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2010年07月14日(水) オランダの伝説・クライフ氏、自国代表を痛烈批判

7月13日のGoal.comによると、オランダサッカーの英雄・ヨハン・クライフが、ワールドカップ決勝戦におけるオランダの戦いについて痛烈に批判をし、併せて、この試合を裁いたウェブ主審のジャッジにも苦言を呈したという。

ヨハン・クライフといえば、オランダサッカー界における伝説的存在。筆者もまた、オランダチームのファウル作戦に不快感を抱いていただけに、クライフが自国の代表チームを批判したこと――筆者がクライフと同じ視点を得ていたこと――を知って、己の批評眼に自信を深めた次第。

クライフの批判の詳細については、http://goal.comを参照してほしい。要は、オランダが醜く、ハードなタックルを行い、見ていられないようなスタイルのサッカーで、スペインのリズムを乱し、ダーティーな手段で勝利を得ようとしたにもかかわらず、勝てなかったと指摘したのだ。まさに、そのとおり。オランダはワールドカップ・ファイナルにおいて、クライフの言葉を借りるならば、「アンチフットボール」をした。

一方で、クライフは主審を務めたハワード・ウェブ氏について、「彼(主審)は2人のオランダ選手を退場とすべきだった。2枚目のイエローカードにふさわしかった(アリエン・)ロッベンも含めてね…(略)…レフェリングが悪いのはあることだ。だが、独自の判断をつくってはいけない。さらに悪いのは、個人的なルールの適用をでっちあげることだ…(略)…W杯のファイナルは優れた主審が笛を吹くべきものだ。なによりも、それこそジャッジというものにすべて、全力を尽くそうとする主審でなければいけない」と、極めて手厳しい。

クライフのオランダチーム批判及びウェブ主審に対する苦言について、付け加えるものは何もない。2010年南アフリカワールドカップ・ファイナルは、汚いオランダチームと冷静なスペインが、拙いジャッジの下に闘った挙句、ファンは120分間、アンチフットボールを見せられた。そして、スペインが結果として、辛勝した。

日本のサッカー・ジャーナリズムには、この事実を報道するように望む。また、日本のサッカーファンには、ワールドカップ・ファイナルだからといって、必ずしも、最高の試合が行われるとは限らないことを知ってほしい。

“ファイナルだから最高の試合”というのは、超観念論なのだ。日本のサッカージャーナリストは、ファイナルを見る前に、“これが最高の試合になるに違いない”という先入観にとらわれ、そのような美辞麗句で試合結果を飾って報じたいという願望があるに違いない。最高の試合だったと記事にし、そのように絶賛して自己陶酔したいのだろう。オランダはダーティーでアンチフットボールであったことは、試合を見ればわかることなのだから、そのとおり、書けばいい。オランダのサッカーから学ぶべきことは何もないと。

だがしかし、筆者はクライフのように、オランダを非難しようとは思わない、というよりも、その資格がないといったほうが自然だろうか。クライフほどの伝説的フットボーラーならば、オランダのファウル戦術をダーティーだと非難できようが、筆者のような素人には、オランダのアンチフットボールも戦術の1つだと認めてしまう。それもまた、サッカーの1つだと。

オランダは非難・批判覚悟で、勝ちにこだわった。しかし、それでも勝てなかった。結果としては最悪の選択をしたことになる。しかし、90分間はこの戦術がうまくいった。まともにフットボールをすれば、もしかしたら、前半で勝負の行方は決していたかもしれない。ところが、オランダはファイナルを取るチャンスを少なくとも2度、得ることができた。結果はロッベンが2度とも、ものにできなかったけれど。

アンチフットボールもまた、フットボールの作戦の1つであるのか、そうでないのか。ファイナルのオランダの戦い方には、議論百出が当たり前だった。日本のサッカージャーナリズムが、それについて議論しなければ、日本のサッカー風土はいつまでたっても、ナイーブ(うぶ)なままだ。

