人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2002年12月28日(土) もう一度キスしたかった

愛しき彼は今日、職場の大掃除が終わったその足でうちに来る。

昨晩、MステにB'zが出ていた。私には不意打ちなことだった。新聞も見ないで、テレビチャンネルを回すだけ回して、最近歌番組なんて見てないなあ、とたまたまつけておいた番組だったから。
先日の3連休は、ドライブの間ずっとB'zをBGMとして流していた。彼も私も好きなのだ。

ホテルのカラオケで、彼は1番好きな歌だからと、この歌を歌ってくれた。『もう一度キスしたかった』。話す声とはまた違う、少しかすれた声で。男の人が歌う声は、時々こちらをゾクリとさせるような色気があって好きだ。

メロディーも歌詞も、好きな曲だと思う。
だけど。私はその歌に、何を思ったのか、何を感じたのか。
過去の恋愛で感じた想いに胸が詰まるのか、彼との未来を案じられているようで悲しいのか。
涙が溢れた。

またもや、精神的に弱っているみたいだ。精神の波はいつも穏やかではなく。目に見える出来事がなくても、自分でも捕らえきれない想いに足を取られてしまうこともある。

彼は、私がさよならを告げたら、何も言わずに、引き止めることもせずに、「分かった」と言う人だ。
この2年になる付き合いの中で、そういう、土壇場では必死になれない人だと理解した。一生懸命になるのは、私を繋ぎとめておくことにだけ。
迷いながらでもひと言別れの言葉を口にしたら、絶対に私の腕を強く掴んではくれない。大事な人との別れが寂しくて、悲しくて、それ以上に傷つくのが怖くて、動けなくなる人なのだ。じっと自分の殻に閉じこもり、悲しみを封印しようとする人。
だから、惹かれたのだ。強く強く、一緒にいたいと思った。ひとりにしたくないと思った。子どものような、私以上に不器用な生き方が、放ってはおけない気分にさせた。
彼の、前向きじゃない歩み方にずるいとも思う。だけど、私はそれに惹かれてやまない。

今朝、彼からもらったCDを出し、この曲をかけたらやはり涙が溢れた。
・・・よく考えたら、公用車で事故を起こしたとき、ラジオでこの曲が流れていたような気がする。

彼を好きな気持ちは変わらなくても、私の気持ちは上に下に横に揺れて揺れて。

どこまで行くんだろう?


2002年12月27日(金) 白衣の天使と患者さまとの恋

一種、恋愛だったのだと思う。

職場で看護師保健師助産師の免許取得状況と就労状況を書く書類が回ってきて、ふと、看護婦時代のことを回想してみた。
私の免許取得時と働いていた頃は『看護師』ではなかった。それ故『看護婦』じゃないとなんか気分出ないので、ここでは『看護婦』表現で。

看護婦時代、実のところ、好意を抱いた患者さまが数人いた。それは性別にこだわることのない、身の内から自然に溢れる好意で。
私が看護婦として勤めていたのは、総合病院の紹介制予約制外来と、その後、8人以上の大部屋しかない老人病院の病棟だった。だから、対象者は常にたくさんいたのに、好意を持ったその人のことだけはとてもとても印象に残っている。

総合病院の外来は、町医者ではちょっと対応しがたくなったケースばかりが来ていた。咽頭がんや喉頭がん、ひどい副鼻腔炎、メニエール病など、手術を必要としたり、抗がん剤や対症薬剤の定期的点滴適応の方が多かった。
毎日毎日、様々な患者さまが入れ替わり立ち代り来る。疾病が異なれば用意するものも異なる。そのたび、カルテを見て患者さまの疾病情報を得、医師の診察セットと点滴セットを用意していた。

点滴は、週1の人もいるし、2ヶ月に1回の人もいる。だから、再び出会う回数は週1の人の方が多いが、必ずしもその人の名前を覚えているわけではない。2ヶ月1回の人でも、その人との関係が成り立っていれば、とても鮮明に印象付いている。

点滴は500mlボトルであれば、大抵2時間かけて落としていた。その2時間、患者さまのほとんどはベッドに横になり、眠っていた。外来者用のベッドのある部屋は、ちょっと冷える、診察室から少し遠い、奥の部屋だった。だから、毛布をかけたり、足元にまた布団を重ねたりと、そういう心遣いがとても必要な場所だった。部屋に様子を見に行き、「もう一枚追加しましょうか?」等の言葉かけは、やはり心が通いあった人がベッドにいるときのほうが多かった。

老人病院でもそうだった。痴呆で、もう家族のことさえ分からない、排泄も自分ではコントロールできない男性でも積極的に対応していた人もいるし、それなりに自立していて、決して話し方も態度も嫌な人ではないのになんとなくベッドサイドに行くことを遠慮してしまう人もいた。

患者さまには平等に接しろとは言うが、こちらもやはり人間なのだ。ある程度のところまでは平等にできるのだが、素の部分で見ると、やはりそれに左右されるところが出てくる。
私が好意を抱いていた人たちは、今頃何をしているのだろう?
メニエール病のお姉さんは、咽頭の抗がん治療していたおじいちゃんは、いつも誰かのために泣いてくれた痴呆のおばあちゃんは、童謡が好きだったおじいちゃんは・・・。

一時の、大抵の場合はプライベートで連れ添えぬ好意でも、心に残ったものはとてもあたたかく。
治癒しない疾病や障害を持った人ばかりと接するのは嫌だと、看取ってばかりは嫌だと、看護婦なんか辞めたいと泣いた日々を思い出し、少し前の今より精神的に若かった自分を感じる。たまたま私の勤め先が、治癒して帰っていく人たちの場所ではなかったせいなのだ。

