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Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
2005年02月24日(木)
20代での転職&キャリア。

以下、
「20代多転職者がウリになる理由 条件はキャリアの一貫性」【Asahi.com】を読んで思ったコトをメモ程度に。
最初に思ったのは、新卒で入社した会社を3ヶ月とか4ヶ月以内で辞める人って、ホントに存在してるんだなぁってこと。(いや、別にそういう行動を非難してるんじゃなくて、単純に「ホントなんだなぁ〜」って思っただけ。要するに、事実確認みたいな感じ。)
というか、私はちゃんと働いたといえるほど働いたことってないので、“転職ネタ”ではなくて、広い意味での“キャリアアップorキャリアチェンジ”ネタとなってしまうことが予想されますが、以下、内省的な日記を少々。。
私の場合、学生時代&卒業時前後の段階では、“正しい意味での”「やりたいこと」(=「やりたい」という自分の主観的感情だけ、ではなくて、自分がやりたいと望み、かつ、自分に適正があり、かつ周囲からもその能力があるとある程度客観的に評価される職種。これを満たさないと結局は、「やりたい」と主張してもやらせて頂けませんので。。)は、当然ながらわかっていなかった。。が、「やりたいこと」の“方向性”というのは明らかになっておりました。
よって、とりあえずは、上のURLのリンクアンドモチベーションの小笹芳央社長の指摘にあった「例外」である「キャリアを自分で築いていこうという意志と、そのステップに一貫性がみえる場合」にはかろうじて当てはまるかもしれない。(というか、正確には、「方向性」を初期段階である程度定めたワケなので、「一貫性」があるのは当然のことなのであるが。。)
でも、いくら「一貫性」があるとはいえ、個人的には、20代での転職が3回“以上”ってのは多いように感じるし、勤務先の倒産など転職を余儀なくされる「例外」があるにしても、個人的な都合を理由とする転職は、せいぜい2、3回が普通といえる範囲だろうなぁとも思う。一方で、
「仕事を覚える吸収力がある20代のうちだからこそ、なるべく早く見切りをつけて動くべきだ。20代でいかに仕事を覚えられたかが、後になって大きく響く。」(→URL内の楽天証券経済研究所の山崎元客員研究員の指摘。)
という意見もそうだよなぁと思う。

うーーーん。というか、実は、私、キャリアアップというか、正確には、キャリア“チェンジ”になるのかも?なのだが、予定を立ててはいるにはいるんですよなぁ。。
予定通り順調に行けば、という仮定の下での予定なので何ともいえないんだけど(→というか、将来何が起きるかなんて不明なので「断定できることは何も無い」という“前提”の上での「予定」というのは当然なのであるが、“前提”を共有化することで勘違いを防止するために一応前置きしておきまする。)、このまま順調にスキルが伸ばせたら、3年から4年後、30歳か31歳くらいになったタイミングで、その時の日本経済の状況&流れを考慮し、転職か独立を選択する予定。(→まぁ、一般的には独立は早い方が良いとされている業種もあるけど、20代で独立してそれなりの収益を出すとなるとIT系or小売系になってしまうので、私の場合は遅めでOKと判断。)
というか、今思ったけど、私って意外と結構先のこと考えてるんだなぁ。。(って、3年後くらいは普通みなさん考えてますよね、あはw)ちなみに、独立と言っても「とことん儲ける♪」系ではなくて、、田舎でのんびりやりたいがための頭脳労働の仕事であります、はいw(ということで、修行の日々は続く♪)
2005年02月23日(水)
「浮気」考。

少し前に、愛読させて頂いている日記で、「ある男性が妻がいるのに浮気したらしい。」という件に関して日記をお書きになられていた。で、書き手の方は、こういう面でも「リスク管理は大事」と書かれていて、私はその意見に激しく同感したのでありました。
