KENの日記
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2006年12月31日(日) 年末クラシック

NHK交響楽団ベートーベン第9演奏会、指揮:上岡敏之
BS放送で第3楽章から聞きました。指揮者の上岡さんは初めて聞きます。NHK交響楽団の第9は久しぶりです。昔から随分聞いてきました。今回もあまり共感できない演奏でした。自分が歳を食ってしまったのかしら。第3楽章から終楽章の「歌」が入るまで、気力のない音楽が流れていきました。音が繋がっているだけで、演奏者もこれといった感慨がないみたい。唯一終楽章のテーマをチェロとコントラバスで演奏するところが分厚くそして非常に魅力的な音で演奏していました。N響のチェロはとても旨いと思います。しかし、バリトンソロが入ったところで期待を裏切られました。ソリストの声そのものは上品なのでしょうが力がありません。ソリストはソプラノを除いて「?」マークが付きました。ソプラノ活躍する場面はほとんどありませんでした。とにかく指揮者のテンポが「じっくり聞かせる」というものとはほど遠いのです。


上岡さんの指揮姿は「アバード」を彷彿とさせますね。棒さばき、顔の表情(口を少しかけるとか、額の皺など)とかそっくりです。でも楽団が共感していませんね。N響ももう少し共感すればいいのにと思いました。でもあのテンポではやはり無理かしら。それとN響の弦楽器は現在調整中かしら。2006年暮れに「ロジャー。ノリントン」のピリオド奏法でペースを乱された感じがあります。弓の使っている長さが短い感じがしました。


同じ頃来日した「マーラーチェンバーオケ」のしなやかなな演奏に比べると、非常に無骨なピリオド奏法でした。マーラーチェンバーオケは、弓を非常に軽く持っていて弓のスピードがかなり早いのです。したがって早いパッセージでも弓を大きく使えます。ああいう奏法だとピリオド奏法も納得できます。N響で急にピリオド奏法をやってみても無理というものでしょう。その影響が第9に残っていたみたいです。


31日の大晦日、新年になるまで「テレビさいたま」のコンサートを聴いていました。昨年もやったのかどうか知りませんが、南浦和の文化センターからの中継で「西本智実」指揮のジルベスターコンサートです。今や女性ファンが追っかけるようになっている(?)という西本さん。指揮姿は非常にかっこいいです。宝塚みたい。途中で「宮本文昭」ソロのモーツアルトのオーボエ協奏曲が入りました。さすがに素晴らしい音楽でした。一つ一つの音を大切にした非常に丁寧な演奏でした。こんな協奏曲めったに聴けないという水準です。2007年から「指揮活動」に専念するための「決別」の演奏会でもあったかもしれません。


日付が変わる時の曲目は「チャイコフスキー交響曲大4番終楽章」。このときはオーケストラから「ロシア」の音がしました。オケは在京オケ選抜だそうですがトロンボーン・チューバは馬力がありました。西本さんはチャイコフスキーが得意なのですが、ロシアの人達と作り上げてきた経験を日本のオケとの演奏でも生かすことができたのだと思います。そんな西本さんの要求に素直に付いていったオケも立派でした。正直言って一楽章から聞いて見たいくらいの演奏でした。浦和の文化センターは我が家からも遠くないので、次は狙ってみようかなと思いました。



2006年12月30日(土) 今年もあと二日です。

今日年賀状を出してきました。数年間スリランカ・インドに暮らしていたことを口実にして年賀状をサボっていました。今年は久しぶりに昔のリストを参考にして年賀状を書きました。電子メールが便利になっているとはいえ、年賀状を送るのも良いものだと思います。


我が家は数年前まで妻と一緒に「プリントゴッコ」で年賀状を作っていたのですが、昨年あたりからプリンタで刷るようになりました。今年はキャノンのネットワークプリンタを導入したので本当に手軽に印刷できます。来年の干支の「いのしし」は妻のデザインです。


我が家の住所録管理は「Oh!ベスト住所録」です。ベストシステム社製です。大昔に買った住所録システムで現在は販売されていません。転勤が多かったので転勤する度に新しい友人が増えていったため、住所録をそれぞれのの赴任地ごとに区分けして管理していました。一年に一回年賀状の準備のためにこの住所録を見ると昔の思い出が少し蘇ってきてなつかしいですね。



