て、
國中朝野の別なく一切萬事西洋近時の文明を採り、
獨り日本の舊套を脱したるのみならず、亞細亞全洲の中に在て
新に一機軸を出し、主義とする所は唯脱亞の二字にあるのみなり。


我日本の國土は亞細亞の東邊に在りと雖ども、其國民の精神は既に
亞細亞の固陋を脱して西洋の文明に移りたり。

然るに爰に不幸なるは近隣に國あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云ふ。

此二國の人民も古來亞細亞流の政教風俗に養はるゝこと、
我日本國に異ならずと雖ども、其人種の由來を殊にするか、
但しは同様の政教風俗中に居ながらも
遺傳教育の旨に同じからざる所のものある歟、日支韓三國三國相對し、
支と韓と相似るの状は支韓の日に於けるよりも近くして、
此二國の者共は一身に就き又一國に關してして改進の道を知らず。

交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども
耳目の聞見は以て心を動かすに足らずして、其古風舊慣に變々するの情は
百千年の古に異ならず、此文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云ひ、
學校の教旨は仁義禮智と稱し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、
其實際に於ては眞理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め、
尚傲然として自省の念なき者の如し。

我輩を以て此二國を視れば今の文明東漸の風潮に際し、
迚も其獨立を維持するの道ある可らず。

幸にして其の國中に志士の出現して、先づ國事開進の手始めとして、
大に其政府を改革すること我維新の如き大擧を企て、
先づ政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、
若しも然らざるに於ては、今より數年を出でずして亡國と爲り、
其國土は世界文明諸國の分割に歸す可きこと一點の疑あることなし。

如何となれば麻疹に等しき文明開化の流行に遭ひながら、
支韓兩國は其傳染の天然に背き、無理に之を避けんとして一室内に閉居し、
空氣の流通を絶て窒塞するものなればなり。

輔車唇歯とは隣國相助くるの喩なれども、
今の支那朝鮮は我日本のために一毫の援助と爲らざるのみならず、
西洋文明人の眼を以てすれば、三國の地利相接するが爲に、
時に或は之を同一視し、支韓を評するの價を以て我日本に命ずるの意味なきに非ず。

例へば支那朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃む可きものあらざれば、
西洋の人は日本も亦無法律の國かと疑ひ、
支那朝鮮の士人が惑溺深くして科學の何ものたるを知らざれば、
西洋の學者は日本も亦陰陽五行の國かと思ひ、
支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠も之がために掩はれ、
朝鮮國に人を刑するの惨酷なるあれば、日本人も亦共に無情なるかと
推量せらるゝが如き、是等の事例を計れば、枚擧に遑あらず。

之を喩へば比隣軒を竝べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして
然も殘忍無情なるときは、稀に其町村内の一家人が正當の人事に注意するも、
他の醜に掩はれて湮没するものに異ならず。

其影響の事實に現はれて、間接に我外交上の故障を成すことは實に少々ならず、
我日本國の一大不幸と云ふ可し。

左れば、今日の謀を爲すに、我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの
猶豫ある可らず、寧ろその伍を脱して西洋の文明國と進退を共にし、
其支那朝鮮に接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、
正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ。

惡友を親しむ者は共に惡友を免かる可らず。

我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。


『時事新報』 1885(明治18)年3月16日



2005年10月16日(日) また雨、また地震

『明日の関東地方は、青空が広がるでしょう』

確かに昨日のNHKの天気予報では、こう言っていた。
なのに、何故だ。煤煙の如くどす黒い厚い雲が隙間なく空全体を覆っている。
先月の横浜アリーナも、晴れの予報をみごと覆し、ただならぬ土砂降りとなった。
それまで外はそよともしていなかったのに、家を出る5分前に突風が唸り始め
階段を下りると同時にパラパラと降ってきて、傘を取りに部屋に駆け戻った。

今日も念のために傘を持って行ったがよかろう…。
玄関の戸締りをし、何歩も歩き出さないうちにポツリと顔に当たる。
ああやっぱり、雨神はアタシが外に出るのを待っていたのだ。。。

歩きながら折り畳み傘を開き、小雨の中、幹線道路沿いをひたすらテクテク。
そして、駅に近づいた頃、突如

ガシャガシャガシャガシャッ!!!

