まーくん的日常...まーくん

 

 

「見世物」としての結婚式(一) - 2002年06月30日(日)

結婚式とは永遠の愛を誓う、厳粛な儀式である一方で、千客万来のサーカスショーのごとき、「見世物」でもある。

「あいつが結婚するって!? 一体、どんな顔した相手と結婚するのか、ひとつ見てやろうじゃん」
と、新郎・新婦周辺のひとたちが、大いなる好奇心を持って集まって来るのが、結婚披露宴、披露パーティだったりする。

その相手いかんによっては、
「なんであんなしょうもない野郎に、あんな美人がヨメに来るんだ!」
と憤慨するヤツが出て来たり、
「意外と大したことのない相手と結婚するのね」
と冷ややかな視線が浴びせられたりする、とこういうわけである。

だから、新郎・新婦がわも、そのことを十分覚悟して、結婚式に臨まねばならない。
ゆめゆめ、出席者全員が「善意のかたまり」、みんな私達を祝福してくれているんだなどと思ってはいけない。

ふたりは、彼らに出席してもらい、なにがしかのお祝いを受け取る代償として、なにかネタになることはないかと興味津々でやってくる、彼らのシビアな観賞眼に数時間耐えぬかなくてはならないのである。
まさに、結婚式という名のショー。

さて、結婚披露宴・パーティというと、「つきもの」がいくつかある。
これを僕は「三点セット」と呼んでいるのだが。

その一 ビデオあるいはスライドの上映。

新郎・新婦を主人公にした、ストーリー仕立てのビデオまたはスライド番組。
これはまさに、ショーの観客たる出席者の「好奇心」にダイレクトに応えるための、一番の人気プログラムであるといえよう。
まずは、新郎新婦の幼少期の紹介から始まるのがお決まりのパターンではあるが、観客の興味はそんなところには、もちろん、ない。
彼らの最大の関心事は「ふたりのなれそめ」、これにつきる。
さらにいえば、ふたりはデキているのか、とも。

それを、出来るかぎりリアルに伝える、というか「暴露」するほうが「ウケる」のはいうまでもない。
たとえば、新婦が新郎をひっかけたとか、新婦はキャバクラか何かに勤めていて、お客として来ていたのが新郎だったとか。

しかし、両家のファミリーカラーによっては、そういう露悪的なことを極度に嫌がるところもある。
ウケたのはいいが、式が終わってから、家族会議で大モメにモメることもあるので、注意が必要。

逆に、きれいごとで誤魔化すと、出席者からブーイングが出る。
下手すると、その後、祝辞のときに親しい友人から「本当の事情」をバラされることもあるので、あんまりカマトトチックな演出をするのは危険である。ご注意を。

その2以降は次回で。


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好かん女性 - 2002年06月26日(水)

僕にとって、女性は次の四つの種類にわかれるようだ。
1 好きで、しかも付き合いやすい女性
2 好きなのだが、付き合いづらい女性(昨日の「苦手な女性」がこれに当たる)
3 見た目とかはけっこういい線いっているのに、好きになれない、というかむしろ嫌いな女性
4 どうでもいい女性

世の中の9割近くの女性は4に分類される。
のこりのほとんど、つまり全体の1割程度は1と2になる。
が、ごくまれにだが、3のタイプがあらわれる。

Mさんはその、ごく限られたうちのひとりだった。

彼女は「才色兼備」を絵に描いたような女性。

某国立大学附属中学・高校(女子校)を経て、赤門のある某大学を出たような秀才。
見た目は、元郷ひろみ夫人の二谷友里恵とか、日テレのアナウンサーの鷹西美佳さんのようなタイプの美人。
今は中央官庁で役人をやっているようだが。

このMさんが、まあ、「好かん」女性であった。

小さいころから、「お利口さん」「可愛い」とまわりから言われ続けて育ったせいか、とにかく、お高くとまっているのだ。

いろいろまわりがほめそやしても、いたって平然としている。
「ほめられて当然」みたいな態度を、いつもとっているのだ。

で、男性だろうが、女性だろうが、自分より試験の点数のいいやつには、敵意をむき出しにする。
ライバルのいる前で、平気でその人間の気を損ねるようなことをうそぶくという、大胆不敵な性格の持ち主。
また、自分より点数の低いやつは、露骨にバカにする。

こういうひとは、エリートの男性にはわりといるが、女性ではかなり珍しい。
見た目とはうらはらに、かなり男に近い好戦的な性格といえそうだ。

ところが、こともあろうに、僕の同級生のR君が、彼女にひとめぼれしてしまったのだ。
そして、共通の友人に頼んで、「つきあいたい」と彼女に伝えてもらった。
R君は、いまひとつ風采は上がらないが、性格の実に優しい男だった。

結果は、当然ではあるが、鼻もひっかけられなかった。
「わたしは、そんな軽い女じゃない」みたいな感じだったらしい。
かわいそうなR君。

これには、僕ら周囲の人間も、一様に憤慨した。
「あんな女、やめたほうがいいよ」
真剣に、そうアドバイスしたものである。

歳月が流れて、彼女が就職後、どのような人生を送ったかはよくわからない。
しかし、結婚したにせよ、そのダンナは相当キツい思いをしているだろうなと思う。
たぶん、あの性格は一生直らないと思うから。

美貌と才能をいかに兼ね備えていようが、人間として、最低限の「心遣い」さえもないような女性には、絶対惚れたくはないね。ホント。


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苦手な女性 - 2002年06月25日(火)

昨日は「ツッコミ」型の女性が好きだと書いたが、反対にこれは苦手というのが、「ボケ」型というよりは「反応の悪い」女性である。

前に書いた「敵に塩を送る(バカ)」(5月14日・16日・19日)で出てきた、ライバルに取られてしまった女性、Fさんが実はそういうタイプだった。

彼女はほんと、10くらい言っても、1か2くらいしかレスポンスが返ってこないタイプ。
たぶん、僕に対してだけでなく、他の男性に対しても、そういう返し方しかしないし、出来なかったのではないかと思う。
ま、性格なんだろうな。

ルックスは、ばっちりタイプだったんだけどねえ。残念。

デートしていても、彼女は楽しいのか、つまらないのか、よくわからない。
一応、楽しそうに見えるのだが、本心のところはどうだが、何も言わないのである。
で、ある日、いきなり僕のことをふってしまう。
これって、キツイよなー。

そういう女性って、世の中には10%くらいは確実にいるように思う。もっとかもしれない。
たいていは、一般事務職のOLをしていて、おとなしく仕事をこなし、家に帰ったらきちんと家事をして、休日は同性の友人とショッピングや映画観賞に出かけて、食事をするのが楽しみ、みたいなひと。
で、友人のほうはけっこう自己主張があって、ああでもないこうでもないとしゃべるのを、ほとんどだまって聞く役に徹しているような。

