日記帳




2011年01月31日(月) 四季断章

・「春隣(はるとなり)」……寒さが厳しくなる大寒十五日目頃のことを言う。冬来りなば、春遠からじ。

・「夏館(なつやかた)」……夏の装いをした邸宅のこと。

・「秋はずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる」 (太宰治)

・韓国の冷麺は、もともと床暖房の効いた暖かい部屋で、冬に食べるもの、であるらしい。


2011年01月30日(日) 魂の双子

お菓子の写真撮影用に、としばらく前に入手した粉引の楕円皿と、兄弟のような見た目の湯呑に遭遇してしまったので、外出するにも関わらず補充を忘れてすっからかん一歩手前だったお財布の残金を省みず、思わず購入してしまいました。細いプリーツのような造形と、大理石に似て仄青いような白い肌にぽつぽつ散った不規則な黒の点々が魅力的です。

お茶を味わう器として生を受けたというのに、ペン立てとして使おうとしているというのは、なんだか申し訳ないような気がします。

昨日の夜半から降るはずだった雪が未だ姿を見せず、これは毎度のごとく、外出に合わせて我が晴れ女の神通力で天気を捻じ曲げてしまったか、と畏れ多いことを考えています。願わくば、たわめられた雪雲が白魔を召喚してしまいませんよう。



2011年01月29日(土) 当たって砕けろ

休日出勤から帰宅できたのが、まさかの0時超えだったという驚愕の事実。
仕事で遅くなることは、これまでもままあれど、日付が変わったのは初めてでありました。貴重な体験です。あまり繰り返したくはないですが。
22時を過ぎた辺りで出現した、あちこちから独り言が聞こえてくるリアルツィッター状態が可笑しくもあり切なくもあり。

ところで、お休みに出動した日には、皆で昼食を食べに出るのが恒例というか楽しみなイベントなのですが、今回はデザートプレートが一押しのパスタ屋さんへ行ってきました。前回来店した時には、お皿を運ぶ度、方々にがつんごつんとぶつかりながら去っていく眼鏡男子な店員さんが気になって……もとい、きっと青痣が絶えないであろう境遇に共感を覚えて、肝心のパスタのことは美味しかったけれどあまり覚えていなかったことが判明(その証拠に全く同じメニューを頼んでおきながら、実物が運ばれてくるまで気付いていなかった)。今回はお見かけしませんでしたが、彼は今も元気に料理およびテーブルと格闘してらっしゃるのでしょうか。
時間の関係で、デザートまでは賞味できなかったのが少し心残りであります。


2011年01月28日(金) 人参候補

花柄のカーテンやベッドカバーや、その他もろもろ春らしいインテリア用品が満載のカタログが、帰宅したら届いていて、模様替えの算段でもしたいものだなあと思うのだけれど、土曜日はお仕事だから夜更しは禁物だし、と言いつつも(実は)日付が変わってしまっているし、休日出勤が片付いたら心置きなくじっくり眺めるんだと言い聞かせて、明日の準備などしています。

ところで、これからやってくる本格的な繁忙期は、目の前にもっと大きな人参を吊るしておかねば到底乗り越えられそうもない代物なのですが、候補はいくつかあれど、どれも捨てがたくて決めかねる……などと思っている内は、きっと大丈夫なような気がしています。


2011年01月27日(木) 見下ろしてごらん

白い絵の具を溶かしたような空に、吐く息がゆるゆると集まったように薄く頼りなげな雲が流れていく。
水たまりに映った空の方がより青く見えるのが、不思議だった。
(……ある日の手帳より)

***

普段、私の手帳は基本的に食い意地の張った記述で満載なのですが(近頃は特に甘いものへの探求心が満ち満ちている)、たまには空を見上げて考察してみたりなどもするのです。しかし、いい大人があんまりまじまじと水たまりなど覗き込んでいるのは、いささか挙動不審に映ったやもしれません。気を付けねば。



2011年01月26日(水) 枯れ木残らず花が咲く

温暖化の影響著しく、二階の窓まで雪で埋まったという話ももはや昔話の域、近頃ではせいぜい積もって物差しが埋もれるくらい、という我が居住市でも、今年の厳冬は多少趣が異なるようです。

新年早々の寒波から数えて、今日で三度目の積雪です。傘を差して歩いていても、濃色の服が瞬く間に真っ白になって、例えて言うなれば冷凍庫の奥でいつまでも売れ残って霜がびっしりついたアイスクリームのような風情になる、というのも久々のこと。

