KENの日記
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2012年09月29日(土) 巾着田の彼岸花




日高市の巾着田の彼岸花を見てきました。この土・日がピークだろうと言うことで大混雑が予想されたので朝早く車で出かけました。朝6時30分頃に自宅を車で出発しましたところ、新大宮バイパスや国道16号線は混んでいましたが、日高市内、巾着田近辺はまだ空いていたので、巾着田の駐車場に余裕で車をとめることができました。(巾着田は朝7時開園です。)

早朝にやってくる人達は「立派なカメラ」をもった写真マニアが多いようでした。朝の混雑しないうちに自分の撮りたい写真を思う存分撮っている感じです。子供連れもまだ来ていないので辺りは比較的静かでした。

「彼岸花」は5分咲き程度でした。しかし咲いている花は皆元気が良いので見栄えは素晴らしかったです。自然の群生地の辺り一帯が異常に赤い「彼岸花」畑に比べ、近くの人工の「コスモス畑」はいかにも自然な感じがしたのは面白い対照でした。

彼岸花、コスモス、巾着田牧場の「馬」等を一通り見て自宅に帰り着いたのはまだお昼前でした。混雑する観光地見物はこういう方式に限りますね。



2012年09月28日(金) 心臓検査

糖尿病(予備軍ですが)でお世話になっている高野先生に紹介状を書いてもらって、NTT東日本関東病院の循環器内科に行ってきました。高野先生曰く「心臓に何か異常があった場合には会社関係の病院の方が安心でしょう」ということで、少し遠いのですが五反田の関東病院にしたのでした。

今日は、「心臓のレントゲン撮影、心電図、負荷をかけてのエコー」の検査をしてから循環器内科の先生の診察を受けました。随分まえから心臓は「ST異常」の不整脈だと言われていますが、関東病院に残っている昔の心電図(2006年のもの)と比べても、異常が進んでいるということなので、別の日に心臓血管のCT検査をすることになりました。天皇陛下が心臓の検査をして血管が細くなっていることを発見されたと同じで、血液に特殊な造影剤を入れてCTで血管の状況を検査するものです。

これまでの人間ドックの結果報告書について、少し遡って「心臓」「血糖」「尿酸」の状態の推移を整理しておきます。

1999年5月17日(それまで正常であったが異常検地で再検査)
心電図:ST−T異常、軽度の右室肥大、血糖値:111(前年より上昇)、尿酸:8・0(前年より上昇)、体重:69Kg

2000年6月29日
心電図:下壁梗塞可能性、軽度ST−T異常、血糖値:106(正常値)、HbA1c:5.0、尿酸:7.3、体重:69Kg

2001年6月27日
心電図:平底T、HbA1c:4.5、尿酸:7.8、体重:66Kg

2001年11月2日
心電図:R波(V1V2)増高?、軽度ST−T異常、HbA1c:5.0 尿酸:8.9 体重:68.5Kg

2003年7月4日
心電図:ST−T異常、軽度な右室肥大、HbA1c:5.3 尿酸:8.5 体重:69.3Kg

2004年2月13日
心電図:軽度ST−T異常疑、軽度な右室肥大 血糖:121、HbA1c:5.4 尿酸:8.5 体重:69.8Kg 

2005年9月26日
心電図:ST−T異常、軽度な右室肥大 血糖:138 正常高血圧、HbA1c:6.2、尿酸:8.1、体重:69.6Kg

2006年10月6日
心電図:軽度ST−T異常、軽度な右室肥大、正常高血圧、大動脈硬化、血糖:122、HbA1c:6.2 尿酸:7.0 70.8Kg 

2008年1月22日
心電図:ST−T異常、右室肥大の疑い、頚動脈:一部内膜肥厚、血糖:118、HbA1c:6.9、尿酸:7.0、体重:69.7Kg

2008年11月27日
心電図:ST−T異常、血糖:97、HbA1c:6.7、尿酸:7.9、体重:69.7Kg

2010年2月3日
心電図:軽度ST−T異常、血糖:146、HbA1c:6.5、尿酸:6.1、体重:67.9Kg

2010年11月4日
心電図:ST−T異常、血糖:127、HbA1c:6.3、尿酸:7.5、体重:66Kg

2011年8月30日
心電図:反時計回転、ST−T異常、血糖:134、HBA1c:6.4、尿酸:8.4、体重:64.8Kg

2012年6月25日
心電図:反時計回転、ST−T異常、大動脈蛇行、血糖:116、HbA1c:5.4、尿酸:7.9、体重:60.2Kg



2012年09月16日(日) 須坂に帰省

夏休みに長野に帰省できなかったので、敬老の日直前の土日を利用して田舎に帰ってきました。田舎での用事が溜まっていたのでこの機会に出来るだけ多くこなして来ました。交通手段は関越・長野道を車で走るというもの。連休の高速道路は流石に混雑していました。行きも帰りも川越付近で事故原因の渋滞に巻き込まれました。この渋滞で往復それぞれ1時間程度余分に時間がかかりました。

