人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2003年08月28日(木) 別れた後のことなど考えたりしないで

生活の端々に、彼のにおい。

交際2年8ヶ月目。そろそろ、こんなときにはこう言われる、こんなときにはこうされる、ということが分かり始めてきたように思う。
人間にはある程度パターンというものがあり、感受性もよほどの出来事がなければ同じ強さで同じものに反応するという、変化の少ないもの。そうじゃないと、自分も疲れるし、周囲もいちいち振り回されてしまう。

私は、あまり物を買わない生活をしているつもりだが、やっぱりよくよく考えてみると偏りがある。以前にも書いたが、私はバッグと靴が結構多い。バッグは母から結構な数譲り受けたにもかかわらず、何だか増え続けている。バッグの場合、捨てる数よりも持ち数の方が多い。一方靴は、履き潰すことが多く、±1〜2というところで、どうにか靴箱からはみ出さずに済んでいる。

今日も、ひとりぶらぶらウィンドウショッピング時、自分好みのバッグを見つけてしまった。心躍ったのは一瞬、手に取って中を開いたりひっくり返しながら、「お前はまた!」という彼の声と「あんたも好きね!」という結婚後は慎ましい消費者になった母の声が、背後からハーモニーで聞こえた。
よく考えるのよ、自分。と商品を吟味し、今日はやめておこうと決断を下した。

食料品を買うときも雑貨を買うときも、彼のことを思ってしまう。あの人トマトとキムチ好きなんだよなあ、だの、これ見せたら喜ぶかしら?、だの。
彼中心に世界が回っているわけでも足かせになっているわけでもないけれど、彼の存在は確かに、私の中に入り込んでいる。自分もうれしくて彼もうれしいことが、生活の基本になっている。

今日の戦利品は、おそろいの手びねりのビールグラスにランチョンマット。

実際に出すまで、内緒の買い物。


2003年08月27日(水) 気がつけば、足元に赤い水溜りができていた

止まらない。

先週から、おかしな出血が始まった。体内から自分の意思とは関係なしに流れ出る、赤い液体。不正出血というやつだ。ゆっくり時間をかけてたらたらと、だけど止まることなく股ぐらから溢れ出る。下着につけた白い座布団が、次に下着を下ろすと赤茶色に染め上げられている。鮮血には程遠い、汚らしい要らなくなった血で。
それが、今週に入り、液体の量を微かに増やした。今週から始まる予定だった月経と、どこかで混ざり合ったのかもしれない。

先週末から、今度はかゆみを感じるようになった。暑さで汗も出ることで、ただでさえ鍛えの足りない部位の皮膚も弱くなるところにずっと座布団を当てているのだ。カンジダか大腸菌かただのかぶれか。菌に繁殖され、炎症を起こしているのかもしれない。デリケートな肌が座布団に擦られてかぶれているのかもしれない。分からないけれど、とにかくかゆい。不愉快だ。

頭の中を、要らない単語が回る。性交。妊娠。流産。着床出血。ポリープ。子宮内膜症の悪化。

イライラを止められず、彼に「機嫌悪いから気をつけて」とメールに記す。送信した後、月経を含めてパートナーの体調を知ることは大事なことです、と言っていた爬虫類顔のHIV/AIDS教育者のことを思い出す。

女性は体内から体外への通り道が多すぎて、病気かどうかの基準が私にはもう、分からない。

とにかく、ささくれ立つ感情を止めようがないのだ。


2003年08月25日(月) 俺はロリコンじゃねえという彼と私はファザコンという私

原因はどこにあるのか?

彼が携帯電話の待ち受け画面を、私の写真にしたらしい。私の年齢を知っているにも関わらず、彼の同僚は「高校生とちゃいますか?」とのたまったそうだ。一応、私にしては化粧していた方なのに。
…それに、何度も言っておりますが、私は今年、間違いなく26歳になる、"おばさん"とも呼ばれてしまうような立派な"大人の女性"なんですが。

昨日、母と妹と実家近くのショッピングモールへ行った。目的は、涼を得に。朝から暑い日だったので、これでは命が危ないと察し、お昼ご飯を食べて早々に出かけた。
特に、何が欲しいこれが欲しいということはなかったのだが、秋物に混じって夏物セールをしていたので、ブラブラ覗いてみた。意外に、息巻いていない方が色々見つけてしまうようだ。

リボンのついたかわいらしいゴールドのミュールサンダル、襟元がしゃれたデザインの赤いTシャツ、ジーパンを穿いたままでも着られるような膝丈ワンピース、美しいやわらかな色使いのグラデーション模様の重ね着用キャミソール、ラメ入り赤のアンサンブル。

計1万ちょっと。とっても安い買い物だった。

しかし、どれを着ても、雑誌で見かける同年代や年若い芸能人よりも若く見えてしまう誤算。
年齢差を気にしている彼に合わせて大人な女性を目指しながら、気づけば結局は自分に合うものを選んでしまう。

新しいサンダルで足の痛みに閉口してヨチヨチ歩きながら、ちょっと考え込んでしまった。

私と彼の、見た目の年齢差は何歳なんだろうか?


