一度だけの人生に
ひろ



 老化について

さて、良い歳になっても、人は変わらないなぁと思う。


つくづく、年月は人を変えるようでいて
そんなに変わらないのではと思う。

人は年月では変わらない
ただ、自分の意思や好みを現実に、今の生活に、
反映できるか否かはその時の環境によるということではないか。


つまり、その時々の周りの環境によって、
本来の自分を表現できるか、主張し得るかという問題を
常に抱えていて‥その間を行ったり来たりしてるだけではないか

単なるその表出の強弱が、
他人にしてみれば経年による変化ととらえられて、
表出できなかった環境から、できる環境に変わったことを、
また、自分にとっても経年による変化だと思ってるに過ぎないのではないかと思う。



それは、端からみても、自分から見ても、
変わったようには見えるけど‥


人は年月では変われない
変われるのは外見だけ





2020年11月30日(月)



 メディアというものについて

テレビとか、新聞とかメディアというものについて、
関わりのある仕事について、初めてわかることかも
知れないと思うが、メディアというのはホントにひどい

過去の私の記事をみると
「あー、いわゆるエセ保守ね」と
断定されるかも知れないが、そうではなくて‥

日本には人種がほぼない
日本には言葉の壁がほぼない
日本には黒人奴隷制度ほどの差別はほぼない

こう書いただけで、メディアからは激しい反発が来そうだ 笑


つまり、日本には血や言葉、出自に関する差別は
あるにはあるが、ほぼ無いと言えるくらいに無い。
(外国人に対する差別は、さておき)

いや!ある!という人もたくさん日本にはいます

じゃあ、アイヌ出身だから他と差別されて、
警察官から殴り殺されることが日本であるか?
青森弁を話したことによって、それによって就けるべき職業に
就けないということがあったか?
そんなことがあったら大問題だ。
実際、そんなことは無いと言えるくらいに無いんです。

これらはあくまで、極端な例です。ですが、
そんな風に、実情として、日本の国内での日本人に関して
ほぼ無いと良いえるくらいに無いことを取り上げて
あたかもそれが大問題で、横行してるように報道するのがメディア。

その思想の中心部は何か。結局、弱いものの味方主義なのです 笑
弱いものの味方は、弱い者の支持を得て、かつ、いつ弱い者に転落するかも
知れない、今現在、弱い者じゃない人の支持も得る。
唯一得られないのは、弱い者に転落し得ないと思ってる強者からの支持です。

とにかく弱者は、怠惰であっても、無能であっても、
弱者ゆえに救われるべきであって、
そして救われるべきであるがゆえに常に正しく、

そしてとにかく強者は、勤労で有能であったとしても
強者ゆえに分け与えるべきであって、
そして人に分け与えるべきであるがゆえに常に間違っている
ということです。

この考え方をつまり、共産主義と呼びます
共産主義と呼ぶとイメージ悪いので、ぼかしてリベラルと呼びます


2020年11月29日(日)



 ノーインタリスティングライフ

That's right.
None of you smoke anymore.
You all live long, dull, uninteresting lives.

(そうだったな。
お前らはタバコすらも吸わなくなったんだったよな。
ただ長いだけの、クソだるい、つまんねー人生を送れよ)

2020年11月28日(土)



 コロナ劇場2

もともと、テレビはあんまり好きじゃないけど
消えてると静かすぎて嫌だから、なんとなくつけてる。

どこの局もコロナコロナと連日。
もういい加減にしてほしい。

コロナでの世界の死者数130万人とか。

結核は1800年代に発見されて、とっくにワクチンもあるけど
今でも世界で年間平均160万人くらい死んでるらしいですよ。

ガンでの死者数は世界でみると年間1000万人弱、
亡くなってるみたいです。

緊急事態宣言解除の後も、あれだけ1人で騒いでた
小池都知事が、なぜ今、騒がないのか。
今よりももっと少ない感染者数だったのに、
今は時短営業も要請しない?なぜ?

理由は想像に難くない。


ただ、メディアだけが、いつまでも不安を煽る。
その方が面白いし、視聴率も取れるし、権力批判に使いやすいから。
少ないとはいえ、亡くなる人もいるのに、「こんなの大丈夫っすよ」とは
誰も言えない。
人気商売のメディアは煽る、人気だけで飯を食ってる政治家はますます
「たいしたことないのに‥」と思いつつも、ホントのことは言えない。
そう明言したら、明言したことの責任を問われるからだ。

せいぜい、小池百合子のように、「気を付けろよ」と言いつつ
時短営業の要請はしませんという結論になる。


有識者会議の誰々だの、どこぞの医師会だの、
いわゆる医療の専門家が、メディアで好きなことを言ってる。
彼らは「医療の」専門家だから、医療的側面から、
間違いのない、無責任な言動を好きに言える。

私に交通事故に詳しい専門家の肩書きがあって、
メディアから取材を受けたら、私はこう言いますね、
「交通事故に慣れないで、甘くみないでください。
この3連休は秋の我慢の3連休と思って、事故にあわないように、
不必要に自宅から出ないでお過ごし下さい」
こう言われて、誰か従いますか?
ただ、交通事故の専門家としては間違いのない提案です

ちなみに、日本のコロナ感染者は今のところ12万人(全く無症状が多く含まれる)、日本の昨年の交通事故の負傷者(=病院で診断書がもらえるくらいの怪我をした人)は46万人

コロナ死者数は約2000人弱
交通事故の死者数は3000人越え

なぜ、交通事故の専門家である私の言葉は、今、聞かれないのですか?
今、コロナ渦にあって、今まさに聞くべきは交通事故の専門家の意見です。
これが若い人ほど致死率が高いというガンの専門家なら、より一層、真剣に聞くべきですね 笑


