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2004年09月28日(火) Ruru's Diary

タイトルは誰も覚えてないだろうけど、昔るるが書いていた日記のタイトルです。
こんばんわ。ゆみなです。


短い。
あまりにも短すぎる。
『いれぎゅりゃ!』始まって以来だ。いや、『りゃ!』時代も含めてあんな短い日記は初めてである。
そう。
昨日のるるの日記のことである。
確かに今までも挨拶が長くて本題が短いという日記は何度もあった。
しかし、昨日のるるの日記には驚いた。

なんと、本題そのものがなかったのである。
自分がサボった理由を延々と、やれ朝のまどろみがどうの、金物のバケツがどうの、こめかみの膏薬がどうのと、無駄に引っ張るだけ引っ張って、それで終わりだった。
しかし、本人としてもこれではまずいと思ったのだろう。
あとは余白をスクロールさせて長く見せていただけだった。
アリなのか。こんなやり方。


おとといの状況を詳しく説明しよう。
日曜日の夜、私がパソコンを立ち上げると、珍しくるるがオンしており、声をかけてきた。
きっと前回、私が書いた日記の中で
「るるは私から金の無心をされるのがいやで、オンしない」と核心をつかれたことに焦りを感じ、自己弁護すべく私のことをずっと待っていたに違いない。
少なくとも3秒は待っていたと思う。

寛大な私は、もし今るるがここで
「ゆみな。お金貸してあげるよ。それは返さなくてもいいよ」と言ってくれたら、今までの『チャットすっぽかし事件』は水に流すつもりでいた。
ところが待てど暮らせど、なかなかるるの口からそんな言葉は出てこない。

ただひとつ、それに近いものとして
「ゆみな。貧乏のわりにはよく新しいパソコンを買えるよね。他人のカードでも使ってんじゃないの?」という台詞があったが、
もしかしたらそれがるるなりの「貸してあげるよ」だったのかもしれない。


その日のチャットで確かに私はるるに『いれぎゅりゃ!』を書くようにと言った。
すると
「ほら。私さ、読者生活長かったから文章の書き方忘れちゃったのよね」とのたまった。
まったくなんということか。
そんな論理が通るとでも思っているのか。
それがまかり通れば、入院生活の長い人は健康な人間に戻れないということになるし、
夫婦生活の長い人は普通の夫婦生活には満足できないということになってしまうではないか。
ちょっと違う。


それどころか
「今日は運動会だと思って朝早くからお弁当を作ったんだけど、雨で中止になったから疲れた」とわがままを言う始末だ。
運動会を日曜に設定したのは私ではないし、朝早く起きてくれと頼んだ覚えもない。
ましてや雨を降らせたのは私のせいではないのだ。
それに中止になったのなら全然疲れてないではないか。
とにかくオンしているのだから、早く書くように再度促した。


すると、あろうことか、
「ゆみな。書いてよ」と言うではないか。
ああ、情けない。
このまま、るるの意のままに私が書いてしまうと、今後のるるのためにならない。
私は人生の先輩として、ここは断固拒否し、本人に書かせた方がこれから長い人生を歩んでいくるるの為には良かろう。と判断し、心を鬼にして、少々言葉はきつくなったとしても「命令」という形をとることにした。


「ごめんねー。
書いてあげたいのは山々なんだけど、私も今日は競馬場に行って疲れたのよね。だから悪いけど書けないわ。るる、頑張って書いてよ。お願い」


と有無を言わせぬ強い口調で答えると今度は
「疲れたのは馬であって、ゆみなではない」
と言ってきた。
ああ、なるほど。
確かに言われてみると、私よりはるかに馬の方が疲れている。
おっしゃるとおりである。



って、ここで負けてはだめだ。
それに冷静に考えてみると、最初は私とるるの疲れ具合の比較だったはずなのに、いつのまにか私の比較対象が馬に転化されていた。
あやうく、るるに騙されるとこだった。危ない危ない。


私は人生の師として、るるに世の中の厳しさを教えようと、再々度
「とにかく書くんだ。いいな」と言って、寝ようとした。
すると今度はこうだ。
「じゃ、小細工ボタンのネタ考えてよ」と言ってきた。
まったく、どこまで駄々をこねれば気が済むんだ。
そんなものがあったら私が書いてるところだ。


