Sports Enthusiast_1

2005年10月31日(月) いい試合だったのに

残念だ。もっと良質な主審の下でやらせたかった。優勝戦線勝ち残りを賭けた、浦和vs川崎は、浦和が3−2で勝ったものの、負けた川崎の方が内容は良かった。試合後、川崎の関塚監督は、「われわれを勝たせなかった何かが働いた」と抽象的にコメントしたにとどまったが、「勝たせなかった何か」とは、いうまでもなく主審の判定のことだ。
問題のシーンは3回あった。1回目は、試合開始直後、三都主に与えたPK。2回目は、川崎の得点の取り消し。3回目は、川崎の選手と浦和GKがゴール前で激突し、浦和GKが報復行為をしたシーン。主審は川崎の選手に一発レッド、浦和GKにイエローを出した。結果的に、浦和有利の判定が3回続いたことになる。
VTRで見ると、1回目は明らかに、ホーム優位の裁定だ。ボックス内で倒れた三都主は直接ゴールに絡んでいないので、ここでファウル=PKは甘すぎる。2回目は、浦和のマリッチの体をつかって川崎の選手がジャンプをしてヘディングシュートを入れた、という判定のようで、ゴールが取り消されてしまった。VTRで見る限り、確かに、川崎の攻撃の選手の手がマリッチの背中か肩に触ってはいるけれど、この程度ならばそのままゴールで構わない。これもホーム優位の裁定と思われる。3回目は明らかに誤審、というか、主審の判断ミスだ。ゴール前、川崎の選手の足が高く上がって、しかも、スパイクの裏を見せて浦和GKを襲った、というのが主審I氏の判断のようだが、川崎の選手の蹴り足は、浦和GKの体に触れた程度。あれくらいならファウルをとらない主審もいるので、これもホーム優位のジャッジで、イエローが適当だと思う。それに反して、報復行為で川崎の選手に殴りかかった浦和GKの方が、むしろ、レッド対象だろう。試合は、ロスタイムを入れて残り10分程度あったと思うので、浦和が得をしたことになる。レッドを受けた川崎の選手は、パワープレー用に交代で出てきた長身選手。川崎にしてみれば、反撃手段を一方的に奪われてしまったわけで、選手の反撃の意思が、一気に萎えたのがわかった。
さて、問題のI氏はSR(スペシャルレフリー)のようだけれど、不可解な判定が多いことで有名な迷審判。筆者には、この日も案の定、やってる、やってる――という感じがした。
浦和有利は、I氏の場合、確信犯的なのだと思う。「優秀」な主審は、ホーム優位の判定をする、という先入観がI氏にあるのではないか。それがI氏の先見的信念なのだと思う。
大事な大一番がこの先も続くシーズンの大詰め、厳しい試合を経験することで選手はうまくなる。発展途上の日本サッカー界にあっては、とりわけ重要な試合については、中立な裁定を維持した方が、選手の成長につながりやすい。浦和が主審のアシストで勝点3を上げたという事実は、浦和の選手の成長を妨げる結果につながる。ホーム(浦和)には楽に点が入り、アウエー(川崎)ゴールは根拠なく取り消される。こんな具合で勝っても、浦和の選手の成長につながらない。本来ならば、「負け」または「引分け」の試合で勝点が転がり込むようであれば、浦和の選手の実力低下につながりかねない。
おかしなI主審に対して、レッドカードを出せるのはだれか。審判を査定する第三者機関がJリーグに存在し機能しているのであれば、審査内容、査定内容等々をファンに公開すべきだ。Jリーグのホームページに、ファンが審判を査定する投票ボタンを設けてほしいくらいだ。サッカーファンは、いったいどのような手段で審判不信の声を上げればいいのか。



2005年10月30日(日) 面白くなってきたけれど

Jリーグ、首位G大阪が2連敗して、上位が詰まってきた。勝点6(2勝)以内までを優勝圏内と考えれば、千葉が含まれる。筆者はJリーグ開幕前、千葉の優勝を予想したので、望ましい展開だ。どのチームも90分で勝ちきることの難しさを実感しているに違いない。勝ちたい、けれど、負けてはいけない・・・首位争い、降格争いの当事者同士の一戦では、監督、選手も複雑な思いに包まれて、システム、作戦、展開、そしてワンプレーに至るまで、緊張を強いられている。
筆者は1シーズン制度及び引分け導入をずっと、主張してきたので、導入後、Jリーグがこのようなおもしろい展開できたことに満足している。日本のサッカーファンは、これまでやってきた前後期制、Vゴール方式が本来のサッカーと異なる代物であったことを実感していると思う。1シーズン制、引分け制度を、もっと早く導入していればなーと。
思えば、Vゴール及び前後期制を支持したのは、スポーツマスコミだった。引分けは日本人の感性に合わないとか、1シーズンにすれば、強いところが独走してつまらなくなる、という論調だった。スポーツマスコミのいずれもが、日本プロ野球――「巨人野球」をモデルに論調を展開していた。世界標準で培われてきたサッカーというのは、「巨人野球」とは隔たりがあって当たり前なのだ。世界標準に倣うことは、妥協でもなければ、模倣でもない。普通に、当たり前にやることで、人々におもしろいコンテンツが提供できる。
さて、全体として、いい方向に向かっているJリーグだが、神戸、東京V、柏の3チームが取り残されている。神戸については何度も書いたので、繰り返さない。東京Vは修正しきれていないけれど、目指す方向は間違っていないと思うので、ここで柏について詳しく書いてみよう。
降格候補ナンバーワンは、いま現在最下位(18位)の神戸(勝点21)だろう。以上、東京V・17位(同26点)、柏・16位(同30点)、大宮(同31点)、清水(同32点)と続くが、自動降格のもう1チームは柏で、入れ替え戦出場が東京Vだと筆者は予想する。
なぜ柏なのかというと、このチームの致命傷はトップ下の不在。今節の大宮戦は、玉田を下げてブラジル人2人をトップに上げ、3−4−3(1−2)で大宮と戦ったのだが、この新システムがまったく機能しなかったばかりか、FW玉田の良さまでが消えてしまった。
柏は、トップ下でゲームをコントロールする才能をもった選手が不在なうえ、加えて、サイドで基点をつくれる選手、サイドラインを駆け上がってクロスを上げられる選手がいない。
そればかりではない。柏にはチームとしての規律がない。まず、ボランチにリーダーシップがなく、守備・攻撃で中盤が有効に機能していない。だから、中盤で相手選手に激しく当たろうとしても、組織的なプレスがかからない。選手の役割が明確でなく、チームとしての意図がない。その結果、意思疎通がなく、チームとしての試行(トライアル)がない。つまり、柏には試合における戦術上の失敗がない。勝ち負けは仕方がない、勝負なのだから。でも、結果はともかく、一人ひとりの選手に役割を与え、それを全うしない選手がいれば、その選手に責任を問うことがなければ、選手はうまくなれない。それが規律というものだ。世界的天才が集まったチームなら、個々の選手のひらめきや創造性や技術で勝てるのかもしれないけれど、Jリーグのチームに天才集団がやるサッカーを求めても仕方がない。
攻めも単調だ。展開が足元のパス中心で、細かくつなぐプレーばかり。スペースに走りこむプレーが見られない。TVで見ていると、同じようなタイプの選手が、前―真ん中―後になんとなく集まってサッカーをしているように見える。
新任コーチは精神力ばかりを強調して、システムや戦術の工夫をしない。入魂と称して選手は煽られ、つまらないファウルを繰り返す。悪循環だ。
大宮戦は、本来FWで得点に絡むはずの玉田が、下がり目でゲームメーカーのような役割を果たしていた。結果、彼のスピードが生かされない。ブラジル人選手の3人が同じようなタイプで助っ人として、もったいない。たとえば、1人がポストプレーがうまいとか、高さで基点をつくれる選手ならば、攻めに変化が出てくる。それがないから、攻めの選択肢がゼロに等しい。
チームづくりとしては、トップ下不在の浦和が、ポンセを獲得して、弱点を補ったことが参考になる。柏を補強するのならば、FW玉田を生かすトップ下、リーダーシップがあるボランチを1人ずつ獲得することが必須。残った1枠は、やはり玉田を生かすポストプレーができる大型FW獲得が第一の選択で、第二の選択としては、大型FWの代わりにスピードがあり、サイドができる外国人選手を獲得することだ。
柏が開幕当初から、普通のチームづくりに務めていれば、もっと上にいっていたはずだ。熱血コーチが入団したくらいでは、チームの建て直しは無理というもの。