しばらく雪道を歩いていないと足元が感覚を忘れてしまうのか、駅から家までおよそ10分強の道のりで、一度樹上から降ってきた雪に驚かされ二度道との境目が曖昧になった溝に落ちかけ三度転びかけ、と惨憺たる有様でありました。天気予報を見ずに、うっかり一切防水機能のないやわなブーツで出掛けてしまったのも敗因のひとつ。

雪が積もると外が異様に明るくて、夜道も普段と違って見えるものです。大型パチンコ店のある駅前は、ネオンを映して辺り一面真っ赤に染まっているし、いつもなら心もとない街灯の灯りも道いっぱいに反射して、とっぷり日が暮れてからも文庫本の文字が野外で読めるほど。

しかし、心躍るのは降り始めの僅かな時期だけで、明日になれば雪かきだの電車のダイヤが乱れるだの、憂鬱ばかりが増えるのですが……。


2011年01月25日(火) 彼女とチョークと無限の世界

新しく赴任してきた若い女性の先生はかなりの変わり者、授業中も教科書から脱線して突飛なことばかり板書するのだけれど、実は彼女には特殊な能力があって、ひとつ言葉を書く度、少しずつ世界がパラレルに分裂していってしまう、例えば「二月には空から薄荷飴が降る」と書いたとするならば、本当に薄荷飴が降り注ぐ世界が出現する……というような話を、むかし書こうとしていたことを不意に思い出しました。

もしこの話に決着を付けるならばどんな着地点になるのか、とひととおり真剣に思案してみたのですが、どう考えてもラノベ風の味わいになりそうである、というその一点において、「……やっぱり無理」という結論に落ち着いたのでした。

電源を入れる度、「もう体力の限界です……!」と訴えていた(要するに電池切れ)ポメラ氏の電池も新品に取り換えたことだし、そろそろなにか、ぽちぽちとモノカキらしいことをしてみたい、今日この頃であります。


2011年01月24日(月) 羊たちの復讐

昨日は無闇にアドベンチャーな夢を見て(冒険の中身は覚えていない)ぐったり疲れて目を覚まし、一昨日は酷く切ない夢を見て(こちらの内容は覚えていて、広い広い公園の誰もあまり近づかない片隅で、大切なひとの遺骸を三体、ひとりで枯葉の中に埋めるという、ミステリーだかホラーだか微妙なもの)泣きながら起きて、そのしばらく前はSF風味な夢で(これも割と良く覚えている。地下にある研究室で、スーツ姿の神様たちが集まって人類を滅亡の危機から救うにはどうしたらよいか、シミュレーションしているというもの。地震に洪水に旱魃に、コンピュータにデータを入力すると、バレーボール大の中に縮小された世界が封じ込められた球がガチャガチャのようにごろんと出て来て、その中で何度も破壊と再生が繰り返される)朝から粛然とした気分になり……。
要約するならばどうも夢見が悪い、という話なのでした。

今年、いくつも作った目標のひとつが「睡眠環境の改善」なのですが、これは早急に計画実行を考えねばならないような気がします。


2011年01月23日(日) 100年の香り

下戸には、その味と香りを空想してみることしかできませんが……。

http://www.asahi.com/international/update/0122/TKY201101220119.html

『エンデュアランス号漂流記』は、ここ何年かの間に読んだ本の中で、私にとっての「出会えて良かった」数冊の内に数えるに値する、と思っています。


2011年01月22日(土) 三位一体

「文楽」と「人形浄瑠璃」は同じものだったっけ……? と唐突に気になってしまったので、備忘録メモ。

文楽というのは、そもそも人形浄瑠璃を演じる劇場の名前だったのが、いつの間にか人形を操って演じる芝居のことそのものをこの名で呼ぶようになり、現在では正式な名称として用いられるようになった、とのこと(参照:人形浄瑠璃文楽座)。
そういえば、三月には我が地元で文楽の公演があるのでした。ふと興味を惹かれて、会場となるホールの催し物ガイドなど確かめてみたところ、歌舞伎に落語に三味線に文楽……と、日本の芸能に軸足を据えたラインナップでありました。

***

明日、情報収集するもの。
・栄光堂製菓のロシアケーキ
・西賀茂チーズ
・某クイズ番組のエンディングで流れているあの曲
・ゴブラン織りのポシェット


2011年01月21日(金) ひととせ

遅ればせの新年会へ、急遽飛び入り参加してきました。
何かの拍子に誕生日の話になり、自分の年を披露した(別に隠していたわけではないのだけれど)ところ、「(私の実年齢よりも一歳下)歳だと思ってた!」とそれはそれは驚かれ、ひとつでも若く見られたのだから喜んでおくべくか、しかしほとんど誤差の範囲だしなあ……と宴の席であるにも関わらず、しばし黙考してしまっておりました。
ここはやはり、素直に有難く受け取っておいた方が、良いでしょうか……。