土曜日の午後から地元の不動産屋さんとの打ち合わせを設定していました。誰も住まなくなってしまった須坂の実家が、売却するとすればどれ位の価値があるのか、建物の中もお見せして査定して頂くことにしていました。その結果次第で売却も検討するつもりです。土地についていうとバブル以前に購入した金額の半分以下に下落しているとのこと。さらに建物については既に古いので価値は殆どないという話です。それでも建物は年数が経っている割には痛んでいないので改修すれば新築するより安くできるので利用可能だという評価でした。現在では必須となっている駐車場設備がないので、その整備費は差し引かれてしまいます。あまり期待できそうにないのですが、結果を待ちたいと思います。

時間を見つけて妻の実家も見てきました。こちらは草ぼうぼうで建物は大分朽ち果てています。外から見える障子がぼろぼろで網戸も壊れているものが多いためかなりみすぼらしく見えます。もっとも屋内には貴重品はないので泥棒に入られても大きな被害はありません。ただ草木が伸びて近所迷惑になりそうなことと、火事にでもなったら大変なのです。両実家の移動の間におよそその中間地点にある我が家のお墓にお参りしてきました。正月・盆に来ることが出来なかったのでお寺さんにもお礼をしてきました。

両方の家のチェックをすましてから、長野の日赤病院にこの夏から入院している姉の見舞いに行きました。非常に難しい病気で家族総出での看病が続いているようです。何より本人が病気と闘うことを一つの「生き甲斐」として考えるようになったと見えて、しっかりした気持ちを持っているので安心しました。さすがは同じ病院で看護師を長くやっていただけあります。難しい病気ですが頑張って欲しいと思います。



2012年09月13日(木) 中国次期首相候補の消息不明

中国では次期の国家指導者を選出する第18回全国人民代表大会(全人代)の開催が予定されていますが、その大会で中国のトップに選出されることが確実視されている「習近平」氏の消息がこの9月1日を最後に途絶えています。さらに通常なら疾うに発表されている全人代の日程も確定していません。

丁度アメリカの大統領の中間選挙が控えていますが、民主的な選挙によるかどうかは別にして中国のトップ選出の過程も、物凄くタフな絞り込みが行われることが通例のようです。日本の首相(候補)決定のための民主党・自民党の代表・総裁選挙が短期決戦で非常に簡単に終了してしまうこととは大きく異なっています。

「習近平」氏といえば2009年12月に来日した際に、日程が迫っていたにも拘らず特別の配慮によって天皇陛下との会見が行われたことで、当時既に次期「主席」就任が確実視されていることが内外に知れ渡りました。今年2月中旬にアメリカを訪問したときにも、アメリカは次期中国指導者として異例の19発の礼砲をもって「習近平」氏を向かえたのでした。

ところがちょうどその2月前後から「きな臭い」話が中国から聞こえてきたのでした。「習近平」氏のアメリカ訪問の一週間前に中国成都のアメリカ領事館に重慶市の公安トップが亡命を求めて逃げ込むという事件が発生したのでした。最終的にアメリカは亡命を認めず中国政府に亡命者の身柄を引き渡したのですが、アメリカはその人物から詳細な内部情報を入手したことは確実です。この亡命者こそ「習近平」と同じ革命家二世政治家(太子党)エースの「薄熙来」氏の側近でした。その後の経緯については、3月には「薄熙来」氏の失脚が報じられ、「薄熙来」氏の妻の「英国人殺人事件」が露見しその裁判がつい先頃行われるという、未曾有のスキャンダルとなったのでした。

この間「習近平」氏は同じ太子党でも「薄熙来」氏とは一線を画して、次期主席として立場を確実に守ってきた感がありました。その「習近平」氏の消息が途絶えたのですから、中国政権内部に何かあったと考えざるを得ません。今日になって非公式(香港経由)ながら、「習近平」氏が主要摘出手術をしていたとの情報が流れています。本当かどうか数日中に判明するでしょう。