2005年10月29日(土) いい試合だった

注目の大分vs千葉は、1−0で千葉が勝った。知将シャムスカと老獪オシムの名監督対決だったが、オシムのキャリアが勝った。流れからの決定的チャンスは大分に2回あったけれど、千葉GKのファインプレーに阻まれた。千葉の得点は阿部のフリーキックから。サインプレーで左サイドに流し、上がってきたCBストヤノフが絶妙のクロスを上げてボランチの佐藤が決めた。
強い当たり、激しいプレッシャー、素早い切り替え、落ちない運動量・・・Jリーグのレベルも上がったものだ。ここまで白熱した好試合が見られるなんて、夢のようだ。前半、興奮した両チームの2選手にイエローが出たが、汚いファウルやレベルの低い乱暴なタックルがなかった。正々堂々、すがすがしい試合だった。こういう噛み合った試合が見たかったので、筆者の満足度は高い。
大分のマグノアウベス、千葉の巻の両FWは、きついマークにあって見せ場は作れなかったけれど、守備のレベルが高いのだから仕方がない。両FWを責められない。守備がしっかりしていれば、サッカーで4点も5点も入るわけがないのだ。TV解説者氏が「優勝決定戦のよう」ときわめて的確なコメントを残されていたが、まったくそのとおり。こういう試合が続けば、ファンの満足度も高まるし、選手のレベルも上がるというものだ。
シャムスカ、オシムの両監督は「似たもの同士」という評価だけれど、そのとおりで、2人のサッカー観は近い、平凡な表現だが、2人が目指しているのが「モダンサッカー」だと思う。2人のような優れた指導者がいればこそ、日本代表のレベルも上がるというものだ。
ただ、残念なのは、Jリーグのいい蓄積がいまの代表監督では生かされないこと。いまの日本代表監督のサッカー観とシャムスカ、オシムのそれとはずれているどころか、ずれすぎている。ドイツ大会まで代表監督の交代はないらしいので、代表のレベルは上がらない。代表監督交代後、2006年以降の日本代表の進化に、筆者は期待している。
大分を立て直したシャムスカ監督を筆者は知らなかった。世界にはいい選手もたくさんいるが、いい指導者もたくさんいるのだ。世界の壁はまだまだ高い。日本代表選手、Jリーガー、監督、コーチ、日本の協会関係者・・・日本サッカー界は、慢心してはいけない。謙虚にひたむきに世界に挑戦してほしい。



2005年10月27日(木) すべて見直しの時期

ロッテが阪神に4連勝。勢いとは恐ろしいものだ。専門家の間では、阪神が3週間試合から遠ざかったことが敗因だと言われている。ロッテはプレーオフで勝ち上がりチーム力をつけ投打とも充実する一方、阪神は実戦から遠ざかり調子を落としたようだ。こうなると、セリーグの優勝チームは、パリーグの覇者に勝てないことになる。
さて、そんな阪神のハンディキャップを差し引いても、ロッテの方が強く見えた。筆者はシーズン中、ロッテの試合を見たことがなかった。このチームの特徴は、言われるとおり、強力な投手陣、機動力、どこからでも得点できる打線ということになろうか。
それにしても、不思議なチームだ。元MLBのベテラン2選手、韓国のホームラン王は相当な実績があるのだろうが、ほかの選手の知名度は低いのではないか。ドラフト会議などで話題になった選手を知らない。バレンタイン監督は、彼らをどう鍛えたのだろうか。
有名選手に頼らないチームづくり、潜在能力を引き出す指導法――ロッテが阪神に4連勝した裏には、日本のプロ野球がこれまでやらなかった何かがある。ロッテと対極に位置するのが、今年の読売というチームではないか。ロッテが挙げた4つの勝利ばかりに注目しても何も出てこない。日本のスポーツジャーナリズムは、ロッテというチームをもっと深く取材し、その実態を野球ファンに伝える義務がある。とりわけ、大手スポーツ新聞は、阪神や読売という人気チームばかりを追いかけて、派手なカラー一面で売ることばかり考えている。
ロッテが阪神を4タテした今年の日本シリーズは、これまでの日本プロ野球のすべてを見直す時期が到来したことを告げている。