いってみれば「ジミ」な性格なんだが、結構、こういう女性に限って、顔立ちは可愛らしかったりする。
で、家庭的なところもあるので、男性には人気があったりするのだよなー。

でも、僕は基本的には苦手だ。
あれこれ言っても、ほとんど反応が返ってこないなんて、つらいのである。
ときには、「僕の話しかたがマズいのか?」と思ってしまうのだが、それだけでもないようだ。

おそらくは、「自己主張」ということを、基本的にしないでおとなの年齢になってしまったから、彼女はそういう態度しかとれないのである。
それはやはり、親の教育方針、つまり、「女の子は女の子らしく、控えめでいたほうがいい」みたいなところから来ているんだろうな。

そういう、「従順なだけが取柄」みたいな人間には、正直言って、あまり魅力も感じない。
浮気もしないだろうから、奥さんにするには安心かもしれないが、僕としては、パスである。


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ボケとツッコミ - 2002年06月24日(月)

ひとを大別すれば、ボケとツッコミのふたつになると思う。
僕はどちらになるかといえば、おそらく「ボケ」のほうに入るだろう。

僕とて、他人へのツッコミがまったく出来ないわけではないのだが、典型的ツッコミのひとたちのように、「反射神経」的なツッコミがなかなか出来ない。
彼らときたら、ほんと、「一瞬のチャンス」を絶対逃さない。
「あ、来るぞ来るぞ」と思っていたら、間違いなく次の瞬間にはツッコんでくるのだ。

それにくらべると僕などは、ツッコミのチャンスがあってもついつい見送ってしまい、しばらく後になって、「こうツッコむべきだったかな」と思ってしまうほうなのだ。
たまにツッコんだとしても、手加減を加えずに言ってしまうことがあり、相手を本気で怒らせてしまったりする。これじゃシャレにならない。
慣れないツッコミをしても、失敗に終わることが多いのである。

そういうひとはムリをせずに、ボケ役に回ったほうがいい。
人間、なにごとも、「適性」というものがあるのだよ。
ボケはボケ、ツッコミはツッコミに徹したほうがいいってこと。

さて、そういうキャラなものだから、僕はツッコむことよりはツッコまれることの方が圧倒的に多いし、またそういう状態でいるほうが安心できるとさえ言える。

実は、女性との付き合いについても、同様のことがいえるのである。

自分のほうから、どんどん仕切ってくる女性のほうが断然いい。
「あなたの好きなように」なんて言われると、ダメ。
もう、ガンガン自分の好みを通してくれるほうがいいのである。
「あなた、そんな髪型じゃ似合わないわ。変えたほうがいいわ」
みたいなことをいわれたほうが、しっくり来る。

これまで、好きになったり、実際付き合ったりした女性はみな、そういうタイプ。
例外はないといってよい。

ただ、ボケ役の「辛さ」も、ないではない。
ボケとはいっても、役回りとしてボケになっているだけだから、ほんとうに相手のいうことにすべて納得しているわけではない。

時には「えー、そーかよー、違うと思うがなー」と疑問を感じることはある。
でも、いちいち反論していたら、すぐ口ゲンカになりかねない。
なにせ、むこうは天下のツッコミ上手である。勝ち目などまるでないと言ってよい。

だから、ほぼ無条件で相手のいうことを聞く。
それが、自分的にもラクなのである。

もしかして、僕って、かなり「M」入ってる?


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もどかしい話(三) - 2002年06月23日(日)

きょうは、もどかしいのは男性の側だけでなく、女性もまたそうであるらしいというお話。

十数年前のこと。
当時独身の僕は、大学で同じ学科だった関係で、わりとつるむことの多かったW君(彼も独身)と一緒に、土曜日に開かれたあるパーティに出席した。
そこは「異業種交流」をうたい文句にしており、決して「ねるとん」タイプのお見合いパーティというわけではなかったが、実情としては、異性をナンパするために顔を出しているヤカラも少なからずいたようだった。
ま、適齢期の独身男女が数多く集まるところ、そうならざるをえないものだが。

そのパーティで、僕らは、たまたま、ある中堅化学工業会社の社長秘書をしているFさん(僕より数才年下)と知り合った。

たしかに秘書をしているだけあって、物腰がやわらかく、声のきれいな女性だった。
顔立ちもそう、悪くはない。色白で、ポチャッとしたタイプ。
体型が、若干ふくよかかなー?という感じはあったが。

彼女から、最近旅行した香港で撮ったという、チャイナドレス姿の写真も見せてもらった。
しっかりとメイクをした彼女も、なかなかの美人だった。

僕はそこで会社の名刺に、自分の自宅(ひとりずまい)の電話も書き添えて、彼女にわたした記憶がある。
彼女の自宅の電話番号も教えてもらった。
W君も同様のことをしていたはずだ。

でも、別に「ナンパした」という意識もなかった。
というのは、当時僕は、ある女性と付き合いたいという思いでいっぱいで、今回知り合ったFさんと深く付き合おうなどとは、まったく思っていなかったのである。
まあ、これで少し女性の知り合いがふえて、出会いの機会が広がればいいかな、という程度の期待しかなかった。

端的にいえば、わりとスリムな女性が好きな僕としては、残念ながら彼女はタイプではなかったのである。

さて、その後、彼女の家に夜電話をして、気楽なおしゃべりをするという、「交際ともいえぬ交際」が始まった。
僕は、好きなタイプの女性にはなかなかそういうことがフランクに出来ないくせに、あまりタイプではない女性には、平気でそういうことが出来てしまうところがある。
(皆さんも、そういう傾向ってお持ちではないですか?)

