Kyoto Sanga Sketch Book
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2006年06月13日(火) Obrigada!アレモン!


2人の来日外国人と交代に、京都を去る2人の外国人。
(シーズン前からほぼ規定路線だったとは思うんですが)
アワードパーティの詳細は、新スタジアム計画絡みも含めて、
以前メルマガ「紫界良好。」に寄稿しましたが、その一部を抜粋再構成。



2005年12月。
アレモンは壇上から自分が呼ばれたのに気がつかず、
隣の席の辻本から肩を叩かれてやっと立ち上がりました。
壇上にあがった彼は泣いている。

彼の壇上の御礼の言葉。
「監督、そして支えてくれたサポーターに感謝します。
京都のことはずっとこれからも心にあります。」
美しい着物姿の女性が胸につけてくれた青い花が落ちた。
それでも彼の涙は止まらない。多分、もう解雇は通告されてる。




その年に活躍した選手を後援会が表彰する
昨年末のアワードパーティでの出来事でした。

パーティは、灯かりを落とした会場での
巨大スクリーンでのゴールシーンから始まり、そして表彰へ。
5百人のドレスコードの参加者たちと選手関係者たち。

特別賞はMF斉藤とMF中払。
ディフェンス賞はDF三上、得点王パウリーニョ。
年間MVPはGK平井選手。
そしてオフェンス賞は泣き虫アレモン。

その後は例年通り。ファンたちとの交流時間、
中山の座ろうとする椅子を、そっと引くリカルド。転ぶ中山に爆笑。
監督の「着実に3年でリーグ優勝を狙えるチームになれるよう頑張ります」との挨拶。
そして新スタジアム建設の向けての擬似プレゼンなどを経て、
パーティは終わった。

最後に、壇上で大奈が歌う。
その横で慰められたアレモンがサンバのステップを踏んで踊っている。
笑いながら顔を見合わせる監督や選手たち。




退場する選手が次々ドアに吸い込まれていく中、
「アレモン!アレモン!」
サポーターから西京極で響いたいつもの歌が響きました。
その歌に呼応して、列を抜け出し、
サポーター集団の中に弾丸のように飛び込む1人の選手。

パーティ中の華やかなドレスやスーツの上に、
サンガのレプリカユニを被ったサポーター達がそれを受け止め、
スーツ姿のブラジル人青年をを皆で抱きかかえて、宙に放り上げようと。
胴上げされる彼は、もう涙でまともな表情さえつくれない。。

もう泣かないで、アレモン。もうすぐ父親になるんだから。。


長身の彼を、サポーターたちは二十本ほどの手でも支えきれない(笑)
それでもまるで椅子に座ったような恰好の彼を、胴上げしようと。

しかし、本人は胴上げどころではないようで、
もう彼の顔は泣き笑い
もう、グダグダ(笑)





と、いうことがあの日にあった。有名な話ですが。
だからこそ、翌年キャンプの新チームで
いつもの陽気な彼を見たときの気分は…もうなんというか…いや…えーっと、
シーズン開始に予定したFWが取れず、
とりあえず彼と再契約、というオチが微妙な感じで(笑)
(でも今年も試合で彼の応援の歌が聞こえてきたときは、やっぱり嬉しいものでした)


開幕から3ヶ月。リカルドと共にアレモンに戦力外通告。
リカルドの個性、アレモンの若さ。
上のリーグでもより良い「助っ人」ができる選手に育ってきて欲しい。

何度も京都のピンチを救い、果敢な攻撃参加もあったDF。
精力的に前からプレスをかけ、周りを活かし、
そしてゴールで昇格を助けた成長過程のFW。

2人がこれからも善きサッカー人生をおくれることを祈り続けて。






アレモン最後のゴールは第10節セレッソ戦。
大志が相手DFを抜き去り、ゴール前に投げたボール。
そこにアレモンが走り込み、頭から飛び込み、
ボールは強烈にゴールへと。
背が高いばかりで、ヘッドは全く駄目と言われた彼の
最後のゴールは、そう。ダイビングヘッドでした。

そのまま相棒のパウリーニョと寝っころがり、
両手両足を空でバタバタさせて、ゴキブリのマネをする。
最後まで愛すべき馬鹿で(笑)



あの日華やかなパーティの後の会場、最後の光景は。
テーブルの上の食べ残しの皿、ドレス姿の女性たちが去って行くなか、
サポーターの男性たちと涙のアレモンが抱き合っている美しい光景でした。
まるで弟か息子の旅立ちのように。




2006年7月 横浜FCに移籍。昇格の原動力として大活躍
2007年1月 パルメイラス(ブラジル)に移籍
2007年7月7日深夜 リオデジャネイロで交通事故で亡くなる。23歳。

彼はもう成長することができなくなったけど、
彼の短い人生、短いサッカー選手としての生活の中で、
京都が、日本が、善き思い出の地であったことを祈ります。
もう、それしか私にはできないから。(2007年7月9日)


