一度だけの人生に
ひろ



 観念だけの人生

「お前は苦労を知らないから・・・」

母がそう言ってました。
「苦労知らず」の一言で片がつきそうです。



2003年11月30日(日)



 承認願望

「子供は凡人にても、お叱りなさるまじく」


この言葉がどうにも頭から離れない。

子供にとって、親から、周りの人間から認められること。
そのことがどれほど大切なことなのか、
太宰を見て、また自分や、
自分の周りの一部の人を見て、痛切に感じる。


人に認められようと、
必死の努力を続けて、そしていくら頑張っても、
どうしても自分の価値を肯定できなくて、苦しむ。


あれだけ人気が出て、
そしてあれだけの業績を残した
太宰も、結局最後までこのことに囚われて死んだ。


子供は凡人にても、お叱りなさるまじく。

決してお叱りなさるまじく。

2003年11月29日(土)



 時間

自分の時間は無限に続くと思っているから、
こんなに生きていくのが億劫で、辛いように
感じるのかもしれない。

自分には、明日が必ずやってくるという誤解。
そんな簡単な間違いを訂正できずに
過ごしていることが、案外に、
一番の問題なのかもしれない。

坂口安吾は、時間とは
自分が生まれてから死ぬまでの間の
ことだと言いました。


時間は永遠じゃない。
僕たちは必ず死ぬ。



だから安心して、生きて良い。

2003年11月28日(金)



 卒論3

僕はなぜ太宰が自殺したのかにはあまり興味がない。

経済的な逼迫した理由の場合も含めて、
自殺はいつでも衝動的なものだ。
どんなに綿密に計画していたって、
あらゆる準備を怠らずにしていたって、
結局は衝動でしかないんだ。

例えば、ある夜に酒を飲んでいる。
泥酔して、しかも感傷のあまりに川原まで言ってみる。
行ってみて、ふと「飛び込んでみようか」と思う。
なぁに大丈夫さ。ドボン。死んだ。

そんなものだと思う。「ふと」が全てだと思う。


色々な本を読んだ。
彼の死後五十年で出た論文、評論、評伝は
すでに「論文全集」がでるほどに大量だ。

かなりの量を読んだけれど、
一番説得力があるのは
結局、坂口安吾の『不良少年とキリスト』だと思う。



太宰の遺書(とされる文)にある言葉、
「子供は凡人にても、お叱りなさるまじく」


この言葉が僕の論文のキーワードです。


「凡人でも、偉人でも、天才でも、
出来が良くても悪くても、
そんなことに関わりなく、愛してください。」

と言う言葉です。

2003年11月27日(木)



 髪を切りました。

ばっさりと。
こんなに短いのも久しぶりかな。

卒論、卒論、卒論の毎日で
気分がどうにもくさくさしてやりきれないので、
思い立ったら吉日生活、すぐに髪を切りに。

けっこう驚いている人が多かったです。
「雰囲気が全然違う」っと。

誰かが言っていました。
「髪が長いと人に目を見られないから良い。」
僕があまり髪を短くしなかったのもそんな理由でした。
見つめ合って話をするのはとっても苦手なんです。


しかし・・・なんかインテリ医大生
みたいな感じになってしまいました。
ちょっと髪型を考えないと、
この感じはどうも自分の趣味にあわない・・・。

まぁ髪型なんてどうでも良いんですけどね、
みっともなくさえなければ・・・。



発表のレジュメ作りに手間取って、
卒論が全然進まないという本末転倒なここ3日。

2003年11月26日(水)



 詩的

言葉と言うのは不思議なもので、
それは僕らの教養の無さゆえなのかも
知れないけど、普段「あまり耳慣れない」使い方を
してみると、なんだか含蓄のある、不思議な雰囲気をもった
文章に見えてしまったりするものです。

そう言うものはいわゆる「詩的」と言う
こととは違うと思います。

僕の日記でも、読み返してみると
ちらほらそんな箇所が見受けられて、
読み返すたびにとても恥ずかしく、
いつも消してしまおう、あるいは修正しようと
思うのですけど、それも僕の「若い気取り」の一つだと思い
手を加えずにとっておいてあります。

じゃ詩的と言うことは
どう言うことなのかと言うのは
それもいまいち判然としないものですが、
今のところ「気取り」が感じられるか否かと言うことに
僕はその判断基準を置いています。


読んでいてこっちが照れくさくなるか否か。
あるいはその文章の背後に見える筆者の表情。


う〜ん、観念的過ぎるか・・・。

2003年11月25日(火)



 ネット日記のさが

友達とネット日記について話をした。
僕の見解と友人の見解は全く一緒だった。

ネット日記では「演説調」こそ当然で、
むしろ自分に語りかける方式こそ不自然。
つまり誰かに訴えかけるように
文章を書くのが当たり前だということ。

ネット日記において読み手を無視した
文章は逆に不自然であり、無神経で、キザも良い所。
そんな日記はワードで打ち込んで、
ハードやCD―Rなどにでも保存しておけば
良いわけで、そちらの方が「良心的」であり、
また当然であると思う。


ネット日記は決して「日記」じゃない。
そろそろ断言しても良いと思う。


そもそもからインターネットと日記の間には
相容れない矛盾がある。

2003年11月24日(月)



