Miyuki's Grimoire
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人が本当に癒されるために必要なことは、誰かの存在や出来事や経験ではない、ヒーリングでもカウンセリングでもなければ、ニューエイジ的な考えでも、ましてや世の中で言われている「スピリチュアル」でもない。
恐れは、自分と分離したものとして存在するのではなく、自分の一部として存在する。恐れと向き合うことも、恐れと闘うことも、取り除こうとすることも、それ自体が分離した行為であって、より分離を強めて行く。したがって、無意味です。
恐れているのは、対象でもなく、体験でもなく、記憶でもなく、反応でもない。それは自分自身であること、自分の一部として自分を恐れていると勇気を持って認めるしかないのです。
恥ずかしいこと、隠したいこと、見せたい自分(仮面)、嘘、心の傷、すべてを表沙汰にする。とことん向き合う。
その先にあるのは平和です。これまでの自分がどのような自分であったとしても、どんなに情けなく、悲しく、惨めで、あるいは残酷で、傲慢であったとしても、それが自分であったと知ることがどんなに安らぎをもたらすか。
もちろんとても難しいことです。それは痛いし、恐いので、たいていは全力疾走で逃げるか、怒りで防御します。それが習慣になっています。
それでも。これは本当にやってみる価値があるのではないでしょうか。
傷ついた世代の、大人のわたしたちが立ち返るのは、本当の自分が知っている居心地のいい場所。それは場所ではない場所だけど、手の届くところにある。
そして、その場所は目的ではなく、手段であって始まりなのです。
その場所から自分の意志で、自分だけのクリエーションを行なって行くことが本当の生きる目的で、それには計り知れない意味があると思います。
人間体験の素晴らしさ、人間というものの強さ、弱さ、可笑しさ、それを自分の目で見て、聞けて、触れて、感じることができるのが嬉しく、面白く、そこに本当の学びがあると思えるようになったきょうこの頃です。
miyuki
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