ゼロの視点
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2003年08月31日(日) 日の丸

 土曜日の晩は、久々にパーティーに参加。もう長いこと欠席を重ねてきたが、そろそろ復帰しつつある私。とはいえ、仕事が気になるので、ディナーが終わったら、私だけ家に戻るつもりでいたが、気がついたら、朝の5時まで思いっきり楽しんでいた・・・・・(汗)。

 どうしてわたしゃ、適度に楽しみ、適度に仕事するってことができないのだろうか?!?!?!。

 ゆえに、仕事もしてないのに、日曜日は昼過ぎに起床。テレビをつけると、世界陸上の女子マラソンがちょうどスタートしたところだった。ネットですぐさまコースを確認してみると、我が家のすぐ近くを選手団が駆け抜けることが判明したので、見に行くことにする。私なりに仕事で苦しんでいるので、もっと苦しんでいる人のイメージが見たかったのだ。

 スポーツ観戦全般にまるで興味のない夫も、だんだんと私の妙な好奇心に釣られてきたのか、行く気になり、二人で急いで日本国旗を作成。広告の裏に、皿で型をとった、赤いマルを切り取り、両面テープで貼り付け完了。出かける寸前に鍵が見つからず、家中をウロウロしていたら、ふと日の丸ハチマキ(日の丸に神風とかいていあるシロモノ)をみつけたので、これを夫のアタマに巻きつけてみる。

 こういう、ちょっと格好悪いことは、全部夫にやってもらうことが常。


 さて、某地点にて選手団を待つこと20分。とうとうやってまいりましたっ!!。見ると、日本人女性がたくさんトップで走っているじゃありませんかっ!!。思わず、夫がそれを見た瞬間、腹式呼吸のデカイ声で“ニッポンバンザイ”と叫ぶと、後に2位でゴールした野口選手が思いっきりこっちを見て走りすぎていった。

 それにしても、みんな小柄ながらに凄い走りをしているのを間近でみて、ちょっと感動。ビリまでの人を一通り見送ってから家に戻り、テレビにてゴールの模様を見る。一位こそ日本人じゃなかったものの、2位から4位まで日本人がゴールインするのを見て、おお、スゲエと思った。私も、遊んでいる場合じゃないなぁ・・・、と。

 ま、頑張ろうと思いつつ、今朝までのパーティー疲れが残っていたので、本日は、何もせず、ダラダラ日曜日でオシマイ。 


2003年08月28日(木) 集い

 昼過ぎに起きて、メールをチェックすると、日本にいる親友の一人M1嬢からのメール。寝ぼけながら、メールを読むと、M1嬢は二人の息子を引き連れて、私の実家にいるという。そして、彼女のメールには、もう一人の私の親友で、先日ロンドンから留学期間を無事終えて日本に帰国したばかりのM2嬢がもうすぐそこに合流すると書いてある。

 今すぐにでも、そこに合流したい欲求に駆られるが、いかんせん物理的に無理なので、とりあえずメールを打ってみる。するとM1嬢から、“ちょっとだけ立ち寄るつもりだったけれど、これからみんなで夕食です”と返信がきて、ますますそこに混ざりたい気持ちでいっぱいの私・・・・。

 とはいえ、一通り仕事を仕上げて、そろそろ彼女らの食事が終わった時間を見計らって電話すると、かなり盛り上がっている様子。M2嬢は、たくさんビール飲んで気持ちよくなっているし、M1嬢の下の息子ははしゃぎすぎて寝てしまい、まだまだこの宴は続きそうな気配。

 電話で、母を始め二人のM嬢とそれぞれちょとづつ会話。電話を切った後、ふと、私が死んだら、こうやって私の棺の前で、友人らが酒を酌み交わしてるんだろうな・・・、と思ってしまった。とはいえ、私は、まだピンピンしているのだが(笑)。

 よくよく考えると、M1嬢とは高校からの友人。そしてM2嬢とは小学校からの友人だが、高校&大学は全然違うゆえ、M1嬢とM2嬢自体には、まったく接点がないということに、今さらながら気付いた。なーーんだ、私がごちゃ混ぜにしているのね、と。

 昔から、実家には、色々な友人がたむろしていたので、私がいようといまいと、アル意味でこの“家”は、彼女らにとってかなり思い出のある家でもあるはず。相変わらず、愛犬マルチンも元気でいることだし。

 ま、私抜きで、楽しく気ままにやっている友人たちと、こういった関係を築いてこられたことにあらためて嬉しく思うと同時に、参加できない自分を呪った一日だった。くそっ。


2003年08月27日(水) キリギリス

 いやはや・・・・・、またもやキリギリス化している私。ケツにとっくのとうに火がついていて、気分的には、生まれてはじめてアリになったつもりだったが、やはり、そう簡単に性格は変わらぬ模様。

 ヤバイ、ヤバイと仕事してたら、予想外に進んでしまったことに気がついた途端、気が抜けてしまった。それでも、一応仕事は続けているが、ペースは極端に最近落ちている。

 本当は、ペース落としている場合じゃないのだが、それでも、ちょっとでも余裕をみるけると、もうダーーーーーーーラダラ。締め切り前にきちんと終わらせるということが、一生できない気がしてならない。

 早く終わらせれば、自分がもっと楽になるというのに、目先の極楽についつい突っ走る性格は、どうしようもない。おまけに、ここまで自分の欠点に気がついているのに、それを改善できない意思の弱さ。ああ・・・・・っ。

 つい先日までは、どんな資料も机に向かって読んでいたのに、今じゃ、ベットに寝転がって、読んでいたはずの資料にヨダレたらして昼寝しているアリ様。

 困ったな・・・。


2003年08月26日(火) ししゃも

ムショウにシシャモが食べたい・・・・。
ああ、さもなくば、ミリンぼしのお魚たちよ・・・・・。



こういうのをつまみながら、創作活動に励みたいものだ・・・・。



夫が休暇で在宅なおかげで、昼からガシガシとしっかり食べる生活には、もう疲れた(笑)。昼は軽く、そして夜は、上記のようなものをつまんで、ちょっと一杯楽しみながら、休息して、そして仕事復帰などというのが理想なのだが・・・・・。