 人間のレール

あの強烈なロマンチストであった
太宰治を幾人か、決して少なくない人たちが
「太宰は概してリアリストであったと思う」と
評している。その根拠を見ると、やはり僕が
前にこの日記で書いたように
「究極のリアリストこそロマンチストになる」
と言う考えと似たり寄ったりのようです。




この世の中の不可解な構造と、
人と人の間の馬鹿馬鹿しい距離を
肌で感じることの出来る間はまだまだ未熟。

そりゃそうだけれど、
いまさら何をかいわんやと言う心境こそが
円熟した人間の姿。簡単に言うと「諦めなさい」
悪いことじゃないし、愚かなことでもない。
汚れているなんてとんでもない。


少しずつ大人になっていく。
その内には、僕も、今の僕みたいな
青年を「まぁまぁ」となだめすかして、
「まだまだ幼いな」と呆れた顔で苦笑していることでしょう。


何も、悪いことじゃない。

ちっとも悪いことじゃない。

2003年11月23日(日)



 悲しい人は良く笑う

Iさんに会いました。
Iさんは僕より三つ年上の院生です。

心理学実験の被験者を頼まれて、
実験台にされました。

「元気?」
「うん。元気だよ。ありがとう。」

元気?って言う問いは
あんまり好きじゃない。
元気じゃないなんて、まじめな顔して
応えられる人がいるだろうか。

それでも僕も、彼女も
お互いに訊く「元気?」

訊いた方も訊かれた方も
少し悲しいような、優しいような、
不思議な微笑をしている。


人と人は不思議。
互いに愛し合っていても、
こんな風に、互いに遠慮しあって、
悲しく、頼りない、心細い距離を保たないといけないなんて。


明るく笑って、
今回の、いわゆるパニックを
起こしたことについて話していました。
話しながらもしきりに
「大丈夫、大丈夫」と繰り返していました。

別に気にもせずに流したことでも、
「あ、でもそれは別に大丈夫なんだよ。」っと。
「いや、別にそこは気にしなかったけど」
と笑いながら言ったら、
「ひろおは感受性の強い子だからさ。
些細なことでも、いちいち断っておいたほうがいいと思って。」
っと笑いながら言っていました。


しきりに笑っていました。
かえって以前と違う、そのあまりに明るい雰囲気に
僕はなんとなく不安と悲しさを感じました。


「ひろお。ハグしてやろうか?」
「は??なんでよ?」
「いや、ハグしたくなってさ。」
「いや、だから何でよ??」
「今回、自分がそうなってさ。なんとなく
今までのひろおの気持ちが実体験として少しわかったっていうかさ。
いとおしくというか、可愛らしくなったのさ。ハグしていい?」
「う〜ん。まぁ良いけど。」


「そんじゃあ俺、ゼミ室に戻るね。」
「被験者になってくれてありがとね。」
「いやいや、別に良いよ。」
「ううん。ありがと。」
「そんじゃ近いうちにコーヒーでも飲みながら、
ゆっくり話しようよ。」
「うん。そうだね。そんじゃもう一回ハグするか?」
「え?なんでよ?ホントに大丈夫なん??」
「いいから、いいから」
「う〜ん。」


「お母さん、お姉さんだと思って、私に甘えていいよ。」

「おかんにも姉ちゃんにも甘えたことないからなぁ」

「ふふ・・。そうだったね。お前両方ともいるんだよね。」



僕らの間には恋のコの字もありません。
彼女にとっても僕にとってもちっとも恋じゃありません。
けれども僕は、彼女を愛してると思う。
そして愛されていると少し、感じる。




会ってから別れるまで、
僕らはお互いにずっと笑っていた。

2003年11月22日(土)



 馬鹿馬鹿しくって

友人からメールでこんな文章が届きました。
「早く死ねよ」
メールは表情が分からないだけに、
冗談だとは分かっていてもなんだか悲しくなりました。


ここ一週間くらい
1日おきにお酒を飲んでいます。
アパートには今、空の一升瓶が六本、
五合ほど残っている一升瓶が一本、4合入りの瓶が一本。
今日も多分飲みます。

飲んだってどうにもなりません。
あまりに分かり切ったこと過ぎて、
そんなことを言う友人が無性に腹立たしくなる。



自分が馬鹿馬鹿しくって。


そんなこと言ってないで、
黙って毎日粛々と生きていく苦労をするのが
立派な大人ってものですよ。


なるほど偉いですね。何が楽しくって・・・。




ほんの目先のことについてさえ、
まったく空っぽな自分がとても不安です。


卒論で「分裂した自意識」と言う言葉を使いました。
なんだ、自分のことじゃん。



僕でも、刑務所に入ったら、
世の中がやりたことばかりになるのだろうか。
そう言う施設があったら、案外に悪くないのじゃないかと思う。




「酔って、神通川にでも飛び込めば?」
そんな話を笑って出きるうちはまだ大丈夫。


こんな文章は「自殺のほのめかし」ってことになるのかな?