Fさんも、なかなか気さくなところがあって、彼氏でもない僕にプライベートなことも含めて、いろんなことを話してくれたものだ。
「●●さん(僕のこと)とわたしの兄(銀行員だそうだ)っておない年なのに、兄のほうがずっとおじさんくさいの」
とかいった話も聞いた。
で、とりあえず、付き合っている男性はいないようだった。
それゆえ、僕のほうも、あまり気がねしないで、夜9時台、10時台に平気で電話をしたものである。

そんな付き合いが数ヶ月続いたある日。

ある晩、Fさんから電話。
普段快活な彼女なのに、その時に限って、どうも声のトーンが沈みがちなのである。
どうしたんだろうと思っていたら、急にこんなことを切り出した。

「わたし、実は、今度結婚することにしたんです」

それを聞いて、僕は内心、「ええーっ!?」と思った。
これまでは、そんな話、まったくなかったのに…。
もちろん、別に彼女に惚れていたわけではなかったので、ふられたショックというわけではなかったが。

彼女から事情を聞くに、少し前から知り合いのひとに薦められていた見合い話があったそうな。
で、しばらくは逃げていたのだが、結局「Fさん、彼氏だっていないんでしょう」と説得され、先日お見合いをして、相手の求婚を承諾してしまったのだという。
相手は誰もが知っている某電機メーカーに勤めている男性。

そのうち、彼女の声が次第に涙声っぽくなってきてしまった。
「わたし、このお話をOKして、本当にいいのかどうか…」
なんて言い出し始める。オイオイ…。

結局、彼女をなんとかなだめて、電話を切ったが、じつに後味が悪かった。

そして、
「もしかしたら、彼女は僕と付き合いたかったのかも知れない」
と、ふと思った。

僕が彼女にフランクに話をしていたのは、彼女のことを特に好きという感情で見ていなかったからなのに、彼女は、そういう僕と、本当は付き合いたかったのも知れないのである。

そういう風に考えれば、これまでの電話での会話にも、そこかしこに、僕の心をさぐろうとするようなニュアンスがあったことに、初めて気がついた(もっと早く気づけっての)。

女心にはまったく疎い僕にも、今回はそういう微妙な「空気」がようやくわかったわけだ。

が、だからといって、彼女にもう一度電話して、「お見合いした彼じゃなくて、僕と付き合ってほしい」というほどの感情も沸き起こらなかった。

残念ながら、相手が自分を好きだからといって、こちらも同じように好きになるとは限らない。
それまではオトコの側ばかりが叶わぬ恋に苦しんでいると思っていたのだが、もどかしい思いをするのは、男性も女性も同じなのだな、そう思った。

Fさんとのコンタクトは、その電話が最後になった。

ところで、Fさんは、W君とも「電話での付き合い」はあったのか?
もしかして、W君も結婚相手の候補に入れていたのではなかったのか?
そのへんは、いまだに、まったくわからない(笑)。


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蓼食う虫・再 - 2002年06月20日(木)

きょうは「もどかしい話」の続編に行く前に、昨日見かけたカップルの話を。

ある駅から電車に乗ろうとしたところ、僕の前に、少し長めの髪をした、結構顔立ちのいい二十代前半の男性と、そのすぐ後ろにこれまたちょっと横顔の綺麗な、その男性ともほぼ同世代と思われる女性が車両に乗り込もうとしていた。
「ははあ、このふたり、カップルだな」と思いながら、彼らのうしろから車両に乗り込む僕。

ところが、すぐに予想にまったく反する展開になる。
その男性と女性は、車内ではそれぞれ全然違う方向に歩いていってしまったのだ。
そして、その男性はどうやら、彼の前にいた女性に引っ張られていくようなのである。
彼らを目で追うと、なんとも意外な光景が。

小柄だがスマートな体つきで、端正な顔立ちの彼が寄り添ったのは、彼同様ジーンズにワークシャツ姿の女性。
失礼ながらそのお姿を拝見するに、化粧っ気のまるでないジミな顔立ち、しかもあきらかにプチ肥満体の若い女性だった。
下手すると、彼と同じくらい、あるいはそれ以上の体重がありそう。

彼らはまるで似ていないので、おそらく兄妹ではあるまい。
やはり、恋人同士だろう。
彼は彼女にぴったり寄り添い、彼女が読んでいるコミックスをしきりにのぞきこんでいる。
実に仲がよさそうなのである。

「うーーーーむ」

僕は、内心、深くため息をついてしまった。

この男性がこの女性を選んだのは、もちろん、彼の趣味嗜好だから、他人の僕がとやこう外野から文句を言う筋合いなどないのだが、それにしたって、なんとも腑に落ちない組み合わせ…。

で、こう考えた。

彼だって、別に、世間一般に「綺麗」といわれている女性にまったく興味がないわけではないのだろう。
ただ、過去において、何人かそういう綺麗な女性と付き合おうとこころみた結果、その都度、かなり「いやな思い」をしたのではなかろうか。
相当心を傷つけられるような目にあい、その結果、「綺麗な女性はもうイヤ」ということで、相手の容姿にまったくこだわらなくなったのではないか。

しかし、そういう考え方自体、もしかしたら、まったく「的外れ」なのかもしれない。

というのは、きょうび、生身の人間同士の出会いからではなく、ネット上の出会いから交際を始めるカップルも少なからずいると聞くからである。
たとえば、同好の士によるチャットがきっかけで付き合い始めるケースも多いらしい。
知り合って、相思相愛になってかなり時間がたってから、初めて生身の相手に会うなんてことも稀ではないようだ。

電車で見かけたカップルも、まずはネット上で、たとえばコミックスの趣味などがバッチリ合って意気投合し、その後、実際に交際を始めたクチだったのかも知れない。
前にも書いたことだが、男というものは、「自分にうちとけない美女」よりも「自分にうちとけてくれる非美女」のほうを選ぶもの。
はた目ではいかにもミスマッチなカップルではあっても、実は120%の相性なのかも知れない。

うーん、男女の仲って奥が深い。


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もどかしい話(二) - 2002年06月19日(水)

「勝負日」のユーウツ

自分が交際したい相手が、フリーであるかどうかを確かめたいなら、以下のような日に会ってくれないかと誘ってみると、まずまちがいなくわかる。

1 相手の誕生日
2 クリスマス(特にイブのほう)
3 バレンタインデー、ホワイトデー

この日は、もし本命の相手がいるなら、そのひとから誘われたときのために必ず空けておく日だからだ。

もし、お誘いにOKの返事が来たら、そうとう脈があると見てよいだろう。

しかし、個人的な経験でいえば、僕はこれら「勝負日」に意中のひとに誘いをかけて、ことごとく失敗している。

失敗その1

3才年下の、製薬会社に勤めるJさん。
ふだんは軽口をたたきあう仲だったが、ルックスも性格も、自分にとってはストライク・ゾーン。
知り合って、2年目。意を決して、今度やってくる彼女の誕生日に会いたいと、手紙で申し込んだ。

そうしたら、数日後、彼女からも手紙がやってきた。

それには、はっきりと「お会いできません」と書いてあった。

理由としては、当然、僕が正式に交際を申し込むつもりであることを見越して書かれていたのだが、「以前つきあっていたひとがいたのだが、彼と別れて以来、もう誰とも付き合いたいとも、結婚したいとも思わないので」というようなことが書き連ねてあった。

それが、彼女の本心であったのか、僕を傷つけないように配慮してついた嘘なのかは、よくわからない。
もし、つきあっているひとがいれば、「いる」といって断ったろうから、たぶん、いなかったのだろうが、いずれにせよ、僕じゃダメ、そういうことだ。