パテだろうが、チーズだろうが、そんなもの、うまくないんだよっ!!。



昼間、テレビのニュースを見ていると、“どうしてアメリカ人よりもフランス人のほうが痩せているか?”などというレポートがあったが、それだったら、どうして、フランス人よりも、日本人のほうが痩せているか?、というレポートをやってほしいっ!!、と思った。

なんでも、フランス人は食事にゆっくりと時間をかけるから、太らないと言っていたが、そういうものか?!?!?!。ダラダラと食って、飲んで、寝るんじゃ、同じじゃないか?。



ああ、しらすぼし・・・・・・・・・。



とりあえず、豆腐に鰹節をザクザクのせて、醤油をかけて急場を凌いだが、豆腐を食べても、あの“薬味”である、うまい、刻まれたながねぎがないことを想うと、哀しくなってくる。というより、腹が立ってくる。


カロリーは少なく、それでいて、口の中に入った時の、薬味と豆腐のハーモニーを始め、そういった繊細な日本の味というものが、本当に恋しいし、それを思うと頭が狂いそうになってくる、ゼロでした・・・・・。海外在住のみなさん、こんな時、どうやって凌いでいるのでしょうか?!?!?!。


2003年08月24日(日) 色々なタイプの人間

 久々に丸一日、完全に仕事を休んで、シャンパーニュ地方へ。知人Tの妻Fのバースデーパーティーに出席。朝、東駅から電車にのり、約1時間のところへ。初秋のような、からりとした晴天の中、TGVではない列車での旅というのも、なかなか乙なものだ。

 予定の列車ギリギリに東駅に到着した私たちは、切符を買う時間もないまま列車に乗り込み、いざ目的駅に到着すると、係員も誰もいないので、見事にキセルに成功。ああ、タダで旅しちまったぜ。ちゃんと払うつもりで、車内でも、係員を探したのだが、見つからなかった・・・、というわけ。

 パーティー会場=Fの別荘に到着すると、まだ準備の真っ最中。駅に迎えにきてくれた夫のTは、準備を手伝うのが面倒くさいので、まだまだクルマでダラダラしていたいと申す(笑)。実に、我が夫も言いそうな言葉だ。家の中に入ると、妻Fが彼女にそっくりの父Jと一緒にいる。その“そっくりさん”度合いの激しさに、腹の中で大爆笑してしまう。もし彼女の髪型をそのままカツラにして、つるっぱげの父Jに被せてみたら、もう、見分けがつかないだろう・・・・。

 実は、F、バリバリのトロツキスト。それでいて夫のTは、選挙の際はシラクに投票するという、政治に関しては、まったくベクトルが正反対の夫婦。そして、本日は、妻Fの誕生会ゆえ、ほとんどの招待客がトロツキストになる。レーニンでも、スターリンでもない、トロツキー・・・、ま、その辺のところを間違えると、ちょっと大変なことになる。おまけに、タダ単に、左派(ゴーシュ)と言う事は避けたほうがいいのは自明。アルレット某女史の名前は、彼らの前では、ただのアホなので、これも避けることが懸命らしい。

 爽やかに晴れ渡る秋の空の下、続々と集まるトロツキスト。第二次世界大戦中のフランス映画によくあるような風景の中で、決して表立って行動しない同士が密かに集まっているようにも見える、この光景は、戦時中のレジスタンスの強力な人脈のシーンを髣髴させる。よく映画で、逃げ惑う人間を、どこからともなく、レジスタンスの人々が集まり、食料を提供したりシーンがたくさん映画の中で見受けられるが、それに近いものをふと感じてしまった。

 政治の傾向の云々は置いておいても、このトロツキスト達の、いつか社会を変えるっ!!、という強い信念と、ドクマのやりとりは、私にとっては、本当にシュールレアリズムそのもの。白昼夢とも言える。

 とはいえ、みんな本当にいい人たちだったので、楽しく過ごすことができた。ま、こうして、普段なかなかコンタクトを取らない人たちと過ごすことは、色々な意味で有意義なことだなと思った。

 帰りは、パリに戻る夫婦のクルマに乗せてもらって、そのまま次のランデブーの場所まで。夜の9時半に、友人画家Cと19区の中華レストランで待ち合わせ。Cは、今の今まで一度も結婚したことがないが、とうとう激しくとある女性に恋してしまい、結婚をしようかどうか迷っている。とはいえ、なかなか本音を交えて相談できる相手がいず、悶々としていたところで、私たちのことを思い出したのか、こうして会うことになった。

 Cは、夫の昔からの友人。類は友を呼ぶで、夫の性格に輪をかけた、現実離れした性格のC。日中のトロツキストの人たちも、アル意味現実離れしているとも言えるが、夜は夜で、まったく違った意味での現実離れの人間に会うと、まるで地球の端から端まで旅したような感覚に襲われる(笑)。

 Cの相手は、ほとんどの人がヤメテオケっ!!、と言いたい衝動に駆られる女性。本当に結婚したら、かなりのリスクがCに生じる。しかし、それでも愛してしまったんだから、そう簡単に諦められないのが人間の性。そしてそこで深く苦悩しているC、というわけだ。

 聖マリアが一日に何度も見えるというCの絵は、シュールレアリズムそのもの。レストランの後、久々に足を運んだCのアトリエ。決して言葉では語ることが不可能な彼の絵に囲まれ、延々と3人と話し込んでいった・・・・。

 午前3時ごろ、サンマルタン運河沿いを歩き、帰路につく間、何が現実で、夢なのか、もうサッパリわからなくなってきて、笑いがとまらなくなってしまった。そんな私が、現在書いているのは、日本の庭園について。この原稿が妙に具体的な説明を省いて、かなり観念的乃至は、哲学的になってしまったのは言うまでもない・・・・・。
 


2003年08月21日(木) 予言

 なんで、こんなに一日中PCの前でうんうん唸っている生活を送らないといけないのだろう?!?!?、と自問自答していると、ふと、大学卒業をして社会人になった頃に、仕事に辟易として立ち寄った表参道の占い師に言われた言葉を思い出したのだっ!!。