オランダでは、英雄クライフが自国の代表チーム=後輩たちの戦い方に対して、厳しい発言をした。日本はオランダに負けているのだから、オランダの戦いぶりをもっとも冷静に見られる立場にある存在の1つのはずだ。にもかかわらず、日本のスポーツマスコミ、プロサッカー経験者からは、たったの1行のオランダ批判もでてこなかった。あいもかわらず、ラウンド16のパラグアイ戦のPKを外した選手や親族に、センチな物語をかぶせているか、ゴールシーンで絶叫するばかりだ。

日本のサッカー報道・サッカー解説は、サッカーを借りた「物語」の報道・解説にすぎない。サッカーの本質に迫ることがない。このままなら、日本は永遠に、オランダのような「ダーティー」な試合はできないし、戦術の多様化、進化もなされない。



2010年07月13日(火) ワールドカップよ、永遠に

“世界で一番サッカーが強い国はどこなんだい”という問いに対する回答が出だ、スペインだと。およそ1月間にわたり、ほぼ連日、世界のサッカーが見られるワールドカップは、サッカーファンにとって、最上のエンターテインメントにほかならない。

(1)ブブゼラ、ジャブラニ、予言タコ、美人サポーター

今大会は南アフリカでの開催だった。アフリカでワールドカップが開けるのか、という心配はまったのく杞憂だった。報道によれば、ほぼ完璧な運営だったようだ。また、開催前には、南アフリカの治安の悪さが懸念されたが、幸いにして、凶悪犯罪に巻き込まれたサポーターはいなかったようだ。南半球のこの時期は冬、寒さ、しかも高地での開催という厳しい自然環境も心配されたが、影響は少なかったように思われる。

話題満載だった。まず、なんといっても、「ブブゼラ」だろう。サッカーの試合中、ずっとこの楽器のようなものを吹き続けるのが南アフリカ風なのだ。

魔球「ジャブラニ」(公式球)も話題となった。グループリーグ(以下「GL」と略記)では、GKがキャッチミスを繰り返すシーンが続出した。公式球が話題になったワールドカップは今回が初めてではないか。

パラグアイ・サポーターの露出美女が結局、最後はウエブでヌードを披露した。ドイツの水族館に飼われているタコのパウルも話題をさらった。彼は決勝トーナメント(以下「決勝T」と略記)の8試合の結果を占い、すべて的中させた。

「ハンド」「誤審」も話題になった。シュートがバー、ポストに当たる回数も多かったように思う。

(2)イタリア、フランスの凋落

サッカーに戻れば、調子の上がらないフランスがGLの最中に崩壊した。エース・アネルカが監督批判で強制送還をくらい、それを受けてチームは練習を拒否。もちろん、GLで敗退した。昨年の優勝国イタリアも世代交代に失敗し、GLで敗退した。前回大会の優勝・準優勝チームがそろって、GLで消えた。

反対に、GLにて敗退濃厚と予想された日本及び韓国のアジア勢2チームが「ベスト16」入りを果たした。その一方で、地元アフリカ大陸勢のカメルーン、コートジボワール、ナイジェリア、アルジェリア、そして、開催国の南アフリカの5チームがGLで消え、ガーナだけが「ベスト8」まで進んだ。開催国が「ベスト16」入りを果たせなかったのは、今回の南アが初めてだという。エトーを擁するカメルーン、ドログバを擁するコートジボワールの敗退は、アフリカ勢の欠点であるチームづくり・組織づくりの脆弱性を象徴する。

(3)グループリーグでは、北中南米勢が健闘

GLでは北中南米勢が健闘、参加8チーム(南米5・北中米3)のうち、ホンジュラスを除く7チーム(南米勢=ブラジル、アルゼンチン、チリ、パラグアイ、ウルグアイの5チーム、北中米勢=アメリカ、メキシコの2チーム)が勝ちあがった。