その後も、彼女とはしばらく(数年)、色恋ぬきの気楽な交友関係は続いたものの、決して恋愛には発展せず、僕も現在の妻である女性と付き合いはじめたこともあって、ふたりのつながりは自然に消滅してしまった。

失敗その2

モデルのTさん。

とにかく華やかな雰囲気を持ったひとだった。商売柄、当然といえば当然なのだが。

ある日何人かで飲みに行って、僕が彼女をタクシーで送って行く途中、クリスマス・イブの予定はなにかあるんですか、もしなければ食事にでも行きませんかと誘った。

すると「その日はダンスのレッスンがあるのでダメなんです」とか言われて、やんわりと断られてしまったのだ。

彼女の場合も、当時、特定の彼がいたふうではなかった。

というのも、モデルの仕事にあきたらず、もっと有名になりたい、タレントとして名をあげたい、というような「野心」に燃えていた時期だったので、特定の男性にかまけている時間などはなかった。

だから、まったくの「ウソ」ではなかったと思う。

が、いずれにせよ、玉砕であることに変わりはない。

まあ、彼女の場合も、その後、しばらくは友人としての付き合いが続いた。
特に、そのイブの誘いを断ったことを申し訳なく思ったのだろう、数日後にはそのフォローとしてか、自分の住んでいるマンションへ呼んでくれたことがあった。

ただそのときも、彼女はまったくスキを見せず、口説こうにも、とても口説けるような雰囲気ではなかった。

結局、彼女とは、その後、一年たたないうちに、音信不通となってしまう。

このふたつは、ほんの氷山の一角。まだまだ他にも似たような失敗がある。

結局、僕の場合、若いころから、「ムリ目の女性ばかり狙ってしまう」という、損な傾向ばかりあったような気がする。
もっと手頃な、ラクにつきあえるタイプの女性に目を向けたら、あんなに苦労はしなかったのにとも思う。

でも、結局、性分なんだよな。そういう方向へは、決して行かないのである。
別に後悔もしていない。
ヘンに妥協したほうがむしろ悔いを残しただろうから、これでいいのだ(笑)。


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もどかしい話(一) - 2002年06月18日(火)

あなたが仕事、あるいは共通の友人を通じてなどで、ひとりの異性と知り合ったとする。
この場合ポイントなのは、あくまでも「偶然」の出会いであって、お見合いなどのように意図的に紹介されたのではないということ。

たまたまそのひとが、自分にとってどんぴしゃのタイプだった場合、「つきあいたい」と思うのはごく自然な感情だろう。

だが、そこから実際に交際にこぎつけるまでは、ものすごく遠い道のりだ。
少なくとも僕の場合は、いつもそうだった。

たとえそのひとが、理想に限りなく近いひとであったとしても、すぐに交際を申し込むなんて不可能というものだ。
なぜなら、それだけ魅力があるひとなら、当然誰かとすでに付き合っていたとしてもおかしくないからだ。

それでもかまわない、交際相手がいても奪えばいい、突撃あるのみ!という豪胆な御仁は別として、とりあえずは、彼か彼女がいるかどうか、さぐりを入れてからということになる。

それも直接本人に聴いてしまえばええやん!というツワモノもいるだろうが、ふつうは周囲にリサーチをかけることになる。

同じ会社のひとや、共通の友人に聞いたりして、確認するわけだが、本人のキャラによっては全然その手のことを周囲にしゃべらない場合も多いので、はっきりわからない場合がある。

そうなると、ことは困難をきわめる。

交際相手がいようがいまいが、当たって砕けるしかないわけだが、そんなことが簡単に出来るような人間だったら、最初からそうしているって。
それが出来ないから、悩むのである。

けど、その相手を簡単にあきらめることは出来ない。

そこで、まずは、「交際」ノリでない「交際」をして相手のことを少しは知ろうということになる。
つまり、相手の好きな歌手のコンサートに行こうと誘うとか、みたいな。

これだったら、「私と個人的に付き合ってください」という感じには取られない場合が多いので、結構「使える」手なのである。

もちろん、ひじょうに敏感な相手には悟られることもある。
きちんと「恋人」として意識して付き合っている相手がいるひとには、「悪いけど行けません」と断られることもありますので、まあ、その時点で「失恋」してしまったといえそう。

でも、なんとか誘うことに成功したとしても、まだまだその先の道のりは遠い。

実にモドカシい話なんですが、あなたにもそういう経験ってないですか?
(この項続く)


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モテるといふ事(其六) - 2002年06月17日(月)

さて、このテーマ、今回で一応完結にしようと思っているが、思った以上に奥が深いので、なかなか終われそうにない(笑)。そのうちまた復活するかも。

今日は僕の周辺における「もっともモテる男」の話。

中学・高校時代のこと。
H君は、僕の同期の中で、一番ルックスがよく、スマートで、背も高かった(顔はむかしのアイドル、伊丹幸雄ふう。堂本光一にも少し似ている)。
以前「蓼食う虫」(4月14日)にも登場した、G君がライバル視していた、あのH君である。

頭も、ダントツとはいえないまでも、まあいいほう(その後、国立市にある某国立大学を出ている)。
中学・高校ではサッカー部に所属し、フォワードを担当。その一方でロックバンドのベースもやっていた。
当然、試合やコンサートでは、いちばん黄色い声援を集めていたクチだ。

こんなK君だから、みんなは「とても勝てないな」と思っていた。
が、かといって、ものすごくジェラシーを感じていたわけではない。
むしろ、彼のキャラクターをよく知っていたので、安心していた部分もある。

彼はあまり、自分の「ファン」に興味がなかったようで、そのどの子とも付き合おうとしなかったのである。
ただでさえクラブ活動やら、バンド活動やらで忙しいのに、女の子と付き合ってなんかいたら、受験に失敗するという意識が強かったのかも知れない。
だから、いくらでもチャンスはあったのだが、大学合格まで男女交際はおあずけにしていたのだろう。自制心がありますなー。

その後、大学に入ると、そこはあまり女子学生が多くないところだった。
もちろん、学内・学外を問わず、女子の人気は高かったが、彼としてはサッカーの方に熱中していたので、大学時代もあまり男女交際には熱心ではなかったようだ。

大学卒業後、彼は高校の社会科の教師になる。
採用されたのは、なんと女子校。

漫画「めぞん一刻」で主人公の五代が、教員実習で行った先の女子校で、八神というおませな女子生徒に翻弄されるというくだりがあるが、まあ、彼も似たような「歓待」を受けたのだろう。

そして、H君、おおかたの予想通り、その高校を卒業した元生徒のひとりと結婚。

なんとも、「お約束」を裏切らない展開に、僕たちは笑ってしまったものだ。

彼くらい、「カード」が揃っている男なら、それこそ、アナウンサーだの、スッチーだの、モデルだのといった「高嶺の花」だって十分狙えるはずなのに、意外に「手近」なところでつかまえてしまった(というより、「つかまってしまった」というべきか?)のが、なんとも可笑しかった。