怒らないでよ。


別に死にたい訳じゃないよ。



自分の生き方が馬鹿馬鹿しくって。

2003年11月21日(金)



 良い子

僕は良い人ですかと
みんなに聞いてまわりたい。

みんななんて言うだろうか。
「良い人ですよ」と言うだろうか。
「そんなに良い人でもないですよ。」
っと言うだろうか。


僕は良い人じゃなくて「良い子」なんだ。
今までは何となく良い子も良い人も同じだろうと、
歳を取った良い子を良い人と言うのだろうと、
安易に考えていた節があった。
ちょっと考えれば分かることなのに・・・
良い人と良い子は全然違う。

僕は良い子。良い人なんて、そんな良いものじゃない。


僕の唯一、本当に唯一の悪いところは
「人に甘えようとするところ。」
人に甘えるところではない。
全て、僕の目標の最終地点は「誰かに甘えること。」
何かを苦労して、我慢して、
そしてその分だけ人に甘えたいと思っているんだ。


やりきれなくなった。
てんで子供な自分にやりきれなくなった。
そして、そんな理屈が分かっていても、
僕の中の価値観は、まだ全然変わっていない。
それ以外の幸せを僕は知らない。
がっかりする。嫌になる。

何を考えても、理解しても、間違いに気づいても、
僕は相変わらず同じ所で同じ風に考え、行動して、
同じように転ぶ。そしてまた同じことに気付く。

理屈じゃないんだ。
僕のやっていること、考えていること、感じること、
その中の間違いを僕は知っている。
確かに知っている。けれども僕は変わらないんだ。


脳裏に浮かぶとでも言ったら良いのか、
本能的に回避するとでも言ったら良いのか、
それともただ単に惰性と言うべきなのか、
それは分からないけれど、分かっていても出来ない。
分かっていても感じる。分かっていても怖い。


ノロノロと、そしてビクビクしながら、
「良い子」を止めるために毎日、毎日
べそかきながら少しずつ変えようと努めています。

けれどもちっとも変わりません。



2003年11月20日(木)



 物書き志望ブーム

とでも言ったら良いんでしょうか。

出版業界に就職した先輩が言ってました。
「最近は自分が書いたものを
とにかく人に読んでもらいたいって人が
多くて、しかもそのレベルが低くて、
業界の方じゃあまり相手にしてないんだよ。」
「小説って言うよりもなんか内容のない
【俺のこと知って。知って。】って感じの文章ばかりでさ」

「多分、あんまり本を読んだことがないんだよ。
ドラマとか漫画とかの安易な、凡庸な話の中だけで
育ってきてるから、そんなレベルの発想しか出てこない。」
「ここでこんな風にすると【ドラマ的】、【感動的】
そんな感じの型にはまった展開ばかりで、
みんな必ず同じような流れの話になるんだよね。」


先輩も僕も本が好きである。
先輩が学校にいた頃は
僕もその、「文学青年」の本性を丸出しにして
文学談義に興じていたものだった。


太宰、鴎外、田中英光、中原中也、宮沢賢治、芥川、鏡花、
梶井基次郎、嘉村磯多、北村透谷、菊池寛、志賀直哉、
葛西善蔵、横光利一、大岡昇平、有島武郎、坂口安吾、
田山花袋、井伏鱒二、石川淳、三島由紀夫、織田作之助・・・

もちろん僕も彼も、全員の全作品を読んだわけじゃない。
そしてもちろん全員がお気に入りって訳じゃない。
特に当時、僕は完璧な太宰病患者であったから、太宰病患者と
小林秀雄病患者に特有の「これだけが良くて他はダメ。」
と言う強い贔屓があって、先輩には多少話し辛い思いを
させたかも知れない・・・。
けれども覚えている日本人だけでも、これだけの名前が
僕らの会話には出てきた。他にもチェホフやらプーシキンやら、
ドストエフスキー、トルストイ・・・。


別に読書量を誇っているわけじゃない。
むしろ、今の世の中そんなに小説ばかり読んでいるのは
人から見ればマイナス要素だと思う。
けれども、せめて小説家を志望するなら、
小説を読んで欲しいと思う。
いや、小説を好きであって欲しいと思う。
考えてみれば当たり前の話だと思うけれど。



2003年11月19日(水)



 卒論2

太宰の随想「感想について」を読み、
そして卒論を書いていながら思うことがある。

僕は太宰の小説や随想や
その他年譜、聖書、書簡を使って、
太宰に僕の望む、あるひとつの表情をさせようとしている。

太宰のことを書いていながら、
いつの間にか自分の事を書いているような気に
なってくる。

自分の思う方向に太宰を導いているような
そんな感じ。

それは感想であれ、論文であれ、
仕方のないことだとは思う。
けれどもなんとなくつまらない思いもする。

書いていながら思う。
太宰はただの甘えん坊、夢想家で感傷家。
友達が言っていた。
「金に困ることのない
お坊ちゃんが書いたと言う感じたっぷりの・・・」

それはますます、強く思う。

けれどもそんなお坊ちゃんの言うことの中に
どうしても苦労人が否定できない何かが、
太宰本人曰く「盗人の三分の理」と言う、
その「三分の理」が確かにあるような気がして、
それを自分なりの方法で明らかにしたいと思う。


