戸枝 大幸 Now online

2002年11月13日(水) ミニ集会

きょうはミニ集会があった。
わたしの話を聞きたいということで、ありがたいことだ。
政治について日頃思ってることや、感じていること、なによりこの北区の未来についての話をさせていただいた。
同時に、みなさんの貴重な意見を沢山聞くことが出来た。
区民のみなさまの生の声が聴けるのはほんとにありがたいことだと思う。

すでに何回かこういったミニ集会を開いていますが、
これは、特別なイベントでもなんでもありません。

フランクな雰囲気で、お茶でも飲みながら、座談する、
そんな感じの集まりです。

1人でも2人でも、ご近所の方や、お友達同士でお誘い合わせの上、
戸枝の話が聞きたいと言うことで呼んでいただければ、
どこにでも参上いたします。

もちろん、個人的に会って話が聞きたいというのも、大歓迎です。

千客万来。

ひとりでも多くの方と、未来への可能性を共有したい。
これが、わたしの想いです。

ご連絡は、戸枝事務所まで。



2002年11月10日(日) 天下一人を以って興る

先日は、雄弁会創立100周年記念式典が行われた。
海部元総理、森元総理はじめ、多くの先輩方が出席されていた。
わたしも、実行委員のひとりとして、OBのひとりとして、出席した。

500人以上は入る大隈講堂が一杯に埋まるほどの盛大な式典を見ても、雄弁会の歴史の重みがよくわかる。
大隈老公の遺志をいまに伝え、天下一人を以って興る、の精神でこの国を支えてきた歴史がある。

私事だが、わたしの父・正弘(まさひろ)も雄弁会のOBだ。
(父子で雄弁会出身というのは、ほかに例がないらしい)
父を知る諸先輩に会い、当時の話を聞くと、わたしの胸は熱くなる。
亡き父が、志高く理想に燃えながら雄弁会の門を叩いた当時の様子が偲ばれる。

〆は「都の西北」の合唱だ。
早稲田の校歌には、次のような一節がある。
「あつまり散じて 人はかわれど 仰ぐは同じき 理想の光」

父と肩を組んで校歌を歌いたかったが、それはすでに叶わない。
校歌を歌うたびに、万感の思いがこみ上げてくる。

父と同じように、志をもって雄弁会の門を叩いたのも、なにかの因縁だ。
わたしの父や、小渕元総理はじめ、幾多の偉大な先輩方に優るような活躍をしていきたいと思う。

雄弁会公式サイトはこちら。
http://www.yu-ben.com/
当日の様子はこちら
http://www.yu-ben.com/topic/hyakushuunennsikitenn.htm



2002年11月08日(金) 日本国憲法を考える

米国中間選挙は、共和党の圧勝。
“強いアメリカ”の実現が、いまの米国民には必要なのだろう。
9・11によって失われた自信を取り戻すことに必死だ。

この選挙結果によって、対イラク政策の基本は固まったように思う。
イラク攻撃の可能性はグッと高まったと見るのが自然だ。

このことは、日本にとっても無関心ではいられない。
第二次湾岸戦争が勃発するとすれば、前回の反省も踏まえて、どのように対米協力をしていくのか。
改めて議論される必要があるだろう。

各論では、イージス艦派遣問題も再燃するだろうし、
総論では、憲法9条問題も再論することになる。

先日も、衆院憲法調査会の中間答申が発表されていたが、国会議員の半数以上も、改憲の必要性を感じているようだ。
このことは、当然に9条の問題も含む。

わたしも9条も含めて改憲の必要があると思う国民のひとりだ。

いまの自衛隊は、どうひいき目に見ても、武力ではないと言い切ることはムズカシイ。
憲法も法律である以上、解釈の余地を残すものであるが、その解釈の範囲も、最終的にはわたしたちの常識に委ねられる。

常識の限界を超えての解釈は、あまりにも不健全だ。
法律と現実とのギャップは、やはりなんらかの形で手当をする必要があるだろう。

憲法を改正するか、あるいは、自衛隊を解散するか。極端だが、つまるところこの二択になる。

日本の安全保障を考えた場合、“悪の枢軸”と呼ばれる国が隣国である以上、それ相応の現実的な対応をする必要があるとわたしは考える。
そのため、やはり憲法の改正が必要との立場になる。

