ゼロの視点
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2009年04月28日(火) 諸行無常

 おととし、昨年と、2年連続でゴールデンウイークには日本へ帰っていたこともあり、なぜか今年はパリにいるのが奇妙な感じ。この時期の実家は、本当に気持ちよく、網戸にしたまま、風にそよぐ木々の音をBGMに午睡するのが大好きなのだが、今年はこれはお預けかぁ・・・、と思うと、なんとも切ない気分になる。

 昨年の今頃は、5月ガソリンが一気に値上がりするということで、安いスタンドに行列して4月末日に、せこくもタンクを満タンにしたりと、小市民的な喜びに打ち震えていたことを思い出した。以後、燃料は値上がりする一方で、昨年の秋にまた日本へ帰る時、卒倒しそうなほど高額になってしまった飛行機燃料サーチャージ、の代金を、泣く泣く捻出したものだった。

 が、が、が・・・・・、たった1年で何もかも変わってしまったようで、今や高速道路の料金が1000円だ、という・・・・・・・。う、う、う、うらやましーーーーーーーーーーーーー。ってか、なんで私がいない時に、こういういいことがあるのよぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ、ぐやぢいッ!。

 さて、この1年で変わったといえば、世界経済。昨年の夏の終わり、《フランス人のケチの美学》をようやく書き終えたかな?、という頃、経済危機に突入。文中で引用していた、1ユーロ=160円という表記を、150円に書き直し、すぐそのあとまた140に書き直し・・・・・あれよあれよと円高が進んだ挙句、マジで100円になってしまうのか?!?!?!、とドキドキしたものだった。今のところ、1ユーロ=120円台後半から130円台前半あたりをうろうろしているようだが、昨年の秋にユーロ主体で日本に滞在する身分には、この事態は非常に打撃だった。

 また、本の帯にもつかわれたキャッチフレーズに、《消費税19,6%のフランス式ライフスタイル》というのがあるのだが、殊に、レストランでの消費税について言及してみたのだが、なんと、なんと、高速道路1000円効果ではないが、どうやらフランス政府、この消費税を見直し、税率をさげるらしいことを昨日のニュースで知ってビックリ。

 本のほうには、ゴミ箱から色々と拾ってくる人たちについても書いたが、経済危機以降、あきらかに路上生活者の数が殖えているし、スーパーがゴミ箱に放出する賞味期限がきれた品物を、身なりの普通のおばさん&おばあさん連中がよってたかって物色し、持参したキャディーなどに詰め込んで家に持ち帰っていく姿なども、今年に入ってかなりの頻度で目にするようになった。

 実家の居間で、冒頭のようにまどろんでいる時、またひと時でもそうしていられる幸せを包まれつつ、この時、毎回意識せざるをえない感覚こそ、《諸行無常》。あらゆりものが移り変わりゆくなか、私の子供の頃から一見、全くかわりのない実家に居間に己の身を預け、この空間を過ぎ去っていったすべてのものに思いを馳せ、また変わってしまった自分自身にも思いを馳せる・・・・。

 こんなことをぐだぐだと書いているうちに、とにかくどこでもいいから午睡したくなってきたゼロでした。



2009年04月25日(土) カレーが食べたい!!!!!!!!

 今月のはじめ、大学時代の友人YK嬢がパリに来ていたときのこと。彼女が来ると、必ず一度は足を運ぶのが北駅からメトロ・La Chapelle駅までのびる通り(rue du Faubourg Saint-Denis)一帯にある、通称インド人街。

 ここで、格安なわりに美味しいカレーを食べながら、またあーでもないこーでもないと延々とおしゃべりするのが恒例になっている私たち。今回も、そのつもりでこの界隈に出かけてみるたら、あーら大変。いきつけの店をはじめ、たまに行く店、好奇心で入ってみた店、よく買い物をするインド系スーパーマーケット、インド系総菜屋、雑貨屋、床屋などぜーーーんぶが全部、閉まっている!。

????????????????????????????????????????