「まかり間違うと、鼻持ちならぬキザな
虚栄の詠歎に似るおそれもあり、または、
呆れるばかりに図々しい面の皮千枚張りの詭弁、
または、淫祠邪教のお筆先、または、
ほら吹き山師の救国政治談にさえ堕する危険無しとしない。」

                太宰治『父』


僕の卒論もそんな危険を無しとしない。
いや、おそらくほとんどそんなものになるだろうと思う。
そしてまた三分の理を明確にしても盗人は盗人。
この世の中の、秩序と倫理に沿って
【正しく強く】生活している苦労人からの
嘲笑と面罵は免れない。苦笑され、呆れられると思う。

けれども「孤独と焦燥の地獄」である青春の締めとして
この地獄の悲鳴と、悲鳴の中の小さな「本当」を
探し出して、書いてみたいと思う。





2003年11月18日(火)



 親殺し

あれはどれくらい前の事件でしたっけ。
大学生の男が女子高生と一緒に暮らすために
家族が邪魔だから包丁で切りつけて、
母親が死んだって言うあれです。
多分まだ取調べ中なのだと思うけれど。

TVでは毎日「理解不能」や
「ネット依存による妄想」、
「現実とバーチャルな世界の
区別が付いていない一人歩きな妄想の果て」
というような憶測が流れていました。
なんだかんだと言って最後には
「とても私達には理解できませんね」
と言う言葉で話が終わることがほとんどだったと思います。

当人じゃないから
僕もよく分からないけれど、
そんなに「全く理解できない」と言うほど
不可解な事件だろうかと言う気もします。

多分に「妄想」があるのは間違いなろうだけど。
アナウンサーやコメンテーターが口をそろえて
言っていたのは
「どうして一緒に暮らすのに家族が邪魔になるのか」
「そして邪魔だからって、どうして殺さなきゃいけないのか」

思うに彼らにとって
「家族」、特に「両親」と言うのは単なる象徴に過ぎない。
彼らを縛るもの、拘束するもの、しがらみと言うものの象徴。
「世間」「社会」「他人」と言ったものの代表。
そう言う意味で、家族を殺せば自分たちは「自由」なれる
と言う妄想があったのじゃないかと思う。
だから別に「家族が憎かったわけじゃない」と言う供述が
出てくるのではないかと思う。


自分が死んだら両親はとても悲しむだろう。
だから死ぬ前に両親を殺してしまいます。
と言う倒錯した一見、馬鹿らしい考えも実際に
人間は持つことがあるということを、理解するのは
簡単ではないけれど、そんなに難しくもないと思う。

2003年11月17日(月)



 男と女は違うもの

男と女は違うもの。
当たり前のことのようだけれど、
数年前までは実感としては分かっていなかった。
「そうだろうか」と言う気でいた。

今でははっきり断言できる。
男と女は違う生き物。

けれども最近は
男でも女みたいな性質の男がいて、
女でも男みたいな性質の女がいる。
基本的にはどちらにしても僕はあんまり好きじゃない。

世の中の「男性的」「女性的」と言う
言葉はどこか実際と違うような気がする。

あくまで僕の私見なのだけれど、
例えば一つのことについて、いつまでも
悩んでいると言う性質は女性の性質と言うより
むしろ男の性質なのではと思う。
女性のいわゆる「割り切り方」は凄いものがある。
これは僕だけのことについて言っているわけではありません。
男の方が些細なことについて気に病んで、
いつまでも割り切れずに前に進めずにいるという場合が
多いと思います。女性は気には病んでいるのかも
しれませんが、男の場合と違って、それでも進めるのです。


男女同権、男女平等と言われて
随分経ちます。女性の方から見れば
まだ全然平等じゃないのかも知れないけれど、
社会学的な立場からみて、男女平等の思想が
男性の性質的女性化、
あるいは女性の性質的男性化を生じさせたのじゃないかと
一人、勝手に憶測しています。



つまらない文章でした。

2003年11月16日(日)



 現在進行形

このごろは卒論漬けの毎日です。
昨日は十二時間かかって、
4000字書きました。
書いたとは言っても、ろくに考察や
見直しをせずにドシドシと書いただけですから
また、やり直しになるのは目に見えているんですが・・・。

起きて、卒論やって、寝るだけと言っても
過言ではないような生活です。
全く潤いも何も無い生活に、少し嫌気が差してきます。


例の如く生活時間帯が昼夜逆転してしまって
夜中にコソコソ学校にやってきて、パソコンに向かって
四苦八苦して、朝焼けの頃に帰るという感じで、
一日誰とも全くコミュニケーションをとらない日も
時々あって、「あ、今日俺、誰とも喋ってないや。」と
気付くのですが、そんな時はなんだか無性に
生活が寂しく、わびしく感じられます。

こんな生活になって初めて、
バイトでもしようかしらと意欲的なったりしてるんですが
そんな時間があるわけも無く・・・
そんな暇があるなら、卒論でも公務員試験の勉強でもやれ
ってことになるわけで・・・。


なんだか片想いでもしたい気分です。
でも、彼女はそれほど欲しくない(謎


2003年11月15日(土)