2005年10月25日(火) オフシーズンが楽しみだ

日本シリーズたけなわにもかかわらず、オフの日本プロ野球の動向が気になって仕方がない。早く日本シリーズが終わらないかなと、思うくらいだ。
広島、横浜、西武、阪神の経営母体が変わる可能性があるといわれる中、読売が新リーグ発足で他球団を牽制している。
思えば、昨年、1リーグ制の流れができかけたとき、ホリエモン騒動が起こり、選手会がストを打って世論(マスコミ)の応援もあり、2リーグ12球団が維持された。筆者はそのとき、現状の2リーグ、12球団に反対したけれど、いまも持論に変化はない。日本プロ野球機構という足腰の弱い組織に即すれば、1リーグ、10球団が理想だと当コラムで何度も書いてきた。
しかし、本来の日本の経済力、民力からすれば、1リーグ制(10〜12球団)というあり方は規模が小さすぎる。1リーグ制度の根拠は、日本のプロ野球が立っている土壌があまりにも脆弱だという理由からだ。
MLBは2リーグ・30チームある(3A、2A、1A、独立リーグを加えると、何球団あるのかわからない)。米国とカナダを加えた営業エリアは日本の25倍以上に達するから当然であるが、人口比でみると、米国3億人、日本1.3億人と、米国は日本の2.5倍程度と面積ほどの開きはない。つまり、単純に人口を指標とした場合、日本の市場規模は米国の約半分となる。これを球団数に割り当てると、日本は最低でも16球団程度の運営が可能となる。Jリーグが現在、J1で18クラブ・1リーグ制で運営していて、ほとんどのクラブが黒字だと言われているから、有力企業が新規参入を望むプロ野球であれば、10球団・2リーグ、合計20球団程度が可能だと推計される。スペインは人口(4,300万人弱)、国土が日本の約1.3倍、サッカーのスペインリーグが一部・20クラブで運営されているから、日本プロ野球が2リーグ・20球団というのは、きわめて妥当な推計だと考えられる。
20球団の地域割りとしては、北から北海道(1)、東北(1)、関東(1)、首都圏:東京(2)、横浜(1)、川崎(1)、千葉(1)、埼玉(1)、東海(1)、中部:名古屋(2)、甲信越(1)・近畿:京都(1)、大阪・神戸(2)、中国(1)、四国(1)、北九州(1)、南九州(1)くらいの分散が望ましい。
このくらい地域分散がなされていれば、ホーム&アウエーが明確となり、「巨人」一極集中というプロ野球でなくなる。そうなってはじめて、地域代表同士が雌雄を決する、プレーオフが実効性のある制度として機能する。
球界の盟主といわれる読売が、オール日本を見据えた青写真を描くことはない。読売は自社の利益追求手段として、プロ野球という娯楽を創設し戦略的に駆使して成功してきた。日本プロ野球とは、読売がつくりあげた「利権」にほかならないから、それをただで手放すことなど、あり得ない。コミッショナーは読売の傀儡だから、反読売を掲げて、プロ野球改革を目指すのならば、読売の影響から脱しなければいけない。
読売が新リーグをつくるというのならば、残った球団はそれと戦う覚悟がいる。読売が目指す新リーグは、これまで同様、「巨人」中心の「プロレス野球」の続行が期待できる。残った別リーグは、スポーツとしての野球が期待できる。どちらを望むかは、ファンが選択すればいい。読売の新リーグに参加する球団を「公共財」というのは難しいと思うけれど・・・
日本のプロ・スポーツ界を見渡せば、たとえば、プロレス界では、力道山亡き後、諸団体林立状態が続いている。かつて、志の異なる団体同士が因縁の戦いを演じたこともあった。野球においても、そういうコンテンツがあっていい。プロ野球が1つの機構で運営されなければいけない理由はない。
日本シリーズは早く終わりそうだけれど、この先もプロ野球から目が離せない。もうしばらく、球団売買やリーグ再編などの話題で楽しめそうだ。



2005年10月23日(日) 良くない傾向が続いている

●やる気がない神戸は解散だ
G大阪が負けて益々面白くなったJリーグだが、良くない傾向が修正されていないところと、みごと修正してきたところに二極化した。下位では神戸と柏が悪い状態を引きずっている。一方、同じ下位の清水、東京Vは、わずかのズレが修正できずに勝てないけれど、選手は一生懸命やっているし、チームの方向性も明確だ。もう少しの辛抱で上向く可能性もある。
まず、悪い代表が、降格確実の神戸だ。きのうは千葉に4−0と粉砕された。運動量、技術、闘志・・・戦うための条件のすべてが揃っていない。チームの進むべき方向が見えないままだ。補強のはずの外国人の働きが悪い。代表経験があるというチェコの2選手だが、見るべきものが何もない。この調子なら、日本人の若い選手に経験を積ませた方がいいくらいだ。チーム全体に活気がなく、戦う集団という雰囲気がない。
神戸は、J2でもJSLでも、とにかく落ちるところまで落ちたほうがいい。そもそも、神戸はクラブ経営に問題がある。当コラムで何度も書いたとおり、サッカーに理解があり、クラブ経営に情熱をもったオーナーに代わるべきだ。

●柏に学習能力なし
またもや退場者を出した柏。川崎のジョニーニョに真ん中を破られたDFが、後からレイト気味に、しかも、ペナルティーエリア内で足にタックルして一発レッド。前節の荒れた浦和戦の教訓を生かしていない。これも前に書いたとおり、柏が退場者を出す試合を繰り返すようになったのは、某氏がコーチに就任してから。闘志、根性ばかりを強調して、基本的技術・戦術を指導できないコーチなど、いらない。柏が下位に低迷しているのは、戦う姿勢が不足している面もあるが、むしろ、チームとしての規律(約束事)や戦術面の意思統一がなされていないからだ。そのことは、当コラムで何度も書いたので繰り返さない。
スポーツマスコミは某氏のコーチ就任を好意的に報道したけれど、結果として、柏のチーム状態は、某氏がコーチに就任する前より悪くなっている。
反対に、監督が代わって連勝している大分だが、大分の選手の当たりが急に厳しくなって勝ち進んでいるわけではない。監督が代わった大分は、ボランチの攻撃参加で攻撃の厚みを増して、FW(特に好調のブラジル人選手)と連携した攻撃が相乗効果を発揮して、点が取れるようになった。蓄積された守備のよさが財産として残っていたため、バランスの取れたチームになってきた。新監督が攻めの姿勢を選手に浸透させ、目指すチームコンセプトを選手が理解し、全体がいい方向に向かっている典型的な例だ。大分のシャムスカ監督と、柏の某コーチとでは物(頭脳)が違う。

●清水健闘、東京Vは惜しかった
同じ下位でも、ダービーで磐田と戦った清水は、前節の大量失点負けを修正し、追いついて引分けた。清水と磐田の選手の能力差は一目瞭然。代表、元代表、有望な若手が目白押しの磐田が圧倒的に有利に見えたが、清水は豊富な運動量と積極的な守備で勝点1を上げた。
東京ダービーのFCvsヴェルディは、2−1でFCが逆転勝ち。負けた東京Vだが、この負けは仕方がない。一生懸命やっても負けることはある。パラグアイ代表の個人技でしとめられた感じ。