 忘れもしない1992年の夏の終わり頃。表参道のベネトン前に夜になると出没していた(今もいるのかもしれないが)、K氏という占い師がいた。“私のこと推測できるもんなら、やってみなさいよっ!!”という無言の挑発を感じ取ったのか、K氏は、占い時間を完全にオーバーしてまで詳細に語ってくれた。30代の半ばは、馬車馬のように働くと・・・・・・。

 この結果を翌日会社の仲間に話すと、みんな爆笑した。“この私が馬車馬のように働く?!?!?!”という疑問もあったので、一緒になってみんなと笑っていたのだが・・・・・。月日が経つのは早いもので、この占いからすでに10年以上が経過し、そんな結果も完全に忘れて、気がつけば、この占い師に言われていた年齢に差し掛かっている私。そして、とりあえず、クソ面白くもない仕事に毎日追われ・・・・・・・・・。

 あらためて、K氏の言葉を思い出してみると、30代はあっという間に過ぎさるぐらい激動だと、いうことだった。ま、一般的に考えても、みんな年を取れば取るほど月日の流れが速くなり、多かれ少なかれ激動になるのから、と適当に自分の厳しそうな未来については、目を閉じていたのだが、これも気がついてみれば、あながちはずれてもいないから、薄気味悪い。

 幼少の頃から30歳で人生が変わると、何の根拠もなく言いつづけて、実際30歳の終わりで、なぜかフランスで暮らし出し・・・・。以後、目まぐるしい日々を過ごしているうちにすでに、36歳。

 馬車馬のように働くという、自分にとってのイメージからは程遠いが、とりあえず、仕事三昧の日々。確かに、日本のサラリーマンがヘロヘロになりながら、自分の精神状態が極限にまで達しているのさえ気がつかず働きつづけるのと比較すれば、まだまだ、私の状況はパラダイスなのだと思うが、それでも精神的プレッシャーは、かなりのもの。ま、私がヘタレなだけかもしれないが(苦笑)。

 金は稼ぐが、たまらないと言われていたことも今、これを書きながら思いだした・・・・。やだな、これも当たったら・・・・。意地でも金ためてやるっ!!。


2003年08月19日(火) 朗報

 夫の親友の一人で、私が尊敬してやまないジャーナリストPADが、私の本の序文を書いてくれることになった。PADは某通信社のトップジャーナリストで、もともと中東とアジアのスペシャリスト。日本についての鋭い考察に基づいた本もたくさんフランスで出版されている。

 実は、先週末、夫はこのPADの別荘へ行っていた。私も招待されていたのだが、仕事が溜まりすぎて泣く泣く諦め、一人パリに残り働いていた。そして私の代わりに、夫が私の現在まで仕上がった私の原稿を持参して、それを見せた結果、OKをもらえたのだ。嬉しすぎるっ!!!!!!。

 PADの著作集、特に彼のメリハリが利いて、完結でユーモアに溢れた文体と比較したら、それこそ“月とスッポン”レベルの私の原稿だが、それでも数箇所、彼が非常に評価してくれたのが、ボロボロになっていた私の自尊心を少し回復させてくれた(笑)。

 そして、本日このネタを逆手にとって、担当編集者に図々しく“締め切りの延長”を交渉してみる。残念ながら、担当編集者は、明日から9月中旬までヨーロッパのあちこちで仕事するので、パリにいなくなるゆえ、その後に実際の期限延期の交渉がはじまることになった。

 とはいえ、PADをゲットした効果は、確かに大きかったことを、編集者との短い電話でも実感して、妙にホッとしている私。でも、まだホッとするには早いのだが(泣笑)。

 また、最近耳にしたことだが、私と同じシリーズを書いているフランス人女性が、現在完全にドツボにはまって苦しんでいるということ。そうか・・・・、私だけじゃないのね・・・、と妙に安心しながらも、フランス人でもヤバイなら、わたしゃどうすりゃいいんじゃ?!?!?!、とドキドキしたりしている。

 この女性は、私よりも一年早く契約していて、今年の3月の時点で一応すべて書き終わった原稿を提出しているらしいが、それでも現時点まで困難な状況が続いているというニュースは、ちょっと驚異でもある。これに照らし合わせて、私の行く末を想像してみると、まだ今は、その泥沼のスタート地点なのだろうか?!?!?!?。怖すぎるっ。

 仮に私がこのシリーズの読者として、これらの本を書店で手にとっても、てきとーにしか読まないだろうし、それぞれの書き手の地獄絵図などまったく想像だにしないだろう。だから、こそ、むなしいし、ギャラ安すぎるぞ、クソっ!!、と怒りが湧き上がることもある。それプラス、なんでこんな仕事引き受けてしまったんだろう・・・・、私は、もしかして真性マゾなんじゃないか?!?!?!、とも自問自答したりして(笑)。


 とりあえず、いつかこれが完成した暁には、感謝として、色々な人の名前のリストが、私の本の一部に掲載されることだけは確かだろう。


2003年08月16日(土) パリ・格安レストランと売り子事情

 仕事に煮詰まったので、日記更新(笑)。

 とはいえ、昨日の昼から夫がひとりでバカンスへ出かけたので、妙に仕事がはかどったことは、気分的にちょっとだけリラックス。夫がいると、ついつい、あとちょっとしたら、飯を作って・・・・、等と考える傾向がある。たとえ、夫が飯を作ってくれたとしても、それは同じで、結局は、自分だけのペースじゃない、他者との共有時間が、時によると完全に私の集中力をぶった切ってしまうことが多々あるのだ。

 一度集中力が切れると、また以前のテンションまでにもっていくのに一苦労する(涙)。せっかく浮かんだアイデアも、いかんせん母国語じゃないので、リズムに乗り遅れると、完全に喪失してしまう可能性もある。ゆえに、メモは頻繁に取っているのだが、時には、メモを見ても、集中力が切れた後なので、なかなか理解できなかったりもする(泣笑)。

 だいたい、夫がいる時は、午後7時前に近所のスーパーへ行くのが習慣なのだが、いないとなると、もう全然時間なんて気にしない私。で、今、猛烈にハラが減って、時計をみると、午後8時半・・・・。ああ、もうスーパー閉まっちゃったよ・・・・。おまけに明日は日曜日。バカンス期間も重なって、近所の食料品屋の99%はアウトだろう。