 女子バレー

卒論の息抜きに
友達二人とご飯を食べながら
女子バレーをみる。

「中国強いなぁ。歯がたたないじゃん。」
っとかいいながら、見ている。


友人A
「しかし、数年前と比べて
最近の全日本女子は可愛い子増えたね。」


「全体的に若いからじゃねーの?」

友人A
「それもあるだろうけどな。」

友人B
「ちなみにお前らどれが好みよ?」

(下司な話だが男同士の会話はこんなもん。)

友人B
「俺は大山かなぁ。やっぱ。」

友人A
「う〜ん、杉山・・・か大山ってところじゃない。
栗原も悪くはないけどねぇ。」


「大山もいいけど・・・俺は佐々木かなぁ。」

友人A、B
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

友人B
「どこらへんがよ?」


「いや、ストイックそうなところとか、目とか。」

友人B
「ふ〜ん。そうか・・・。」

友人A
「まぁ、良いんじゃない・・・。」



ネタではありません。
正直に佐々木さんが一番好みです。


下司な話ですみません。
女子バレー、キューバ戦感動しました。
楽しめました。

2003年11月14日(金)



 走らぬ名馬

「千代紙貼リマゼ、キレイナ小箱、コレ、何スルノ?
ナンニモシナイ、コレダケノモノ、キレイデショ?
花火一パツ、千円以上、ワザワザ川デ打チアゲテ何スルノ?」

                  太宰治『走ラヌ名馬』


僕はこの太宰の随想を
ただ単に彼の芸術論として認識していたのだが、
ふと、太宰にとっては芸術こそ生活であり、
生き方であり、価値基準であり倫理であったと思い、
改めて読んだ。





「そんな生き方が一体なんになるの?」

「ナンニモナラナイ、コレダケノモノ、キレイデショ?」

2003年11月13日(木)



 気分(二度目)

「馬鹿と言われても
何といわれても自分には何の損にもならないのに
腹を立てて、人はみな自分で自分を傷つけている
しかも理屈がちやんと解っていながら
これをやるのだから人間というものは随分変なものである。」

                  塚本虎二

塚本虎二という人は
太宰が「日本で唯一信頼にたる神学者。」と
評した、内村鑑三の弟子のクリスチャンです。


と言うことは、逆もそうだと言うことです。
人に「賢い」とか「偉い」とか「素晴らしい」とか評されても
自分には何の得にもならないのに、
一人、いい気分になっている。


考えてみれば不思議ですね。

2003年11月12日(水)



 僕たちの今

酔っ払って友人にグチをメールしたら、
こんなメールが返ってきました。

「確かにお前の生き方はあまり羨ましくないが、
せめてお前には幸せになって欲しいものだ。
そして不器用な人間でも立派にちゃんと幸せに
なれるのだと証明して、俺らを勇気付けてもらいたかった。」

僕が、もうすぐ死ぬみたいな返事ですが・・・。



今、僕らは幸せな人を探しています。

勇気が欲しいから。

2003年11月11日(火)



 負け犬

「気の持ち方を、軽くくるりと変えるのが真の革命で、
それさえ出来たら、何のむずかしい問題もない筈です。」

太宰治『おさん』



以前と同じことをやっていても、
なんら生き方、身の処し方が変わっていなくても
それに対する気の持ち方を変えることが
出来たら、もう、自己改革、自分の革命は成っている。


世の流れから少しはみ出て、
自分だけの道を一人歩いていく覚悟。


損だよ。馬鹿だ。負け犬だ。
人にそう言われても、自分だけは自分を罵ることのない
そんな生き方を出来るようにと思う。けれども・・・。


「世の中に善人なんていない。
ただ、自分を殺しているだけだ。」
なんかの映画の中で出てきたセリフ。


片っ端から「自分」を殺して、
それで誰にも少しも理解されずに
のたれ死んだら、その時、僕は自分の生き方を後悔するだろうか。

2003年11月10日(月)



 主義

資本主義。

資本主義と言うと
それは単に経済体制の話だと
思う人が大学生にもなっても
ままいることには驚く。

それはそのまま倫理だ。
価値観とも言える。

そして経済が人の倫理を作るのではなく、
人の倫理が経済を作るのだ。
富貴が善。貧乏は悪。
物を多く持っている者が勝者であり、
何も持たないものが敗者。

そんなことはないと誰かが言っている。
理想、奉仕、思いやり、仁義、平等、そして愛・・・。
本当か?


愛をくちずさんで人を殺す世の中とでも言おうか


「人道?冗談じゃない。
僕は知っているよ。自分たちの幸福のために、
相手を倒す事だ。殺す事だ。死ね!
という宣告でなかったら、何だ。ごまかしちゃいけねえ。」

                 太宰治『斜陽』


気が付いたら、僕ら、
こんな世界に生まれていました。
そしてこのルールで、
ごまかしごまかし生きていくことになりました。

2003年11月09日(日)



 辛く苦しい世界

Iさんから電話が来ました。
「発狂した。」

理由は判然としないけれど、
パニックに陥ったらしいです。


この頃、僕の周りにいる人たちの
悲痛な思い、叫び、苦しさ、淋しさ、悲しさが
妙に看取できて、僕も苦しくなる。

誰か、誰か
明るく朗らかに毎日を生きている人はいないのか。
生きていくことに「余裕」を持っている人はいないのか。

いたら、僕に、みんなにこう言って下さい。
「あなた達みんな、辛いのは、今だけなんだよ。」


多すぎる。僕の知り合い、友人の中で、
心の病と言うべき状態の人間は
大学に入ってからの友人だけで、
すでに6人もいる。
僕の知り合い、友人なんてそんなに多くないのに。

