KENの日記
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2004年11月29日(月) ソフトボール大会

今日はムンバイ日本人会のソフトボール大会がありました。午前中は日本人学校生徒と父兄との運動会で、午後から日本人会のソフトボール大会というスケジュール。場所はネピアンシーロードに沿った海に面したグラウンド。


スリランカ日本人会のソフトボール会場がコロンボ市内の広場みたいなところで行われていたので、そんなものかなと想像していたところ、陸上フィールドはちゃんと舗装してあり、トラックの中は芝生が養生してある立派なグランドでした。ムンバイ日本人会は100人強程度の小所帯なので4チームが精一杯です。


私の所属した「Bチーム」はどういう弾みか優勝してしまいました。もちろん私が貢献したわけではありません。しかしとにかく午後の日差しは強く、非常に暑い中の試合でした。この時期のムンバイは気候が非常に安定しています。雨は殆ど降りません。暑いです。帰りは、エローラ・アジャンタの旅で一緒になった領事館の「Iさん」の車で送ってもらいました。「Iさん」は昨日から自分で運転を開始したそうです。


交通渋滞の激しいムンバイでも、土曜・日曜なら運転できそうです。私も考えようかと思います。いよいよ12月。さて年末に日本に帰れるかどうか。



2004年11月28日(日) ムンバイ下町探検

今日土曜日の午後ムンバイの下町を探検してきました。目指した場所は「マトンストリート」。骨董品とか、中古家具屋さんが集中している通りです。ムンバイの台所「クロフォード市場」の北側には、雑然とした商店街が広がっていて、材木、建築用品、自動車部品、オートバイの部品、金物、家具、骨董品などを扱っている店が通りごとに雑然と集中しています。道は作業場と商品展示場所になっています。


文章が下手なのでその様子を伝えることができませんが物凄い通りと町です。今日見かけた動物は、羊、犬、猫、ウサギ、鶏、カラス、すずめ。多くの人間と交じってたくましく生きている感じです。自動車部品街では道の端で古い「自動車」を解体しているところに何箇所もありました。多分車は100万Km以上走っている車でしょう。さらに使える部品はどこまでも使うという執念が感じられます。


家具・骨董を売っている「マトンストリート」は非常に面白そうです。一軒一軒除くと何がでてくるか判りません。この辺り一体はイスラム教信者が多く住んでいるようです。貧しい人が多いようですが、土曜日の午後のせいか、通りの人達は幾分「楽しそう」でした。


そこをどんどん南下していくとクロフォードマーケットに突き当たります。そこで少し食料品を買いました。果物市場のこの時期の定番は、「りんご」「みかん」そして「ざくろ」です。美味しそうなので小さい「ざくろ」を買って帰りました。「ざくろ」を食べるのは何十年ぶりでしょう。甘くて美味しかったですが、ほんとうに「たべづらい」果物です。


(追記)朝ホテルのエレベータで日本人の観光客の方と一緒になりました。彼等は今日帰国するとのことであまった「カップうどん」と「おせんべ」を少しいただきました。ちょうど日本食が切れたところだったので、とてもうれしかったです。無事で帰国されますように。



2004年11月26日(金) 物忘れ

最近という訳でもないですが、物忘れをして、無駄に時間を使うことが多いです。朝、顔を洗った後「めがね」をどこに置いたか忘れて、探すの回ることは随分前からやっています。今朝も探しました。呼んだら、応える「めがね」が欲しいです。


そんな状況ですからインドで単身赴任していると気を使う事が多いです。出張先や、観光で遠くに出かけると、其処のホテルで忘れ物でもしようものなら大変なことになると思い、結構緊張しています。パスポートや、滞在ビザを無くさないようにしなくてはなりません。忘れ物被害は、それほど増えていないですが、その分、心配して確認する時間が増えています。年を取っていくと仕方ない事だと思います。



