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2004年05月21日(金) 怒りのエネルギー

 愚痴はあまり好きではない。言った所でどうしようもないという気がしてくるからだ。自分にとって不快な話を他人にする。相手にとって不快ではないのか、それは。生きていく事の辛さなんて、現状への不満なんて、この歳で、まだ何者にも成っていない我々は皆少なからず抱えている筈なのだ。それを撒き散らす事、相手がそれを受け入れると当然のように考えている幼さが己を苛立たせる。
 皆苦しんで足掻いている。そういうものだ。羨むならもっと上を見ろ。

 そう言ってふと己を見る。それすらない己はなんだ。嫉妬も焦燥も胸の奥深くに押し込み、逃げている己に偉そうな事が言えるのだろうか。
 それでも、己はこういう人間が嫌いだ。単刀直入に言ってしまえば彼が嫌いなのだろうが。怒りは収まらない。己の愛しい人たちを、傷つけたら承知しない。妄想や思い込みや感情の赴くままの無神経な言葉で傷つけたら承知しない。通りすがりに投げつけられた暴言にも似て、それよりも深く傷つくだろう事が分かるから。
 日記という名の無神経で相手を顧みない感情の垂れ流し。友人知人が見ているという事を意識しないでどうしてあれだけの感情を垂れ流せるのか分からない。まったくの他人ならば気にしない言葉でも、その登場人物にとってみれば酷く暴力的な言葉かもしれないのに。


 エネルギーとは負の感情から生まれるのかもしれない。怒りや嫉妬やそういったものから。


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