KENの日記
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2016年03月30日(水) 沖縄海域に向けて出発しました。

北九州市若松港における作業を終えて、本日午前10時45分の今回の工事現場の「沖縄」海域にむけて出発しました。2月は北海道東の海域での工事でしたが、4月から5月中旬にかけては南の沖縄西南海域での工事となります。今回の工事では一番遠くは「与那国島」まで行きます。どのような航海となるのか楽しみであり不安もあります。

若松の岸壁では「若松の代理店」の社員の方多くいらっしゃって見送ってくれました。大変有難いことだと思いました。昔も今も同じようで、ゆっくり岸壁を離れてゆく「船」は「見送り」の典型だと思います。多くの方に手を振って見送られると「旅愁」を感じます。

出港前作業として、28日に食料を積み込み、昨日は2週間で溜まったゴミを回収してもらい準備を行いました。



2016年03月26日(土) 小倉から「藍の島」へ




明日から天気が崩れるというので土曜日の今日「休み」をとって外出してきました。目的地は小倉から12Kmほど北にある「藍の島」(通称:猫島)です。全国各地に「猫島」がありますが北九州ではこの藍の島が有名なようです。「藍の島」へは小倉から渡し舟(片道400円)で渡ります。戸畑まで車で出てそこから鹿児島本線の電車を乗って小倉まで行きました。「藍の島」へ向かうの渡し舟は小倉駅の新幹線口(北口)から直ぐの桟橋から出ていました。

渡し舟の客は「釣り客」「猫見物客」「工事関係者」とかなり風変わりな組み合わせだと思いました。約30分の船旅で渡し舟は藍の島の小さな桟橋に着きました。そして直ぐに猫見物の始まりです。

藍の島の猫は殆どが「去勢猫」なので「一代限り」で命を終えます。従って将来猫人口は減っていくし、子猫の姿をみることはありません。少し寂しい感じがします。丁度ボランティアの人が居たので話を伺いました。島民と猫ファンとボランティアで話し合った結果だそうです。

この日は日差しが強いものの気温はそれほど高くないので猫の姿は多くは見られませんでした。それでも人懐こい猫があちらこちら居て散歩していると寄ってきます。去勢済みの猫が老後を過ごすという「猫島」はそれなりに静かでのんびりしています。餌が十分あるらしく毛繕いの時間が多いようで殆どの猫は身綺麗にしています。

藍の島で「猫」より興味深かったのは、島内に駐車している「車」にナンバープレートが無いことです。島の方に聞いてみると、島には「お巡りさん」はいないし、信号も無く、スピードを出せる広い道もないから、多くの島民は本土から「廃車」を買ってきて島内の移動手段に使っているのだそうです。ガソリンは魚を市場に運ぶついてに小倉か下関で買ってくるのだそうです。のんびりしたものです。

「藍の島」見学の後は小倉駅に近い小倉城を見てきました。ちょうど桜祭りが行われていて、桜の開花はまだほんの少しですが、春を待ちきれない花見客が大勢繰り出していました。




2016年03月21日(月) 若松の休日

春分の日を含めた3連休です。その最後の日21日に休みを取って寄港地若松近辺を散策することにしました。考えた末に「飯塚」に行ってみることにしました。目的地はNHKの「華子とアン」の中で仲間由紀恵演ずる「白蓮」が嫁いだ先として有名になった「伊藤伝右衛門」の旧宅です。




「飯塚」までの列車の旅は2回も乗り換えなければなりませんでした。まず若松駅からディーゼル列車に乗って筑豊本線と鹿児島本線の交差する「折尾」まで行きます。「折尾」で筑豊本線の「電車」に乗り換えて途中駅の「直方」まで行きます。ここでまた違う電車に乗って「飯塚」に行きました。嘗て筑豊本線は「若松」を起点として走っていましたが、現在の筑豊本線は完全の「博多」を向いて走っていることが分かります。博多から見ると一番遠い「折尾ー若松」間がまだディーゼルで走っていることが納得できそうです。「伊藤伝右衛門旧宅」は「新飯塚駅」からバスに乗っていくことになります。

連休最後の日ということもあってテレビドラマで有名になった「伊藤伝右衛門旧宅」は多くの観光客で賑わっていました。丁度「雛祭り」の季節なので、旧宅建物内には多くの雛人形が飾られていました。この雛人形も目を引きましたが。嘗ての石炭財閥の伊藤家邸宅は大変立派でした。

