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JIROの独断的日記
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2006年04月14日(金) 「東大の講義をビデオポッドキャスト」小柴先生の講義に感銘を受けました

◆記事:「東大の講義をビデオポッドキャスト」

東京大学は4月12日から、講義のビデオポッドキャストを始めた。ノーベル物理学賞を受賞した小柴特別栄誉教授などの講義映像を、Webサイトから無料でダウンロードできる。

講義情報のネット公開プロジェクトの一環で、大学の講義や公開講座の映像を配信する。

第1弾として、小柴栄誉教授や小宮山宏学長など4人が「物質の科学」をテーマに1、2年生向けに講義した映像の冒頭20分を配信した(ITmediaニュース) - 4月13日11時24分更新


◆コメント:有難い世の中である。

私は、毎日朝から晩まで様々な情報を収集することを仕事にしている。

中心となるのは政治経済の分野で、だからこのような日記・ブログを書く気になったわけである(余談だが、4月15日で、エンピツに登録してから4年になる)。

それでも、色々な情報源を見ている間に、仕事には無関係だが非常に面白そうな記事を見かけることが毎日必ずある。

今日(4月14日)も、偶然、上に掲げた記事を見つけたが、仕事中にpod castingを訊くヒマは無いし、そもそも会社のパソコンにはiTunesなどインストールしていないので、物理的にも不可能である。



で、帰宅後聞いてみた。

東大のポッドキャスティングだけのことはあって、題名が

「学術俯瞰(ふかん)第一回:小柴昌俊『宇宙と素粒子-物質はどのように作られたのか』」

と重々しい。

ところが、小柴先生のお話は驚くほどやさしく、丁寧なものだった。感激してしまった。

そこで、講義の冒頭をほんの一部だが、文字におこしてみたので、お読みいただきたい。
皆さんこんばんは。

今日、私がこのシリーズの最初に喋ってくれ、と云われたのは、「物質はどのようにして生まれてきたか」と言うことなんですが、実はね。これは、大変に難しい問題なんですよ。

あのね。あなた方はそう思わんかも知れないけどね。立派な学者っていうのはね、「沢山のことを知っている人」じゃないの。

「知らないことがこんなに沢山あるぞ」と言うことを痛感しているのが、立派な学者なんですよ。

そういう意味でね。私の今日の話の中でね。「こういうことも分かってないんだぞ、ああいうこともわかってないんだぞ」ということが沢山出てくるのを、あなた方は知ることになると思う。

それともう一つ。

今日の講義は文化系の人も聞いているということをさきほど知らされたんだけど、私の講義には数式は一切使わない。だから虚心坦懐に聴いてください。



まず最初に物質はどのようにして作られたのかという大問題なんですけどね。これはね。皆さんも知っているように、どの宗教でも「宇宙の始め」というおとぎ話が出てきます。

ですから、今から百年以上前の人達に、「この世の中はどうやって始まったんだ?」って訊いたら、必ず「神様」を持ち出してきたはずです。

で、神様を持ち出してきて説明するってのは、一番“easygoing”なの。ってのは、神様ってのは何でも出来ることになってますからね。

それでね。神様を持ち出さないで理解しようとし始めたのが、あなたがたも、もう知っていると思うけど、「ルネッサンス」という動きですよね。



じゃあ、今、振り返ってみて、「物質はどういう風に出来たのか?」と言う問題を考えた人が、もう何年も前からいます。

今から半世紀以上前に、ロシア生まれの物理学者で、ジョージ・ガモフという人がいました。

或いは皆さんの中で、「不思議の国のトムキンス」という本を読んだことがある人がいるかも知れないけど、それを書いた人です。

このガモフって人がね。「宇宙の一番最初はどうなっていただろうか」ということを頭の中で考えました。で、どういう結論に達したかって云うと、

我々の宇宙の一番最初は、うんとエネルギー、つまり温度が高くて、密度がとても高い「中性子」という粒子の塊だったのだ、と、そういう風に「仮定」したんですね。

科学ってのは、大体、最初ゼロから全部説明するなんてことは無いわけね?

必ず、こういう「仮定」から出発して「じゃ、こういうことが説明できるか?」という論法になるわけです。


◆感想:冒頭を聴いただけで感銘を受けた。

この後、合計20分間の放送なので講義の一部しか聞けないのだけれども、私は、いやしくもノーベル物理学賞受賞者である小柴先生の講義を自宅で、無料で聞かせていただけることを忝なく思った。

お話の内容も興味深いが、小柴先生のお人柄に惹かれる。



世の中には大したことがないのに偉そうな顔をする学者もいる。

「自分は頭が良いから、頭の悪いお前らに教えてやるのだ」、という雰囲気をぷんぷんと臭わせるような話し方をする学者もいる。

反対に、「それでも学者か?」とこちらが問い質したくなるぐらい、大衆に迎合的で、テレビに出演しては小遣い稼ぎばかりしている者もいる。



小柴先生は、そのどれにも当てはまらない。「権威」を笠に着るというところが皆無である。

そもそも、小柴先生ぐらいの大先生にもなると、素人にも(文系の学生にも聞いているし、恐らくポッドキャスティングを通じて一般人が聴くこともしっておられただろう)分かるようにかみ砕いた話をする、などということは、面倒がったり、「自分のような『偉い』学者の仕事ではない」と公言する人すらいる。