 唖然としながらも、まだどこかの店があいているのでは?、と期待しながら歩いてみるものの、どこまでいってもシャッター通り。この界隈の店が閉まっているという状態に遭遇したことが未だなかった私は、ふと、きっとこれはインドの祝日かなにかで、皆が一斉に休んでいるのでは?、などと予想をたててみた。

 とはいえ、祝日にしては雰囲気が重い・・・・。なんで、なんで、なんで?!?!?!?!、と思いつつ、カレーを食べるつもりでいた私たちは、この状況を目の当たりにして、ますますカレーが食べたくなってきている。カレーが食べられなかったら発狂するのではないか?、というほど・・・・・。

 絶望的になりながらも、界隈からはプーンと香辛料の匂いが・・・・・。YK嬢とふたりで、《仲間内だけでカレーを独り占めしてるんだよ、クッソー!!!!》などといいながら、なぜここまで一斉に店が閉まっているか?、という理由とカレーを一緒に捜し求めていた。

 すると、とある店のシャッターのところに、黒い布がかかっているのを発見。とりあえず、この界隈が喪に服していることが想像できた。YK嬢と一緒に、《特別な日といえど、祝う日じゃなくて喪に服す日だったのね〜》《あはは、ちょっと間違えちまったね〜》などと、能天気におのれの間違いを笑い飛ばしつつ、ひたすらカレーをもとめ歩き続けた。

 そのうち、シャッターに黒い布だけじゃなく、抗議文のようなモノが貼ってあったのを発見。YK嬢がすかさずそれを引っ剥がし、私はその文章を読み込んでみる・・・・、すると、だ・・・・、なんとスリランカ政府による、タミル人浄化が進んで、昨日(4月6日)だけでも1800人のタミル人が、スリランカ政府軍に虐殺された、という、フランス在住タミル人コミュニティーが作成した告発文だった。

 ひぇーーーっ、と、YK嬢を驚きながらも、さらに空腹に拍車がかかる私たちは、ひたすら営業しているかもしれないレストランを捜し歩くことを優先させた。そして、ようやく砂漠に奇跡のオアシスを発見するかのように、一軒のカレー屋を発見、二人で狂喜乱舞して店に突入して、満腹中枢をこれでもかぁ!、とばかりに満たして店を出た。

 欲望が満たされた後、ようやく先ほどYK嬢がひっぱがした告発文について、もう一度深く理解してみる余裕が生まれてきたので、またその文章を読み込み始めた私。そして読んでいるうちに、たしかに一概にインド人街と簡単に呼んでいたこの界隈は、タミル人によるものだったことは知っていたはずなのに、そのタミル人という点と、ニュースでたまーーに、チラっとしか扱われなかったスリランカで点を、ひとつの線にして考え付くことがなかった自分に気がつき、突如、滝汗状態・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 18区のアフリカ人街にはあまり足を運ぶことはないのだが、10区のインド人街には頻繁に足を運び、そのたびに店員と話してきたつもりだった私だったが、肝心なことは自分にあまりにも関係なかったことだったらしく、完全スルーしていたことが発覚。なんともイタイ状況としか形容できん・・・・・・・・・・・。

 以後、あらためてネットで検索し続けること数時間・・・・・。結果、この件に関しては、日本語よりも、英語やフランス語での情報のほうが色々な側面を得ることができ、面白く感じた。

 一概にインド人街を呼んでいたこの界隈も、スリランカで7割以上を占めるシンハラ人(仏教徒)から追われた、タミル人(ヒンズー教)が全世界にディアスポラしてきてはじめた界隈、と表現するのが正しいことになる。

 タミル人がやっている店で買い物することは、スリランカ政府からテロリストとして指定されている、《タミル・イーラム解放のトラ=LTTE》に資金調達することと同じみたいなニュースは、スリランカ政府よりの情報をベースにしたモノだと推測。

 そして、このLITTEがタミル人が生息するスリランカ北部に逃げ込み、一般人にまぎれこむことで、これを《人間の盾》として篭城し続けているという理由を建前に、スリランカ政府軍は攻撃しまくっている・・・・、というのが、フランス在住タミル人コミュニティーによる告発文から推測される内容、というわけだ。

 夫婦喧嘩にですら、双方の言い分があるように、ここまでこじれてしまった民族闘争の中には、双方の言い分があるのは200%以上確かなこと。不幸なことに、チベット問題ほどマスメディアを動かすことがないスリランカのタミル人問題。

 個人的には、スリランカ軍はそういった隙をついて、限度を超えてやりたい放題しているのかな?、という印象をぬぐえないの昨今。いつも穏やかだったこのタミル人界隈で、先日、道路に座り込みをして抗議をするタミル人とフランスの機動隊との間で衝突が発生。かなりの負傷者が出た模様だった。

 この衝突の前日には、私はまたこの界隈に出没して、色々な香辛料などを買い占めるなど、楽しいショッピングをしていたばかりだったというのに、だ・・・・。民族浄化と表現できそうなほど、一般人を殺しまくる惨劇・・・・・・・・。テロリストを倒すため等の大義名分はあるとはいえ、とにもかくにも、即刻停戦することを心から望むゼロでした。




