土曜日生まれは腰痛持ち

2007年10月28日(日) 雨上がりのおろしチーズ

ちょっとした用事があって、
いつもは行かない公民館に行きました。
そもそも公民館という場所自体、
そうそう縁がないのですが、
住んでいるところと学区の公民館が微妙に違うため、
「ふだんは行かない」という意味です。

その公民館の北側に、
ちょっとした潅木の植え込みがあったのですが、
よくよく見ると、それは銀木犀でした。
雨上がりということもあり、かなり芳香がたっています。
おなじみの金木犀ほど主張が強くないものの、
甘くてさわやかで、
ライラックに近いかなという感じでした。

考えてみれば、秋になって金木犀が咲き始めると、
その木が御近所に1本あるだけで、
町中が飲食店のこぎれいなトイレみたいな匂いになります。
(「こぎれい」とつけても余りある「トイレ」の破壊力…)
そこいくと、十分いい香りがするのに、この慎ましさ。
なかなか隅に置けない花ではありませんか。

ところで、金木犀と銀木犀は、
花の形やたたずまいだけでなく、
台風一過で強い風に揺さぶられた後の花びらの落ちた様子も、
まるでおろしチーズをぶちまけたようで、よく似ています。
金木犀はミモレット、
銀木犀はパルメザンってとこでしょうか。



2007年10月27日(土) 微のツボ

・テレビのグルメ(B級含む)情報紹介の中で
 しばしば使われる、「気になるお味は…」的フレーズ
・コーヒーのドリップパックの封を切る瞬間
「あんた友達いないでしょ」という言葉に
 何がしかの攻撃力があると信じて疑わない手合い
・デザインそのものはダサいことは十分わかっているが、
 かわいいロゴの入った四つ穴ボタンが使われたエプロン
 (スーパーで500円〜1,000円)
・どうやらかわいいと思わなければならないらしい、
 「かわいい風(ふう)」に描かれた動物のイラスト入り各種グッズ
・安かったけど冷えていないジュースを大量に買ってきて、
 冷蔵庫にゴロゴロ入れる音
その他いろいろ。

上記の箇条書きは、私の「生活の中のひっかかり」です。
もっとも、ひっかかりにも二つありまして、
「気になるお味」(別に気にならないしー)、
「友達いない」(「余計なお世話」を絵に描いたよう)
「かわいい風」(ははは…笑うしかないや)
この三つには「イラッ」という意味でひっかかり、
ドリップパックの封、ダサいエプロン、ジュース缶には、
「うふっ」と、うまく言えないのですが、
「なんかいいんだなあ」と、
目を細める瞬間を味わわせてもらってます。

映画「アメリ」の中で、
キャラクターの人となりを端的に紹介するのに
そうした「ひっかかり」「好き嫌い」を
うまく利用していました。

人の営みは、「イラっ」と「うふっ」の積み重ねですが、
たまに、何でそれにひっかかるのかが
自分でもわからない事象というのもあり、
それはそれで、わからないままにしておくのが一興でしょうか。

何でこんなことを書く気になったのかといえば、
今朝ラジオで聞いた話が、ひっかかってしまったからです。

トラブル続きの後に経営破綻した
例の英会話教室の創設者の話でしたが、
「外国人に英語で何か尋ねられ、
答えられなかった残念さがきっかけで、
英会話教室を開いた。
あのとき答えられたら、友達になれたかもしれないのに」
人の考え方はいろいろなので、
こういう発想は発想で別にいいと思うんですが、
それに対するアナウンサーの発言が、
ざらっとひっかかってきました。
「最初はこんな純粋な気持ちだったのに…」

これって純粋なの?
私にはどうにも理解できませんでした。
だってこの人、
その辺の日本人のおっさんやおばあさんに何か尋ねられて
答えられなかったときも、
「ああ、あのとき答えられたら、友達に…」
と考えたのかな?
多分、「否」でしょう。

だって、一々そういうふうに思う人なら、
もっと別な商売に走るか、
そもそも「友達候補」から金取るなんてとんでもないから、
商売そのものをする気がしなくなるか、
どっちかでしょう。

外国人だったから(同性か異性かはしらんが)
友達になりたかったんじゃないの?
それも英語で話しかけてきたってことは、
結構な確率で白人、欧米人だったはずです。
それって十分な下心なんじゃないかと思います。