2020年11月19日(木)



 コロナ劇場

今年の、コロナ劇場はホントにおもろい

この現象は、日本の政治が、マスコミが、日本の世の中が
どういう風に出来てるかを端的に表している。

そろそろ一年、コロナで今までに亡くなった人、日本で約1920人

一方、毎年、インフルエンザで亡くなる人、日本約で3000人

一方、毎年、交通事故で亡くなる人、日本で3000人以上
これ、事故から24時間以内に亡くなった人ね。24時間越えると、この数字には入ってこない。

毎年、ガンで亡くなる人、日本で約37万人

うちの子供には、とにかく交通事故には気を付けろと、
機会があるたびに、言い聞かせてる。

世界中の製薬会社が、世の期待に応じて、また、お金もうけのために、
コロナのワクチンを何にも優先して開発してる。
日本の行政は、本来何年もかかる認可を、特例で短縮するみたいだ。

最近、注目を浴びることがある、筋萎縮性側索硬化症
日本には今、約1万人いるとか。みな、遠からず、ほぼ亡くなる運命にある。
治療法は無い。とはいっても、薬の開発が急がれてるとも、聞かない。
認可が特例で速くなるということも聞かない。


一体、これは何だろうと思う
炎上商法という言葉はSNSが流行ってから出来てきたものと
も思うけど、いつのまにか、全てが炎上商法。

とにかく、マスコミとか、声の大きい人がやべーやべーって言えば
それがトレンド。人気商売の政治家なんて、なおさらそれに従う。
何倍もの罹患者がいて、そのほとんどが亡くなる運命の人のことなんて、
問題ではない。
トレンドじゃないからね。

僕は、家族に、コロナはともかく、交通事故には気を付けろと言い続ける



2020年11月17日(火)



 人生に必要なおもちゃ

不良少年とキリストの中で、
坂口安吾は「生と死を論じる宗教だの哲学に、正義も真理も、ありはせぬ。あれは、オモチャだ」
と断じている。

オモチャとは何か。
遊びの道具。
遊びとは何か。
究極的には「暇潰し」だと思う。

そう思うときの思い出すのは、
パスカルの言葉。

パスカルと言えば、パスカルの原理が有名なせいで、
そんなイメージをもてないけれど、実は非常に哲学的な人だ。

「すべての人間の不幸は、部屋に一人で静かに座っていられないことに由来している」
これはパスカルの言葉。

人は無為に、部屋に1人で静かに座ってはいられない。
あーだこーだと考え出す。座っていても、思考は止まらない。

そんな時に何を考えるか。決まってる。
孤独と後悔について。

パスカルの言葉は、もうちょっと広く解釈できるだろうけど、
「いられない」っとニュアンスから想像できる。



宗教も、哲学も、所詮はオモチャ
そして恋愛もね


こんだけ、宗教のオモチャにとりつかれた世界なら
恋愛っていうオモチャに取りつかれた人が多くても、悪くないね

2020年11月11日(水)



 後悔でしか認識できない自分の価値

このブログは、私の大学時代の記事がメイン。
その中で、当時書いてなかったことで、
今、思い起こすことかあることについて
書いておきたい。
20年目のブログってやばくない? 笑

当時から、今もそうだけど、
僕は喫煙者でマルボロライトメンソールを
吸いつづけて、はや22年。
当時の大学って、建物の廊下とかに
灰皿があって、平気で喫煙してた。
今じゃ考えられないけどね。


過去の日記を読んでもらえたら、
分かると思うけど、とにかく、僕は
自分で自分が嫌いで、他人に好かれるとは
全く思わなかった。そんなわけがないと思って
生きてきた。

真面目な高校時代を過ごして来たせいで、
大学生になって、見た目だけは枠を外れてた。
長めで赤茶の髪と、当時は珍しかった、整えた眉。
ふてくされた態度 笑
いわゆる、当時で言う不良

内面は全くそうじゃなかったんだよね

それはともかく

入学式のときに、近くにいた女の子

まさに、当時で言うと「ギャル」って感じの女の子
ぶっちゃけ、ギャル感をさっぴいても、すごく可愛かった。
見た目の属性?的に近かったのかな

同じクラスで、同じ中国語学コースで、同じ委員になってた

そして、彼女も喫煙者


いつも同じ場所で過ごした



記憶にあるのは、次の授業まで、1時間だったり2時間だったりした時。
同じ場所で、椅子に座って、チェーンスモークして、遠くの景色を見ながら過ごしたこと。二人きりで。お互いに一切、喋らずに。
全く喋らずに、ただ単に、チェーンスモークして二人で過ごした。

こんなに長い時間、チェーンスモークなんて、当時も今も、
不快すぎる!と思う 笑
かといって、喫煙を続けなければ、そこに留まる理由もない。

当時、こう思っていた「この子、なんなんだろう。どうして、どっかに行ってくれないんだろう。タバコを吸いたいなら、他の場所も近くにあるはず。」
自分の側にいるなんて、不快だろうと思ってた。

今思うと、あーそうだったのかなと思う。

違うかも知れないけどね

私が言いたいのは、とにかく、私の人生は
自分に自信がもてなかった。
そして、そのために、何を失ったろうか。得られたかもしれない何を見過ごしてきたのだろうか。

そう後悔しつつも、私は、歳を取り続け、劣化し続けてる。


年齢には年齢に見合った価値があるという。

ホントか?

そして、ますます怪しくなるよ。今の自分に価値はあるのか?

後悔でしか認識できない自分の価値について

2020年11月09日(月)
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