病気とは言えない人も、みんな必死だ。
必死で生きてる。

そしてこれからもずっと、
こんなに必死に頑張り続け、
苦しく、寂しく、侘しい生を続けていくのだろうか。



「人生が五十年くらいで済むのは
神様の特別のお情けだよ
こんな人問が百年も千年も生きなければならないのなら
それこそやり切れない。」
               塚本虎二

2003年11月08日(土)



 恋の現実

僕の後輩の女の子S。
この子は自他ともに認める
「恋多き女」なんですけど、
見た目は中の上かあるいは上の下くらいか、
まぁまぁ可愛い子です。
相当な「恋愛幻想」の持ち主で、
周りの女友達も、さすがに
少し呆れて来ているようです。

前々からこの子は
恋をする度に僕に恋愛相談というか、
そう言う話をするんですが、
ただ単に話を聞いてもらいたいだけで、
こっちの話なんか少しも聞いていないんです。

ここ最近
好きになった男Kについても
会う度にさんざん聞かされて、
いい加減、僕もすこし鬱陶しくなってきていたのですが、
昨日、そのKが
廊下の「喫煙スペース」で他の男と女と3人で
話をしていました。

その「喫煙スペース」は
僕の演習室のすぐ外にあって、
よほど小さな声で話さない限り
会話の内容は演習室の中にいる人に聞こえてしまいます。

僕はKと顔見知り程度ですが
知り合いで何度か話もしたことがあるので、
声だけでKとわかりました。

最初はTVか何かのたわいもない話だったのですが、

男「そう言えばSってさぁ・・・」
K「馬鹿、声大きいって」
女「ハハハ・・・。」
(以下、声が小さくなる)
女「正直言って、うざいっしょ?」
男「ちょっと怖いよね。」
K「ちょっとねぇ」
K「馬鹿っぽいし・・」
女「ストーカーっぽくない?なんか。」
 「冗談で言ってみたんだけど、「どこが?」だってさ。」
 「自覚のないところが、マジストーカーっぽいよね?」


というような会話でした。
なんだかねぇ。Sも確かにおかしな
ところはあるから仕様がないと言えば仕様がないのだけれど、
話を聞いていて、馬鹿だけど、一生懸命頑張ってるって
言うのは何となく分かってたから、少しSが
可哀想になりました。

かたや夜も眠れず、その人のことを想い、
憂鬱になったり、不安になったり
苦しんだりしているというのに
思われている方はそいつを陰で
「馬鹿」「ウザイ「ストーカー」と言って
仲間との笑い話にしているって言うのは・・・。
なんともね・・・。
しかもその日の午前中に、Sから
「私、少し引いて持久戦の構えで行こうと思っているんです。」
っと聞いたばっかりだったのでなおさら、
哀れのような気がしてきて・・・。
今度Sから、Kがらみの話を聞かされたときは
一体、どんな顔をして、どんなことを言えばいいのか、
なんだか憂鬱です・・・。


話は変わりますが、
友人とそのことを話していて、
気が付いたのですが、
女が、自分の事をずっと思っていてくれる男性に
ときめいたり、ぐらついたりって話は聞くけれど、
男の場合は、自分の事をずっと思ってる女がいた場合は
どんどん「うざったい」って方向に行ってしまうよなっと。




2003年11月07日(金)



 寂しがり屋

僕の父方の祖父はアル中です。
失禁したそうです。
包丁を持ち出して、暴れて、
家族に警察を呼ばれて留置場に入れられたそうです。

父は、昔は酒を飲んで暴れることがありました。
今はそんなに飲めないようですし、
祖父のことを思ってか否か、
そんなに飲まなくなりました。

父も祖父も友人があまりいません。
だからいつも一人で飲んでいます。

昔は祖父や父の姿を見て、
まず不可解。そしてなんとなく
軽蔑もしていたのですが、
自分も一人で大酒を飲むようになった頃から
少し、祖父や父の気持ちが分かるような・・・。
理解とまでは行かないけれど・・・。

一体、何が父や祖父を
「飲まずにいられない」心境へと追いやったのか。
誰が好きこのんで、毎晩、何升もの酒を
一人で飲むだろうか・・。

一人で酒を飲むたびに、
この頃は、父の、祖父の寂しさ、憂鬱、不安、
孤独を思い、なんとなくたまらない思いになる。

きっと僕らは似ているんだと思う。
とても気が小さく、臆病で、
些細なことも気に病み、そして人一倍の寂しがり屋。

2003年11月06日(木)