因みに、「習近平」「薄熙来」の二人の家族は非常に似通ったところがあります。二人ともバツ1であ、再婚相手は飛び切り美人の才媛(もっとも薄熙来氏の妻の「谷開来」は裁判所に別人のような姿で現われましたが)。「習近平」氏の再婚相手は群所属のオペラ歌手。そして子供はそろってアメリカ留学中です。



2012年09月08日(土) ナポリピザのファストフード

今日・明日と代々木公園でスリランカフェスティヴァルが開催されていて、妻と二人で行ってみました。過去何回か会場で昼食を食べたのですが、場所取りが大変やら、本場の味とはいうもののそれ程感動しなかったので、今日は渋谷のピザ店で昼食を済ませてから行きました。(ピザ店の話が中心になってしまいました。)

目的の場所は「ナポリス」という「ピザのファストフード店」と謳ったピザ店です。なんとマルゲリータが1枚350円なのです。これはユーロ換算でも3.5ユーロ程度。まさしく現地価格です。妻と二人でマルゲリータのランチセットを頂きました。マルゲリータと野菜サラダと飲物(ワインor生ビール)で850円です。これに生ハム(500円)を追加しました。値段でいうとピザが圧倒的に安いので、その他の注文を最小限に抑えればかなりお得です。

「マルゲリータピザ」はというとそれなりに美味しく頂けました。生地は縁と中央の厚さの差があまり無く、つまり厚さは殆ど均一なので全体に火を通してりました。具でいうとチーズには最初から期待していないので、こんなものかと言う感じですが、トマトペーストは通常の輸入物を使っているらしくてピザを引き立てるのに役立っていました。

良く考えればトマト臭さを極力排除して甘くなってしまった日本のトマトより、缶入りの輸入トマトに方がトマトそのものの味がするはずですし、価格的に買っているはずです。最近「バジル」も安く手に入りますのでチーズに目を瞑ればそれなりのマルゲリータになることを実感した次第です。

ただファストフードと謳っているのですが、店の奥の飲食スパースはかなり空いているにも係らず、注文カウンターにはかなり長い列が出来てしまいます。それはピザが焼けるまでカウンターで待たされるからです。かなり大きなピザ窯(ガス)ですが、同時に焼けるのが3枚程度が限度にようで結果的にお客様は並んで焼き上がりを待つことになってしまいます。番号札か何かを渡して代金支払い後は飲食スペースで待たせるとか工夫が必要だと思いました。

とは言うものの「ナポリピザ」という料理に関して、イタリアンレストランにはかなり普及しているし、ピッツェリアと称して「ピザ中心」の店舗形態も出てきているし、今回の「ナポリス」のようなファストフード形態を模索する動きも出てきました。ナポリピザが本格的に認知され、フード業界に一定の地位を確立した証拠だと思いました。

スリランカフェスティバルは毎年どんどん変化している感じがしました。今回注目したのは、スリランカに資金送金するための会社の出展が多かったこと。日本に支店はないですがスリランカ大手の「バンク・オブ・セイロン」が出展していたことには驚きました。それとコロンボの日本食レストラン「日本橋」がスリランカカレーのデモを行っていました。コロンボ在住時代のレストランオーナも来日していてPRしていました。日本食レストランが大繁盛して事業拡大しているようでした。



2012年09月07日(金) 1812年から200年

今年は2012年。単純に1812年の200年後ですが、1812年と言えばチャイコフスキーの「序曲1812年」。今年は演奏会で取り上げられる機会が多いようです。

その「序曲1812年」が描写していると戦争が、1812年9月7日のポロジニ(Borodino)の戦いです。ボロジノはモスクワの西約120Kmのところにあります。ナポレオン一世の率いるフランス軍は70万の兵力で1812年6月にロシアに進軍を開始しました。

迎え撃つロシア軍は各所で敗北を重ね、ボロジノに強固な砦を構築して最後の決戦を挑みました。このときのロシア軍兵力は90万に上ったとの言われています。

ボロジノでの戦いは決着が付かなかったのですが、ロシア軍は退却を余儀なくされたのでした。その後フランス軍はモスクワを攻撃するのですが、ロシア軍は頑固に抵抗し続けたので、フランス軍はモスクワを落とすことができませんでした。

そうしているとモスクワは段々秋が深まっていきます。10月中旬にはロシア軍はモスクワから退却を開始しますが、フランスから大規模な遠征部隊はどんどん消耗していきます。ついにヨーロッパに冬が訪れ、結局ナポレオンの遠征軍は冬将軍に敗れてしまうのでした。

「1812年」に中間部ででてくる民謡風の旋律はこのボロジノ地方に伝わる民謡なのだそうです。




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