 実は、現在日本食のことについて書いているのだが、これがツライっ!!。ハラが減っている時など、地獄だ。そして現在、店も閉まり、とはいえ、アタマに中には日本食のイメージが根強く残り、強烈な飢餓感に襲われつつ、ネットで寿司の宅配を探してみた。

 そう・・・・・。夫がいないからこそ、豪遊してみたいのだ(笑)。でも、連日の猛暑もあって、ネタがヤバイんじゃないか?!?!、という懸念がアタマから離れない。それプラス、日本のコンビニだったら、たいした値段じゃなさそうな、寿司が、二千円以上するのがどうも気になってギブアップ。

 確かに豪遊したいが、金払った割には・・・・、というようなウサン臭いものまでに手をつけたくない、というのがセコイ主婦の本音。おまけに、コンビニの寿司でも、シャリはうまい。こんなことを書くと、日本在住の人は驚かれるかと思うが・・・。シャリがどーりよーもない米で、ネタがヤバそうだと思われる状況で、いかほどのまっとうな日本人が寿司を注文できるだろうか?!?!?!。

 でも、寿司食いたいっ!!。助けてっ!!。

 自宅から徒歩1分もないところに、実は日本料理屋が4件もある。看板は日本料理屋と掲げているが、実は全部、非日本人のアジア人による経営。さて、ここまで書けば、在仏の方は、その日本料理屋の実態がよくわかると思いますが(笑)。

 確かに、これらの自称日本料理屋は安い。また、日本料理に似たようなもの、としては廉価で堪能できる面白みも確かにある。でも、本当に日本食を欲してしまった日本人の身体には、かなりギャップがあると申せば、ご理解いただけようか?!?!?!。

 これらの似非日本料理店へ足を運ぶたびに、中国語が得意な夫に店員に話し掛けてもらっている。これが、面白いのだ。夫の向かいにどうみても東洋人らしい人間(実際、私は日本人だが)、多くの店員がそこで、夫が話し掛けた中国語を理解しながら、わからないフリをするのだ。彼らとしては、日本人のフリをしてきたのに、アッサリと中国語で話し掛けられたのがきまづいのかもしれない。

 また、時には、アジア人の顔しているだけで、フランスで生まれてまったく母国語を話すことができない、ベトナム人、タイ人、ラオス人等が含まれている。また別に、中国人でも、北京語はなかなか話せないが、故郷の言葉はOKという人になると、話は別。

 特に、中国・温州からの不法滞在系中国人は、逆に中国語を話す夫を見て、慄きはじめるのだ。見た目だけは、一般的に“真面目”な、おフランス人の夫が中国語を話し、中国のことについてよく知っていると、彼らとしては、不法滞在のことを、いつか追求されるのではないか?!?!、としり込みする、というパターン。

 彼らがしり込みしてくると、必ず私に中国語で話し掛けてくる。そう、私が中国人が否かを確かめるために。が、幸か不幸か、私はまったく耳で中国語を理解できない。そうなると、ますます彼らは焦り始める。そんな彼らに対して、申し訳ないな・・・・、と思わざるをえない。

 フランスでは、10ユーロも満たないレストランに行くと、インド・パキスタン、スリランカ系の花売りや、中国系のガラクタ売りがやって来る。こっちが会話に一生懸命になっていても、向こうは遠慮なく、仕事で商品を各テーブルごとに回って、売りつけてくるのだ。

 ちょっとでも、彼らと会話すると、もう後は長い・・・。パリ右岸の安レストラン常連の私たちは、色々な売り子と出会ってきたが、その中で定期的に顔を合わす中国人女性がいた。彼女はパリに住んでもうすぐ5年になると思う。同郷の夫と、乳幼児を抱え、フランス語もママならず、中国からの渡航費の返済のために、毎晩レストランを一人で回り、ガラクタを販売しているのだ。

 今から3年以上も前に彼女に会ったのだが、その時点で、すでに彼女は骨と皮状態でやせ細り、見た目だけで彼女の生活が、どれほど過酷なものか?、ということを察する。もちろん、ケチで有名なフランス人らは、彼女が毎晩レストランを回っても、ほとんとが無視。そんなところに、中国語が話せるフランス人と、なんとか漢字で彼女とコミュニケーションを取ろうとする日本人のカップルに知り合って、不意にレストランで出くわすたびに、私たちは色々と世間話をしてきた。

 彼女のほうも、私たちを気に入ってくれたのか、本来は売らなくてはいけない商品をプレゼントとして渡そうとする。で、私たちは、それをなんとか説得して買い上げる、という関係が久しく続いていたと思う。

 さて、例の灼熱地獄や、私の仕事もあって、今、思うと彼女には、ここ半年以上、バッタリレストラン乃至は道端で会うことがなくなっていることに、さっき気付いて、ちょっと焦っている。この暑さで、彼女が病気になっていなければいいのだが・・・・・・・。

 ちなみに、彼女は私より数年若い30代前半。なのに、生活は何千倍も私より過酷なのだ。パリに住んでいて、少なくとも日本からの出稼ぎで苦労している日本人に会ったことのない私(自分も含めて)、同じアジアとはいえ、想像を絶した貧富の差というものを目の当たりにした出会いだったと思う。

 フランス語をマスターしたいと言っていた彼女。それに対して、いつでも我が家に遊びにきてね、っと何度も電話番号を渡した私たちだが、今まで一度も彼女からの件で、我が家の電話が鳴ったことはない。彼女は遠慮したのかもしれないし、そこまでするのもな・・・、と考えたのかもしれない。それとも、その余裕すらなかったのかもしれないが、とにかく、ふとまたいつか彼女の姿を見たいものだ。

 じゃないと、やりきれない・・・・・・。
 


2003年08月14日(木) 猛暑に終止符

 やっと、過ごし易くなってきた・・・・。ああ、長かった。そして、さっき、PCも完全に復旧した。ホッ。

 ホッとした勢いで、ボーーっとテレビのニュースを見ていると、なんと今回の熱波で、フランス国内だけで3000人が亡くなった、ということ。直接的、間接的影響を含めての数字だが。もちろん、高齢者、病人、乳幼児などがダイレクトに打撃を受けたらしい。