医療・看護・福祉分野から私、逃げなくてよかった。


2002年12月26日(木) 車も凹、私も凹

公用車で事故ってみました。

住んでいる人数よりも車の台数の多い、馬鹿でっかいお屋敷に訪問に行った帰り、公用車の軽自動車1台走るのもだいぶ難ありな細い小道に迷い込み、50メートルほど進んだところでにっちもさっちも前に進めない状態になった。
こりゃ、バックしかない・・・と、仕方がないのでのろのろとバックし始めた。超小道で人家も少ない場所だったので後続車などあるわけもなく、ゆっくりのろのろストップしながら自分のペースで後ろ向きに走っていたわけなんだが。
あ、ようやくここで方向転換できる?ってところでハンドル切ったところ、普通そこじゃないだろう?っていう部位を小さな駐車場(個人所有)のポールにぶつけた。

ちょっとね、車の角っこがへっこんじゃった☆

ポールは無傷。強いて言えば、公用車の塗料がちょっとついちゃったくらいのものだった。かすり傷すらなかった。

よかった・・・中にあったリムジンとか、ポルシェとか、クラシックカーとか、読めない外車とかにぶつけたんじゃなくって。しかも、その駐車場の所有者の妻(ポルシェに乗る、毛皮の婦人。バックから覗く財布からは札が溢れていました・・・)は余裕の面持ちで平謝りする私と事務職の方に向かい、「別に構いませんよ。そちらの方が大丈夫ですか?」って感じだった。

市民の皆さん、こんなことで税金使ってごめんなさい。


2002年12月25日(水) 午前0時のラブコール

深夜に静かに鳴り響いた電話のベル。

誕生日おめでとうと。自分の15年後に生まれた奎佐と出会えてよかったと。愛しているよと。とても大事だと。いられる限り一緒にいようと。

聞きなれた、普段は口が悪いけれど、私に対してはやさしい、やわらかな声が、そう言った。

ありがとう。本当にありがとう。

この世に生を受けたことを、私、絶対に後悔したりしない。


2002年12月24日(火) 本当に、しあわせになれるのであれば

同じ出来事なのに、国内と外国ではかなり印象が異なった。

『あなたはやって来る 〜Dear Santa〜』という曲がある。以前、日記に書いたことがある、小谷美紗子という人の曲だ。タイトルどおり、クリスマスの曲である。
だけど、このクリスマスソング、決してしあわせな歌詞ではない。
争いの場所にも月が見える様に
争いのあとにもサンタ(あなた)はやって来る
どんな過去があろうとも
このごろここでは意味の違うX'mas
わたしと彼氏のためだけの日じゃない

という歌詞から始まる。

今日、あるお宅へ訪問に行った。母自身も被虐待の過去があり、ドメスティックバイオレンスがあり、父からの乳児虐待がある、そんな家庭へ。
1歳2ヶ月の子どもがいるのに、クリスマスなど縁遠い家だった。母児に暴力をふるう若い父の金遣いが荒くてお金がなくて、ケーキどころではない状態だった。外に一歩も出られないところまで追い詰められていた。
話しているうちに、感情の高ぶった母に泣かれた。児には母を泣かせたと、言葉にならぬ声で責められた。

帰路、街行く人がしあわせそうだった。シングルクリスマスだなんて、自分を茶化せなくなった。

虐待されるのはその人が悪いんだなんていわせない。男を見る眼がなかったんだなんていわせない。気の持ちようだなんていわせない。

戦争や、国自体の貧しさで、日々死んでいく人たちがいる。だけど、日本のように、大半の人が『クリスマス』という行事を楽しんでいる国もある。けれど、その国の中でも、その行事を楽しめる状態でない人たちもいるのだ。

『しあわせ』がいつかは来るのであれば、早く来て欲しいと思う。


2002年12月20日(金) ゴミ屋敷に行ってみた

ちょっと前まではテレビの中だけの話で、私には関係ないと思っていたんだが。

就職してから、いわゆる『ゴミ屋敷』、門のすぐ内側から何年分ものどんなゴミでも外に捨てずに大事に取ってあるお宅に遭遇すること数件。
夏場は生ゴミの腐るにおいに死にそうになったけど、今はもう、涼しくなってだいぶいい季節になってきたといえる。まあ、ある程度あの、ゴミの腐敗するにおいに慣れたともいえるのかもしれないけれど。

お歳暮とかの箱も、黄ばんだ新聞紙も、たたまれていない洗濯物も、洗われていない尿瓶も、シンクからあふれ出る食器も、コンビニ弁当の容器も。なぜかゴミらしきものが入っている透明ゴミ袋も。全部全部が山積み。
そんな風景、見慣れてしまった。

人の通る道もなかいほど乱雑に物が置かれている部屋に通路を作れたときの喜びといったら。
何年もゴミの山の向こうにあって開けられなかった窓を開けたときの開放感といったら。

先日、またも新たなゴミ屋敷を発見☆

本当は非衛生的な生活送ってると、健康を害しやすいはずなんだけど、何年もそういうところに住んでいる人って、病気知らずなんだよね。家中ほこりがすごいし、風呂釜も中汚いし、野生化した動物たちまでも室内に入ってきちゃうなんて素敵な環境でも、冷蔵庫の中にとうの昔に賞味期限の切れたものが入っていても、喘息になることもなく、少々古いもの食べても腹も壊さず、平気。元気。
だから、どっちかっていうと、病気より加齢に伴う心身の衰えの方がやっかいになってくるんだよね。

