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JIROの独断的日記
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2003年09月03日(水) 頭が良いことは、少しも自慢にならない。

 「頭が良い」ことの定義云々を書き始めると長くなる。ここでは、ごく一般的に我々が日常的に感じる事実として、世の中には、頭が良い人と、普通の人と、悪い人がいるという程度の認識で書いている。

 色々な日記を読んでいると、頭が良さそうな人が大勢いる。勿論、頭が良い人がいてくれなければ、世の中の進歩が停滞してしまうので、必要な存在だ。

 しかし、あまりにも当たり前の事だが、「頭が良い人」その人が「偉い」わけではない。秀でた知能を持って生まれてきたのは、たまたま幸運に恵まれただけ、つまり「偶然」だからである。

 同じ論理で、「美人」は見ていて心が和むので、いてくれた方が良いに決まっているが、美人に生まれたのは、単なる偶然であって、その人の努力の所産ではないのだから、美人さんだからといって「偉い」わけでは、少しも、ない。

 ところが(煩雑になるのでここでは頭が良い人に話を絞るが)、頭の良い人はしばしばそれを忘れているか、或いは初めから意識しない。

 Web日記の中でも、話の題材、テーマは実はどうでもよくて、いかにして、ある主張を完璧な、水も洩らさぬ論理で固めて、頭の良さを誇示できそうな文章にするか、ということにエネルギーを注力しているのではないか、と思われるサイトが散見される。また、他人のWeb日記やテキストサイトで見つけた、論理的欠陥を指摘して、せせら笑うような文章を書いて優越感に浸っている人もいる。

 ああいうのは、恥ずかしい。

 アルバート・アインシュタインは20世紀で最も頭が良かった人であろう。彼の目からみれば、恐らく普通の人というのは、どうしてこんな簡単な事も分からないのであろうか?という疑問と驚きの人生だったのではないかと思う。

 それを戒める意味もあるのかもしれないが、彼の語録に「私は、自分の肉体的・精神的存在の100%が他人の労働のおかげで支えられている事を、1日に100回は自分に言い聞かせます。」というのがある。

 本当に頭が良い人は頭が良い自分が陥りやすい悪癖、他人を見下す事など、を十分に知っていて、コントロールできる人なのだろう。


2002年09月03日(火) 大きな古時計

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