そんな煩悶はさておき、今年の隠れテーマのひとつである「行ったことのないお店をできるだけ多く開拓する」が、なかなか順調に実行できているのが嬉しいところです。


2011年01月20日(木) おにぎりおにぎりちょいとつめて

お仕事の関係で、日に日に帰宅が遅くなるこれからの時期は、毎日晩ごはん用のおにぎりを持参しています。
今のところは、家に帰りつくまで空腹を我慢できるくらいの時間には撤収できているのですが、いつ何時、食料が必要になってもいいよう、念のために毎朝、大き目のおにぎりを二個、用意します。
三角に握れないので常にいびつな丸型ですが、その日の冷蔵庫にあったものや、料品棚に備蓄してあるものを、直感的に(いい加減に、とも言う)組み合わせて握るので、毎日中身が違う、という点が取り柄です。

本物の繁忙期はもう少し先なので、結局は家に持って帰ってきて、ひとつは自分で消費し、もうひとつは家族のお腹に収まる、という結果になるのですが、身内とはいえ他の人の口に入ると思うと、あまり冒険的なことはできないなあと思う次第……。

ちなみに今日は、瓶詰めのザーサイと缶詰のツナが具材でした。

***

バレンタインが近いから、というわけでもないでしょうが、チョコレートが気になって気になって仕方がない今日この頃です。
ビターチョコが好き、という話を以前にしていたせいか、周りからいただく差し入れのチョコは、75%だとか80%だとか、カカオ含有率の高いものが増えてきました。有難いことです。


2011年01月19日(水) 切手を買いに

至急の用事を済ませるため、お昼休みに郵便局へ。休憩は一時間で、食べる速度が遅い私は少なくとも20分はお弁当用に確保しておきたいし、歯磨きだの身繕いだのも必要だし、ちょっと本も読みたいし……と欲張っていると、自ずから外出に裂ける時間がどんどん削られていきます。目一杯の速足で、片道10分強。所用も無事に片付き、真剣に歩いたおかげで体も温まって、一石二鳥と言えなくもありません。

折角出掛けたついでに、近頃書く機会が微増している紙のお便り用に、記念切手を物色。どんなものがありますか、と窓口の方に訊ねてみると、綺麗にファイリングされたカタログを見せて下さいました。その中から、花畑と気球の図柄に惹かれたご当地切手を二種類と、ノスタルジックな「ふるさと」と題されたイラストの切手シートを一種類、選んできました。

ところで、記念切手は1シート単位でないと買えないものだと思い込んでいたのですが、「この一枚が欲しい」と指定してバラでも購入することができるのですね。ひとつ、豆知識が増えました。


2011年01月18日(火) キャッサバ、マニオカ

タピオカの入った飲み物が好きです。かつては、半透明でつるつるした姿が、食べ物というよりは何かの卵に思えて仕方がなく、主に見た目で敬遠していたのですが、食わず嫌いはきっかけさえあれば案外ころりと寝返ってしまうようです。
あの、他の飲み物ではまず見かけない極太のストローも、妙に可笑しい(失敬)。

タピオカといえば、小さいながらもかねてからの念願がひとつ。港町の中華街に行く度、それはどういうわけか大抵は暑い日であることが多いのですが、色とりどりの粒々が浮いた透明なカップが並ぶ店先を横目で見つつ、立ち寄ってみたいと思いながらも人並みに押し流されてなす術なく通り過ぎ、帰りにもう一回挑戦しようと密かに思うもすっかり忘れてしまう、という失敗を繰り返しているので、一度初志を貫徹してみたいものです。

しかしタピオカとは何から出来ているのだ、と不意に気になり検索していたら、こんな記事に行き当たりました。
http://kyoko-np.net/2009012001.html
なんと、命賭けだったとは。


2011年01月17日(月) めぐるものたち

足の指先が、しもやけになりかけたり治りかけたりを繰り返している模様。温めれば一時的に改善するのですが、血行が戻ってくる「じんじん」というか「どくどく」というか、とにかくあの感覚は、もしも冷凍された肉や魚に万が一にでも知覚があったならば、解凍されていく時はこんな感じなのだろうなあと、思わされます。
ここはひとつ、昨今の流行に乗って生姜を取り入れるべきか。