2005年10月21日(金) 田中達の負傷について

先日の当コラムで、土屋(柏)にレッドカードが出ていると勘違いして、「出場停止処分が解けても謹慎してほしい」という意味のことを書いてしまった。土屋にイエロー、レッドは出ていなかったので訂正する。
さて、その「タックル事件」が尾を引いている。田中(浦和)はかなり重症のようだ。川渕キャプテンがこの事件について、当事者である土屋を擁護した。負傷した田中も、土屋に気を使って、「恨んでいない」という意味のコメントを出した。土屋は、事の重大さに気づいて、相当落ち込んでいるともいう。
浦和サポーターの怒りをこのまま放置しておけば、次回の浦和vs柏は遺恨試合になる可能性がある。選手同士、最初は自制が利いていても、スタジアムのムードに煽られて、試合中の一発のタックルをきっかけにして暴力の連鎖がピッチ内外に拡大するかもしれない。最悪の事態を回避するため、「サッカーは危険なスポーツ、だから、ゲーム中の負傷もあり得る」という「大人の解決」に向かっているように見える。
結果論で恐縮だが、事件のあったシーンをビデオで見ると、田中がゴール(向かって)左でトラップしたとき、田中の周囲にはかなりのスペースがあった。土屋はタッチライン沿いにいて、田中のマークを外していた。そのため、土屋はほぼフリーの田中めがけて一直線にタックルに走った。田中はトラップ後、ゴール正面に走りながら右足シュートを狙う態勢をとろうとした瞬間かもしれない。田中が土屋の動きを認識(予見)していなかった可能性が高く、それが重症につながったという想像は可能だ。
土屋のタックルで田中は一瞬にして倒れた。田中が体ごともっていかれた映像ではなく、田中の体は植物のようにピッチに立ちながら、根元から折れたようにも見えた。
田中が倒れたときのテレビ放送の映像は、カメラが俯瞰気味なので、二人の足の位置関係がまったく見えない。ピッチレベルのカメラアングルならば、田中の足に対して、土屋の足がどのような角度でぶつかったのか、あるいは、ぶつからなかったのかがわかるのだが、そのような映像は管見の限り存在していない。
川渕キャプテンの「裁定」では、土屋のタックルはボールに行っていた、とコメントされている。それが事実ならば、土屋のタックルは、田中の後からボールをまっすぐ蹴りだす直線方向ではなく、ボールをタッチライン側に角度をつけて蹴りだそうとした可能性があり、そのとき、土屋のどちらかの足が田中の足首を襲った、という想像が可能だし、タックルに行った足ではなく、残ったほうの足が田中の足首を襲った可能性もある。
う〜む。こう書いていて空しさが残る。こんな想像をしてもはじまらない。結果としては、田中というプレーヤーの商売道具の足が、土屋のタックルで骨折したという事実以外は残っていないのだが、冒頭に書いたとおり、主審は土屋のプレーに対してカードはもちろん、ファウルもとっていない。土屋のタックルはボールに行っているという「判定」にもかかわらず、田中の足首は骨折した。審判の「判定」及び川渕キャプテンの「裁定」は、満員のスタジアム、衆人環視の中、超常現象が起きたことを意味するかのようだ。
土屋のタックルで田中の体が飛ばされ、着地のときに足首を捻ったということも考えられるが、前述したようにテレビ映像では、田中が飛ばされたという印象はない。ドーンというよりも、グッシャと田中が崩れ落ちたように見えた。
土屋のプレーがラフであるために田中にケガを負わせたのか、悪い偶然が重なり合って事故が起きたのか、このあたりは素人で部外者、中継映像だけしか情報がない筆者にはわかりにくい。けれども、試合中のサッカー選手同士ならわかるのではないか。田中の近くにいたマリッチ、長谷部が頭を抱えたポーズから想像すると、“あってはならないプレー”だった確率が高い。だが、「土屋の処分」はもちろん、あり得ない。主審がファウルとさえ判定していないプレーで、選手が処分されることはない。
この事件の背後には、まず1つとして、筆者がたびたび当コラムで指摘してきたように、Jリーグの審判レベルの低さがあるかもしれない。事件が起こる予兆として、柏の選手の退場処分があった。主審がたびたび柏に「不公平」と思われる判定を行った、という声もあった。その結果、入れ込んだ柏の選手が深いタックルをした可能性もある。そうだとするならば、主審のジャッジが事件を呼び込んだ可能性がある。川渕キャプテンはJリーグの審判問題の重大さがわかっていない。Jリーグチェアマンも審判問題について積極的な手を打っていない。両者とも、審判ばかりを擁護するかのようであり、試合中カードが多いのは選手の技術が低いかのような態度だ。
事件の背景の2つ目は、柏のチームコンセプトの不在だ。
話は飛躍するが、スイス代表は、W杯欧州予選でグループ2位通過で、惜しくもプレーオフにまわった。下馬評ではフランス、アイルランドが二強といわれたグループだったが、スイス、イスラエルが健闘し、なかでもスイスは強豪2国に割って入った。もちろんこの先のプレーオフで敗退する可能性もあるけれど、スイス代表は、筆者が好きなチームの1つである。このチームはフランス、アイルランド、イスラエル・・・とよく噛み合うし、ファウル、とりわけ汚いプレーが少ない。スピードがあり組織的な守備をする。決定力に欠けるところが弱点かもしれないが、欧州の小国としては立派なチームをつくってきたといえる。
筆者が日本のクラブチームに求める理想は、スイスのようなチームだ。規律が高く攻守の切り替えが早い。スピード、パワー、運動量が試合終了まで落ちない。そして、ファウルをしない守備力が相手にフリーキックを与えない結果につながり、セットプレーからの失点を防いでいる。
土屋の所属する柏がどのようなチームを理想としているのか、シーズンを通してわからないままだが、闘志や闘争心だけではサッカーは勝てない。一対一や玉際に強いという意味は、相手選手を壊すようなプレーをしてもいい、という意味ではない。柏の指導者は、技術とパワーとハートの三位一体の指導をこの先、選手にしていくことが求められている。土屋一人の責任で済まされる問題ではない。



2005年10月16日(日) Jリーグ、悪い兆候

●攻撃は外国人選手まかせ
15日(第27節)のJリーグの結果は、ちょっと気になる。浦和7−0柏、川崎4−1名古屋、大分5−0清水、G大阪4−1神戸と、大量点、一方的な試合展開が多すぎる。得点者をみると、浦和のマリッチ3、川崎のジョニーニョ3、大分のマグノアウベス2、G大阪のアラウージョ2。さらに、浦和のポンセ、川崎のマルクス、大分のエジミウソン、東京Vのワシントン、C大阪のファビヤーノ、新潟のアンデルセンリマ、神戸の朴が1得点で続く。外国人選手の得点獲得が圧倒的で、全得点29点中17点にのぼる。外国籍選手の出場は、1チーム3人までに限定されているから、出場選手数の割合でみれば圧倒的シェアを占める。第27節(15日)に限れば、Jリーグの得点における外国人選手比率は6割弱だ。全試合の比率を計算していないが、もしかしたら、5割以上に達するのではないか。通算得点ランキングをみても、日本人最高得点が大黒16で3位、1位のアラウージョ30得点に大差をつけられている。(2位はワシントンの20)
レベルが上がり白熱した試合が続くJリーグだが、この数字を見る限り、攻撃については、外国人依存であることがよくわかる。Jリーグで上位を占めるには、得点力のある外国人選手を獲得することが近道というわけだ。
日本代表の試合が攻撃力に乏しい、あるいは、ゴールを目指す気迫がない、と指摘されるが、Jリーガーは試合で得点を上げる機会はもちろん、狙う機会も少ないのが実態なのかもしれない。日本人ストライカーの誕生は夢か。