2006年06月01日(木) 【名古屋戦第7節〜新潟戦第11節】〜RETURNERS

西京極での日常はいつも、
遠く遠く、センターラインまで上がっていくCBの背中を見る事で始まっていた。
「今日はまた守備のラインが高いなあ〜。手島、機嫌良さそう(笑)」
そんな馬鹿を言いながら。

7年前。
京都でリーグデビューしたばかりの十代のSBの選手は、
たった2,3週間のアフリカ遠征を経て、若い守備の統率者として帰国した。
怪我、降格、3回の代表招集。

でも昨年J2。怪我での長期離脱後、彼のテンションが下がっていく。
首位独走チームにとっては、CBすらゴール前を固める敵を崩す駒に。
彼の守備力は不要。
オフサイドトラップも封じられた。

今年、昇格したにも関わらず手島は出て行った。

しかし、彼が移籍先でまた経験している不遇は、
京都をサポートしながらも何か胸が痛むもの。
それでも京都の試合は続いている。




■第7節名古屋戦(AWAY)4月8日

後半。前半崩せなかった名古屋の守備の網を、
美尾が、細い体で左サイドを舞うように蹂躙はじめた。
アレモン、パウ、林の3トップが有機的に機能はじめる。
パウリーニョのゴールで追いつく。

追加点を奪おうとした時、
途中出場で左サイドに立ちはだかったのは元京都の角田。
今季彼が調子がよいのは京都戦だけ、という者も。

なんだよ、それ…、角田。。

京都1−1名古屋

次の勝利まであと少し?とまだこの時は思っていた。しかし。


■第8節浦和戦(AWAY)4月15日

パウリーニョ欠場。カウンターでいい形の攻撃を見せたのは前半のみ。
失点からDFたちもMFたちも、引いて混乱して。

また崩れていく

京都0−3浦和


■第9節鹿島戦(HOME)4月22日


また柱谷監督がベンチかで出て叫んでいる。
DFの選手たちに「上がれ!ラインを上げろ!」と怒鳴っている。
SBの選手たちに、前の選手たちを追い越せ、と。


しかし、前節浦和戦での恐怖心があるのか、
攻めるべき時間にさええ、京都の中盤以降の選手たちは怖がって引いている。
それは去年J2京都のカウンター戦術とは全く意味が違う。

後半。逃げ切りたい京都はまた引き篭もりだした。
解説者がいう「もうこれ以上(DFラインを)下げたら駄目ですよ」

失点はその直後だった。
京都1−2鹿島


サポーターの胸に過ぎること。でも言ってはいけないこと。
今の再び壊れかけた京都に”今すぐ”に必要な選手は、
守備を統率できるリーダーシップのあるCB。
そして人材不足の右SB、決定力のあるCFW。
例えば手島、角田、黒部…
その全てが「京都が育て、そして最近失った」選手たちであること。


電撃的な発表はその二日後。

4月24日(月)公式HPニュース
「ガンバ大阪へ期限付き移籍しておりましたDF手島和希選手(26歳)が
2006年4月25日付で京都パープルサンガへ復帰することが
決まりましたので、お知らせいたします。」



数日後、練習場で選手たちを集めて守備の話し合いを持つ彼が見られたらしい。
噂で聞くその練習場での姿は、とても以前の無口な彼とは思えない。
サンガと手島の数ヶ月ぶりの再会。


■第10節C大阪戦(AWAY)4月29日

たった数時間の練習で、手島は3年ぶりの”J1”に復帰していた。
それだけでなく、チームをも変えていた。
失点は急造のDFの連携ミス。
引き分けにも、選手たちのコメントは明るい。
京都2−2C大阪

でも、彼の恐ろしいほどの存在感を知ったのは次の試合。




■第11節新潟戦(HOME)5月3日

開始直後の相手の攻めを凌ぎ、彼らは攻めに転じた。

手島が後ろから作るコンパクトな陣内と、
魔術師と言われた「1m、2m単位でのラインコントロール」。
敵味方20人の選手たちは新潟ゴール前に彼らによって押し込まれ、
もう15分には京都がボールを持つようになっていた。

始めは「J1に慣れたばかりです」というスピード。
しかし、新潟の速攻に晒され、手島が登尾がクリアをするたびに、
京都選手たちも目覚めていく。
セカンドボールを拾い続ける斉藤の、
サイドへの、前方へのパスがだんだん鋭くなった。
彼らの動き出しが速くなった。

前線が、中盤が、相手ボールを高い位置で奪い、前へ、サイドへと選手を走らせる。


大志が前方のパウリーニョを猛スピードで追い抜いた。
アレモンもゴールに向かう。新潟選手が彼らを追おうとした。
そのままパウリーニョの左足からゴールにボールは吸い込まれた。