2004年11月25日(木) テロ情報

昨日、当地ムンバイにおいて、アメリカ人に対するテロ行為が発生するとの情報がありアメリカ領事館の領事事務が当面中止となりました。私のところには、日本領事館および日本の安全担当から注意する旨のメールが入りました。でも今のところ何の変った事もありません。


昨日スリランカからお客さんが来てせっかくムンバイに来たのだから観光客の良く行く、安いレストランに案内しました(コラバのレオポルドカフェ)。外国人が沢山いました。東洋人は見かけませんでしたが。ムンバイでアパートを探しているのですが案内された物件の中に、アメリカ領事館の正面の建物がありました。窓から領事館が見下ろせました。間取りとか、値段が手頃だったのですが、やはりそこは避けようと思いました。


アメリカ本国からテロ情報が伝えられたとのことですが、なぜ「ムンバイ」なのかわかりません。アメリカの情報収集能力は高いのでしょうが、イラクに大量破壊兵器があると主張したのも、その諜報機関ですから。



2004年11月22日(月) ムンバイのファッションショー

実は先週の金曜日の夜「チャリティファッションショー」を見てきました。知人が「ムンバイ動物園の環境改善」のために、チャリティファッションショーをするというので寄付をすると共に見に行ってきたのです。


この知人はムンバイのパルシーでお医者さんです。その知人に言わせると、ムンバイ動物園の動物の生活環境は非常に劣悪だということ。私は、まだ動物園に行ったことが無いのでどれほどの環境なのかわかりません。そういえば、先週動物を運ぶ救急車「アニマルアンビュランス」を街の中で見かけました。一部の動物は大変、気を使ってもらえるようです。


ファッションショーですが開催された場所はマハラシュトラ州のガバナー公邸の庭。ムンバイの最南端にあります。3方向が海に囲まれている絶好の場所です。そこは植民地時代のイギリスのガバナーの住いだったそうでとんでもなく広い敷地です。


ファッションショーを見に来た人数は500人以上とのことですが、それらの多くの人も簡単に収容できる庭があります。(夜だから良く分からないので想像しています。)


ムンバイは「ボリウッド」(ハリウッドをもじった映画産業集積地)を抱える映画産業の街でもあります。世界のビューティコンテストで多くの優勝者を出しているインドでも美人が集まる街なので期待していきました。さすがにモデルさん達は美人揃いです。スタイルがいいだけではなく全体に気品がありました。


ご愛嬌でプロのモデルに混じって主催のロータリークラブの方達もモデルとして参加しました。地元のサリーデザナーの新作と「DAKS」の新作を着て結構かっこよく歩いていました。なんと「DAKS」はインド資本になったそうです。土曜日の新聞にその模様が写真付きで報道されました。図らずも、私の後姿も写ってしまいました。



2004年11月21日(日) インド国内線飛行機内のこと

インドの国内線の飛行機に乗ると少し日本とは違う光景に出会います。


(その1)新聞・雑誌は基本的にみんなのもの。新聞雑誌は読み回しがあたりまえ。他人のシートのポケットの新聞でも横から手が伸ばして取っていってしまう。これは非常に経済的なルールだと思います。何人かに読みまわされた新聞はぼろぼろになってしまいますが、非常に有効に使われています。新聞も満足でしょう。少し汚れていても読めればかまわないのです。


(その2)割り振られた席には必ず座る。大都市間の飛行機のエコノミークラスは通路を挟んで3席・3席となっています。A・B・CとD・E・Fなのですが、AとFが窓際席、CとDが通路側、そしてBとEが間に挟まれる「辛い」席です。日本と同じで窓際・通路側の席が好まれているようです。今回、バンガローからニューデリーに移動する際に私は窓際の席が取れました。そして私の横(辛い席)にインド人の男性が座りました。そして、出発間際になっても通路側の席は空いているのです。私は離陸後、彼が通路側の席に移るだろうと思っていました。私とインド人の彼はひとつの「肘掛」を共同使用使用する状態になっていたのです。しかし彼は最後まで狭い席に座り続けました。別に私と会話をすることもなくただ狭いAとBの席に並んですわり、Cの席が空いている状態で1時間45分を過ごしたのです。私としては「横にずれたらいかがですか」とも言い出しにくいので、其のままの「変な圧迫感でいやな気持ち」のまま過ごしました。私は「インドの人達は、ひょっとして人と接しているほうが好きなのではないか」と想像しました。日本人ならゆったり座る方が快適に感ずるのでしょうが、どうもインドの人はそうではないのではないかと思われるのです。「人と人との間に中途半端な空間を作るより、くっついていた方が安心」そんな感じに思えました。(全然見当はずれかもしれません)