●“削る”プレーをコーチング?
さて、話は変わって、問題の浦和vs柏。柏のDF土屋が浦和のFW田中をタックルで骨折させる事件が起きた。そもそも、この試合は荒れていた。事件が起きる前、柏の明神がイエロー2枚で退場。2枚目の明神のタックルもレイト気味で危険なものだった。柏側は浦和のラフプレーにカードは出ないで、自分達ばかりにイエローが出る、と苛立ちがあったという報道もあった。Jリーグの審判の質も事件の背景の1つかもしれないが、そう確言するだけの情報を筆者はもっていない。
だが、よくよく考えてみれば、柏にラフプレーが増えたのは、あの人がコーチに就任してからではないか。柏のファウルは、南米サッカーでよくある“削る”プレーに近い。柏のコーチは、選手に闘志・根性・闘争心を煽って、相手の好調な選手を削って退場に追い込み、試合をものにするという戦術をとろうとしたのか。柏の汚い守備が故意でなければ、あまりにも技術が低すぎる。好調田中(浦和)を狙った土屋のプレーは、やってはいけないプレー。田中の選手生命を奪う可能性があるものだ。土屋は、出場停止期間がとけても、自発的に謹慎してほしい。

●破綻、崩壊する下位チームの守備
東京V(17位)が一時期、大量失点試合を続けた。監督が代わってやや落ち着いてきたものの、15日は退場者が出た柏(14位)はもちろん、名古屋(9位)、清水(15位)、神戸(18位)と、名古屋以外、降格ラインにひしめくチームが大負けしている。下位グループはおしなべて守備が脆く、上位に勝点及び得点をやすやすと献上している。神戸は、試合開始から超守備的布陣を敷いて、終わってみれば4点も取られている。論外というほかない。日本サッカーのトップリーグで、プロ同士がこのような大味な試合をしてはいけない。リーグ終盤、下位チームは負けるにしても、上位を苦しめなければいけない。
もっとも、神戸については、当コラムで何度も書いたとおり、クラブ(オーナー)がチームを強くするプランを放棄したとみなされる監督更迭をリーグ開始前に行っている。神戸は実力から見て降格は当然だが、選手がもっともっと走り、相手を厳しくチェックすれば、4点も取られるはずがない。走るスタミナがないのは練習不足、厳しくチェックしないのは気合不足。ひたむきにプレーしなければ、クラブはもちろん、リーグを壊すことにもなりかねない。
ふがいない試合を続ける下位チームに、猛省を促したい。



2005年10月14日(金) ペテロビッチ監督は・・・

14日のA新聞朝刊によると、厳しい欧州予選を勝ち抜いてドイツ行きを決めた、セルビアモンテネグロのペテロビッチ監督は、「クラブで出番のない選手は使わない」という方針を貫いているという。筆者はきのう、当コラムにおいて、「筆者が代表監督なら、試合に出ていない選手は代表に呼ばない」と書いたけれど、実際にそのような方針をもっている代表監督がいることを知って、うれしく思っている。
きのうも書いたとおり、海外組で出番の「ある」選手といえば、実績で小野、ヒデ、松井、俊輔、高原、大久保だ。彼らに続いて柳沢、ベンチ入りが難しいのが稲本、中田浩となる。所属する国、リーグ、クラブのレベルが様々だが、ペテロビッチのように明確な基準を設定することは、代表選考にぶれが生じないメリットがある。サッカーに限らず、選手は試合に出てこそ価値がある。経済大国日本人選手の場合、広告塔という利用価値があるため、出番のない選手の実力は、そのリーグの平均よりかなり低い。
ラトビア、ウクライナのアウエーで試された日本代表(海外組中心)は、W杯予選敗退したラトビアに四苦八苦し、W杯出場を決めたウクライナ(主力を欠いた)に負けてしまった。ペテロビッチの基準に従えば、海外組といわれる、Jリーグに属さない選手のうち、小野(治療中)、ヒデ、高原、松井、俊輔以外が日本代表に残る可能性は低くくなる。
W杯出場選手の枠は23人、GK3人を除くと、各ポジション2人が原則となる。日本代表が、3−5−2のシステムを採用するとするならば、DF6人(宮本、中澤、坪井、茶野、田中、箕輪)、MF10人(小野、松井、俊輔、小笠原、阿部、福西、三都主、村井、ヒデ、加地)、FW4人(大黒、高原、大久保、巻)がいま現在順当な代表選考となる。
12月に行われる組合せ抽選の結果を見たり、選手のケガやコンディション等々の変化もあるので、「現時点」では、という但し書きがつく。が、ぺトロビッチの選考基準と、海外組=代表というジーコの選考基準を比較すると、東欧遠征で明らかになったように、ペテロビッチの選考基準に分がある。出番のない海外組選手には、なおいっそうの奮起を期待したい。



2005年10月13日(木) 海外組の実力がわかった

日本17位、ウクライナ39位。世界ランキングなど、いかに当てにならないか、昨晩の代表親善試合を見た人ならば納得できると思う。しかも、ウクライナにはシェフチェンコを筆頭に有名選手は出ていない。日本代表もレギュラー全員が揃っていないのでお互い様だが、それでもウクライナのほうが体力、運動量、規律・・・において優れていた。
中田浩への一発レッド、終了間際のPKと、主審のいただけない判定には閉口したが、日韓W杯で韓国、日本が得た「疑惑の判定」の数々を忘れてはいけない。サッカーとはそんなものだ。親善試合、昨晩の試合は日本の判定負けだと思えばよい。それくらい、日本のサッカーはレベルが低かった。
そのなかの1つ、中田浩の背後からのタックルがイエローかレッドか――という議論は無益である。ラトビア戦のミスパス、ウクライナ戦で一発レッドと、2つのミスを犯した中田浩を責めるのならば、彼が試合状況をわきまえないプレーをしたという一点に尽きる。ラトビア戦のヨコパスは言わずもがな、ウクライナ戦でのファウル(結果は退場)は、時間帯、エリア、展開を考えてみれば、あれほどリスクの高いプレーをする必要がないことは明白だ。中田浩の2つの問題のプレーに共通しているのは、それぞれの状況にそぐわないプレーをした、ということになる。
中田浩はたいへん、すばらしい選手だと思う。トルシエ前代表監督に見込まれたのかどうか知らないが、フランスリーグにまで進出した選手だ。しかし、彼は試合に出ていない。だから、試合(勝負)でやるべきプレーを選択できなかった。連続して起きた彼の2つのミスは、その帰結である。
筆者が代表監督ならば、試合に出ていない選手は代表に呼ばない。ジーコが鹿島に特別な愛着を抱く人物であることはよく知られている。だから、鹿島で育った(海外組の)中田浩を守備の要の一人として抜擢したいと考えるのだと思う。しかし、W杯本大会までの代表選手選考については、試合に出場し、チームの勝利に寄与し、チームメートから信頼を得ていることを最低限の条件としたい。まず、国内(Jリーグ)で活躍していること、そのことは海外でも同じだ。海外(欧州)と日本とはレベルが違うというかもしれない。しかし、海外で試合に出ないで練習ばかりの海外組なら、Jリーグで厳しい真剣勝負をしている選手の方が本番で力を発揮する。
乏しい収穫しか上がらなかった東欧遠征だったが、海外組の力が計れたいい機会だった。光るのは、松井の運動量とスピードくらいだ。ついでにいえば、ボランチ稲本も同じだ。いまの稲本の力量ならば、Jリーグの福西、遠藤で代替可能だし、運動量と成長性でいえば、阿部(千葉)の方が魅力的だ。FWの柳沢も同じだ。嫌味で言えば、評価が高い俊輔が所属しているスコットランド(リーグ)は、FIFAランキングで74位だ。こんな低いリーグで俊輔は「活躍」しているにすぎない。最近のJリーグの試合の充実ぶりを考えれば、Jリーグ及びJリーガーはもっと、自信をもっていい。



