人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2003年10月29日(水) 喪服の女性が伏し目がちに考えていたこと

この度、生まれてはじめての喪服を買った。

父方母方共に早死に家系なのか、主要な人々は私が制服のあるうちにこの世を去った。高校3年まで、死にづくし。

だけど、就職して、喪服の必要性を確認。通夜に顔出すくらいならどうにかこうにか上下黒で統一して出かけられるのだが、職場関係で葬祭の受付やら案内係やらで借り出されることがあり、一着買わんとまずい、と気づいたのだ。

生命の灯火が消える時間は誰にも予測できない。ある程度、そろそろ山ですと限界が見えていればこちらも心づもりというものができるが、突然だとどうしようもない。
今のところ、実家の母に「同僚の曾祖母が危なさそうなので喪服送ってください」とサイズがほぼ変わらぬことをいいことに連絡して事無きを得ていたが、これからは分からない。
インフルエンザも流行りだすし、うかうかしていられない。

だから、買ってみた。ワンピースの喪服。袖はレースの5分袖、裾は軽くかわいくフレア、ボレロ付。ぎりぎり3シーズン用。胸元の小さなふくらみも小ささが目立たないほど、全体にとてもスリムに見える素敵なデザイン。しかも、胸がないせいなのか、7号サイズ…普段、9号なのに、ぴったりだった。
「これはデザインのせいでやせて見えるのでしょうか?」
と試着し喪服姿で一緒に買いに行った母に問うたら、
「喪服というものはね、よっぽどの人じゃない限り、やせてきれいに見えるものが多いのよ」
という答えが返ってきた。

確かに、喪服姿の知り合いを思い出してみると、どことなくほっそりときれいに見える体躯に色香を感じたような気がする。普段、人が着ないものを着ているからドキリとするのか、悲しみが艶っぽさを引き立てるのか。

私もいつか、誰かを惑わせてみようか。


2003年10月28日(火) 佐々木(仮)家の人々 〜 姑の介護放棄した母を持つ保健福祉従事者

"高齢者虐待"と聞くたびに、胸がチクンと痛む。

我が母と、父方実家の折り合いはひどく悪かった。母が父が結婚したのは、家柄とか財産目当てとか、そういう打算があったわけではないことは、結婚当時まともな職に父がついていなかったところからも見て取れる。小さいけれどもとある会社の社長令嬢だった母が惚れた父は、夢だけがあるお金のない若者だった。

父の実家は自営業をしていたが、父母の婚姻後倒産した。多額の借金の返済は、父母の肩にもかかってきた。母の実家から、少なからず援助をしたそうだ。母の実家だって裕福な生活だったわけではない。けれども、かわいい末娘の惚れた相手の実家ということで、母方祖父母は頑張ったらしい。
そして、母の両親は早くに亡くなり、父の両親は年齢に関係なくその後も生き続けていた。

父方祖父が亡くなり、祖母だけが残った。その祖母も当たり前のことに徐々に加齢し、ひとりで田舎に住むにはつらいだろうと、そういうところまできたときのことだった。父が、祖母を家に引き取りたいと、そう言い出し、反対する母を無視して田舎から祖母を家に連れてきた。

そのときの、母の反応を私は忘れられない。10年以上経っても、母があれほど取り乱したことはないと、そう断言できる。狭苦しい団地の廊下で、金切り声を上げた母。その姿を呆然と見る父。当時小学生だった私は、4つ年下の妹を抱きしめ、見てはいけないものを見てしまったと、そう感じていた。そのときいたはずだろう祖母のことは、まったく覚えていない。

だけど、田舎は遠く、しばらくは祖母を家に置いておくしかなくて。
後日、「学校から帰ったら、おばあちゃんと話してあげて」と父にそう言われたけれど、夏帰省で会うくらいの祖母に何を話せばいいのか幼かった私には分からなくて。祖母を忌み嫌う母のことを無視することもできず。