2006年12月29日(金) ワイン&日本酒

JALのマイレージの幾つかが期限切れになり、何かの商品と換えられるといので、正月用のワインと取替えることとしていました。今日のそのワインが届きました。届いたのはチリのワインの「TAMAYA4本セット」です。「TAMAYA」は日本の言葉みたいな響きですがチリの山の名前です。チリの北部ちょうど南回帰線あたりの「Limari Valley」の「TAMAYA」山が見えるワイナリーだそうです。今回届いた4本の内訳は以下のとおりです。


「カルメネール レゼルバ」(カルメネール種100%)3本
カルメネール種はかつてボルドー地方の主要なブドウ品種だったのだそうですが、19世紀の「フィロキセラ病害」で全滅してしまったのだそうです。チリのカルメネールはそのずっと以前に持ち込まれ、病害も受けなかったで残ったのだそうです。チリでは長らく「メルロー」と間違われていたそうですが、最近になって「カルメネール種」であることが分かったのだそうです。
TAMAYA白 ヴィオニエ種、シャルドネ種、ソービニオンブラン種
香りが高いことで知られる「ヴィウオニエ種」50%の白ワインです。



2006年12月24日(日) 翻訳が徐々に進展

スリランカの作家「スリヤクマラン」さんの小説「キラーリ・クロッシング」を翻訳しています。現在第三稿です。第一稿は単に英語を日本語にしただけ。第一稿では前編「です・ます調」で書いていました。第二稿はそれを読み直したもの。この間インド転勤になって余りはかどりませんでした。これでは仕上げに程遠いと思い、日本に帰国してから最初から読み直し、小説全体を「である調」に変えました。これが第三稿です。この第三稿を妻に読んでもらって、校正作業を進めています。現在A5版で171ページ。


小説の内容は「スリランカの内戦を原因とした愛する者の死」を中心としたものですが、タミール人の故郷の「ジャフナ」の自然を謳いあげた描写も非常に面白いものがあります。現在のスリランカは内戦(シンハラ政権とタミール人反政府組織の争い)で、ジャフナへ行くこともできないし、そこに通ずるA9国道も封鎖されています。しかし私がスリランカに居た頃はちょうど和平ムードが盛り上がり私はジャフナに2回旅行しました。有名なエレファントパスの周辺の景色も実際に見てきたし、ジャフナの素晴らしさを体験できたのです。その体験の思い出が「翻訳」を進める原動力になっています。


この小説でもうひとつ重要な柱があります。それはイギリスあるいはイギリスの「ロマン派の詩」です。作者のスリラクマランさんはイギリスのロマン派詩人特に「シェリー」の詩が好きなようで、シェリーの詩を幾つか引用しています。他には、オマール・ハイヤーム、ダンテ、ワーズワース、中国の古い詩などを引用しています。スリヤクマランさんは昔イギリスに留学していたので嘗てのイギリス特にロンドンのことにも触れています。ロンドンのスリランカ人社会の描写も大変興味深いです。


翻訳を終えた後のことはまだ何も考えていません。何とかして小部数でも出版できればいいなと思っています。



2006年12月23日(土) 娘の成人式

娘は来年1月成人式です。着物とか「ぞうり」とか当日の美容院の手配だとか、大体準備が進んできたのですが、まだ幾つか準備するものがあります。今日は成人式の時に髪につける「かんざし」を捜しに行ってきました。浦和の商店街には何軒かの呉服屋があるだろうと思い、車を中心街の駐車場に止めて、妻と娘と3人で歩き回りました。


一軒目の呉服屋さんにはけっこうな量の「かんざし」があったのですが、デパートも見てみることにしました。近くの「伊勢丹」の呉服売り場には沢山のかんざしが置いてありました。ここをざっと見てユザワヤに行ってみたのですが、ユザワヤには置いていないので結局「伊勢丹」で買いました。成人式当日は朝の4時から髪のセットと着付けに行くことになります。それから「さいたまスーパーアリーナ」で成人式です。果たしてどうなることやら。



2006年12月16日(土) 第9の季節

12月はベートーベン交響曲第9番の季節。昨日有楽町のHMVに寄って、何気なくヘルベルト・ケーゲルの第9を試聴したところ、予想外に「熱い」演奏だったので買ってきました。これまでもっていたケーゲルの盤との比較表を書いておきます。