左手の駐車場のフェンスが鳴った。
見ると、金網がひとりでにガタガタとわななくように揺れている。
そして、車道と歩道を隔てて連なる透明の防音壁が
これも風もないのにベコベコ音をさせ、小刻みに激しく揺す振られていた。

地震か?
やばい、まずい。電車が止まってしまったらどうしよう。
時刻は午後4時をまわった頃だった。
開演まであと1時間もないのに、自宅付近に足止めだなんて、困る!!
(もっと早く出ろ)

果して、ホームに着くと同時に電車が入ってきた。何ごともなく動いている。
そして代々木駅まで、車両は特に遅れもなくスムーズに走った。
おかしいなぁ?あれは何だったんだろうか。

   

こうして、4年ぶりの代々木第一体育館に到着。
また南スタンド… しかも何?B列の端っこだわよ今回。最低(-_-;)
「省吾♡省吾♡ アタシを見て〜♡♡」
ステージから果てしなく遠い座席からの、熱視線と心の叫びは遂に届かぬまま…。
くそう。Yahooチケットの抽選に漏れさえしなければ、こんな末席に着くことなんて!!

帰宅後、部屋に入って見て驚いた。
もんの写真立ては無事だったが、本棚のへりに積んでおいた本がごっそり床に落ちている。
食器戸棚のガラス戸は片方がいっぱいに開き
洗面所では瓶類がことごとくシンクに転げ込み、蓋が散乱していた。
出がけ、偶然あのフェンスの揺れに気付くことがなければ
空き巣に入られたものと錯覚したかも知れない。

私は雨ばかりか、地震まで呼ぶ体質になってしまったのだろうか…。



2005年10月12日(水) こども

薬を飲み、頭が重いので夕方まで爆睡。
「グーッ!」
自分の途方もないイビキで目が覚めた。
何だ!今の怪獣みたいなのは。
起きるとグズグズ、横になれば詰まって息が出来ない鼻のせいだ。

いよいよ市販薬では埒が明かないので、病院に行こうと思ったが
近所のクリニックは殆どが水曜休診だった。
むう、自力で治せということか。

仕方がないので、今まで暖めていた国勢調査用紙を投函しがてら
セブンイレブンに寄り、酒と菓子を大量に仕入れる。

『風邪ですか?』
ゴホゴホ咳き込んでいるのを見て、店員のおばさんが訊ねる。

「ええ、お医者行こうと思ったら今日はどこもお休みで…」
『あら、お隣の××クリニック、今日やってますよ』
「えっ本当ですか?」
『受付は6時までだからまだ間に合いますよ。
 これ預かっておきますから、行ってこられてはどうですか?』
「ああ、そうですね。そうします」

親切な店員さんの勧めに従い、すぐ隣のビルのクリニックへ。
ここは休診日が木曜日らしく、受付終了前とあって待合室は混んでいた。

テレビのニュースを見ながら、ぼんやりと人間観察。
そこは、小児科かと思うほど小さな子供が多かった。

ロングヘア、紫色のベロアのパンツスーツに
ショッキングピンクのピンヒールといういでたちの
多分若い母親が、くるくるパーマの子供を連れてきていた。
“人間の証明”のジョニーみたいだった。
お母さんのファッションも、やや日本人離れしている。

別の母親は、走り回る幼いお兄ちゃんを連れ、乳飲み子を抱いていた。
その小さな方の男の子が
アタシの顔をじっと見つめているのと目があった。
どこかガッツ石松に似た、新生児のような顔立ち。