2009年04月23日(木) それぞれのIKEA

 今からちょうど5年半前に、一度おおがかりなアパルトマン内の模様替えというものをした。以降、そのままだーらだらと暮らしていくうちに、モノが増え続け、カーテンがカーテンレールからヨロヨロとはずれだし、アンティーク家具のクローゼットのドアが閉まったきり二度と開かなくなったり、キッチンのブラインドーは、一段とボロボロになっていくサマを、見てみぬ振りして過ごしてきたも私たち夫婦。

 が、先日、色々とスッキリ片づけをはじめたのが発端となってしまったのか、5年半ぶりの、室内一大模様替えに発展しつつある昨今。アンティーク家具だけで統一したサロン以外は、使い勝手のいいモダン家具に統一することにし、色々な家具屋に日参しはじめて早1週間強。
 
 そしてパリ郊外にあるIKEAにも、二度ほど足を運んだ。クルマを持たない私たちが行くとすると、RER・B線でアクセスできる、空港近くのIKEAとなるのだが、ここがなかなか特徴のある地域。クルマが燃えたり確率がなかなか高かったりもする、とてもファンキーな地域といえば、すこしはご理解いただけるだろうか?。

 《93》という地域=Seine-Saint-Denis(セーヌ=サン=ドニ県)は、パリ北部に隣接し、98年のワールドカップフランス大会が開催されたことでも有名な、Stade de France(スタッド・ドゥ・フランス)などもあるところ。

 生まれも育ちもこの地域で、移民ではない白人系フランス人の知り合いが、近年、この地域でアルコール類を一切購入できなくなったのをはじめ、もうとても自分の国にいる気がしないので、ここを離れ、違う地域に引っ越した・・・、という話を聞いたばりの私。

 アルコールが買えない、って何?、と思ったのだが、ま、要するに、イスラム系の人種が大多数を占めるようになった現在、それに沿った風習が台頭した結果、フランスにいても赤ワインが買えない状況になった、ということらしいのだ。

 赤ワイン大好き人間のわたしとすると、これは痛い!。ってか、とりあえずここには引っ越さないようにしよう♪、などと別に引っ越す予定もないのに、メモってみたりしてみたのだが、それにしても、なかなかファンキーだ。

 右より系の白人フランス人らに言わせれば、この地域へは、絶対にクルマに行くべきで、それも極力おりないように・・・等と、まるでサファリパークへ行くかのようなアドバイスを大げさにされることすらあるので、内心、強烈な人種差別表現に、おかしくて笑いがとまらないことすらある。

 一方、私が現在日本語を教えているセネガル系黒人Tなどと話していれば、この地域は別に特筆することもない、フランスのどの地域ともそれほど変わらない場所として語られることになる。が、彼でも、夜はむやみにこの地域を出歩かないほうがよい、というアドバイスをしてくることは確か。

 さて、これまた数年ぶりに足を運んだ93地区のIKEA。この日は22時までの営業ということで、夕方からここへ足を運んだのだが、いかんせん店が巨大すぎるのと、久々ゆえに、見るもの見るものイチイチ手にとっているうちに、あっという間に閉店間際・・・・(汗)。

 肝心のクローゼットの売り場に到着した頃には、疲れもピークに達しており、もうどうでもよくなってしまった私は、とりあえずカタログをもらって一旦家に帰って考え直すことにした。それでも、ついつい買い物かごに入れてしまったものなどもあって、レジに並ぶ。

 夫に、IKEAファミリーカード会員になる手続きをしてもらっているあいだ、ひとりでボーっとレジに並んでいるうちに、ふと周りを見渡してみると、私とレジの人をぬかして、2、30人ほどの顧客のすべてがイスラム系のお方だったのには、さすがにちょっとだけ驚いた。昔イラン旅行した時のように、女性は頭からつま先まで、真っ黒の衣装で、目だけだしているスタイルとか、かなり原理主義的とも形容できそうなお姿もたくさんっ♪。

 いつもならたくさんいそうな、ベトナム系や中国系などのアジア系の客もおらず、買い物している間に、パスポートも持たず、異国へワープしちまったか?、と、疑いたくなるほどな光景。みなさん、お国柄と信仰を大胆かつダイレクトに主張した格好しながら、もうそりゃあたくさん家具や雑貨を買い込んでいた。