つまりですね、いくらモテる男でも、その資質をフルに生かそうと考えない限り、結果的には、モテない男どもとさほどレベル的に違わない女性しかゲットできないってことですね。

このH君の例もあるから、僕は「モテる」ということに、さほど過剰な幻想を抱かなくなったといえる。
何十人もの女性からキャーキャー言われたところで、しょせんはひとりの女性としか、結婚できないってことです。(この項了)


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モテるといふ事(其伍) - 2002年06月16日(日)

このテーマで、あと何回書けるだろう(笑)。

今回は、「モテ男列伝」。歴史に残りそうな(?)モテ男についてである。

20世紀最大のモテ男といえば、フランスの映画監督、ロジェ・ヴァディムにとどめをさすだろうな。
1928年生まれ、2000年に72才で亡くなっているが、彼の女性歴の華麗さといったら、ハンパではない。

かのブリジット・バルドーを見出し、18才の彼女と結婚、人気女優に育てあげたのをふりだしに、2番目の妻はアネット・ストロイベルグ(ヴァディム)、続いてカトリーヌ・ドヌーヴと同棲、子供(現在俳優で活躍しているクリスチャン・ヴァディム)まで産ませ、そしてアメリカ人女優ジェーン・フォンダとも結婚している。

すべて極上の女ばかり。いやー、ため息の出そうなプレイボーイぶり。

続くは、エリック・クラプトンというところか。
彼は親友であるジョージ・ハリスンの奥さん、パティに横恋慕してしまい、結局ジョージから奪ってしまった。(日本の昔の文豪や画家にも、そんな話がいくつかあったな)

それでも、エリックとジョージの友情は、のちも変わることなく続いたというのが、すばらしい。
ただ、そこまでして結婚したパティとも結局別れてしまったのは、なんとも皮肉。
エリックは50代後半になった現在では、若い女性と結婚、一児をもうけているそうで、あいかわらず、お盛んであります。

これにくらべれば、わが日本のスケールは、かなりダウンしてしまう。

先年、仁科亜希子と二度目の離婚をした松方弘樹。
三度目、森下愛子との結婚でようやく落ち着いた吉田拓郎(一度目は四角佳子、二度目は浅田美代子)。
吉田同様、アイドル好きの後藤次利(最初の妻はシモンズのメンバーのひとり、二度目は現竹中直人夫人の木之内みどり、今は河合その子。工藤静香とも一時ウワサがあった)。
一度目はアイドルの石野真子、二度目は女優の志穂美悦子と結婚した長渕剛。
他にも、火野ナニガシとか、石田ナニガシとかいることはいるが、お相手の女性のレベルにおいて、とうてい欧米のモテ男たちに太刀打ちできるものではない(笑)。

そのなかで、なかなか健闘しているのは、次のおふたりではなかろうか。
ひとりめは作家の伊集院静さん。
彼は若いうちに一般ピープルの女性と結婚しているが、別れ、その後、あの故夏目雅子さんと結婚している。彼女が夭折した後は、薬師丸ひろ子との噂があったが、現夫人、篠ひろ子と結婚。
でも、まったく所帯じみる気配はなく、いまだにギャンブルと酒にあけくれる日々を送っている。これはスゴいね。

彼は、いわゆるハンサム系ではない。文壇には彼より男前の作家は何人もいる。
が、彼ほど女性の目に魅力的にうつるひともそういないようだ。
男くさい九州の炭坑地帯に育った、「硬派」な雰囲気をもつ一方、野球を愛する永遠の少年というイメージもあり、「最後の無頼派」とよばれる破天荒な生活を淡々と送る不良性、そして「文字」や「言葉」にこだわる繊細な文章家としての顔、いろんな側面を持っていることが、多くの女性をひきつける理由だといえよう。

もうひとりは、タレントの、そのまんま東。
彼も若いうちに現タレントの片平夏貴と結婚したが離婚、その後、女優のかとうかずこと結婚。
浮気、淫行だのと女性関係のチョンボの多い彼だが、いまだに夫婦として続いている。かとうかずこが、彼以上に肝っ玉がすわっていることが大きいのだろうが。

彼の場合は、単純に「お笑い」というワクではくくれない、文学青年としての顔もあるのが、武器といえよう。
このひとバカかしらと思わせておいて、決めるべきところではしっかりとキメる。
女性をリラックスさせることでは、天才的な才能があるのだろうな。

(実はもうひとり、美女遍歴で有名な作家(イニシャルT・J)がいるのだが、どうもロクなヤツではないという印象がぬぐえないのだ。よって、今回は無視。)

ということで、結論。
「いい女は、知的で、しかも意外な側面を持つ男性に弱い」


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モテるといふ事(其四) - 2002年06月13日(木)

ちょっと個人的なことを書く。
僕が「モテる」という「概念」をはっきり意識したのは、小学生のころ、GSブームというのがあり、その時以来である。
GS、グループサウンズとは、まあ、日本におけるロックバンドのハシリなのだが、見てくれは長髪でヒッピー風ではあっても、やっている音楽はまったくの「歌謡曲」であった。

それはともかく、このGSブームでの女性ファンの熱狂ぶりはすさまじかった。
今のジャニーズ系だの、ヴィジュアル系バンドだのの比ではなかった。

ライブをやれば、もう会場内は黄色い喚声の渦、なんてレベルではない。
阿鼻叫喚地獄といいますか、演奏がクライマックスに入ると、失神するファンが続出、PTAからはコンサート禁止令が出る騒ぎともなっていた。

そんなものすごい騒がれかたをしているGSは、現在のジャニーズ系あたりのアイドルタレントと違って、必ずしも美少年、美青年のみの集合体ではなかった。
むしろ、人気のあるグループには、たいていしっかりした音楽的才能をもつリーダー格の男性がいて、そういうひとはどちらかといえば地味めな容姿だったりしたものである。

ほんとうに芸能人っぽいのは、フロントで聴衆をあおる、リード・ヴォーカリストぐらいのもので(たとえば、ジュリーやショーケン、野口ヒデト)、他のメンバーは、よくよく見れば「並み」のルックスの男性も多かった。

それを見て、僕はひらめいた。
「そうか、バンドをやれば、そんなにハンサムでなくても、女の子から騒いでもらえるのか!」

つまり、「音楽」という、女性の好みそうなものを付加価値として持てば、必ずしも長身ハンサムでなくてもオッケーということを鋭く察知したのである。

バンドマンはモテる。そゆこと。

で、実際には中学3年あたりから、僕もそういうバンド活動を始めた。
以降、大学2年のころまで、断続的にフォークやロックのバンドをやっていたものである。

ではバンドをやって、モテモテになったかというと、残念ながらそうは問屋がおろさなかった。
というのは、女性ファンを引き付けるための、「華」のあるフロントマンがうちのバンドにはまったくいなかったのである。