母親が会計に立っている間、下におろされたガッツは
小さな手でママのスカートをぎゅっとつかみ
脚の陰からこちらを見ては顔を隠し
またチラッと見て、を繰り返している。
しまいには顔をくしゃくしゃにして、ウァ〜と泣き出した。
ああ、スカートにヨダレが…。

泣くこたないだろうが、泣くこたぁ(-_-;)

ここはニッコリと、聖母の笑みを浮かべてあげるべきなのだろうが
こちとらなにぶん子供慣れしていないので、それが出来ない。
逆に、ヨシヨシとあやすより、泣き顔をムギュとつまんで
あっちょんぶりけしてやりたい衝動に駆られる。
(自分が保母さんに向いていないことは知っている)

薬局で薬をもらい、コンビニに品物を取りに行った時には
1時間以上が経過し、日はとっぷり暮れていた。

ところで、やっぱり医者の薬は効きが違うな。



2005年10月11日(火) 知らなかった

肥大のあまり、いよいよ穿けるボトムがなくなってきたので
安ものを漁ろうと、ジーンズメイトへ買いものに行った。
今の体型に高い服は勿体ない、ジーパンで充分だ、と思って。

お洒落なレディースモデルには目もくれず、メンズにまっしぐら。
女の子が穿くあんな細いやつなんか、どーせモモとウエストが…。
目についたのを取りあえず試着し、値段も見ずにレジにぶん投げた。

ピッ!

店員がバーコードをスキャン。

13,650円…


え?(@o@)

ちょっと待って。
こんな擦り切れたボロっちぃGぱん、2,000円くらいじゃないの?
なにっ?ジーンズってそんなにするもんなのっ??

今なら「間違えました」と引っ込めることも出来る。
でもみっともない。。。

アタシが表情をこわばらせているのなんかお構いなしに
店員はブツを縫製係に回し、引き換え札をよこした。


うわ〜ん!い、いらない!

なのに、何故か声が出なかった…。
騙されたと気付いた時、こんな風に頭が真っ白になるものだ。


太るって不経済。
せめてちょん切った布の分、値段引いてくれよ〜(T_T)



2005年10月10日(月) 濡れると毒な秋雨じゃ

一週間前には、暑いと文句をたれていた。

そうしたらこの一週間というもの、立て続けに冷たい雨が降りつのり
洗濯物の乾く暇がない。そしていきなり肌寒い。

昨日から喉の痛みが取れないので、風邪を引いてしまったようだ。
涼しくなってもTシャツ1枚で過ごしていたのと、寝相が災いしたのだろう。
そして、我が部屋のシンボル、こたつの出番と相成った。

引きはなだから市販薬で誤魔化して、医者の薬は取っておこう。

外は既に真っ暗。なるほど釣瓶落としだなぁ。
熱が出ないうちに、今夜はさっさと寝てしまおっと。。



2005年10月06日(木) ハルとナツ

最終回を見終え、これから寝るところ。
ものすごい久しぶりで、ドラマに感動した。゚(゚´д`゚)゚。

5夜連続欠かさず見たかったが、火曜日は飲みに行ってしまったので
3話めだけは見逃してしまったよう〜。
だから、最終話を見るために今夜の飲みは断った…(録画せい)。

 →公式サイト

ひとり置き去りにされた幼い妹が、波止場で
『ねえ〜〜ちゃあ〜ん!!あたしも行くうーー!!』
と泣いて絶叫するところでは、もう涙腺全開。゚(゚`д´゚)゚。
昔々、友だちとプールに行く時
ちっちゃい妹を一緒に連れてってやらなかったことを思い出してしまった。
母に抱き上げられてオイオイ泣いていた、あの時の妹とカブるんだよなぁ(ノ_ー。)

家族は3年で帰国する筈だったのに、二人の兄が死に、両親もブラジルの土となり
生き残った姉妹が再会を果すのは70年後。実にむごいほどの長い歳月を経て。
幼かった女の子二人は、ともに老婆になっていたという…。