そういえば、以前、ジップロックのCMで、整理がうまくできていない冷凍庫から凍った食品を取り出し、『・・・昭和の日付です』って驚くシーンがあった。
だけどあれ、笑い話ではなくって、実際よくあることなんですな。

まさに、日々是人生事件。


2002年12月19日(木) 電話1本で助かる生もある

一本の電話すら、真剣勝負。

電話相談、というお仕事もしている。私の肩書きは市町村で働くPHN(保健師)なんだけれど。
家庭訪問とか、所内の乳幼児健診とか、健康教育教室の他、電話で相談乗ったり、乳幼児健診とかで気になる親子と知ったときなどには、こちらから直接電話して「お子さんどうよ、発達順調?」とか「離乳食はじめてるだろうけど、悩んでるんじゃないのー?」とか「そろそろ介護疲れしてない?」とか「ひとりでいつまで頑張るつもりなのよ?」とか、そういうのをもっと具体的に、やさしくやわらかい口調で電話にて聞く、そういう業務もある。

電話で聞くだけだなんて楽だねえ、なんて思っちゃ困る。いろいろと気苦労の耐えない業務なのだ。今の状況をうまく伝えられない人もいるし、言葉の出始める時期をだいぶ過ぎても単語をひとつも言えないのに「うちの子は大丈夫です」って言われたり。留守電セットしたままで、居留守を使われることも多々あるし。



ところで、友人保健師が、あるお宅に新生児訪問に行った。赤ちゃんが生まれてから約1ヶ月以内には、小さく生まれたわけでなくても希望があれば家庭訪問をする。友人はただ、赤ちゃんとそのお母さんの様子を見に行くつもりで「こんにちはー」と笑顔でその家のチャイムを押した。
帰るときには、彼女はたくさんの情報を抱えて帰ることになったのだという。
お気楽若年未婚産婦。ミルクの飲みの悪い低出生体重児。祖父母・兄弟共に受診・服薬管理のうまくいっていない精神疾患患者。曾祖母はかなりの痴呆高齢者。
彼女もどっから手をつけたらよいのかものすごく迷ったらしい。優先順位をつけるのも一苦労だったようだ。
なによりも、記録の整理、関係機関との調整をするのが大変だったという。

私も、そんな彼女に負けない出来事にぶち当たった。

離乳食のうまく進んでいない肥満乳児。被虐待経験者であり、DV(ドメスティック・バイオレンス/夫婦間暴力)の現被害者でもあり、精神的不安定になっている母。子どもにも妻にも暴力をふるう夜な夜な遊び歩くダメ父。

私はただ、子どもの発育状況確認のために「離乳食どうですか〜?」って電話しただけだったのに・・・あわわわわ。
まったくもって、気が抜けません。

だけどね、SOS信号出されないと分からないこともあるから、つらかったらつらいと言って。

ちゃんと受け止めるから。


2002年12月18日(水) 妊娠して欲しくないひと

妊娠というより、出産かしらん?

以下、あくまで個人的見解なのです。

妊娠自体を望んでいなかったし様々な背景から妊娠継続の出来ない人。学生など立場的に妊娠したら困る人。自分が育てている他児に対して虐待している人。年齢や内実が未熟な人。夫がいないとか無職とかで一定収入を得られないような経済不安のある人。治療・服薬管理のうまくいっていない精神疾患のある人。身近な支援者が不在の人。子を生み育てる自信のない人。将来の見通しが『どうにもなりそうにない』人。上の子の障害を受容していない人。etc

子どもを産み、育てることで強くなれる人もいるけれど、それはやっぱりその人たちを支える何かがあるからであって。ひとりの力でどうにかなるものではない。
両親、伴侶のどちらかの強い支援は不可欠で、他に血縁者、友人など、だれでもいいのだけれど、ボランティアや行政以外の支えもあれば子育ては至極うまくいく傾向だ。
実際の手でもいい、精神的支えでもいい、経済的支援でもいい、できる範囲で親子を支援していただければ。

子どもを育てる道を誤ったり、それをを放棄した人たちがどんなことをするか、想像できます?
身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクト。
子どもたちに心身に傷の残るようなことされたり、この世からなかったものにされるくらいなら、もういいのです。ある程度の年齢に達するまでは、手厚く手厚く、かわいがって、思ってくださっていいのです。しつけはそのあとです。
ダメだと思ったら、とっとと手放してください。互いのためです。
というか、その前に産まないように、妊娠しないように、っていうのが重要なんだけど。

大丈夫、心配しないで。私の仕事はまだ他にいっぱいあるから。決してくいっぱぐれはいたしませんので。

ね、心配いらないから。


2002年12月17日(火) 急性胃炎になるほど悩んでみた 〜 いつか、絶対、しあわせになろう

なんとなく、なんとなくね。

一昨日の夜は、悲しくて切なくて涙が溢れて止まらなかった。予想していた親からの交際反対宣言が現実になったことが、涙が止まらないほどショックだったことにまたショックを受けて混乱し、なお涙がこぼれた。

彼に出会わなければよかったのに、だとか、今ならまだ傷が浅いうちに別れられるかも、だとか、その夜は負の感情ばかりが身の内をのた打ち回り、そのたびにそれを打ち消す自分がいた。

実家から自宅に帰るまでの道のりはやけに長かった。貧血症状を起こし、座っても吐き気は治まらず、乗り換える駅ごとにホームにしゃがみこんだ。
朝、磯部巻きを2つ食べただけだから空腹で体調不良なのかしらと思い、水分だけでも取ろうとしたが、水分にさえ吐き気が催してしまい、それさえも断念した。
でも、水分さえ拒否する自分の身体の不調さ加減、何かに似ているなとそこではじめて気付いた。
急性胃炎なのだと、私は確信した。