問題は、これから先のことだ。

改正すべき、と思ってみても、この実現への道のりは激しく険しい。
ご案内の通り、憲法改正には、同96条1項より、衆参両院の3分の2以上の賛成と、国民投票による過半数の賛成が必要とされる。

この条文の存在をどのように理解するかだ。
実現不可能な理不尽極まるものと理解するか否か。

これを実現不可能とみれば、改正の処方を、現憲法成立の過程の問題と置き換える論者が多い。
すなわち、いまの憲法は、連合国によって押しつけられたものだから、もともと成立の正統性は薄い。
したがって、これを反故にして、新たに、われわれ日本人の手によって憲法を定めるべきだ。
とする。

一見もっともだが、このあたりは、歴史や、法律に対する哲学の問題の気がする。

所与の状況を歴史の一部として受け容れることができるか。
あるいは、歴史というものは、常に現在の価値基準に従って、変更可能なものであると考えるか。

法律についても同様だ。
現行憲法は、曲がりなりにも、明治憲法のもとで憲法改正の形式的要件を備えて改正が行われたことによって成立しているのだから、
これをむやみに反故にしても良いものかどうかということだ。

法律というのは、本質的には、過去が現在を縛る宿命のものである。
その宿命に反して、現在が過去を自由に変更しても良いものかどうか。

わたしは、この国が法治国家であることを誇りに思っているし、そのためにも、法の本質は遵守すべきだと思う。
現在の価値基準で過去を裁くようなあり方は、法治国家において、回復不可能なダメージを与えるように思う。

21世紀の社会を生きて行くには、今まで以上に、法令遵守の精神が必要になる。
例えば、知的所有権を巡る紛争ひとつとってみても、このことは分かると思う。

法律の成立の過程に疑義があるから、その法を守らなくても良いということになれば、これは法治国家として看過できない問題となる。

法は、人間が作るものである以上、改正を許さないものは存在しない。
現憲法下でも改正への道が閉ざされているわけではない。
まずは、この96条1項の定める要件を緩和することに焦点を定めて、改正のコンセンサスを作り上げる努力が必要だと思う。
これが、憲法をわたしたち自身のものにするための第一歩だ。
わたしたちの一般感覚に従って、憲法を改正できる環境を作り出すことが、憲法に関するあらゆる議論の前提になる。

歩みは遅くとも、96条改正へのコンセンサス作りを根気強く進めていくという選択肢が、わたしのなかでの今のところの結論だ。



2002年11月06日(水) まち歩きから見えるもの

まちをじっくりと歩いてみるのもいいものだ。
きょうは友人Tくんと連れだってまちの路地々々までみっちりと歩いた。

北区という場所は、文化的史跡が多く残る土地だ。
狭い範囲に、いくつもの神社仏閣がある場所が多い。
こういった、神社仏閣は、普段なにげなく通り過ぎていたりするだけで、じつはどんなお寺であるとか、どんな由来のある場所なのかといった基本的なことが分かっていなかったりする。
それはそれで、知らなくとも問題なく暮らしていけるのだからいいのだが、
どうせなら知っておきたい。時間があるときにでも、またじっくりと調べてみたい。

商店街や大通りから一本路地に入っていくと、古い町並みが残るノスタルジックな場所が多い。
かつては商店街の一部だった場所、長屋があった場所、旧家の古くとも立派な屋敷など、
昭和初期からバブル以前までの雰囲気をいまに残している地区というのが、思ったよりも多くある。
表通りの開発後の様子と、その路地裏の様子とのギャップが興味深かった。
そこにはまちの歴史が刻まれていて感慨深いものがある。

わたしの見たところ、どうもバブル期を境として、町並みが大きく変わっているようだ。
バブルを経て、まちが何を失い、何を得ることが出来たか。
路地一本を経るだけで、このことが見てとれる。

未来へと遺すべきもの、活かすべきものは多くある。
政治にどこまでのことができるか分からないが、
少なくとも、まちの過去を知ることは、未来を創ることにつながると思う。


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