2003年08月22日(金) 望んでも妊娠できないこともあるのだから

天の采配。

うちの父は、できるなら自分も子どもを生んでみたかった、と言う。彼の言う『生む』と言う行為には、もちろんのこと妊娠も含まれている。でも、男だからできない。子宮がないからできない。そう言う父は、ひどく残念そうだった。

やっぱり、生むってすごいことなのだ。生まれるってすごいことなのだ。新しい命を誕生させるか否かは、すべて自分の手にゆだねられるということなのだ。

自分たちは諦めなかったと、最後は半ば意地だったかもしれないけれど投げ出さなかったと、子どもを抱きながら笑顔で笑った人がいた。

不妊治療の進歩が人々に何をもたらしたのかなんてこと、私、考えるのはやめた。


2003年08月20日(水) 自分の不幸さえも売り物にする職業

露悪的だが、はっきりと言えばそうなのだ。

子宮内膜症があることも、月経不順なことも、月経前症候群があることも、月経痛がひどいことも、卵巣の働きが悪いことも、性交痛があることも、妊娠しにくい身体であろうことも、全部全部。

ことばのやり取りで相手の100%を汲み取ることはできないし、雰囲気や様子でその人のすべてが分かるわけではない。ただ、どこまで共感し、どれだけ受容できるかが大事なのだ。

時折、弱い部分を揺さぶられ、捻りあげられて、心が痛むことがある。"これは仕事"という思いがなかったら、きっと私、とうの昔に泣き崩れてつぶれていた。
「つらいね」のありきたりの共感を示すことばに、他人事でない響きがあることを敏感に察知した女性がいた。

しあわせなだけではだめ。ふしあわせなだけでもだめ。他者の気持ちを聞く仕事は、きっとどれだけ自分を切り売りできるかがポイントなのだ。

偽善的な笑顔と机上のことばだけでは、お互いに何もはじまらない。


2003年08月19日(火) 信じない人、信じすぎた人

意識すると、"適度"が1番難しい加減なのかもしれない。

『信じなければ裏切られることはない』。それは正しいだろうけれど、そんな悲しいことばは要らない。信じられない相手はいる。対し、信じなければいけない相手もいる。

一番大事なことを最後に選択するのは自分。誰かに選択をねだるのも選択の一つだと思う。だけど、そんな自分を人はひとりで支えることはできない。誰かの存在というものがあって、人は強くなれる。自分にとって何が有益なのかを見極めようと、頑張ることができる。選択していける。

信じていない人からの"信頼"など、意味のない事実。信じている人からの"信頼"であるからこそ、応えようとする力が湧き出す。

たとえ裏切られること、騙されることがあっても、信じた自分をばかだと思うけれど、信じたことを後悔することはない。誰かを信じることができる自分は、誰かに背中を預けることができる度量があるのだと理解しているから。

『うちの子(人)に限って』というのは、盲目的信頼なのか客観的信頼なのか、時々気になる。法に触れそうな行為についても、信頼の裏切り行為についても、発達の遅れについても、同じことばが出たりする。そんな、いろんな場面で聞かれる『うちの子(人)に限って』。
信じることは、いいことなんだろうか? 盲目的に信じられると、それが重荷に感じられるのは私だけだろうか。

信用される重み。
心地よく感じるか、過重に感じるか、それが運命の境目。

感受性は人それぞれ。


2003年08月17日(日) 今以上でも今以下でもなく、

ずっと、雨降りだった。

会社自体がお盆休みだった彼と、彼に合わせてお盆に夏期休暇を取った私。14日の夜から本日の夜まで一緒にいた。
この2年8ヶ月、USJに行ったとき以外はもっぱら晴れの日デートが多くて、『晴れ人間』を自称していた私たち。なのに、今回のお盆デートは関東圏、連日大雨。挙句、大雨洪水雷警報。加えて、土砂崩れ。

レンタカー借りてドライブして、海かプールで泳いで、行けたら日帰り入浴できる温泉まで足伸ばして。昨年と同じ花火大会の花火見て、家の近所の公園でもふたりでちまちまファミリー花火して。1回はラブホテルにお泊りして。時間が余ってしょうがなかったら、映画館かレンタルビデオショップにでも行って。

