Sports Enthusiast_1

2009年06月18日(木) 南アフリカへの道(その2)

6月17日、W杯アジア地区予選グループ1(以下「G1」という。)最終試合、日本VSオーストラリアがメルボルンで行われ、日本が1−2で負けた。これで日本は、アジア地区G1の指定席=2位におさまった。筆者の予想どおりである。

試合展開としては、前半、闘莉王がコーナーキックを頭で合わせて日本が先制したものの、後半、逆にセットプレーからキューエルに2本決められ、そのまま押し切られた。前半の得点シーンは、オーストラリアが集中力を切らした瞬間に生じたもの。日本代表のなかで一人元気な闘莉王がオーストラリアのマーカーに競り勝った。真剣勝負のW杯本戦では、おそらく、こういうシーンが起きる確率は低い。

得点差は1点、アウエー、崩された得点ではない・・・と、諸々の言い訳があるかもしれないが、TV映像でこの試合を観戦した人ならだれもが、両国の自力の差を実感したに違いない。互いに主力を外した消化試合、両国代表の一軍に相関して、双方の二軍もしくは一軍半においても、力の差が現れ出でたと考えるべきである。

W杯出場を決めた後の消化試合とはいえ、「南アフリカへの道」に時間の浪費があってはならない。これから先の1年、代表試合は思うほど開催されない現実を踏まえるならば、現在、日本より力のあるオーストラリアと敵地で試合をする意味は、けして、なくはないのである。

オーストラリアに負けたことで明らかになったことがある。繰り返しになるが、まとめておこう。

第一に、「W杯ベスト4」という岡田代表監督の妄想が、まさに妄想であることを実証したことである。筆者は、無責任な妄想を公言する人を信頼しない。指導者には、ときに大風呂敷も必要だが、そこに戦略が欠如している場合、スポーツに限らず、進歩を阻む場合が多い。

第二に、これも繰り返しになるが、日本がアジアの「ベスト4」とは言えても、それ以上ではないということである。日本の立ち居地は、2008年のアジア杯の成績から変わっていない。(同大会の順位:優勝:イラク、2位:サウジアラビア、3位:韓国、4位:日本)。同大会では、オーストラリアは日本にPK戦で負け、ベスト4に残れなかったが、同大会に臨んだオーストラリアは、代表の体制構築に手間取り、力を出し切れていなかった。2010年南アフリカ大会の予選を通じたアジア諸国の力を総合的に見定めると、オーストラリア、韓国、日本、サウジアラビア(W杯予選は敗退)、そして、同じく予選敗退のイラン、予選通過を決めた北朝鮮の6カ国が上位にあり、日本は間違いなく、アジアの6強の一角ではある。

第三は、最終予選のグループ分けにおける、日本の幸運を特記しておきたい。最終予選の組合せにおいて、日本がG1でオーストラリアのみと同組であって、サウジアラビア、イラン、北朝鮮、韓国のいずれの国とも同組にならなかったことは幸いだった。G1において、日本がオーストラリアに次ぐ2位となる可能性は極めて高かったが、1位になる確率は低かった。かりにG1に上記のどこか1カ国が入っていたとしたら、日本の予選通過はもっと厳しいものになっただろう。

第四は、バーレーン、オマーン、カタール、UAE等のアラブ産油国の停滞である。オイルマネーを使った強化策が功を奏していない。人口の多寡とサッカーの実力が相関するとはいえないものの、アラブの国々の人口を日本(1億3千万)と比較すると、同組のカタールは140万人、バーレーンにいたっては79万人にすぎない。G2のUAEも460万人と、いずれも小国である。中東勢のなかでは、イラン(7千4百万)、イラク(3千万)、サウジアラビア(2千5百万)が人口と共にサッカーにおいても潜在的パワーを秘めているように思える。また、日本を苦しめた中央アジアのウズベキスタン(人口2千7百万)に筆者は注目しており、この国のサッカーの伸び白は、日本を上回っていると確信している。もっとも、世界で人口の多い国を見ると、1位中国、2位インド、(3位米国)、4位インドネシアと続いており、アジアの3大国が入っている。これら3大国が将来において、サッカーの強国に成長する可能性がないとは言えないものの、先の長い話ではある。