 フランスの人口は、ほぼ日本の半分ゆえ、この3000人という数字はスゴイのだ。新聞を読んでみると、この数字は、まだ上昇する可能性があるとまでの記述。ヘタをすれば、5000人になるかもしれない、等と書いているところもある。

 幸い、私は生きているし、夫も生きている。明日にも死ぬようなことを言うのが口癖の、高齢者の範疇にバッチリ入る80歳になったばかりの我が姑様も、ピンピンしている(笑)。友人・知人にも、死者は発生してないが・・・・・。でも、あと一週間これが続いてたら、どうなっていたのだろう?!?!、とすら思えてならない。

 友人Pは、完全に病の域に入るナンパ野郎。日に平均3,4人ひっかけ、最低そのうちの一人とは、真っ裸のお付き合いまで進む。とにかく、彼にとっては、道を歩く女性を口説かないではいられない、というわけだ。そして、一度しとめてしまったら、完全にその女性から興味がなくなってしまう、というオトコ。だが、そんなPも、今回の熱波では、さすがに真っ裸のお付き合いすらしたくなくなった、という(笑)。

 そうか・・・・・、熱波というのは、スケベオトコすら強制的に人格に変化をもたらすことが可能なのね、と妙に納得。

 昨日まで、暑さ対策として、濡れタオルを冷凍庫に入れて、それを身体に貼り付けるという荒業で凌いできた。たとえ扇風機があろうと、ただの熱風なので、気が触れそうになってくる瞬間が、ふと襲うゆえ、こうでもしてないとやってられなかった。それでも、信じられないことに、首の周りに汗疹ができてしまった(涙)。

 明日からは、夫ひとりで二泊三日のバカンス。私は、ようやく落ち着いた気温の中、復旧したPCの前でひたすら仕事の遅れを取り戻す作業に終われて行くのだろう・・・・・。ま、夫がいないので、集中はしやすいのだが(笑)。ま、ある意味では、これも私のバカンスなのかもしれない。めでたし、めでたし。


2003年08月12日(火) 相変わらずパソコンがおかしいっ!!

 昼前に起きて、パソコンを立ち上げると普通に動き出した。ラッキーとと思い、仕事をし始めたら、やっぱりおかしいことがたくさん出現。どうやらウイルスに感染している模様。

 昨日の日記に書いた我が家のPCドクターGは、忙しくて我が家に来られないとのことで、もう一人のドクターG2が木曜日の朝にやってきてくれることになった。とはいえ、本日もこれで仕事はほとんどパー。日記更新ぐらいながいいが、一生懸命書いている原稿が消えてしまうのが怖いので、どうも書き進める気がしないのだ。

 こうして書いている間にも、パソコンがダウンする可能性がある。でも、日記ならOK、というわけだ。現在の時点で、なぜか原稿をフロッピーに記録できなくなっているから恐ろしい。一応、パソコン内には記録できているのだが・・・・。不安。

 ウイルス自力除去は今回放棄したが、とはいえウイルスの種類は突き止めた。ご安心ください。私から感染する可能性はほとんどありません。ただ、私が働けないだけってことっス。

 そんなわけで、本日の夜も友人らと近所のレストランへ、やけっぱちになって出かけてしまった。数日前に書いた日記のEが、扇風機を返しに我が家にやってきたのだが、そのまま話しているうちに、レストランへ直行。そこに、夫の昔の友人も合流して、4人でダラダラ。幸いにも、我が家から2分の中華料理屋が冷房をガンガン効かせていたおかげで、快適に食事が出来た。

 明日から少しずつ気温が下がるらしいが、南仏は以前灼熱地獄が続くらしい。そして、今までなんとかパリの暑さを凌いできたEは、なんと明日から南仏に行かなくてはならないらしい。そんなEを不憫に思って、彼が返しに来た扇風機の貸し出し期間の延長を申し出てみた。

 するとどうだろう・・・、Eの顔が満面の笑みになっていくではないかっ!!。そして、Eは南仏へ扇風機を持参で乗り込むことになった。この灼熱地獄の中、気休めの存在でしかない扇風機だが、それでもマシというのなら、担いでいってくれ(笑)。

 さて、途中から合流してきた夫の友人Cだが、別れ際に爆弾発言。なんと3年前から愛人がいて、先日20年以上連れ添っている年上の妻に、その存在を知られてしまって、かなりグチャグチャになっているとのこと。年上の妻VS若い愛人の間で揺れ動くC。不惑の年ですな・・・・・。

 


2003年08月11日(月) 暑さでパソコンがアウト

 いつものように、11時ちょっと前に起床して、ダラダラと仕事していた。本日も暑い。パリ市内は、40度になっていると思われる。扇風機を回しても、ただの熱風が舞っているだけ・・・・、というような状況。

 雨にも負けず、風にも負けず、っていうフレーズはあったが、暑さにも負けずに仕事せねばならない。ま、もともとここまでギリギリになるまで真面目でなかった私のツケなのであるが・・・・・(汗)。

 さて、そんな状況の中、午後3時過ぎからパソコンが5分おきに落ちて、勝手に再起動するようになってしまったっ!!。もう、こうなると必死に書いた原稿さへぶっ飛ぶ危険があるので、急いで友人Gに電話。Gは我が家のPCドクターなのだ。絶対ウイルスだと思っていたのだが、G曰く、これは暑さのせいだという。本当か?!?!?!。Gの家では、暑さでモデムの回線が焼けてしまったそうだ。

 ということで、Gの診断は“とりあえずパソコンを休ませろ”ということだった。ううーーん、この状況は、本当に私には痛い。せっかく徐々に波にのってきているのに、またしても、中断せねばならないのか・・・・・(涙)。しかし、暑さでパソコンがアウトになるとは・・・・・。この熱波が続いたら、私もそろそろアウトしそうだな、こりゃ。

 もう、完全に暇になってしまったので、たまたま電話がかかってきた友人Jと夫との3人で、レストランに行くことにした。おまけにJは、わざわざわしらの家の前までクルマで迎えにきてくれるという。でも、待てよ・・・、フランスの多くのクルマには冷房がついてない・・・・。それを懸念して、遠まわしに質問してみたら、Jは大笑いして、次のように答えた。

