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五十嵐 薫
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頑張ろう東北!
エンピツユニオン

2006年05月18日(木)
Honey

ソファに座ってすごす午後。
サイドテーブルに積み上げた本。

今日は朝から雨だった。

部屋干しの洗濯物から漂う柔軟剤の匂い。
ドリップしたてのハイローストのグァテマラ。

雨ってだけでいろいろなものにうんざりする。

音楽はフレンチボサで、せめて気分だけでも湿度を下げたかった。

新刊の本からインクの匂い。
古本屋で求めた本の埃臭さ。

些細なことが些細なまま鈍器で突付かれるような不快感に取って代わる。






組んでいた足を解き、伸びをしてから反動をつけ立ち上がる。
膝から落ちたマン・レイの写真集は放っておく。

ジーンズに履き替えた。
首周りがボロボロになったクイックシルバーのTシャツを被る。
ナイキのウォーターシューズを靴棚から取り出す。

一瞬躊躇したけど。

傘を持たずに玄関のドアを開けた。






雨に煙る海岸線を歩く。
五月の雨は見た目ほどには冷たくなかった。



モンベルのレインダンサーを着込んで犬の散歩をしていた男が、びしょ濡れで歩く僕を怪訝そうに眺める。

お互い様だよ、と口の中で呟く。

犬用のレインウェアなんて売ってるんだと感心する。



胸に仕えてたしこりが雨にあたって溶けたみたいだ。



そうか。
こんなことか。



それはおそろしく簡単な事実で、
簡単なことほど見えないものなんだね。




口笛が口をつく。


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2006年05月10日(水)
Sweet Candy

「これ、キレイね。」
ダイニングから女の声がする。
額まで引っ張ったタオルケット越しに聴こえる。

「キャンディ?」
近づく女の声。
続いてソファに腰掛ける音。

「なんかキレイすぎて身体に悪そう。」
瓶を振る音。

「固いわ。」
蓋を開ける音。



僕はベッドから上半身を起こした。
裸にシーツを巻きつけたままソファに座っている女を眺める。

人指し指と親指の間にはルビーのような赤いキャンディ。
カーテンから差し込む光に透かしながら女が言う。
「甘いもの好きだっけ?」

僕は小さな欠伸をかみ殺しながら答える。
「ホワイトディに渡しそびれた。」

女は小さく笑う。
「私に?」

僕もつられて笑う。
「いや、違う。」



女は悪戯な目をさらに細め僕の表情をうかがう。
口から白い歯が零れる。

キャンディは女の口に消えた。



「怒った?」
女が言う。

「いや、別に。」
僕は答える。

怒るのはむしろ君の方だ。
そのキャンディはもう3年もそこにあるんだ。
これは口に出さない。



女はソファーから立ち上がりベッドに近づく。
僕の頬を両手で包み、唇を近づける。

唇が触れる瞬間、女の口の奥から。
がりっ、とキャンディの砕ける音がした。



重ねた女の唇は甘く、その甘さに胸が疼く。




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2006年05月07日(日)
恋愛ロジック

駅前のスターバックス。
待ち合わせに現れた女は知らない女だった。



大きく波打つ漆黒の髪。
資生堂のモデルみたいなメイク。
カバンも上着もクロエ。
そして膝丈のスカート。

湘南のローカル駅じゃなかなか見かけないタイプだ。



女は初めにテラス席を見回し、その後店内にいる僕をガラス越しに見つけた。
綻んだ口元には見覚えがある。

「そうだった。タバコ、辞めたんだよね。」
声も、だ。

「三年振りだね。久しぶり。」
女は僕の目をのぞき込み確かめるようにそう言った。






二人して海岸を歩く。

「ヒールが傷だらけになるよ?」
「いいの。別に。」

女はミュールを脱ぎ左手にぶら下げた。

「歩くときは左側がいいな。」
「そうだったね。」

鳶が大きく旋回する。
一瞬の凪。

「サーフィン、久々にしたいなぁ。」
「すりゃいいじゃん。」

女は僕の顔をのぞき込み首を傾げる。

「ボストンで?」
「ボストンで。」

女は目を細めて笑った。






その笑顔。
それは憶えてる。

その笑顔が好きだった。






季節がどんなに移ろおうと。
二人の時間がどんなに隔たろうと。

ひまわりみたいなその笑顔は忘れない。




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2006年05月02日(火)
一人の昼と二人以上の夜

本牧からベイブリッジに乗り大黒を目指す。
吹き抜ける風に車体が軽く流される。

細波がキラキラと輝く海の向こうに京浜工業地帯の灰色が広がる。
案外いいコントラストだ。

工場や煙突や鉄塔だって何十年もそこに在れば景色に馴染む。

煙突から吹き上がる水蒸気が晴天の空に雲を浮かべるための作業に思えるほど空気が蒼い。

これは、と思った。
春のぼやけた風景じゃなく夏の風景だ、と。

ヘルメットの中で口をすぼめる。

無条件で気持ちのいい日だ。



ゴールデンウィーク前の一瞬の静寂だろう。
大黒の海釣り公園にはほとんど人がいなかった。
僅かに数組のカップルが思い思いの場所で海を眺めていた。
僕は海から少し離れたベンチに座り買ったばかりのヴィッテルのキャップをひねる。
喉をひんやりとした水が流れ落ちる。

ふぅと安楽の声が口をつく。

中型犬を連れた初老の男が軽く会釈して僕の前を通りすぎる。

視界には広々と蒼が広がる。






時間はあっという間に流れる。
行きかう貨物船の船員の数を想像したり、遠くの雲を動物に見立てたりしてると特にだ。





気づけば二時間もぼっとしていた。


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