 いまや、日本にも定着しつつあるIKEA。世界中のあらゆる人が、こうして同じような北欧家具に囲まれて過ごしているのかぁ・・・、と思うと妙に感慨深くもなり、また、同じような家具に囲まれつつも、酒かっくらう北欧の人や、まったく酒を手にしないイスラム系など、色々そこには違ったドラマが展開されるのだろうと思うと、なぜかレジでひとり、ニヤニヤしてしまったゼロでした。

 さて、誤解のないように付け加えておくが、結局カタログをみながらネット注文するには曖昧なことが多すぎたために、後日またIKEAに足を運んだときは、イスラム系の人ばかりではなく、 « ごく普通 »のパリの下町の延長のような顧客状態だった。



            モロッコ・フェズにて


2009年04月20日(月) すけべサイト

 ケチといったら、彼の右に出るものはいない?、というくらい筋金入りのドケチなP。凱旋門の裏手の、4階建ての一軒家に住む、大金持ちの彼は、そのケチなブルジョワの典型ということで、私の本『フランス人のケチの美学』でも、ネタに使わせてもらったうちの一人。

 大きな白い皿に、握り寿司がたったの2個という、まるで、真っ白いキャンバスに赤い点が二つ描かれているだけの、前衛絵画のような彼のドケチ・ランチについて、本に書かせてもらったものだったが、そのPからひさしぶりに電話がかかってきた。

 先週、とうとうパソコンを購入したというのだ。昔から、Pにはパソコンを購入しろとか、ネットは楽しい、メールは便利などと、機会があるごとに私をふくめ、さまざまな人が彼に対して、インターネットがある生活のよさを説いてきたのだが、そんなモノは必要ないとガンと受け付けてこなかった彼。

 が、どんな心境の変化があったのかわからないが、50歳をすぎた今、突然インターネット生活をはじめた模様。そして、あっという間に検索して発見する楽しみに取り付かれてしまった彼は、寝る時間も惜しんでずうっとパソコンに向かっている生活を送り続けた模様。

 ということで、ネット導入してたったの1週間で、マウスを持ち続けた彼の右手は腱鞘炎になってしまったとのことだった・・・(汗)。 こんな素晴らしいモノを知らずにいたなんで、本当に今までの人生、時間を無駄にしてしまった!!!!、と何度も口にするP・・・・・(笑)。

 さて、ここまで彼を熱中させた理由のひとつには、すけべサイトの存在がある。クリックすればするだけ、ゾクゾクと出てくる、世界各国、老若男女の裸体、裸体、裸体♪。あんな格好、こんな格好、ううーん、こういった体位、そんな体位もっ、などとやっているうちに、1週間たってしまったらしい。

 それでも飽きてきたので、もっと面白いサイトとかないか?、と考えあぐねた結果、なぜかPは、ゼロとその夫だったら絶対に色々知っているに違いないと思って、先ほど電話してきたのだった。Pの読みは正しく、こういうくだらないことだけには強烈に詳しい夫が電話で対応。その模様は、まるで『すけべサイト電話相談室』のようだった。

 長電話だけではラチがあかないので、結局、近いうちに彼の家にわしらが出向いて、色々とネット生活の楽しみみたいなのを伝授することになった。ま、たいして伝授するものなんてないのだが・・・・・(汗)。で、その際、ひっさびさにPが、「夕食でも一緒にどうか?」とのこと。

 ということで、近日中に、またなんともシュールなドケチディナーを、今度は夫婦揃って体験できそうなゼロでした。Pの家に行く前に、たらふくサンドイッチでも食べておかないとっ♪。



             この写真とPは関係ありません


2009年04月14日(火) スッキリ大作戦

 泊りがけで夫がいない・・・、ということは、今がチャンス!。で、何がチャンスか・・・・?、といえば、色々なものを捨てる一大チャ〜ンスなわけであるっ♪。

 私は、夜中に片付けものをするのが大好き。夜中にモノ書いたり、夜中に書類整理したり、夜中にカネ勘定したり、夜に作戦練ったり、夜中にストレッチしたりなど、とかく物事に集中したいときというのは、決まって夜中。とにかく、お天道様ががんばっている間は、私は、あまりたいしたことができない体質らしい・・・・(汗)。

 さて、夜となれば、たいていは夫がいる。そして、モノが捨てられない夫の前で、私が片付けと称してモノを捨てだしたりでもすれば、夫は、私が何をゴミ袋に入れたか?、ということばかりを気にし始めた挙句、私がすてたモノをご丁寧に、全部ゴミ袋から拾い出してきてしまうので、徒労に終わるだけでなく、夫婦喧嘩にまでなる可能世大。