J「大丈夫だよ、ちゃんとエアコンついてるから。僕はアメリカ人だし、ハイテクな生活じゃないとやってられないんだよ。いくらパリに住んでいるからといっても、フランス人のように、最低限の家電等では生活できないんだ。」
とのこと。

 そして、定刻通りにJが迎えにきてくれた。メルセデスの4駆に、ガンガンときいた冷房・・・・・・、ああ、天国っ!!。このままずうっとクルマに乗っていたいほどだ。Jのお気に入りの日本料理屋へわしら夫婦を連れて行きたかったらしいが、実際にそこへ到着すると、もうラストオーダーが終わっている。やっとまだ開いていた他の日本料理を見つけて入るが、今度は冷房がほとんど効いてないので、すぐに店を出た。

 当初は日本料理と張り切っていた私たちだが、そのうちどこでもいいから“冷房の効いた店”を探しになっていった。個人営業でアジのある店は、だいたいにおいて冷房が効いてない。ゆえに、必然的にチェーンレストラン探しになっていく。

 結局、どこにでもある"Bistrot Romain"に入店。確かに冷房は効いていたが、それでも、日本での状況を考えると、まだまだ弱い・・・・。が、もうしょうがない・・・・・。Jは、それでも諦めきれなかったようだが、とにかくもうすぐ23時になろうとしていることだし、ここで手を打つことにした。店員にクーラーの噴出し口にあるテーブルに案内してもらう。

 3人でやけくそになって、カルパッチョ食べ放題し、冷えたロゼを飲みまくった。

 それにしても、バカンスで人がほとんどいないパリ。Jのクルマで冷房のきいたレストラン探しをしていたが、その間にすれ違ったクルマの台数の少ないことといったら・・・・・。赤信号を無視しても、全然平気なほどだった。たまに通りかかるいわゆる観光名所には、暑さでヘロヘロになった観光客が、ヨレヨレになりながら、食事している姿を何度も目撃した。大変だろうな・・・・・。

 食事のあとも、Jの快適なクルマで送ってもらう。そして我が家にもどると、また冷房なし地獄。パリより暑いところはどこだろう?!?!、と調べてみると、とりあえずバグダッドが50度近かったのを発見。

 うーーーーん・・・・。電気も、水道も整ってなくて、将来の生活の見通しもなく、50度の灼熱地獄・・・・。これを思うと、あと数日か確実に続くと思われるパリの灼熱地獄生活を耐えることもできるかもしれない。


2003年08月09日(土) 肉屋

 自宅の近辺には、昔ながらの肉屋が4件もある。以前パレ・ロワイヤルに住んでいたが、こういった個人商店の少なさに辟易として、現在の場所に住んでいる私たち。

 この4件の肉屋に、必要に応じて通い出して早3年。気がついたら、豚バラ肉はこの店、牛のレバーはこっちの店等という暗黙の習慣が出来ていた。特に最近立て続けに豚のバラ肉を買っていた肉屋では、以前は在庫が少なかったのに、私のせいか否かは知らないが、急激に在庫が増えていたのにビックリ。

 最低でも一キロ単位で豚のバラ肉を買いだめして、さっさとタレに漬け込んで焼き豚を作りおきするためだったのだ。冷やして食べてもいいし、インスタントラーメンを作って、それにこれをのせてチャーシューメンにもなるから、本当に便利。また、そのまま一切れスナック代わりにも食せる。

 さて、現在バカンス真っ最中のフランスでは、この4件のうち2件の肉屋が8月の終わりまで完全休業。久しぶりに、我が家から一番遠い肉屋へ足を運んでみた。この店は、1943年生まれのFが一人で切り盛りしている。なんで私が彼の生年月日を知っているかって?!?!?!。そりゃ、質問したから(笑)。

 彼は、ステーキハッシェ(牛肉のひき肉をハンバーグ状態に固めたもの)を作るにしても、その一つ一つを、たった一つしかない型に入れて手づくりしている。ゆえに、顧客一人に対して、長い時間がかかるのだが、不思議に彼の仕事を見ていると、面白くなって時間が経つのを忘れてしまうことがしばしば。

 顧客のニーズに応えて、オーブンにいれる直前までの作業、例えば一羽の鳥に詰め物をしたり、ハムを作りたい顧客のために、色々とその下準備をしたり・・・、と、この店に出向くたびに、フランス式の肉料理の下準備の見学が出来てしまうのだ。

 一時期、バイトを雇っていたが、それも再び消え去り、再びたったひとりで常連の客相手に、休む暇なく働いている彼。こういう人を見ていると、だんだん意味不明の罪悪感に駆られると同時に、畏敬の念が生じてくる。焼き豚要に肉の塊に紐を結ぶ作業にしても、ものすごく丁寧。とはいえ、どこか身体が悪くなってきているのか、たまにものすごく大変そうに作業していたりもする。

 こういうのを見てしまうと、ああ、いつかこの店がなくなってしまったら、本当に哀しいなあ・・・・、と、まだ彼が生きて一生懸命働いているのに、こんなことを想像してしまう矛盾。

 ま、日本もそうだが、年々個人商店というのが減少してきているのはパリも同じ。確かに、私も巨大なスーパーも大好きなのだが・・・・。とはいえ、こういった店がなくなってしまったあとの買い物を想像すると、本当に哀しくなってくる。待ち時間に見ず知らずの客同士で喋ったり、または喋るのも面倒くさいゆえただ他の人が喋ってるのを聞いていたり、店主の包丁さばきに魅入ったり、自分のニーズに応えて肉をあつらえてもらったり・・・・。そしてあまりに待ち時間が長くなると、客を飽きさせないように色々なハムの試食をさせてくれたり。

 本当に楽しいのだっ!!。こういったことは、スーパーではなかなか体験できないのが現状。今、休み中の、もうひとつの肉屋は、親子3代で切り盛りしていて、これもまた面白い。じいさんの働きブリを見ていると、まるで1940年代にタイムスリップしたような錯覚を覚えるほど。または、昔観た、古いフランス映画そのまま、といった感じ。