数年前、「好きです」と告げようとした相手に突然先立たれたことがあった。そのときも、やはり急性胃炎になった。
吐き気。胃の重みと痛み。腸の不調。眩暈。悪寒。発熱。
挙句そのときも丸1日水分が取れなくて、脱水になり1週間の入院を余儀なくされた。
もともと、自分のメンタル面が弱いことは重々承知している。

昼頃に実家を出たら遅くとも15時には自宅についているはずが、休み休みの帰路だったために、夕方になっていた。家に着くなりすぐに布団を敷き、横になった。胃がぴくぴく動くのが分かった。胃の痛みに耐え兼ねて、腹を抱えるように丸くなって眠りについた。

それからは、1時間おきくらいに目が醒めたり眠くなったりの繰り返しだった。悪寒から発熱に気付いて体温計をくわえたら、38℃近い熱が出ていた。水分とって汗かけば熱が下がるなあと、ほうじ茶にうめぼしを入れて、ゆっくりとだましだまし飲んだ。そしてまた寝た。起きるとパジャマがびしょぬれになっていたので着替えた。強い悪寒は止んでいた。37℃半ばに落ち着いていた。そして、また眠りについた。23時半くらいだったと思う。それからは、6時まで起きることはなかった。

気持ちが落ち着くと、自然に身体の方も落ち着いてきた。昨日は午前中いっぱいは有休をもらっていたのだが、昼頃には、吐き気も口元を押さえなくても平気な程度によくなっていた。一応病院に寄って受診して薬をもらい、その足で午後は会議があったので職場にも出た。
夕飯は、一昨日の朝食以来はじめて口にすることが出来た。白菜おじや。胃にやさしかった。

前途多難な恋を選びたくて選んだわけじゃない。
好き好んで親に反対されたれようと思ったわけじゃない。
反対されればされるほど、燃え上がれるほど周囲が見えていないわけじゃない。
だけど、彼を好きになったことを、いつか後悔してもいいと今は思う。
この恋を無理やりに諦めるよりも、今の自分たちにどこまで何ができるのかを知りたいと思う。

何年つきあったって結婚に至らないカップルだっている。
好きあって結婚しても別れるカップルだっている。

誰と一緒になることがその人にとってのしあわせなのかなんてこと、誰にも分からないのだから。


2002年12月15日(日) 佐々木(仮)家の人々 〜 家族会議

両親共に、真っ向から反対の意を表明。

彼のことで聞きたいこともある、と言った父。席につくなり、おもむろに紙を引っ張り出してきた。
「名前と・・・住んでるところ。 どこの市かでいいから」
どうやら、聞きたいことをリストアップしていたようだ。
私は聞かれたことを素直に答える。年齢も。出会った場所も。離婚歴も。子どもがいたことも。私から好きになったことも。2〜3年したら彼の地で就職しなおしたいことも。すべて。

両親の最初から最終的まで一貫した結論は、結婚は認めないし、彼には会わない、ということだった。彼に会ったら、それだけで交際などを認めたことになる、ということだった。
実際の彼に会わないで、私から得る情報だけで、両親はすべてを判断した。

出会い系サイトとチャットは何が違うんだと言われた。そういう目的で出会う場所だろうと言われた。お前は若いから騙されているんだと言われた。年上の男性に同等に扱われて自分は大人だと思っているんだろうと言われた。その恋は錯覚だといわれた。同情だと言われた。

私の気持ちは私のもの。好きでいることと付き合うことには口出ししないで。
それしか私には言えなかった。



そして、帰り際、電車の中で私は貧血で倒れた。つり革につかまって立っていたときだった。
あれー血の気が下がってくなー目の前が白くなってきたなー、と思った瞬間、床に崩れ落ちていた。倒れながら、手足の指先の冷えがやけに強く感じられた。目の前に座っていた20代後半くらいのお姉さんが席を譲ってくれた。謝りながら手を借りて椅子に座るなり、脂汗が大量に出ていることに気付いた。

反対されることは覚悟していたはずなのに、私の感情は現実に耐え切れなかったようだ。

まさに、前途多難。


2002年12月14日(土) 夫婦の関係、子どもの存在

あんな電話取りたくなかったと、今でも思う。

数ヶ月前のある日、職場の朝1番の電話に私が出た。
「おはようございます。○○センターです」
『おはようございます・・・すみません、健診の通知がきたんですけれども』
女性の声だった。
我が職場では、乳幼児の健診は3〜4ヶ月、1歳6ヶ月、3歳6ヶ月の3時期に行っている。
大抵、健診の通知に関して問い合わせがあるときは、日にちや時間の変更は出来ないのか?といったものが多い。
「お子さん、おいくつですか?」
『来月で1歳7ヶ月になります』
「じゃあ、×月○日で連絡いきましたか?」
『あ、はい・・・それで、その日、まだ入院していると思うので、行けないんですが・・・どうしたらよいでしょうか?』
「入院ですか?お子さん自身が?」
子どもの入院も結構多い。私の受け持っている地域では、小児喘息や心臓疾患で入院する子が後を絶たない。
『はい・・・』
「日にちの変更は出来ますから、退院のめどがついていたら教えていただけますか?」
『まだ・・・退院できるかも決まっていなくて』
「・・・お子さん、どんな状態なのか聞いてもいいですか?」
場合によっては、母のメンタル面のフォローもする。だから、私は聞いたのだ。でもまさか、あんな答えが返ってくるとは思わなかったのだ。



電話口で聞いた母の悲鳴と嗚咽が、時を経ても私の耳から離れない。
母自身だって自責の念でつらいのに、夫からも、夫の両親からも、『お前が悪い』と責められて。故意にしたわけではないのに。

子を持つ夫婦の絆とは、なんなのでしょうか?
子ども中心? 子どもがいたら、相手である妻や夫を労わる気持ちは薄れてしまうの?