***

大阪市立東洋陶磁美術館にて、「ルーシー・リー展」開催中(〜2月13日まで)。
日程的に厳しいかもしれないけれども、巧く都合がつけばぜひ観に行きたいものです。

覚えておきたいイベントを忘れずにいるためには、日記に書くのが良いのか呟いておくのが便利なのか、はたまた手帳にメモしておくのが得策か、思考錯誤中です。この前見た映画「博士の愛した数式」に出てきたみたいに、黒板(もしくはホワイトボード)を部屋に置いておく、というのも一案やもしれません。


2011年01月16日(日) 甘いひとひら

この季節の和菓子と言えばこれ、と耳に聞いて知ってはいても、なぜ牛蒡を挟まねばならんのだ、という一点に納得がいかない、という理由で遠巻きに眺めていた「花びら餅」を、たぶん生まれて初めて(もしくは二回目くらいかもしれませんが)、頂きました。

頼りなげなほど柔らかな羽二重餅を透かしてうっすら桃色が差し、ほんのり味噌の風味がある餡子と、甘さの奥に土の香りを残した牛蒡が相まって……美味しかったです、ごめんなさい(これまでの誤解に対して)。

牛蒡が鮎に見立てられているという、ということも初めて知りました。由来を聞けば、もう「なんで牛蒡」とは言えなくなります、ね。


2011年01月15日(土) 夜を呼ぶ言霊

舞台「スルース」を観てきました。
http://www.shiki.gr.jp/applause/sleuth/
内容については、何を語ってもネタばらしに繋がりそうなので口を噤みますが、一言で表すとするならば、やはり「……騙された!」でしょうか。
舞台装置が美しく、時折台詞そっちのけで見入ってしまいそうでした。
ピエロが出てくる話だ、という知識だけは頭の片隅に仕舞い込んであって、それがどこから得たものだったかと記憶を手繰り寄せてみれば、出所は『斜め屋敷の犯罪』だった模様。

そして、足を延ばして「ロベール・クートラス展」へ。
http://www.e-ecrit.com/press/coutelas/
作家の頭の中にある、本人のみが降りて行ける親密な遊び場所を、扉の隙間から覗き見したような……。「孤高の画家」という響きから、もっと硬質で近寄りがたいものを想像していたのですが、目の当たりにした作品群はどこか手の温もりを感じるような、ユーモラスなような、そんな印象を受けました。
1月7日に手帳へ「いつか生で作品を見てみたい人」として名前を記したばかりだったのが、わずか十日足らずで念願叶ってしまい、全く巡り合わせとは侮りがたし、いやいやこれがもしや言霊の力か……と嬉しいような恐ろしいような。偶然の神様へお布施するような思いも込めて、作品集とポストカードを入手し、帰宅の途につきました。


2011年01月14日(金) この電話は現在使われておりません

出先で携帯電話の充電が切れ、そのまま外を歩いていたらば、今の私は誰からも呼び出されることがない、つまりどこかへ逃避行したところで「ちょっと、どこにいるのよ?」などと着信だのメール受信だので捕まえられることがないのだと、ふと思ったのでした。
誰とも簡単には繋がらない、という状態が、近頃ではほとんど皆無になっている現状、たまにはこんな身軽さも良い、ものです。

ただ、基本的に時計を持ち歩く習慣がない(癖付けようとして、毎度毎度失敗している)ので、携帯電話が使えない=すぐには時間も分からない、という不便さが付き纏うのですが。

文通にまつわる短編に感銘を受け、私も手紙を題材にした何かが書きたい、とぼんやり思っています。むしろ、もっと素直に「誰かに手紙を書く」というのでも良い……ような気もしています。


2011年01月13日(木) and more

「○○と△△」という風に、名詞をふたつ繋いだタイトルが、今ちょうどツボにはまる時期らしく、何冊か並べ読みしている本に出てくる度(そして割と良く見つかる)、うきうきとしています。お手軽なブームであります。

今日、最も琴線に触れたのは、「葉桜と魔笛」という掌編で、帰路の電車で読み終わり、示し合わせたようなタイミングでドアが開く頃には、爽快な話であるわけではないにも関わらず、仕事帰りでもやもやと一日分のなんやかやが詰まっていた頭がふうっと晴れたような気がしたのでした。
決して、眼精疲労から来る鈍痛に耐えかねて帰る前に服用した薬の効き目が出てきたから、などという無粋な現象ではない、と思いたい。

私もモノカキの端くれであるならば、何かこの条件で、びしりとはまるタイトルを考え付きたいものなのですが、とりあえず頭にぽっかりと浮かんだのが「肉まんと雪見大福」で、白くて丸い食べ物だという他に共通点のないふたつを結びつけるのは、要するに小腹が空いているという事実だけだという……。
お粗末さまでした。