第五は、結論となるが、日本代表の退歩である。メルボルンのオーストラリア戦における日本の敗北を、2006年のW杯ドイツ大会の日本の敗戦に重ね合わせて語るサッカージャーナリストが多い。そのようなサッカージャーナリストは良識をもった、日本の成長を望む一派であって、日本代表が勝つたびに度派手な見出しを連発するスポーツ新聞記者とは一線を画している。先のキリン杯の大勝にも浮かれることがなく、日本代表が持っている構造的脆弱性に警鐘を鳴らし、岡田代表監督の力量に疑問符を投げかけてきた。そして、ウズベキスタン、カタール、オーストラリアの3つの公式試合でおそらく、同じ結論を引き出しているはずだ。その結論とは、岡田監督のままならば、日本は南アフリカで一勝も上げられないで、早々に帰国するであろうということである。

日本の財力、国民的支援、サポーターの大応援、Jリーグ等々と、恵まれたインフラを有しながら、日本の実力はアジアの6強にとどまり、2006年から何も変わっていない。2010年予選は籤運に恵まれ、グループ2位で予選通過し得た。ところが、世界との差は広がるばかり。縮まる気配がない。

岡田代表監督は、思い切った選手起用もしないし、作戦においても冒険をしない。相手国(たとえばオーストラリア)は、日本を攻略する手口を学習済みで、先制されても慌てる様子がない。グローバルな経験をもつ監督(たとえば、カタールのメツ監督クラス)ならば、日本戦は苦ではないはずだ。

日本が先に進むためには、もう一段レベルを上げなければならない。選手のレベルを上げるためには、指導者のレベルを上げることしかない。予選突破を花道にして、岡田監督自らが決断してほしい。



2009年06月13日(土) 南アフリカへの道(その1)

W杯アジア地区予選における日本の最終試合、対オーストラリア戦の日本代表メンバーが判明した。レギュラー組からは、中村俊輔(セルティック)、長谷部誠、大久保嘉人(共にボルフスブルク)、遠藤保仁(ガンバ大阪)の4選手と、また、控え組からは、山田直輝(浦和レッズ)、香川真司(セレッソ大阪)本田圭佑(VVV)の3選手の合計7選手が離脱した。遠征メンバー19名は以下のとおりである。

GK:楢崎正剛(名古屋グランパス)、都築龍太(浦和レッズ)、川島永嗣(川崎フロンターレ)
DF:中澤佑二(横浜F・マリノス)、山口智(ガンバ大阪)、田中マルクス闘莉王(浦和レッズ)、駒野友一(ジュビロ磐田)、今野泰幸(FC東京)、長友佑都(FC東京)槙野智章(サンフレッチェ広島)、内田篤人(鹿島アントラーズ)
MF;橋本英郎(ガンバ大阪)、中村憲剛(川崎フロンターレ)、松井大輔(サンテティエンヌ・フランス)、阿部勇樹(浦和レッズ)
FW:玉田圭司(名古屋グランパス)、矢野貴章(アルビレックス新潟)、岡崎慎司(清水エスパルス)、興梠慎三(鹿島アントラーズ)

日本はすでにW杯出場を決めている。W杯出場の選手枠は23名。現段階で南アフリカに行ける可能性が高い選手は、離脱者を含めた前掲の26選手ということになろう。もちろん、いまから1年後の話、何があるか分からない。代表選手の入れ替えは何度かあることは言うまでもないが、オーストラリア遠征選手19選手に離脱選手7選手を加えた合計26選手が、2009年6月現在において、南アフリカにもっとも接近した代表選手であることは間違いない。

