KENの日記
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2009年04月29日(水) 池袋「大勝軒」

今日は妻が合唱練習・娘も外出ということで、休日ですが家族がそれぞれな目的で過ごすこととなりました。私はHMVが「連休10ポイントセール」中なのと、献血ができる時期になったので池袋に出て見ることにしました。更に目的は昼に池袋「大勝軒」にいって「本店の味」を賞味してみることにしました。

池袋の大勝軒は再開発事業のため旧店舗は地上げされ、最近になって少し南に新店舗を開いたのだそうです。新店舗は池袋東口のグリーン大通りを下って、高速道路が大きくカーブして頭の上を通過する場所にありました。丁度有楽町線の東池袋駅の上です。高速のガードしたなので、雨の日でも長い行列が可能な場所です。良い所を見つけたものだと思いました。




休日の今日も約5mくらいの行列ができていました。食券売り場にご主人の「山岸」さんが座っていらっしゃいました。山岸さんと一緒に写真をとるファンもいて正しく大勝軒の看板となっています。ホームページで山岸さんが北信州出身と知ったので並びながら少しお話を伺いました。

山岸さんは信州の中野の奥の夜間瀬出身のお父さんが海軍の軍人だったので横須賀で生まれたのだそうです。4歳の時にお父さんが戦死されたので、郷里のの信州に戻られて旧制中学まで出て東京に出てきたのだそうです。それから親戚の人と一緒にラーメン屋さんを開業したのだそうです。非常に優しいお人柄で、大勝軒の人気は「ラーメンの味」と「山岸さんのお人柄」なのだと思いました。下の写真が山岸さんです。




池袋店の「もりそば」は浦和大勝軒のそれと比べると少し「大雑把」な感じがしました。あれだけ行列が並んだ客に、次から次へと大量に作らなければならないのですから仕方がないのかもしれません。「もりそば」は比較的早く出てきますが「ラーメン」は時間がかかっているようでした。食券を自動販売機で売っているのでメニューは増やせるのですが、作るほうが追いついていないようでした。浦和大勝軒の引き締まった「スープ」と腰がありしっかり盛り付けられた「麺」の方がインパクトは強い感じです。

池袋プラザイーストで献血をした後、メトロポリタンプラザのHMVでCDを物色し2枚購入してきました。タリアヴィーニの「イタリア民謡・歌曲集」と最近発掘されたというムラヴィンスキーの「未完成・チャイコの4番」のCDです。さすがポイント10倍セールの日なのでHMVは混雑していました。



2009年04月27日(月) スリランカ内戦激化(18)

スリランカ政府とLTTE(開放のトラ:反政府組織)との内戦が最終局面に入っているようです。今年に入ってからの政府軍の進攻によって、LTTEはジリジリを追い詰められてきました。現在LTTEは海に面した12平方Km程度の範囲で抵抗を続けていて、その中にはLTTE兵士と数万人のタミール人市民が残っているようです。

LTTEは一方的に「停戦」を宣言していたのですが、スリランカ政府はそれを認めていませんでした。政府の求めているのは「停戦」ではなく「降伏」なのです。このような政府軍の対応に対してLTTEは敗れるくらいならば、全員服毒自殺を図る旨の宣言を行っていました。

最終的にどのような結末を迎えるのか分かりませんが、アメリカ政府やインド政府の説得に応じて、スリランカ政府は今日重火気による砲撃とか空からの攻撃作戦を中止しました。今後は救出活動を展開するとのことです。そうするとプラバーカランを始めとする残されたLTTE指導者達がどうなるのか。アメリカ政府がLTTEに対して第3国に対して「降伏すべし」という声明を発表しています。果たしてスリランカ政府軍はどのような「救出」をおこなうのでしょうか。残念なことにならなければ良いのですが・・・。

下は政府の決定を知らせるコロンボのニュースページです。

Sri Lanka stops combat operations, only rescue missions continued
Monday, April 27, 2009, 7:41 GMT, ColomboPage News Desk, Sri Lanka.

Apr 27, Colombo: Sri Lankan government today announced that it has concluded all combat operations and would continue the rescue missions.

"Government of Sri Lanka has decided that combat operations have reached their conclusion. Our security forces have been instructed to end the use of heavy caliber guns, combat aircraft and aerial weapons which could cause civilian causalities," the Defence Ministry said in its web site.

"Our security forces will confine their attempts to rescuing civilians who are held hostage and give foremost priority to saving civilians," it further said.

