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2005年07月19日(火) てなワケで書くだぁよ。

書くだぁよ。色々と。

って、近頃気になっている事。
やっぱ、これかなぁ。60周年。

会社帰りに良く行く本屋(この街だとそこそこ大きな部類のとこ)に行くと、特設コーナーまで出来てたよ。
まぁ、それだけ世間が緊迫してて、それだけ、目を向けずにいられない問題なんだろうけど...
実は、単純に戦争非難をするだけのメディアやアドポップに純粋に共鳴できないんだよね。正直。

"Historical Result"

お互いが加害者でお互いが被害者だった
そして、私たちは彼らの生きた結果
彼らの死んだ結果
彼らが愛した結果
彼らの憎しみの結果

誰かが死んで誰かが生きた
その結果が今、ここにある私たちである

あのときの人たちが懸命に生きた結果が私たちであるなら、
私たちには多角的にそれを考察する事なしに
非難する権利を持ち得ない。
あのときあったこと、その存在を全て認めた上で
次を始めない方策を考える。
次を始めないための理解に努める事。
私たちがすべき事はそんな事だと思う。

憎悪に身を委ねるだけは愚の骨頂。

確かに、あのときの人たちの話を聴く、記録を目にすると、相手に対する憎悪も沸いてくる。それで元軍人だった人に食って掛った事もある。でも、怒りに身を任せて生きるのはもう親たちの世代までで良い気がする。むしろ、あのときの人たちも私たちにそれは望んでないのじゃないかなぁ??と。

話す事。
目にする事。
互いを理解するためのコミュニケーションを図る事。
始めないための他愛もない努力を数え切れないほど重ねる事。
あのときの人たちが私たちに望んでることは多分、こんな事じゃないのだろうか??

今年をネタに街宣車を出したり、イベントを催してただひたすらに単純な批難しかしない政治団体や市民団体の活動を見ながらぼ〜っと、心の中でつぶやいてみた。

「アホか!?!?」

あそこにいた人たちは記録や統計じゃない。みんな家族があって、仕事があって、友があって、恋人のあった人たち。もちろん、今も多くの家族が世界中に生きている。あんたら、記録や統計だけでそれを知った気になってない??いま、黙って、そこを行く通行人が家族だなんて考えた事ないでしょ!?!?んな事を考えてる。

いつまでたってもやりきれない気持ち。
あの日は嫌い。
でも、あの日がなければ、母は生まれなく、私は生まれなかった。
でも、あの日がなければ、多分、一人の女性が40歳を恙無く迎え、穏やかな日々を過ごしていた。
私たちが生まれた片田舎でなく、大都会の真ん中で。

なんだかな。
やっぱり、夏が来ると切ないよ。

このことに甘えちゃいけないって分かってるけど、つい考えてしまう。
パブリックじゃなくて、凄くパーソナルな視点なんだけど...

来月だわ...


2005年07月18日(月) なんだかな...

ここ何ヶ月か書いてないなぁ...

頭の中に去来する言葉はいつも以上に多いんだけど...
なんだか、気がつくと時間ばかりがいたずらに過ぎてる今日この頃。

書きたい事...一杯あるんだけどね...
どこまで書いていいんだろう??
この口火を切ってしまったら際限がなくなってしまうんじゃないかなんて、どうでも良い杞憂にとらわれております。

なんだかなぁ...


2005年07月05日(火) またまた

一年ぶりだよ....(をい!!)

こりゃ、ホンマに年記になりそうだ!!
どうしよ〜。


冷華 |MAIL

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