(4)欧州−南米の対決は、欧州に軍配

ところが、「ベスト8」に残ったウルグアイ、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチンのうち、ウルグアイ以外が欧州勢に負け、残ったウルグアイも準決勝で敗退(ベスト4)した。

終わってみれば、優勝:スペイン、2位:オランダ、3位:ドイツ、4位:ウルグアイである。ウルグアイを除けば、自国リーグが世界上位の水準にあり、加えて、チームとして結束力の高いところが好成績をあげたようだ。前出のイタリア、フランスは、自国リーグが高い水準にありながら、ナショナルチームとして問題を抱えていた。そんなチームは、ワールドカップでは勝てない。ワールドカップでは、寄せ集めの選手をいかに束ねるかがポイントになる。

優勝したスペインは、バルセロナに属する7選手を中心にして代表チームを編成した。世界最高水準にあるクラブチームの選手を骨組みとして、それ以外の自国クラブの選手を補強材に使ったわけだ。自国リーグの水準が高ければ、今回のスペイン式(クラブチーム依存)の代表チームづくりが可能なのかもしれない。

(5)オランダの「ファウル戦術」を批判する

ワールドカップのファイナルが必ずしも上質の試合になるとは限らない。今大会のファイナルはその好例の1つだ。好試合どころか、薄汚い試合だった。その主因は、ただただ、オランダにある。

オランダがファウルを意図的・戦術的に使用したのは決勝が最初ではない。最初は、準々決勝のブラジル戦において、意図的ファウルで試合を撹乱状態に陥れた。ちょうど、その試合の主審は日本人が務めたのだが、主審がオランダの撹乱戦法にのっかり、神経質な笛で試合を寸断した。ブラジルはリズムを乱され、スピードを封じられた。そうなると、オランダのペースである。未熟なブラジルのある選手がオランダの挑発にのり、退場させられてしまった。一方、決勝の相手スペインは、オランダの挑発にのらず、逆に、オランダが自軍から退場者を出して負けてしまった。

オランダの「ファウル作戦」をどう考えるかだが、少なくとも、サッカージャーナリズムならば、オランダの撹乱戦法を批判すべきだ。ワールドカップのファイナルだから、最高の試合だというのは観念論である。本大会のファイナルは、イエローカードが乱舞する、最低の試合の1つだった。そうなった理由は、繰り返すが、ファウルを戦術化するオランダの側にある。オランダは、せいぜい「ベスト8」までのチームにすぎない。

(6)ワールドカップで勝つための条件

サーカーに限らず、スポーツでは、実力があるからといって、いい結果を残せるとは限らない。大会(ワールドカップ)は4年に1度、世界のどこかで開かれる。自国の試合とは、気候、言語、習慣、時差等の差異があり、選手はそれらに適応して、コンディションを維持しなければならない。選手には、技術以上に環境適応能力が問われる。強い[メンタリティー]が強い[フィジカル]を維持し、良い結果をもたらす。

運も必要だろう。決勝Tに入れば、主審・副審のジャッジ次第で、次に進めるか、消えるかが決まることもある。誤審が味方をする場合も、また、その反対も大いにあり得る。

たとえば、決勝まで進んだオランダの場合、準々決勝のブラジル戦では、ブラジルのリズムを崩すような神経質な主審の笛に救われ、準決勝のウルグアイ戦では、オフサイドが見逃されて、勝ち越し点をあげた。いわば、2つの誤審に助けられた。

ところが、決勝では、コーナーキックをゴールキックと誤審され、その直後に決勝点を奪われた。オランダにあったツキが、最後に逃げていった。オランダのツキも決勝までは続かなかったのだ。



2010年07月12日(月) オランダが負けてよかった

サッカーW杯南アフリカ大会は、スペインの初優勝で終わった。話題のタコのパオロ君がスペイン優勝を予想したようだけれど、スペインは2008年欧州チャンピオンでもあるわけで、順当な結果ともいえよう。筆者の大会前の予想は、イタリア優勝(前回王者)だった。そのイタリアは1勝も上げることなく、グループリーグで敗退した。筆者の予想はまったく、かすりもしなかったわけで、とんだ赤っ恥である。