そして最後に私は人生の先駆者として
「私、昨日歩きながらおならしちゃった」と言うと
「エレベーターの中だったら自爆テロになるね」とわけのわかんない返事を返してきて、
「じゃ、そろそろ寝るわ。おやすみ。」と言って寝てしまったのである。



これが日曜の夜のチャットの全貌である。
もし、ここであゆがいたらどうなっていたかと考えた。









たぶん何も変わってなかっただろう。









2004年09月27日(月) デジャビュ

こんにちは、るるです。
タイトルは、誰も覚えていないでしょうが、昔あゆが書いていた日記のタイトルです。

そんなことはどうでもいいです。お久しぶりです。
ほら、ワタクシ、読者生活が長かったものですから、すっかり書き方を忘れちゃいましてね、なんだか更新されないなーなんて思ってたら
昨夜ゆみなに「はよ書けっ!」と言われてしまいました。
その一言で、なんて言うんですか、気持ちよく眠っていた静かな朝、まだ眠っていたいのにカーテンの隙間から刺す執拗でかつ底意地の悪い太陽の光線によって、まどろみのひと時を邪魔され、
「わかった、わかった。もう朝なのね。起きます、起きます、今起きますから待ってて、まっ、、」と言う言葉も、枕元に置かれたやけに大きくて乱暴な音色の目覚まし時計の1分毎に鳴る腹の立つほど大音響のベルの音でさえぎられ、
さらには、ふとんを剥ぎ取られ、頭の上で金物のバケツを棒切れでガンガン叩きながら「とっとと起きなっ!」と言い放つ継母(こめかみには1cm四方に切られた膏薬)が登場し、しょうがなく起きる決意をした、
ま、そんなような強引な起こされ方をされたわけですが。

低血圧で寝起きの悪いワタクシは、「でもね、今日はちょっと体調が悪くて」とか
「ネタがないし」とか「明日早いし」とか、ダダをこねてみたのですが、

「わしもネタもなければ金もない」とか
「体調は良いが体長はでかい」とか
「次女のヒロミがまだ夏休みの宿題を出してない」とか
「もう秋だから、いっか」とか
「エレベーターの中でおならをするのは自爆テロと同じか」とか

いいがかりをつけるだけつけて、とっとと寝てしまいました。
そして夜中に一人ぽつんと残され、PCに覆い被さるようにして眠ってしまったワタクシ。。



















なんだか、故郷に帰ってきた気分です。
ママンッ!
ゆで卵の匂いって、ママの匂いだね!




おならくさっ!










2004年09月25日(土) 嫌いな芸人

明日から3日ほど留守にするので、ワタクシのことは気になさらずに書いていってください。
というるるの謎の伝言を受けて書いてます。こんばんは。あゆです。


ゆみなおかえり。
今回も楽しいタカリ旅行だったようだね。
あ、すまん。タカリ旅行っつーのは言い過ぎた。
「夫婦二人四脚北の大地おごられまくり旅」っつーところか。

それにいつもわしに「金をくれ」と言っていたとは気がつかなかった。鈍感なわしを許してくれ。
だからと言って、次女の財布からお金を抜き取って飲みに出かけたわしに、ゆみなにやる金はない。



ところで、随分前にわしはテツ&トモが嫌いだと書いた記憶がある。
おかげで彼らに最近お目にかかる機会がめっきり減り、よかったなあと思っていたところ、また嫌いな芸人ができてしまった。
ものまねでおなじみのホリである。
もちろんおもしろくないというのが一番の理由であるが、
もうひとつ大きな理由がある。
それは、大勢で出ているときに
スキあらば自分が目立とうと準備している姿が目につくというか鼻につくからである。
若手芸人はみんなそういうところがあると思うのだが、
ホリがテリー伊藤になるぺく帽子を用意するためにゴソゴソしたり、
話をふられてもいないのに全然似てないキムタクの真似で
「ちょ、待てよぉ」と言うたびに私のむかつき度は増してくるのだ。

そう思っていたらホリから電話がかかってきた。
「今、テレビ見てる?」と言うので
「見てるけど。今あんた出てるじゃん」と答えた。
テレビではお笑い番組を放映していた。
ホリの芸はいつものようにすべっていた。
「全然面白くないねえ」
わしは言った。
するとホリは黙り込んでしまった。
っていうかすすり泣いていた。
「どうしたの?」わしはあわてた。
するとホリはこう言った。
「テレビでもすべって、リアルであゆさんにボロカス言われて
気の利いた返しができない俺が情けなくて....」
「大丈夫よ。だんだんとできるようになるって」
わしはそう言ってホリを慰めた。