 また、別の肉屋は、馬肉販売のライセンスを持っているゆえ、気分転換にウマを食ってしまっている私。

 とにかく、こうやって朝から晩まで(毎朝の仕入れを含めて)働く人を見ていると、昔幼き頃見ていたNHKの“働くおじさん”を思い出してしょうがないゼロでした。


2003年08月08日(金) 扇風機

先ほどEからお礼の電話がかかってきた。

 なぜなら、夫と私がレンヌに行っている間、我が家にある2台の扇風機を貸して欲しいと、おととい出発間際の私に頼んできたからだ。私はすぐにパリに戻ってきてしまうが、夫のほうはまだレンヌに残っているので、それを計算した上でのことだ。

 この数日の猛暑で、フランス中の家電屋からは、扇風機の在庫すら消え去り(もともと生産台数も少ないのだろうが)、買い損ねた人々は、熱波に完全にノックアウトを食らっている状態が続いている。

 さて、我が家にはもともと扇風機が一台あった。そんなところに、先月、たまたま道端で見つけた“お世辞にも新製品とは呼べない”扇風機を夫が拾ってきた。まだ、猛暑になっていなかった頃のこと。いつも、訳のわからぬモノを拾ってくる夫にウンザリしていた私だったので、内心「てめえ、また家の中にゴミを増やしたなっ!!」とムカムカしていた。

 が・・・・・・・・・・・、状況変われば・・・、である。40度を超える日々が続くと、この拾われてきた扇風機がものすごく活躍するのだ。おおっ、夫よスマン。

 扇風機を借りていったEは41歳のバツ一で、ものすごく可愛い娘11歳と暮らしている。思うに、愛娘が熱波で苦しんでいる姿を見るに耐えなかったのだろう。ということで、夫に拾われた扇風機は、E宅でフル回転している模様。きっと娘からは、パパはなんでも叶えてくれるスゴイ人っ!!、と感謝されていることだろう(笑)。

 めでたし、めでたし。


2003年08月07日(木) 一族集合

 8月6日の夜8時過ぎのTGVでレンヌの姑宅へ。午前中から一足早くレンヌ入りしている夫に合流。モンパルナス駅を急いで歩き、TGVの所定の座席に座るまでに、もう汗ダラダラ。猛烈に暑い。

 TGVもやっと発車し、ようやく汗が止まった頃、今度は、非常に非常識な夫婦と3人の子供達がギャーギャー騒ぎ出した。2時間のTGVの移動中に読もうと、キオスクで買い込んだ雑誌が一向に読めないほどウルサイ。おまけに、禁煙車両なのに、妻のほうはタバコを吸っている。ギスギスと痩せ、子供が騒ぐとぶん殴る母親・・・・。殴られた子供はもっと激しく騒ぎ、その反応にイライラした母親が怒鳴り散らす。

 久しぶりに遭遇した、ことごとく非常識な一家。言葉遣いも笑えるほどすざまじい。無教養だな、この両親・・・・、と誰もが思ったことだと思う。あんまり非常識すぎて、誰も注意する気にすらなっていないのが、各座席から聞こえる小声での不満で聞き取れる。そうか、みんなも同じなのね・・・・、と。

 とはいえ、なんとか2時間ムカムカしながらも凌いで、どうにか姑宅へ到着。夜10時半過ぎだというのに、私の到着にあわせてまだディナーと始めていない、夫と姑。内心、「食事はさっさと二人でしておいてくれっ!!、といったじゃないかっ!!」とまたまたムカムカするものの、ここはぐっと抑えて、お付き合いで、食事を一緒にする。TGV内でサンドイッチをバッチリ食った後だというのに・・・・(涙)。

 さて、本日。昼過ぎにクルマで、義弟の別荘へ移動。義弟宅で、姑の80歳の盛大な誕生会が開かれるのだが、実際にそこまで移動するために運転するのはわが姑。これがまたスゴイ運転をするのだ。少しでも遅いクルマの出くわすと、ビュンビュン抜きまくる。そして、少しでもクルマがいなくなると、平気で二車線を跨いでいたりするから、冷や汗ものだ。ああ、このまま、もしかしたら姑と夫と私の三人が一緒に事故死するのかな?!?!?!、と思いつつ、面倒くさいので、そのまま現実逃避。45分間のサスペンスだった。

 なんとか義弟の別荘に到着すると、続々と一族のメンバーがやってくる。城と皮肉タップリに呼ばれている義弟宅とその庭園は、巨大な敷地。夫とは違って働きものの、弟は、その巨大な庭園を利用して、色々とセッティングをしていた。頭の下がる思いだ。

 気持ちよい天気の中、庭園での長いランチがスタート。それぞれの人が、それぞれの立場で一触即発で喧嘩になってもおかしくなかったはずなのに、今回は夜の8時に現場を立ち去るまで、何も気まずいことが発生しなかった。本当に驚きだ(笑)。笑顔が耐えぬ会合となり、めでたし、めでたし。

 こんなにうまくいくと、もうちょっとこの理想的な天候のレンヌに残っていたい衝動に駆られるのだが、とはいえ、仕事がまだ強烈に残っているので、夫を残し、夜9時のTGVで一人でパリに戻る。駅まで、夫と姑が見送りに着てくれたのだが、アットホームな感覚で一日を過ごしたせいか、あれほどレンヌにクルマでは、“クソババア、死んでしまえっ!!”などと心の中で何度も呟いていた私だが、別れるのが惜しくなってしまったほどだ。

 帰りのTGVの中でつくづく思ったが、私と姑の関係というのは、よくも悪くも、非常に濃いのね・・・・、ということ。これじゃ、夫もついて来られないわけだな(苦笑)。きっと今ごろ、夫が胸をなでおろしている頃だろう。そのくらい、ものすごく仲良くなったと思ったら、猛烈に喧嘩が勝手に始まる私たちゆえ、最悪のことを想像していたと思われる夫の心境が、手に取るように想像できる(笑)。
 

