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五十嵐 薫
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エンピツユニオン

2011年10月18日(火)
ジイシキカジョウ

赤ちゃんの笑い声が、聞こえてきた。

振り返ると若い夫婦が、押していたベビーカーを覗き込んでいた。
二十代前半くらいの父親。その少し頼りないくらい細い肩越しに、赤ちゃんの小さな手が見えた。
やはり若い母親の横顔は、ゼミの後輩に少しだけ似てた。
たぶん口元に浮かんだ、小さなえくぼのせいだろう。



日曜の夕方。
秋の太陽は斜めに射し、若い親子の影はアタシの足元に届く。
どこからか、食べ物の匂いがする。
玉ねぎを炒めた匂い。カレーとか肉じゃがしか思いつかないとこが庶民だよなぁ、と思う。
行き交う車のスモールランプに、ヘッドライトが交じり始めた。



ふいに、涙が出そうになった。
取り留めない思考が頭を横切る。

置いてきたものと、手に入れたもの。
今でも時々、頭の片隅で天秤にかける事がある。
スタートはきっと、あの赤ちゃんと一緒。
愛情を、いっぱい注がれて育ったことだけは間違いない。
幾つかの選択肢、幾つかの分岐点。
アタシはちゃんと、取捨選択してきたのだろうか?

トイレやお風呂の中で、時々変なことを考える。
人生の分岐点に立つたび、細胞分裂したもう一人のワタシが生まれる。
もう一人のワタシは、ことごとくアタシの反対側の選択肢を選ぶ。
そして今頃、全く別の人生を歩んでいる。
外資の証券会社で働くキャリアウーマンだったり、個性派の女優だったり、ドメスティックブランドのプレスだったり、サッカー選手と結婚してイタリアで暮らしてたり・・・。
幼稚っぽい妄想だと、我ながら思う。


ベビーカーが動きだす。
親子の影が、アタシの膝に届く。
母親の方と目があった気がするけど、逆光気味なので表情は判らない。
アタシは取り合えず、会釈する。



「どうしたの?」
アタシの肩に、大きく暖かな手が置かれた。
その感触に、ほっとして息を吐く。

そして、さっき何故涙が出そうになったのか、その理由を瞬時に悟る。

私は口元の笑みで応え、また歩き始める。



運命に従うのも運命、抗うのも運命。
そして。
運命なんて言葉、忘れちゃうのもまた運命、だよね?

ひとつ教えてあげるね。
肉じゃが、ルクルーゼで作ると美味しいんだよ。


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