 というわけで、夫の不在は、浮気や夜遊びなどで楽しむのではなく、モノを捨てる爽快感とその快楽を、この身体全体で感じまくり、そのヨロコビに打ち震え悶えるためのよい機会となるのだ。

 そして、今回も23時をすぎた頃から突然エンジンがかかってきて、そのまま片付けモノがスタート!。朝の8時過ぎまで、黙々と続けた結果、素晴らしく家が片付いてしまった。この前まで、雑然とした我が家に泊まっていた友人YK嬢には申し訳ないが、いやいやマジで、スッキリしちまいました〜っ♪。

 おまけに、先週までひっかかっていた案件があったのだが、この“人間詰め将棋”に、起死回生を賭けて、大胆にも荒業チックな王手をかけてみたところ、これが予想していた以上の大成功。数々の偶然が重なったおかげで、誰もが大満足できる結果を収めることができ、これまた気分スッキリ♪。

 後見人の書類についても、今はひと段落つけることができてスッキリし、もろもろのことが片付き、家も片付き、本当にひっさしぶりに、スッキリ、サッパリした気分になれて嬉しいかぎり。

 そして本日、魔窟(?)ママァァアアンのところから無事生還してきた夫と一緒に、結婚記念日ディナーということでレストランに出向き、財布の中もずいぶんとスッキリさせてきた。、ま、たまにはこういう贅沢もいいでしょう・・・・・、ということで、めでたしめでたし。



        ひそかにこんなにゴミが捨てられていることにまったく気がつかない誰かさ〜ん♪


2009年04月11日(土) 5時に夢中♪

 イースターの休暇で、夫が、彼のママァァアアンに会いに行き、泊りがけで“親孝行”しているのをいいことに、だーらだらとネット三昧だった私。こういう無駄に贅沢な時間は、なんともしあわせ♪。

 で、日本のネットでちょくら騒ぎになっている、タレントの北野誠の廃業危機について、興味本位で追っていくうちに、以下の動画にいきついた。



 マツコデラックスのコメントにもプっと吹いてしまったのだが、それ以前に、なんだこの番組?、というまた別の好奇心に火がついてしまい、この番組について検索がはじまってしまった・・・・(汗)。

 だいたい、画面左上にでる時報が5時台・・・・。これは朝なのか、夕方なのかすら検討がつかなかった私。とはいえ、朝だとしたら、なんとも“濃い”眉なしマツコ・・・・・。

 そのうえ、こんな番組本当に知らない・・・・、????。と検索しているうちにわかったのは、TOKYO MXテレビ(UHF)が2005年からやっている、『5時に夢中』という番組だったことがわかった。

 が、お次はどんな番組なのかもっと知りたくなってきたので、かたっぱしからYoutubeで探し出して鑑賞していると、“黒船特派員”の一人として、日本語が堪能な、恐らくハーフであろう若い♂が画面に出てきた。

 開口一番に彼が、“Bonjour”と、ネイティブな発音で言ったので、ありゃ、こりゃあフランス人かぁ・・・、などと思いながらボーっと番組を見続けていると、なんだか彼をどこかで見たことがあるような気がしてきた。

 つい先日は、この顔みたことある!、と思った人物は、実際にあったことのある人ではなくて、スクリーンの中だった・・、ということがあったばかりだが、今回は、この顔をどこでみたのだろうか?!?!?!、と、しばし熟考してみること2分。

 まだよく思い出せないので、彼についてサクッと書いてあるWikipediaの情報をもとに、彼がポール・マレという名前であることと、父親の名前がディエリーということだけはわかった。

 そして、ふと思い当たることがあり、夫が日本に来るときにいつも肌身離さず持ち歩いている日記帳(時々絵日記)兼サイン帳を持ち出してきて、どこに何が書いてあるかさっぱりわからないほど、ぐちゃぐちゃなノートの紙面の中から、"Paul Maré"という文字を発見!。


 "Paul Maré"・・・、ってことは、ポール・マレで、なんと父親の名前までご丁寧に記述してあって、そこにはティエリーと書いてあった!!!!!!。

 ってことは、私たちが昨年の11月に都内某所のアイリッシュ・パブで、誰も聞いちゃいないと思い、フランス語で大声で話していたときに、さりげない距離感と笑顔で話しかけてきた、日仏ハーフのホール係の青年が、ポール・マレ氏だったということが発覚!。