子どもの頃はつらいときこそ支えあえるのが夫婦だと思っていたけれど、最近ではそうじゃないことを直に知らされる。

だけど、私を救ってくれる存在もある。
あなたがまた日記を書き始めてくれて、私はとてもうれしい。

私も、前に進もうか。


2002年12月12日(木) 傷ついている人をさらに傷つける第三者の存在

最悪だ。

昨日、嫌いな男が日記を書き始めたことをとあるアクセスランキングで知り、ものすごい衝撃を受けた。名前すら、見たくなかった。

某氏を嫌いって、なんで嫌いなのか、ちゃんと理由がある。
私は一時、まだ自分で日記サイトを作る前、とある遠距離恋愛HPによく書き込みをしていた。
そのサイトには、男女の性の営みに関する相談をする部屋があった。私は、卒論がそっち系のテーマだったし、もともと興味があって勉強していたので、ある程度の知識はあった。だから、そこに書き込まれた質問によく答える書き込みをしていたのだが、そんな中、奴に出会ったのだ。

カンジダは、健康な人の身体にもいますってばさ!

私は今でも、繰り返し彼にはそう叫んでやりたい。

『男性は彼しか知らないのにカンジダにかかってしまいました。これは彼からうつされたということでしょうか?』

といった若い女の子の書き込みに対し、その某氏は言い放った。確か、以下のような言葉だったと思う。もっと、直截な言い回しだったかもしれない。とにかく、第三者が見ても、彼女に救いのない言葉だったのは確かだ。

『そりゃ彼氏にうつされたんですよ。ご愁傷さま』

・・・はい?
そりゃ、彼氏が原因かもしれんが、女性の身体が弱れば常時潜んでいる膣内で突然猛威を振るうのが、このカンジダだ。
何度もHP(『日常茶話』)内で言っているが、カンジダはSTD(性感染症)のひとつとされてはいるけれど、この感染経路はパートナーからばかりでは、決してない。日和見感染だって多いのだ。抗生物質を飲んでいるだけでも起こるのだ。

私も何度か罹患経験があるが、あれはすんごい痒い。しかも、おりものというより、チーズ状のいやな感じの塊が下着につく。匂いだってある。
しかも、受診は産婦人科。行きなれない人にとっては、あの診察用椅子だって、恐怖の椅子になるであろう。
挙句、軽くても1〜2週間、毎日膣内に錠剤を入れ、軟膏を塗布しなけりゃならない。
ましてや、彼からか?彼がどっかでなんかしている可能性があるのか?と戦々恐々しているかもしれないのに。
そんな苦しみを味わっている女性に対し、これ以上にないというほどの冷たい書き込みはどうだろうか? 私なら出来ない。思いつけない。

せめて、一緒に受診してみては?とかそういう言葉はなかったんだろうか?
私は彼の書き込みのその下に、私なりの言葉を重ねたのだが、それを登録した直後にその掲示板を見たら、私の書き込みより先に、彼女が『もうここには二度と来ません』との言葉を返していた。
彼女もどこかで救われていればいいのだけれど。

この例だけではない。素人が答えることもあるHPの掲示板なんかでは、嘘や間違いが飛び交っている。そして、励ます言葉も傷つける言葉も同様だ。
私は、疾病、特に性に関することには、とても敏感だ。絶対に相手を責めてはいけないと思っている。
例え相手が間違っていることをしているとしても、私にはそれを直に指摘し、怒るには、『しかれる関係』になってからでないと言えない。

デリケートな問題を扱うには、回答者になれきれないのに回答しようとする人間が確かに存在する。
根拠なき回答は、やめていただきたいのだ。

思わず遠距離恋愛系サイトを見に行ったら、未だ、あんな人間がHP内で性に関する質問を受けていた。男女の機微はどうでもいいが、疾病に関しては絶対に答えていただきたくないと思う。たまたま疾病関係の書き込みがなかったので目にはしなかったが、某氏が書き込んでいてそれがまたちょっと勘違いものだったら・・・メールしていたと思う。
疾病というのは、罹患した本人、もしくはその身近な人にしか分からない『苦痛』なのだ。痛みをわからぬ人間が、自己満足のために回答するなと、私は言いたい。

だから、私は回答に限界を感じ、あの遠距離恋愛系サイトから去ったのだ。

そして、氾濫する情報の選択も、すべて個人の自由であることを、ここに一緒に述べておく。感情的言葉に、傷つけられぬよう、自分を守るのは自分であることを。

私の基本は人にはやさしく、時に厳しくなのだ。


2002年12月10日(火) クリスマスのもうひとつの意味

街のイルミネーションが眩しすぎ。

私には、クリスマスに男と過ごした思い出がない。強いて言えば、お父さんがいたくらいだな。
なぜか過去、男がいてもクリスマス前に別れていた。なので、クリスマスは家族、もしくは女友だちと過ごすことばかり。

現彼と出会ってから、今年で3度目のクリスマスになる。
1度目は彼に片想いしていた。2度目である去年は平日だったので彼の仕事の都合で無理だった。3度目である今年も、平日。お互いに仕事があって、会えない。
比較的、有給のとりやすい職場なのだけれども、乳幼児健診や高齢者自立支援事業等の行事があるとよほどのことじゃない限り、諦めざるをえない。残念ながら今年のクリスマス前後には『クリスマス会』というものがあって、高齢者と幼児と集う予定になってしまっている。

