外国為替証拠金取引
JIROの独断的日記
DiaryINDEXpastwill


2008年06月03日(火) 「普賢岳 3日午後も各地で追悼行事 発生から17年」←マスコミの犠牲になった消防団員・警察官など。

◆記事:普賢岳 3日午後も各地で追悼行事 発生から17年(6月3日22時3分配信 毎日新聞)

 91年の長崎県雲仙・普賢岳大火砕流の発生から丸17年を迎えた3日、同県島原市では午後も追悼行事が各地で行われた。

火砕流発生時刻の午後4時8分に、被災した消防団員が詰め所にしていた農業研修所の跡地で遺族や関係者約30人が黙とうをささげた。


◆コメント:消防団員や警官さえ立ち入らない危険地帯にマスコミが入り込んだので、消防団員などが道連れで犠牲になったのである。

「火砕流」とは、ウィキペディアによれば、

火山噴火の際にマグマが発泡や崩落により粉砕され、高温ガスと一体になって火山の斜面を高速で流れ下る現象

だそうだ。

高温のガスが時速にすれば、70kmから100kmで斜面を下ってきたのである。その様子は、YouTubeにある。

この、ものすごい勢いで迫る、火砕流(正確には火砕サージというらしいが)を見よ。

これほど恐ろしい映像があるだろうか。


100℃を超える高温のガスが時速100kmで斜面を下ってきたのである。43人が亡くなった。

亡くなったのは報道関係者14名。消防団員12名、警察官、同行していたタクシー運転手、前日行われた選挙のポスター撤去作業をしていた人2名が含まれる。

何故、消防団員が巻き込まれたか。消防防災博物館

まさかの噴火−「雲仙・普賢岳 噴火災害を体験して」より−を全面的に信頼するならば、次のような次第である。

火砕流がもっともよく見える北上木場地区の「定点」といわれた場所は、6月3日には避難勧告地域に指定されていたのに、

マスコミは、地元の消防・警察の制止に従わず、この定点に留まっていた。

まさかの噴火−「雲仙・普賢岳 噴火災害を体験して」より−を見ると分かるが、

この「定点」に陣取っていた報道関係者と、彼らを連れ戻そうと、仕方なく「定点」に引きずり込まれた、消防団員、警察官などが、

突然起きた大規模火砕流に巻き込まれて、全員死んだのである。



そのときのニュース映像は、これもYouTubeで見ることが出来る。


◆とにかく、酷い映像だった。

YouTubeの動画を見ても分かるとおり、即死を免れて病院に搬送された人は、皆、重症の全身火傷で、あまりの痛さに身をよじっている。

正視に耐えない。何が苦しいといって、火傷ほど苦しいものはなく、消防団員の中には気管の中まで、熱風で焼けただれていた人がいた。

確かその人は婚約中で、婚約者のかいがいしい看病の甲斐もなく、散々苦しんだ末に亡くなった。

不謹慎を百も承知で敢えて書くが、こんなことなら、現場で即死した方が余程楽だっただろうと思われた。

因みに即死した遺体の多くは何百度という熱風で焼かれ、完全に真っ黒な「炭素の塊」になっていた。とても人間の遺体とは思えないほどだった。

当時の事を覚えていない若い方の為に動画へのリンクを貼ったが、私はYouTubeの映像を見るまでもなく、

このときのあまりにも残酷な光景をニュースで見て、唖然としたことを良く覚えている。

亡くなった報道関係者にも妻子がいた人がいた筈で、気の毒には違いないが、敢えて心を鬼にして死者に鞭打つことを書く。

マスコミが、地元消防団・警察の制止に従って、避難勧告地域であった「定点」に止まらなければ、

これほど多くの死者を出さなくて済んだのである。

こういう行動は「勇気ある行動」ではなく、「無知に由来する無茶な行動」であり、それが、死ななくて済んだ人までを巻き込んだことは事実である。

ともあれ、犠牲者のご冥福を祈る。

【読者の皆様にお願い】

是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。


2007年06月03日(日) 「訃報 羽田健太郎さん58歳=ピアニスト」←毎コンで三位に入賞するということはものすごいことなのです。
2006年06月03日(土) 「自殺 8年連続3万人超 40代以下増加顕著」秋田県が10年連続「自殺率全国一」である原因に関する仮説
2005年06月03日(金) 小泉内閣の郵政民営化プランには、緊急性、必然性が認められない。
2004年06月03日(木) 子供にネットや携帯は不要である。(殺人事件とは別の話)
2003年06月03日(火) 医療観察法案を強行採決 委員会可決、今国会成立へ

JIRO |HomePage

My追加