 いやあ、マジでビックリ。なんだかんだと、彼とは30分近くその場で話しこんだと思う。フランス語も完璧なのはもちろん、日本語も普通の日本人と同じように話す彼に、その時は一緒にいた日本人の友人N嬢もビックリしていたほど。

 妙に飄々としている感じと、なんとも力が抜けながらも面白い青年だなぁ、と思ったものだった。夫のノートには、彼の携帯&PCメルアドが欠いてあるので、メールでも送ってみるか・・・・・・(笑)?。

 彼が誰だか判明したあと、あらためてポール・マレ氏がうつっていると思われるYoutubeをチェックしまくってみたが、中村うさぎとか、マツコデラックスなどを相手に、マイペースでサラッと対応していく彼の感じが、妙にツボにはまったゼロでした。

ポール・マレ氏、これからのますますの活躍、応援してまっせ〜♪。


 


2009年04月04日(土) パリゆえの、時の過ごし方

4月3日から4泊5日の予定で、大学時代からの友人YK嬢がパリにやってきた。

 月日が経つのは早いもので、彼女が平社員から、きちんとした役職を得て、職場を仕切るようになってから久しい。もともと、年に2回ある長期休暇(とはいっても、フランス人の長期休暇とは比較するまでもないほど短い、典型的な日本人会社員の休暇)で、ロンドンかパリに行くのが彼女の習慣になっている。

 一方、2004年より、母が認知症の兆候をみせはじめてからというもの、年に2回日本に里帰りするようになった私は、彼女の年に2回の休暇にちょうどぶるようになった。私が日本に帰ると、彼女がロンドンかパリに行っている・・・・、などというように・・・・・。

 というわけで、私たちは会えそうで会えないニアミスな関係、とはいえ、それでも私が毎回、彼女以上に長期に渡って日本にいることもあり、必ずなんとかして会っているとはいえ、今回のように、パリで数日、一緒にのんびり過せるのは、なかなか珍しいのだ。

 前回の私の里帰りのように、約4ヶ月も日本にいるとなると、さぞかし時間があるように思われるかもしれないが、実際には、いつも巻きが入ったような状況でしかなく、“わたしゃ、売れっ子芸人か?”って感じで、なんだかんだと慌しい日々を過ごさざるを得ない。

 恐らく、日本国外に定住してみたあと、祖国に里帰りする経験がある人なら理解してもらえると思うのだが、限られた日本滞在日数の中で、できるだけ多くの友人・知人にもあったうえ、自分の時間をもキープし楽しんだ上で、もちろん家族との時間をもたっぷり・・・・、なんて欲張ってみた挙句、気がついたらヘロヘロになっていただけ・・・・、なんてこと一度や二度、経験があるのではないだろうか?。

 私の場合は、実家がある住宅地の自治会活動にはじまって、ちょっと不在がちな“ゼロさん宅”という感じで、母に変わって、かなり地域のことに参加や、母世代のご近所さんらと、立ち話というカタチのコミュニケーション等をしたりしていることもあり、1週間のうちのウイークデーはこうした地元&母のことで朝から奔走し、土日は友人らが泊まりに来てドンちゃん騒ぎというパターンになることが基本。

 時間が限られた里帰り・・・・。ゆえに、個別に友人・知人らに会うことが難しいこともあって、皆に、私の実家に出向いてもらった挙句、私の友人ということ以外、なんら共通点ももたない彼女らが、うちではじめて遭遇したあとで、ひとときを一緒に過ごすことを、彼女らに強いることにもなる。

 これがいいのか悪いのかは、彼女らに聞かないとわからないが、わたしゃ、そんなことはあえて聞かない(笑)。時には、私に会いに来てくれたとはいうのに、“ゼロは、時差ぼけです!”という理由で、その場で一番に寝始めて、皆を放置・・・・・等ということを平気でやってのけ、皆に迷惑をかけたりもしている・・・・。

 まあ、とにかくめちゃくちゃで、各回、誰と誰が一緒になるか、または私だけしかいないか、直前になってみないとわからない状況が多い。で、これはこれで楽しいのだが、たいていは翌朝に、私の用事があったり、または、友人らの仕事があったりで、バタバタしまくりなことが常・・・・・。

 が・・・・・・・・・・、友人らがパリにやってきてくれた場合は違う♪。わたしゃ、日本にいる時の数倍、のんびりして穏やかぁあ、でいられるうえに、友人らもバカンスモード、というわけで、日本でいる時とは異質であり、濃密な時間を共有するコトができるのだ。