ところで、筆者も決勝に限れば、オランダの負けを予想していた。その内容は、別のコラムオレンジ軍団は敗北するを参照してほしい。

オランダ・サポーター諸氏には誠に申し訳がないが、筆者としては、オランダが優勝しなくて本当に良かった、と思っている。決勝戦でオランダは10枚のイエローカードをもらい、うち、ヘイティンガが2枚のイエローカードで退場処分になっている。イエローが出なかったものの、極めて悪質なファウルが目立った。オランダは打撃系の格闘技(K1等)が盛んな国だけれど、前蹴り、ローキックのような「足技」でスペイン選手を痛めつけた。主審のウエブ氏(イングランド)は、悪質なファウルでも一回目は「注意=口頭の警告」でカードを出さない人。そのことを知ってかしらずか、序盤、スペイン選手を削りにいったプレーが散見された。

オランダの攻撃は工夫がない。FWロッベン、MFスナイデルの個人技に頼った突破だけで、この試合に限れば、得意のサイド攻撃すらみられなかった。技術の高いスペインからはファウルももらえず、高さを生かしたセットプレーも実現できなかった。ただ、後半7分、右サイドでボールを受けたロッベンが、カットインから得意の左足でシュート(最もロッベンの得意な形)、これはGKカシージャスのナイスセーブで阻まれたが、得点になってもおかしくないシーンだった。この一発でオランダが優勝したかもしれないくらいの決定的場面だった。ロッベンの一撃でオランダに優勝が転がり込むようであれば、W杯南アフリカ大会決勝戦は「超凡戦」の酷評を受けたことであろう。

そもそも、オランダの攻撃は、組織的もしくは連係による崩しのスタイルをもっていない。FWファンペルシー、FWロッベン、MFスナイデルらの抜群のタレントの個人技に頼ったもの。それ以外の得点機会は、ミドルシュート、セットプレーから高さを生かしたものだけ。本大会ではファンペルシーの調子が上がらず、ロッベンばかりが目に付いた。

筆者はオランダのサッカーが決勝を戦うに相応しいものだとは思わない。オランダはせいぜい「ベスト8」どまりのチーム。敢えて蒸し返せば、本大会では準々決勝のブラジル戦で敗退していたはずだ。

選手の行動範囲はほぼ、ポジション別に限定されているため、攻撃は前線の3人のタレント頼り、中盤以下は守りに専念する。運動量も多くない。中盤、終盤の選手がゴールに襲いかかるように上がる迫力=スペクタクル性もない。要するに、本大会出場のオランダチームのサッカーはおもしろくなかったのである。もちろん、これは筆者個人の趣味に属することであって、勝利に専念するオランダチームを批判するものではない。



2010年07月09日(金) 萎縮したドイツ――スペイン決勝進出

準決勝のドイツ−スペイン戦は結果を説明しにくい試合だった。これまで、抜群の攻撃力を誇る相手に対して――ラウンド16でイングランドから、そして、準々決勝でアルゼンチンから――4点を上げたドイツが、スペイン相手に沈黙した。

この試合は、スペイン、ドイツともに、先発した選手のすべてが、自国リーグに属していることも大きな特徴だった。このような「純粋主義」は、グローバル化の進行するサッカー市場において、スペイン、ドイツという上質のリーグを擁する代表チームにしか実現し得ない現象である。

両者の公式対戦は、2008年の欧州選手権の決勝で、そのときはスペインが勝っている。ドイツは当然、リベンジを誓っているだろうし、W杯で勝てば、欧州選手権の敗北を補ってあまりある。また一方のスペインにしてみれば、大きな大会で勝ったことのある相手、自信があったかもしれない。