父方実家近くにいた父の姉が老人ホームの申し込みをしてくれ、しばらくして祖母はそこに戻って行った。うちで転倒し、大腿骨骨折というお土産を持って。

高齢者虐待にも対応する職についた今なら、色々思うこともあるが、今でも母を責める気にはならない。


2003年10月27日(月) 追い詰められる者たち

うつ病患者を励ます会。

うつ病を患っている主婦の家に行ったら、主婦の実姉が来ていた。実姉は、私と主婦の会話に控えめに参加していたのだけれど、主婦の自殺企図の話になった途端、「ええ?!」と悲鳴を上げた。

主婦がうつ病の診断を受けて2年。立地条件の悪い場所に住んでいるため、毎週の病院受診は、近所に住む実姉か同じく近所に住む長女か次女が車を出してくれているんだそう。身内の援助があっていいね、とそのときには思ったのだけれど。

「姉や娘たちに迷惑かけてて申し訳なくて、頑張りたいとは思うんだけど、なかなかうまくいかなくて…『くよくよしてるからよくならないんだ』ってみんな言うんだけど…動こうと思っても動けなくて」
死を考えることなどしょっちゅうだと、泣きながらそう言った。

家族にとっては、身内が"うつ病"と医師の診断を受けていても、その事実は受け入れがたいものなのだろう。否定したいものなのだろう。
うつ病には"叱咤激励"はいけないと、知らないわけはないと思うのだ。2年、家族に隠さずにいた主婦。なのに、家族の理解は"理解"でなくて。

病を抱える人の孤立は心の孤立でもあって。


2003年10月26日(日) 力づくで言うことを聞かされる快感

いい年して、だなんて言わないで。

怒って泣いているとき、キスを仕掛けられるのが好きだ。お互いに怒っていても、大抵最後まで怒っているのは私のほう。怒るとつい、泣いてしまう性格のため、泣き止めばスッキリして頭がクリアになるのだけれど、そのなる前に彼のほうが冷静になって、うまくなだめすかされてしまう。

怒って泣いているときの私は、彼の手が伸ばされてきても振り払おうと力を出す。だけど、そのまま力づくでぎゅっと抱きしめられると、何とも言えぬ幸福感と安心感を得てしまう。そして、成り行き上なんとなく体裁が悪くて暴れても、彼の両腕に束縛された身体は彼から離れることを許されず、結局は口付けをおとなしく受け入れることになるのだ。

彼に愛されているという自信から来る甘えが、時折私を感情的にさせる。不安だらけだったら、きっと素で怒れなかった。感情的になれば、幼児退行だってする。理不尽な理由を叫ぶことだってある。だけど、それらすべて吐き出しても受け止めてくれると分かっているからこそ、今は飾ることなく自然でいられる。

心変わりされてしまうのではないかと怯える彼と、もう負担はかけたくないと別れを切り出されることを恐れる私。以前、私たちの愛は平等であると思うとある人に伝えたけれど、本当に、色々なところでバランスをとりながら続けている関係なのであろう。

時々、彼の力強さを確認したくて駄々をこねる私。だけど。

彼の力が緩むのを感じたら、私はどうするのだろう。


2003年10月25日(土) 理想論・感情論だけでは対応できない

多少の犠牲はやむをえない。

男が身内を虐待しても「ひどい男」呼ばわりくらいなのに、女が身内、特に子どもを虐待すると非難のされ方が常軌を逸しているのはなんでなんだろう。子ども虐待していた母に対しての処罰が、死刑論にまで及んでいる人もいた。その人は子どもを育てている女性で、「子殺しは大罪」くらいの勢いだった。だけど、それだけ子どものことを思い大事にしているのだろう、と納得していいものなのだろうか、私は考えてしまった。「うちだって一歩間違えばそうなっていたかもしれない」ということばのほうが、うなずけるのだが。

腹を痛めて産んだっていったって、「かわいい我が子」が腹にいたわけではない人はたくさんいる。女が妊娠を打ち明けた途端、逃げる男は多い。そんな男の裏切りを経験した上で、じゃあその男の種でできた子どもをみんながみんな、かわいいと思えるのだろうか。それに、そんな無責任な男のほうが問題あるだろう。見る目がなかったんだよ、なんて意見、私は切り捨てる。
また、うちは離婚しててもこどもをかわいがっているわよ、というセリフは、"自分がしていることは他者もできて当たり前"という感覚から来るのだろう。その自信が、すごいと思う。そういい切る人がいるから、傷ついて四方八方になってしまう人が出てくるのだということを、知らないのだろう。