2004年11月19日(金) インド国内出張(バンガロール、ニューデリー)

12月のニューデリーとバンガロールでセミナー開催を予定しているので、その打ち合わせのため一泊二日で両都市を回ってきました。17日朝にムンバイを発ち、お昼頃にバンガロールに着きました。バンガロールは急発展していて車の増加が著しい都市です。しかし、その割りに道路整備が遅れているので、街中のいろいろな場所で大渋滞があります。空港からホテルまで随分遠く感じました。


バンガロールのホテルとの打ち合わせを夕方に終えて一箇所知り合いのビルに寄った後にバンガロール空港に戻り、飛行機でニューデリーに移動しました。ニューデリー到着は夜10時。ホテルには11時頃に着きました。ニューデリーのホテルは今、観光シーズンで非常に混雑しています。18日朝からニューデリーのホテルとの打ち合わせを行いました。ニューデリーのセミナー会場がつい最近まで決まらず随分探し回った結果なので、実際に見てみて一安心でした。昼からニューデリーの日本企業商工会に出席してから再びホテルに戻り、最後の打ち合わせを行ったという次第です。そしていつもの「7時40分」デリー発の飛行機でムンバイに帰ってきました。


今日の飛行機は1時間くらい遅れたのでムンバイのホテルに帰り着いたのは11時過ぎでした。乗った飛行機は殆ど満員。少々疲れました。



2004年11月17日(水) 新発見 イン ムンバイ

ムンバイ市内にゾロアスター教関係出版物専門会社を見つけました。パルシアーナというパルシー社会内の機関紙を出版しているところであもあるようです。場所はフォート地区。高等学校が密集する地域です。そこで今日購入したものは以下のとおり。

「From the Iranian Plateau to the Shores of Gujarat」
(ゾロアスター教徒の歴史で、特にイランとインドの関係に焦点をあてたもの)(Rs390)


VCD「ASHA」
(ユネスコ監修のゾロアスター教関連文化保存活動の記録)(Rs170)


他にも面白そうな本が10数冊売っていました。一般の本屋さんでは手に入らない貴重なものです。



2004年11月16日(火) アジャンタ・エローラ(まとめて日記)

デワリの3連休を利用してエローラ石窟・アジャンタ石窟に旅行してきました。インド国内の本格的な旅行は去年のタミール・ナド州旅行以来です。エローラ・アジャンタともムンバイから3日あれば十分見学できます。ふたつの石窟観光の基点となるアウランガバードまではムンバイから国内線飛行機が飛んでいます。


今回の旅行の日程 2004年11月12日〜14日(ムンバイから)

12日 ムンバイ(07:15)−アウランガバード(08:15)9w3103便
14日 アウランガバード(19:55)−ムンバイ(20:55)9w3110便

宿泊ホテルアウランガバード市内の「ホテルプレジデントパーク」


観光日程は以下のとおり。
12日 エローラ石窟(第1石窟から第16石窟まで)
13日 終日アジャンタ石窟見学
14日 エローラ石窟(第25石窟〜34石窟)、ダウラターバード砦登頂。


飛行機はムンバイの空港を飛び立つと一旦海上にでますが、直ぐ旋回して、インド内陸部に入っていきます。飛行機が小さくそれほど飛行高度が高くないので、デカン高原の赤い・殺伐として風景が窓から見ることが出来ました。今回、ムンバイ領事館「Iさん」、デリー大使館のお二人、デリー勤務のKさん、ハイデラバードの「Mさん」にお会いしました。他にも数人日本人(らしき人)を見かけました。