で、その日記を読ませていただいたことをきっかけに、自分の潜在意識下にあった「浮気」についての考えを深めることができた。ので、以下、「浮気」というモノをどう考えるかは各人によって異なるという前提の下で、思いついたまま、私の考えを軽くまとめておきまする。
結論から書くと、結局のところ、私という人は、相手が浮気してもしなくても「どっちでも良い」と思っているようなのである。別にそこまで大きな問題だと思っていないというか、何と言うか。私個人が相手に満足している限りにおいては、「どっちでも良い」というか何というか。よって、相手を選ぶ基準の中に、「浮気をしない人」というのは条件として含まれていないのかもしれず。(と、今回初めて気付いた。)

がしかし、「どっちでも良い」とは思ってはいるのだが、なるべくならそういった問題は起きないほうが良いとは思っているし、問題が起きてから解決を目指すよりも問題を「防止」する方が重要だとも思っている。また、そういった問題が発生していることを第3者を通して知るのも問題だなぁと思うのである。
特に、最後の「第3者を通して知る」の場合は、問題の発生とその是非を問う以前の段階で、相手と私という当事者間で問題が共有化されていない、コミュニケーションが不完全である、という状態があった、ことを意味する。よって、これこそが真の問題だと思うんですよなぁ。。
なので、浮気するorしないという意思決定は相手に完全に任せるとして(→というか、そもそも、しないように強制したとして、結局その場でどうするかを決めるのは相手なので、意思決定を任せるも何も当然のことなのであるが。)、相手には事後報告ではなく「“事前”報告を求める」というのを慣しとしてるのかもしれず。
具体的には、「やるときは、少なくとも、やる“10分前に”電話するように」「事後報告、第3者を通しての報告の場合は、無条件でそのままお別れとなりますのでw」と言ってある。(→今現在も交際中。よって、今のところは事後報告も第三者経由の報告もなし。ちなみに事前報告もなし。)

うーん、後は何でしょうなぁ。今思ったけど、根本的に、「浮気」=「隠すもの」という発想そのものが、なんか暗くて好きじゃないというか何というか。。(あ、これが、「“事前”報告」に繋がっているんだろうなぁ、私の脳内では。と今気付いた。。)
と、色々書いてみたけど、「どっちでも良い」と言いつつ、いままでの経験上は、浮気されたことは無いということになっている(→相手の主張という根拠しかないので断定はできない。)というのも不思議といえば不思議である。
■□■□■そのほかのほざき。■□■□■
以下、上で、“「どっちでも良い」と言いつつ、いままでの経験上は、浮気されたことは無いということになっているというのも不思議といえば不思議”と書いたことに対して、彼が意見をくれたので、ポイントだけお知らせ。浮気癖のある男性とお付き合いしている女性は、ぜひ“自由度”を与えてあげてください。効果あるかもですよ、あはw
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もしかすると、勘違いを起こしてしまう可能性もあると思ったので本論の前に前置きしておく。まず第一、僕はいわゆる「浮気」というものをする気もないしそういう予定もありません(笑)。では本論開始。
(中略)まず「どっちでも良い」という自由度を与えている。言い換えれば、相手に行動の選択権を完全に付与しているので、営業・交渉の場合と同じ効果が得られる。詰まり、自由度を与えることによって相手に主権があるように“見せかける”ことに成功している、ということ。
この心理によって、「浮気は隠すべきこと、してはならないこと」という刷り込み・先入観が相手の中で崩れる。と同時に、相手は「浮気」という行動の善悪ついて“自分の頭で考える”必要性が生まれる。最終的には、相手は、浮気は軽率に実行するようなことではない、という考えに至る確率が高い。