広大な建物と庭は広大に加えて、色々なところに「白蓮」を迎えるために特別な作りを残していることは「伊藤伝右衛門」の思い入れが相当強かったことを示していると思いました。九州の最初の水洗トイレとか、立派な鏡のある洗面所、広いお風呂、西洋式のダイニングルームなど東京からやってくる「白蓮」に不自由な思いをさせないように考えられたものでしょう。それでも白蓮は宮崎龍介の許に去りました。

私は白蓮のことを「宮崎家の嫁」という関係で知ることになりました。宮崎龍介は熊本県荒尾出身の「宮崎滔天」の長男です。「荒尾」は「飯塚」から筑豊本線を南下して原田で鹿児島本線に乗り換えると、それほど遠くないことが分かりました。敷地内の白蓮ミュージアムには「宮崎滔天」との関係から、白蓮が周恩来に会ったときの写真とか、孫文・毛沢東が宮崎龍介とあっている写真が飾られていました。思いがけず中国辛亥革命との繋がりに出合うことができて興味深かかったです。



2016年03月20日(日) 若松に居ます。



若松港入港初日の18日は乗船員届のために若松駅近くの海事事務所まで行ってきました。本船が停泊しているは若松市北部の岸壁ですが、そこからタクシーで20分くらい走ると若松市の中心部に出ることができます。若松と湾を挟んで隣接する戸畑を結ぶ「若戸大橋」はこの辺りのランドマークです。本船からも遠くに「若戸大橋」が見えるのですが、「若戸大橋」の直ぐ近くJR若松駅があります。

「若松駅」は非常にこじんまりとした駅でした。小倉・戸畑・博多を通る鹿児島本線は九州の大動脈ですが、「若松駅」はそこから外れた「筑豊本線」の終点駅です。鹿児島本線に乗り換えるためには筑豊本線5つ目の駅の「折尾」まで行かなければなりません。「若戸大橋」を渡ると「戸畑」までは直ぐですが、JRは一旦折尾駅に出てそこで鹿児島本線に乗り換えることになり大変不便です。若戸大橋の下あたりで北九州市営の「渡し舟」が運行されています。

「筑豊本線」はその名前の通り筑豊炭田から石炭を若松に運ぶ路線でした。「若松」を起点として南に向かい「直方」・「飯塚」等の嘗ての炭鉱の町を結んでいます。嘗て若松駅は石炭積出しが多いことから日本一の貨物取扱量を誇っていた時期がありました。しかし現在のJR若松駅前はガランとしています。そこは歴史の中に取り残されてしまった空間のようです。



2016年03月18日(金) 若松到着

午前8時に若松港に到着しました。岸壁の反対側には新日鉄の製鉄所の巨大な溶鉱炉がそびえています。今日からケーブル積み込みのため2週間ほど若松に停泊します。停泊している岸壁から若松市内へはタクシーで20分程です。この2週間の間に工事資材・食料に加えて個人用の「酒のつまみ」を積み込むことになります。勿論停泊中は船内宿泊です。



2016年03月17日(木) 長崎港出港

本日午後4時長崎港を出港しました。これまでは午前中の出港が多かったのですが今日は午後です。というのも今回の最初の目的地は北九州市の若松港なので、長崎からは一晩で着いてしまうからです。若松港では二週間ほどかけてケーブル資材を積み込みます。そして月末には工事が行われる沖縄海域に向けて出港する予定です。

2月は冬の北海道の工事でしたが4月は沖縄海域での工事となります。初めての沖縄なのでどんな様子か楽しみです。



2016年03月13日(日) 出港前に床屋へ

17日に出港するので今日は床屋に行って散髪してきました。稲佐のバスの通り道でバス停近いところに見つけた床屋に行ってきました。とても丁寧に仕上げていただきました。



2016年03月10日(木) 長崎に戻りました。

午前10時のANA663便で長崎に戻りました。今日の天候は厳しい冬型なので西からの風が強く飛行機は30分程度遅れました。早速船に戻って休暇中のメールを見ました。9日間の休みだったのですがメールはかなりたまっていました。長崎は予想していた以上に寒くて鉄でできている船は底冷えがします。春は足踏み状態のようです。