W杯のここまでの状態は、ドイツのほうが良かったように思う。少なくとも勢いがあった。若手とベテランが融合し、躍動感が生まれていた。早いカウンターの形ができていて、締めはクローゼがほぼ完璧にやってみせていた。一方のスペインは、ポゼッションを維持する特性を発揮できてはいても、得点力がなかった。エースのFトーレスは故障から完治していない。

ドイツのほうが優位にあると考えるのが普通だろう――試合中のある瞬間、スペインがボール回しに失敗し、ドイツがボールを奪う、そこから早いスルーパスが放たれ、FWのクローゼが得点をあげる。そんな展開でおそらく、ドイツが勝つと。

さて、試合に臨む選手たちの心理状態がどのようなものなのか。両チームが睨み合った瞬間、選手一人ひとりの胸のうちにどのような思いがわきあがるのか・・・さらに、試合開始の笛が鳴り、互いがピッチ上でボールを奪い合ったとき、ある程度の時間が経過したとき・・・両軍の選手たちの心理状態がいかに変化するのかしないのか――を知る由もない。

加えて、この試合を迎える選手たちのコンディションはどうなのか。決勝トーナメント突入後、ドイツは優勝候補といわれたイングランド、メッシを擁するアルゼンチンと、タフな戦いを続けた。その疲労が蓄積しているのかいないのか。スペインだって、けして楽でない相手、ポルトガル、パラグアイと戦ってきた。どちらも、コンディションは万全ではないだろう。

結果から見れば、スペインはその自信が最後まで揺るがず、一方のドイツは時間の経過とともにネガティブな気分を増幅させてしまった(と推測するしかない)。このまま行けばなんとかなるというスペイン、うまくいかない、ボールが奪えない、という思いのドイツ。ドイツが行き詰まった原因は、ボールが奪えない苛立ちからかもしれない。スペインはサッカーが上手いなと。

スペインは、空間として考えれば、ドイツ選手が走りこむスペースを消し、スプリントの機会を与えず、スペースへのパスを出させなかった。しかも、自らは中央からの攻撃を避けた。とにかく、スペインがドイツ得意の速攻を封じたのである。

だが、なぜ、スペインは自分たちの持ち味を失わずに試合に集中できたのか。バルセロナというクラブで日々、プレッシャーを受けつつ試合をしてきた6人の選手が精神的支柱となったのでは、という推測も成り立つかもしれない。

では、なぜ、ドイツはスペインが張り巡らせた防御網を突破できなかったのか――ドイツの選手に、彼らの躍動を阻害するような心理的圧迫があったのか。ドイツリーグ(ブンデスリーガ)は、スペインリーグ(リーガ・エスパニョーラ)より、やわいのか。問いと推測が循環するばかり。

よくわからないのがサッカー。試合はやってみなければわからない。終わってみれば、“ここ一番で力が出せなかったドイツ”という常套句で締め括るほかない。それが「若さ」「経験不足」なのか。筆者は念仏のように何度も呟く。「強いほうが勝つ」のではなく、「勝ったほうが強い」と。



2010年07月08日(木) ツイてるオランダ――誤審で決勝進出

オランダは本当にツイている。準決勝のウルグアイ戦、1−1に並ばれたオランダが勝ち越しの2点目を上げたシーンは、オフサイドに間違いない。この試合の主審はイルマトフ氏が務めた。筆者が前回の当該コラムにて誉めた主審だ。線審が旗を上げなかったので、主審としてもオフサイドは取りにくかったのかもしれない。

オランダは、準々決勝のブラジル戦では、西村主審の神経質な笛に救われた。あの試合、しばしば笛で止まる展開のため、相手ブラジルは完全にリズムを崩したし、準決勝のウルグアイ戦では、誤審で得点を入れ、ウルグアイを突き放した。1−1に並んだウルグアイのほうに勢いがあっただけに、ウルグアイには大きな痛手となった。