老年の姉妹に扮するのは、老いてなお美しい森光子と野際陽子。
普段の森光子の若さは不可解だが、薄化粧だとちゃんと年なりに見えるのね。
子役も良かったが、老い込んでゆく父親らが出色だった(母親は皆いまいち)。
助演男優賞は文句なしに、誇り高き一日本人として死んだ、勝ち組の「お父ちゃん」だな。
どこか“風と共に去りぬ”のジェラルド・オハラを彷彿させる。
綿花を摘む米倉涼子のコスチュームも、タラのスカーレットのイメージだった。

結びはハッピーエンドで良かった。見終えてから暖かな気持ちに包まれました。

ひとつ気になったのは
「年を取ったら姉妹の身長差が逆になった」ということ。
(若い頃は二人が顔を合わせてないから誤魔化せたのか)
米倉→森、仲間→野際 のギャップは苦しいものがあった。そこが残念。

          

橋田寿賀子もいいもんだ。
と、このたびは思った。



2005年10月02日(日) 10月なんですが

彼岸を過ぎ、やっと涼しくなってきたなと思った矢先。
忘れかけていた夏の忌々しい暑さが体感的に蘇った。

今日は異様に蒸し暑かったなぁ。都心も30℃を超したって。
じゃあうちなんか、あの熊谷の気温に近いから暑くて当然。
蝉の鳴き声が聞こえないのが不思議なくらいだった。

お風呂では、身体を洗っている間にも額から汗が流れて
うつむくと鼻先から滴り落ちた。
昼寝をしても、喉がカラカラに乾いてすぐ目が覚める。

もーなにこのクソ暑さ!夏かよ!(怒)
一人でぶつくさ窓を閉め、エアコンで一気に冷やす!
近頃では、暗くなれば戸外は夜気がひんやりとして
心地よかったのに、今夜は不気味に生暖かい。
これも、夏にすれば涼しい方だけれども。

明日の気温はどうなんだろう。
もう夏ものはクローゼットに押し込もうとしていたのに…。



2005年10月01日(土) 入居者求まず

月末に、階下の大家さん宅へ家賃を払いに行ったら
出し抜けに
『お知り合いに、誰かお部屋探している人いない?』
と訊かれた。

そう言われれば確かに隣室は、ここ2ヶ月ほど
電気もガスもメーターが止まったままなのに気付いていた。
年配の女性が住んでいたが、身体を悪くして入院したとかで。

「ああ、じゃやっぱりお隣は引越されたんですか」
『そうなのよ。長いこと入院してたんだけど
 もう年だからって田舎に帰っちゃったらしいのよ』

となると、今このアパートを借りて住んでいるのは
アタシだけ♡ということになる(*゚-゚*)
窓さえ閉めておけば、夜中にお喋りしても気兼ねがいらない?

『出来れば、女の人がいいんだけどね。
 男の子は扱いづらい』

お隣の前の住人は若い男だったが、ためた家賃を踏み倒され
挙句は夜逃げされたらしいので、大家さんも懲りているようだった。

「じゃ、今度友だちにきいてみますね」
と、その場は適当に答えておいとました。

ここは大家さんの家の2階を、2世帯にだけ貸せるように
なっていて、一見すると普通の戸建にしか見えない。
(今朝も宅配業者が見過ごしてしまい、困って電話をかけてきた)

家賃は毎月滞りなく納めており、女の一人暮らしという
こともあってか気を遣ってくれて、部屋の住み心地は悪くない。
物干し竿も換えの蛍光灯もただでくれたし、更新料も取られない。

問題は二つ。

駅が遠くて店も少なく立地が不便な割に、家賃が高めなのだ。
それと、隣家の子供たちの雄叫びや泣き声が日夜凄まじい。
(日曜の朝6時からやられた時はさすがに怒鳴った)

でも、そんなこと大家さんにはちょっと言いにくいし。
アタシとしては、隣はずっと空き部屋のままが望ましいのですが…(^_^;)


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