という、いつもどおりの大雑把な計画も、総崩れ。
朝夕問わずなんだか冷え込んでいて、カレンダー上では真夏なのに裸で寝るなんてことはできず、長袖着て掛け布団で身体をしっかり包み込み、互いの熱で眠りにつく日々。
外食しても酔っ払って雨の中、というシチュエーションも嫌だね、と昼食だけ外食で、朝食と夕食はほとんど自宅で、という感じだった。

普段のデートよりも家にいる時間が長くて、ふたりだけでいる時間がやけに濃密だった今回。

あなたへの愛情は"好き"メモリから、±ゼロ。


2003年08月13日(水) 生きること、生むこと、育てること

抱きながら、泣きそうになったことも事実なのだけれど。

訪れたときの、同期の赤ちゃんは4ヵ月と19日。あやすと笑い、とてもかわいい容貌だった。よだれをたらしながら笑う富士山型の口元、むちむちのあご、薄く小さい乳首、おもちゃみたいに小さい手、輪ゴムをしたような手首、むっちりした太もも、皮膚の薄い足先。首すわりはあともう一歩だった。
同期の保健師仲間と代わる代わる回し回し抱っこし、みんなで同期宅でお茶をした。同期が愛飲している、ネットで見つけたという授乳・乳腺炎対策ブレンドのハーブティー。飲みやすい癖のないハーブティーで、おいしく飲めた。

就職1年目で授かったはじめての子どもは、計画的ではなかったけど生みたいと思って産んだ子であったと。出産がこんなにつらいものだと思わなかったと、産後の身体というのが想像以上に動かしにくいものだったと、気が狂いそうになったり産後うつ病になる気持ちが分かったと、誰一人として妊娠したことのない保健師たちに、知識はあっても経験のない話を聞かせてくれた。

乳児と母と父と友人たちと、なごやかで、やわらかくて、やさしくて、穏やかな時間。

乳腺炎にかかったり子どもの泣き声に悩まされたりと、産後の不安定な精神を、夫、親姉妹、行政保健師や民間助産婦をうまく使いながら子育てをしているひとりの女性。だけど、職場の理解は得られずに、産休中でも育休中でも「会議をするから来られるようなら来い」と、行かざるをえないような口調で呼び出されていると。そして、行けば行ったでいやみを言われたり。

結局、女性は"母"という地位を手にしてしまったら、本人の望む望まないに関わらず"母"の役割を押し付けられてしまうのだ。ひとりでは子育てはできないというのに、"生んだものは育てるべきだ。母が子を1番見るのは当然のことだ。子育ては母の仕事だ。だから、子を産んだら仕事は辞めろ"という価値観の元に。
そんな価値観が普通に横行している部署にいながら、しなやかに強くなっている彼女を感じた。

子どもの成長を見たいから仕事を辞めるとか3年育児休暇とるという手も、1日中子どもといるのは大変だからとか仕事は辞めたくないからと子どもを保育園に預けて働くという、そういう手も、みんなありだと思う。"母"が育てなければならない理由など、ない。"母"が育てなくても子は育つ。

自分なりの子育てを


2003年08月07日(木) 運命の人

そう、もはや運命、人生交わりまくり。

実際のところ、行政保健師が交われる人たちは、ほんの一握り。本人や家族から何らかの訴えのあった人、病院や産院や他都市から連絡のあった人、健診や検診で何かを把握された人、に限られてしまう。
私は老人保健だけでなく母子保健も担っている保健師なので、妊婦さんや産婦さん、児と触れ合う機会がある。

高齢者の場合は、地域の老人会などの健康教育や介護保険申請時に保健師のことを知ってくれることが多いようだ。

一方、比較的若い人が保健師を1番身近に感じてくれるのは、やはり子どもの健診のときであろう。だけど、実はその前から交流は始まっている。母子健康手帳の交付と両親学級だ。
保健師はいつだって同じ事務所にいるとは限らない。保健師の働く場所の多い市町村では転勤だってあるし、訪問や出張もあるのでいつも事務所の窓口にいるわけではない。だから、その地区や母子保健担当者が必ずしも母子健康手帳を発行するわけではないし、両親学級や新生児訪問や健診につくわけではない。

だから、どの段階も同じ保健師、ということは稀。1人しか保健師のいない職場でも、滅多にないであろう。5人職員のいる事務所に詰めている私も、未だかつてそんな母児はいなかった。しかし、初お目見え。2年目にして初の、現段階どの受付も私、という母児が。母子手帳の交付も私、生まれましたの手紙受付も私、新生児訪問も私。しかも、母も私を覚えていた。

お子さんは男の子。

…次は乳児健診ですな。


2003年08月05日(火) 出し入れは慣れ

無料体験実施中。

物品準備の為に倉庫と事務所の微妙な往復をしたり、調味料棚から瓶を取って使ったらすぐにしまうとか、介護保険申請の書類そろえも、セックスも然り、慣れなのだと思う。
5年ぶりにコンタクトを使ってみようと一念発起してみた。ちょうど近くの眼鏡屋で『すべての使い捨てコンタクト、無料体験実施中!』との広告を目にし、ならば行ってみるか、と。