2011年01月12日(水) 視線についての覚え書き

・二年も前に書いた「私について」の文章を、今頃になって目の前に突きつけられて、それを題材に世間話をしようだなんて、とんだ思い付きだ。そもそも、添付されている写真すら、それが私であることに間違いがないのだけれど自分には全く見えない。それに、根本的な問題は、自分がなにを書いたのか、今となっては思い出せないということだ。
なんとか乗り切ったのは良いけれど、自分に良く似た遠縁の誰かについて話しているような気がしないでもなかったことは、否めない。進歩しているかどうかは別として、私も日々更新されているのだ。

・いつものフロアから一階上に上がっただけで、窓の外に見える景色がうんと開けたことに驚いた。雲が近く、そして目の前が広い。
ふと視線を上げると、一羽の鳥が悠々と窓枠で切り取られた空を横切っていく姿を、良く見かける。この間も、真っ白な鳥が舞い散る牡丹雪を切り裂くようにして飛び去っていくのが見えた。雪片は、そして雨粒は、あの翼に重くはないのだろうか。

・今年に入ってから、手帳に時折絵を描いている。誰に見せるわけでもないのだから、と好き勝手に落書きしているのだけれど、逆に言えば、これでますます人には見せられない代物になった、ということになるのかもしれない。ちなみに、ここしばらくで一番の出来だったのは「ジャムを塗ったトーストの図」。食欲万歳、である。


2011年01月11日(火) 夢の中で踊りましょう

先週の金曜日、まるで煙のように消え失せてしまった指輪が、今日になってひょっこり出てきました。
正しくは、突拍子のない場所に置き忘れていた、というのが実際のところで、「消え失せた」ではなく「置き去りにした」私が元凶だったわけですが……。ともあれ、無事に戻ってきてくれて、めでたしめでたし。

しかし、大切にしていたものが一時的にせよ忽然と姿を消したことで、モノとのご縁、ということについて、ここ数日つらつらと考えてしまっておりました。もしもこのまま出てこなかったとしたら、それはそこまでの絆だったということ、ならば深追いはすまい、と最終的には諦めの境地に達した(決して探すのが面倒だったわけではない)ところで、呆気なく再会するに至ったという次第。
探すのをやめた時に見つかるというのは、歌の中だけでなく本当にあるものです。

夜8時、空きっ腹で飲んだ梅昆布茶の沁み渡り具合に感動し、この冬は自分用に常備しておこうかと真剣に思っています。



2011年01月10日(月) パンドラの壺

手帳に写真を手軽に貼り付けられるよう、シール状になったプリンタ用紙を探しに密林に分け入ったはずが、気付けば予定になかった本が何冊も買い物籠に放り込まれていて、そのままうっかりお会計まで済ませてしまいました。
……あの「おすすめ機能」というのは、曲者であります(思う壺にはまる)。

でもまあ、本日(うっかりと)購入してしまった吉田篤弘さんの本は、近所の書店ではなかなかお目にかかれないため、いずれは確実に密林さんのお世話になっていたはずなので、その時期が少し早まっただけだという見方もできなくはない、そもそも既に買いそびれてしまって久しかったのだし……と空しい言い訳を試みています。

うっかりと言えば、書こう書こうと思いつつ先延ばしにしていた寒中見舞いを、本日ようやく認めました。
お便りを書くことは嫌いではないものの、「寒中お見舞い申し上げます」と書き始めてすぐに、さてこの先どう続ければ良いのやら、とペンが止まり、こういう時にさらさらと、気の利いた文句のひとつやふたつ並べられるスマートさが欲しいものよと思いながら、結局は「せんせいあのね」のような文章になってしまいましたが、どうぞ乱文ご容赦を……と届くはずのないこんな場所で呟いてみます。


2011年01月09日(日) マフィン・ディ

電車に乗って冬の味覚を味わいに行く日……のはずだったのが、突発的アクシデントにより自宅待機となったため、ぽっかり空白になった午後に、思い付きでマフィンを焼いてみました。
家にある材料に限りがあるので(なにせ突然思い付いたため)、非常に素朴な仕上がりに。
レシピの写真と比べて、どうも色黒だ……と思っていたら、原因は焼き過ぎたわけではなく、グラニュー糖の代わりに黒砂糖を使ったせいでした。ああ良かった……というか、気付くのが、遅い。

ここで、本日の教訓。
1.冬のバターは思いの外、溶け難い。
2.冷蔵庫に卵を切らしてはいけない。




2011年01月08日(土) Let's Party!