嫌いなヤツにも本人の前ではフォローするなんて.......。
夢の中での会話なのに。
わしってほんとに小心者.....。

ちなみにこの夢の続きはこうだった。

ホリ「俺、あゆさんにはふさわしくない男だね」
わし「あんた、何言ってんのよ。私をいくつだと思ってるの?」←夢のくせにマジモード。
ホリ「トシなんて関係ないです」
わし「ちょ、待てよぉ」

最後のわしの言葉は今考えたのだが、その前のホリの言葉までは
夢で見たとおりである。
わしは
こいつ嫌いだけど芸人のはしくれだしなあ...つきあってもいいかもなあ...。

と思いながら目を覚ました。

貧乏くさっ。






2004年09月23日(木) あゆに物申す

こんにちわ。ゆみなです。

るるが帰ってきて、やっと正常な『いれぎゅりゃ!』に戻った。
正確には、元の異常な『いれぎゅりゃ!』に正常に戻ったとなる。


それにしても前回のあゆの日記はいったいなんだ。
私に喧嘩を売ってるとしか思えない。
売るものがないほど貧乏だとは知っていたがとうとう喧嘩まで売るようになったのか。

あの日記だけ読むと、まるで私がどんな会話をしても「お金」の話しか
してないみたいじゃないか。
冗談じゃない!
人を馬鹿にするにもほどがある。
それともあゆは私のことをモグラかロバだとでも思っていたのか!

悪いが、私はいつもいつもお金の話ばかりをしてるわけではない。
たまにはカード支払いの話もするし、カード詐欺の話だってするのだ。
確かに私は大金持ちではない。それは認めよう。
しかし、だからといって小金持ちでもないのだ。
そんな私がチャットの最中にまで、「金がない」などと言うはずがないではないか。
あゆの言ってることは全部うそである。
いいか。よく聞け。
私は「金がない」と言ってるのではなく、「金をくれ」と訴えてるのだ。
それをあゆは自分に都合よく歪曲している。
私は友人として、情けない。涙が出る。


それにひきかえ、るるは違う。
人間が出来てるといっても過言ではないだろう。
そんな私の訴えを先読みしているのか、チャットの約束をしていてもオンすらしないのだ。
「ごめん。寝た」と平気で約束をすっぽかすほどの度量を持ち合わせている。
少しはあゆもるるの図々しさを見習うべきである。


あゆが言うには、私は一見すると貧乏くさく見えないらしい。
(多分それは太ってるからだろう。ほっとけ!)
しかし、今回北海道に帰って実感したのだが、どうも友人たちには貧乏だということがばれてるらしい。
というのも、18日の夜にみっちゃんやケニアたちと会ったのだが、なんとその時の飲食代は全部奢りだった。
こっちは夫婦で参加し、みんなの倍は飲み食いしたにも関わらず、
みっちゃんはプータローであるにも関わらず、
ケニアは顔が黒いにも関わらず、私たちは奢ってもらった。
羽田空港で適当に買っていったお土産が功を奏したのかもしれない。
みっちゃんもケニアもまんまと私の作戦に引っかかってくれた。

また翌日は、従兄弟たちと食事をしたのだが、そこでも奢ってもらった。
「いやー悪いよ。払うから」と言いつつも、なかなか財布を出さなかったのが功を奏したのかもしれない。
北海道に行って、こんなにもみんなから奢ってもらえるのなら次回から家族総出で行こうかと考えてる。

今回の旅行はマイレージだったので航空券はタダ。
一泊目の宿泊はケニアに頼んで取ってもらった古くて汚いホテルだったので格安。
二泊目はイトコの家だったのでタダ。
三泊目だけは札幌の老舗ホテルなのだが、それでも特価価格だったので超割安。

ほんとにお金の使わない旅行だったなぁと思ったが、なぜか財布にはお金がないのである。
いや、原因は分かってる。重々承知の介だ。

ああ、そうさ。そうだよ。
競馬だよ。
私たち夫婦は札幌まで行っても、まだ競馬なんかやっちまったもんだから、
せっかく楽しく過ごしてた北海道旅行が最後の最後にがっくり肩を落とす羽目になってしまったのだ。

まぁ自業自得っちゃあ自業自得だけど。



あ〜あ、ほんと今日の日記も貧乏くさっ!