W杯の代表選手枠23名の選考方法については、各国のそれぞれの事情次第である。短期戦、限られた選手枠という条件から、複数のポジションをこなせる選手が選ばれやすい傾向はある。とはいえ、最もオーソドックスなのは、23名のうちGK3名を除く20名、すなわち、フィールド・ポジション10箇所に2人を割り当てる方法である。

日本の場合、そのシステムは概ね4−4−2であるから、DF=8(CB=4、SB=4)、MF=8(ボランチ=4.攻撃的MF=4)、FW=4の合計20選手となり、ウズベキスタン、オーストラリアの最終選考が27名のうち、GK3名を除くと24枠が残り、必然的に4選手が脱落する。

ポジション別にみていくと、FW=4は、玉田圭司(名古屋グランパス)、矢野貴章(アルビレックス新潟)、岡崎慎司(清水エスパルス)、興梠慎三(鹿島アントラーズ)、大久保嘉人(ボルフスブルク)の5名から1名が脱落する。年齢、実績から考えて、興梠慎三が外れる可能性が高い。

MFは、中村俊輔(セルティック)、長谷部誠、(ボルフスブルク)、遠藤保仁(ガンバ大阪)、山田直輝(浦和レッズ)、香川真司(セレッソ大阪)、本田圭佑(VVV)、橋本英郎(ガンバ大阪)、中村憲剛(川崎フロンターレ)、松井大輔(サンテティエンヌ・フランス)、阿部勇樹(浦和レッズ)。

うち、ボランチ枠4には、長谷部誠、(ボルフスブルク)、遠藤保仁(ガンバ大阪)、橋本英郎(ガンバ大阪)、阿部勇樹(浦和レッズ)が――
攻撃的MF4枠には、中村俊輔(セルティック)、本田圭佑(VVV)、中村憲剛(川崎フロンターレ)、松井大輔(サンテティエンヌ・フランス)が――
残る可能性が高い。若手の山田直輝(浦和レッズ)、香川真司(セレッソ大阪)が脱落するかもしれない。

ここまでのところ、異論は少ないと思う。問題はDFである。DFは、CB、SBともに余裕がなく、CBの4枠は、中澤佑二(横浜F・マリノス)、山口智(ガンバ大阪)、田中マルクス闘莉王(浦和レッズ)、槙野智章(サンフレッチェ広島)で脱落者はゼロ。

また、SBの4枠も、駒野友一(ジュビロ磐田)、今野泰幸(FC東京)、長友佑都(FC東京)、内田篤人(鹿島アントラーズ)、で自動的に決まってしまう。

なかでも、前回当コラムで書いたとおり、左SBは、Jリーグにおける専門職は長友ただ一人。駒野も左SBができないわけではないが、うまくない。かりに、左の長友が故障すると、右SB内田、左SB駒野または今野となる。どちらも世界レベルにはほど遠い。今野にはSBの資質はないと筆者は思っている。現実的な選択肢としては、ユーティリティーの阿部を左SBの控え、橋本を右SBの控えにすることも可能だが、橋本はともかく、阿部はSBの選手ではない。(※今シーズン、浦和でも左SBでの試合出場はないはず。)

岡田監督が若手の山田直輝(浦和レッズ)、香川真司(セレッソ大阪)を抜擢しているが、彼らの潜在能力の高さと可能性を否定しないが、代表の喫緊の課題からみれば、無駄である。満席状態の中盤に若手を押し込む意図が、筆者には理解できない。また、岡田がなぜSB、とりわけ、左SBを軽視するのか、その理由が思いつかない。このまま1年経過しても、日本代表は強くならない。

海外でプレーしている日本人選手の中にも、SBの選手はいない。モダン・サッカーにおけるSBの重要性はいまさら、繰り返すまでもないが、日本は伝統的に良い人材に恵まれてこなかった。たった一年で解決するような問題ではない。



2009年06月11日(木) 2009年 暗い旅(encore)

サッカーW杯アジア地区予選、日本対カタール戦は、日本が先のウズベキスタン戦に勝って予選突破を決めてしまったため、完全な消化試合となった。ホームとはいえ、この試合に勝っても負けても、日本代表の評価には関わりない。