三連休は、母上からのミッション(昨日見かけた素敵なエプロンを入手すべく協力せよ)をこなすことからスタートしました。
しかし、「Fから始まるタイトルの雑誌に載っていた、Cで始まる海外ブランドのエプロンが気になるの」などという、ほぼ何の説明にもなっていない情報を元に、よくもお目当ての品を発見できたものだと、我ながら感心しています。学生時代に受けた情報検索の講義は、無駄ではなかったということだ。

ちなみに、母上注目のエプロンはこのようなもので↓
http://c08.future-shop.jp/fs/coram/partyapron/66010
「パーティー用のヘアスタイルを崩さず、身に付けられる」というコンセプトなのだそうです。
私はむしろ、同じサイトで取り扱われていた「キウイ用ピーラー」だとか、「マンゴー用カッター」だとか、「携帯用バナナケース」だとか、の方が気に掛かって仕方なかったのでした。専用ケースが必要なほど、世の人はバナナを持ち歩くのだろうか……。


2011年01月07日(金) 翼をください

夢は、昼間に吸収した情報を、眠っている間に脳が一生懸命編集した結果、見るものだ……と以前にどこかで読んだ覚えがあるのだけれど、そうだとしたら最近の私の脳味噌は随分と投げやりな仕事をしている(「ああもう、こんなもんでいいんじゃね? 適当に辻褄合わせておけばさあ」)、と思うのです。もっと創意工夫が欲しい、と思いつつ、初夢よりはよっぽどくっきり覚えていた昨夜の夢を以下に。

・のっぴきならない事情のため、国家権力に立ち向かう羽目に陥ったヒロインが、とある旧家にお手伝いさんとして潜入する。
・女主人に冷たく当たられつつも、健気に仕事をこなすヒロイン。
・なんとか目的を果たすこと(それがどんなもので、いかなる手段を取ったのかは不明であるものの)はできました。めでたしめでたし。
・ところで、彼女には力強い協力者となってくれる男性がふたり存在していたのです。
・彼女が任務を完了すると見るや、「実は……」と正体を明かす協力者たち。なんと彼らは人ではなく鳥だったのです。
・「空の高いところには、楽園があるんだよ」とヒロインを唆す協力者ふたり……もとい鳥二羽。
・鳥は飛べるけれども人は自分の足で歩くしかないので、高層タワー(なぜか戒厳令下に置かれている)を敵の眼をかいくぐりつつ上るヒロイン。
・ようやく「楽園」なる場所の入り口に辿り着くと、そこには鳥たちの姿はなく、靄のかかった薄暗い湖が。
・そこには初老の男性がひとり、小さなボートに乗っていて、彼女の話を聞くと「そりゃあ騙されたんだな。ここは楽園なんてもんじゃない。ただの荒れ地だ。鳥の言うことなんて信じちゃいけないよ」と諭す。呆然とするヒロイン。

……というところで目が覚めてしまいました。ヒロインを途方に暮れさせたまま置き去りにしてしまったことには、幾許かの責任を感じないではありません。それに、「鳥の言うことなんて……」とは、失礼なんじゃなかろうか、と反省もしています。


2011年01月06日(木) 海に囲まれた北の町の

「海炭市叙景」という映画の広告が、先日新聞に掲載されているのを見かけて、今とても心惹かれています。ただ、上映館が遠いので、実際に見に行くことは難しそうなのですが……。
せめて、原作だけでも読みたい、と希望を込めて、備忘録メモ。

先日に引き続き、今日はおよそ20年ぶりに幼い頃の友人と再会、という出来事に見舞われ(実のところ、お互いに相手の面影を思い返すことはできなかったのですが……。20年の月日は、あまりに長かった)、どうやら近頃の私はそんな巡り合わせの星に守護されているような……と、何とはなし神妙な気分になっています。


2011年01月05日(水) 新しき10年へ

2011年1月5日をもちまして、「彩色分光」は(前身時代も含めて)開設10周年を迎えることと相成りました。
長く続いた秘訣はと、もし誰かに問われたならば、大半が休眠状態だったからですと答えるより他ないような、低回転極まりない創作状況ゆえ、特別なお祝いなどは何もないまま、のんべんだらりと11年目に突入する予定です。

とはいえ、これまでモノカキとしての私を支えて下さった訪問者のみなさま、仲良くしてくださった創作仲間のみなさんには、一言お礼をお伝えせずにこの節目を超えるわけには参りません。