2004年09月19日(日) おかえり、るる。いってらっしゃい、はまな。

またサボり癖が出てきたあゆです。こんばんは。
るるが久々に復帰した。徐々に落ち着いてきたようで安心した。
そしてはまなことゆみなは、(ってどっちが本名やねんってどっちも本名ちゃうし)今日から北海道に出かけるそうだ。
いま、「いれぎゅりゃ!」ではちょっとした北海道ブームだ。
格安ツアーでブームに火をつけたのはわしだが、
ゆみなは、たまったマイレージで行くという。
ってかゆみなの場合は、「北海道に行く」っつーより要するに



タダで帰省する。

ということである。

さすがに貧乏くさい。

ゆみなと会ったことのある人は決して「貧乏臭い」というイメージは抱かないと思う。
だが、チャットで話していると

わし「ダンナがまた臭い屁をこきやがってさ〜」
ゆみな「うんうん」
わし「ほんとむかつくよ」
ゆみな「そうだよね〜。それにしても金がないんだよな」
わし「それにね、下の子も最近反抗期でさあ」
ゆみな「そりゃそういう年頃だもん。わしは金がないし」
わし「そういえば、派遣の仕事決まったんだ」
ゆみな「ええ、よかったじゃん!でもわしは金がないけど」

などと二言目には「金がない」と連発し、案の定貧乏臭いのだ。

それにひきかえ、るるは全然違う。
「今夜あたりチャットしよう」とメールで誘ってきては
オンラインにしたまま眠ってしまったり
ひどい時にはオンラインにすらせずに眠ってしまったりして
話すこともできないでいる。
そのくせ
「いれぎゅりゃ!書け」とメールが来たりする。

わしも眠いんやっちゅうねん。
ネタもないっちゅうねん。

と、思っていたところ
友達から新しいレストランバーのオープン前のレセプションに行かないかと誘われた。
これはネタが拾えるかもと思い参加することにした。

行ってみると来ている人々はみんないかにも
「ギョーカイ」の人ばかりだった。
Tシャツにジーンズ、少し色のついた眼鏡のじじい(わしらは勝手に和田勉と命名)、
スキンヘッドに上から下まで真っ赤な洋服のおっさん(サンプラザと命名)、
黒いシンプルなワンピと胸元を大胆にあけたドレスのおねいさんがた(叶姉妹と命名)
ノースリーブのフリフリワンピに白いブーツの睫毛がバサバサの女の子(マミと命名)などのゲスト達。
店のスタッフはベージュのスーツの一見竹之内豊風、実は出川なヤツだとか
アヤシイ人たちでいっぱいだった。

ある人は「大阪いきり人大会やなあ」と言っていた。
(大阪では、ちょっと頑張って見栄を切っている人をしばしば「いきる」と表現する)

誘ってくれた友達も生粋のお嬢でおしゃれで綺麗だし、
そんな中にわしはいた。
わしは自分で思った。










貧乏くさっ。





2004年09月14日(火) ありがとう

こんにちは、るるです。
父のことでは、ご心配いただきましてありがとうございました。
おかげさまで、無事四十九日の法要ならびに納骨をすませ、少しずつですが落ち着きを取り戻してきています。





ええ、「いれぎゅりゃ!」を読んで笑えるほどになりました。




相当、落ち着いてます。(笑)





今回、私はほんとにお恥ずかしい話ですがこの年になって初めて
「生きること」「死ぬこと」を真剣に考え、向き合ったような気がします。

赤ちゃんで生まれて、歩くことも話すこともできなくて
でも、そこにいるだけで家族を幸せな気持ちにさせてくれて、
そして、少しずつこちらの声かけに反応したり、
笑ったり、寝返りをうったり、おすわりしたり、よちよち歩いたり、おしゃべりしたり、、、
できることが増えていって、その過程で家族にたくさんの幸せを与えてくれて、
3歳までに親孝行を終えるんだって言う人もいるぐらい、
たくさんの感激を与えながら成長して。。

そして自我が芽生え、多くのことを学び成長し独り立ちし
家族をもち、子どもの成長を見届け、
そして、程度や時期に個人差はあるものの、
少しずつ歩けなくなり、座っていられなくなり、
寝返りがうてなくなり、話すことも困難になり、
でも、そこにいるだけで家族を幸せな気持ちにしてくれて、、、、