 殊に、パリには数え切れないほどやってきているYK嬢は、英語もフランス語もでき、まったくアテンドする必要もないので、本当に私にとってありがたい存在だ♪。おまけに彼女は、私の性格&生活パターン&ケダモノな夫の行動パターンとその扱いも熟知してくれているので、もう、本当にラクだし、楽しませてもらえるからアリガタい。

 YK嬢が今回パリに来たら、毎日貸し自転車ヴェリブで、二人でパリ市内をサイクリング〜♪、などと思っていたのだが、気がついたら、チャリにも乗らず、日没まで毎日、毎日歩いて、歩いて、話しまくっていたように思う。そして、話しすぎて最後には、私の喉がかれてしまっていた・・・・・・・・・・・・(汗)。

 とはいえ、一度だけKY嬢と一緒に終電がなくなったあとのパリの街中をヴェリブで走ってみたけれど、気がついたら私は、彼女と一緒にいるのにもかかわらず、いつものペースでチャリンコを漕ぎ出し、あっという間にトランス状態に入ってしまい、ぶっちぎりナンバーワンで家に到着・・・・・・・。

 その瞬間、われに返り後ろを振り返ってみたものの、YK嬢のヘッドライトなどもまったく見えない状態・・・・・・・・・・・・・。

 ううーん、どうやらアテクシ、またまた友人放置状態で、ぶっちぎりで漕いでしまったようで・・・・・(滝汗)。とはいえ、今回は、夫がYK嬢の伴走を、責任もって(?)してくれていたらしく、しばらくしたら2台のチャリンコのヘッドライトが遠くに見えはじめた時には、なんとなくホッとしたゼロでした。



        YK嬢と堪能した、レストラン“Sept'n”での至福ランチ♪


2009年04月02日(木) 鬼畜

 私には、以前からずうっとやってみたいことがあった。で、それがなかなかかなわなかったので、しばらく、自分のやりたかったこと自体を忘れていたのだが、ふとある日それを思い出して、ネットで検索してみると、私の願いがどうやら叶うかもしれない、ということが発覚したのが、3月のはじめ。

 そして、そのアテクシの夢を叶えるためのブツが、待ちにまったあげく、ようやく我が家に配達された・・・・・。ソレは何か??????、といえば、日本映画『鬼畜(野村芳太郎監督・1978)』のDVD。これを、夫に「とってもほのぼのとした日本の家族愛の映画なのよ〜♪」と騙しておいて、彼にみせたかっただけ。

 かなり前から、英語字幕でこの映画のDVDがあったみたいだが、今回はフランス語字幕バージョンも出ていたので、こっちを購入してみた。

 以前、『千と千尋の神隠し』に、私の予想を裏切って、純粋に感動していた夫に、同じように夢がある素晴らしくも幸せな映画だよ〜♪、と夫を騙して映画『ホタルの墓』を鑑賞させたことがある。私の言葉を鵜呑みにしてこの映画を見始めた挙句、どこまでいって救われない展開を目の当たりにした時の、なんとも切ない夫の表情が、完全に私のツボ(大爆笑♪)に嵌ってしまい、“あの喜びをもう一度♪”ということで、次のチャンスを狙っていたのだ。

 映画がはじまり、岩下志麻のこわぁあーーいっ表情がアップになった瞬間、「このあと、この映画の展開は本当に幸せになっていくの?」と夫が私に聞いてくるので、内心すでに大爆笑。そう・・・・、これそまさしく、“つかみはOK”という感じ。

 そして、緒方拳が子供を始末していく展開をみながら、夫はずうっと“Salaud, salaud salaud !!!!!!”と呟き続けている。その挙句、「“salaud”という言葉は、日本語でなんていうんだ!」と私に質問してくるので、もう腹がよじれそうなほど爆笑したい誘惑にかられている私。

 “salaud”という言葉こそ、まさに“鬼畜”という意味なのだよ、オッサン!、と言いたかったのだが、とにかく映画がすべて終わるまでガマン、ガマン。ちなみに、フランス語のタイトルは « L’été du démon (直訳で、悪魔の夏)»というわけで、鬼畜とは程遠いネーミング。

 予想もつかない、次から次へと残酷にも切ない展開を目の当たりにして、かなり精神的に消耗したらしい夫が「ゼロのせいで、今晩は悪い夢をみそうだ・・・・」という訴えを耳にして、「ううーん、今晩こそいつも以上にぐっすり眠ることができそう♪」と、妙にウキウキしてしまったゼロでした。