どころか、相手が誰であれ、
「友達になりたい」という発想そのものが
下心といえなくもありません。

その証拠に、例えば周囲に未知の人ばかりのとき、
この人と友達になりたいなぁと思う人を見つけたら、
どうしますか?
「友達にならない?」とか持ちかけてみて、
とりあえず、褒めるとこ捜したり、
自分と共通の趣味を探したりして、
会話上はしばしイエスマンに徹し、
親しくなってきた頃、
やれ今日の髪型は変だの、
あんたのその癖、どうにかならんかだのと、
遠慮会釈なく言うようになる…という経緯をたどる人が
ほとんどではないでしょうか。
最初にケンカをしかけて怒らせてという戦法をとる人も
少しはいるでしょうが、
メグ・ライアンが出てくるコメディーじゃないんだから、
そうそううまくはいきません。

そして↑友達になりたい人の行動として
書いたつもりのこれですが、
「恋人」「ステディ」に置きかえても、
全く同じことをするんじゃないでしょうか。
(やや駆け引き的な要素も入りましょうが)

で、誤解のないように言いたいんですが、
そういう「下心」って、何一つ悪いことはないと思います。
人を傷つけまいという心遣いとか、空気を読もうとする努力、
人間関係を支える大事な要素です。
純粋→まっすぐ→自分の気持ちばかり先走ってしまい→自爆
↑こういうルートよりは、何倍もマシです。

くだんのアナウンサーは、「純粋」なる言葉を
特に深く考えずに使ったに過ぎず、
一々ひっかかっている私の方がおかしいというのは
よーく心得ているつもりです。
が、ひっかかっちゃったもんは仕方ない。

そんなわけで、友達がいない=性格が悪いという意味で、
悪意を持ってこの言葉を使う人が信用できません。
世の中、友達を持つのに向いていない人というのが、
少なからず存在するのです。
……あ、私か。
(そして私は、自分の性格の悪さを認めません)
とはいえ、この日記をチェックしてくれているらしい
遠く離れた(または案外近くの)友人たちには
いつも感謝しています。
「誰かしらは読んでくれているし、
ひっかかってくれているはず」
という下心に突き動かされ、ちまちま書いてます。
そもそも純粋に書きたいだけだったら、
チラ裏がお似合いだしさ。



2007年10月23日(火) 顔についての下世話な話

世の中の大抵の人は、ごく普通の顔をしている。

その普通の顔の中で、
少しデッサンが狂っていたり、
絶妙なバランスが醸し出す何かがいい感じだったりして、
「美形」「ブサイク」などと大ざっぱに分類されたりする。

上の娘によると、
すっかりおなじみの「顔ちぇき」をみんなでやって、
ちょっと残念な御面相だと思っていた子を撮ったら、
ハーフっぽい美少女の名前が出てきたり、
かなりの美形だと思っていたら、
某吉本女子芸人の名前が筆頭だったりして、
大変盛り上がったそうだ。

物すごい美形と、そうでない人が並んだとき、
同じ人類の顔なのに、何でこんなに…と思うことがあるが、
顔全体の雰囲気より、エッセンスを抽出してとらえると、
そういうことになってしまうんだろう。
そう、「そんなに変わらない」のだ。

と、今さら偉そうに語るほどでもないのですが。

夕方のちょっとした休憩時間や寝る前に
よしもとファンダンゴで「ageageライブ」を見ていると、
最近の若手芸人は、
こぎれいでかわいい子が多いなあとびっくりすることがある。
玉木宏が若干小柄になった子とか、
松山ケンイチそっくりな子もいる。
(↑はいっ、これで誰のことかわかったら、相当な吉本フリークです)
比較的地上波の番組でも知られている人の中では、
ハイキングウォーキング松田君の美形ぶりなんか、
特筆すべきものだと思うけど、
何しろ相方で長髪濃顔のQちゃんの個性が強力なので、
余り目立たない気がする。

この人たちが何かのきっかけで世に出たら、
今のチュートリアル徳井君のようにもてはやされるのか、
その頃には、何か方向性の違う顔になっているのか
わからないけれど、
人様に姿をさらす仕事である以上、
ルックスのよさは強力な武器であることは間違いないだろう。
「お笑いなのに顔がいい」というフレーズが、
全く意味がなくなってしまった。