感謝の念は、言葉ではとても言い尽くせないほどです。心より、ありがとうございます。そして、幸いにもまだ愛想を尽かされていないのであれば、これからもどうぞよろしくお願いいたします。


2011年01月04日(火) 麗しのシナモンロール

好みのものにはどっぷり影響されやすい性質の私は、案の定、昨日からシナモンロールが食べたくて仕方がありません。それも、ロールケーキみたいに輪切りの断面が見える形のものではなく、円筒状に切った生地を真ん中でにゅっと押しつぶしたあの形状の……と焦がれていたらば、ふと重要なことを思い出しました。今、積読本の中に飯島奈美さんの『シネマ食堂』が埋もれていることを。

もちろん(と言っても良いでしょう)、かのシナモンロールの作り方はしっかりばっちり載っていて、しかも表紙にまでなっていました。灯台下暗しとは、このこと。これは、作ってみるしかないような気がします。

***

もう8年も前、一緒に仕事をしていた人と、思いがけずまた同じ職場で机を並べることになりました。この人とは絶対にかつてどこかで出会ったことがある、でもいつどこでだったかは思い出せない、まさか突然「どこかでお会いしたことはありませんか?」なんて切り出すのは古風なナンパみたいで実行しづらいし……などと躊躇していたら、相手の方のほうが私のことを良く覚えていて下さったという、感動的なおまけ付き。縁とは不思議なものよと感じ入ったのでした。


2011年01月03日(月) 追うものと去るもの

初夢は確かに見たはずなのに、内容が全く思い出せず、なんとなくもったいないような気がしていたら、夕方何気なく流れていたTV番組を眺めていて、突然記憶が甦りました。

と言ってもごく断片的にしか覚えておらず、
・鍾乳洞を探していたらしい
・知り合いが電撃入籍して驚愕
・よく分からない何者かを追いかけていたか、もしくは逃げていたか
……等々、何の脈絡もない場面だけが明滅するばかりで、肝心のストーリーは忘却の彼方に追いやられたままです。教訓、夢は目覚めてすぐに記録しておかないと二度と尻尾を掴めない。

年末年始の休暇最終日だった今日は、「かもめ食堂」を観て、『一階でも二階でもない夜』を読む、という、私にとってはささやかに贅沢な一日でありました。


2011年01月02日(日) 行く先・来し方

創作仲間さんたちの間で話題になっていた「物書き進化論」を興味津々で拝見していたのですが、読んでいるだけでは飽き足らないような気がしてきたので、自分でも振り返ってみることにしました。実際の文章を引用した方が分かりやすいのだろうとは思うものの、読み返し始めると今度は手直ししたくなるのは目に見えているので、割愛いたします……。
長々と、しかも私本人の反省録のような趣が漂ってもおりますが、宜しければお付き合いくださいませ。

・「アクアリウム」時代(2001年頃)
このシリーズの第一章だけを引っ提げて、見切り発車で創作サイトを開設してから早10年……。うわあいろんなことにびっくりだなあ……と遠い目をしていても始まりませんね。
この頃は、若気の至りか気の迷いか、「剣も魔法も出てこないファンタジーを書いてやるんだ!」という妙な気負いがあったのでした。しかしこのシリーズは、舞台設定こそ多少は異世界風ではあるものの、それ以外の部分はごくごく日常の出来事で……というか、出来事自体起こっていないので、「ファンタジー」を名乗るのはおこがましいというかなんというか。そもそも、この時の私が書きたかったのはこの物語の「空気」だったように思います。目立ったエピソードはなくとも雰囲気と文章だけで読ませたい、更には美しい言葉を使わずに綺麗な文を書きたい、とこれまた大それたことを考えていたのです、当時は……。後者については、今でも私の根底にある目標ではありますが。

・短編摸索時代(〜2005年まで)
この間にサイト休止や大改装やらを敢行したため、細かい創作履歴が消し飛んでしまっているのですが、この数年間は企画に参加させていただいたり、単発の短編(掌編)を書いてみたり、とあれこれ摸索していたような記憶があります。並行して未だ完結を見ない長編もスタートしています。
記録が残っていないとはいえ、この期間の私はモノカキとして割と活発に活動していたように思います。多分一番読まれているであろう「猫のいる風景〜黒猫」を書いたのもこの時期でした。本人はそう意識してはいないのですが、ほのぼの話書きと私を評して下さる(有難いことに)きっかけになったのが、この「黒猫」だったのかもしれません。
この頃に書いたものの中で、何かしらその後の創作に影響を及ぼしていると私自身が感じているのは、「白く・儚く・歌う」(視点設定の面白さに目覚めてしまった)と「月花蝶舞」(細部書き込み癖が随所に見られる)の二編です。