2005年10月11日(火) 真の阪神ファンならば

阪神タイガース球団株の上場については、野球協約違反にならないように、球団の上に持ち株会社(阪神タイガースホールディングズ/HTHD)を設立する案が浮上している。阪神電鉄がHTHDの株式の51%以上を保有し、残りを上場して流動化するというのだ。おもしろい案だと思う。専門家の指摘では、阪神電鉄の上位に阪神ホールディングズ(HHD)を設立して事業会社をその傘下に置くことのほうが本筋だというが、それはそれとして、HTTDが球団本体及び球団関連企業――たとえばグッズの製造販売、ライセンス管理、球場運営管理会社等々――を傘下にして、ひとまずスタートしてもおもしろい。
実態上の阪神球団の株はおそらく、かなりの額で取引されると思う。そうなれば、阪神球団は、読売を上回る資金調達が可能となり、球団運営に大きなメリットが生ずる。プロ野球界における読売一極支配構造は、資金調達面で阪神が上回ることにより、解消される。読売の横車がなくなり、理に適ったプロ野球運営が期待できる。
そればかりではない。HTHDの経営者の力量次第だが、周辺住民にも好影響が出てくる。課題の1つである老朽化した甲子園球場の改築が進み、一帯がボールパークになる可能性が高まる。そうなれば、沿線の都市開発が進み地価上昇が見込めるから、周辺住民の資産価値は高騰する。まちの付加価値が上昇するから、地域のステータスが上昇する。ちょうど、ディズニーランド建設によって、京葉舞浜地区の不動産(資産価値)が上昇したのと同じ現象が甲子園球場周辺に期待できる。
テレビには、“村上ファンドと戦うぞ”と気勢を上げている硬派のタイガースファンが登場する。けれど、以前、当コラムに書いたとおり、まったくの誤解だ。村上ファンドの提案が説明不足だから誤解が生じたのか、それとも、テレビ等のマスコミ報道の仕方が誤解を生んだのか原因は定かでないが、真の阪神タイガースファンならば、読売一極集中から脱して、阪神HTHDが球団の盟主になる可能性が高まり、ホーム球場及びその周辺が整備され、自分達の住む地域の付加価値が高まり、その結果自分の資産価値が高まることに反対する者はいないと思うのだ。
大阪の人は儲け話に敏感だという。ならば、村上ファンドが提案する儲け話に乗らない手はない。読売がスポーツマスコミを使って撒き散らす虚偽報道に踊って、味方の村上ファンドと「戦って」はいけない。阪神球団の星野SDが真に阪神タイガースを愛するのならば、その熱血振りを、いまこそ、HTHDの実現に向けて発揮してほしい。
(追記)
夜、ニュース番組に星野SDが特別出演していた。星野SDは村上ファンドの上場提案に反対という立場を明確にした。星野SDの立場を大雑把にいえば、野球素人がプロ野球のことに口を出すな、という独善的なものだった。阪神が負ければ株が下がる、と星野SDは決めつけるが、そんなことはない。球団株が投機の対象になるというが、株とはそもそも投資なのか投機なのか区別できないものだ。もちろん、投機株に自分の金をつぎ込むことは、違法ではない。球団株を投機株とみるかどうかは、投資家の判断であって、観念的社会通念で判断すべきでない。もちろん、星野SDが決定する事項ではない。球団SDが個人の投資行動を妨害するような発言をするとは、極めて残念だ。星野SDも読売と同類、古臭い「プロ野球ギルド」の一員ということだ。
影響力、発言力のある星野SDが、時代の流れに乗らない以上、球界からは改革の流れは絶対に起きないと思える。星野SDが言うように、プロ野球は「文化財」だ、と固定的に考えるのならば、「文化財」とは朽ち果てる運命にある物であることは、疑いようがない。このままいけば、大相撲と同じ運命が待っている。日本の真の野球ファンは、テレビで日本人選手が活躍するMLBを見るしかなくなる。若者に「好きな野球チームはどこ?」と聞けば、「ヤンキース」と答える時代が近づいてきた。



2005年10月09日(日) 弱さの証明

FIFAランキング、日本16位対ラトビア63位。いくらアウエーとはいえ、日本は勝たなければいけない相手だ。日本代表の中心メンバーは「海外組」と呼ばれる欧州のクラブに在籍する選手が主力となった。といっても、レギュラーはヒデ、俊輔くらいで、高原、松井、大久保、柳沢はレギュラーと控えの中間クラス。稲本、中田(浩)はベンチ入りもできない。先発は大久保以外の7人が揃った。
前半は高原のまぐれシュートが決まり、相手のプレスも弱く、楽勝ムード。後半開始まもなくPKをもらい、2−0とリードした。でも、ここまでの試合展開で日本の実力が証明されたと思うのは、大間違い。
後半、ラトビアは選手交代を含め、ガンガン前に出てきた。戦術はハイボールを前に当ててこぼれ球を拾ったり、日本のヨコパスを奪って一挙にゴール前に迫るという、シンプルな戦術だ。難しいことは何もしない。ワンツーすら行わない。日本代表に勝る体力、パワー、スピードで押し込んできた。ラトビアの1点目はコーナー、2点目は中田(浩)のミスパスをFWに奪われてフリーで決められた。中田浩のミスパスといえば、02年日韓W杯ベスト8をかけた日本vsトルコ戦を思い出す。あのときも中田浩のミスパスがコーナーキックを献上して、決勝点をヘディングを決められた。中田浩に進歩が見られないのは、試合に出ていないからだ。海外に「いるだけ」の海外組は戦力にならない。
ラトビアの戦略は日本選手の疲労を待って後半勝負に持ち込むものだった。日本の1点目の高原のまぐれシュートと2点目のPKはもちろん彼らの想定外で、前半は0−0でいいとの組み立てのように思えた。サッカーは90分の勝負なのだ。
この試合に限れば、監督采配、監督・選手の試合の読みの正確さ、選手のパワー、スピードといった運動能力、さらに組織力において、ラトビアの方が上。日本代表のFIFAランキングがバブルであることの証明のような試合だった。日本はコンディションの悪い海外代表チームにホームで勝って、ランキングを上げてきたのに過ぎない。立場が変われば、勝てないのが現実なのだ。
ジーコ監督は、前半の楽勝ペース、高いポゼッションに気が緩んだか。後半、「黄金」の中盤がへばって防戦一方になったまま、建て直しがきかない。選手交代のタイミングを逸し、守備のシステム変更(3バック)でバランスを崩しミスが出て失点、しかも、勝ち越し狙いの攻撃陣の交代で出てきたのが、鹿島の鈴木、本山。この二人が何で代表なの。国内のオールスターに不出場ながら、もっと元気のいい選手がいるだろう(いないか・・・)。鹿島の選手を優遇して、海外遠征に参加させたとしか思えない。ジーコジャパンではなく、ジーコ鹿島か。親善試合なんだから、新しい選手を試すべきではないのか。



