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JIROの独断的日記
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2003年09月13日(土) 最近の若い人って「ローマの休日」を見たことがないの? 「品」が良い、ということ

 今朝は実に久しぶりに、心底驚いた。テレビを見ていた。映画を紹介するコーナーになった。原則として新作を紹介するのだが、話が昔の映画「ローマの休日」のことに及んだ。そうしたら、司会をしていたタレントの優香が、なんと、「ローマの休日」を見たことが無いというではないか!
 
 「ローマの休日」を見たことの無い人がいる?
 
 考えてみれば、確かに半世紀以上も前の古い映画なんだが、あまりにも有名なこの映画は、特別に映画に関心があるわけではない私ですら、何度見たか分からないほどである。無論、ビデオにもDVDにもなっている。
 
 別に、いいじゃん、と若い人はいうのだろうけれども、あれを見ないのは勿体無い。今の映画とどこが違うか?現代のようにコンピューターを駆使した特別な技術は使われていない、とか、風景や服装が古臭いとか、そういう枝葉末節ではない。
 
 「品」があるのだ。ストーリーにも、役者にも、映像にも。
 
 堅苦しい毎日を過ごす某国の王女が、ローマに泊まったある晩、夜中にこっそりと町に抜け出して、子供のころから夢に見た、自由を味わおうとする。たまたま、通りかかったアメリカの新聞記者のローマ特派員が彼女を見つける。
 
 最初は誰かわからなかったが、新聞記者なので、王女が行方不明になっているという極秘情報と写真を見て、目の前の美しい女性が王女だと知り、愕然とするが、彼女の1日だけ自由を楽しみたいという切なる思いに打たれ、ローマ中を案内する。王女は子供のように、はしゃぎ、走り回る。そんな天真爛漫な姿を見た新聞記者は、次第に彼女に想いを寄せ始める。王女も気さくだがあくまでジェントルマンでハンサムな新聞記者に心が傾く。
 
 楽しかった1日があっという間に終わるころ、二人は恋に落ちていた。しかし、所詮、身分が違う。叶わぬ恋。1日だけの恋であった。
 
 うー、いいなあ。何度思い出しても。ストーリーもロマンチックだが、王女を演じたオードリー・ヘップバーンの清楚さ、可憐さ、美しさ。まったく「ローマの休日」のオードリーを見て、胸がときめかない男がいるだろうか?
 
 そして、新聞記者のグレゴリー・ペックの品のよさ。決して金なんかたくさん持っていないし、社会的地位だって大したことはない、というのに、人間全体からにじみ出てくる品の良さ。
 
 この二人に比べれば、最近のアメリカ映画の「スター」なんて、笑ってしまう。みんな、チンピラのあんちゃんとねえちゃんだ。
 
 日本人は、何だかどんどん下品になっていくように思う。色々な要因があるだろう。ひとつには、勿論バブルで、要するに世の中金が全てだ、と皆が思ってしまったあたりからどんどん品がなくなってきた。
 
 大人が品がないから、品の無い子供ができる。そして、大人も子供も品のあるものをみないから、余計品がなくなる。若い女の子が電車の中で大股おっぴろげて、大口をあけて眠っていたりする。
 
 「ローマの休日」を見てもらいたいなあ。
 
 女の子だって、オードリー・ヘップバーンの上品さに憧れるだろう。憧れる対象を持つのは良い事だ。 
 
 男の子は、オードリー・ヘップバーンの中に、一種の「聖性」を見出すだろう。そういう経験がないと、女の子、イコール、セックスの対象、としか見られなくなる。そして、グレゴリー・ペックを見て、「ジェントルマン」とは、決して文字の上だけの存在ではないことを知って欲しい。
 
 そりゃあね。「ローマの休日」を見れば、日本人全員が突如、上品になる、というわけにはいきますまい。世の中それほど簡単に行かない事ぐらい、私だってわかっている。
 
 しかし、見たことが無い人は、是非この永遠の名作を見て、「品が良い」というのがどういうことなのかを、知ってもらいたい。


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