・「バベルの塵」時代(2006年)
これは書き上がるまで本当に苦しかった……そして、推敲にかけた労力は(結果はともかくとして)、今もってこの掌編が一番なのではないかと思います。余りにも、書いては消し書いては消しを繰り返したため、出来上がり枚数は13枚とコンパクトだというのに、書いた本人にはこの何倍もボリュームがあったように感じられて仕方がないという……。
書き手である私にとっては非常に思い入れの深い作品ではあるのですが、しかし内容的には作中に出てくる「鉛直球」という装置の説明に終始してしまったという反省があり、読み手の皆様に受け入れてもらえるとは、正直なところ全く思っていませんでした。それが、思いがけず好意的な感想を数多くいただくことができ、驚くと同時にとても励みになりました。作者冥利に尽きるとはこのことか、好きだと言ってくれるひとがひとりでもいるならばまだまだ書き続けられる、としみじみ嬉しく思った記憶は、今でも私の原動力になっています。有難いことです。
歯ぎしりするような思いでなんとかかんとか仕上げたこの作品以降、「文章の整形」という作業に対してこれまで以上に拘るようになった気がします。それが、現在の遅筆っぷりに拍車をかけているという説もありますが……。

・「眠る羽音は雨上がりの夢を見る」時代(2007年)
もともとは別々に思い付いた、しかし単独で物語を完成させるには弱い、という複数のネタ(「失われた王国の話」と「雲と共に旅をする男の話」)を合体させて創ったものです。視点も「雲と旅をする男の一人称」→「男と出会った若者の一人称」→「男と出会った若者から偶然話を聞いた女性の一人称」と徐々に円を広げていくようにして、最終的には今の形になりました。
この話から得たスキルはふたつ、「どうにも行き詰った時には、ストーリーを眺める視点を一回り外に広げてみる」「単発では使い道のないネタもいくつか組み合わせれば活用できることもある」。

・「レディ・ダァリア」時代(2008年)
私の書く話というのは、地味か派手かの二択ならば間違いなく前者だと思うのですが、その地味さを払拭してみようという目標のもとに書き始めた……のですが、ハードルは高く未だ苦戦中です。自分の書く物語に起伏が少ないことは以前より自覚していたので、その辺りの改善をと目論んだのは良いものの、どう考えてもハッピーエンドを迎えられそうにないのは作者の登場人物に対する愛情が足らないからなのか(悩み中)。プロットをこねこねと考えれば考えるほど、バッドエンドに向かって突き進む傾向がある、のはかねてからの懸案事項でもあります。あと、登場人物の仕草の描写に力を入れる、というのもこの話の隠れテーマのひとつです。

・「まほろばを泳ぐ赤き魚」時代(2010年)
現時点で最新作になるこの短編は、とりあえず時系列のばらばらなエピソードを量産して次々に突っ込み、それをできるだけ違和感のないように繋ぎ合わせる、という方法で書いています。そのため、私にしては画期的なことに、あらかじめ各場面を短文にまとめて番号を振って表にしておき、その順番通りに書き進めました(いつもは、大まかなプロットを頭の中だけで組み立てて、あとは書きながら細部を考えるのが常なのですが)。
「親子の情」なるものを扱う、というのは、どちらかといえば心理描写が苦手で情景描写にばかり偏りがちな自分への挑戦でもあったのですが、これはまだまだ今後の課題として向き合っていかねばならないようです。近頃、自分の書く文章が回りくどくなりつつある、というのも留意事項のひとつ。


結論としては、これは進化論ではなく迷走記録なのではなかろうか、と思われて仕様がありません。少なくとも、変化の過程であることは、間違いない、ですね……。
ともかく、今年も新しい進化の1ページを加えられるよう、努力いたします!


2011年01月01日(土) 新年のご挨拶

明けましておめでとうございます。
新しい一年が、皆さまにとって幸多く実りに満ちた年でありますように、お祈り申し上げます。
そして、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2010年は、振り返る余裕もないまま逃げ去ってしまった感があります。
今年は、脱兎のごとく通り過ぎてしまわないよう(兎年だけに)、今から手綱をむんずと握り締めておく所存でございます。
初めて導入してみた「ほぼ日手帳」に、これでもかとばかりに欲張った計画を書き込んであるので、まあ退屈だけはしない年になりそうではありますが……。

ちなみに、2011年の私の総合目標は、「去年よりも美しくあれ」であります!(夢は大きく!)





BACK NEXT 初日から日付順 最新 目次 入り口へ


ほたる