ドレスデン・フィルハーモニーオーケストラ盤
ソプラノ:アリソン・ハーガン
アルト:ウテ・ワルター
テナー:エベルハルト・ビュックナー
バス:コロス・コバーツ
合唱:ラジオ・コーラス・ベルリン(指揮:ディートリッヒ・ノーテ)
/ラジオ・コーラス・ライプティッヒ(指揮:イェルグ・ピーター・ヴァイグル)
1983年 スタジオ録音


ライプチィッヒ放送交響楽団盤
ソプラノ:ヴェンスラヴァ・フルバ・フライブルガー
アルト:ローズマリー・ラング
テナー:ディター・シュヴァルトナー
バス:ヘルマン・クリスチャン・ポルスター
合唱:ラジオ・コーラス・ライプティッヒ(指揮:イェルグ・ピーター・ヴァイグル)/ゲヴァントハウス合唱団(指揮:ジョージ・クリストファー・ビラー)
1987年7月31日、ライプティッヒのゲバントハウスでのガラコンサート実況録音



2006年12月14日(木) マニラの印象

今回半年振りでマニラに出張しました。少し違った印象を持ったので記録しておきます。


私はマニラのニノイアキノ国際空港からビジネス街のマカティにしか行かないのですが、ビジネス街だけでいうと非常に綺麗になっている印象でした。大きな交差点にある地下道なども掃除が行き届いています。警備員も多く居て汚せない雰囲気です。道にタバコの吸殻が落ちているところも見ませんでした。マカティ地区に限って言えば東京よりずっと綺麗です。今回はペニンシュラホテルに泊まったのですが、ホテルの設備は綺麗になっているし(多分10年振りです)、従業員のサービスも良くなっているので驚きました。これは多分来年1月に予定されているASEANの首脳会議に向けた準備もあるのでしょう。


東南アジア国々の首都はいまや競争状態なのですね。シンガポールは別格にしても、バンコク、クアラルンプール、マニラ、ジャカルタといった都市は良い意味でライバル関係にあるのだと思います。元々親切な国民性の国が多いのですから、少しずつ努力していけば本当に魅力的な国になると思います。その努力は徐々に実を結びつつあると思います。


マニラの場合は問題は空港と飛行機会社ですね。昨日も書きましたが空港設備はシンガポール・バンコク・ジャカルタに比べると大分劣ります(クアラルンプールは知りません)。出国・入国審査窓口が少ないとか、空港税を徴収しているとか、レストランがみすぼらしいとか(サービスは良かったです)改善の余地は大きいです。それと日本の航空会社が「JAL」しか飛んでいないというのも困ったものです。空港は外国から来た人の第一印象を決めてしまうので、改善して欲しいと思いました。もっとも多くの国民にとっては空港など全く関係ない設備なので、そういうところへの投資は最後になるのかも知れません。その良い例がインドですけど。



2006年12月13日(水) 帰国しました。

夜の8時頃成田空港に到着して先ほど自宅に戻りました。12月のマニラはクリスマスの準備でどこも賑やかです。街路樹にもイルミネーションが点され夜ライトアップされるのでムードは盛り上がっています。仙台の定禅寺通りみたいです。しかし日中のに気温は30度を超えていますし、夜になってもホテルの部屋では冷房をかけていました。


今回の飛行機は、行きと帰りの便で「何故これほど違うの」と思うほど混み具合に差がありました。行きの便は11日の月曜日の夜6時20分出発。前回も同じ便だったと思いますが満席でした。日航の747ジャンボで「エコノミークラス」の席を非常に多く取っているタイプなのに満席なのです。成田の待合室は家族ずれのフィリピン人で満杯。すごく賑やかでした。そして待っている乗客の手荷物も多いのです。待合室で見る限り「マニラに着いたら直ぐに帰宅の途に着きたいのでハンドキャリーにしたのかな」と考えていました。答えはマニラ空港で分かりました。ハンドキャリー荷物はほんの一部で、チェックイン荷物が出てくるベルトコンベヤーからは、大きなダンボール箱が大量に吐き出されてきました。すごい量です。日本で買い物してきたものだと思います。