エローラ石窟の印象
とにかく規模が大きいことに感動しました。加えて精巧な彫刻技術はまさに「世界遺産」に値します。中央16窟のヒンズー窟「カイラーサ寺院」が特に有名ですが、その他の仏教石窟、ジャイナ石窟も見事です。私は一日半かけましたが、それくらい時間が必要だと思いました。


日本人は仏教石窟・ヒンドゥー石窟・ジャイナ教石窟の様式の違いみたいなことを気にするのですが(私だけかも)、基本的に大きな違いはないようです。ここは宗教の修行の場所、祈りの場所なのです。この巨大な人間の技をみていると、資金金を出す人、安い賃金でも労働力を提供する人、そして出来上がった寺院で修行する人、宗教儀式を総括する人。色々な人達がかかわっていたことが想像できますが、全ての人が「神」に祈っていたことが分かります。実際に岩山を掘り出した人達はどんな人達であったのか興味は尽きません。賃金を得るためだけで、これだけの高度な芸術作品が作れるはずはないと思うからです。


アジャンタ石窟の印象
アジャンタはエローラに比べると一箇所にまとまっていて観光は楽です。とはいっても相当広いですが。スリランカのダンブッラの石窟寺院も同じ仏教石窟ですが規模においてエローラの方が遥かに大きいです。時代でいってもダンブッラ石窟より随分昔に作られた感じです。アジャンタ石窟の仏教壁画は非常に精密です。インドの精密画のひとつの原点であり頂点のような感じもします。ただし、とにかく夥しい量の壁画なので、全部残っていたら「辟易」しそうな絵なのです。こういうのはどう評価すればよいのか・・・。


つまり残っている一部の絵の「菩薩象」が素晴らしいとか、仏陀の出世時の描写が一部残っているとか、それはそれで非常に貴重なのでしょうが、全体象がつかめないのです。インドでは仏教は少数派です。アショーカ王が仏教を背景にしてインド史上最大の統一王国を築いたのですが、その後ヒンズー教、イスラム教がインド社会で主流になっていきます。なぜインドで仏教が少数派に陥ってしまったのか。写真を沢山撮ってきたので、そのうちに旅行記にまとめたいです。



2004年11月11日(木) デワリ

今週はデワリの休日があります。会社会社で区々なのですが私が入居しているビルは「金曜日12日」を休日として3連休になります。今日木曜日から4連休になる会社もあります。朝出勤しようとホテルから出るときに「今日は休みではないのか」という質問を受けました。


入居しているビルでは水曜日にデワリのプージャが行われました。私も誘われたので儀式に参列させてもらいました。ムンバイあたりでは「デワリ」では「ラクシュミ神」を祭るようです。他の地域も同じなのかどうかはわかりません。もともと「デワリ」は「火」に感謝するということから始まっているそうです。「火」が「悪魔」を追い払ってくれるのでしょう。ムンバイ市内の西側の海岸に「ラクシュミ神」を祭ったヒンズー寺院があります。それほど古いようには思われませんが敬虔なヒンズー教徒の祈りを見ることが出来ます。


デワリプージャの後に、ビルの従業員・店子が寄り集まって軽食をいただきました。その後「ビンゴ」のようなゲームをやりました。一枚の数字の埋まった紙をRs30で買って読み上げられた番号に印をつけ、早くそろったら「賞金」がもらえるというやつです。なんと、証券会社の従業員が賞金を独占していきました。「金」には強い会社です。明日から3連休です。気分転換に少し遠出してきます。



2004年11月09日(火) アパート探し

土・日を使ってムンバイのアパートを見て回っています。オフィスがある場所はムンバイの南部の「ナリマンポイント」というオフィス街です。ここには多くの日本企業が居を構えています。そして日本人の多くは少し離れた「マーラバヒル」とか「パデルロード」などの、住宅街に住んでいます。その辺りの地域から、ナリマンポイントのオフィスまでは車で30分位で通勤できます。多分、その辺りは、東京で言うと「六本木」「青山」に当たりるのでしょう。多くの外国人が住みそしてムンバイの金持ちが住んでいるのです。