遠距離恋愛の弱いところは、こういうところだ。近くに住んでいれば、せめて1時間以内に会える距離であれば、イベントの日の夜に「ちょっとだけ」と顔を見ることもできるだろう。
だけど、私たちは片道3時間以上の時間と、万単位の移動費がかかる。「ちょっと会う」ことなんて、できない。

だけど私、クリスマスなんて本当はどうでもいい。確かに12月25日という日に、彼といたいけれど、それは、クリスマスのためなんかじゃない。
12月25日は、私の誕生日なのだ。

別に、誕生日に男といなくてもいいじゃない、と言われればそれまでだけれども。でも、誕生日というものは、生まれたときからその人にとっては特別な日であって。例外なく私にとっても、大事な日であり。

だから、いつか、いつかは、きっと。


2002年12月09日(月) 未来は雪だるまか氷の彫像か

もう、凍えて雪だるまになるしかない。

本日の横浜(神奈川県)の最高気温6℃、最低気温5℃。
ネット検索の結果、msn天気予報がそう申しております。なんだかよく見ると雪だるまのマークがあるのは、私の目が疲れているせいなのでしょうか? と思いながら就寝したのが夜中のこと。
起きたら、身体が冷えていました。というか、カーテン開けたらもう雪は降ってました、ハイ。初雪。

多分、去年とか一昨年とかも、こういう日はあったのだと思います。
だけど、今年春を越え夏を越え秋が終わり冬になり、これはとりあえずこの冬1番の冷え込みなんでしょうね・・・私の記憶違いですかね・・・。

私、幼少時から成人するまで、某盆地で育ちました。盆地は、夏は暑く、冬は寒いのが特徴です。20年近く、そんな気候の中で生活していました。でもだからって、暑さに強く、寒さにも強いなんてことありません。

だから、もうダメです。
盆地でない関東圏だからって、こたつ布団を買っていないこの現状で、6℃なんて、雪の寒さを乗り切れるとは思えません。はんてんすら、持っていません。すでに終わっています。

ボーナスもらったら、速攻冬支度です。冬眠前のクマのように、暖を取れるブツをあちこちに蓄える予定です。

そう、室内で氷の彫像になる前に。


2002年12月08日(日) 好きなものは好き

仕事柄、マニキュアもコロンもNG傾向。

私は、指先が彩られているのが好きだ。
透明色、桃色、黄緑色、橙色、銀色、水色。描かれた花、ラメ入り、ストーン付き、グラデーション。
見れば見るほど、女の人の指先だな〜、って思う。

だけど、私は過去はNS(看護師)やってたり、現在はPHN(保健師)やっているわけで。
平日は、爪を彩るなんてこと、ペディキュアとしてつま先にしかできない。
しかも、爪が長いというのは不衛生と危険の信号である為、私の爪も、医療保健福祉従事者っぽく、きちんと切りそろえられている。
マニキュアのイメージ的には、長く伸ばされた爪に施されているのが一般的であろう。

だけど、自画自賛傾向なのかもしれないけれど、短い丸いかわいい爪が彩られているのは、結構好きだ。かえって長くとがったり四角いスクエア型に削られているよりは、短く丸々っこい方が若々しくてかわいいと思う。
私は料理もするから短い方がいいし。気分的に長いのがいいと思えば、付け爪もあるし。でも、長いと衣服やチャックに引っかかりやすいし、はがれる危険もあるから、私のようにがさつな人間には合わないような気もする。

コロンも好きで、海外に行くたび、免税店で小さなセットを購入してきてしまう。今や、25本。
雑誌なんかでよく取り上げられているものは、ほとんど勢ぞろいって感じだ。
手首や腰、くるぶしなんかにつけて、ほのかに香る感じが好きだ。
だけど、職場ではできない。本当、休日だけの楽しみ。
平日私から匂いたつのは、汗と(赤子を抱いていると暑いし、自転車で訪問することもあるので)、シャンプー・リンスと(モイスチャーミルク入り)、手洗い石鹸と(薬用石鹸)、時にアルコール(消毒用)のにおいだ。
これでは、妙齢の殿方にはまったくもってもてない。まあ、着飾っても、赤ちゃんと幼児とその両親とその祖父母と、高齢者に会う日々だからな。見てくれる人もいないわ。

同じ市の職員でも、役所の窓口嬢は地味めの色合いでもマニキュアをしているし、ほのかにいい匂いもしている。
女性らしさ、全開だ。
私といったら・・・「どちらかというと、母性が溢れている」と賞されたり。乳児健診のときなんか特に、家に帰っても乳臭いし。まあ、いいんだけどさ。

だけど、毎日やれる状況でも、きっとこの性格ゆえ毎日はできないだろうな。毎日だと、周囲から「当たり前に求められる」感じにもなってしまうだろうし。

たまにだから、なおさら好きなんだ。


2002年12月06日(金) 子は親の背を見て育つのだから

子は親を映す鏡。

母の髪を引っ張り、叩くというよりは殴り、「お前なんか鬼だー」と叫んだ3歳男児。
彼の母は、間違っても子を叩くことの出来ない、口でしかることも出来ない、エネルギーのない母で。彼を制止できぬまま、彼に引きずられ、いつもうつむいていた。