2009年04月01日(水) スカートの日

 ふと時間ができたので、夫とふたりで映画でもみるか・・・、ということになり、下調べもほとんどせず、ただ勘だけで選らんでみた映画《La journée de la jupe/仏・Jean-Paul Lilienfeld監督・2008》を、観に行ってみた。

 直感に従ってみて大正解♪、といわけで最後までまったく飽きることなく鑑賞。昨年のカンヌで、パルムドール賞を獲得した映画《Entre les murs/仏・Laurent Cantet監督・2008》で扱われたテーマを、もっともっとむき出しにしていったような作品。

 じゃ、いったい何をむき出しにしていったか?、といえば、それは、様々な人種が集まるクラスで、国語であるフランス語の授業すらまともに進めていくことが難しい現状、である。学級崩壊とか、日本語でいえばピンときていただけるだろうか?。

 学級崩壊どころか、ま、フランスという国自体が、移民問題でどうにかなっているのが現状なので、笑うに笑えない問題。先日も、住民投票で、マヨット島(Mayotte)が、2011年から正式にフランスの海外県になることが採決されたばかり。で、またまたというか、もちろんというか、この島の98%はイスラム教徒。

 フランス語でいうところの、ライシテ(Laïcité)という言葉は、政教分離。そしてフランスという国は、あらゆる宗教が存在しようとも、公立の学校()ではあらゆる宗教から中立であることが基本とされているのだが、実際には、この理念がかなり崩壊してきているのだ。

 そして、これらのテーマを扱ったのが、前述の二つの映画。とはいえ、《Entre les murs》のほうは、ソーシャリスト、つまりはインテリ左派が喜びそうな、ある意味“いいこちゃん”的な仕上がりをしているのに対し、《La journée de la jupe》は、マスコミの自主規制や、人権屋の圧力に屈しながらも、日々蓄積させてきた鬱憤を晴らせかねていた、保守派をも喜ばせる仕上がりになっているのだ。

 ゆえに・・・・・・、様々なところから圧力がかかってきているのは、多分に想像できる作品なのだ。当初はARTEという、仏独共同の国営放送局が、テレビドラマとして作成した作品だったのだが、最終的に劇場公開されることになったのだ。

 そして、ARTE側は劇場公開される直前に、この作品をテレビで放映したのだが、これを理由に、《すでにテレビで放映された作品を、あらためて映画館で有料で公開する必要ないうえに、収益が見込めない》との理由で、UGCやGaumontなどの大手映画館が上映を拒否。MK2チェーンのうち2館が、それでもがんばってこの映画を上映しているが、あとはインディペンデント系映画館で上映されるのみ。

 さて、この映画の主演で、国語の先生を演じるのがイザベル・アジャーニ。色々とお直した感じのする“お顔”と、脂肪吸引ぐらい強引な手段を使わない限り、絶対に落とせない感じでデップリと彼女の身体全体に、まんべんなくついてしまったお肉をブルブルいわせながらも、なかなか説得力のある演技で映画をひっぱっていく彼女。

 おまけに彼女の実の父親がアルジェリア人、となれば、これだけでものすごい説得力があるわけだ。実際に彼女がアラブ系ということで、アラブ語を話すシーンがこの映画にあるのだが、ここでの生徒たちの反応もまた、それなりに興味深い。

 この映画のメッセージは、何人であろうとも、どんなに苦労してフランスに移住して現在にたっているとしても、フランスの理念、自由、平等、博愛の名のもとに、あらゆる宗教の呪縛から逃れ、中立でいることの大切さと難しさ、ということ凝縮されている。

 国語の先生さえも、アラブ人であり、とはいえきちんと、政教分離に徹しているからこそ、フランスが誇る大作家・モリエールの作品を教え続けるという、レジスタンス、なおかつ、政教分離政策の殉教者(←これだけでも、じゅうぶん矛盾した表現)としてのイザベル・アジャーニ。

 この映画のタイトルを、日本語で直訳するとすれば“スカートの日”となるのだが、なぜスカートなのか・・・、といえば、スカートをはいて外出するとなると、もうそれだけで売春婦扱いされるご時勢になっている、ということに対してのイロニー&訴えでしかない。

 女性がスカートではなくパンツスーツで堂々と闊歩できる社会になるまでに、何十年も要したとはいえ、その結果、スカートを履くと今度は、オトコを誘っている尻軽女として見下す社会になってきている恐ろしさ。なおかつ、そういった過剰な反応しやすいのが、奇しくもイスラム系の人だったりするわけである・・・・・。

 補足事項として、この映画には、私の敬愛する俳優であるJackie Berroyer殿が出演しておりま〜す♪。



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