しかし相手カタールにとってはプレーオフ(PO)狙いの目がまだ残っている。相手が勝ち点3を狙ってくるわけだから、こういう試合は貴重である。常識では、キリン杯を含めたテストマッチ(親善試合、強化試合)を試行の場であると位置づけるのだが、日本代表の意図とは裏腹に、先のチリ、ベルギーの2戦で明確になったとおり、相手が真剣にならないかぎり、刺激の強い試行にはなりにくい。

カタール戦のコンセプトこそ、試行以外のなにものでもない。筆者の関心は、日本代表首脳陣がこの試合をいかに有効に使うか――の一点に絞られた。W杯出場決定凱旋試合として観戦にきた代表サポーターの期待はもちろん、日本の大勝だろう。それにこたえる義務があるのかないのか――

筆者にとってこの試合は、繰り返すが、W杯本戦勝利に目標が切り替わったスタートの試合、すなわち、強化のための第一歩である。日本代表がこの消化試合を有意義に使ったうえでの敗戦ならば、代表サポーターとて、有意義な敗戦を受入れてくれるだろう。というのが筆者の期待であり、この試合に見出した価値である。それが受入れられないような、日本のサッカー風土ならば、それはそれでしかたがない。

試合の入り方を見た瞬間、ウズベスタン戦の影響による日本代表の疲労は明らかだった。疲労というよりも、消耗といったほうがいい。その後の経過と日本代表の不調ぶりについては、ここでは割愛する。

日本代表首脳陣は、この試合を無駄にした。内容においても結果においても、そういえる。筆者が代表監督ならば、前出のとおり、この試合を壮大な試行の場と規定した。もちろん、いかなる試合においても、勝利に向かって努力をすることはプロにとって当たり前である。敗戦を予定した試行は試行とはいえない。そのような愚行がプロに許されるはずもない。

しかし、結果を問わないことにより、大きな財産を手に入れられるものならば、それを試みることもプロの仕事である。筆者が代表監督ならば、そのようなメッセージを先発メンバーの選択において、発信したであろう。

さて、筆者がこの試合によって感じた危機が、それ以外にもあった。それは、代表における、サイドバック(SB)の選手層の薄さである。この日の登録選手のうち、左右を問わずにSBができる選手は、橋本、内田、駒野、今野、阿部であった。そのうち、阿部と橋本がボランチに駆り出されたので、内田、駒野、今野の3人の選択となってしまった。右SBのレギュラーが内田で控えが駒野、左SBのレギュラーが長友で控えが今野でいいのだろうか。筆者は今野をいい選手だと思うものの、SBの選手だとは思っていない。日本代表にSBが不足していることは明白なのである。

たまたま、カタール戦前にケガ人が多数出て人材不足に陥ったというわけではない。この試合の登録選手18人を見ると、中村俊、中村憲、松井、本田、阿部、橋本、今野と、中盤の同タイプの選手のだぶつきが目立つ。さらに、登録を外れた遠藤、長谷部を加えた中盤のボリュームは相当なもの。このボリュームに比べて、本職のSBはというと、駒野、内田の2人だけと手薄を通り越している。しかも、レフティーのSBが不在である。

橋本、阿部がSBもできるから、本職は不要という抗弁では納得できない。というのも、代表における左SBの不在は、実は、ジーコジャパン以来のもので、代表首脳陣は、なんと、7年間も手を打ってこなかったのである。いまさら手遅れすぎて、Jリーグに人材を求めよ、と、いっても実効は上がるまい。

「W杯ベスト4」を夢想するよりも、足元の左SBを早いところ育てないと・・・



2009年06月08日(月) 2009年 暗い旅(最終章)

日本がウズベキスタンに勝って、W杯南アフリカ大会行きを決めた。本題とする「暗い旅」が「明るい旅」に変わったことをもって、本章の幕を引くわけではない。「暗い旅」と命名した根拠は、日本がアジア予選に敗退することを前提としたものでなく、その反対に、日本が予選を突破することを前提として名づけたものだった。