2005年10月08日(土) 上場すべきか

阪神球団の株式上場が話題になっている。村上ファンドが球団の親会社・阪神電鉄の筆頭株主になり、子会社の球団株の上場について、現経営陣と協議を開始したらしい。
球団株の上場の是非については、一般企業が株を上場することにメリットとデメリットがあるのまったく同じことで、どちらがいいとは言えない。上場すれば大量の資金調達が可能な反面、このたびの阪神電鉄のように、株の買占めの対象となる。このことはもちろん、球団株の上場に限ったことではなく、すべての企業に共通している。欧州のサッカークラブが上場して、失敗したという情報も聞いている。勝敗次第で球団株が上下するとなると、選手・監督には相当なプレッシャーがかかるだろう。けれど、それがエネルギーになって、選手はより真剣に試合に臨むかもしれない。ファンとの一体感も増すから、選手の技術向上につながる可能性が高い。グッズの売上拡大も重要だから、商品開発が真剣になる。ファンはいままでより、適正価格で良い商品を入手できるかもしれない。もちろん、企業が資金調達を図る手段は株式上場だけではない。新たなスキームを模索する道もある。たとえば、SPC(特定目的会社)を使った、球団資産の証券化が思い浮かぶ。株式上場以外の手法については、専門家の提案を待ちたい。
ところで、野球協約には球団株上場についての明確な規定はないが、持ち株名義に変更があったとき、届出の義務があるという規定が事実上というか運用上、上場禁止に該当する。さらに、れいの「公共財」の規定を、上場禁止として読めるかどうかの議論になっているようだ。
上場が良いか悪いか――への回答は、良い面も悪い面もある、という以外ない。すべての企業と同様、株式上場が成功することもあるし失敗することもある。つまり、経済人には、株式上場を選択をする自由、さらに、語弊はあるものの、その結果失敗する自由も保障されている。試みる前から、やらせない、認めない、できない・・・となると、経済人の自由が奪われていることになる。現行の協約が球団経営の選択肢を制限しているとしたら、そのことを規制と呼ぶ。規制が拠って立っている構造を改革することを「構造改革」と呼ぶ。
上場反対の急先鋒は読売らしい。日本プロ野球をつくったのは読売だから、読売のやり方しかやらせない、という論理が上場禁止の趨勢に反映している。読売が目指したプロ野球のあり方は、何度も当コラムで書いたとおり、「プロレス野球」だった。「巨人」を頂点にしたプロ野球を理想としながら、もちろん、野球は1球団では成立しないから、「巨人」と「その他球団」という図式をつくった。その体質は半世紀以上経過したにもかかわらず、変わらないままだ。だから、読売のW氏が、自分の流儀に合わない球団経営を目指す「株式上場」を阻もうとしているというわけだ。
さて、日本における野球組織でリーグ戦を運営しているのは、アマチュアの東京六大学、関西六大学などの大学野球組織があるくらい。都市対抗は大会方式(カップ戦)で、大企業のスポーツサークルが肥大化したもの。強大な高校野球もカップ戦だ。東京六大学リーグは「早慶戦」が売り物で、残り4大学(球団)はおまけみたいな存在で、なんとなく「プロレス野球」に近い。しかも、春夏年2回の開催で、リーグ期間も短い。一方、プロリーグとしては、今年から四国独立リーグが発足したが、消滅は時間の問題とも思える。
つまり、読売が創設した日本「プロ野球機構」に対抗できるプロリーグ組織は存在しない。唯一の機構に自浄作用があるかといえば、もちろんない。だから、構造改革は期待できないので、空しい議論が交わされつつ、新しい試みを放棄したまま、時が過ぎていく。このまま時代に取り残されれば、行き着く先は「自然死」だ。読売がつくった日本プロ野球はいずれ、消滅する、というか、消滅したほうがいい。



2005年10月05日(水) 痛々しい

サッカーJ2横浜FCのカズがシドニーFCに移籍した。もちろん、この移籍は、今年初めて開催される世界クラブ選手権のためのもの。この大会は日本で開催されるにもかかわらず、地元の日本のクラブの出場がない。ACL予選で敗退してしまったのだ。開催国チームが出ないから、大会は盛り上がらないし、チケットの売れ行きも悪いらしい。報道では、カズの移籍は、大手広告代理店の思惑で実現したという。この時期、J1の代表、元代表クラスで、サッカーに関しては二流以下の豪州のクラブに移籍を望む選手はいない。世界クラブチーム選手権に出場できたとしても、移籍先が豪州では、ステップアップとは言えない。
そこで、J2のカズに白羽の矢が立った、のだろう。カズの本当の気持ちはわからないけれど、「日本サッカーの話題づくりのため」という大義を選んだのだと思う。カズとはそういう、“男気”のある選手なのだ。
それにしても、残酷な話だ。ブラジルの名門サントスでレギュラーという実績を引っさげて日本に帰国。アメリカW杯アジア予選では「ドーハの悲劇」を体験し、セリエAでは怪我に泣き、フランスW杯では目前で代表落ち、クロアチアでも活躍できず、Jリーグ復帰後は、V川崎、京都、神戸へと渡り歩き、今年はJ2にまで流れた男だ。フランスW杯での仕打ちを思えば、日本サッカー界に義理立てする理由はないと思うのだが、カズにはマイナス思考ができない。日本のサポーターが喜ぶのならば、と移籍を承諾したのだと思う。
大会でカズの活躍はおそらく、望めまい。けれど、開催中に1得点でいいから上げてほしい。それがカズの最後の“栄光のゴール”になる可能性も高い。スポーツ選手としてはきわめて、運がないけれど、その功績と現在の境遇は、MLBに最初に進出した野茂投手と似ている。キズだらけの栄光とは、この二人のためにある言葉か・・・



2005年10月04日(火) 阪神タイガースはだれのもの?