JAL機内のアテンダントの方も満杯の人間をさばくのに苦労していました。マニラ行きの夜の便は大変だと思います。赤ちゃんの鳴き声はずっと聞こえていました。満杯の客を乗せたジャンボは11時前にマニラに到着しました(日本とは時差1時間)。ところがちょうどその時間にマニラではもう一機のジャンボが到着したのだそうです。従って入国審査は長蛇の列です。ここでも相当時間がかかりました。外国人用の審査窓口はの数はフィリピン人用に対して少ないし。その後の荷物受け取りでも30分以上待ちました。ものすごい量の荷物なので時間がかかるのは当たり前ですが。


この行きの便に対照的だったのが今日の帰りの便。午後2時30分マニラ発です。こちらも同じ747のジャンボだったのですがガラガラでした。1/5も乗っていないでしょう。なぜこんなに違うのでしょうかね。行きの便はクリスマス休暇で帰省するフィリピン人の集団に混じってしまったのでしょう。帰りの便ではアテンダントの方も非常に楽そうでした。余裕でしたね。一人で3人席・4人席をで専有できるのですからエコノミーでも苦になりませんでした。


しかしJALは遅れるのが当たり前になっていますね。少なくともマニラへの出張で定刻に出発した経験はありません。遅れていても急ぐということもないですね。待合室の地上職員も「いつもの通り」という顔をしています。シンガポール航空とは大分差が付いてしまった感じです。サービスや飛行機の機材だけではなく「スケジュール通りに運行する」という基本動作でも負けていますね。日本のフラッグキャリアなのですから頑張って欲しいものです。



2006年12月11日(月) 詩(イギリス)の解釈は難しい

スリランカの作家の小説の翻訳を進めています。作者はタミールの方で、スリランカ滞在中に一回お会いしたことがあります。残念ながら今年の6月に亡くなられてしまいました。ご本人から口頭で「日本語への翻訳の許可」を得ているのですが、書いたものがないので、最終的にどのような形にするか迷っています。


小説の原作者は長らくイギリスで勉強したのでイギリス文学に造詣が深いのです。特にロマン派の詩人が好きであったらしく、シェリーの詩が沢山小説の中に出てきます。小説の最終章には色々な詩が纏めて引用されています。今日はその部分を翻訳するために、引用されている詩をインターネットで調べてみました。


まず中国の「柳宗元」の詩がありました。オリジナルは漢文なので英語訳よりも漢文そのままの方が親しみやすかったです。次にダンテの「神曲」からの引用がありました。これは難しかった。幸いインターネットに神曲を口語訳している人を見つけたので、大まかな意味を掴むことができました。しかし世の中にはすごい人がいるものです。ダンテの神曲の全てを英語訳本から日本語口語訳にしているのです。


その次のシェリーの「月」という詩からの引用です。「月」が上る様子を不気味に表現しています。こういう見方もあるのだなと関心しました。そして最後にワーズワースの「早春の詩」です。英文は直ぐに見つかるのですが、日本語訳は終に見つけることができませんでした。雰囲気が掴めるのですが、はっきりした意味を確定できません。こうなったら本屋さんで確かめるしかありません。


(追伸)明日の夜からマニラに出張します。日本は寒いのですが、向うはどうなのかしら。冬の海外出張は準備が大変です。



2006年12月07日(木) 命日・誕生日の話題

12月5日はモーツアルトの命日です。1791年です。享年35歳。この年のモーツアルトの主要な作品は、ピアノ協奏曲27番(K.595)、魔笛(K.620)、アヴェヴェルム・コルプス(K.618)、クラリネット協奏曲(K.622)、そして未完に終わったレクイエムなどです。最期まで素晴らしい作品を書き続けました。


バッハコレギウムジャパンの「レクイエム」演奏会を新聞で知りました。公演は12月16日土曜日の午後。今日インターネットでチケット情報を調べたら既に売り切れでした。明日電話で再度調べてみようと思います。春に「マタイ」を聞いたので暮れの「レクイエム」は一年の締めくくりにぴったりだと思ったのに。先週テレビでモーツアルトの映画をやっていました。録画しながらモーツアルトの最期の場面だけ見ましたが、冬のウィーンは寒そうでした。書きかけで終わってしまった「レクイエム」は弟子のジュスマイヤーの手で完成されました。