ムンバイでもその辺りのアパートは供給が限られているので値段が非常に高いです。そして殆ど全てが「個人」の所有で、所有者が二つ・三つアパートを持っていて貸し出すのです。不動産業者には二種類あるそうです。ひとつは所有者の代理となって出来るだけ高く貸すことを稼業とする人。もうひとつは借りる人を代表して出来るだけ「安くなるよう交渉する人」です。この二つは利害が相反するのだというのですがどうもはっきりしない部分もあります。さて、物件ですが、インドは家族3代一緒に住む伝統があり、アパートといっても3B(ベッドルーム)、4Bの大きなものが主流です。そして基本的に各部屋にバス・トイレが着いています。広い居間とダイニングがあり、キッチンとメイドの住む部屋が付いている。


単身赴任用の小さな物件は少ないです。そして殆どのアパートの「バス」は、単にシャワーがあるだけというものです。「バスタブ」が付いている物件は殆どありません。「バスタブ」が入るスペースがあれば、あとは交渉してバスタブを入れてもらうか自分で購入するかどちらかになります。やはり「バスタブ」は欠かせないなと思います。日本みたいに銭湯があるわけではなし「温泉の元」を入れてゆっくりできる環境ははずせません。というようなことを言っているとなかなか候補が絞れてこないのです。



2004年11月08日(月) 日本食

日本から持ってきた日本食がそろそろ終わりそうです。日本持って来た「*Pマヨネーズ」はいつもながら重宝しました。小さい頃からずっとたべているので、生野菜サラダはこれがないと辛いです。それにしても「Q*マヨネーズ」は長い間人気を保っています。


インスタントラーメンも無くなってしまいました。仕方がないので、昨日ムンバイの大きなマーケットに行ってインド製の「ヌードル」を買ってきました。これも「ノンベジ」マークが付いています。こちらの「ヌードル」は、基本的には日本の「焼きそば」みたいなもので、お湯で戻した後で「フライパン」で少しいためるのです。この時野菜を入れるとベターなのですが。でも茹でた麺に「こし」が無いので美味しくありません。それとノンベジなのに「だし」が効いていないし。


そもそもこれらは日本の「インスタントラーメン」を真似して作ったものと思われます。日本の「本物」のラーメンを真似しようという気概は全く感じられません。日本の「インスタントラーメン」を目指しはしましたがそれがあまり美味しくないので、自分達なりにアレンジしたものだと思います。日本のインスタントラーメンが本物のラーメンに遠く及ばないのでインドの人達が「本物のラーメン」を想像しようと思っても無理なのでしょう。


しかし日本の本格ラーメンは「豚骨、鰹節」など様々な物が入っているので、てとても「ベジ」だけでは真似はできないでしょう。この辺りが食文化の決定的な違いです。こちらのマサラに代表される「植物」から採った「香辛料」もすごい文化だとは思いますが。買い物に出たついでに、インド産の「赤ワイン」を買って見ました。値段はRs550。フランスの技術支援を受けて、バンガロール近くのワインヤードで作られたようです。



2004年11月05日(金) インドのトイレ

さいたまのマンションのシャワー付きトイレが故障してシャワーが出なくて困っていたようです。インドのトイレにはちゃんとバケツが用意してあります。
もちろん(大)の方ですが、水道の蛇口と水を汲んで置く大きなバケツ、そして多分を水を汲むための小さなバケツが大きなバケツに付いています。 場所が場所なので「水洗用」のはずです。インドの便器は普通は水洗式ですから、「おしり」を洗うためのものだと思います。しかし、どのようにして使うのかわかりません。狭い個室トイレの中でどのようにバケツを使うのか、これは非常に大きな「なぞ」なのです。