そう、赤ちゃんのときからと逆のみちのりをひとつひとつ歩いていき
そして最期は静かに眠っていく、、、

父は、最期すこし駆け足だったけれど、
でも、全てのみちのりをまっとうできて幸せだったんだと思います。

どんな最期であっても、その悲しみと辛さから、後悔の念は必ず出てくるものなんだと思います。
私たちも、父を入院させたことがよかったのか、点滴につながれて身動きできなくなって、無理やり生かされてるようなそんな最期で、本当に父にとってそれがよかったことなのか、今でもわかりません。
でも、きっと入院しなかったら、父は8月8日まで生きていられなかったでしょう。
そして、私たちも父のそばに付き添う時間をもてなかったでしょう。

最期の最期に、私たちにできるだけのことをする時間を作ってくれた、
父と向き合う時間を作ってくれた、
家族をまたひとつにしてくれた、
そんな父を心から尊敬します。

とても悲しくて、涙がとまらないときに
ある友人が、きれいな写真と素敵な詩でできた本をプレゼントしてくれました。
この詩を読んで、また涙があふれたけれど、
たくさん涙を流したあと、救われるようなそんな気持ちになりました。

父との別れはたしかに悲しいものだったけれど
たくさんの方の優しさに触れて、
今の私は、本当に幸せです。

ありがとう。











2004年09月11日(土) おかえり。あゆ

こんにちわ。はまなです。(出典:前回日記の小細工ボタン)

あゆが北海道旅行から帰ってきた。
聞くところによると、なんでもお父さんの喜寿のお祝いだというではないか。
それもお兄さん夫婦など(「など」に纏められてしまったダンナのお母さんの立場はどうなる)と一緒の団体旅行だというではないか。
その上、大の大人ばっかりだというのに格安ツアーだというではないか。
なんという親孝行な子供たちなのだ。さぞかしお父さんも、こんな節約家に育てたことを誇りに感じてることだろう。

それにしてもこのようなめでたい旅行の行き先を北海道にしたとは、あゆもお目が高い。
お目が高いと言っても、目が高い位置にあるわけでない。
かといって、鼻が低いと言ってる訳でもないので誤解しないでもらいたい。

すでに知ってる人は知ってると思うが、知らなかった人は今無理やり知らされることになるのだが、
私は一見フランス生まれのカンボジア育ちに見えるらしいが、実は生まれも育ちも北海道だ。
北海道というと、よく柔道とか剣道とか横断歩道とかと同じように、
ひとつの道を究めた事柄だと思ってる人がいるがそれは間違いだ。
決して北の海を究めてるわけではない。四方を北の海に囲まれてる地名である。
北の海に囲まれてるといっても、関取の「北の海」だらけということでもない。
それは気持ちが悪いし、暑苦しい。

あゆの北海道旅行は、さすが格安だけあってホテルも食事もしょぼかったらしい。
だが、そのしょぼい食事をてんこ盛り三皿も食べつくした義母は格安ツアーにうってつけの人物ともいえる。
それが分かっただけでも今回の旅行は実りある旅だったに違いない。
あゆは格安ツアーで行ったことをお父さんに対して申し訳なかったと言ってるが、はたしてそうだろうか。
ご両親にとっては、たとえホテルがしょぼかろうが食事がまずかろうが、義母が自分の祝いでもないのに何杯も食おうが、
そして勝手に太ろうが、そんなことは関係ないのだ。
子供たちと旅行が出来ることが何より嬉しいことなのである。
大切なのは、気持ちだ。
親の喜寿を覚えていて、それを祝おうという気持ちが一番大切なことではないだろうか。
たとえ、あゆが「お父さん。私たちの気持ちよ。」と言って、北海道地図だけをプレゼントしたとしても、
「地球儀の方が良かった」とは決して言わないであろう。

きっとお父さんは今頃、すでに終わっていたラベンダー畑の何の変哲もないただの畑の写真を見ては、
「ああ。ここは夏には美しい紫のラベンダーが一面に咲き誇るのだろう」
とイメージを膨らませ、