 誰かが泣いている

学校。昼過ぎ。誰かが下の階で笑っている。
「随分、大きな声で笑っているなぁ」と思う。

友人がやって来る。
下の階のその笑い声をぼんやり気にしながら、
友人とたわいも無い話をする。

一人の笑い声が続く。

あまりに続くので不思議に思い、
そして、別の考えも浮かんだ。友人に
「ねぇ、これって誰か泣いているのかな?」と聞く。
「泣いてる・・・っぽいね。」

一人、泣いてるにしては随分、大声。
黙って友人としばらく目を合わせる。

すると下の階に研究室のある、K先生の声。
「大丈夫?」
さらに泣き声が大きくなる。
悲鳴に近い。

さらにK先生。
「じゃ、Iさん。待っててね。
事務室に行ってマスターキー借りてくるから。」
行ったみたい。

もうその頃にはほぼ悲鳴。
刺された?腕折れた?指切断した?
っと、そんな想像をしてしまうくらいの悲鳴。
Iさん?・・・。
友人に聞く。
「ねぇ、今、Iさんって言わなかった?」
「言ったな。」
「Iさんって○○コースのIさんかな?」
「多分、それしかないだろう。
Iなんて苗字はあの人くらいしか知らないよ。」
「しかもK先生の研究室のとなりっぽくない?」
「ってことはますますIさんしかいないだろう?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・。」

「やばいよ。Iさんだったら、俺、行かないと。」
「行ってどうするんだよ?」
「いや、何も出来ないけどさ・・・。」
「尋常じゃない泣き叫び方だぜ。俺らが行ったって
いずれにしても邪魔になるだけだって。」
「そうだけど、でも・・・。」
「人違いだったら、なおのこと邪魔だって・・・。」

声を、耳を澄まして聞いてみる。
似てる。Iさんに似てると思う。

行こうか行くまいか、
迷っている内にK先生の声。
「開けますよ。」

ますます、声が大きくなる。
痛い、痛いと泣き叫んでいる。
どれくらいの時間だろうか、
しばらくして静かになる。

静かになったその時、
やっと行く決心をする。
行ってみる。
誰もいない。
声が止んですぐなのに、野次馬もいない。
Iさんはもちろん、K先生もいない。
K先生の研究室のドアが開けっ放しになっている。
ここで何かあったのは確かなようだ。
すでに病院に運んだのだと思った。
自分達の階に戻り友人と話して気が付いた。
声が聞こえてから止むまで、
僕達は実に10分ほども彼女の泣き叫ぶ声を
聞いていたことになる。

Iさん。
Iさんはこの日記の
2002年の6月3日の文章に出てくる人。
人違いであることを祈りつつIさんにメールをしてみる。


二日経った今日も、メールは帰ってこない。


今日K先生を見た。
いつもの朗らかな顔をしていたから、
それほど深刻な怪我などではないようだ。



僕は大切な人が大声で泣き叫んでいたのに
ただ、それを聞いていた。ただ、聞いていた。




2003年11月05日(水)



 卒業論文

太宰治の研究をしています。

この頃はあんまり進まなくて、
少し焦ってきました。
著作の、論文において重要と思われる箇所を
抜き出したりしていたんですが・・・
太宰自身が、自分のことを「自然」だと
誉めてくれと言っていたように、
抜き出すことはとても困難だ。
気が付いたら、ほとんど全部を書き写しているような
感じになった。難しい。

自分の中の太宰治像を
人にもわかるように説明するのが
自分の卒業論文と言う感じなので、
もとから一文学青年の陶酔たっぷりの
自己満足を抜け切らないのですけれど、
今のところ他に興味のあることも無いし、
あったとしてもパスカルとかニーチェとかじゃ
とても最後まで気力が持続しないような気がして・・・。

太宰が著作の中で考え考えしながら
命を削って書いた文章を、自分が
恣意的に裁断して、論じるなんて
ましてや「卒業論文」なんて、太宰が生きていたら
最も嫌うことだろうと思い、勉強しながらも
なんともいえない、つまらないような気がします。

研究に煮詰まってくると、
発表で返答に詰まると、
ついこう言いたくなります。
「読んでください。読めば分かると思います。」

太宰の語ること、主張することを
僕は上で「自然」だと感じたと言いましたが、
僕は「自然」と思っていても、人によっては、
あるいは過半数の人が「自然」とは思わなかったりして、
それがとても意外です。

この論文を大学「卒業」として、
そしてまた同時に太宰「卒業」として、
当初は、やってみようと思っていたのですが、
どうも大学の方はともかく、太宰の方はもうしばらく
かかるのかなっと感じます。

2003年11月04日(火)



 酒について

酒。
僕は言うほど酒は飲んでいない。
せいぜい一週間に一度。
あるいは二週間に三度くらいでしょうか。
太宰と同じでオールオアナッシング方式なんです。
あればあっただけ飲む。
なければ飲まない。

一人で飲むときは、最近は日本酒を一升買って、
一日に、燗をして七合くらい飲みます。
一人で飲んでいるとそんなものです。
次の日、一升瓶に残っている三合の日本酒を
眺めて、ほぼ一気飲みの様に飲み干と言うような
感じです。

本当は一人で飲むのは
精神衛生上良くないので、
自分でも嫌なんですが・・・。

僕がお酒を飲むのは
前にも書きましたが、
自分の本音や、本当の自分の姿と言うものを
表に現すために飲んでいるのです。
だから、自分ひとりで馬鹿みたいに自問自答したり、
テレビにひたすら突っ込みをいれたり、
ぶつぶつ独り言を言って、突然馬鹿笑いしてみたり
と言うのはあんまり楽しいものじゃない。

