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JIROの独断的日記
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2003年08月24日(日) 人は常に目標に向かって努力しなければならないのであろうか。

 「人間は、夢を持ち、その実現のために目標を設定し、その達成のために、常に努力しなければいけない」という命題(?)があるけれども、これは果たして真であろうか。

 上で書いたような考え方は、一部の人たちの価値観に過ぎない。夢を持とうが持つまいが、そんなことは本来各自が決めればよい事であり、全員がそうあるべきだ、と主張する論理的根拠はどこにも存在しない。

 「夢」だとか、「目標の達成」だとか「努力」という概念が美化されて、強調されるようになったのは、資本主義の発達と大いに関係がある。「向上心」を美徳とする事により、労働者が生産性の向上を常に意識するようになれば、収益の極大化を目標とする私的資本主義企業にとって都合がよいからである。

 農耕生活が中心の社会でも、「前の年よりも豊作であればそれにこしたことはない」という意識はあるだろうが、これは、気象条件などの不可抗力に影響されるので、個人に対する心理的圧迫は現代資本主義におけるそれよりもはるかに軽微なものであろうと考えられ、個人は毎年、同じ作業をコツコツとこなしていればよかったはずである。

 「向上心至上主義」はにとらわれすぎると、人間の心は疲弊し、自分の事ばかりを考えるようになり、時には精神に異常を来たす。各人に向上心を持たせるのは、実は資本主義社会に都合のよい、「洗脳」の一種である、ということを認識していた方が、要らぬ苦労や不幸を背負い込まずに済む可能性が高い。


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