虐待する父母に対して死刑を、だなんて言ってたら、私の受け持ち地区はかなりスカスカになってしまう。というか、市全体がかなりスッキリスリム化。家庭訪問件数も減り、どんなケースに訪問に行っていたか知らない人たちからは"最近の保健師は仕事しないで遊んでる"だなんて言われかねない事態。
そして、母を失った子ども、父を失った子ども、夫を失った妻、妻を失った夫がうようよと出現し、実家の援助が得られなければ家族機能は崩壊。特に女性は、この不景気、手に職のなければ大変。子どもを預けるところを探し、職を探し、やっと昼間の仕事を得られても収入が足りず、週に数日、夜の仕事もしたりして。

子育てに直接参加していない人たちって、子育てを主にやっている人をねぎらっているのだろうか。大抵は生んだ女性が子育てを請け負っている。だから、夫だったら妻に、舅・姑だったら嫁に、父・母だったら娘に、ちゃんと「頑張ってるね」「何か手伝うことある?」と言ってあげているのだろうか。
子育てって誰にでも出来ることではない。やれてあたりまえのことではない。昔からやってたことでしょ、なんて言う奴は自分と置き換えて考えて欲しい。学生時代、どの教科も満遍なく出来たのか? 苦手な分野って必ずあるはず。その教科が"子育て"ということだってあるのだ。

口先でああやったらこうやったらそれはどうなの、ということなんて、簡単だ。だけど、近くにいる人が出来るところで手を貸してあげることは、大事なことだと思う。誰かが見てくれると、いつも見ている人はほっとする、その時間だけは力が抜ける。生まれた直後は特に、女性は24時間子どもといることが多いので、ぼんやり放心ということはあってもゆっくりする時間はほとんどない。しかし、手を出しすぎると女性の自信を喪失させ、子育て放棄の可能性も出てくるのだが。

中には、もう産んでさっさか誰かに預ける女性もいるが、それはある意味、正しい道であると思う。自分で育てられないことを見極め、子どもの安全を確保したといえるからである。預けられたほうにしてみれば色々な意味で大変だが、それもひとつの道であることは間違いない。

子どもが数人いる家庭で、たった1人にだけ虐待が日常的に行われているうちに定期的に訪問している。虐待の程度は、生命に危険がある状態まではまだ遠いものであるのだが、安否確認・見守りは欠かせない。
母方祖母も、父も、母も、その1人だけを強く叱り、時には手をあげる。他の兄弟は"いい子"のふりをする。だけど、母にはまた、その子をかわいいと思う気持ちもあり、母の気を惹こうとその子の行為は益々エスカレートする。
母にはそうしてしまう背景があり、また、家族内に普通は起こりえない出来事がある家庭であり、問題はひとつではなかった。だから、私の仕事は、マシンガントークの母の話を聞いて、その時間だけでも母の気をその子から逸らすこと、エネルギーを吸い取ってくること、母の気持ちの整理をさせること、子どもへの虐待の程度を確認するである。

"虐待=すぐに保護"ということはない。虐待の程度による。生命の危機があればすぐに子どもを保護するが、そうでない場合は家族機能の調整に誰かが入る。
虐待されている子どもが、どんなふうに育っていくのかは分からない。精神科医にこの家庭のことで相談しに行ったら、「この子が将来どのようになるのかは分かりませんが、エネルギーのある子なので大丈夫だと思います。僕のようになるかもしれませんし」と言った。先生も、何かを抱えているのだろうかと思いつつ、別れたのだが。

中途半端に知識のある人が1番厄介なことに気づいた、今回の虐待問題。


2003年10月24日(金) あなたがどれだけ"できた人"であるのか、私は知らない

ライトは、一方向から当てるものではない。

人を責めるという行為は、きっと、そんなことを自分は絶対にしない、という自信のもとに行われているのだろう。もしくは、ひとつの同じ経験をしたとき自分はしなかった、と。その自信のありかは、どこから来るのか、私は問いたい。"しなかった"ら、何を言ってもいいのか?