どうして今日は、
こうもわかり切ったことばかり書いてしまうんだろ。

ところで、ツンデレという言葉は、
やっぱり「美形でない人」には
使うべきではない言葉なんでしょうか。
美人が無愛想だと、
お高くとまっているとか、ツンとしていると表現されますが、
そうでない人が愛想がないと、
一まとめに「ぶすっとしている」と表現される気がします。
気取ってツンとしている「美人でない人」も、
顔を膨らませかねない勢いでぶすーっとしている「美人」も、
普通にいそうなものなのに。



2007年10月17日(水) テレビの調子がめちゃ悪い

小学校5年生の頃、家のテレビが壊れました。
一応、絵も音も出るのですが、
カラーのはずの画面から、
色がきれいさっぱり、洗ったように落ちてしまったのです。
白黒というか、いわゆるセピア調で、
何を見てもクラシック映画の趣となりました。

当時はまだ白黒テレビというツールも現役だったはずで、
NHKの受信料も、
「白黒」と「カラー」に分かれていたと思います。
あの状態でカラーの受信料(少し高い)を払うのは
不本意そのものだったろうと思います。

その後、祖父が懇意にしていた電気屋さんから
新しいものを買いました。

どれぐらい懇意にしていたかといえば、
メーカーのパーティーの招待状が来たほどです
小学1・2年の頃、連れていってもらい、
1年目はゲストのジェリー藤尾が、
客席を歩きながら歌っている最中、
なぜか私の小鼻をつまみました。
2年目のゲストは、CMにも出演していた桂三枝で、
「1・2・3・4・ごくろーさん」という
例のフレーズを一緒に公衆の面前で言わされました。

しかし、何で大人というのは、
子供は勝手にいじったり、
さわったりしてもいいもんだと思っているんでしょうか。
いや、「いたんでしょうか」が正解か。
当節そういう気ままな行動に出ると、下手すれば警察沙汰ですね


ああ、そうか。1970年より後に生まれた人には
ほとんど「歴史上の出来事的」な話題だよな。
ごめんなさい。

まあ、とにかく新しいテレビ買いました。
ちなみに壊れたテレビは、買った時期は特定できませんが
なつかしの、脚がついたタイプのやつでした。

そこそこ大家族で、
家族数−2という部屋数の家に住んでいたのですが、
諸事情で家族が1人減り…としていくのに
反比例するかのように、
買い替えや買い足しがむしろ頻繁になりました。
値段が下がってきたのと、
ライフスタイルの変化ってやつでしょう。
とはいえ、私が小5のときにうちにやってきたテレビは、
結局20年近く働いてくれたと記憶しています。

「三丁目の夕日」的世界でなく、
どっこい、昭和50年代の地方都市でも、
テレビにまつわる家族の物語はあるものです。

たしか長女が5歳の頃、
旅行先でお気に入りのアニメを見ていて
「(うちのと)色が違うね」と言ったことなどもあり、
その年か、あるいは翌年ぐらいに買い換えました。
当時、うちのテレビも、壊れたわけではないものの、
幾ら調節してみても、「赤」が強く出過ぎ、
画面全体ににじんでいるみたいに見えて、
非常に目に厳しいことになっていたのです。
私がひとり暮らしを始めるに当たって買ってもらったものなので、
都合8年ほど使ったでしょうか。

そして、そのとき買い換えたテレビが
平成も19年、21世紀も板についてきた今日このごろ、
10年目にして、不調を呈してきました。
何と、つけても絵が出てこないのです。
ひょっとして放送事故か何かかと思い、
ほかのチャンネルにかえたりしているうちに
何とかついたのですが、
だんだんと、絵が出てくるまでにかかる時間が
長くなってきました。
最近は、見たいものがあったら、
5分前には電源を入れておかないとおっつきません。

無言(音声は問題ないけど)の買い換え勧告
とらえるべき現象ですが、
最近またテレビ高くないですか?
いや、機能を考えたらむしろ割安なんだという
識者の正論・意見は、この際聞きません。
絶対値が高いものが多い気がするのです。
4年後の地デジ放送のことを考えると、
あんまり適当にも買えないし、
いよいよ全く絵が出なくなるXデーまで、
何とかつき合っていこうとは思っています。

「総セピア」「赤にじみ」「画面ストライキ」
生涯で3度、テレビの終末期に立ち会ったけれど、
症状が1個もかぶっていません。
機械に強くないので、
故障のメカニズムは全く理解できないのですが、
何か、テレビが非常に人間臭い機械に思えてきて、
いとおしくさえなります。


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