命日の話題でもうひとつ。12月5日はインドの被差別階級の人々にとっての英雄「Dr.アンベトカール」の50回目の命日でした。彼の活躍したインドのムンバイではダリットと呼ばれる被差別階級の人達の大きな集会があったとのことです。アンベドカール自身被差別階級の出身で、彼は仲間と一緒に仏教に改修したのでした。


最期に天皇誕生日の話題。スリランカの首都コロンボで予定されていた天皇誕生を祝うパーティが中止されたというニュースがありました。海外に住む日本人にとって、天皇誕生日のパーティは大使館・領事館が頑張ってくれる唯一といっていい催しものです。今年もコロンボの日本大使館で盛大な天皇誕生日を祝うパーティが予定されていたのですが、要人へのテロのおそれありとして急遽中止になりました。これは先週コロンボで大統領の弟さんを狙ったテロ事件があったからです。困ったものです。


天皇誕生日というと、昨年ムンバイ領事館主催のパーティのバック音楽奏者としてムンバイ室内オケの友人達を紹介したのでした。弦楽四重奏ですが、急遽誰でも知っている「日本音楽」の楽譜を東京から取り寄せたり、「君が代」の楽譜を手配したりしたのでした。私は残念ながら聞くことができませんでした。今年はどうしているのかしら。せっかく提供した楽譜なので活用してくれているとありがたいです。



2006年12月04日(月) お得なワイン発見

久しぶりに「やまいち・リカーショップ」でワインを買いました(日曜日)。わたくしは、基本的に1500円未満のワインしか買わないのです。失敗しても「まあいいか」で済みますし、当たれば「もうけ!!」という感じだからです。「やまいち」ではかつて、南仏の「トリアンヌ」というお徳なワインがあったのですが、もう暫く入荷していません。


今回買った「ムーランドガサック」というブランドの「シラー・2003」は大変美味しかったです。シラー種のブドウは少し癖があるのですが、このワインは非常にバランスが良いのです。ライトな感じなのですが、飲みすすむにつて「濃さ」が適切なことが分かってきます。このワインは「買い」です。値段はなんと880円。今週末に再び買って来ようと思います。


ところで、先週かったDVDの「ドン・ジョバンニ」を漸く見終えました。1幕・2幕それぞれが80分を越すので二日に分けて見ました。印象では2幕が断然面白いです。1幕では「ドン・ジョバンニ」が悪を尽くすので印象が薄かったのかもしれません。「ドン・ジョバンニ」に天罰が下る第2幕はモーツアルトも力が入ったのかもしれません。また改めて感想を書こうと思います。



2006年12月03日(日) ユニークな回転寿司

昨日国分寺まで行ったのですが、途中五日市街道沿いの回転寿司で昼食をとりました。名前は「くら寿司小金井店」。さいたま市南区近辺にはない店で初めての経験でした。1時頃でしたが店内は席の空くのを待っている客で一杯でした。小さい子供連れの客が多いのです。少し待ってから席に案内してもらいました。


待っている時に、店員さんいやに元気がよいので「雰囲気の良い店だな」と思っていました。席についてみると少しびっくり。各席にタッチパネルがあって注文はタッチパネルでするようになっています。メニューから希望の「ネタ」を注文すると回ってくる仕組み。注文した寿司が近づくとチャイムがなります。この店は全品100円均一。寿司が小ぶりでやわらかく握ってあってコスト計算はしているのでしょうが、子供や老人にはこのくらいの分量で十分です。ネタは新鮮で美味しかったです。


この店では、各席に食べ終わった「皿」を投入して回収する装置が付いていて、客自らその投入口に入れます。そうすると皿の枚数が計算されます。一皿「100円」均一にすることで、皿の枚数×100円で料金が計算される仕組みです。お客は「皿」をためておく必要がないので、皿の総トータル枚数は少なくて済みます。従業員は皿の枚数を勘定する必要がないのです。料金の計算は機械がしてくれるのです。後はレジで支払うだけ。面白い仕組みを考えたものです。従業員は皿の枚数の勘定から開放されるので、お客サービスに徹することができそうです。機械で注文を聞くことによって、売れ筋の「ネタ」情報も蓄積できます。これは仕入れに役立ちます。皿回収装置に皿を入れると、ルーレットみたいなものが回って、「あたる」と景品がでてきます。これも子供達には楽しそうです。様々な工夫が有機的に絡み合っているようです。