さらに、相手が実行しようと試みた場合でも、実行する前に「事前報告せよ」という君の言葉を思い出すことになる確率は高い。この後の流れはその時の相手の心理によるが、「事前報告」した場合は、「事前報告」した時点で気が変わり「浮気」中止の確率90%以上。逆に、「事前報告」しない場合は、第3 者経由または事後報告、どちらにせよバレるのは時間の問題であるので、この場合、浮気の実行は「破局」を意味する。よって、相手は「破局」を覚悟しないことには実行できないという結論に至ることになる。
うーん。結局は、単純に「浮気は駄目」と駄目出しされる場合よりも、「浮気」という行動への誘惑心が無くなるという感じなのかなあ、駄目といわれるとしたくなるのが人間心理らしいので(苦笑)。
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ふむふむ。以上、「当事者」による「当事者」による自己の心理分析であった。(→要するに、考えるには考えてた、ってことですね、ふむふむw)で、これらの分析が正しいと仮定しますと、やはり、相手の判断にゆだねる、という今のままのやり方で良いのかもしれず。まぁ、そもそも強制してどうなる問題でもないし、やはり、「どっちでも良い」としかいえないような気がしますなぁ、ふむふむ。(ということで、現状維持決定w)
2005年02月19日(土)
休日にふさわしい場所。 - Adequate place for my holiday -

朝5時に目覚め、なんとなくそのままベットの中で読書。身支度を整え、今日の分の学習開始。一区切りついたところで買い物をしに近所まで。玄関のドアを開けてすぐに小雨が降っていることに気付いた。買い物を終え、海岸沿いを散歩しながら帰宅。朝刊をポストから抜き出し、そのままバスルームへ。蛇口を捻った後、キッチンへ戻りパン作り。午後に使う資料を用意し、1次発酵が完了するまでのあいだ、ゆっくりと40分、お風呂に浸る。
と、ここまでが今日の午前中。こうして文字にしてみると、ありふれた休日だなぁとしみじみ思う。。けど。もしかすると。休日にふさわしい場所が自宅だと思えるコト、って、“幸福”という言葉と等身大のような、少なくとも“幸福”という言葉によって人の脳がイメージする情景の質感のような、そんな気がした、今。(→ので、思ったままそのまま書いてみたり、した。。)
2005年02月16日(水)
「夢」は「今・ここ」をより良く生きるための「道具」。

以下、
「夢に縛られる」【違った視点で眺めてみよう!】より引用し、その後、久々に内省的な日記。。
「夢は大きく持ちなさい」
この言葉もスローガン・正論に近いものになっているように思いますが、果たして「夢を持つこと」って本当に「良いこと」なのでしょうか?CMかどこかで見たことがあるかもしれませんが、人間と夢との関わり方はこんな表現の仕方もあるかと思います。
世の中には、2通りの人がいる
「夢」を「今・ここ」をより良く生きるための「道具」にしている人と
「夢」によって「今・ここ」を犠牲にしている人と
後者のような夢との関わり方は、問題点が2つあります。ひとつは、夢が達成された瞬間はつかの間の満足感が得られるものの、すぐ「夢のない状態」が不安になってしまうため、更に新たな「夢」を設定し、「今・ここ」は常に「夢の手下」でしかないような生活を続けてしまうことで、もう1点は、もし夢が達成されなかったとすると、今まで行ってきたことは「意味がなかったこと」になりがちなことです。受験に失敗したり、退職をきっかけにうつやアルコール依存になってしまう方は、このような傾向を強く持つことが多いです。
その一方で、前者の夢との関わり方は、あくまでも「今・ここ」の自分がいかに楽しく過ごせるかが重点ですから、極端な話「結果」がどうであろうと関係ないのです。もし夢が果たせなかったとしても「残念だけど、自分はこんな夢を持ちながらこれだけ楽しく過ごせたから、まあいいや」と立ち直りも早く、すぐに新たな「自分を楽しませるための夢」を作り出すことができるのです。
(中略)「夢は大きく持ちなさい ただし上手にね」
というのが本当は親切な言い方なのでしょうけどね・・・
� 嵬粥廚髻嶌�・ここ」をより良く生きるための「道具」にしている人