テレビで札幌の風景が映し出されたら
「ああ。確かここはバスで素通りした場所だったなぁ」
と思いを巡らせ、

これからバイキングを食べる機会があるたびに、
「ああ。義母のやつ、自分の祝いでもないのにたらふく食いやがったなぁ」と涙ぐむに違いない。

お父さんにしてみれば、いくら格安ツアーであろうと、たくさんの想い出をあゆたちから貰ったことに感謝しているだろう。

私の父は古希を迎えることなく亡くなったが、もし生きていたら間違いなく格安ツアーで大阪に連れていっただろう。
そして、キダタロー記念館に感動していたと思う。








2004年09月06日(月) おひさしぶりです

ほんとにすげえひさしぶりだ。わしのせいなのだが。こんばんは、あゆです。

まず、おそまきながらるるのお父様のご冥福をお祈り申し上げます。

義父の時もそうだったが、遺族というのは、葬儀に始まり様々な法要、手続きで悲しみにくれる暇がないというのが正直なところだと思う。
るるは少しずつ仕事を始めたということで、落ち着きを取り戻すとともに、ふとお父様のことを思い出したりするのだと思う。
私は義父を亡くし、るるは実のお父様を亡くしたということで、私にはるるの気持ちを推し量ることなどおこがましいのだが、これからきっと普段のなにげない話の流れで故人の話題が出て涙ぐむということも多々あると思う。
何かの本で読んだが、亡くなった方は所縁の人々に亡くなったことを惜しまれるのではなく、時々思い出してもらうということが何よりのご供養になるそうだ。
ゆみなの書いているようにるると共にお父様と、お父様との思い出は、確かにそこにいるのだから。

私も存命のうちに親を大切にしなくては...と思ったから..なのか
実は先週の金曜日から今日まで、今年喜寿を迎えた父のお祝いのために
私の両親、ウチの4人と、兄夫婦、義母と総勢9人で北海道旅行に行っていた。
これはウチのダンナの提案だった。
ものすごく格安なツアーが新聞に載っていたというのもあるが、以前、私が海外旅行をしたことのない父に「どこか行きたいところある?」と聞いたところ、「海外旅行より北海道にもういっぺん行きてえのお」と答えたことをダンナが覚えていてくれたからだった。
ウチ父とダンナの亡き父は偶然にも高校の同級生で(←わしらの結婚前、両親初顔合わせの場で発覚)、本当だったら義父にも喜寿のお祝いをするところだったのだが、それは果たせず逝ってしまったので、その代わりといってはアレだが、それなら義母も一緒にと、ゆみな曰くは「農協の団体旅行」のような人数での旅行となったのであった。
しかし、ものすごく格安なツアーだけあって土産物屋ではしっかり時間をとるくせに、肝心の観光は駆け足というハードスケジュールであった。
しかも観光中にゆみなから



「北海道はでっかいどう」


というめっちゃうすら寒いメールが届いたし、
るるからは「明日の昼ごろの予定は?」というメールが届いた。
夜中の三時に質問形式のメールを送られても
こっちは温泉につかって気持ちよく寝ていてすぐに返事はできないし、
第一どの時点からの「明日」なのかが不明である。
まったく謎の多いやつらである。

今回行ったのは
札幌、美瑛、富良野、長万部(懐:リレー小説に登場したのを覚えておいででしょうか)、小樽、函館だった。
しかし、札幌は車窓観光だったし、小樽は一時間足らず、長万部は土産屋のみ、美瑛、富良野のラベンダーはもう終わってしまっていた。
だ、もんで今回一番良かったのは函館自由散策の時間に行った















北島三郎記念館

だった。

また、今回一番驚かされたのは、
















バイキングで3皿分をてんこ盛りにし、完食する義母
であった。
移動の時間もバスの中で、とうもろこしやほたての干物など
北海道の味覚を充分に堪能していた。
宿で温泉から出てきた義母はちょっと憤慨した感じで、
「体重計に乗ったら
な ん で か 知 ら ん け ど
数字がどんどん増えていって全然止まらんから










腹が立って途中で(体重計から)降りてきたんよ」

と言っていた。
義母は愛すべき天然さんなのであった。

でも、そんな義母も母も、もちろん父も
新大阪の駅で別れるとき、
「楽しい旅行ができたよ。ありがとう」と言ってくれた。

ほんと、格安ツアーで宿も食事もショボくて申し訳なかったけど
そう言ってくれてうれしかった。
これって親孝行じゃなくて子孝行じゃん。と思ったけど、
ま、いいか。











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