昨年まで通っていたスリランカでの私の事務室についていたトイレ(もちろん水洗です)には、水道からホースが伸びていてその先端にシャワーが付いていました。これなら使い方はおおよそ想像できます。シンガポールにも同じようなものがあった記憶があります。日本のシャワー付きトイレ、インドのバケツ、ホースシャワー付きトイレは目的は同じでしょう。しかし、アプローチの仕方は全然違います。日本のシャワー付きトイレはセンサーが付いていたり、トイレは便座が暖かくなる仕組みがあったり、もちろん衛生的で文明の象徴みたいです。


これらのトイレについて、全く180度違う評価が可能です。バケツ方式とシャワー方式は、衛星が保たれる保障は全くなく、かえって不衛生を助長する恐れがあって使えない。日本のシャワー式トイレでは、ノズルを使う度に洗浄する方式さえある。これら3つを同列に扱うなど考えられない。(これがひとつの評価)


バケツ方式、ホースシャワー方式、それぞれ大胆ではあるけれど、「おしり」を洗う事には変わりがない。所詮「飲むわけでもないし」、水は最低限の衛星条件が保たれていれば十分。上水道を水洗トイレに使うのはそもそももったいない。また用を足してから「手」を十分洗えばそれでいいではないか。(これが二つ目の評価)


私は、バケツの水を使う要領もわからないので使っていませんが、最近二つ目の考え方に傾きつつあるような気がします。


もひとつのなぞ。
男性用(小)の便器は非常に背が高い。(背というか、いわゆるシンクのところです)これはインド人が「足」の長い証拠なのかしら。こちらはもう少し工夫が必要だと思います。子供だって使うのだし。



2004年11月04日(木) 朝の風景

最近朝はとても涼しく感じられます。こういう爽やかさはスロランカのコロンボにはありませんでした。やはり緯度の違いは大きいと思います。一方、日中、太陽が高くなると気温がぐんぐん上がり30度を越すことにはなります。
朝・夕同じ道を歩いて通勤・帰宅しているのですが、オフィス街のその道は殆ど「屋台」がずっと連なっています。食べ物屋・果物売り・ココナッツ売りなどの飲食関係が多いです。特に朝の時間帯は、朝食の後片付けと昼食の仕込みの様子を見ることが出来ます。といっても歩道で営業しているのでいやでも目に入るのです。皿荒いの横を通り抜けていく感じです。


そうした風景を見ていて気が付いたのは、結構小さい子供が働いていることです。この子供達は学校に行かないのかしら。そう思いつつも、彼等が一生懸命働いているところを見ていると、これが彼等の学校なのかしらと思えてきます。本当に丁寧に皿を洗っているし、玉葱刻みを上手に一生懸命やっています。彼等はそれを強制されているのではなく、自分の仕事として取り組み、いかに上手にこなすか工夫しているように見えます。


こうした風景はインドの不思議な感じです。すごいことだと思うのです。人々はそれぞれの自分の仕事に精一杯取り組んでいてお互いにそれを認めています。それがどういう商売だろうと皆同じ感覚なのかなと思われます。ただし、その商売は非常に細分化されているのです。料理を作る・それをサーブする・そして後片付けとして皿を洗うことが別々な仕事なのです。つまり、皿を洗う人は暇があったら調理方法を習うということはなく、あくまでも皿洗いだけに没頭していると思われるのです。


インド版「二宮金次郎」は「薪集めのプロ」となるよう努力する「人」なのではないかと思われるのです。決して仕事をおろそかにしません。本を読む時間を惜しんで良い薪の集め方を研究するのです。(私の想像ですが)本当の正体はわからないけれど、(どっちが先かわかりませんが)インドのカースト制が存続していることの大きな理由はこういう社会だからだと思われます。それぞれ細かく細分化された仕事に関して「名人」となることが人生の誇りなのではないでしょうか。ヒンズー教の「カースト制度」が数千年間もインドの社会に生き延びてきた「ポジティブ」な面を見る思いがします。




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