�◆嵬粥廚砲茲辰董嶌�・ここ」を犠牲にしている人
とすると、私個人も�△世辰浸�期は多々ありますわ。というか、過去を振り返ると、�,里弔發蠅�、いつの間にやら�△悗肇轡侫箸靴討靴泙Α△箸いΩ従櫃�多いような気もする、ふむふむ。。それに、日本では特に、高校時代なんて、まさに�△辰憧兇犬撚瓩瓦垢靴�ないような雰囲気も多々あるし、そういうのを考慮して現実的に考えると、なるべく早い時期に、�△�ら�,悗伴�発的に変化させる必要があるんでしょうなぁ。
で、以下、今現在の自分分析をちとしてみる。
上の引用箇所で、「あ、これ今の状態かも?」と思ったのは、“あくまでも「今・ここ」の自分がいかに楽しく過ごせるかが重点ですから、極端な話「結果」がどうであろうと関係ないのです”という部分でありました。というか、22〜23歳後半までは、私は明らかに後者の�△世辰燭里任△襪�、�△鬚笋蠅垢�たことで、逆に今現在は�,砲覆辰討襦△辰憧兇犬覆茲Δ糞い�する。。
でもまぁ、「結果」という言葉って、結構頻繁に使われてはいるけれども、冷静に考えてみますと、この言葉そのものの定義ほどには、現実における「結果」というのは確定的ではない代物だよなぁと思う。感覚的な表現になってしまいますが、辞書的な意味ではなく、現実社会で求められている「結果」って、何と言いますか、不確実な状況の中でいかに連続的に「結果」を出していけるかどうか、という感じですよなぁ。(うーん、上手く言えてないな、ふむふむ。通じてなかったら失礼。。)
というか、�△両豺隋福瓠嵬粥廚砲茲辰董嶌�・ここ」を犠牲にしている)での「結果」というのは、それを「結果」だと他者に“認めてもらう”、という客観性を強く求めているからこそ苦しいんですよなぁ、きっと。たとえば、難しいといわれている国家試験に合格したとして、合格したことそれ自体は主観的にも客観的にも「結果」と呼ぶのに相応しい「結果」だと言えるでありましょう。けれど、その後はもっと「結果」を出すことを求められるようになるものですよなぁ、それも今度は、少ない準備で、なるべく早く「今・ここ」で。。
あ、話がちと飛んだので勝手に自己分析に戻しまする。今現在、私個人も主観的には「結果」を“出す”ことを考えていることには考えている、のであるが、それと「結果」を“認めてもらえるかどうか?”(=客観による認証の有無。)は別問題なわけで。。よってまぁ、思うに、“主観的には”楽しいコトしてたほうがイイと思うようになった、ってだけなんだろうなぁ。
というか、最近、色々な人たちと話していて良く思うのは、そんなに自分を犠牲にしなくても良いんじゃないかなぁということ。最近の自己啓発書等では「もっとわがままになりましょう♪」というようなコトがよく書かれている。んだけど、そのまま「わがまま」という言葉を使うと誤解されやすいと思うので私なりにちと噛み砕くと、“自分の意見は自分の意見として、他者の意見は他者の意見として「分類区分」した上で「自分を上手く主張する」”という風にすれば、もっと楽に「夢」を使えるんじゃないかなぁと思った、何かを犠牲にする、のではなく、「夢」を「今・ここ」をより良く生きるための「道具」として。(って自分でも意味不明な文を書いてしまったことは自覚しているので、後で直すかもしれず。。)
★★★★★★その他。★★★★
以下、過去の日記をアップした分のメモ。
02月07日(月) 休日の楽しみかた。01月30日(日) 少子化問題記事がむなしく響くわけ01月29日(土) 今日、女5人で話したコト。01月17日(月)男気。01月16日(日)「ダイエットしてるんだ〜」と言うと男からの高感度UP!らしい、が。01月15日(土) 正しいダイエット。01月13日(木) パターン化についての愚痴。01月09日(日) 男性を幸福にしない日本というシステム。01月07日(金) 今年やること&今年やらないこと。01月05日(水) 去年の記憶が再生。01月04日(火) 負けを潔しとする感覚で勝負せよ」(by 堀紘一)01月03日(月) 初詣に向けて。
2005年02月11日(金)