食事以外のものを身の内に入れる行為は苦手だ。5年前、成人式に合わせてハードコンタクトレンズを購入したが、半年持つかもたないかくらいで目が炎症を起こし、嫌になってしまった。ただでさえ普段手では触れないような粘膜に、異物を置くという行為はかなりの勇気がいる。
勇気を振り絞ったのに、炎症。痛いし痒いしゴロゴロ異物感はあるし、レンズがずれたときなどは最悪だった。どこにあるのかわからないこともあったし、見つかったはいいが動いてくれないときもあり、まさに、ストレス。

だけど、愛用していたノンフレームのめがねが最近調子が悪く、1代前のめがねを着用している。新規購入を考えてもいたのだが、まずはコンタクトでもいいかと思った。しかし、毎日出し入れしなくてはならない。それがちょっと億劫ではある。
手入れが面倒なのでワンデイタイプを無料体験させてもらうことになった。しかし、なんと、店先でレンズの出し入れ練習分両眼2枚+2日分しかくれなかった。…無料体験ねえ。

どうなることやら。


2003年08月04日(月) 雨降る青い森の中で

旅の思い出。

気温。
金曜日の夜に神奈川の我が家を車で出発して青森に行き、日曜日の夜に新幹線"はやて"で神奈川に帰ってきた。昼間の気温差、ざっと10℃。昼間の気温が19・20℃だった青森。夜間でも25・26℃近い神奈川。足して2で割ってやりたい。

ほたて。
小雨降る青森の土曜日の夜、佐々木(仮)家は"柿源"という市内のホタテ料理屋にいた。目をつけていた魚介を食べさせてくれる店が、早々にネタ切れになって閉店してしまっていたからだ。腹を立てたりがっかりしょぼくれている家族を、「ホタテ料理好きでしょう?」と引率していった私。自分はホタテ、生も焼きも揚げもあまり好まないのに。普段では考えられないような行列だったようで、お店の若いお姉ちゃんたちが驚いていたのが印象的だった。

ねぶた。
雨が降ったり止んだりの中、はじめて、目の前で見た。大きいものは本当に大きくて、迫力があった。ただ、雨よけにビニールがかけられたねぶたが多くて、それだけが残念だったのだけれど。こうもりとうさぎとかえるの、鳥獣戯画をモチーフにしたねぶたが私のお気に入りになった。

温泉。
妹が、友人たちと一緒にしょっちゅう入りに行っていると言っていた。青森は温泉の宝庫だ。沸いているそばから湯につかれる。うらやましい。十和田のかんぽの宿で日帰り入浴してみた。雨が結構激しかったので、十和田湖には行かなかった。

新事実。
"コンビニは24時間営業"から程遠い青森に、マックスバリュという24時間営業スーパーがあちこちでお目見えしていた。昨年は、住めないなどと暴言を吐いてしまったが、今年は撤回する。万が一住むことになってしまってもどうにかなりそうだと。

以上。


2003年08月01日(金) 佐々木(仮)家の人々 〜 無謀計画、行く末は過労

半拉致。

カエのように、両親が離婚して実母がカエとその弟をとりあえずは囲ったまま親権争いの最中、実父と父方祖父母に小学校前で車に連れ込まれそうになった、なんて経験のある人もいる。私の場合、そんな深刻な状況ではないけれど、本日17時、就業時間ぴったりに、職場前まで両親が車で来る。

そのまま、車で青森へ。

高速道路使っても10時間以上かかる車の旅。青森に住む妹に会いに行き、そのまま車で帰省させるそのついでな旅。両親と妹はゆっくりできる。だけど私は、車の運転手の頭数に入れられているだけで、仕事の都合上3日の17時台のはやてに乗って一足先に帰って来なければいけない身。気がついたら一緒に行く計画を立てられていて、なんとなく断りきれなかった。
私の青森滞在時間は一体どれほどのものになるのだろう・・・。しかも私、痔持ちなのに・・・。

しかし、関東が肌寒い中、わざわざ青森に行く意味があるのでしょうか? 私を含め、なんだかやる気の薄い佐々木家は、本当に今年はねぶた祭り見に行けるのでしょうか? 宮城で頻発している地震に巻き込まれる危険性はないのでしょうか?

すべてにおいてわかりませんが、行って来ます。しばらく離れて生きていたので、私を軽く超すあのマイペースな両親にどれだけうまく対応できるかと不安がありますが、自分のペースを崩されてもなるべくイライラしないように頑張りたいと思います。

それでは。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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