The announcement comes after the Navy foiled another attempt by the Tigers to attack the ground troops from the sea. One Tiger boat was destroyed and four LTTE members were killed in the operation.



2009年04月26日(日) 新型インフルエンザへの対応

メキシコ市の「新型インフルエンザ」が発生した地域の対応模様が明らかになっています。メキシコ市では以下の対策を採って集団感染(パンでミック)を食い止めようとしています。

○外出は控える。外出する時はマスク着用
○学校・大学は当面休校
○コンサート・集会などの行事の中止

日本でも「新型インフルエンザ」が発生した場合の対策は準備されていますがメキシコの発動した措置は非常に参考になります。これらが発動されるとかなり社会に同様が出ると思うからです。例えば、学校・大学以外の会社組織などはどうなっているのか、外出は控えるとして「生活のための飲食物」はどうするのか・・・・・・。差し当たりメキシコの対応は適切なように思えます。日本が同じ状況になった時にこれだけの対応ができるのか疑問です。

「WHO」が緊急会議を開きましたが、警戒段階の区分の引き上げを保留しました。これは適切なのでしょうか。今回の発生地域がメキシコ・アメリカ南部地域で景気悪化に伴う社会不安・社会活動低下を恐れての配慮が働いたとすれば非常に危険だと思うからです。

メキシコとアメリカの「豚インフルエンザ」のウイルスが同一の遺伝子を持つことが確認されましたが、これは何らかの形でインフルエンザウイルスが国境を越えたことを示しています。空港での検疫は厳重でしょうが、陸路による越境の場合には厳重なのでしょうか。テロ対策は非常に厳重だとは聞いていますが、「新型インフルエンザ」対策に落ち度は無かったのか。

保険・医療の先進国デ世界をリードするはずのアメリカにはこれからの対応を十分注視して欲しいものです。「新型インフルエンザ」はアジアのことで太平洋を挟んで最も遠いアメリカには殆ど影響しないと「高を括っていた」とすれば大変なことになります。これこそ「Yes we can」でしっかり封じ込めて欲しいです。



2009年04月24日(金) 新型インフルエンザ発生か

以外なところから「新型インフルエンザ発生か」というニュースが流れています。3月末にアメリカ南部(カルフォルニア・テキサス)で発生した集団インフルエンザが「豚インフルエンザ」が人間に感染して「人から人へ感染」する「新型」に変異した可能性があるようです。アメリカの患者は既に回復していて、インフルエンザの形態はまだ「弱毒性」のようなのです。

ところがアメリカと国境を接するメキシコで「呼吸器感染症」が流行していて、既に60人が死亡した疑いがあるそうです。この死亡者数から考えるとメキシコのインフルエンザは「強毒性」のようです。今回のインフルエンザウイルスが従来から研究されていたものであれば、ある程度ワクチンが効くのでしょうが、全く新しい型であると恐ろしいことになります。

アメリカとメキシコのインフルエンザが同一のものか、別々のものか分析中だとのことですが、アジアとアフリカ地域の「鳥インフルエンザ」の人間への感染を恐れていただけに、このインフルエンザ発生は意表を突かれた感じです。しかし「豚」は「空」を飛んで移動しないので「鳥」よりは伝搬力が小さいので封じ込めは容易かもしれません。

何れにしろ、このニュースの続報が気になります。



2009年04月18日(土) 戦艦「みかさ」見学

昨年暮れの北京旅行以来「中国と日本との関係」「日清・日露戦争から満州国の設立・第二次世界大戦への道」というような課題に関して、様々な本を読みながら考えています。これからも実際に中国・韓国などを旅行したいと思っています。今日は「横須賀」で展示されている日露戦争の日本海海戦の主力艦の「みかさ」を見学してきました。




目的地は「京浜急行の横須賀中央駅」。武蔵浦和駅から埼京線で池袋に行き、池袋で便利になった「湘南新宿線」に乗り換えて横浜駅にまで行き、横浜駅で京浜急行に乗り換えて横須賀中央まで行きました。約80Kmの距離ですが「1時間45分」程度で着きました。車で行ったら大変なことになっていたでしょう。

学生時代に逗子に住んでいた友人からシツコク誘われた「みかさ」でした。しかし当時は残念ながら興味がなく横浜に住んでいたのに見学しませんでした。横須賀も夜のコンサートで二回位行ったことがあるだけで昼間の町並みは初めてです。横須賀の町は米軍基地の関係で外国人が非常に多いことに加え、防衛大学、自衛隊(海上、陸上)の制服をきた人が沢山歩いているので、非常に珍しく感じました。