先制ゴールは京都。

地面に転がって抱き合う外人2人。沸き立つ西京極。

反撃も受ける。
しかし、ボールを受けたシルビーニョを、また手島が追い込む。

手島は背後から試合をコントロールしていただけではなかった。

味方のコーナーキックに誰より反応した。
ゴール目掛けて頭に合わせようとしていたのも彼。
豪快なロングボールに、後ろから上がって凄まじいクリアをしたのも。
背後から頭上に上げた右足が、敵のボールを跳ね返す。
それについていく登尾。


彼がクリアするごとに京都の選手たちがじりじりと上がり、態勢が背後から整う。
J1の試合のスピードに順応していく。
そしてほぼ2年ぶりに見られるオフサイドトラップも。

復活した彼のテンションと判断に、京都が衝き動かされている。

摂氏25度、無風の初夏のようなピッチ上。
どんどん切り替えが早くなる両チーム。
中盤での接触も増える。
アレモンのシュートを止める海本。やりあう二人。
ただ、中二日での試合での新潟には、多少疲労があるのかもしれない。
京都外人2トップをマークする新潟DFたちにも組織的な動きは少なかった。

しかし、京都は追加点を相変わらず奪えない。
京都のシュートはわずかに右にそれたり、
二度、ゴールポストのバーを叩いたり、
今度はわずかに浮いてしまったり…。


前半ロスタイプは1分。

その時、右シルビーニョから長いボールが京都の守るゴール前に投げ込まれた。

手島が走った。この時間の失点は許されない。

ゴールライン間際、ボールは新潟中原の足元に落ちる。
彼の面前に立ちはばかる手島。
瞬時に手島の右足が反応し豪快に撃つ。

ボールをクリアした足は、敵の頭に全く触れることなく空へ舞う。
宙で一回転して地面に崩れ落ちる体。
落下してくるボール。

その瞬間、倒れこんだ体の右足は本能のようにまた伸び、
ボールをタッチラインに蹴り飛ばしていた。




ノーファール、ノーコーナーキック。完璧な守備。
あまりの凄まじいプレーにサポーターのコールはなく、どよめきが起きた。
解説者も息を飲んで言った。
「手島は…ゲームに飢えていたんでしょうね…」。

しかし、彼は立ち上がらない。痛みと不安の表情で鎖骨を手で押える。
スタッフが彼に駆け寄った。両手が×を作った。
そのまま、担架に。


後半は…
やっと得た”チームの統率者”を失った京都は、
退場者を出し10人になった相手にすら押し込まれ続けた。
サンガの中盤の選手たちが引き、最終ラインが引き、
どんどん10人になった敵を自分で呼び寄せる。

引き分け。西京極にブーイングが聞こえる。

幸せな再会を果たした1人の選手が、
悔し涙を流しながら、担架で運ばれてから1時間後のこと。

京都 1−1 新潟






手島和希、鎖骨骨折全治二ヶ月。これで万事休すかとも思った。
しかし京都は、手島のもたらした2試合でチームの共通イメージを掴んだよう。

実際には次節やナビスコ杯、CBの故障者は一時は4人に増えたり、退場が続いたりと
呪われたように、守備にメンバーを組めない。
そんな中でも毎回急造のDFラインが、
手ごたえを掴んだ強気の手島ラインを模倣。中盤選手が生き返りつつある。
(本人不在であっても手島の復帰で京都のサッカーが戻りつつある。
少し驚き。たった1人の選手がこれほど重要だったかと。)

監督解任の声は小さくなる。選手補強を望む声が大きくなる。
(もちろん、正しい判断なんてわからないけど)

そして懸念の右サイドバック。
和裕、大久保、リカルドと、誰もが簡単にクロスを上げられた。攻撃どころでなかった。
その解決方法は…


5月15日 公式HPニュース
「このたび、名古屋グランパスエイト所属のDF角田誠選手(22歳)の
京都パープルサンガに期限付き移籍が決定いたしましたので、
お知らせいたします。」


角田までが少し大人になって京都の右サイドに復活する。
そして同じく懸念の前線。


6月6日 公式HPニュース
「ナシオナル(ポルトガル)FWアンドレ選手(27歳)獲得」
「プーマス(メキシコ)MFピニェイロ選手(29歳)仮契約」


限られた予算で4人の補強ができた。
怪我人たちも中断後には帰って来る。
臨戦体制はW杯中断後に見れるはず。

その頃どんなことを書けるか楽しみなような、
まあ…不安なようなね(笑)



半年前、一部の者は「手島が京都を捨てたのだ」と言った。
また一部の者は「京都が手島を捨てたのだ」と言った。
そんなことは、もうどうでも良くて。
怪我がちだろうが、なんだろうが、京都にやっぱり必要な選手だった。
(どのチームにもそんな選手がいるように)


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