日本がアジア予選を突破することは、最終予選のグループ分けの段階で、ある程度、予想できた。日本より実力で勝るのはオーストラリアだけ。よほどの取りこぼしがない限り、日本が2位以内(というよりも2位)になる確率が高かった。勝負に絶対ということはあり得ないから、それが決定づけられたものではもちろんないものの、バーレーン、カタール、ウズベキスタンが日本より上位にくることは、考えにくかった。

その根拠の1つは、上記3国におけるプロスポーツの歴史の浅さだ。代表チームを取り巻く総合的な面で、上記3国は日本及びオーストラリアに劣る。筆者は、このことを、プロスポーツに係る国家総体の力と認識する。日本サッカーが欧州、中南米に比べて弱いのは、日本という国におけるサッカーに係る総合力において、欧州、中南米に劣るゆえだ。

「総体」という概念をアンバンドリングするならば、サッカーの歴史、国民への浸透度、国民の関心度、批判力等々になる。日本のそれをアジアの上記3国と比較すると、2010年予選時点では、日本の方が上にいる。

プロ野球の場合、WBCにおいて日本が2連覇を達成した。日本プロ野球の歴史の長さ、野球に関する国民の関心と浸透度、理解度、マスコミの取り上げ方・・・において、日本の野球は世界のトップクラスにある。この実力は、きのうきょうの短期間で築き上げられたものではない。野球に取り組む日本人の70年超の歴史の賜物なのだ。こうした諸要素を背景にして、日本はすぐれたプレイヤーを輩出できている。

その結果として、日本式野球=スモールベースボールを確立した。日本の野球は、米国からは「箱庭野球」と揶揄されたが、甲子園式に代表される犠打の多用や投手の連投という非常識が、世界でトップレベルの実力に花開いた。

日本サッカーの歴史は、日本プロ野球に比べれば、圧倒的に短い。かつ、欧州、中南米と比べても同様だ。このような比較の観点にたつならば、日本サッカーは短期間でよくここまで来た、とほめることもできる。

しかし、いま問題なのは、日本のサッカー関係者の無自覚ぶりだ。アジアで5位以内の実力(オーストラリア、韓国、イラン、サウジアラビア)にすぎない「日本代表」を過信してはいけない。謙虚に、一歩一歩、実力を高める努力をしてもらいたい。日本代表の危機に警鐘を鳴らしているサッカー業界人は、管見の限りだが、セルディオ越後氏ただ一人ではないか。

批判精神欠如のスポーツジャーナリズムを同伴した馴れ合いを排し、相互批判と情報開示に基づき、開かれた代表チーム運営に努めてもらいたい。そして、なによりも、日本代表をぬるま湯状態から引き出し、真の意味での国際化に向かってもらいたい。それらを怠れば、日本サッカーがガラパゴス化(世界から隔絶)することは、時間の経過に比例する。



2009年06月07日(日) 日本代表は適正な目標を掲げよ

サッカーW杯、日本が南アフリカ行きのチケットを手に入れた。「岡田ジャパン」に対しまずは、おめでとうと申し上げたい。アウエーという条件下、とにかく、勝利という結果を手に入れたのだから、選手の頑張りを評価したい。

だが、日本代表が「これで良い」、という結果を手に入れたとはとても思えない。試合は日本の1−0だが、試合を支配し、かつ、「一対一」に勝っていたのはウズベキスタンであった。使い古された表現だが、日本は、試合には勝ったが、サッカーでは負けていた。

日本の勝因は、▽ウズベキスタンの決定力不足、▽ウズベキスタンのエース・シャツキフの不在、▽日本守備陣の健闘、▽日本選手の豊富な経験――だった。総体的に言って、ウズベキスタン代表選手は日本代表選手に比べて、パワー、走力、闘志で勝っていた。2010年予選時点において、ウズベキスタンのほうが潜在力で日本より上であり、2010年予選時点で日本がウズベキスタンに勝ったストロングポイントである「経験」という財産は、2014年大会予選においては、ストロングポイントであり続けることはない。