ファンのもの――という、一見、真実に思えるご意見。だが、市場主義経済では本来、自由競争が前提となる。聖域はないはず。だから、ある日、阪神電鉄の筆頭株主が変わることもある。新しい株主が阪神タイガースを譲渡することもあり得る。しかし、こんな優良なコンテンツを手放す企業は少ないし、買い手はいくらでもいるから、タイガースがなくなるとは考えにく。いずれにしても、タイガース球団を運営するかどうかについては、新オーナー(新経営陣)を迎えての議論となる。
報道によると、阪神タイガースの某SDが、阪神球団は公共財だから、村上ファンドの株の買い込みはけしからん、という意味の発言をしたらしい。が、まったく噛みあわない意見というほかない。自由な経済活動について、感情的批判をするとはさすが「体育会」。某SDの転倒した思考のほうが問題だ。阪神タイガースのオーナーは永遠に現阪神電鉄経営陣であると限れば、それこそ私財そのものではないか。
阪神タイガースが公共財ならば、球団の所有が不特定多数になることも、あるいは、所有者が自由に交代可能となることも、想定しておかなければいけない。たとえば、タイガースの所有者がファン一人一人である可能性(ソシオ制度)もあるし、複数の所有者の共有になる可能性もあるし、電鉄以外の企業あるいはファンド1社による所有となる可能性もある。
阪神電鉄現経営陣のように、“一度握ったものは放さない”というのであれば、株式を“公開”してはいけない。某SDの誤解は、阪神タイガースファン=阪神電鉄現経営陣ファンだという思い込みにある。某SDが阪神電鉄の現在の経営陣=株主に肩入れしたい気持ちはわかるけれど、「公共財」という言葉を正しく理解して使ってくれないと困る。
タイガースファンは甲子園に愛着をもっている。近々甲子園は改装の予定があったのだが、このたびの一件でそれが延期されるかもしれない、といわれている。これもおかしな、そして、幼稚な議論だ。いま現在、タイガースファンはどれだけのサービスを受けているのか知らない。阪神が優勝したので、当面不満はないのかもしれない。だが、新しいオーナーに変われば、ファンはもっと斬新で手厚いサービスを受けられる可能性だってある。某SDがいまのオーナーの立場ではなく、真にファンの立場を代弁するのならば、まず、市場における競争を認めて、それがファンにもたらすメリットについて、しっかりとファンに伝えるべきではないか。ファンの名を借りて、自由な経済競争に恫喝を加えるような発言は慎んでいただきたい。
さて、このたびの村上ファンドの一件は、阪神タイガース球団の身売り話ではない。阪神電鉄の株主の構成が変わり、経営陣が変わる可能性があるというにすぎない。だから、阪神電鉄の経営が危うくなって、たとえば、ライブドアのようなIT企業が阪神タイガースを所有することとは違う。万一そうなったとしよう。それでも、幸いにして「阪神」という表現は、大阪の「阪」と神戸の「神」、すなわち大阪〜神戸一帯を表す地域名なので、「阪神電鉄」を意味しない。だから、かりに阪神電鉄以外の企業がタイガースを所有しても、「阪神」という冠が残る可能性も残されている。
いずれにしても、その判断も新しい球団所有者を迎えてからの議論になる。福岡ダイエーホークスを買ったソフトバンクが、福岡ソフトバンクホークスと名乗ったように、阪神電鉄の面影を残す阪神タイガースを●●タイガースに改名しない保証はないけれど、阪神=ハンシンをどう読むか、という瑣末な課題だ。



2005年10月02日(日) 1リーグ制しかないな。

今季のパリーグは負け越し西武が2位に20ゲーム以上の大差の3位でプレーオフ(PO)に出場する。筆者は当コラムで、パリーグのPOの制度的欠陥について何度も書いてきた。リーグ戦で勝率5割を切ったチームが短期戦POでパリーグの王者になってしまったら・・・
今シーズンのパリーグは、いってみれば、ソフトとロッテの2強、西武、オリックス、日ハムの3弱、楽天問題外という構成だった。楽天はおよそ100敗。リーグに参加はしているものの、ペナントレースには実態上、関与していないに等しい。楽天からもぎとった勝利で5割弱の3チームがPO出場を「争った」形になるが、いかにも低レベルで、興味を覚えない。そればかりではない。詳細なデータはないが、パリーグの観客動員数は減少している。人々がペナントレースの興味を失っている証拠だろう。
そもそも、6球団で上位半分の3球団がPOをするという制度に疑問を持たないこと自体が不思議というほかない。大方の日本のスポーツマスコミが、この制度を礼賛した。そればかりか、セリーグも2007年から同じ制度を取り入れると聞いている。
MLBの場合、日本の約25倍の国土と地域の独立性が基盤になっている。そこに30球団以上が分散している環境だから、東西中の3地区の覇者で争うPO制度に意味がある。日本でPO制度を導入するとしたら、1リーグ制で東西2球団のPOだろう。この場合、2リーグ制の日本シリーズの代替になる。せいぜい、その程度の規模で妥当性がある。
パリーグの覇者はソフトだ。ロッテも健闘したが2位。それでいいじゃないか。残りの3球団は戦力を整えて出直してほしい。問題外の楽天は、基本から球団づくりを見直し、プロ球団らしい補強をしてほしい。それができなければ、昨年の大混乱のレベルに戻り、1リーグ制度について、建設的な議論をしてほしい。いまのパリーグの惨状からみて、球団数の減少は避けられない。おそらく、今オフ、西武の身売り話が再燃する。10球団1リーグ制の合理性が見直される。そのとき、POを併せて議論すればいい。



2005年10月01日(土) 阪神優勝、おめでとうございます。

筆者は阪神ファンではないけれど、長いペナントレースを制したのだから、お疲れ様でしたとねぎらいたい。今年のセリーグは阪神、中日のほぼマッチレース。途中で交流戦があり、中日が調子を崩した。中日も後半猛チャージをかけたが、とどかなかった。
一人蚊帳の外だったのが読売。高額所得者が並ぶ割に勝てない試合が続いた。読売崩壊については、シーズン中、当コラムで何度も書いたので繰り返さない。オフにチームを徹底的に改造し、建て直しを図ってほしい。
セリーグでは、その読売、広島、ヤクルトで監督が交代する。読売が原の復帰、ヤクルトが古田か。
今シーズで明確になったのは、“投手分業制が確立したチームが上位を維持できる”ということ。TV解説者のコメントを聞いていると、「エースは先発・完投しなければいけませんね」といった声もあるが、時代錯誤もはなはなはだしい。
優勝の条件として次に挙げるのが、“調子のいい選手を使う”こと。やはり、日本の球界には「不動のオーダー」信仰があって、「9人野球」を理想とする傾向が残っている。実力差が開いていたV9時代なら「9人野球」もあり得るが、いまの時代は無理。関連して言えば、“チームに競争意識を植え付け、若い力が勝利のエネルギーに連動する仕組みを整備する”ことが必要。三番目に確認できたのが、“打線の役割の明確化”か。読売が、4番打者を並べて「自由に打って勝つ」野球を目指したのかどうかわからないけれど、そういうチームではペナントは取れない。
こう書いてきて、当コラムで何度も同じことを書いてきたのを思い出す。今年は、読売の悪口ばかり書いてきたけれど、この人気チームはお金ばかり使って結果が出せず、ファンがブーイングを発しない不思議な存在。こういう球団が消滅しなければ、日本プロ野球がプロスポーツとして再生することはないのだと思う。多くの才能をもった若者がプロ球界に身を投じるが、いっそ、米国からプロ人生を始めるほうがいいのかもしれない。日本プロ野球はまちがいなく、退化している。
次回は、「まやかしプレーオフ」で混乱が続くパリーグについて書く予定。


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