なるべくなら誰かと一緒に飲んで、
大学についてを得々と語ったり、
最近の思うことについて誤魔化しなしに語ったり
お互いに馬鹿なことを言って大笑いしたいのです。

けれども最近の
男たち、女たちと言うのは
どうも飲み会=コンパと思っている節が
どこかにあって、いくら普段から親しい先輩後輩の
間柄でも、僕を「男」としてしかみてくれない。
これはわずらわしくてしょうがない。

それに、何なんでしょうね、
この頃の若者と言うのはお酒を飲んでも、
普段の理性を保っていられるくらいしか飲まないんですよね。
だから次の日会っても、最初から最後まで
一部始終を覚えていて、冷静で、実に興ざめ・・・。

僕が一年生、二年生の頃は
みんな大酒を飲んで馬鹿な話をして盛り上がって、
女のことなんて放っておいて、「ヒャッホー!」とか
言いながら馬鹿騒ぎして、飲み会の記憶はもちろん、
どうやって帰ったのかも
分からないくらいになったものですが・・・。

なんとも飲み会も、年月と共に様変わりして、
つまらないものになりました。

2003年11月03日(月)



 利己主義万歳!!

と社会が、みんなが言っている。

驚くのは今の人たちの友達観。
彼らの関係は損得勘定にまみれた、
利用し利用される関係。
後輩の女の子が胸を張って言うには
「結局は自分やろ?
私はどんな時でも自分のためを優先するよ。
人の事を思ってなんて、全部偽善やよ。」

誰かが言っている。
「これが世の中さ。」


僕は先月、ある友人を殴った。
彼は奥歯が折れた。
僕も彼も笑った。彼は笑いながら泣いていた。
次の日に会った。
なんの気兼ねも卑屈も韜晦も怒りもなく、
馬鹿な話をして笑った。
殴ったから、親友になれたのである。
僕らはみんなからみたら「馬鹿」であり、
「意味不明」である。
けれども、僕は彼を照れることなく
「親友だ」と言うことができる。

なぜ奥歯を折って、より仲良くなることが出来るか
わかりますか?そう言うこともあるっていうこと、
わかりますか?


友人の一人、微笑しながら、僕を称して言うには
「不器用だな。お前は。」



結局は自分。
そうなのかもしれない。
僕も、人も、世の中も。
けれどもね。それは胸を張って言うことじゃない。
自分のためを優先しつつも、相手に対して
「ごめんね」と言う気持ちを持っていること。
それが大切だと思う。僕は思う。

「利己主義万歳!」と
胸を張って言っていること、思っていることが
こんなにも世の中と、人間関係を
興ざめでつまらないものにしているんだと思う。

2003年11月02日(日)



 (続)呆然

29日の「呆然」、
思うままに、状況説明を抜きに書いた結果、
何があったのか読んでいる人には、
分からないだろうと思います。
実際、起こった出来事はたいしたことではないのです。

恋愛というのは
それは良いもので、(全く良いもので)
実際、それ自体を非難しようなんて、
ちっとも思っていませんし、できません。
ただ、今の大学生の(精神的)淫乱さ、
程度の低さ、頭が空っぽなことに
怒った・・・と言うよりも残念でならなかったのです。

僕には人のことを言える様な
立派な理想も、高邁な精神も無いのです。
それは分かっています。
けれども、それでも言わざるを得ない・・・。

「恋愛幻想」と言う
文章を数日前に書きましたが、
それを僕は今、改めて言いたい。
恋愛と言うものは、改めて言いますが、
それは良いもので、人生の中で出来うる限り、
何度でもしたいものです。
けれども、恋愛ができれば
淋しさ、苦しさ、辛さ、孤独、不安、
虚無感、それら全てが解消されると言うようなことは
決して、決して無い。
むしろしなくても良い苦労、淋しさ、不安、孤独、
虚無感を感じることもあるだろうし、
プラスマイナスゼロ、
あるいはマイナスにもなりかねないと思う。

それを忘れて、「男、男、男」と言って
毎日走り回るのはそれは「淫乱」と言うと思う。
淫乱とは何も肉体的なことばかりではない。
むしろ精神的な特徴を「淫乱」と呼ぶのだと思う。


僕が残念だと思ったことは、
所詮、大学とはこう言うことを
する場であって、これが「大学生」が
「最も良き時代」と言われる所以であるのでは
と思ったからです。

僕が恐れているのは
「これが大学生だ。」と
誰かが、あるいは今の現実が、黙示のうちにも
肯定して、胸を張っているのではないかと言うこと。

そしてこの延長線上に世間が、社会が、
人々の生活があるのではないかと言うこと。

青春とは焦燥と孤独の地獄だと
太宰が言っていた。
まさにその通りだと思う。
そしてそれは僕だけじゃない、
みんな、一人残らずみんなそうだ。
けれどもだからと言って・・・。



僕は今回のことで、少し確信を得た
「僕は昔、良い恋をした。」「よく人を想い得た。」
「僕には良い友人がいる。」
「そしてその友人を僕は愛している。」

実感である。

2003年11月01日(土)
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