保母が母に尋ねた。彼はいつも母に乱暴するのかと。
母は保母に答えた。夫からも同じことをされていますと。

通報を受ける前から、気にはなっていた。明るい表情の少ない母ではあるなと。力ある賢い児に、振り回されているなと。

彼は、自分の父が母にぶつけるその暴力行為を、犯罪と知らずに見て育っているのだ。母は、彼らにされるがまま。

あなたは何も悪くない。
あなた自身のためにも、児のためにも。

もう、黙って耐えるだけではダメ。


2002年12月05日(木) 昔の話なんかじゃない

映画『GO』を見て、考えてしまった。

小学校2年生のとき、九九暗記テストがあった。毎日毎日、ひとりひとり、担任の前で「イチカケルイチハ・・・」から「ククハチジュウイチ」までずっと言わなければならない。1回間違えたら、もうそこでアウト。
先生も大変だったろうが、生徒だって大変だ。ちなみに私はクラスでびりを取った。もっと言えば、足し算も引き算もクラスで一番最後まで理解できない生徒だった。
まったくもって輝かしい過去・・・。

そんな私の担任の先生は、とってもひいきする先生だった。賢い子をかわいがり、私のように出来の悪い子は目に入っていないような先生だった。
これは、私の被害妄想ではなさそうだ。その後、その先生は「ひいき」問題でPTAから吊るし上げを食らっている。
そんなわけで、私も差別経験者。



同和。4つ下の我が妹はこの単語を高校に上がっていても知らなかった。
部落。私の短大の同級生にこの単語を知らない人がいた。
えた・ひにん、職場の同期もこの言葉を知らない者がいた。

私がこの単語を知ったのは、小学生のときだった。学校では教わらなかった。父が、役所に置いてあった部落差別が題材の漫画を私にくれたのだ。
父は何を意図して私にそれをくれたのか。成人してから、あれは家庭内教育の一環だったのかと父に尋ねたのだが、父はそんな漫画のことは覚えていなかった。
だけど父は、「バカチョンカメラ」という言葉を使ってはいけないと言っていたことだけは覚えていた。小学校で覚えてきた言葉を、親にはじめて使ってはいけないとたしなめられた、あの記憶。バカチョンカメラの意味を聞き、ひどく傷ついたことを記憶している。

大学の心理学で、外国で行われた「差別とはどういったものか?」ということを教える授業について話を聞いたことがある。ひとつのクラスをふたつに分け、片方をすぐれたグループ、片方をダメなグループに分け、それぞれの立場で一日ずつ過ごすというものだった。
私はこの授業のやり方は、少々乱暴であるが、個人的には好きな授業進行法であると思う。このくらいしないと、人は差別される者の痛みなど分からない。

私の今の勤務地は、いわゆる「部落地域」だ。ネットでも、そのことについてたくさん載っている。一部の人間に、差別されつづけている。役所の中にさえ、その地域に昔から住む人たちを差別している者が、年齢が若くても存在している。
地元の人の話も聞く。地元から少し離れた地での就職困難、婚姻破談。
まさか今でも、と思うような、でもあってもおかしくないと思うような。実際、まだ差別は根強く根深く残っていて。

私だって差別する。
就職しておきながら仕事をしないで遊んでいる人。子どもを産んだにもかかわらず育児を放棄している人。
だけど、たいした理由もなく人を差別したりしない。それなりに根拠があってする。

部落出身者だからって何? 同性愛者だからって何? 生活習慣病罹患者って何? 年齢が若い親だからって何? 大学出てないからって何? 寝たきりだからって何? 片親だからって何? 年の差のある恋愛だからって何?

「その人自身」を見ないで、過去に囚われ、失われつつある家族機能の体裁に縛られ、その立場にある人を無差別に差別する人はいる。

ねえ、差別ってどうよ?


2002年12月04日(水) 佐々木(仮)家の人々 〜 泣ける場所はお風呂場しかなかった

賛成される恋だなんて、思ってはいなかったけれど。

2週間前、父に彼がいることを伝えた。
もう2年の付き合いになること、来年の春くらいに会わせたいことを。
近況報告メールにそっと、添えた。

父からはそのメールに対し、返事はなかった。

先週、実家に戻ったので、父に「メール見た?」と訪ねた。笑っていた父の顔が、すぐに難しいものに変わった。
詳しいことはメールには書かなかったけれど、父は母に彼について尋ね、母は知っていることを答えたのだろう。

遠距離恋愛であること。10以上の年の差があること。相手がバツイチであること。

「お前はまだ若いから・・・」と父は言った。
「最初から賛成されないことは分かっているよ」と私は言った。
その日は私も父も別々に出かける用事があったので、後日ゆっくり話そうということになった。

私は出かける前に、お風呂に入った。実家では、お風呂場しか泣ける場所がなかった。



昨晩、母からメールがあった。
『お父さんがなるべく早く話したいので、来て下さいとのことです』



周囲の者を傷つけたくて、彼を好きになったんじゃない。
彼と両親の間で泣きたくて、彼を選んだんじゃない。

だけどこの恋は、最初から間違っていたんだろうか?