ネット上で意見交換が行われるのはよいことだと思う。自己主張をするのもいいと思う。だけど、今まで私は、他者の文章を読んでこの人の言っていることを激しく非難したい、反論したい、と思ったことはなかった。昨日まで。

幼児虐待の末、自分の子どもを殺した交際相手の若い男をかばった女性がいた。女性は男性が日常的に子どもに暴力を振るっていたことを知っていて、止めなかったらしい。その挙句の、死。
だから、どのコメンテーターも子どもの生命を優先しなかった女性を非難し、亡くなった幼子を気の毒がった。個人のWeb日記でも、痛ましい事件、信じられない母親、かわいそうな子ども、と、どれもこれも、一方的な見方だった。その、一方的さが私には気になっていた。
そして、中でも、この事件について記された某氏の子育て論にまで発展した日記を読んだとき、私は一気に憤った。

私には、自分が子どもを生んだとき、虐待などしないという自信など、まったくない。それは、私の性格ゆえとかそういう問題ではなく、実際に虐待してしまいそうとおびえていたり、もう実際に自覚・無自覚に関わらず虐待してしまった親たちと出会ってから、感じたものである。まさに、一寸先は闇なのだ。

乳幼児に関わらず、恋人間・夫婦間暴力、高齢者虐待、障害者虐待。あらゆるところに弱者を傷つける行為は転がっている。そこで、いつ自分が被害者になるか、加害者になるか、誰にも分からない。身体的虐待、精神的虐待、養育の怠慢・放棄、性的虐待、経済搾取…身体に見える傷だけが虐待ではない。無視すること、身の安全の確保をしないことだって、加害である。
私だって、気づいていないところで、誰かを傷つけていることはあると思う。意図的に明確な意思で誰かを傷つけたいと思うことだってある。

今回の事件では、確かに亡くなった子どもはかわいそうだと思う。だけど、だからといって正義ということば、理想という現実を忘れた思いを振りかざして女性を責める行為は、女性を傷つけるということなのだ。責めるということは、加害しているということなのだ。

この女性の背景に何があったのか、私は知らない。だけど、人が非人道的と呼ばれる暗い淵に落ちるのには、何かきっかけがあったに違いないのだ。一番考えられるのは、女性自身が被虐待者であったかもしれないということ。もしくは、子育てをひとりで頑張った過去があるからこそ、それから逃げ出したかったのかもしれないということ、だから男の存在を優先したということも考えられる。

被虐待者の様子から虐待を発見するということは、加害者の"助けて欲しい"という悲鳴を聞くということなのだ。虐待したくて虐待している人など、いないのだ。
だから、某氏の母を責めるその強い言い切り方が、私の感にひどく触ったことを、伝えるべきかを迷い、そして。

憂鬱な気持ちになった。


2003年10月23日(木) 嘘をついているわけでもないのに目が合わせられなかった

前に進んでいた足が、急に動かなくなった。

愛する人が、大事な人が、ゆっくりと、だけど確実に死に向かっていくのを見届ける行為も、愛する人に、大事な人に、足掻いてももう何をしても生の限りが見えた自分を見取られる経験も、できればしたくないと思う。

生あるものに死が訪れるのは当たり前のこと。だけど。

お願いあの人を連れて行かないでと、俺を置いていくんだなと、悲痛な声が幾重にも聞こえた気がした。別々の暮らしの中、幼子を置いて、長年連れ添った者を置いて、1年経たぬうちに遠くへ行かざるを得ない人たちがすぐそこにいる。発見が遅れ、すでにもう、何の手も施しようがない状態で。

それぞれのつらさが、互いに互いの苦しみをわかっているその事実が、当事者でもないのにとても切なくて。

潤んだ双眸を見返すことができなかった。


2003年10月22日(水) 争いがふたりの愛を別つまで

『六甲おろし』は歌えないけれど、『いざゆけ若鷹軍団』がソラで歌える私。

阪神タイガースが好きな彼と、野球に興味のない私。私が他チーム贔屓でなかったのが幸いし、安定した交際ぶりを3年ちかく発揮。彼が「今日のトラはやったでえ」という話を、私は「ふーん。で、打率と打数って何が違うの?」と興味なさげに聞いていた。そう、それが、つい先日までの私たちのスタンスだった。