オランダは判定に恵まれ、勝ちを得ている。オランダの大柄の選手が接触プレーで転がると、主審もついつい、相手にファウルの判定をくだしてしまう。ブラジル戦では、相手ファウル?で得たセットプレーを得点につなげた。オランダには、とにかく、ツキがある。そういう意味では、優勝する可能性も高い。

筆者は本大会のオランダチームに魅力を感じていない。まず、スピードが感じられない。第二に、攻撃は単調。左右に大きく張り出したサイドからのワンパターン。第三に、得点はセットプレーからか、ミドルシュートによるものが目立つ。いずれも、個人の能力頼みであって、組織的な崩しからではない。ロングシュート、ミドルシュートの威力は、公式(魔)球「ジャブラニ」をうまく使いこなした結果なのかもしれないが、それが枠に行くのもツキの1つ。第四に、昔ながらの固定ポジションだ。オランダの中盤から後ろは、概ね守備に専念していて、前線を追い越すような長いランはない。グループリーグでは、デンマーク(0−2)、日本(0−1)ともに、オランダの守備陣を崩せず、得点を奪えなかった。最終戦の相手カメルーンは、エトーが唯一の得点をオランダから奪ったものの、1−2で試合を落としている。

決勝トーナメントに入ると、オランダは苦しみながらも、スロバキア(2−1)、ブラジル(2−1)、ウルグアイ(3−2)に競り勝ち、破竹の6連勝だ。いずれの試合もどんよりとした、ストレスのたまる展開で、走らないオランダのペースで時間が過ぎ、後半に入ると、なんとなくオランダが得点をあげて、勝っている。オランダは、なんとも不思議なチーム。こんなサッカーで優勝か?



2010年07月05日(月) 西村主審批判

スポニチアネックス(7月4日 11時54分配信)によると、ドイツに1−2で負けたブラジルのドゥンガ代表監督は、「審判がすぐプレーを止めるのでリズムを乱された」と不満を示したという。このドゥンガのコメントは、W杯準々決勝オランダ―ブラジル戦直後の当該コラム「南米の2強、ベスト4に進めず」の中に記した“神経質な笛――ブラジル、ベスト4に進めず”に記した筆者の思いと一致している。ドゥンガの苦言は、負けた監督の常套手段としての審判批判ではないように思える。

筆者は、勝ったオランダよりも負けたブラジルのほうが、実力は上だと確信しているし、準々決勝を西村氏以外の主審――たとえば、ドイツ―アルゼンチン戦を裁いたイルマトフ氏が務めたとしたら、ブラジルが楽勝したのではないかとさえ思っている。

同試合の審判団は、西村雄一主審、相楽亨副審、韓国の鄭解相副審。彼らは既に1次リーグ3試合を担当しており、1大会4試合を裁くのは日本人審判員としてはW杯初の快挙となったわけで、西村主審への期待は高かった。試合後の西村主審のレフェリングについては、勝敗を分けるような誤審がなく、後半28分にブラジルのMFフェリペ・メロが相手MFロッベンを踏みつけた場面でレッドカードを提示、この反則を見逃さなかったことが高く評価されたと伝えられた。しかし、西村主審を絶賛したのはどうやらオランダ、ドイツといった欧州のマスコミだけのようで、客観的に高評価を得ているかどうかは確認できていない。

日本のサッカージャーナリズムは、西村主審に対して、“状況次第では準決勝や決勝を任される可能性もある”と報じているようだが、そうだろうか。明らかな誤審がないこと、暴力行為を見逃さなかったこと、は当たり前の仕事であって、それよりも、戦っている選手の力を最大限発揮させ、観客が楽しめるレフェリングを行うことが、主審の最低限の仕事だと思うのだ。