 ところで、昨日レンヌに到着してから気付いたことだが、パリより蒸し暑くないのだ。本当に気持ちがよい気候。確かに本日の新聞を読むと、今日は過ごし易いとの記述があったが、それにしても、本当に気候が違う。先ほど、パリに夜の11時過ぎに戻った時には、また例のムッとする暑さに驚いたほど。光化学スモッグの影響なのか知らないが、とにかく、パリの空気の悪さと、暑さにウンザリしてしまった。

 ああ、また単調で厳しい仕事だけの夏が復活するんだな・・・・・(涙)。
 


2003年08月05日(火) 火事と三面記事

 仕事の波に乗れたな?!?!?、と思うと、全然違った用事が入ったりして、未だに、完全にリズムをつくれきれずにいる。とはいえ、さきほど今まで書いた原稿のページ数を数えてみたら、とりあえず、半分近くは書き終えていることに気付いて、ホッとする。

 予定原稿数の5分の1は、今年の初めにやっつけておいた。そしていい気になって、7月の中旬まで“書く”ということは、全くやらないでいた私。一応、構成を練りながらインタビューしたり、意味不明に思索に耽ったり、プレッシャーで硬直したり、どうしようもなくなって里帰りして、思う存分遊んでしまったり・・・・、と長い回り道をした挙句、本当に尻に火がつきはじめたのが7月の中旬。

 さすがに猛烈に焦って、ヒステリーを連日発生させながら、半月ほど仕事ばかりしていたら、ヨーロッパ全体も猛暑になり、南部では、あちこちで山火事が発生している・・・・・。ニュースでフランスをはじめ、スペインだの、ポルトガルだのの山火事の映像を見るが、それがそっくりそのまま自分の現状に置き換えられてしまうから恐ろしい。

 わが身の不幸を呪いつつ、山火事の消火作業に懸命な消防士らの姿を見ると、ああ、彼らに比べたら、私の状況など、笑っちゃうほど気楽なのだ・・・、と妙に神妙になる。

 恐らく、私は締め切りまでに原稿をすべて書き終えられないだろう・・・・。出版社から訴えられるのだろうか?!?!?!。わからない・・・・。一度は、出版社に“もーやめたっ!!”という、責任放棄の手紙まで書いたが、それを書いている最中に、こんなことをフランス語で書いているなら、何故原稿が書けないのか?、と自問自答地獄に陥り、気がついたら、絶望的になりながらも仕事を続けている自分自身を発見。

奇妙なものだ・・・・・・・・。

 未だに、日本語のように強烈なラストスパートがかけられない状況にあるが、それでも毎日原稿を書くスピードが、穏やかながらもアップしてきていることに先ほど気がついた。星一徹のような夫に味噌クソに批判され、そのたびに夫の首を絞めたくなる衝動を抑えながら、今までやってきたが、どうなるのだろうか?。

 先日は、痴話喧嘩の末に、女優のマリー・トランティニャンが、交際相手のベルナール・カンタにぶん殴られて、死んでしまった。とはいえ、劇的な二人の喧嘩直前までは、二人はラブラブだったような記事にたくさん出くわしている現在。ううーん・・・・、わが夫婦も仲良かったり、突然喧嘩になったり最近サイクルが非常にめまぐるしく変化するが、気をつけなければ・・・・、と戒める。

 ヨーロッパは燃えている。そして、私の尻にもとうとう火がついてしまってから久しい。鎮火するのはいつなのだろうか?!?!?!。私自身が放火犯であり、消防士になって、火を消さないと、わが夫婦が上記のカップルのようになってしまう確率が上昇するだけだ(汗)。

 そんななか、明日の夜から姑の実家にむけてTGVに乗る。彼女の80歳の誕生日セレモニーに出席せなあかんのだ。本音では、そんなのにいちいちつきあってられない・・・・が、行かねばならぬ・・・・、というわけだ。ゆえに交渉に交渉を重ねて、24時間だけの滞在でパリに戻るというスケジュールの死守に成功。これに対して、姑はかなり不満のようだが、放置プレイ。

 本日、姑が生息している地では、気温39度を記録している。暑いうえに、一触即発でワシらの間にも火の粉が上がる可能性は高い。本当に、何もかも燃えている。さて、どうなることやら?!?!?!?!。


2003年08月01日(金) とある会合

 とある在パリ日本人の会合に出席。仕事ひきこもり生活にもウンザリしていたところなので、なかなか楽しかった。ただ、一度でも出かけると、サッサと引き上げることの出来ない私。おまけに、気分を簡単にチェンジできないので、こうして午前様で帰宅して、いつものようにパソコンの前に座っても、結局なにもできず、日記なぞ更新してしまっている(泣笑)。

 相変わらず、在仏30年以上の方の人生というのは、本当に面白い。また今回は、孫までいる現在55歳の女性M嬢(とはいってもまだまだ若い)が、50歳すぎてからフランス人男性と再婚して、人生を謳歌している、という例に出くわした。もう、こういうのが、たまらなく楽しい。

 二次会(ああ、この言葉もなんて素晴らしい響きなことかっ!!)と称して、違うところへ移動する。するとたくさんの客が狭いフロアで踊っている。そこに混ざって、M嬢は踊りまくる。控えめな彼女の夫のフランス人は、その姿を嬉しそうに見ている。ああ、二人の間には、愛があるのねぇ・・・・、とシミジミ思った。

 2、3年で日本に帰るつもりが、パリに住み着いてしまった、という人もたくさんいる。それでいながら、それぞれ色々活躍していて、非常に頼もしい。皆それぞれ苦労したり、もしかしたら現在も苦労しているのかもしれないが、とりあえず、自分ももう少し頑張ってみよう、という気持ちにさせてもらえるのがありがたい。

 またこの会合で、いわゆる会長役を務めている日本人男性S氏65歳も、実際にパリに住み始めたのは、50歳になるちょっと前ということ。本当に人生というのは何があるかわからないということを実感する。

 逆に、まだパリに住み始めて数ヶ月という若い女性達もいて、それはそれで色々と不安もあったり、こうやって日本人と集って楽しんでいるのをみると、頑張れっ!!、と一声かけたくなるものだ。

 とかく、無意識に暮らしていると、フランス語圏の人間ばかりの交流になりがちな私だが、やっぱり日本人とこうして時々集うことは、非常に有益だと、つくづく思った。


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