2016年03月09日(水) 阿見の「予科練記念館」等

休暇の平日を利用して茨城県阿見町にある「予科練記念館」(雄翔館)にいってきました。高速道路を使えば1時間程度のドライブです。しかし「予科練記念館」は土日休館なのでこれまで見学の機会を逸してきました。「予科練記念館」は自衛隊阿見基地の敷地内にありますが、直ぐ隣に「予科練平和記念館」(阿見町の運営?)があります。この施設に駐車場があり、見学客はこの「予科練平和記念館」に車を止めて、自衛隊内の予科練記念館を見学することとなります。「予科練記念館」は入館無料、「予科練平和記念館」は入館料500円(大人)です。

昭和五年に「海軍飛行予科練習生制度」ができたと解説のパンフレットに書いてあります。日本海軍は「大鑑巨砲主義」から「航空戦力による戦い」へ戦略的転換を図る必要がありました。優秀なパイロットを早く育成するために全国の14歳から20歳の高等小学校終了以上の学力・体力優秀な若者を集めました。私の叔父もその一人で第15期の練習生でした。10年くらい前に亡くなった叔父の予科練時代のアルバムを私の母が実家の箪笥にしまっていました。それは今回実家を処分するにあたり「さいたま」に持ち帰りました。

有名な「若鷲の歌」の歌に歌われているように「7つボタン」の制服は当時の若者にとって一種の「憧れ」でした。しかし太平洋戦争の後半においては現実には「特攻隊員養成組織」と化し多くの若者が国のための命を捧げることとなったのでした。「予科練記念館」はそうした若者達の「遺書」を淡々と展示しています。淡々と展示している分見学者の心に悲しみが染みてきます。

阿見からの帰りにはつくば市内にはいってワンコインピザ「ポルフェ」で遅い昼食を食べました。つくば市内には「真のナポリピザ協会認定店」があるのですが、ワンコインピザを選びました。この選択は大正解だったようです。鈴木牧場生産のモッツアレラチーズの「マルゲリータ」、500円の「マリナーラ」は価格を考えると大変水準の高い「ピザ」だと思いました。



2016年03月06日(日) ピッツェリア「サボイ」

一昼夜バッテリーを充電しておいたお蔭で今日は「車」で外出ができました。元々はそれ程遠くにいく予定もなかったのですが、一旦放電してしまったバッテリーのために遠出することにしました。目的地は「東北道蓮田サービスエリア」と「日帰り温泉」です。

まず蓮田サービスエリアで「サヴォイ」のピザを食べました。多分全国でここだけだと思いますが、高速道路のSAで「本格的な薪窯焼ピザ」が食べられるのです。マルゲリータ1枚1000円は味と立地からすると値決めが私の感覚とぴったりでした。ちょっと塩の掛けすぎで塩辛かったこと以外は大満足でした。特にオリーブオイルがたっぷりかかっているため、冷えてしまうと台無しになってしまうと思いました。

「サヴォイ」といえば、三宿に本店を構える「サヴォイ」、中目黒「聖林館」の前進としてナポリピザ業界では古株のピッツェリアです。現在は本場ナポリで修行した若手ピザ職人が中目黒・恵比寿近辺で活躍していますが、1995年開業の中目黒の「サヴォイ」はブームになるずっと前からナポリピザを焼いていたのです。蓮田SAの「サヴォイ」もこの伝説的名店の流れを汲むピッツェリアのようです。詳しくは知りませんが。

蓮田SAには「ETC専用」出口があるのですが、出口はSAの入口にあり、ドライバーが一旦SAに入ってしまうとETC出口から出られないという「大変」気の利いたものとなっています。私達は「ピザ」が目的ですので「ETC出口」で出ようと思ったのですが出られず次のインターチェンジまで行くことになりました。蓮田SAでピザを食べるときは「SA」に入らずに直前で高速を降りて「徒歩」でSAに入るのがベターなようです。SA付近の一般道には多くの車が路肩に駐車している光景が見えました。

蓮田SAからの帰り道「新大宮バイパス」沿いの日帰り温泉に入ってきました。須坂に帰省した時には温泉施設「ゆっくランド」に何度も行きましたが、さいたまでは初めての「日帰り温泉」でした。日曜日の午後は多くの客がゆったりを温泉を楽しんでいました。私もゆっくり寛ぐことができました。



2016年03月01日(火) さいたまに帰省します。

長崎空港からアップロードしています。19時発のANA670便で羽田に向かうところです。一応10日まで休む予定です。長崎は昨日から寒くなっています。一か月余り前の大雪の時のように冷えます。しかしこの寒さは長続きしないとのことです。2月一杯過ごした北海道東海域は非常に寒かったですが、春は確実に近づいている感じがします。




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