ところが小柴先生は、可能な限り易しくかみくだいて、ゆっくりと話しておられるが、講義の中に、今なお「サイエンスへの情熱」を感じて、私は胸が熱くなった。

それは、ご自身の「サイエンスへの情熱」もさることながら、「若い人たちにサイエンスに興味を抱いて欲しい」という情熱、が伝わるからである。


◆「何が分からないのか、を自覚しているのが偉い学者だ」という一言。

私が文字に起こした「講義録」(?)の冒頭をもう一度お読みいただきたい。

あのね。あなた方はそう思わんかも知れないけどね。立派な学者っていうのはね、「沢山のことを知っている人」じゃないの。「知らないことがこんなに沢山あるぞ」と言うことを痛感しているのが、立派な学者なんですよ。

私は、この言葉を伺って、深く得心がいった。

生意気盛りの学生は「当たり前だ」で終わらせるだろうが、そうではない。

この言葉に小柴先生の小柴先生たる所以(ゆえん)があるのだと思う(「だと思う」という書き方をしたのは、私は直接先生に接したことがないからである)。

私は四十年以上生きてきたが、これほど謙虚な言葉を率直に口にする学者を知らない。



先ほど書いたばかりだが、学者のみならず、世の中の「賢い人々」の中には、「自分はこれも知っている、あれも知っている。こういう難しい理論も理解出来る。お前ら分からないだろう?」という態度を露骨にする者が大勢いる。

それどころか、自分が知らないことを「知らない」と言えず、分からないことを「分からない」と認めたがらない人も大変多い。

こういう人達とは対照的に、ノーベル物理学賞受賞者の小柴先生は、「自分、又は今の科学では分からないことがまだまだ、沢山ある」と自覚しているのが立派な学者だ、と仰る。

賢明なる読者諸氏にはお分かりだと思うが、念のために僭越ながら補足させていただくと、小柴先生が自らを「立派な学者」だと公言しているのではない。

小柴先生は学者の「あるべき姿勢」を示し、ご自分もそう自戒して勉強してきた、と仰りたいのである。


◆カスタマーレビューでは誰もそのことに触れていない。

何事にも人それぞれ、異なった感想を持つのが当たり前だが、ちょっとがっかりした。

iTunesでカスタマーレビューを読むと、小柴先生がこれほどかみ砕いて話してくださるのを聴いて感激した、尻切れトンボで(何せ20分だから)がっかりした、何だか良く分からない、難しすぎ、など様々だが、

要するに、講義の本来のテーマ、「物質がどのように作られたか」というテーマにのみ囚われているのである。

それはそれで当然かもしれないが、私が強調した冒頭の一言の重みに触れている者がいないのは残念ですな。



やはり若い人には分からないのだろうね。

いろいろ経験し、色々な人間を世の中で見たことがないと、今、小柴先生の講義(それがほんの一部でも)を聴ける自分の幸運や、小柴先生のような人物が滅多にいるものではない、ということは分からない。

ある程度はやむを得ない。しかし、「何だか良く分からない、難しすぎ」とわざわざ書き込む馬鹿にはあきれる。


◆すぐ諦めるな。

ここ数年、企業の現場でも、新人の「忍耐力のなさ」が話題になることが多い。

困難な仕事に遭遇すると、すぐ嫌になり放り出す。

ちょっと叱ると、男の子が泣く(会社でですよ?)。泣くだけならまだしも、一回叱ったら辞めてしまったというのもいる。



勿論、そうではない人の方が多いのだろうが、この「何だか良く分からない」奴はどうせ一度しか聴いていないのだろう。分かろうと努力する習慣が身に付いていないのだ。

そもそも大学の講義は一度しか聴けないものだ(自分で録音しない限り)。それをポッドキャスティングでは何百回でも聴けるのである。それを利用しようとしない。

また、講義とは学者が一生をかけて勉強したことの一部分を説明しているのだ。

ましてや小柴名誉教授はノーベル物理学賞受賞者であり、いくら易しく説明してくださると云っても、次元が違う。

ちょっと聴いただけで、理解出来るだろうと考える方が僭越である。


◆文句を付けることばかり考えていては、ダメだ。

ネット上に見られる、本の感想や、今回の講義の感想を読んでも分かるのだが、世の中、あら探しにばかり夢中になり、「そこから何かを得よう」という気持ちが弱い人が多い。

今回のポッドキャスティングに関して云えば、講義が尻切れトンボだろうが、何かを得られたはずで、それを自覚しようとしないから文句ばかりになる。

本も同様である。一冊丸ごと全面的に大賛成、とか面白くて読み出したら止まらない、などという本は滅多にないのだ。それでも「何か」は得られる。

得られるかどうかは、読み手の姿勢によるのだ。



私は、小柴先生の

「立派な学者っていうのはね、『沢山のことを知っている人』じゃないの。『知らないことがこんなに沢山あるぞ』と言うことを痛感しているのが、立派な学者なんですよ。」

この言葉を伺っただけで、講義(の一部)を聴いた甲斐があったと思っている。


2005年04月14日(木) 「米国実験施設 50年前の致死インフルエンザウイルスを世界中に誤送 」←イラクより米国の方がよほど危ないね。
2004年04月14日(水) 「アンマン対策本部混迷、3邦人人質『情報少ない』」「イラク拘束・不明者17カ国56人超に」そりゃ、情報が少ないわけだよ。
2003年04月14日(月) バグダッド市民、みっともないぞ。

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