しかし今、私は日本シリーズ・虎鷹の試合があるたび、勝敗をチェックし、今後の予定とにらめっこしている。私には試合内容など関係ない。試合結果が重要なのだ。そして、ダイエーホークスが勝つたび、にんまりと笑う。彼はそんな私を、「最低や、お前!!!」と言う。

だって、目指すは、ダイエーセール。

ダイエーは日本シリーズ終了後、勝とうと負けようとセールをするということは分かっている。だけど、商品にランクA〜Eまであったとして、「負けたらA〜Cまでをセールとする、買ったらA〜Dまでをセール商品とする」なんてことだったら負けたら損するし、「商品値引率も負けたら1割引、買ったら2割引」なんてことだったら負けたら泣く。

パ・リーグ優勝時のセールでは売り切れで買えなかった、狙いのブツ(家庭用品)があるので、日本シリーズもダイエーには何が何でも買っていただきたい。『いざゆけ若鷹軍団』を歌えるほど普段から通っているのだから、こんなときくらい還元してくれてもいいと思う。

物心ついたときからのトラファンの彼には悪いけれど、今年の私はダイーエフリーク。トラが負けては「やっぱりダメダメや…」とがっかりする彼を尻目に、ダイエーの勝利を喜ぶ彼女。

阪神系列の店がうちの近くにないのが悪いのよ。


2003年10月21日(火) いい年して、きれいさだけを愛してくれる男なんて

この人、お化粧とったらどんな顔してるんだろう?と思った。

いつでも化粧ばっちりな同期に偶然本屋で出会ったら、ふと、他の同期のことを思い出した。
鎌倉にある大きなお屋敷の息子で、矢田亜希子好きの同期。彼の母親は、彼や夫(彼にとっては父)の前でおならをしたことがないのだという。だから、彼は彼が好きな女性は自分の前でおならするわけがないと。そんなのはしたないと、そう言った。
それを聞いた私と、元看護婦の同期は大爆笑。病院に勤めていた頃は、ガスが出る出ないで患者と一喜一憂することが多かった私たちにとって、人がおならをするということは当たり前の事実である。人体生理学からして、しないほうがおかしいのである。彼とそんな話をしたとき、私も彼女も、自分たちの彼の前で隠すことがなくなっていた頃だった。
でもまあ、いいだろう。彼がそう言うのであれば、彼の前で一生おならをしない彼女を見つけるといいさ。

ちなみにうちは、おならをするときは「おならぷー」と言わなければいけないルールがある。彼の元嫁さんルールがそのまま活かされているのだが。実家ではしたあとに「ごめんなさい」と言うのがルールだった。プライベート空間でまで隠さなきゃいけないことになっていたら、私、死んでいたかもしれない。

性欲・食欲・睡眠欲・排泄欲…その強弱は個別的であっても、自分が感じることは他者も感じていることであり、自分が体験していることは他者も体験していることであるといえる。

生きる基本に夢見がちな男なんて、私要らない。


2003年10月19日(日) 誰がために化粧をするのか?

化粧は誰のためにするのか?

電車やバス内で化粧する女性をはじめて見かけたのは、いつぐらいだっただろう。私が電車に頻繁に乗り始めたのは高校生、通学に使うようになってからだ。乗り始めた頃はそんな人、見かけたことなかった。まあ、通学は行きも帰りも時間帯が超とか猛烈とかつけたほうがいいほどのラッシュ時だったので、いなかったのだろう。あれじゃあ、どんなにバランス感覚がよくて手元のしっかりした人でも失敗する。

気がつけば、席に座るなり鏡を取り出し、目元だとか口元だとかの何かをチェックする人を見かけるのは今や日常茶飯事。大体の人は、ぱんぱんに膨らんだミニポーチを膝に乗せ、ちょこちょこ何かをする。
隣の席で下地クリームから塗り出されたときは、その外国製の化粧品の香料に私はアレルギー反応でくしゃみが止まらなくなってしまった。塗ってから少し時間を置いたものならばいいのだが、入れ物から出した直後や塗ったばかりというのはいけない。空気中に非常に強く刺激的なにおいの素が散乱する。アレルギー持ちの弱い鼻粘膜が、それに侵される。
携帯電話とペースメーカーの相性がよくないように、アレルギーと化粧品というのも非常に相性がよくない。あんな狭い中でやられた日にゃ、本当、密室の犯罪だ。