前回の当コラムで予言的に書いたとおり、キリン杯2試合の「圧勝」は何ら踏み台になっていなかった。闘う集団でない「代表」とホームで何百試合を消化しようとも、「強化」には至らない。

キリン杯2試合の「圧勝」の主因として、スポーツジャーナリズムが賞賛した「中村憲トップ下」の布陣、いわゆる「憲剛システム」が機能したのかといえば、これも「ノー」であった。決勝点となった前半の岡崎のゴールを演出したのは中村憲であったが、そのシーン以外はまったく機能しなかった。試合を制御できていないシステムであることが明確であったがゆえに、岡田監督は中村憲を本田と代えたのだ。

主審の笛の不公正さが話題になっているようだが、試合終了直前、長谷部の退場、岡田監督の退席という、TV観戦では判断がつかない場面は除き、選手同士の接触における主審の笛は、概ね間違っていない。日本代表選手が倒れるのは、ファウルをもらおうとして倒れるからだ。試合を通じて相手と競り合っていれば、日本も、もっとファウルがもらえたはずだ。

日本は引いた相手を崩せない、と言われてきた。ところが、プレスのきつい相手にも弱いことが露呈した。ウズベキスタンがW杯プレーオフ進出の望みをかけて、死に物狂いできたから日本が苦戦したのではない。サッカーの公式戦というのは、こういう展開になるのがあたりまえなのだ。日本ホームで、相手が引いて、日本がボールを支配する国際試合ばかりを見せられている日本のサッカーファンには、この試合は異様に見えたかもしれないが、こういう試合内容が代表公式戦の一般的展開だと考えたほうがいい。W杯本戦になれば、もっと決定力があり、日本から勝ち点3を奪おうと(勝ちにくる)格上の相手と戦うことになる。日本の代表選手が、個々の局面において、ウズベキスタン戦のように相手選手のパワーに転がされているようであれば、日本は大敗を屈することになる。

ウズベキスタン戦を指標にした日本代表の実力に鑑みれば、日本の目標は断じて「ベスト4」ではない。アジア代表として、自国開催(2002年)以外のW杯において、グループリーグ初勝利(勝ち点3)をあげること、そして、さらにグループリーグを突破(ベスト16)することだ。

ウズベキスタン(FIFAランキング・78位)に辛勝した日本(同31位)が「W杯ベスト4」を目標として掲げること自体、常軌を逸している。代表の中心選手の中に、「ベスト4」を公言する者がいるが、目の前の階段を、一歩一歩、確実に上がることを心がけてほしい。



2009年06月04日(木) 時代錯誤のキリン杯

6日、サッカーW杯アジア地区最終予選、日本対ウズベキスタン戦がウズベキスタンホームで行われる。前哨戦2試合(キリン杯)では、日本がチリ、ベルギーを相手に共に4−0でくだして優勝を飾った。サッカージャーナリズムは、“岡田ジャパン絶好調”と報道し、これにより、日本のサッカーファンのみならず、サッカーに多少なりとも関心を寄せる日本国民の多くは、日本が世界で一番早く南アフリカ行きを決めるものと確信を抱いているに違いない。

日本がキリン杯でチリ、ベルギーに圧勝したことは事実であり、そのことを否定しようもない。だが、筆者には疑問が残っている。というのは、日本の2つの勝利が日本の実力を証するものなのかどうかについてである。

日本のスポーツジャーナリズムは伝統的に、日本の対戦相手に関する情報を正しく伝えない。その特徴を最も顕著に表したのが、亀田兄弟のマッチメークであった。亀田兄弟が倒してきた相手ボクサーというのは、その実力に大いに疑問のある者であった。亀田兄弟がそのような相手を早いラウンドにてKOするたびごとに、スポーツジャーナリズムは“秒殺”と称して、亀田兄弟の“実力”を賞賛してきた。そして、その延長線上に内藤戦の不始末が生じたことは記憶に新しい。