想起させるヒト。

ここ数日、朝の読書タイムに、山田詠美サンの小説をじっくりと読んでいる。昨年の12月にも数年ぶりに一度全作品を通して読んではいたのだが、やはり、一つの作品を丹念にゆっくりと読んだほうが、自分の中に浸透してくる感じがする。
で、昼間、お昼ごはんを食べた後、しばしの間、ぼーっとしていた時。
美里チャンのコトを思い出した。16歳の時初めて会った美里チャン。すごく綺麗な子で、彼女もまた山田詠美サンの小説のファンだったっけ。確か、二人で話した時、『晩年の子供』という作品の話をして、「子供って残酷で、それがまた可憐だねぇ♪」とか何とか、そんな、いい加減な話をしたような記憶が。。
彼女は、歌手を目指して都内へと引っ越した中学時代の友達の友達で、美里チャンもまた歌手を目指していた。一緒にテレビを見ていたりすると、突然一人で歌いだす、という癖があって、確か、CDを一枚出してたはず。
何回目かに美里チャンに会ったとき、彼女は年を誤魔化して水商売なんて始めちゃっていて(注;当時、16か17だったはず。)、「なんで今なの?」って私が聞いたら、「だって私に似合うでしょ?」って返されて、すごく説得力があったっけなぁ。。あの麗しい外見と、心地良く他者の脳内に響いてくるあの声で、彼女は一体男たちの財布からどれだけのお金を自分の財布へと強制移転させるのに成功したのだろうか。。今でも続けていたとしたら、凄いホステスさんになっているはず。
何となく。またどこかで会えれば良いなぁと思った。
少なくとも、彼女は、私にその存在を記憶させ、10年経った今でも、想起させるだけの力を持つヒト。前よりももっと、色々な話、出来そうな気がする。
━━━━━━━━その他のほざき。━━━━━━━━━━━━━━━━━
以下、山田詠美氏の作品『A2z』から、今日、引用した中で、上手いなぁ、あっぱれw、と思った箇所を少しだけ♪
★「おれ、でも、若い頃のナツより今のナツの方が、ずっと好きだよ。自分でそう思うから、余計な詮索するんだよ。女の色気は、与えられるより、こっちから見つけ出す方が楽しいじゃない。きっと永山もそう思ってるよ。ナツに色んなもの感じてるよ」 (p196)
★「(略)、人が恋をするのは仕様がないじゃない。でも、恋って、やがて消えるよ。問題は、心の到達出来ない領域にお互いに踏み込めるかどうかってことじゃない?二人の間には、その領域があって、そこのスペアキーをどこかに預けているような気がする」 (p197)
★良心かあ。久し振りに耳にする。その言葉。考えてみると、好きな人間が関わらない限り適用されない心の動きだ。恋をすると良心は蘇る。しかも、一番、身勝手な形で。 (p200)
★他人から見たら、あるべき男女関係をぶち壊しているように思えるかもしれないが、今の私たちには、これが形。それぞれの自分勝手が交差して均衡を保っているありふれた形。その中で、自分の思いだけはありふれたものじゃないと、皆、口に出さずに思っている筈。少なくとも、私はそう。それを確認する時、良心は疼く。私は、自分自身のためだけに恋をしている。他者と比較すべくもない、自分の内だけで醸成される感情を保つために。 (p201)
以上、書籍『A2Z』より引用。
2005年02月07日(月)
休日の楽しみかた。
(以下、Mixi日記より転載。)

昨日は早朝からスノーボードしてきた。それも3年ぶりに。今現在、腕とふくらはぎが、ちと痛い。。
3年ぶりということもあり、最初は滑れるかどうか心配だった。のだが、毎週のように雪山に通っている友達の指導を受けているうちに、何とか勘を取り戻し、“とりあえず滑る”程度には滑ることができた。というワケで、楽しいといえば楽しい週末ではありました、はい。
が、家に着いて冷静になった時思ったのだが、正直、やはり、スノーボードは、“そこまで”楽しくはないような気が。。と私が思ってしまうのは、たぶん、大学時代の一時期、週に3回くらいやっていた時期があったので、雪山を見ても新鮮味に欠けるような気分がしてしまうから、なのかもしれず。