化粧は、自己と他者のためにするものだ。まあ、自己満足の比率のほうが高いだろうけど。より自分をきれいに見せようと、より高い化粧品を求めて若い女性は動く。季節ごとに出る新製品に踊らされる感じだ。
だけど、きれいになった自分を誰に見せる目的で化粧をするのか。車内でするということは、車内の人はたとえ異性であっても"きれいな自分を見せなくてもいい人"なのだろう。ようするに、どうでもいい人たちの集団。
"きれいな自分を見せる(たい)人"は他にいるということなのだろう。学校や職場では自分の"きれいなところ"を見てもらいたい、と。
それってどうなんだろうか、うーん…。異性から見て、そういう姿ってどう映るんだろうか。

本日付の新聞で川村学園女子大教授らの調査で、女子大生の車内化粧について『いつもする』『時々する』を合わせると27.5%の人がしているという結果があった。簡単に言えば、女性が100人電車に乗っていたら27人はしているということだ。
私にとって、車内で化粧することは、公共の場でセックスすることに近い行為だ。それくらい、私は恥ずかしい。自分には時間がないことをアピールすることになるのだ。時間の使い方が下手だということを皆に知らしめることなのだ。そんな、不器用な自分の生活臭を人前にさらすことには耐えられない。簡単でいいから、質素でいいから、不快にさせない程度の化粧でいい。

だけど、よほどのことがない限り、車内で化粧する人は減ることはないように思う。だから、車内化粧をする人に、ひとつだけお願いが。見てると怖いんですよ。見なきゃいいのに、目がそこに吸い付いちゃうんで見ちゃうんで。

お願いですから、マスカラ付けとコンタクトの取り外しだけは車内でやらないでくださいませ。


2003年10月18日(土) 真冬の海に服を着たまま裸足で

地域性。

今月、非常に落ち着かないケースが受け持ち地区にいて、目が離せない。数年前、夫が脳梗塞で倒れてからうつ病と不安神経症を患った、少しの後遺症の残った夫を在宅介護していた女性。最近になり、彼女の病状が思わしくなくて、ケアマネージャーが夫は施設に短期入所させたのだが。

彼女は最近、自殺企図をほのめかす言動が多い。秋晴れのよい日だったにもかかわらず、『自分を傷つけたい気持ちになってどうしていいのか分からなくなって、佐々木さんにお電話しました』なんて職場に朝一掛かってきた。だけど、昨日は訪問約束を午前午後合わせて3軒入れてしまっていて、1軒1軒の内容を考えるといっぱいいっぱいで彼女に割ける時間はなかった。

彼女の住む地域は、心の病にとても敏感なところである。地の人が多いので、親類縁者も多い。似た血の集まるところは、同じ病を起こしやすい集団であるとも言える。
脳血管障害や高血圧ならまだいいのだが、心の病は簡単にはいかない。彼女と同じ病気を抱えながらその地域に住んでいた女性が、過去、冬の海に入って行ったことがあるのだそうだ。そして、この世を去った。そういう人を身近に抱える人は、危ない。

今をどうにか生きる彼女と、亡くなった彼女の主治医だった医師と話す機会があった。総合病院の精神科に勤めていた彼は、入水自殺した彼女が救急車で搬送された先にいたそうだ。苦い思い出です、と彼は言った。

そんな思い出に、したくない。


2003年10月17日(金) 自虐的で怠慢な

貧乳で食いしん坊。

木曜ドラマ『TRICK』がはじまった。彼は以前、夜間にやっていた頃から見ており、今回のも楽しみにしていた。私はまったく見たことがなく、今回、彼が見るからという理由で見てみた。