僕はヴォーカルとギターを担当していたので、本来フロントをつとめないといけないのだが、その器ではなかった。
おまけに、残るベース、キーボード、ドラムス、いずれも華々しさには欠けた地味な男ばかりだった。

ステージをたまに観に来てくれるのは、おさななじみの子とか近所のおねーさんくらいで、いわゆるグルーピー的存在の女性は絶無。

バンドをやればモテると思ったのは、まったく読みが甘かった。

バンドは、もともとモテる要素を持っている人間がやれば、ますますモテモテになるが、本来まったくモテない人間をモテさせるほどの「魔力」はないのである。
無から、有は生まれない。

だから、せめて、ひとりはもともと「モテる」タイプの男を入れておかないとダメってこと。

GSも一時は何百もあったようだが、結局、スターになれたのはひとつかみのグループだけだった。
それらトップ・グループには、必ずひとりやふたり、音楽をやっていなくてもモテただろうなというメンバーが必ずいた。
他のメンバーは、その恩恵を大いに蒙っていた、ということだな。

教訓:本来モテない男性が、モテるためにバンドやスポーツなどをやったからといって、モテるようになることは、ほとんどない。


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モテるといふ事(其参) - 2002年06月12日(水)

これまでは、
「モテないひとは、一生モテない」
とか、
「自分は、モテない過半数のほうに入っていると割り切ったほうがいい」
とか、ちょっと(かなり?)辛口な意見を書いてきたが、少し観点を変えて書いてみよう。

すべて世の中のことは「考え方しだい」というところがある。

とりあえず、たとえがわかりやすいので、またまた、お水関係の話にする。
たとえばあなたが、あるお店にフリーで行って、初めてついた女の子が割りといい感じの子で、あなたも気をよくして彼女に携帯の番号なり、メール・アドレスを教えたとしよう。

翌日以降、彼女からお礼の電話、あるいはメールとかが来たとする。

ここで、
「彼女は、僕にかなり気があるのだ」
と思ったひと、それはかなり考えが甘いとしか言えない。

メールをくれるということは、
「また、お店に来てくれ」という意思表示であって、あなたと個人的に付き合いたいということでは(たぶん)ない。

しかし、
「なんだ、営業メールか、つまらないな」」
としか思わなかったひと、それではあまりに夢がないのでは?

たしかに、その電話なりメールは、8割がた営業的なものであるだろう。
が、残り2割は、それなりに「彼女のチョイス」が加わったと見てもいいのではないかと思う。

つまり、その女性のキャラにもよるのだが、お客さんから携帯の番号やメールアドレスをもらっても、あまり好きなタイプではないお客には自分からアクセスしないという子は、結構多い。
(これは僕自身も現実的に体験していることだから、たぶん間違いない)

自分を指名してくれるお客ならそれこそオタクでもヒッキーでもいい、なんて子はごく少数派で、ある程度は自分のメガネにかなったお客でないと、「営業」をかけないものなのである。

だから、営業コール、営業メールとはいえ、「来ただけマシ」と考えたほうがいい。

同様にして、同伴やアフター、さらには休日のお付き合いをしたからといって、即「自分に気がある」と判断するのは愚かだが、まったく好意を持っていないお客に対しては普通やらないことだから、そういう依頼があることは「あるだけマシ」と考えたほうがいいだろう。

世の中には、そういったことすら頼まれない「カヤの外」のひとも少なからずいるのだから。

だからといって、むやみに「これは脈あり」と暴走、やたらと女性に個人的な付き合いを迫るのはいただけないけどね。

先方の同伴等の依頼はこころよく引き受けるが、だからといって多くの見返りは期待しない、というような、あっさりとした態度のお客が好まれるのは、間違いない。

いいじゃないの。自分の本当の彼女になってくれなくたって。
世間のレベルからいえばかなりみめうるわしい女性と、何時間かを一緒に過ごせるだけでも、十分ありがたいことじゃないの。

そういう、ポジティブな考え方をし、かつ心に余裕を持てば、自然と女性からのウケがよくなり、ひいてはたまに本当にモテたりする。
「モテたい」という欲望のオーラがモロに出ている人間、ガツガツした人間は、絶対モテることはないのである。
(この項、さらに続く可能性あり)


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モテるといふ事(其弐) - 2002年06月11日(火)

「モテる」ということについて、ほんの少しだけ科学的に考えてみる。

動物全体を見渡すと、すべての個体が配偶対象を持ちうる種など、ごくごく一部に過ぎない。
おおかたの動物は、ごく限られた数のオスが何匹、何十匹ものメスを「寡占」するというのが通例だ。

それは、結局、身体能力・生命力にもっともすぐれたオスの遺伝子を残していくために、一番有効な方法なのであろう。

さて、文化を持ち、社会というものを形成して生活している「人間」の場合は、そうはいかない。

どんなに人並みはずれた魅力を持った男性でも、イスラム教国などをのぞけば、一度にはひとりの女性としか結婚してはいけないことになっている。
これはもう「国家」「法律」による規制だから、さからいようがない。

独身男性が複数の女性と交際することについては、法律による規制はないのだが、「二股、三股をかけている」などと言われて、倫理的見地からはあまり好ましいことではないとされている。
特に有名人などの場合は、マスメディアによって厳しくバッシングされることが多い。

それに対して、真っ向から反論した有名人は、ひとりもいない。
結局、なにかモラルに反することをやっているかのように言われて、グウの音も出ないのである。
(僕が思うには、限られた期間のうちに、出来るだけいい相手を見つけようとしたら、二股、三股もやむを得ないような気がするんだが…。)

かくして、魅力ある男性たちも、いくら女性が群がって来たとしても、ひとりの女性と付き合って結婚することしか許されないし、魅力のない男性も、そのおかげで、彼らに女性をひとり占めされることなく、結婚するチャンスを確保できるのである。
なんとも、見事な「平等社会」ではある。

しかし、これは果たして健全な社会かどうか。

どんなに「法律」や「モラル」の規制によって、モテる人間が複数の異性を寡占することを阻止してみたところで、
「モテないものはモテない」
これまた真実なのだから、マスメディアあたりが
「誰でも自分のことを好きになってくれる異性をひとりは持てるはず」
みたいな平等幻想を万人に抱かせるのは、いかがなものかと思う。

「富は偏在する」
ということわざがあるが、
「魅力もまた偏在する」。
これもまた、真実だと思う。

だからこそ、数の限られた「魅力ある」ひとびとをつかった、「俳優」「タレント」「歌手」と」いった「人気商売」が成立するのである。

そういうことを、皆うすうす感じてはいるものの、気づかないふりをしているのではないだろうか。

「モテないひとは、一生モテない」
くらいの認識をし、
「自分は、モテない過半数のほうに入っている」
と割り切ったほうが、人間、「モテたい願望」に一生ふりまわされるよりは、心安らかに生きられると思うんだがなあ。
これって、反感をかう発言?