で、来週とか来月も行こうよ、というようなお誘いも頂いたのだが、「いやぁ、ダイビングなら無条件で行くけど、スノボーっていう気分じゃないんだよなぁ、あは〜w」とか言って、丁重にお断りさせて頂いた。(丁重に、と書いたが、普通の人が見たら、「はっきりと」になるかもしれず。でもまぁ、相手は、私の「本質」を知っている小中学校の同級生なので、あのレベルだと「丁重に」に聞こえたはず。)
というか、メンバーの中で、「でも、ダイビングって高くつくでしょ?スノボーは一日1万円あればさ〜」とかいう意見もあったのだが、高いor安い、で測れるような問題じゃないんだよなぁ、休日のすごし方&楽しみかた、っうのは。。とか思いつつ、その場では上手く説明できなかったけど、要するに、私が楽しいと感じる種類のものではなくなった、ってだけなんだろうなぁ、スノーボード。
で、久々にやってみて思ったのは、きっと、終わった後に自然と内から湧き上がってくる種の満足感が、スノーボードよりダイビングのほうが上回っているような気がするから、かもしれず。あとは単純だけど、雪の上よりも水の中のほうが気分が落ち着くから。陸の寒さよりも水中の寒さのほうが肌に心地よいから。
とか思いつくまま書いてみたものの。一番は、休日に気分をリフレッシュする必要がないくらい、平日が充実しているからなのかもしれず。まぁ、他の人から見たら「つまらない平日」なのかもしれないけど、私個人は楽しいんだから仕方ないよなぁ、って帰りのバスの中ふと思った。けど、隣で爆睡してたキャリア志向の友達には言えなかった。。まぁ、あれですよなぁ、各自、好みに合った時間のすごし方をすれば良いだけのことであって、彼女と違って私はやはり、オンとオフで見えない何かを分類整理するのが下手なだけなんだろうなぁ、ふむふむ。
★以下、頂いたコメント。
・>高いor安い、で測れるような問題じゃないんだよなぁ、休日のすごし方&楽しみかた、っうのは。。
はいっ!それ、激しく同感ですw
が、私の場合、『丁重に』お断りした後に罪悪感を感じてしまうのがどうかと思います。。。あと、私はまだまだスノーボードも楽しいお年頃ですが(笑)満足感をより感じるのはダイビングというのも同感ですw
水の中ではなんて弱い生き物なんだろう、人間って。とも思います。
・Kサン、コメントありがとうございます♪
>『丁重に』お断りした後に罪悪感を感じてしまうのがどうかと思います。。。
なるほど確かに。。ことサンの日記にあったとおり、こういうのって相手によるように思います、はい。何と言うか、社交辞令は社交辞令としてそのまま受け取ってくれる人が相手ならば、別にこちら側が罪悪感を感じる必要もないような気がするのですが、相手によっては、それが通じなかったりとか。。
それと、たぶん、私の場合は、大学時代やりすぎたんだと思います、スノーボード。。(苦笑)。で、今思ったのですが、ダイビングのほうが満足感が高いというのは、海に潜るまでの間は、機材の設定や移動などで「苦労」することが多いからなのかなぁ、とw
・>海に潜るまでの間は、機材の設定や移動などで「苦労」することが多いからなのかなぁ、とw
それは多いにありますね!納得・納得w
罪悪感の件は、本当に相手によります。感じない時ももちろんありますし。
うーん、もしかしたら通じない人がまわりに多いのかも、と思いました(汗)
・今思ったのですが、何だか「苦労」と「満足感」って比例してる部分、多々あるのかもですなぁ。。でも、「満足感」を得るために、わざわざ「苦労」するのは、ちと自虐的な感じがw
>もしかしたら通じない人がまわりに多いのかも、と思いました(汗
あぁ、そうかもですよね。。私もスノボー行ったとき友達Aに聞いたのですが、「自分の主張を正しいと信じ、かたくなに曲げない人」がいるらしく、ストレスを溜めている様子でありました、はい。。友達Aは、その人に「スノボー行こうよ♪」と誘われ、“はっきりと”断ったにも関わらず、その人の脳内では「友人Aは参加w」と処理されているらしく、何だかなぁと思いました、はい。。。
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