ドラマ終了後、彼からメールが来た。

『貧乳で食いしん坊だってさ』

『TRICK』の仲間由紀恵扮する山田奈緒子は、確かに番組内で貧乳扱いされており、なおかつ食べものに目がなかった。

「誰をさしたメールだったの」音声メッセンジャーで問うたら、『ドラマ見てたら、お前思い出したわ』とのこと。やっぱりか。

ドラマを見て、自分と重ね合わせた私。彼女をかわいがることを忘れた彼。

どこにどう、焦点を置いたらよいのかわからず、怒る気にもなれず…。


2003年10月14日(火) 愛が喪われないままに終わりを告げるとき

どうか、まじめに聞いて欲しい。

彼と付き合いはじめて、2年と10ヶ月になる。ここ2年以上、彼の愛を疑ったことも、彼の愛が冷え行くということを考えたこともなかった。
なのに今、私は彼に交際を断られることを怖れる気持ちを抱いている。

愛が冷えぬ前に別れるということは、意味がないように思う。未来の自分に意味があるかもしれないといわれたところで、今の自分が納得できるわけがない。

彼から、まじめな顔で「もう、やめとけ、こんなおっさん」「別れたほうが利口やで」と何度言われたことか。お前にはもっといい奴がいると、わざわざこんな年上の腰痛持ちのバツイチなんかにくっついていることはないと、はっきりと口にされた。その度、私は怒ったり泣いたり、そして「私がいいって言ってるんだからいいじゃないの。私はあなたがいいの」と彼を抱きしめていた。
彼にしてみればきっと、愛を確かめたい気持ちもあって時々思い出したように言っていたのだろう。私は、毎回その不安な気持ちに応じて愛のことばをささやく。

夕方から抱いた不安は、彼の1通のメールから始まった。整形外科で腰マッサージを受けても受けても度重なる腰痛・会社欠席に閉口した彼が、とうとう大きな病院に行ってMRI検査を受けたのだ。その結果が今日、分かったはずなのだけれど。

『今日は病院混んでたわ。結果は夜にでも』

雨の中、そんなメールが送られてきた。何でもないひと言なのに、えも言われぬ不安が胸の中に重なり積もっていく。

話をする夜が来るのが怖い。だけど、話ができないまま夜が終わるのも怖い。

ねえ、別れ話など、絶対にしないと約束して。


2003年10月09日(木) 背中に見えるのは翼なのか枷なのか

単なる母子問題では終わらないような。

愛されて育った記憶の希薄な人や周囲過干渉で育った人など、アンバランスな生育歴のある人が親になると、大抵家族機能はうまくいかなくなる。
夫婦そろってというケースもあるけれど、やはりどちらかがうまく役割を担えなければ家族機能は成り立っていかない。

子どもとどうやって遊んでいいのか分からない、というのは注意すべきことばだ。はじめての子で、しかも乳児であればまだしょうがないとは思う。しかし、歩き始めたりことばを口にしだした子どもとの接触がうまくいかないというのは、その人が幼少期どんな生活を送っていたのかがポイントになる。

はっきりした記憶がなくても、うまく遊んでもらったことのある人というのは自分の経験と同じことを子どもに返すことが多い。けれど、遊んでもらった経験の少ない人は、やはり何もかもが初心者であるし、むしろ、過去の"傷ついた"自分をどう扱っていくのかが問題になる。

意識的に子どもと遊ぶポイントを掴み、自分がされたかったのにされなかったことを子どもに返すか、もしくは、過去の自分と子どもを重ね合わせて自分と同じ経験を与えてしまうか。

相談にのっている最中、3児の母を泣かせてしまった。子どもをどう扱ったらよいのかわからないままに生み続けてしまい、子どもの自我が芽生え始めたのと同時に子育てがうまくいかなくなったと、そのせいで夫婦仲もうまくいかなくなったと、徐々に自分のことさえもがわからなくなったと、話しているうちに感情が高ぶったのか泣き始め、「ごめんなさいごめんなさい」と繰り返しか細い声で私に謝りながら、ハンカチを握り締めていた。

保育がうまくできていないと、母を一概に責めることはできない。何かを背景に持ちながら人は生きている。その何かの重さにより、コミュニケーションは変化してくる。

今までひとりでつらかったねと、頑張ってきたんだねと、ひたすら労いのことばをかける。

これからが、彼女にとって先の見えない、長い道の始まりになる。


2003年10月08日(水) 情報収集を失敗するほどの衝撃度

私の出会った最高齢のゲーマーに乾杯。

来月81歳になる女性のおうちに訪問に行った。現役時代は住み込み家政婦だった彼女のお部屋は、いつ行ってもとてもきれいに整えられている。現在、熱に浮かされたように収納のオニになっている私には、見習うべきものがたくさんあって、そういう意味でも訪問しがいのあるお宅だ。

パンフレットをもとに介護保険について説明しているとき、ふとテレビ台に載ったグレーの機械が眼に入った。

…プレステ?