フェリペ・メロの“踏みつけ”は反則だが、彼がそのような行為に及んだ基底には、試合を寸断する神経質な笛があり、それは主審が選手を規制・管理しようとするように受け止められたはずだ。そういう西村主審の姿勢に対する苛立ちは、おそらく、ゲームに参加した選手・監督・スタッフ・サポーター・TVを含めた観戦者のすべてが抱いたものだったはずだ。少なくとも、筆者はそうだった。規制・管理に対しては、オランダのほうがブラジルよりも我慢強い。

サッカーは、ゲーム参加者の手を奪うという過酷な禁制を課す一方、それ以外は自由を本質とする。極論すれば、手を使わなければ、オフサイド以外の反則はないといってもいい。西村主審は今後、厳正で確信に満ちたレフェリングを目指そうとするよりも、ゲームが自由かつ創造的に流れるレフェリングに努めてもらいたい。

さらにいえば、世界中のサッカーファンは、11人で反撃に出るブラジルの姿を見たかったはずだ。だから、フェリペ・メロには、イエローでも・・・



2010年07月04日(日) 南米の2強、ベスト4に進めず

ベスト4には、スペイン、オランダ、ドイツ、ウルグアイが残り、なんと欧州勢が過半を占めた。ベスト8の時点までは、南米が4強を独占するかのような勢いだったのに・・・サッカーというものは、予想が難しい競技であることよ。

(1)神経質な笛――ブラジル、ベスト4に進めず

オランダが相手ブラジルのフェリペメロの「活躍」で勝った。出だしはブラジルが圧倒的に優勢だっただけに、まさかの結果だ。

オランダは「重戦車」、ブラジルは「ハイテク兵器」というイメージだった。前半10分、ブラジルのFWロビーニョが「ハイテク兵器」さながら、「重戦車」オランダから先取点を奪った。一本の縦パスに反応した、誠に鮮やかな得点シーンだった。「重戦車」はなすすべがなかった。

だが、先制した「ハイテク兵器」ブラジルも、リズムがつかめない。一方のリードされた「重戦車」オランダもエンジンがかからず、動きが重い。両軍を悩ませたのが、この試合の日本人主審の神経質な笛だった。ファウルの基準も曖昧、リスタート開始の合図の笛もワンテンポ遅い。両軍選手は流れないゲームに苛立ちを募らせた。この傾向は、ブラジルに顕著で、「ハイテク兵器」の調子が狂い始めていたのだが、前半は破綻をきたすことなく、ただただ、ぎこちないまま終了した。

後半8分、ブラジルのMFフェリペメロのオウンゴール(公式記録はオランダのスナイデルの得点に訂正)でオランダが1点を返した。「重戦車」が得点を狙えるのは、「ハイテク兵器」がオフ状態にあるセットプレーからしかない。自慢の守備が綻んで、同点となったブラジルは、ますますリズムが出ない。「ハイテク兵器」の狂いが段々と大きくなり始める。

後半23分、オランダのスナイデルが逆転のヘッドを決める。この得点もセットプレーからだった。狂いが大きくなった「ハイテク兵器」ブラジル、やっとエンジンが全開した「重戦車」オランダ。リズムを取り戻せない神経質な笛が試合を制御している以上、戦いのヘゲモニーは「ハイテク兵器」よりも「重戦車」の側にあった。

後半28分、フェリペメロがオランダ選手を踏みつけて一発レッド。一人少なくなったブラジルは最後まで攻撃のテンポがつかめないまま、終了の笛を聞く。ブラジルのワールドカップが終わった。

(2)溌溂ドイツ

ドイツが立ち上がり3分、セットプレーから先取点を奪う。集中を欠いたアルゼンチン、不用意だった。試合はここから、後半23分まで――ドイツが追加点を上げるまでのおよそ60分間――の攻防に集約されていた。アルゼンチンの攻撃にかける気迫はすさまじかったが、得点は奪えなかった。主因は、ドイツがメッシを完封したからだ。ドイツの守備は、メッシにスペースを与えないという方針で、徹底していた。