2002年12月03日(火) たまには毒を吐きたい気分にもなる

「ああ、佐々木さん、☆シングルクリスマス☆前で心がひどく貧しいんだな」と思ってくださるとありがたい。

自分のことは棚に上げておきます。今日は、そんなもの棚の上に放置で言います。

カップルが街中でいちゃいちゃべたべたしているのはいいです。いいっていのは、構わないってことです。していて結構ですってことです。
抱きついていようがちゅうしていようが、私にとっては街路樹か銅像みたいなもんです。
ただ、許せない例外もあるのですが。

超細工の悪い女性が、これまた超細工の悪い男性と、これでもかこれでもか、ってくらいしな垂れかかって触って触らせて、の場面に遭遇いたしました。
しかも、普通の遭遇ではなくて、ライブハウスの中で。私の斜め横で。一歩横にずれれば腕が触れ合うくらいの位置で。

こんな女性にも彼氏はできるんだ、って最初は思いました。だけど、彼氏のほうを見て、世の中ってうまくできているんだなあ、って思いました。
で、そんなふたりでべったりしているのを見て、いやあな気分になってしまいました。
ほっぺたつつきあったり、相手の腕をとって自分の肩に回したり、胸元に「の」の字書いたり、相手の髪の毛に顔をうずめたり。

・・・うがっ・・・

ええ、ええ、仲のよいふたりの仲に嫉妬というより、気味の悪いもの見せつけられた、って感じですかね。

だから、あんまり細工のよろしくない人は、人前ではあまり抱擁しあったりする肉体的愛情表現は避けたほうが世のため人のため自分たちのためではないかと思いまして、ここでちょっと発言してみました。



・・・毒吐いてごめんなさい。
棚に上げておいた自分のことは床に下ろします。積もったほこりは払わずにおきます。というか、今から地下掘って自分、深く埋めてきます。

そういうわけで、明日、また出直してまいります。かしこ。


2002年12月02日(月) Last Live 〜 the FIELD OF VIEW

昨晩は赤坂ブリッツに出没してみた。

高校時代にはまり、カラオケでよく歌っていた the FIELD OF VIEW が9年間の活動に終止符を打った。
その最終活動であるライヴに、高校時代の後輩であるユッコとふたり、出かけてみた。
それというのも、ユッコは彼らのファンクラブに入るほど彼らが好きで、「ラストだから行こう」と誘われて、「まあ暇だし」と行くことにしたのだ。
そのライヴが、昨日あった。

実際のところ、曲は全部知っているわけではないのでライヴレポートにもならんので、題名から察してライヴレポと思った方には申し訳ないんだが。

まあ、何度も言いますように、私は容姿ではなく歌重視の人間。
顔が見えようと見えまいと全然関係なかったのだが、ユッコに連れられていい場所にいてみたりして。テープが頭に落ちてきたり、風船受け取めてみたりして。
そして、知っている懐かしい曲には、昔の記憶を引き出された。

ところで私、オーケストラ好きみたい。前にエレファントカシマシで斎藤ネコオーケストラが共演していたときも感動したけど、今回もオーケストラが入っている曲には特に胸が震えた。
歌声とバイオリン等の木の楽器のやさしい音色ってとっても合うんだよねえ。だから、 SWEET BOX がG戦場のアリアに歌詞つけてバイオリンをバックに歌ってたのも、すごい好きだった。

そうそう、ラストということで、号泣する婦女、男泣きする男性をお見かけした。いえ、いいんですよ・・・それだけ心身注げられたものがあるってことはいいことですよ。ただ、度が過ぎている場合の見苦しさは否めませんでしたが。

今回のライヴで学んだことは、やっぱり立ちっぱなしってきついね☆ってこと。
もう、若くないんだと実感・・・

まだ24歳なのか、もう24歳なのか。


2002年12月01日(日) 新宿の夜、歌舞伎町

先週の金曜日の夜、歌舞伎町に行ってみた。

歌舞伎町の一角にあるバラエティパブ『黒鳥の湖』。
そう、それは、雑誌でお見かけしたり、はとバスツアーの日程に組まれていたりする、あの有名オカマ(店員さんが自らそう紹介していたので、ここでもあえてオカマと称する)パブ。このたびはじめて知ったのだが、なんとまあ、23年の歴史があるらしい。
そんなお店にひと月ほど前から予約して、母と2人で行ってきた。

地下2階。入り口の受付で名前言ったら、きれいにお化粧したおにいさんに案内されていざ店内へ。
ショーが売り物なので、舞台をぐるっと囲ったテーブル配置だった。
舞台を見やすい、ど真ん中のテーブルに着き、食事5品と飲み放題。食事は思っていたより味がよくて、ちょっと感動してしまった。

きれいなお兄さんは見ていて目の保養になる。どうやったらひげが生えるなんてこと感じさせない化粧ができるのだろうか。毛深い私にも、是非ご伝授頂きたい。
オカマさんたちも、「ああ、こういう人いるいる」って感じの女性っぷりで素敵な感じで。全体的にちょっと筋肉質なんだけど、ドレスやヒールがよく似合ってた。

ショーはなかなか楽しかった。なんでも、最近内容が変わったばかりらしい。なんだか店員フル出場って感じで、着替えとか大変そうだった。
胸も、豊胸手術している人も何人かいて、みんな小さめで白くてかわいいの。ある意味、私も自信を持ったりして。
下半身を取っている人なんかは水着とか着てたんだけど、足なんか鍛えられた美しさがあった。
全体的にいやらしさはほとんどなく、そこそこの踊りと華やかな衣装と乱暴だけど憎めない毒舌トークが印象的なショーだった。

タイのオカマは背が高くてごつくて胸がでっかくて、って感じだったけど、『黒鳥の湖』は、それに比べるとコンパクトで女性的でかわいかった。ああ、日本だなあって感じ。

そして、発覚した衝撃の事実。
オカマの趣味が母と一緒だった。
あんなに人がいたのに、なんで同じ子を選ぶかな・・・その人、決して美人でも格好よくもないんだけど、なんか目を惹かれるタイプだった。少しぼんやりした表情で、愛想はそれほどない、幼い感じのする『彼女』。
私たち、男の趣味は合わないのになあ。

そんなこんなで楽しかったので、今度は『ギャルソンパブ』か『六本木金魚』に行こうと思う。

嗚呼、本当、成人しててよかった。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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