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JIROの独断的日記
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2005年10月31日(月) 今放送中のN響アワー、「幻想交響曲」のすすめ。(改訂版)

◆N響アワー、始まってしまったが、皆さんDVDレコーダーとかお持ちでしょうから、4,5楽章だけでも録画して聴いてください。

 

 今夜、幻想交響曲というのをやります。

 大きなお世話なのだが、幻想交響曲のCDを買って聴いてくださいというのは、なかなか書きにくいが、NHK教育テレビなら、録画しておいて、DVD±RWとか、HDDレコーダなら、気に入らなければ消してしまえば良い。

 私はNHKはこういう番組を放送するだけでも十分存在価値があると思っている。

 イギリスに住んでいたときに分かったが、西洋音楽の本場、西洋には、このような、オーケストラコンサートを録画録音して、それに専門の作曲が易しい解説を加える、などという親切なものは存在しないのだ。

 それは、皆知っているからでなく、ヨーロッパの一般大衆もクラシック音楽については、日本の普通のひとと同様或いはそれ以下の関心しか、持っていないからである。


◆ベルリオーズという人の作品です。
 

私は、中学生の頃「幻想交響曲」を聴いたとき、てっきり、現代音楽だと思った。

 それほど革新的な作曲技法が用いられている。

 しかし、後に調べてひっくり返るほど驚いた。

 「幻想交響曲」が初演されたのは、かの有名なベートーベンの「第九交響曲」が初演された(1824年)、わずか6年後なのである。



 まず、オーケストラ編成がその当時としては信じられないぐらい、大規模である。

 ティンパニが二対(二個じゃないですよ。ティンパニ奏者は大多数の交響曲では一人だが、この曲では二人いるのだ!)、チューバが二本、その他木管も四本ずつの四管編成。ハープも二台。


◆ベルリオーズは正式な音楽教育を受けていない。

 

 普通作曲家は絶対音感があって、何十段もあるオーケストラ・スコア(総譜)を頭の中で鳴らして書く。

 ピアノで音を出してみなければどんなメロディーか分からない、どんなハーモニーか分からない、という程度の耳の人は、作曲家にはなれない。
 それでも、大抵の作曲家はものすごくピアノが上手い。ベートーベンの交響曲のスコアを目の前に置くと、メロディーと和声進行を瞬時に見抜いて、ピアノで弾くことが出来る。

 ベートーベン自身、幼い頃から親父に散々しごかれた。(ベートーベンの親父はしまいにはアル中で、廃人になったが、ベートーベンの才能をいち早く見抜き磨きをかけたという点で、やはり、天才だったのだ)。

 ベルリオーズは何の楽器も弾けなかった。両親は彼を医者にしたくて、医大に進ませた。一応通ったが、医学に興味は湧かなかった。

 とにかく、ベルリオーズは子どもの頃、正規の音楽教育を一切受けていなかった。 絶対音感だけで、頭の中で完璧に、大編成のオーケストラを演奏することが出来た。

 これが天才でなくて、何だろうか。


◆ストーカーだったベルリオーズ。

 

 ベルリオーズはフランス人だが、アイルランド出身のシェークスピア女優、ハリエット・スミスソンに猛烈な片思いをして、熱狂的な手紙を無数に送って、スミスソン嬢を死ぬほどおびえさせた。

このころ、ベルリオーズは全く無名だったのだ。それでも念願が叶って、後に二人は結婚するが、10年で離婚した。



 「幻想交響曲」は、その自分の体験と、英国の文学者、トーマス・デ・クウィンシーが書いた「阿片常用者の告白」という本からヒントを得た、「標題音楽」と呼ばれるものである。
 ある芸術家が失恋の末にアヘンを飲んで自殺を図るが致死量に至らず、幻想を見る、という「ストーリー」を音楽で表した作品だ。

 しかし、考えてみたら、こんなことは、「幻想交響曲」のCDを買えば、ライナーノーツに必ず書いてあるからこれ以上書かない 

 全曲聴かなくていいから、第二楽章(非常に美しいメロディーのワルツ)、第四楽章、「断頭台への行進」(幻想の中で芸術家は彼女を殺して死刑宣告を受け、ギロチンへ送られる)と第五楽章(終楽章)だけでも、ちらりと聴いてみてください。

 「断頭台への行進」は名前は縁起でもないが、非常に闊達な音楽だ。

 第五楽章の冒頭のテーマは二本のテューバで演奏されるが、元はグレゴリオ聖歌から取られている。

 最後はオーケストラの各楽器のパートがめまぐるしく動くがそれが見事に重なり、壮大な音の建築物となる。

 こんなものをピアノを弾けないのに書いたベルリオーズは、文句なしの天才である。人間業とは思えない。


◆おすすめCD

 

 幻想といえば、これ、というぐらい有名な演奏はシャルル・ミュンシュ指揮、パリ管弦楽団である。しかし、あまりにも定番なので、もう一つ。

  パリ・バスティーユ管弦楽団、指揮は、韓国のチョン・ミョン・フンである。

 チョン・ミョン・フンは姉がバイオリニストのチョン・キョン・ファで、この人は間違いなく、世界的名手である。

 弟のチョン・ミョン・フンも指揮者ではあるが、ピアニストとしても成功したと思われる。何せ、チャイコフスキーコンクールで2位に入った、というすごい経歴があるのだ。

 その後、パリオペラ座の音楽監督を務め、ウィーン・フィルの定期演奏会に呼ばれる(それだけで超一流の証拠)し、アムステルダム・コンセルトヘボウ、アメリカのフィラデルフィア・オーケストラ、英国のフィルハーモニア管弦楽団の客演に呼ばれており、優秀な音楽家であることを裏付けている。

 紹介した「幻想交響曲」CDのオーケストラは失礼ながら超一流ではないのに、そのオーケストラから驚くほど美しい響きを引き出している。


◆「幻想」は一度生で聴いてみてください。

 

普段馴染みのないひとはクラシックの演奏会を非常に、窮屈に感じるようだ。
 それは、一つの原因は回りと同じタイミングで拍手しなければ、と、思いこんでいるからである。

 そんな「決まり事」はどこにもない。つまらなければ、拍手をしなくても一向に構わない。
 「ブラボー」なんて叫ぶ人も多いが、大抵は単なる目立ちたがり屋である。人間、本当に感激したら、しばらく声などでないものである。

 そんなことはどうでも良いし、幻想交響曲が作曲された背景とか、自分で書いておいて何だが、ベルリオーズの生涯について勉強する必要などさらさらない。ただ聴けばよい。

 幻想交響曲のようなフルオーケストラの迫力は、再生機器を通しては絶対に分からない。これこそ、身体で聴く音楽である。

 第4楽章、第5楽章(終楽章)のフォルティッシモを聴く快感は、電気的に増幅された「大きな音」を聴くのとは、全く異質のものである。

 咆哮する金管セクション、炸裂するパーカッション(打楽器)、地の底から響いてくるようなティンパニ・・・。

 ある時、私がN響の「幻想」を聴きに行ったときに、どこかの高校生達が、課外授業(音楽鑑賞)で大勢来ていた。

 最初はつまらなそうな顔をしていたが、第4楽章のマーチが終わったところで、あまりの迫力にすっかり興奮してざわめきだし、第5楽章の演奏開始がしばらく遅れたのを覚えている。

 私は、その時、少しも嫌な気がしなかった。高校生諸君の素直な感受性が嬉しかった。


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