残り20分を切って2点リードされたアルゼンチンに、試合を逆転するだけのパワーは残っていなかった。豊富な運動量でテベスがボールをもっても、彼は孤立を余儀なくされた。

ドイツは、トップ下に配置されたメッシを前から押さえにかかっていた。それだけに、彼のポジションを少し上げてみる選択もあったのではないか。マラドーナ監督は相手守備陣がメッシに集中することを餌にして、メッシから前線に決定的チャンスを生むパスを期待していたのだろうか。ドイツは、メッシがパスを配給する前に、メッシをつぶしにかかっていたように思えたが。

ベスト8までは、マラドーナのカリスマ性に率いられ、自由奔放なサッカーで勝ってきたアルゼンチンだが、世界の壁は高かった。

(3)「ハンド」が多いのは、マラドーナがいるせい?

ウルグアイがガーナの決勝点を「ハンド」で防ぎ、PK戦にもちこんで勝ち進んだ。勝ちは勝ちにちがいないが、ガーナが、相手の汚い反則を無化するだけのパワーを持ち得なかったことが悔やまれる。PKの成功の確率が何パーセントあるのかしらないが、こういう勝利を許してしまうのはいただけない。

それにしても、本大会では「ハンド」の反則が目立つような気がする。ワールドカップ・メキシコ大会(1986年)準々決勝・対イングランド戦でアルゼンチンのマラドーナの「ハンド」の反則を「神の手」としてもてはやし、彼を批判しないことがワールドカップにおける「ハンド」の流行を生んでいる。「ハンド」蔓延の責任の一端は、世界のサッカージャーナリズムにもある。

奇しくも、「神の手」マラドーナがアルゼンチン代表監督として本大会に復帰し、ピッチサイドで派手なアクションを繰り返すことが話題を呼び、本大会の目玉の1つであるかのように扱われている。反則が伝説化し、それが賢いプレーであるかのような価値観が醸成されている。そして、その本人が英雄視されている。世界のサッカー報道は歪みきっている。

それだけではない。準々決勝のガーナ戦で、1−1の延長後半終了直前にガーナのシュートを手ではね返し退場処分を受けたFW・スアレスのプレーについて、同国の有力新聞が、勝利を呼び込んだとして「ビバ(万歳)」などと報じ祝福したという。

試合は、同選手の反則によるPKをガーナが外し、同点のまま突入したPK戦でウルグアイが勝利。ウルグアイの新聞パイス紙は「スアレスは歴史に名を刻んだ」と評価。レプブリカ紙は1986年のメキシコ大会でのアルゼンチンのマラドーナ選手による「神の手ゴール」と比べ「これ以上のドラマはない。スアレスは『手』で退場になった」とした。ウルティマスノティシアス紙も「奇跡は多々あるものではないが、今回は起きた」と伝えた。

決勝ゴールを防いだ「ハンド」の反則が、退場とPKで相殺されたと考えるならば、PKを外したのはガーナのミスという論理である。ルールどおりの罰則を受けた結果、相手がその恩恵に与れずミスをしたことは自分たちが犯した反則とは関係がない、ということか。

しかし、スアレスがウルグアイの国内リーグでプレーをしていたと仮定しよう。国内リーグ王者を決定するような大事な試合、しかもアウエーだったとしたら、スアレスは同じような局面で「ハンド」ができたかどうか疑問である。もし、彼がそのような局面で「ハンド」を犯したとしたら、彼は相手サポーターから命を狙われる可能性さえある。

スアレスは、ワールドカップはお祭りだから命を狙われる可能性はない、大丈夫だと考え、そのうえで「ハンド」をしたのか、それとも、たとえ、命を狙われても、祖国の勝利のためなら反則も厭わないという覚悟のうえで「ハンド」をしたのか、はたまた、瞬間的に手が出たのか――は、ここではわからない。いずれにしても、後味の悪いウルグアイの“勝利”である。


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