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JIROの独断的日記
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2005年01月18日(火) NHK番組改変問題で「徹底究明求める声明」 民放労連 ← 妥当です。

◆記事1:NHK番組改変問題で「徹底究明求める声明」 民放労連

 

 NHK特集番組の改変をめぐり、チーフ・プロデューサーが内部告発した問題で、日本民間放送労働組合連合会(碓氷和哉委員長)は18日、「事件の徹底究明を求める声明」を発表した。

 声明は「制作者の良心をまっとうしようとしたプロデューサーを守り抜くことを表明しているNHKの労組を強く支持する」などと労組同士の連帯を表明。中川昭一、安倍晋三両衆院議員に「国民が納得のいく説明」を求めている。 (01/18 21:14)


◆コメント:問題の本質は何か。

 

 1月13日の日記で、NHK以外のマスコミ各社は、国家権力の前にひれ伏すつもりか、と書いた。


今の腐った世の中では、マスコミ各社、特に民放の報道の連中は、臭い物に蓋をする、を通り越して、NHKに全て押しつけて終わりになる可能性が高い、と期待していなかった。 その意味では、今日の民放労連のコメントは、私にとっては嬉しい誤算である。


◆NHKの番組内容と、検閲して良いかどうかは別の話である。

 

 何通か、反論メールを貰ったが、その中で明らかに勘違いしているものがあった。

NHKが放送しようとしていた「従軍慰安婦」に関する番組内容が誤っていたから、放送法3条の2に照らし、内容を修正されても仕方がない、という意見である。



 【法律の構成に関する基礎知識】

まず、分かっていない人がいるが、放送法3条と3条の2は別の条文である。

放送法に限った話ではない。どの法律でも、3条と4条の間に新たな条文を加える必要が生じた場合、新しい条文を4条にしてしまうと、以後、全部繰り下がり、他の法規でその法に触れているものは全て、書き直さなければならず、膨大な作業と整合性を確認する精査が必要になる。

こうならないために、3条と4条の間に追加したのが、3条の2、さらに追加したければ、3条の3、となる。3条の2は「さんじょうのに」であり、第3条第2項とは全く違う。




 さて、放送法第3条は次の通り。


第三条  放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

 これは、云うまでもなく、日本国憲法第21条から派生した規定である。



 日本国憲法 第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

○2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。



 そして、放送法第3条の2は次の通り、



第三条の二  放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

一  公安及び善良な風俗を害しないこと。

二  政治的に公平であること。

三  報道は事実をまげないですること。

四  
  1. 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

  2. 放送事業者は、テレビジョン放送による国内放送の放送番組の編集に当たつては、特別な事業計画によるものを除くほか、教養番組又は教育番組並びに報道番組及び娯楽番組を設け、放送番組の相互の間の調和を保つようにしなければならない。

  3. 放送事業者は、国内放送の教育番組の編集及び放送に当たつては、その放送の対象とする者が明確で、内容がその者に有益適切であり、組織的かつ継続的であるようにするとともに、その放送の計画及び内容をあらかじめ公衆が知ることができるようにしなければならない。この場合において、当該番組が学校向けのものであるときは、その内容が学校教育に関する法令の定める教育課程の基準に準拠するようにしなければならない。

  4. 放送事業者は、テレビジョン放送による国内放送の放送番組の編集に当たつては、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を視覚障害者に対して説明するための音声その他の音響を聴くことができる放送番組及び音声その他の音響を聴覚障害者に対して説明するための文字又は図形を見ることができる放送番組をできる限り多く設けるようにしなければならない。




◆放送法3条の2は検閲を認めているわけではない。

 

 放送法3条の2は、放送局が番組を制作する上での、簡単に言えば常識、モラルについて言及している。

勘違いして貰っては困るが、私の通常スタンスとしては、我が国のマスコミに対して極めて批判的である。

報ずるべき事を報じない。視聴率を取るためには、ヤラセでも何でもやる。

TBSは人殺しの片棒を担いでおきながら、よくもいけしゃあしゃあと、存続しているものだ。等々、相当過激なことを書いている。

ご覧になりたい方は目次のページの検索欄に「マスコミ」と打ち込んでみて下さい。

しかし、だからといって、法律を曲げて解釈してはならぬ。法律はあくまでも客観的に正しく理解されなければならない。

 大事なことは、放送法3条の2は、「マスコミの心得」を明文化した規定であるが、国家が放送内容に関して、放送前に介入してよいとは、一言も書いていない、ということだ。


◆憲法21条第2項には但書(ただしがき)がない。

 

 但書とは、法律の条文中、例外を定める文言(もんごん)である。

もう一度、21条2項を引用する。



2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 

 これだけである。

 場合によっては、国家権力による介入を許す、という趣旨ならば、この後に、「但し、法律で別途規定する場合は、この限りではない」という但書が付け加えられるはずなのだ。それが、書かれていない。


つまり、日本国憲法は「如何なる場合も検閲をしてはいけない」と、定めていることを意味している。


◆番組内容が偏向しているかどうかは、国民の評価に委ねられるべきである。

 

 番組の内容が中立であるとは、どのような状態なのか、定かではない。

 多分、人によって「中立」の位置は異なるだろう。

 人間の心理として、自分の知識、思想に合致するか、近い内容であれば、自分が中立かどうかは検証しようとしないで、「この番組は中立だ」と評価するのであろう。

つまり、「番組内容の中立性の判断」は実際は極めて主観的な評価にならざるを得ないが、その評価は、主権者である国民に委ねられるべきであり、政治権力が行使されるべきではない。


◆安倍晋三氏が介入した、と断じる根拠も、していないと断じる証拠も、現在、存在しない。

 

だから、私は、NHKと安倍晋三氏のどちらが真実を語っているかは、断定しない(先日書いたとおり、想像はしているけどね。

NHKのプロデューサーは、政治家に何か云われたというのであれば、何故、放送局の人間ともあろう者が、録音しておかなかったのか、不思議である(尤も、早いうちに提示すると、没収される恐れがあるので、まだ公表しないだけかも知れない。無論、これは、一つの想像に過ぎない)。


◆結論:検閲は許されていない

私の本稿における結論は、NHKの番組内容がどのようなものだったか、と言う問題と、政治家、乃至日本国が、放送内容を検閲してよいか否か、と言う問題は、関係がなく、そして、検閲は、してはならない、ということに尽きる。

繰り返すが、検閲は、憲法によって、例外なく禁止されている、ということは、認識されるべきである(但し、これも繰り返しになるが、だからといって、現在の日本のマスコミが行っている報道の内容・姿勢が正しい、と、私が考えているわけではない)。

本稿は、そのことを、放送法と憲法を見比べて説明したのである。 是非、全体を読んで頂きたい。

最近、一部だけを読んで「反論」めいたメールを送ってくる人がいるが、文章は、全体を読んで頂きたいものだ。


2004年01月18日(日) 「集団的自衛権行使へ解釈変更を=安倍自民幹事長」←図に乗るんじゃねえぞ、この野郎
2003年01月18日(土) 麻酔医に感謝。

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