「みかさ」は海に面した「三笠公園」に保存されています。最初は岸壁に繋留していたのでしょうが今では船の回りはコンクリートで固められています。現在は「上甲板」と「中甲板」の2フロアーが見学可能となっています。「上甲板」は前後の30cm主砲の他、艦橋に登ることができます。「中甲板」には広い講堂の他、副砲10門、後ろの方の艦長室、司令長官の部屋などが見学できます。ここでは日清戦争以降の中国を中心とした日露戦争・それ以降の戦争の歴史を展示しています。

この「みかさ」は1902年に完成し、日本海海戦で大活躍した後、佐世保ドックで修理中に爆発を起こして一回沈没します。その後揚収・修理されて現役復帰しますが、1922年のワシントン軍縮会議において戦艦保有宣言が課せられて廃艦が決まりました。しかし記念館として保存すべしとの意見が多く、再び戦列に復帰できないような形で保存することが許されたのでした。そして艦首を皇居の方に向けて海岸に固定されたのでした。

今年はNHKで「坂の上の雲」が放送開始されるようです。そうすると「みかさ」は多分多くの人を集めることと思います。確かに15000トンの戦艦、30cm砲は迫力があります。100年以上前の日本の意気を感ずることができると思います。さて、この100年間に人類にどのような進歩があったのか。北朝鮮は当時の日本と同じような行動を採っていますし、軍事力は当時と比べ物にならない程大きくなっています。



2009年04月12日(日) 大勝軒のラーメン

浦和の仲町通りにある「大勝軒」の「もりそば」にはまりつつあります。浦和の県立図書館に用事があったときに寄ったのですが昔の記憶を呼び覚ますものでした。というのも10年以上前に「池袋」に勤務していた時に、昼食時に東池袋にあった本家「大勝軒」に食べに行ったことがあるのですが、順番を待つ行列のあまりの長さに断念したことがあるのです。それ以来「大勝軒」のラーメンは幻のものとなっていました。浦和の大勝軒は「東池袋」の「暖簾分け」のようです。以下が「大勝軒」ホームページです。

大勝軒のホームページ

ホームページによると東池袋の大勝軒は昭和36年開業だそうです。そしてご主人の「山岸一雄」さんが開発したのが「特性もりそば」の付け麺です。本家は知らないのですがたぶん浦和大勝軒の「もりそば」も本家の物を忠実に再現しているはずです。独特の麺と「スープ」は非常にバランスが良く、分量の多い普通盛りの麺もつい最後まで食べてしまいます。また麺・スープとも非常に丁寧に準備されるので、注文してから少し待たされますが、かえって期待が高まる効果があります。

なんと「山岸さん」は長野県の中野市の出身だそうです。「もりそば」という名前も「信州そば」をヒントにしたとか。そういえば大勝軒の味は少し濃い目です。



2009年04月05日(日) 沼影観音の秘仏御開帳

今日後午買物に行こうと沼影観音の前を通ったのですが、非常に賑やかで単なる「花見」どころではないので境内に入って見ました。いつもは閉ざされている「お堂」は全開です。世話役のような方に聞いてみると、なんと6年か7年に一度の「秘仏の御開帳」なのだそうです。今日から1週間の催しだそうで、カメラを持ってこなかったので、急いで家に戻りカメラと「集印帳」を持参して再び参拝しました。




上は御開帳の様子です。正式な寺院名は「鶴住山廣田寺」で通称「沼影観音」はさいたま市指定有形文化財の「木造聖観音立像」というのだそうです。建物の奥の厨子に納められた観音象をなんとか撮影しようとしたのですが、厨子にかけられた幕が邪魔になって上手く撮影できませんででした。さいたま市のホームページに写真がありましたので下に勝手に引用させてもらいます。少し怖い顔をした観音様です。




本堂の正面の壁にこの象はの言われを説明した絵馬がかけられています。ガラスで覆われているので良く見えないのですが、解説が配られていたので貰ってきました。

この象はその形式から鎌倉時代の作と考えられるのだそうです。絵馬によると、行基の作とのことで元は三井寺にあり、三井寺火災後は鞍馬寺に移り、北条時頼が鎌倉に移したのだそうです。鎌倉幕府滅亡の時に陣太鼓に入ってこの埼玉の「沼影」に落ち延びたとのことです。その後盗難に遭い福島県二本松の「七平」という人が買い取って信心していたのだそうですが、七平の夢に「お告げ」があり、「自分は沼影の観音だ」というので村々を経て「沼影」に戻ってきたのだとということです。




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