(この項、さらに続く)


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モテるといふ事(其壱) - 2002年06月09日(日)

前回のテーマに関連して、「モテる」ということについて、書いてみる。

一般にオトコどもは漠然と、「女性にモテたいなあ」と考えている。
ま、かくいう僕もその例外ではない(笑)。

しかし、そうは夢想してみたところで、たいていの場合、なるようにしかならない。
「モテる」というのは、前回も書いたように、ごく少数のオトコにのみゆるされる状態なんだから。

容姿も、才能も、財力もごくごくフツーのレベルで、まったくモテなかった男性が、ある日突然モテるようになっていた、などということはありえないといってよい。

つまり、大多数のオトコは「モテている」という実感をまったく味わうことのないまま、一生を終えるのであり、それが「健全な社会」なのである。

しかし、そうはいっても世のオトコの多くが、「モテる」状態への見果てぬ夢を見つづけているのも事実だ。
でなけりゃ、あんなにキャバクラが繁盛するわけがない(笑)。

キャバクラに代表される擬似恋愛産業は、多くの男性の心理を実に巧みにつかみ、翻弄し、莫大なる利益を誘導する、たぐい稀れなる「知能集約型ビジネス」だと思う。
きょうもまた、キャストの女性の携帯電話やメールに誘われて、一体何万人のオトコどもが鼻の下を長くしてお店を訪れることだろう!

ま、それはいいとして、僕がいつも思うことは、モテたがっているオトコに共通した「盲点」「陥穽」がひとつあるように思う。
それは、彼らの心の中では「モテる」イコール「自分の好きなタイプの子、可愛い子にモテる」ことになっているということだ。
自分の魅力が、自分の好みの子だけに伝わり、彼女だけから好かれる。
そういう虫のいいことを、おそらく全員のオトコが夢想しているのである。

しかし、「モテる」という状態は、本来相手を選ぶものではない。

たとえば、今モテモテの美男歌手といえば、福山雅治、Gackt、藤木直人あたりだろうが、彼らのファン(ほとんど100%が女性)を見ると、容姿に関しては、世間一般のレベルより低めの女性がほとんどだな?と思う。
(なかには少しマシな女性もいるが、全体から見れば、ごく少数派である。)

これは実は理の当然であって、ひとというものは「ないものねだり」で生きていくものなのだ。
容姿に恵まれない人間は、せめて容姿のいい異性と結婚してブサイク因子をやわらげないことには、子供が永遠にブサイクの繰り返しになってしまう。
だからこそ、あまりご面相のよろしくないひと(男女を問わない)に限って、相手のご面相に執拗にこだわるのである。

つまり、多くのモテる美男は、器量のあまりよくない女性たちの、絶大なる支持があらばこそ、あんなにモテているのだ。
彼らにとっては、「モテモテで、うれしくもあり、うれしくもなし」といったところがホンネなのではなかろうか。

だから、多くのモテたがっているオトコどもの「カワイ子ちゃんだけにモテたい」願望など、まったく噴飯ものだと思う。
修業がまったく足らん!
ブ●なファンにもきちんと愛想をふりまいて、しっかりと商売しているモテ男たちのツメの垢でも煎じて飲みなさいっての。

「モテ道」もまた、キビシイ道なのである。

この項、奥が深いので、また回を改めて考察を進めます(笑)。


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黄金時代 - 2002年06月05日(水)

「ひとは誰でも、モテてモテてしょうがない時期が、一生に一度はある」
なんて俗説がある。
つまり、誰しも「モテモテの黄金時代」が一度は来るという説だ。

僕の会社の先輩にも、その存在を信じて疑わないひとがいる。

もう五十に手がとどこうかという彼いわく、
「僕は独身時代、一度もモテたことはない。女房もしかたなく、見合いでもらった。
が、死ぬまでの間に一度はモテるというからな…」
なんていいつつ、今日も女の子のいる酒場通いにうつつを抜かしている。

つまり彼は、
「(若い頃はまるでダメだったが)
今、バリバリだぜい!
(あるいはバリバリになりそうだぜい!)」
と言っているわけなのだが、

果たしてそうか?

だいたい、根拠はあるのか?

それは甚だ疑問ナリ。

なんかその俗説に、そうやって自分を鼓舞でもしないととても生きていけない「オトコの悲しいサガ」を感じるのは僕だけであろうか。

論理的に考えてみるといい。

もし、仮に「黄金時代」が誰にでも訪れるというのなら、男女を問わないはず。
つまり、あなたの周辺でもっともモテない女性である、あのお局サマ、あのブーコだって、そのうちモテる時期が来なきゃ、おかしいってことになる。

でも、そんなことが起こりうるなんて、誰も本気で思わんでしょ?

つまり、若いころモテなかったオトコが中年以降になってモテたとしたら、
それは「モテている」んじゃなくて、
無理やり「財力」によって「モテさせている」だけってこと。

そんなのは、「モテる」うちに入れたらあきまへん。

だいたい、少数の人間だけが享受している「おいしい状態」だからこそ「モテる」という表現に意味があるのに、魅力のない人間まで含めた大多数の人間がモテている状態になってしまったら、「モテる」「モテない」という言葉を使う意味などなくなってしまう。

8割の人間がモテて、2割の人間がモテない、というのではおかしいのである。

だから、中年以上のオトコが「モテる」ようになったといったって、たいていは「自己申告」。
しかも相当なコストがかかっていたりする(笑)。

金などかけずとも女が群がってくる、本当の「モテモテ男」の実態を知れば、そんなことを言って虚勢を張るのがいかになさけないかわかるはず。
ま、そのへんは回を改めて紹介しようと思うが、いずれにせよ「モテる」「モテない」は「天性」の問題であって、努力でどうなるというものではない。

「ゴマメの歯ぎしり」をしたって、しょうがないのである。


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たまには日記らしく(藁 - 2002年06月04日(火)

朝、メールボックスを開けてみたら、
最近行きつけの酒場の、わりとよく指名するAという女のコから
「4日はワールドカップ記念で6時から開店します。
よかったら来てください」
みたいなことを書いてある。

そーいえば以前、お店に行ったときに、そんな話をしとったなあと思う。
W杯期間中は、店内にいくつもある、ふだんセクシーアイドルのビデオとかを流しているモニターで(どんな店やちゅうねん)、試合の生中継が観られるというのだ。

しかし、何が悲しくて、ワールドカップをわざわざ女性のつく酒場で観なきゃいかんのだ!
ふたりして、ブラウン管を食い入るように2時間弱観て、
「ああ、楽しかった」と、1万なんぼの高いお勘定を払うのか?