彼女は独身を突き通した、身寄りのない独居のお年寄りである。孫が遊びに来るということはない。私は聞いたさ、「ゲーム、なさるんですか?」って。

夜中眠れないときにちょっとやってみたりしてるんだけど、時々興奮してかえって眠れなくなっちゃうのよねえ…と彼女は言った。

私は抜かってしまった。やると興奮してしまうようなゲームって何なのか、何のソフトをやっているのか、"プレステで遊ぶ80歳女性"に驚愕しすぎて、聞くのを忘れた。

誰かに何かを聞かなかったことを、これほど後悔したことはない。


2003年10月07日(火) 25年目の微熱

まさかこんなことが起こるなんて。

我が人生、25年目にしての天変地異、青天の霹靂。何か今でも信じられません。しかも、現在進行形で夢の中のようで。それはまるで、恋しはじめの、思考が靄がかる微熱のように。こんなに何かに夢中になったのは、本当に久しぶりのことじゃないだろうか。
雑誌、『ChouChou 2003No.19』と『saita 2003OCTOBER』に共通するキーワードをご存知だろうか。実は、"片付け"と"収納"。

私は幼少の頃から、片付けとか整理とかが苦手で、どうにもごっちゃごちゃ、ぐっちゃぐちゃな生活を送っていた。母も同じように整理整頓が苦手なタイプであったようで、家の中は結構整っていなかった。以前、学生時代にひとり暮らししていたときも乱雑な部屋だった。そして今現在のこの部屋も、ついこの間まで収納スペースが広いことをいいことに、ダンボールに整理し切れなかったものを押し込んでしまっていた。

変化は、食器棚にひとめぼれしたことからはじまった。いつも行っている産婦人科の近くにあった小さなリサイクルショップにふらりと入り、そのコンパクトさときれいさと値段に我が目を疑った。
その、私が単身生活を始めてからはじめて買う家具が、私の心に小さな火種を植えつけた。まずは、台所に収納スペースがなくて引越し当時のまま押入れにあった箱入り食器を台所に設置した食器棚に移した。その、押入れに空いたスペースを見ているうちに、頭の中を何かがよぎったのだ。

雑誌の特集を見ながら、押入れにあったダンボール箱に整理しきれず詰め込んでいた中身を全部畳の部屋にぶちまけ、ダンボールは全部潰してリサイクルゴミの日にさっさか出した。次々と紙袋、色とりどりのビニール袋もゴミに出し、少しずつ整理しにくいものを減らしていった。あとは、少しの「要る・要らない/使う・使わない」分別と整理整頓していくだけ。100円均一で整理しやすいボックスやフックを買ったりしてみた。

約2週間で2分の1は片がついた。あと、残り2分の1。

頭を使って"片付け"することが意外に楽しいものだと気づいた昨今。暮らしのアイディアは、生活を愉しむことから発せられるものだと納得。

夢うつつのこの微熱は、いつまで続くのだろうか。


2003年10月02日(木) 楽園はすぐそこに

知らなかった。

たった1本、道を隔てただけで別世界が広がっていた。100人に満たない小さな集落の住む、広大な土地。隣家の距離が、数十メートル。

きれいに並べて植えられた、大根畑。咲き誇り、咲き乱れる彼岸花。ささやかな、清いせせらぎ。仰げば、透き通るような青の、秋の空が見え。

一瞬、仕事を忘れた。我を忘れた。目の前に広がるやわらかな景色に、すべてを奪われた。
彼に見せたいと思った。彼と見たいと思った。

こんなに近くに、楽園があったなんて。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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