筆者は、世界各国のサッカー事情に疎く、チリ、ベルギーの代表選手の常連の顔と名前を知らない。だから、キリン杯に来日した両国の代表選手がどれほどのレベルであるのかを判断できない。しかるに、今回来日した両国の代表選手は、チリ、ベルギーの国籍を有したサッカー選手という程度にしか了解し得ないのである。

もしかしたら、彼らの多くに潜在能力があり、いずれ、南米、欧州の一流クラブでプレーする可能性があるのかもしれない・・・いや、潜在能力どころではない、来日した選手は正真正銘の代表であり、今回はチームとして、調子が上がらなかった結果なのかもしれない・・・筆者にとって重要なのは、チリ代表、ベルギー代表の実態である。南米予選、欧州予選に出場している選手のうち、だれとだれが来日し、だれとだれが来日しなかったのか。今回、初めて代表入りしたのはだれとだれなのか。来日した選手がどこのクラブに所属し、どのような成績を残しているか等々が知りたいのである。

日本サッカー協会が亀田式のマッチメークで圧勝を演出し、日本代表の“実力”を日本のサッカーファンに印象付けるような興行を催したのならば、そのことは自殺行為である。自殺行為をもって、日本がW杯4強という目標があたかも、喫緊の課題であるかのような錯誤をサッカーファンに与えることは、それは犯罪行為である。

日本代表が圧勝して喜ばぬサッカーファンはいない。スポンサーも大満足であろう。しかし、このような公式試合を何百回催しても、日本の実力は上がらない。日本代表の実力を上げる方法は、厳しいスケジュールの中、アウエーで、日本より実力の上の相手と戦うこと以外にない。

ホームの満員のスタジアムでチリもしくはベルギーの国籍を有した選手で構成された2チームと日本代表が試合をして勝利しても、日本代表の実力は上がらない。反対に、0−4で負けた両国の来日選手たちは、完敗という経験をもちかえり、今後の精進の糧とするかもしれないし、自らのキャリアからの清算を願うかどうかはわからないものの。

話は飛躍するが、キリン杯、キリンチャレンジ杯の役割は終わったように思う。日本のプロ野球界でも、シーズン終了後、米国のメージャーリーグ(MLB)チームもしくはMLB選抜を日本に呼ぶ興行があった。それは、日本のプロ野球の実力がMLBに遠く及ばない時代、読売が率いる巨人軍が全盛の時代の慣例だった。しかし、時代が変わり、日本人選手がMLBに進出し、毎日、TVでMLBの試合が見られるようになり、WBC大会で日本が連続優勝するような時代になってしまえば、MLBとのオープン戦には何の意味もない。顔見世興行で日本がMLBに勝とうが負けようが、ファンは関心を示さない。日本人選手がヤンキースの4番に座り、日本人投手がレッドソックスのエースの時代である。日本のMLBファンは、シアトル、ニューヨーク、ボストン・・・へ、と、MLBの試合を見に出かけていく時代である。

筆者の子供のころ、プロレスにおいてもWリーグと銘打たれた興行があった。筆者の子供のころといえば、外国人プロレスラーすべてが奇怪な存在であり、それが世界各国の衣装をつけて現れただけで驚異だった。いまのキリン杯は、昔のプロレス興行を引きずった、誠に陳腐な「公式戦」である。

キリン杯はサッカーにおける、時代錯誤の興行である。熱心なサッカーファンならば、世界のW杯予選の試合の様子はわかっている。チリやベルギーが本番の予選であんな無様な負け方はしない。プレスをかけない守備で勝てる試合は、W杯予選では皆無である。

無論、こんどのウズベキスタン戦で日本が勝つか負けるかは、このことと無関係である。勝てば、キリン杯の役割が認められ、負ければ、それが貶められるという性格のものではない。重要なのは、日本サッカーの国際試合のあり方なのである。日本がウズベキスタンに勝とうが負けようが、キリン杯が時代錯誤の国際試合興行であることに変わりない。


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