観たかったら、家でタダで観られるでしょうが。
女のコだって、ほとんどがW杯限定の、にわかファンだろう。
彼女に解説でもしてあげて、少しは尊敬でも勝ちえようとでもいうのか?

よーわからんぞ。W杯(便乗)イベント。

ということでAちゃんには、
「都合が悪いので行けません。メンゴ」
とメールを送っておしまい。

果たしてそのイベントは成功したのか、不発だったのかは、Aちゃんから報告を受けないことにはよくわかりません(笑)。


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独身男性M君の場合 - 2002年06月03日(月)

僕の友人でM君というひとがいる。
彼は僕より2才下だが、今でも独身。
離婚歴もない、まっさらの独身。

地方の大学を卒業し、就職のため東京に出てからはや20年。今も都内在住。
だいぶ以前に会社(大手のメーカー)をやめ、何人かの友人と小さなIT関連の会社を興している。
業績はこの不況下にしてはまあまあで、そこそこ食べていけるそうだ。

さて、彼によれば、
「今まで、女性とまともな交際をしたことがほとんどない」
という。
そこにはなかば彼の「照れ」もまじっていて、事実そのままとはとても思えない。
とくに会社を立ち上げ、事業を軌道にのせるまでの約10年間は、女性と付き合っているどころではなかったといえるし。
が、男性はふつう、実際より経験が多いように話すものだから、彼の申告、あながちウソでもないようだ。

さすがに○ーゾクなどもひととおりこなしてきたようなので、「ドーテイ」ではないようだが、少なくともここ10年ほどは、恋人がいないもよう。

彼いわく
「この年齢で女性と付き合おうとすると、まわりには同級生の売れ残りオバチャンしかいないし、そんなのだったら付き合ってもしょうがないし、下手に気をゆるすと、すぐ結婚を迫ってきそうで怖い」
とか。

なるほど、適齢期を大幅に過ぎた女性と付き合うということは、「交際即ウェディング・ベル」なんてことにもなりかねないから、さすがに二の足をふむんだろうなあ。

付き合ったらかならず結婚しなくちゃいけない、なんてリスクを背負わずに、気楽な交際をしたいのだったら、束縛されることを嫌う、うんと若い女性にしくはない。

でも、以前書いたように、30代後半でもモテている連中がいることから考えれば、彼が若い(20代の)女性と付き合うことも不可能ではないと思う。

M君は、小柄でやせ型、ものすごく若作りというわけではないが、彼と同年代のオヤジ連中と比べれば、まだまだ全然若い印象。
20才くらい年下の若い女性と付き合ったって、十分オッケーだと思う。
ま、そこまでいかずとも10才以上年下であれば、彼としてはいいみたいだが。

仕事柄、若い女性とコンタクトすることもまったくないワケではないそうだが、彼のようなシャイなひとは、そういう仕事関係の女性とプライベートでも付き合うなんて大胆なことはムリそう。

そうなると、どうしたらいいか。

いっそのこと、ネットで募集するなんてのは、どうかな?

うん、試してみる価値はあるかも知れない。

ということで、ネットでこの日記をお読みになっている女性の皆さん、一度M君とカジュアルお見合いをしてみませんか?
連絡、待ってます。


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夜遊びのキモ(後) - 2002年06月02日(日)

この項の最終回は、「サービスが悪いときはきちんと文句を言うこと」である。

僕は、これが一番難しく、しかも一番重要なことだと思っている。

お客なら誰でも、なじみの店に対して「いい顔」をしたいと思うものである。

しかし、そのために、文句を言うべきところでも文句を言わなかったりしがちである。

やたら高い勘定がついてきたときに、「なんでこんなに高いの?」とか聞かず、そのまま支払ってしまったり、お目当ての女性をなかなかつけてくれなくても、辛抱強く待ってしまったり。
遊び好きなひとなら、必ずそういう経験があると思う。

しかし、そういうことが何度かあっても文句を言われないとなると、店は次第にお客を「ナメる」ようになるものだ。

「この客はうるさくないから、多少勝手なことをしても大丈夫だな」
と、タカをくくるようになり、サービスが低下する。

サービスが悪くなるとは、具体的にどういうことかというと、たとえば

「あまりしつけのよくない新人女性を平気でつけてくる」
「店が混んでくると、早く帰ってほしいなどと言い出す」
「(本来、来店するかしないかはお客の個人意思によるものであるにもかかわらず、)お客の来店の回数が減ってくると、露骨に文句をいうようになる」

なんてことを平気でするようになる。

お客が来たくなるようなサービスを自分たちがきちんとやっていないのを棚に上げて、「もっと来い」攻撃をするようになったら、もう貴方は
「いいカモ」
と思われているのだ。

だが、そういう目にあったとき、面と向かって文句を言うのは、本当に難しい。

僕も何度か、そういう店側のナメた態度に腹を立てながらも、実際に声に出して伝えることが出来ず、ガマンしてしまったことがある。

で、その後も店の態度は変わることがなかったので、結局僕はその店を「切る」、つまり行くことをやめるということで、意思表示をした。
(そこは店の女性とは「色恋」のノリでの付き合いではなかったので、比較的簡単に「切る」ことが出来た。)

本当に、僕の意図したことが伝わったかどうかはさだかではないが、少なくとも店のサービスに対して不満があったことは、伝わったのではないかと思う。

でも、本当に望ましいやりかたは、きちんと言葉にして、サービスへの不満を伝えることだ。

たしかにそれをやると、「うるさいお客さんだな」と思われるだろう。

だが、お金を払っているのはお客の側なのだ。
店はお客に対して気を遣ってナンボ、そういう商売なのだ。

なじみの女性に対して気を遣うことは必要だろうが、店に対してこちらから気を遣うことは「まったく」意味がない、僕はそう断言してしまう。

お客はおおむね、店側の男性スタッフらの氏素性に比べると、「お育ち」が格段といいので、店に対して必要以上に気を遣いがちだが、商売をしている人間に気を遣ってもしょうがない。

値段に見合ったサービスをしているかどうかしっかりと見て、いいかげんなサービスにはきちんとクレームをつける。
これによって、(全部の店がそうなるとは限らないが)少しは商売上手な店ならば、サービスは向上するはずである。
店はお客が「育てる」べきものなのである。(この項了)


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