いつも混んでいて待ち時間が多いのか、携帯電話から席を申し込むことができるようです。これは何日の何時というのではなく「今直ぐに申し込み」ことになるようです。申し込むと携帯電話を通して、今現在の待ち時間の情報を入手することができるのです。電話で混み具合を問い合わせるようなものですね。でも良く考えています。こういうサービスは良いですね。



2006年12月02日(土) 国分寺へドライブ

今日は国分寺へドライブに行ってきました。はっきりした興味と言う訳ではないのですが、「川越−府中(国分寺)−鎌倉」という中世の鎌倉街道が気になっているのです。日本橋を基点とする五街道とは別に、それより随分前に関東平野の主要な街道として鎌倉街道があったのでした。その中心が国分寺です。


鎌倉時代にはまだ中央政府(京都)から派遣された官吏が国を治めていたと考えられます。そのオフィスは各地の国分寺近辺に置かれていたと考えるべきでしょう。鎌倉時代は国分寺が建造されてから数百年しか経っていませんし、まだ立派な建物が残っていたはずですから。従って嘗ての関東平野の中心は現在の国分寺近辺にあったと考えるべきです。「府中」という地名もそんなところから来ているのです。


今日は環八から五日市街道を抜け、武蔵小金井駅を北から縦断する格好で国分寺までドライブしました。駐車場を見つけることができなくて、国分寺薬師堂横の空き地と、国分寺近くの寺院への通路に駐車しました。暖かかったので観光客が大勢いましたが、主に電車でやって来ている感じで、駐車している車はほんの少ししかありませんでした。(ちょっと後ろめたい感じでした)


薬師堂をみたり付近を散策してみると、嘗てさぞ立派な境内があったのであろうと想像できます。広い敷地に国分寺と国分尼寺が置かれていたのです。国分寺と国分尼寺とでは作られた年代が違うのですが、私の突飛な想像ですが、ヒンズー教の寺院と似ていると思いました。インドのシバ寺院の横には必ずといっていいほど「パルバティ寺院」(奥様・女性の寺院)があるのです。南部インドのマドライにある「ミナクシ」寺院は女性寺院の方が有名になっている例です。スリランカの仏教寺院でも、数少ないインドの仏教寺院で「国分寺・国分尼寺」の組み合わせのようなものはみたことがありません。


国分寺近辺の雰囲気は奈良の飛鳥を彷彿とさせます。信州上田の信濃国分寺も同じような感じです。立派な伽藍が残っている岡山県の「備中国分寺」など本当に飛鳥のムードです。全くの平野ではなくて「なだらかな丘」とか、ゆるくカーブする道が必要であったのかもしれません。奈良飛鳥を知っている(恋しい)役人がそういう土地を選んだのでしょう。飛鳥の美しさは「丘」と「道」にあると思っています。


国分寺周辺には散策のために歩道が整備されていてハイキングにはぴったりです。傾きかけた夕日に映えて銀杏やもみじが見事な色を見せていました。お勧めの場所のひとつになりました。



2006年12月01日(金) 今日から12月

今日から12月ですが、思いのほか暖かいですね。大阪に住んでいた時の経験ですが、通勤する人達が12月から一斉にコートを着てきたことを思い出しました。東京ではまだコートを着ていない人が多いです。大阪はどうなんでしょう。


昨年はというと、暖かいムンバイから寒いニューデリーに短期間ですが移り住んで、ニューデリーのボーディングハウスで暮らしていました。12月のニューデリーは非常に寒くて、少しわびしい思いをしていたことを思い出します。というのも料金の安いボーディングハウスだったので、暖房がなく、シャワーの湯の温度も高くないのです。湯船などないですから非常に寒い思いをしました。しかし朝、宿の近くに散歩に出てみると、水のシャワーを浴びている人に出会いました。インドも北のほうは厳しいなと思いました。


今日スリランカの首都コロンボで自爆テロ事件がありました。大統領の兄弟を狙ったもので警備の一人が亡くなり、多くの怪我人がでました。ジュネーブでの和平会談が物別れに終わり、スリランカの内戦は本格的な戦いになる崖っぷちにいます。政府は航空機による爆撃で反政府軍(LTTE)の軍事基地を攻撃しています。これに対してゲリラ側は、政府要人を標的にしたテロで反撃します。現在のところ打開策なしです。




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